A17地域の中で認定看護師・専門看護師の資格を活かして働く

インタビュー

商店街を拠点に住民の近くで声を拾う

大阪の商店街の中にある訪問看護ステーションほがらかナース。管理者である岩吹さんは在宅看護専門看護師として活動しています。ほがらかナースの立ち上げまでの経緯と、今後のビジョンについて伺いました。 地域の中での専門看護師の役割 ―訪問看護ステーションほがらかナースの立ち上げの経緯について教えてください。 岩吹: 専門看護師は卓越した看護の提供だけではなく、コンサルテーションやコーディネーションの役割もあると教わっていたので、地域に出る必要があると思いました。病院でもできないわけではないですが、管理者でなければ自分のやりたいことはなかなかできないと思い、地域の声を拾うためにより住民に近いところに居たほうがいいと考えたんです。ちょうど近くに商店街があり、専門看護師としてここで地域包括システムの体制を作っていこうと決めて、開設しました。 ―どのような商店街なのでしょうか。また、商店街の中でどのような思いで活動をされているのでしょうか。 岩吹: 大阪の九条に、キララ九条商店街という通りがあり、そこの空き地にステーションを開設しました。この商店街には薬局が2~3つ、相談支援事業所が3つ、クリニックが4つ、歯医者が2つ、ヘルパー事業所が3つあります。介護事業所はたくさんありますけど、医療がクリニックだけでは、医療ニーズが高い患者さんが地域で生活できるのかという懸念がありました。商店街は買い物に来るところですが、そこで健康に関する健康教室のような場所を作りました。少しでも住み慣れた地域で、病気や障がいを持ちながらも生活できるように、社会資源のひとつとして、専門看護師である自分を使ってもらいたいと思っています。 街の中の保健室として ―コロナが落ち着いてきたら『街の保健室』として、どんな形で商店街の方たちと関わっていきたいですか。 岩吹: 勉強会を開催したいと思っています。ただし、こちらが提供するというよりも、学びたいこと、知りたいことを地域の方々から出してもらい、患者さんや地域の方々が中心となって開催していくようなイメージをしています。私たちは場所の提供やサポートをして、交流の場として、住民主導でやっていきたいです。夢は大きく、思い立ったらすぐ行動するタイプなので、待ち遠しいです。 ** 訪問看護ステーションほがらかナース管理者 岩吹隆子 血液内科病棟で5年、脳外科病棟で5年経験後、訪問看護師として働く。結婚や出産などで看護師の仕事を一度離れるも、復職。訪問看護認定看護師取得後、2018年に在宅看護専門看護師の資格を取得。2020年に訪問看護ステーションほがらかナース開設。

