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元気をもらえるエピソード【つたえたい訪問看護の話】
元気をもらえるエピソード【つたえたい訪問看護の話】
特集
2026年7月6日
2026年7月6日

元気をもらえるエピソード【つたえたい訪問看護の話】第3回vol4

訪問看護の現場では、疾患・障害があっても、自分らしく前向きに生きる利用者さんがたくさんいます。今回は「みんなの訪問看護アワード2025」に寄せられた投稿の中から、利用者さんの生き方や言葉に元気をもらえるエピソードをご紹介します。 「訪問看護を続ける原点 やる気をもらった一枚の色紙」 16年前、東京赴任で不安を抱えていた新米訪問看護師が、利用者のAさんから贈られた一枚の色紙に励まされ、訪問看護を続ける原点となったエピソード。 16年前、私が訪問看護師として初めて赴任したのは東京でした。故郷の山形を離れ、ブランクがある中で久しぶりに現場に出る私は「新しい仕事、久しぶりの現場、新しい土地……やっていけるのか?」と不安でいっぱいでした。そんな中、私が受け持つことになったAさん。現代文の教員であったAさんは、時々思わず出てしまう私の方言に興味を持って「お国言葉はあったかくていいね」と言って和ませてくれる、とてもやさしい方でした。ある日、Aさんから一枚の色紙を差し出され、そこには「為せば成る為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり」と私の地元の偉人の言葉が書いてありました。訪問中の何気ない会話から、私になじみのある言葉を選び、訪問看護師になりたての私にエールを送ってくださったAさん。色紙を見た瞬間、とても温かい気持ちになり、「今できることを頑張ろう!」というやる気が出てきました。Aさんとの出会いがあったからこそ、今も訪問看護を続けられているのかもしれません。あの時いただいた色紙は私の大事な宝物です。 2025年1月投稿 「久しぶりの写真」 初回訪問時の写真撮影をきっかけに、利用者さんの笑顔や「久しぶりに写真を撮る喜び」が広がるエピソード。 なかなか訪問できないスタッフのために、初回訪問時にご本人・ご家族の了承をいただいたうえでお写真を撮らせてもらい、ファイルに綴じるようにしています。お写真を撮ると伝えると、髪型を気にされたり、お化粧を気にされたりする方もいました。初回訪問のため、たまたま在宅だった息子さんと満面の笑みで映る利用者さん。なかには「久しぶりに写真を撮った」と言われるご夫妻。大谷選手の名前を出して「『おおたにー』と言うと自然と笑顔になりますよ」とお声がけし、その笑顔を写真に残す。写真を印刷してお渡しし、また笑顔が見られる。 2025年1月投稿 「息子への想い」 レノックス・ガストー症候群とともに54年を生きた息子を、「大丈夫」と抱きしめ続けたお母さまの愛と、5年間寄り添った訪問看護師の想いを描いたエピソード。 Aさんは、へその緒をたすきのように体に巻き付けて出生。生後7か月ころに熱性けいれんを起こしたことをきっかけに検査を受け、「レノックス・ガストー症候群」と診断を受けた。「けいれんは一生つきまとうよ」と医師から言われた時はショックでしかたなかったけど、「そんなこと言ってられない」とお父さんと二人で世話をしてきた。大きなけいれんのたびに、お母さまは「大丈夫、大丈夫」とAさんを抱きしめた。その後、けいれんが落ち着く光景を何度も見てきた。養護学校にも楽しそうに通った。ここまでのお話は、訪問看護師として5年関わったAさんが病院で亡くなったあと、ご自宅に伺ったときのお母さまの語りである。お母さまと並んでうれしそうな顔をしているAさんの写真と、たくさんの思い出話で一緒に泣いた。「可愛かった」と話すお母さまの姿を前に、我が子に先立たれたお気持ちを思うと、何と声をかければ良いのか分からなかった。高齢になるお母さまのために、Aさんの施設への入所も検討していたこともあり、「Aさんなりに、お母さまを楽にさせてあげたいと思ってくれたのかもしれませんね」とお伝えするのが精いっぱいだった。お父さまの人生の最終段階にも、訪問看護師として伴走した。ひとりになったお母さまのことが心配で、これからも時々連絡していこうと思う。そんなことを考えながら、Aさんの遺影に語りかけた。「54年間、よく頑張りましたね。お疲れ様でした。」 2025年1月投稿 「絶対に駄目よ。」 膵臓がん末期のSさんが「私と代わってほしい」と口にしたあと、「絶対に駄目よ」と続けた言葉に、最期まで自分らしく生き抜く強さを感じたエピソード。 私が訪問看護師となって、最初に受け持ったのが膵臓がん末期のSさんでした。笑顔が素敵で人生経験も豊富なSさんから、点滴の時間や浮腫へのケアの時間に、さまざまなお話を聞かせてもらいました。亡くなる10日前、だんだん動けなくなってきたSさんに、私にお手伝いできること、こんなことをしてほしいなどありませんか?と聞いてみました。Sさんは少し口角を上げて「私と代わってほしいわね」と話されました。私は正直驚きました。何て答えたら良いのだろう、と戸惑いました。少し考えて私は「お体大変なんですよね、変わってほしいですよね。Sさんの感じている大変さは、経験した人にしかわからないですよね」と伝えると、今度は笑わずに「絶対に駄目よ。こういう経験したら。」と凛とした口調でした。最期まで病と闘い、自分らしく生ききろうとしている人生の先輩の言葉だと思いました。「Sさんだから頑張れているんですね」と伝えると「そうなのかしらぁ」といつもの柔らかい笑顔でした。Sさんは、強くて優しくて時々涙も流し、最期まで自分らしく生ききった方でした。こんな風に、人生の最期に出会わせていただき、ともに歩むことができる訪問看護は、戸惑うことも多いですが、ありがたい経験をさせていただける仕事だと思います。 2025年1月投稿 「寄り添って最後まで」 がんのターミナル期、一人暮らしで最期まで在宅を望み続けた利用者さん。時には苛立ちを見せながらも、心の通った関わりを感じたエピソード。 病院勤務から訪問看護勤務にかわり、初めて受け持った利用者さんだった。癌のターミナル期だったが、在宅での療養を希望されていたため、訪問看護が介入し、関わりを持っていった。ほとんど目が見えていない状況もあり、普段は関係性が保てたが、自分の思い通りにならないことや、周囲が思うように応えられないと感じた時には、苛立ち、怒り口調になることがしばしばあった。病院勤務ではそのような関わりを持つ時間がなかったので、対応や言葉かけ一つにも難しさを感じた。ところが、私がしばらく訪問できない時には、他のスタッフから「Bさん(私の名前)は元気かと言っていたよ」と聞き、嬉しい気持ちになった。在宅での療養を望まれていましたが、環境的に難しい状況となりました。しかし、所長に相談すると、さまざまなサービスを活用することで在宅療養を継続できるようになりました。訪問者全員の名前を覚えていて、冗談を交えながら会話を楽しんでいるようだった。1人暮らしで、身の回りのことが難しくなったため入院を勧めたが、在宅で過ごしたいというご本人の思いは最後まで変わらなかった。最終的には入院するに至ったが、本人の意向を尊重しながら関わる中で、その思いを言葉や表情で返してくださることが、訪問看護のやりがいではないかと感じた一事例だった。 2025年1月投稿 利用者さんの前向きな姿勢や生き方に、励まされた経験のある訪問看護師も多いのではないでしょうか。今回ご紹介したエピソードからも、訪問看護はケアを提供するだけでなく、利用者さんやご家族から多くのことを学び、支えられる関係であることが伝わってきます。 編集:NsPace編集部

