旅立ち 心に寄り添う看取り士 「最期は自宅で」 コロナで増える依頼

2022年2月24日 07時19分

映画「みとりし」の一場面。新人の看取り士・高村みのり(村上穂乃佳)を横たわらせて、妻を看取ることになった男性(左)に看取りの作法を教える看取り士の柴久生(榎木孝明)©2019「みとりし」製作委員会

 人はいつか最期を迎える。臨終に立ち会う家族は不安や悲しみに見舞われ、不慣れなことに右往左往しがちだ。そんな家族に助言し、安らぎの中で旅立たせるのを手伝う「看取(みと)り士」。コロナ禍で在宅死を望む患者の家族からの依頼が増え、役割や活動は広がりを見せている。 (小田克也)
 昨年十月、広島県内で、がんに罹患(りかん)した八十代の父を五十代の娘が自宅で看取った。亡くなって一日半がたち、娘から看取り士の柴田久美子さん(69)=岡山市=に電話があった。通常は亡くなる前に家族から看取りを頼まれることが多く、死後の相談は異例だ。「看取りの作法を教えてほしい」と頼まれた。
 初七日まで自宅に父の遺体を置いておきたい−。そんな娘の希望に対し、親族らは時間の経過とともに故人の顔が傷んでくると、納棺師による化粧を勧めた。父の顔を他人に触れられたくなかった娘に柴田さんは「ご遺体を置いて問題ありません。お父さんの顔に触れて『ありがとう、頑張ったね』と声を掛けてください。お父さんのお顔が戻ってきます」と助言した。
 看取り士はすべての状況を肯定的に受け取り、家族らの不安を和らげながら対処する。「家族がいかに満足して故人を見送ることができるか。『あなたがたご家族は完璧でした。素晴らしかったですよ』というふうにもっていくのが私たちの役割。やり直しがききませんから」と柴田さん。
 看取り士は、柴田さんが会長を務める一般社団法人「日本看取り士会」(岡山市)の講座を学んで得られる民間の資格。これまで五十代、六十代を中心に約千六百人が資格を得た。看護師五割、介護士三割、一般が二割。株式会社「日本看取り士会」の国内各支部から派遣される。
 看取り士の仕事は、余命告知を受けた患者の家族からの依頼で始まる。病院や施設を出て自宅で最期を迎えたいという希望が多く、まず自宅に帰る環境を整える。ケアマネジャーや看護師らと連絡を取り、自宅を訪問する介護士や看護師、配食業者などを探す。身寄りがなく一人で病院や施設に入っている人が、看取りを望む場合も対応する。
 看取り士は折に触れ、経験を踏まえて助言する。臨終が迫ると「そろそろ親族をお呼びください」と勧める。亡くなる前に呼吸が苦しそうになると、家族の一人が正座して本人の頭を膝に乗せて呼吸を合わせ、呼吸を整えて旅立たせる。この作法を看取り士は事前に家族に伝授する。
 柴田さんは「生きている人と死んでいく人が一つになり、命のバトンがつながれる。今の日本では、死んで一時間後にドライアイスが入れられ、魂の受け渡しができない」と言う。「子どもがご遺体に触れることもなくなった。それでは命が伝わらないのでは」
 年間百三十万人以上が亡くなる多死社会を迎え、柴田さんは看取り士は不可欠と考える。「核家族化が進み、看取りを経験したことがないという人は多い。都市部で暮らしていて、地方に住む親の最期の面倒を見られない人もいる」
 同会の看取り士の依頼は一昨年が約百二十件だったが、昨年は約四百件に。「コロナ禍で病院や施設は面会制限が厳しく、家族が会えなくなるのはつらい。だから自宅死を選ぶ人が増えた。本当に大切なものは何か、コロナ禍が社会に問うたのだと思う」
 厚生労働省の二〇一九年人口動態統計によると、国内では七割以上の人が病院で亡くなり、自宅で亡くなる人は二割に満たない。在宅死にこだわる柴田さん。「コンベヤーに乗るような人生を歩かないでほしい。それぞれが自分らしい最期を迎えてほしい」と願う。
 映画「みとりし」 柴田さんの著書が原案。旧知の俳優榎木孝明さんと「いずれ死生観をテーマにした映画を作ろう」という思いを共有してきたのがきっかけで製作された。2019年公開。物語は、交通事故で娘を亡くした定年間際の柴久生(榎木さん)が主人公。喪失感から自暴自棄となるが、看取り士の仕事に就き、小さな看取りステーションで新人を指導しながら最期を迎える人々を支える。

「愛の中で旅立ちたいと思われたら、看取り士を頼んでほしい」と語る柴田久美子さん

<しばた・くみこ> 1952年島根県出雲市生まれ。2012年に日本看取り士会を設立。本部がある岡山市を拠点に活動を続ける。著書に「私は、看取り士。わがままな最期を支えます」(佼成出版社)。

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