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現象学から捉える看護~専門看護師の実践~

大阪にある訪問看護ステーションほがらかナース。管理者である岩吹さんは、在宅看護専門看護師の資格を持ち、地域で生活する利用者さんのケアだけではなく、専門看護師として看護師に教育を行っています。教育課程のなかで学んだ『現象学』の活用について、お話を伺います。 利用者さんを通じて成長していく、スペシャリストとしての専門看護師 ―大学院で専門看護師の資格を取得されて、実践ではどのように役立ちましたか。 岩吹: 大学院には48歳のときに行きました。一緒に学んだ同期は30代前後の若い人が多く、教育課程も違う世代だったのですごく苦しみました。だけど、実践でやってみて役立っているなと思うことは多くあります。例えば、困難事例で悩んでいる看護師にも、「ここはどうなの?」と質問を投げかけ、客観的にアドバイスできるようになりました。自分の中の引き出しが増えたような感覚です。 利用者さんとの対応でうまくいかないのは、自分のせいでもなく、相手のせいでもない。見方が悪いわけでもなく、知らないだけなんです。「本当のこの人は、どのようにして今までの生活を過ごしてきたのか」を見ていきます。 現象学ともいいますが、なぜクレームばかり言うのだろうか、なぜこんな現象が起こっているのかを考えます。相手の語りを聞くことによって、その人自身を捉えることができるようになります。固定概念や先入観でガチガチに固めてしまうのではなく、その人の在り方が必ずあるはずなので、そこを一緒に見ていくようにしています。 また、利用者さんに「話を聞いてもらってよかった」と、思ってもらえることも大事ですね。楽しかった、嬉しかったという感情があってこその『傾聴』だと思います。私たちも看護師という支援者である前に一人の人間なので、利用者さんを通じて成長していくという姿勢も忘れてはいけないと思います。 現象学と看護の世界 ―現象学について学んだとのことですが、どのように看護に生かすのでしょうか。 岩吹: 現象学とは世界がいかに意味づけされたものか、現象を探求する、捉える学問です。エドムント・フッサールという哲学者が創始者です。物事を捉えるときに私たちは、「こうあるもの、こうしてあるべき」と先入観を持って判断しています。現象学では、ありのままに現象を捉え、本当にそうあるべきなのかと先入観を排することを一番に学びました。 現場に戻ってきて、この看護師さんは先入観で物事をみているなと思うことは増えました。一度アセスメントしてケアがうまくいかないとき、「あの人はああいう人だよね」と決めつけているのではないか、だからうまくいかないのではないかと立ち返り、先入観を取り除いていくと見えてくるものがあります。そのためには、本人に話を聞きながら、ありのままを捉えていくことで、信頼関係が築けるようになってきます。 どのような現象が起きていたのか、当事者と一緒に振り返る ―具体的にどういう風にやっていくのですか。 岩吹: 私も大学院で学んできたと言っても、2年間は頭の中がクエスチョンマークでいっぱいでした。卒業してから現場に出て、スタッフや利用者さんと話をするようになって、ようやくわかってきました。 まずは、振り返ることです。私たちはすぐにこうすればよかったと、方法論を考えてしまうところがありますが、方法の前に現象を理解することが大事です。現象を捉えることができると、自然と方法が出てきます。「この人はここに価値観を置いているから、ここを大事にしないといけない、そのためにはこうしていこう」というイメージです。 ―すごく難しいですね。 岩吹: 難しいです。「この人気を付けたほうがいいですよ」と先に申し送りで言われると、別の人の先入観が入ってから関わることになるので、自分もその先入観に囚われてしまいます。私も偉そうなことを言っていますが、立ち返る癖をつけないといけないと思っています。 例えば、精神疾患の利用者さんの何度目かの訪問の際に、チャイムを鳴らしたはずなのに、「鳴らさないで入ってきた」と怒りのクレームが入ったことがありました。看護師本人はなぜ怒られたのかもわからず、逃げ場もなく帰ってきて、すぐに私のところに電話をして来ました。気が動転していた様子だったので、まずは話を聞いて気持ちを落ち着かせました。そのあとは私が対応し、後日利用者さんのところに事情を聞きに行きました。やはり怒っていましたが、ヘルパーさんや区役所にもクレームを入れていたので、なんだかおかしいと思ったら、薬を飲めていなかったことがわかったんです。利用者さん自身も感情のコントロールができなかったと話していました。利用者さんも怒ってしまったことを反省していて、一緒に振り返りをして薬を続けていくことになりました。 対応した看護師は、自分が原因で怒られたと思っていて、行きたくないと言っていました。しかし、利用者さんの身に起こった現象をひとつずつ確認し、声かけをしていくことによって、「そういえば薬を飲んでいなかった」と、ぽつりぽつりと話すようになりました。それからは、「利用者さんともう一度やりとりしたい」と言うようになりました。 このように、感情が落ち着いたときに、どのような現象が起こっていたのかを振り返ることをとても大事にしています。 ** 訪問看護ステーションほがらかナース管理者 岩吹隆子 血液内科病棟で5年、脳外科病棟で5年経験後、訪問看護師として働く。結婚や出産などで看護師の仕事を一度離れるも、復職。訪問看護認定看護師取得後、2018年に在宅看護専門看護師の資格を取得。2020年に訪問看護ステーションほがらかナース開設。