元気をもらえるエピソード【つたえたい訪問看護の話】
元気をもらえるエピソード【つたえたい訪問看護の話】
特集
2026年7月6日
2026年7月6日

元気をもらえるエピソード【つたえたい訪問看護の話】第3回vol03

訪問看護の現場では、疾患・障害などがある中でも懸命に前向きに生きる利用者さんがたくさんいます。「みんなの訪問看護アワード2025」に投稿されたエピソードから、利用者さんの前向きな姿勢に力を分けてもらえるエピソードをご紹介します。 「お母さん」 肺がんで31歳のお母さんが、4人の子どもたちのために1200km陸路で帰郷し、翌日家族に囲まれて旅立ったエピソード。 浦安にある、とある病室での20時半すぎ。重い空気が流れるカンファレンスが行われていた。患者さんは、31歳のえみさん。肺がんで12L/分の酸素投与をうけている。えみさんは、涙ながらに「家に帰りたい」と医師に訴えていた。えみさんは、1~7歳までの4人のお子さんをもつお母さん。憧れのディズニーランドに行くため、家族で宮崎からやってきた。途中に、機内で呼吸困難が出現。着陸後、すぐに病院へ運ばれた。急展開の中、子どもたちと別れた。「お母さん、お母さん」と子どもたちの泣く声が聞こえた。えみさんには、これから必要な治療と厳しい状態であることが説明された。宮崎に帰る体力はとぼしく、予断の許さない状態であると説明されたが、えみさんの強い意思と覚悟に医療者も心が揺れた。療養の場は在宅医療と訪問看護へとたすきが渡った。帰郷を目標に、まずは在宅で3日間体調を整える。緩和ケアだけではなく、身体と心に栄養をたくわえる。看護師は精一杯、気力を高める手当てをした。一方、静岡・神戸・岡山・宮崎の訪問看護の仲間の協力を仰ぎ、陸路での帰郷に決定し準備に入った。サロンカーに酸素ボンベを25本備え、エアマットを敷いた。訪問診療の医師と看護師が同乗し宮崎を目指して出発した。20時間後、えみさんの笑顔は子どもたちの中にあった。「お母さん、お母さん」と、はしゃぐ声が聞こえる。在宅医療と訪問看護は地元のステーションへたすきがつながった。長い1200kmであり、貴重な5日間となった。翌日、えみさんは家族に囲まれ旅立った。 2025年1月投稿 「訪問看護師が父を看取って」 訪問看護師自身が前立腺がんの77歳の父を看取る中で、「私にとってはたった1人のお父さん」と家族の気持ちに寄り添う大切さを学んだエピソード。 77歳になる父は長年、脊椎間狭窄症で腰痛に悩んでおり4月19日に退職した。訪問看護師として忙しく働く私に、ヘルプを出してきたのは5月4日。「熱があるみたい」SpO2が74%しかないことに驚き、救急車で病院へ向かった。医師から告げられた言葉は「お父さん、前立腺がんがあるよ。腰、大腿部、リンパ節に転移してる」あぁ…だから腰が痛かったんだ…!私は一瞬で父の置かれているステージが予測できた。輸血しても酸素状態は悪化の一方で、食事も進まず。「あと1ヵ月程かもしれない。緩和ケアをすすめます」と、医師に言われた。私は「帰り道で亡くなってもいい、家に連れて帰る」と、大口を叩いた。大規模な退院カンファレンスが開かれた。何度も経験しているのに、心はついていかなかった。退院前日、酸素9リットルまで投与された父に奇跡が起こった。突如として酸素投与を終了し、無事に退院し自宅で過ごすことができた。父も私も本当に嬉しかった。訪問看護やリハビリ、訪問入浴に介入してもらった。父はよく食べ笑顔だった。レスパイト入院している時に急変し、5日間ずっと付き添ったが7月24日に父は旅立った。家に帰る決断をすることができず、病院に踏みとどまった。訪問看護師のくせに…と、自分を責めてばかり。仕事上、多くの患者さんを担当しているけれど、私にとってはたった1人のお父さん。介護がこんなに大変だとも知らなかった。これからは家族の気持ちにもっと寄り添える訪問看護師になれるだろうか。 2025年1月投稿 「生まれ変わった過去の私」 褥瘡処置で毎日訪問するAさんから、「Bさん(私)はよくがんばってきたんですね」と過去の自分を肯定してもらい、生まれ変われたと感じたエピソード。 褥瘡の処置のため、毎日訪問しているAさん。Aさんは処置の際にいろいろな話をしてくださいます。とりわけ、すでに自立されたお子さん方の幼少期のエピソードは、子育て中の私の笑いを誘い、Aさん自身のお子さんへの慈しみを感じさせます。Aさんは私にとって利用者さんというより、尊敬できる子育ての先輩であり、時に私を育ててくれる存在です。ある日、Aさんは私の経歴に興味をもたれたのか「Bさん(私)は看護師にどうしてなったの?看護師になる前はどうしていたの?」と仰いました。私は一般の大学に通っていたこと、バブル景気も終わりがみえてきたころで、家庭の事情により自分で学費を賄うために夜間の学校に行っていたこと、またそのことが若いころも今も恥ずかしさをともない、積極的に話題にしない自分がいることをAさんに話しました。その時にAさんは少し間をおいて、「Bさんはよくがんばってきたんですね。そのことは恥ずかしく思わずに、ぜひBさんのお子さんが大きくなったらお話しされたらいいと思いますよ」と笑顔で私に話しました。今までの恥ずかしいと思っていた気持ちが晴れて、過去の自分の人生を誇ってもいいんだと、生まれ変われた瞬間でした。訪問看護は、利用者さんと長く関わり対話を重ねていくことができます。その対話から看護師である私自身のこれまでの人生を、新しく捉え直す機会に出会うことができました。この経験は訪問看護の醍醐味の1つといえると思います。 2025年1月投稿 「訪問看護の『正解』とは」 ALSのNさんと奥様を支え、交流会への参加を説得し、最期に「あなた達に出会えて本当に良かった」と言われたエピソード。 Nさんと奥様との出会いは今から1年前になります。Nさんは、その数か月前にALSと診断を受けられ、初めて会った時はすでに多くの介助が必要な状態でした。進行は早く、当初より「人工呼吸器は絶対につけない」と強い意志をお持ちでした。もともと大きな会社の管理職をされていたこともあってか、弱音を吐くことなくいつも毅然としておられ、スタッフを笑わせてくれていました。しかし、リハビリに対しては前向きになれず、ベッド上での生活となっており、ALSという病気を受け入れることができていない様子がうかがえました。そんな時、訪問診療の先生より「ALS患者家族の交流会」のお知らせがありました。やはり「絶対に行かない」とのことでしたが、スタッフでどうしたら参加できるのか話し合いを重ねました。不安に対して一つひとつ解決策を考え、奥様が「参加したい」というお気持ちを伝え、何とか説得することができました。当日の会場で「妻に迷惑だけはかけたくない。これから恩返しをしようと思っていた時だったのに」と心の内を明かされ涙されました。先日Nさんは、肺炎により永眠されました。奥様から「あなたたちに出会えて本当に良かった。主人はとっても幸せだったと思う」と言われました。訪問看護では、正解が分からず“本当にこの関わりで良かったのか”と、考えることが多々あります。しかし奥様のこの言葉で「よし!また頑張ろう!」と元気と勇気をいただきました。 2025年1月投稿 「利用者の希望の先にあるもの」 がんの利用者さんとの関わりで、訪問看護の仕事を改めて考えさせられたエピソード。 Aさんは胃がんの終末期で、「最期は家で過ごしたい」という希望を叶えるため在宅療養を開始した。疼痛のコントロールはできていたが、鎮痛薬の副作用で倦怠感が強く、ベッド上で過ごす日々が続き廃用性症候群が進行した。「車椅子に乗りたい」というつぶやきが忘れられず、次のカンファレンスで議題にあげ、主治医や理学療法士と連携しながら座位保持と車椅子移乗の練習を始めた。Aさんは苦痛をこらえ、黙々とリハビリに励んだ。自力で移動できるようになると台所に向かい、料理道具を眺めて微笑み「体力がついたら料理するね」と話した。その3日後、家族に見守られながら静かに息を引き取った。Aさんが闘病前、パン作りが趣味で家族に振る舞うことを誇りにしていたことを聞いた。利用者の人生に寄り添い、希望を形にするための手助けをするこの仕事の尊さを改めて感じた。 2025年1月投稿 利用者さんの前向きな姿勢や人生の歩みは、関わる訪問看護師だけでなく読者にまで元気や力を与えてくれます。あらためて、訪問看護師と利用者さんの関係は共鳴するのだと考えさせられます。 編集: NsPace編集部