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訪問看護師としての自分の使命

大阪の商店街の中にある、訪問看護ステーションほがらかナース。管理者を務めるのは、訪問看護認定看護師、在宅看護専門看護師の認定資格を持つ岩吹さんです。今回は、認定や専門看護師を取得するに至ったきっかけついてお話を伺います。 生き生きしている患者さんの姿から感じた在宅の可能性 ―訪問看護師として働くまでの経緯を教えてください。 岩吹: 最初に総合病院で5年勤めた後、人と違うことがしたくて、なんとなく訪問看護を考えていました。しかし、それまでは血液内科病棟にいたので、在宅でもよくみる脳外科などの領域も経験したほうがいいだろうと思い、脳外科の病院に転職しました。 病棟自体は寝たきりの方が多いところでした。そこで5年ほど勤めたころ、ある患者さんが退院することになり、その後外来で対応する機会があったんです。そこでとても生き生きとしている患者さんの姿をみて、在宅の力ってすごいなと思いました。それで私もチャレンジしてみようと思い、訪問看護の道に進みました。 最初の訪問看護ステーションでは3年ほど勤め、結婚を機に一度看護師の仕事からは離れていました。 壮絶な体験を経て大学院で在宅看護専門看護師を取得 ―それからはどうしていたのですか。 岩吹: 2005年のある日、夫が肺がんだということがわかりました。そのとき長男は10カ月、次男の妊娠がわかったタイミングでした。がん患者と家族のつらさを自分自身が体験して、こんな気持ちでいたんだと感じました。今まで自分がしてきたことが、どんなに浅はかであったか、利用者さんの立場になることができていなかったと痛感しました。「この看護師は冷たいな」「親身になってくれているな」というのが手に取るようにわかったんです。 闘病生活1年で、夫は他界しました。当時、長男が2歳、次男が生後半年で、子どもを抱えながら今後どうしていくか、この子たちを食べさせなきゃいけないと、無我夢中でした。看護師の仕事に戻ることは少し躊躇しましたが、この仕事しかないという思いや、夜勤ができないということもあり、訪問看護師として戻ることを決心しました。 しかし、夫が亡くなった翌年には母親も急死し、以前から躁うつ病で入退院を繰り返していた兄が脳梗塞を起こして、面倒をみなければなりませんでした。なんで自分がこんな目に遭うのかと、とても落ち込みましたね…。 ―壮絶な体験があったのですね…。そんな中で訪問看護の仕事を再開されてからはどうでしたか。 岩吹: 仕事をはじめると、がんで闘病中の利用者さんに対応することもあり、フラッシュバックして仕事ができないのではと不安になることもありました。そんななか、がんを患っていたある利用者さんが「つらいんや…」と、私にだけ気持ちを打ち明けてくれました。フラッシュバックもありましたけど、一生懸命励ましている自分がいて、利用者さんから「あんたみたいな看護師は初めてや。本当にわかってくれる人はいなかった。」と言われました。ふと我に返ったときに、患者さんに寄り添うとはこういうことなのかと感じたんです。 看護師としての知識や経験は浅かったかもしれないけど、私には患者さんや家族の気持ちが少しわかると思いました。そして、当時始まったばかりであった訪問看護認定看護師に挑戦して、スペシャリストを目指すと決めました。 しかし、一年間の教育課程だったので、知識を詰め込んでも整理できておらず、認定をとってもなんとなく資格が取れたという状況でした。うまく看護を言語化することができず、くすぶっていたところで、「これは大学院にいくしかない」と思いました。当時、私よりも10個ほど年下の認定課程の専任教員だった方が、驚くほど言語化が上手だったんです。その方が大学院に行っていたので、私もとりあえず同じようにやってみようと思い、在宅看護専門看護師の教育課程に進みました。 ―岩吹さんは患者さんにケアとして還元していくなかで、夫のことや看護師としての自分、仕事との向き合い方、生き方を整理していったように感じましたがどうでしょうか。 岩吹: そのとおりですね。患者さんを励ますことで、自分自身も助けられたのかもしれません。これが私の使命というか、夫を亡くしたこと、兄の面倒をみていたことが私の強みで、ここに命を注いでいったらいいんだ…と電撃が走ったように感じました。こうした使命感があると、人間いろいろとつらいことがあっても、楽しく、前に進むことができると実感しています。 つらいことには意味があると思うんです。看護師にも、看護師でない人にも伝えたいのは、「今のつらい思いは未来に役立つ」ということ。絶対に後々、力になります。 ** 訪問看護ステーションほがらかナース管理者 岩吹隆子 血液内科病棟で5年、脳外科病棟で5年経験後、訪問看護師として働く。結婚や出産などで看護師の仕事を一度離れるも、復職。訪問看護認定看護師取得後、2018年に在宅看護専門看護師の資格を取得。2020年に訪問看護ステーションほがらかナース開設。

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