Nurse for Nurseによる「看多機での在宅看取り」推進・普及啓発事業
Nurse for Nurseによる「看多機での在宅看取り」推進・普及啓発事業
特集
2026年7月1日
2026年7月1日

Nurse for Nurseによる「看多機での在宅看取り」推進・普及啓発事業

在宅医療を支える人が輝ける社会を目指すNsPaceでは、在宅看取りの担い手を増やそうと取り組む団体の活動を応援しています。本記事では、一般社団法人Nurse for Nurseが公益財団法人テルモ生命科学振興財団の助成を受けて実施する「看多機での在宅看取り推進・普及啓発事業」をご紹介します。看護職・看護学生の皆様の学びや次の一歩を後押しする見学プログラムやウェビナーについて、ぜひご覧ください。 執筆:門元 記子(かどもと のりこ)/一般社団法人Nurse for Nurse 代表理事2005年3月、慶應義塾大学看護医療学部卒業。看護師・保健師、公衆衛生学修士。国家公務員共済組合連合会虎の門病院勤務を経て、東京大学大学院公共健康医学専攻にて修士号取得。その後、国連人口基金(UNFPA)ジンバブエ事務所で3年半勤務したのち、世界保健機関(WHO)ソロモン諸島事務所にて勤務。2021年にジョンズ・ホプキンズ大学のコミュニケーション学修士号取得。 Nurse for Nurseとは? 一般社団法人Nurse for Nurse(以下、NfN)は2021年に設立された非営利型の一般社団法人で、看護職のキャリア開発支援を通してさまざまなローカルおよびグローバルな社会課題解決を目指している団体です。運営含め、会員はすべて看護職、分野は違ってもお互いのキャリアを応援しながら、全国、全世界でさまざまな社会課題解決に取り組んでいます。 NfNでは公益財団法人テルモ生命科学振興財団2025年度医療貢献活動助成に2度目の採択を受け、「看護職や看護学生に向けた看多機での在宅看取りの推進・普及啓発」事業を実施しています(実施期間:2025年12月~2027年3月)。 我が国では病院で亡くなる方が約65%を占め、自宅で亡くなる方は16%に留まっています。 一方、令和4年度に実施された「人生の最終段階における医療・ケアに関する意識調査」では、一般国民が「最期を迎えたい場所」として自宅を選択した割合は、1年以内に死に至る病気の場合で43.8%、末期がんや重い心臓病の場合は30%前後でした1)。本人が希望する最期の場所と実際に亡くなる場所との間には一定の乖離があり、その希望が実現しない要因はさまざまありますが、医療の高度化とともに一般市民が在宅で看取ってもらえる、家族が看取れるということが理解されていない現状もあります。また、尊厳ある看取りを支える看護要員の確保が難しいという実態も浮かび上がっています。特に看護基礎教育に「在宅看護論」がない世代(平成8年以前)や訪問看護の経験がない者は、在宅看護のイメージを持てない者も多いといわれています。 そこで、本事業では近年新たな支援提供先として注目やニーズが高まっており、事業者数および利用者数が増加傾向にある看護小規模多機能型居宅介護施設(以下、看多機)での看取りに焦点を当てています。 看多機について学んでみませんか? NfNでは看護職のキャリア開発支援の一環として「看多機」について広く知っていただき、一人でも多くの方に携わってみよう、開業してみよう、と思っていただけるように取り組んでいます。看多機は医療依存度の高い方であっても、在宅での療養を可能とすべく通所、泊り、訪問(看護と介護)を組み合わせたサービスを提供しています。サービスが一カ所に集中していることでさまざまな事業所との調整を担っているご家族の負担も減り、ご家族にとっても頼りになる施設といえます。 超高齢社会を迎え、在宅看取りを含めた在宅支援の受け皿がますます必要となるなか、NfNでは看護職の皆様に下記事業をお届けします。 (1)「看多機」見学プログラム:看多機に行ってみませんか?見てみませんか? 2026年9月、全国からご関心のある看護職を対象に「看多機」を2か所見学していただくプログラムを実施します。本プログラムでは、地域における看多機での看護、その役割や看取りについて経営者や看護職、利用者の視点から学ぶ機会を提供します。 過去の参加者からは小規模多機能との役割の違い、「点」でのサービスが「線」でつながりシームレスな支援が実現できていること、多職種連携の大切さなどを感じていただきました。 また、ご協力いただいた株式会社ラピオンの柴田さんからは「経営よりも運営が難しい」というお話もありました。ぜひ、その実態を肌で感じてみてください。そして、小グループでの実施ですので、お互いに学びを深めていただける機会になると思います。 2023年度の実施報告はこちら ご協力者・訪問先:● 柴田 三奈子氏:株式会社ラピオン 看護小規模多機能型居宅介護 ラピオンナーシングホーム 代表取締役(東京都日野市)● 福田 裕子氏:まちのナースステーション八千代 統括所長・管理者(千葉県八千代市) 対象:● 日本国の保健師・助産師・看護師免許保有者(いずれか1つ以上)● 看多機での看護、そこでの看取りに関心のある方(経験は問いません)● プログラムの全日程(下記)に参加が見込める方 プログラム日程:● 2026年8月22日(土)09:00-10:00:NfNによる参加者事前オリエンテーション(オンライン)● 2026年9月11日(金)~12日(土):2つの看多機へ半日ずつ訪問(事業オリエンテーション、見学、質疑応答など)● 2026年9月27日(日)16:00-17:30:見学プログラム参加者報告会(オンライン・看護職および看護学生に公開予定)● 2026年8月~9月:1対1のオンライン・キャリア相談*NfNのキャリア相談サービスをご活用いただきます(希望者のみ)。 募集人数:6名 参加費:無料(交通費・旅費〈日当・宿泊費含む〉をNfN規定により最大5万円まで補助) 募集〆切:2026年7月18日(土) 応募方法:募集要項をご確認いただき、応募フォームをご送信ください。 (2)ウェビナー『ほぼ自宅、ときどき第2のお家』アーカイブ配信のご案内*日本訪問看護認定看護師協議会後援 2024年12月、Nurse for Nurseでは「『ほぼ自宅、ときどき第2のお家』訪問看護・介護・通い・泊り全て対応可能な看多機での生活、最期について考えてみませんか?」と題したウェビナーを開催しました。 第1部では、看多機の概要、提供サービスや事例の紹介を通して、その役割や看多機を利用した看取りの実際についてご紹介いただきました。また、看多機でご主人を看取られたご家族の方へのインタビュー動画も共有しました。そして、第2部では、いただいた質問に対して、ご登壇者のご経験を交えてお答えいただきました。現在、本動画をYouTubeでアーカイブ配信しております。ウェビナー実施報告含め、ぜひ、ご覧ください。 こんな方におすすめ: 看多機の仕組みや運営に関心のある方 看多機での生活やケアについて知りたい方 在宅看取りに関心のある方 視聴者の声: 看多機の良さ(家族や本人の状態に合わせて、訪問と宿泊を柔軟に対応できるなど)がわかった。 ビデオメッセージは実際の状況がイメージしやすくとてもよかった。 事例から利用者を支える姿がイメージできました。 今後、起業も視野に入れていたので、たいへん参考になりました。 「看多機」に関心を持っていただいた皆様へ 全国的に事業数が伸びている看多機ですが、まだまだ数は足りておらず、看多機がない自治体もあるのが実情です。NfNは本プログラムを通して、看護職が看多機で提供するケアや在宅看取りについても理解を深めていただき、看多機で働いてみたい、看多機を開設したい、という看護職のキャリアを後押しできればと考えます。そして、この事業によって「自宅で最期を迎えたい」という多くの国民の想いが実現できる社会となることを願っています。 Nurse for Nurse会員登録について 最後に、Nurse for Nurseは看護職同士でのキャリア開発支援を通して社会課題の解決を目指しています。皆様にもお互いのキャリアを後押しする輪に加わっていただきたく、会員を募集しております。看護職同士がつながり、新たな発見(タグラインであるConnect and Discover)を通して、社会課題解決を一緒に目指しましょう。会員サービスには(1)会員データベース閲覧、(2)オンライン・キャリア相談、(3)交流会などのイベントへの参加などがあります。会員登録はホームページから。皆様のご登録をお待ちしております! *本事業は2023年度に続き「公益財団法人テルモ生命科学振興財団2025年度医療貢献活動助成」を受け実施しています。 【引用文献】1)人生の最終段階における医療・ケアに関する意識調査報告(令和 5 年 12 月).https://www.mhlw.go.jp/toukei/list/dl/saisyuiryo_a_r04.pdf ;712026/6/30閲覧

肝不全の緩和ケアがよく分かる 病態・症状対応・意思決定支援
肝不全の緩和ケアがよく分かる 病態・症状対応・意思決定支援
特集
2026年6月30日
2026年6月30日

肝不全の緩和ケアがよく分かる 病態・症状対応・意思決定支援

非がん疾患の患者さんに質の高い緩和ケアを届けるために、訪問看護師が知っておきたい知識・視点を整理します。今回のテーマは「肝不全」。黄疸や肝性脳症など肝不全特有の症状とその観察項目・対応方法、在宅での意思決定支援における訪問看護師の役割について、梶原診療所の谷田貝 昂先生に分かりやすく解説していただきます。 肝不全とは~病態と終末期のとらえ方~ 肝不全とは、種々の肝疾患により高度の肝機能低下が起こり、黄疸・皮膚掻痒症、肝性脳症、腹水、出血傾向など多彩な臨床症状が生じる状態です1)。肝不全の代表的な原因疾患は肝硬変であり、その背景にはウイルス性肝炎(B型肝炎・C型肝炎)、アルコール性肝障害、非アルコール性脂肪性肝疾患などがあります。 肝硬変は、長期にわたり無症状で経過する代償期を経て、非代償期に移行すると腹水や肝性脳症、食道静脈瘤出血、肝癌などの合併症を呈し、QOLが急激に低下します。 肝硬変の予後を予測する上では「Child-Pugh(チャイルド・ピュー)スコア」と「MELDスコア」が代表的な指標です。Child-Pughスコアは代償期、非代償期の予後予測に優れ(表1、2)、MELDスコアは非代償期の予後予測の精度が高いとされています2)(表3)。特に、MELDスコアが30を超えると3ヵ月以内の死亡率は50%に達するという報告もあり3)、緩和ケアの導入が求められる時期に入ります。 表1  Child-Pugh スコア 判定基準1点2点3点アルブミン(g/dL)3.5超2.8以上3.5以下2.8未満ビリルビン(mg/dL)2.0未満2.0以上3.0以下3.0超腹水なし軽度 コントロール可能中等度以上 コントロール困難肝性脳症(度)なし1~23~4プロトロンビン時間(秒、延長)(%)4未満(70超)4以下6以上(40以上70以下)6超(40未満) 5~6点:Child-Pugh 分類A、7~9点:Child-Pugh 分類B、10~15点:Child-Pugh 分類C文献4)より引用 表2 Child-Pugh スコアと⽣存率 12ヵ⽉24ヵ⽉Child-Pugh 分類 A95%90%Child-Pugh 分類 B80%70%Child-Pugh 分類 C45%38%⽂献5) を参考に作成 表3  MELDスコアと3ヵ月後の患者死亡率 MELD スコア3ヵ月後の患者死亡率<91.9%10~196.0%20~2919.6%30~3952.6%40<71.3%文献6)を参考に作成 MELDスコアはインターネットなどで計算可能。▼MDCalc :MELD(UNOS/OPTN).https://www.mdcalc.com/calc/2693/meld-score-original-pre-2016-model-end-stage-liver-disease QOLを脅かす主要症状とケア・治療の基本 肝不全の患者は、苦痛につながる複数の症状を同時に抱えることが多く、QOLを著しく損ないます。肝不全特有の症状とケア・治療については以下のとおりです。 黄疸・皮膚掻痒症 肝不全による黄疸の症状に皮膚掻痒症があり、皮疹を認めないにもかかわらず、全身性にかゆみが生じます。強いかゆみは日常生活の活動性や睡眠を妨げることがあるため、ケアとして保湿や冷却などを適切に行うことが大切です。抗ヒスタミン薬は皮膚掻痒症に適応がある薬剤ですが、慢性肝疾患患者の症状改善には不十分であったという報告もあり、大規模な臨床試験は報告されていません3)。既存治療が奏功しない皮膚掻痒症に対してはナルフラフィンの投与が検討されます3)。 肝性脳症 アンモニアに代表される中毒物質の代謝・排除障害により発生する精神神経症状です。精神状態の変化や羽ばたき振戦、意識障害などの症状を認めます。便秘や脱水、タンパク質の過剰摂取、感染、消化管出血、鎮静剤の過剰投与などが誘因となるため、排便コントロールや食事・水分の管理などが大切です。家族が最初に異常に気がつくこともあり、訴えに耳を傾けることも重要です。薬物治療は、肝不全用成分栄養剤、合成二糖類(ラクツロース)、難吸収性抗菌薬(リファキシミン)、カルニチン製剤(レボカルニチン)などの投与を行います。 腹水・浮腫 低アルブミン血症や門脈圧亢進などの機序により、腹部膨満感、食欲低下、呼吸困難感などが見られ、会話や歩行といった日常動作にも支障をきたします。これらの自覚症状や体重・腹囲を指標として、塩分制限と利尿薬の調整を行うことが治療の基本です。難治例には、定期的な腹水穿刺・排液が行われることもあります。また、腹水がある患者が発熱した際には、腹腔内の細菌感染である特発性細菌性腹膜炎の可能性も考慮し、抗菌薬による治療を行います。 消化管出血 食道胃静脈瘤や門脈圧亢進症性胃症、消化性潰瘍を有する患者では、出血すると急変する可能性があります。黒色便で発見されることもあるため、便の色や血圧低下、頻脈などを日々チェックします。数ヵ月以上の予後が見込まれる場合には、緊急内視鏡治療によって延命できる可能性があるため、緊急時の体制を整えておくことが重要です。 疼痛 肝不全の患者では、肝がんの合併による疼痛や、腹水による圧迫感が生じることがあります。鎮痛薬はアセトアミノフェンが第一選択です7)。NSAIDsは腎障害や血液凝固障害により消化管出血の原因となる可能性があるため、投与は慎重になるべきです。また、オピオイド系鎮痛薬のほとんどは肝臓で代謝を受けるため、肝不全の患者に対しては投与量や投与間隔を調整して使用する必要があります7)。 訪問看護でできる観察項目と対応の例 訪問看護師は患者の変化を観察し、多職種や家族と連携して病状の悪化を防ぐ上で重要な役割を担います。以下に主要な観察項目と対応の例を示します。 (1)黄疸、皮膚の状態と掻痒感の訴え 【観察項目】皮膚や眼球の黄染、乾燥、引っかき傷、夜間の不眠の訴えなど。【対応】保湿剤や軟膏の使用状況を確認します。引っかいてしまう場合には、爪を切ったり、衣服を工夫したりする(ウールや化学繊維を避ける)とよいでしょう。改善しない場合にはナルフラフィンなどの薬剤調整について医師と相談します。 (2)意識状態と認知機能の変化(肝性脳症の兆候) 【観察項目】会話の受け答えが遅い、言動のつじつまが合わない、昼夜逆転、羽ばたき振戦(手を伸ばして開いた状態で震える)など。【対応】家族に「普段と違う受け答えがないか」尋ねることが早期発見に役立ちます。食事は低タンパク食(0.5~0.7g/kg/日)を検討します。排便回数を確認(軟便で1日2回以上が目安)し、便秘がある場合は医師に報告してラクツロース製剤を中心とした便秘症治療薬の薬剤調整を提案します8)。 (3)腹部の膨満感(腹水貯留)や浮腫の程度 【観察項目】体重・腹囲の増加、下腿~足背のむくみ、歩行が不安定など。【対応】塩分制限(5~7g/日以下)、飲水制限を行います3)。また、体重や腹囲などを参考に医師に利尿薬の調整を相談します。腹水による症状が強い場合には、腹水穿刺も考慮されます。必要に応じて、苦しくないように体位の調整(ファーラー位やセミファーラー位など)を家族に提案することも有用です。下肢の浮腫に対しては弾性ストッキングの装着や足浴、リンパマッサージなどを行います。 (4) 排便・排尿の状況の確認 【観察項目】便の色・性状・回数、排尿回数・尿量。【対応】1日1~2回以上の排便が保てているかを確認し、便秘があれば早めに調整します。黒色便を認める場合には、消化管出血を考えて迅速に医師に報告してください。腹水貯留時には排尿回数と尿量に注意します。 上記の観察項目については、患者・家族にも繰り返し伝え、自己管理を促すことも訪問看護師の重要な役割です。また、精神的・心理的な不安感が強い患者には、傾聴を行い、安心感を提供します。さらに、家族の不安や介護負担にも目を向け、家族の「つらさ」に共感を示す声かけを意識しつつ、介護保険サービスの利用状況を確認し、ケアマネジャーとの連携も欠かせません。 在宅での意思決定支援 肝不全となり多彩な症状を認めるようになると、増悪・寛解を繰り返しながら慢性・進行性の経過をたどります。経過中に肝性脳症を認めて意思疎通が困難となることや、消化管出血などにより急変する可能性もあり、予測困難な経過をたどることが少なくありません。そのため、早期からアドバンス・ケア・プランニング(ACP)を開始し、患者本人の意思を尊重した療養方針を明確にすることが重要です。 ACPでは、「どこで過ごしたいか」「どのような医療を望むか」「延命治療は希望するか」などを話し合い、多職種で共有することで、本人の価値観・人生観を尊重したケア・介護体制を構築します。 訪問看護師は日々の関わりの中で患者の本音を聞き取り、医師や家族に伝える橋渡し役となります。最期の時間を穏やかに過ごせるよう、ACPの継続的な見直しも含めて支援していきます。 * * * 肝不全の緩和ケアでは、黄疸・皮膚掻痒症、肝性脳症、腹水、出血傾向など、特有の症状が多く現れるため、それぞれの対応をあらかじめ考えて、家族と情報共有することが重要です。特に肝性脳症による意識障害や、消化管出血による急変に備えて、早期からのACPによる意思決定支援が欠かせません。 在宅療養の場では、訪問看護師が生活支援、多職種との連携、心理的サポート、症状緩和、意思決定支援までを担うことになり、その役割は非常に大きくなります。肝不全の患者が「自分らしく生きる」ことを支えるためには、訪問看護師の専門的かつ継続的な関与が必要不可欠です。 本文で使用した略語一覧(本文登場順)QOL:quality of life(生活の質)MELD:mayo end stage liver disease(末期肝疾患重症度モデル)NSAIDs:non-steroidal anti-inflammatory drugs(非ステロイド性抗炎症薬)ACP:advance care planning(アドバンス・ケア・プランニング) 執筆:谷田貝 昂東京ふれあい医療生協 梶原診療所 医師/医療法人社団 雄昂会 やたがいクリニック 副院長 獨協医科大学卒業後、順天堂大学医学部附属順天堂医院 消化器内科に入局。その後、東京ふれあい医療生協 梶原診療所にて訪問診療に従事。現在は、やたがいクリニック副院長として外来診療・内視鏡診療を行う一方、梶原診療所での訪問診療、ならびに東京都認知症疾患医療センター オレンジほっとクリニックにおいて外来診療を担当している。   編集:株式会社照林社 【引用文献】1)池田健次:ウイルス性肝硬変に対する抗ウイルス療法.日消誌 2010;107:8-13.2)松尾 裕一郎,坂井 正弘:肝不全・腎不全.medicina 2018;55(11):1806-1810.3)日本消化器病学会:肝硬変診療ガイドライン2020(改訂第3版).南江堂,東京,2020.4)肝炎情報センター:肝硬変の程度の分類.https://www.kanen.jihs.go.jp/sick/kinds/kankouhen.html2026/1/23閲覧5)D'Amico G,Garcia-Tsao G,Pagliaro L:Natural history and prognostic indicators of survival in cirrhosis:a systematic review of 118 studies.J Hepatol 2006;44(1):217-231.6)Wiesner R,Edwards E,Freeman R,et al:Model for end-stage liver disease (MELD) and allocation of donor livers.Gastroenterology 2003;124(1):91-96.7)内藤隆文:肝障害を合併する患者の薬物療法マネジメント 疼痛×肝障害.薬局 2020;71(13):3673-3677. 8)吉崎秀夫:肝不全. 日本エンドオブライフケア学会監修,平原佐斗司, 荻野美恵子編:エンドオブライフケア ,南山堂,東京,2022:282-287.

元気をもらえるエピソード【つたえたい訪問看護の話】
元気をもらえるエピソード【つたえたい訪問看護の話】
特集
2026年6月26日
2026年6月26日

元気をもらえるエピソード【つたえたい訪問看護の話】第3回vol02

訪問看護の現場では、疾患・障害などがある中でも懸命に前向きに生きる利用者さんがたくさんいます。「みんなの訪問看護アワード2025」に投稿されたエピソードから、利用者さんの前向きな姿勢に力を分けてもらえるエピソードをご紹介します。 「長い人生の締めくくり」 耳が聞こえないMさんが、戦時中や人生の思い出を語ってくれたことで、忘れられない経験をしたエピソード。 Mさんは耳が聞こえません。戦争中に爆弾の衝撃を受けた影響だそうです。怒ってはいないのに笑顔もなく、淡々とされています。畑で倒れているところを緊急搬送され入院。超高齢、圧迫骨折、脱水や食欲不振と診断され訪問看護が介入となりました。退院後も食欲不振が続きましたが、点滴などの治療の希望はなく、静かに時が流れていく中で“何かケアができないのか?これで良いのか?”と、いつも感じていたある日の訪問。筆談中に突然、昔のことを淀みなく話し始めました。戦時中に別れた友人たちのこと、戦後の命は自分だけの命ではなく友人たちのものでもあると思っていること、病院に行かなかった理由、ご家族への思いなど。ひとしきり話した後、「ばあさん、アルマイトの弁当に白飯詰めて(棺に)入れてくれや。先に逝くから」と笑顔。90歳を超える妻は、驚きもせず、台所から弁当箱を持ってきて「これですね」と見せています。私には想像すらできない人生を歩んできたご夫婦の姿に、私にできることは、ただただ相手の声に耳を傾け、話を聴き、共感することだけだったと気づかされました。Mさんは、こうして自分の思いを全部吐きだし、白飯と梅干し弁当を持って旅立ちました。長い人生の締めくくりに立ち会った忘れられない経験でした。 2025年1月投稿 「その人らしい生き方」 心不全の治療を拒否し、「好きなことをして家で死にたい」と希望された利用者さんのエピソード。 基幹病院から「状態が安定しないが、退院を希望されている方の訪問看護をお願いしたい」と、連絡がありました。心不全の治療拒否をされているということで、どんな方なのか退院前カンファレンスを開いてもらい、ご本人とお話をさせてもらいました。この方の訴えとしては、「自分は死ぬなら家がいい。すきな酒、タバコ、好きなことをして家で死にたい」と、話されていました。“家に帰りたい“という意思の強さから、退院することになりました。退院日にご自宅に帰られると、医師より禁止されていたタバコ、お酒、お菓子を食べて幸せそうに、ご自身の想いを話し、意気揚々と過ごしておられました。用意された介護ベッドではなく、長年過ごしてきた家のソファーでお酒を片手に幸せそうに横になる姿を見て、スタッフみんなで「この方の願いを叶えてあげたい」と話をしました。この方が選んだ人生なのだから、その選択に寄り添いたいと思い訪問し、ご家族が不安にならないようにお話をたくさんしました。退院から2週間後、ソファーで両手を挙げ“万歳”と、人生を全うしたように満足げな表情で逝去されました。ご家族も「本人が望むように過ごせたことに悔いはない」と、お話しされていました。医療者として、看護を提供し生活の改善や向上をしていくという使命があります。ただ、それが医療者側の押し付けになってしまってはいけないということを改めて実感し、訪問看護でしかできない看護だと思いました。 2025年1月投稿 「ふたつの別れ」 重篤な心疾患のY子さんとあたたかい心の絆を結んだエピソード。 7年前の話だ。Y子さんは、重篤な心疾患で在宅酸素をして呼吸苦と向き合いながらも笑顔で前向きに暮らしていた。担当看護師の私はほとんど毎日訪問して、ケアをしながらたくさんの話をした。Y子さんは私を親しげに「ヤナイ!」と呼んでいた。「桜が見たいなぁ」とおっしゃった時、私は「見に行きましょうよ」と言った。Y子さんは「こんな酸素もしてるのにどうやって行くのよ」とすねたように言ったので「私がおんぶします」と言うと「ヤナイが連れてってくれるの?本当に?」と半信半疑に聞いてきた。「大丈夫、私は力があるんです」と答えると、Y子さんは「ふふふ」と子どものように笑った。Y子さんとはたくさんの楽しい時間を過ごした。想い出もたくさんある。そんな中、私が他の訪問看護ステーションへ異動が決まった。私は「もっと力になりたかったです」と声を上げて泣いた。利用者さんの前で泣いたのは初めてだった。Y子さんも涙をこらえて私を抱きしめてくれた。私たちは今生の別れになることを知っていた。もともと絵の上手だったY子さんはたくさんの絵を遺してくれた。それは、私がY子さんをおぶっている絵。二人は桜の下にいた。薔薇園にも宇宙空間にもいた。それから約1年後、Y子さんは亡くなった。2度目の、そして最後の別れだった。あの時のY子さんの年齢を私は追い越した。スマホに残る、私におぶさったY子さんの写真を見るたび「ヤナイ!」という声が聞こえる。 2025年1月投稿 「ただ、あなたがいてくれる。それだけでいい…」 認知症で自転車整備会社の経営者だった男性を、「この人がいてくれるだけでいい」と愛しそうに見つめる奥さんの深い愛を感じるエピソード。 ラクナ梗塞、認知症を既往にもつ、70代後半の男性利用者さん。訪問看護が介入当初は高次脳機能障害と認知機能の低下により、奥さんが介護するも昼夜問わず転倒を繰り返している状態でした。ご本人は自転車整備会社の経営者をしていましたが、病気や災害などを機に閉業し跡地に自宅を建てました。奥さんは、「この人は自転車が大好きで、いつまでもこの場所でこの人と暮らしていたい」と、切実な訴えと覚悟がありました。訪問看護では環境整備や排泄、入浴、食事の介助方法を奥さんと一緒に練習しました。利用者さんは転倒もなくなり、自分の気持ちを話せるようになるなど改善が見られました。本当に奥さんは頑張られました。現在、病状は進行し、歩くことも話すことも難しくなってきました。「この人は話すこともない、座っているだけかもしれない。だけどこの人がいてくれるだけでいいんだ」と、奥さんの愛しそうに本人を見つめる姿に深い愛を感じます。この風景、この空間がずっと続いてほしい。そう想って私は今日も訪問します。私にとっても「あなたが元気でいてくれる、ただそれだけでいい」そう想いながら…。 2025年1月投稿 「はいチーズ!」 80代の利用者さんとの、感謝と笑顔と家族の絆に関するエピソード。 年に1度、特別な日。お客様のお誕生日に、看護師の私ができること。この仕事をしていると、80代、90代、はたまた0歳から1歳を迎え、その1年を奇跡だと言いようのない喜びに溢れる人たちがいる。私は毎年できる限り、お客様とご家族の写真を撮り、現像しバースデーカードとしてお渡しすることにしている。はじめはカードにイラストを描いてプレゼントしていたので、お誕生日が近くなるとお客様の趣味や好きなものをお伺いしていた。「自分には得意なものも取り柄もないんだ」と、笑いながら言うAさんに「じゃあ、好きなものはありませんか」と尋ねると、Aさんはうーんと悩み、ぽそりと「奥さんだよ。本当に、自慢の奥さんなんだ」と話してくれた。私はなんだかすごく嬉しくなってしまって、奥さんを呼び「せっかくだから、お2人で一緒に写真を撮りませんか」と提案した。最初は「いやだ、そんなのいいわよ~」と奥様。するとAさんは「1年に1回なんだから。」と、奥様の手を取り、2人とも照れながらもカメラに笑顔を向けてくれた。写真を現像してお誕生日にお渡しすると奥様は、「こんな笑顔久しぶりに見ました。病気になってから写真なんて撮らなかったから…」と、カードを抱きしめ「素敵な思い出になるわ」と言ってくださった。私が作る1枚のバースデーカードが、大切な思い出として残せるなら。在宅に携わるからこそ、小さなことだけどできること。「いきますよ、はいチーズ!」 2025年1月投稿 利用者さんの前向きな姿勢や人生の歩みは、関わる訪問看護師だけでなく読者にまで元気や力を与えてくれます。あらためて、訪問看護師と利用者さんの関係は共鳴するのだと考えさせられます。 編集: NsPace編集部

元気をもらえるエピソード【つたえたい訪問看護の話】
元気をもらえるエピソード【つたえたい訪問看護の話】
特集
2026年6月26日
2026年6月26日

元気をもらえるエピソード【つたえたい訪問看護の話】第3回vol01

訪問看護の現場では、疾患・障害があっても、自分らしく前向きに生きる利用者さんがたくさんいます。今回は「みんなの訪問看護アワード2025」に寄せられた投稿の中から、利用者さんの生き方や言葉に元気をもらえるエピソードをご紹介します。 「泣き笑いのお別れ」 コロナ禍をきっかけに在宅で最期まで過ごすことを選んだ70代女性。娘さんたちに見守られながら、笑いと涙が入り混じる穏やかなお別れを迎えたエピソードです。 私が訪問看護に携わり始めたころに訪問していた患者さんは、70代の女性で、消化器系のがんを患っておられました。医師より予後6ヶ月との説明を受け、ご本人・ご家族も理解されていました。数年前にご主人を肺がんで亡くされ、次女さんとの二人暮らしでした。長女さんは東京、三女さんは大阪にお住まいでした。当初、患者さんは「できるところまで通院し、最期は病院で迎える」と決めておられました。しかしコロナ禍で、県外に住む娘さんたちと思うような面会ができないため、「在宅で最期まで」と決められました。意識が朦朧となり、いよいよお別れまで数日となったある日、娘さんより電話がかかってきました。「母の息が止まっています。すぐ来てもらえますか?」駆け付けると、次女さん、三女さんが落ち着いた様子で出迎えてくれました。往診医にも連絡したとのことでした。「あのね、母はもうご飯食べられないでしょ。だからこのお部屋で『お母さんこれ美味しいのよ』なんて妹とおしゃべりしながら食べていて、ふと母の方を見たら息をしていなかったの」「不謹慎よね。でもこんなに、楽に、スーッと眠るように天に召されるのなら、在宅で最期まで過ごすのもいいなって」と。次女さん、三女さんと一緒にエンゼルケアをし、娘さんたちがお母さんにお化粧をしてくれました。安らかなお顔を見ながら、笑顔と涙が入り混じった、お別れをされました。 2025年1月投稿 「わしの自慢のビニールハウス」 80代末期がんのAさんが、「わしが立てたんや!12個あるんや!」と誇らしげに語ったビニールハウス。大切な思い出を写真に残したエピソードです。 「もう二度と病院には行きたくない!」初回訪問時にそう話されたのは、80代で末期がんのAさんでした。特別地域に住み、地域外の医師に訪問診療をなんとかお願いし、引き受けていただけました。山や田畑に囲まれた自宅。庭にはたくさんの鯉。多くを語らないAさんでしたが、蘭やアスパラをたくさん育てていた話はとても誇らしげに話してくれました。寝ていることが多かったですが「どこでもいいから外へ行きたい」という想いを聞き、ご家族と一緒に、行き先未定の散歩が始まりました。Aさんの指さす方へ進み、辿り着いた先は蘭やアスパラを育てたハウスでした。「これはわしが立てたんや!12個あるんや!」と教えてくれました。私が、この様子をなんとしてでも写真に残したいとAさんに伝えると、見せてくれた笑顔は忘れません。その1週間後、その笑顔は遺影として飾られました。どんな地域でも利用者さんの心に寄り添える訪問看護師でありたいと思います。 2025年1月投稿 「これからも頑張ってね」 新卒で訪問看護ステーションに就職し、利用者さんとご家族に育ててもらいながら、「これからも頑張ってね」と励まされたエピソード。 私は新卒で訪問看護ステーションに就職しました。先輩スタッフだけでなく、利用者さんやご家族に育ててもらっていると実感したエピソードです。Hさんは脳挫傷により寝たきりの方でした。気管切開をしており、ケアでは吸引を実施していました。私は、Hさんへの初めての吸引にとても緊張していました。そしてHさんも、不安そうな表情を浮かべていたのを覚えています。ご家族からは、「うちに来て、いろいろ学んで成長してほしいからね。頑張ってね。」とお言葉をいただき、嬉しく思うと同時に、HさんとHさんご家族のために自分自身も成長しないといけないなと気持ちが引き締まりました。Hさんは話すことはできませんが、何度も訪問しているうちに視線や表情でHさんの思いが少しずつわかるようになってきました。私がくみ取った思いが合っているときは、Hさんの表情が柔らかくなり、リラックスした様子を見せてくれることが増えました。その後、私はステーションを異動することになり、これまでのお礼を伝えると、ご家族から「うちにも、あなたと年の同じ看護師の卵がいるから、見守っていたのよ。これからも頑張ってね」と言われ、その言葉を忘れずに今も頑張っています。 2025年1月投稿 「お家マジックに助けてもらって。」 入院中はすべてのケアを拒否していたYさんが、自宅で過ごす中で少しずつ訪問看護を受け入れてくれた「お家マジック」のエピソード。 入院中は、治療・看護・リハビリなどのすべてを拒否していたYさん。退院にあたり、主治医から訪問リハビリ(言語聴覚士:ST)と訪問看護の介入の指示が出ました。しかし、ご家族もケアマネジャーも「ご本人の拒否により1、2回の訪問で終了になるだろう」と考えていました。先に訪問をした訪問リハビリでは、バイタルサイン測定も拒否されたと聞いて、戦々恐々としながら訪問看護初日を迎えました。バイタルサインは問題なく測定できましたが、枕元で奥様から情報を得ていると、Yさんが「うーーっ」と不機嫌な声を出されて表情も険しい状態でした。難聴があり、近くで話している声が雑音に聞こえるのではないかと考え、別室で奥様とお話するようにしました。また、体温計や血圧計を見せると、こちらの意図をわかってくださりスムーズにバイタルサイン測定ができるようになりました。すぐに、訪問中止になるだろうという予想を裏切り、現在、訪問開始から3カ月目に入りました。清拭、陰部清拭、足浴まで受け入れられています。爪切りもYさんから希望されています。受け入れ状態を見ながら、少しずつ介入の範囲を広げたことが良かったのではないかと考えています。それ以上に大きかったのは、住み慣れたご自宅でYさんのペースを保ちながら過ごせたことだったのかもしれません。その安心感が、訪問看護を受け入れる心境につながったように感じています。これからもお家マジックに助けてもらいながら、Yさんの希望に沿って介入範囲を広げていきたいと思います。 2025年1月投稿 「キラキラのにんじんしりしり」 コロナ罹患後に間質性肺炎が悪化した60代のJさんが、目をキラキラさせながら自慢のにんじんしりしりのレシピを教えてくれた心温まるエピソード。 コロナ罹患後、間質性肺炎が悪化した60代のJさん。退院にあたり訪問看護の利用を開始しました。入院前のJさんは家事全般を完璧にこなし、ご自宅には可愛らしいJさんのこだわりがたくさん詰まっていました。退院後は旦那さんが家事担当に。レンジの使い方から家事を始めた旦那さんが戸惑う様子を眺めながら、Jさんはもどかしさを感じていました。「料理と掃除をしたい」とリハビリも懸命に頑張りますが、2度の呼吸器感染の影響で食事をするのもやっとの呼吸状態です。担当看護師が毎日お弁当を作っているのを知り、「お弁当のおかずにするなら、にんじんしりしりよ。でも私のはちょっと違うの。にんじんに火が通ったら明太子を入れて、仕上げに醤油をチョンって入れるの。チョンってところがポイント!」と呼吸を整えながら、目をキラキラさせ、まるで目の前で調理しているかのように話します。後日、私がレシピ通りに作ったことを報告すると、Jさんはとっても嬉しそうな表情を見せてくれました。ご自宅でご家族に見守られながら旅立った今も、にんじんしりしりは我が家のお弁当の片隅にあります。そのたびに、目をキラキラさせながらレシピを教えてくれたJさんを思い出します。 2025年1月投稿 利用者さんの前向きな姿勢や生き方に、励まされた経験のある訪問看護師も多いのではないでしょうか。今回ご紹介したエピソードからも、訪問看護はケアを提供するだけでなく、利用者さんやご家族から多くのことを学び、支えられる関係であることが伝わってきます。 編集: NsPace編集部

民間救急 搬送事例~超高流量の酸素投与をしながら自宅へ~
民間救急 搬送事例~超高流量の酸素投与をしながら自宅へ~
コラム
2026年6月23日
2026年6月23日

民間救急 搬送事例~超高流量の酸素投与をしながら自宅へ~

「最期は自宅で過ごしたい」ーー。そう希望しても、医療的ケアが必要な患者さんが自宅へ戻ることは簡単ではありません。特に、高度な酸素管理が必要な状態では、移動中の安全確保だけでなく、退院後の医療体制まで見据えた準備が求められます。今回は、ネーザルハイフローを使用しながら自宅退院を希望された患者様の搬送事例をご紹介します。病院、訪問診療、訪問看護、ケアマネジャー、そして民間救急がどのように連携し、「自宅で過ごしたい」という願いを支えたのか。その実際をお伝えします。 執筆:藤 健二郎(とう けんじろう)社会人経験を経て看護師となり、済生会福岡総合病院の救命救急センターで勤務。重症患者の看護に従事した後、大学院で看護師のストレスに関する研究を行い、急性・重症患者看護専門看護師を取得。現在は東京女子医科大学病院CCUでの臨床と並行し、ケアプロ株式会社 交通医療事業部長として、重症患者搬送や外出支援など「医療×移動」の分野で事業を展開している。■ケアプロ株式会社「ドコケア」:https://dococare.com/transport民間救急とは?緊急性の低い患者の搬送を行う民間サービスのこと。多くは、消防庁の認可を受けて「患者等搬送事業(一般乗用旅客自動車運送業)」を行っている。 「自宅に帰りたい」という願いを支える搬送 前回の記事では、民間救急が「ただ移動を支援するサービス」ではなく、医療・生活・移動をつなぐ役割を担っていることをお伝えしました。今回は、その具体例として、実際に私たちが対応した搬送事例をご紹介します。 患者様は、高流量鼻カニュラ酸素療法(High flow nasal cannula oxygen therapy:HFNC)の装置(以下「HFNC装置」)を使用して、超高流量の酸素投与をしながら、ご自宅への退院を希望されていました。 病院からご自宅までは車で約10分。一見すると短距離の搬送ですが、超高流量の酸素を必要とする状態であり、搬送前の準備や関係職種との連携、車内での観察と対応が重要となるケースでした。 事前準備と車内での医療的対応 搬送前には、退院前カンファレンスに参加し、病院スタッフ、訪問診療、訪問看護、ケアマネジャーと情報を共有しました。 ご自宅に戻った後も医療が途切れないよう、在宅チームとの連携を確認し、当日の流れを整えました。また、搬送中は弊社所有のHFNC装置を使用するため、酸素ボンベの残量確認や高流量に対応した流量計の準備も行いました。 FiO₂95%、50Lという設定では酸素消費量が非常に多くなるため、短距離であっても酸素不足が起きないよう準備する必要があります。 搬送当日は、車内でもバイタルサインを観察し、呼吸状態に合わせて酸素を調整しました。また、呼吸が少しでも楽になるよう、呼吸法について声かけを行いながら、ご自宅まで慎重にお送りしました。 「自宅で過ごしたい」を支える搬送 ご自宅到着後は、待機していた訪問診療、訪問看護、ケアマネジャー、ご家族へ状態を引き継ぎました。 搬送中は弊社のHFNC装置と酸素ボンベを使用していましたが、ご自宅では同じ酸素量を継続することはできません。そのため、到着後は事前に相談していた方針に沿って、弊社の機器を切り離し、ご自宅で対応可能な最大量の酸素投与へ切り替えました。 そのうえで、訪問診療チームにより苦痛をできる限り和らげるための薬剤調整が行われ、ご家族に見守られながら、ご本人は静かに息を引き取られました。この流れは、搬送後に突然決まったものではありません。 退院前カンファレンスの時点で、病院、訪問診療、訪問看護、ケアマネジャー、搬送チームが集まり、ご本人の状態やご家族の希望、自宅で可能な医療体制を確認したうえで共有していた方針でした。 「最期は自宅で過ごしたい」 その願いを叶えるためには、病院から自宅へ運ぶだけではなく、自宅に着いた後の医療やケアまで見据えた連携が欠かせません。 民間救急は、ただ患者様を移動させる仕事ではありません。医療的な安全を守りながら、その人が望む場所へ移動することを支え、病院から在宅へ医療をつなぐ役割を担っています。 私たちはこれからも、患者様とご家族の想いに寄り添いながら、医療と移動をつなぐ搬送を一つひとつ丁寧に行っていきます。

小さなチームで支え合う看護~訪問看護ステーション ホット北部 髙橋さん・靏さん・足立さんにインタビュー~
小さなチームで支え合う看護~訪問看護ステーション ホット北部 髙橋さん・靏さん・足立さんにインタビュー~
インタビュー
2026年6月23日
2026年6月23日

小さなチームで支え合う看護~訪問看護ステーション ホット北部 髙橋さん・靏さん・足立さんにインタビュー~

訪問看護ステーション ホット北部には、それぞれの経験や生活環境を大切にしながら働くスタッフの姿があります。管理者の髙橋さん、主任の靏さん、非常勤の足立さん。立場や役割は違っても、共通しているのは「利用者さんとしっかり向き合いたい」という想いです。 病棟看護との違いや、働きやすさ、地域とのつながり、そして支え合いながら学べる環境について、日々の言葉で語っていただきました。 【※本記事はNsPace Careerが事業所向けに提供している「特集記事掲載サービス」によるものです。取材・撮影・編集はNsPace Careerが担当しました。】 「じっくり関われる」看護がしたかった -病棟看護と比べて、訪問看護ならではの魅力とは何でしょうか?「病棟では患者さんと関わる時間が少なくて…」と語るのは、訪問看護3年目の足立さん。病棟で15年の経験を持つ彼女は、治療が中心だった病棟勤務時代を振り返りながら、訪問看護との大きな違いをこう語ります。【足立さん】病棟では、バイタルを取って、処置して、指導して…その繰り返しで、患者さんとじっくり話す時間はなかなか取れませんでした。でも、訪問では1件1件にしっかり時間を取れるので、自然と「聞く時間」も「一緒に考える時間」も増えました。主任の靏さんも、訪問看護5年間を振り返って、同じような変化を実感していました。【靏さん】病棟では、入院期間が限られていて、関係性も短期的。でも在宅では、お家にお邪魔して、日々の生活の中に入っていくからこそ、信頼関係が深まりやすいと感じています。信頼関係の築き方について尋ねると、靏さんは「雑談から始まる」と教えてくれました。【靏さん】お家の様子や、家族の話、季節の話…そういった会話を重ねていくうちに、看護師としての言葉にも耳を傾けてもらえるようになるんです。「あの人が言うならやってみようかな」って思っていただける関係性が大事だと思います。訪問看護15年目の管理者 髙橋さんも、訪問看護ならではの魅力を次のように語ります。【髙橋さん】病棟だとどうしてもスケジュールに追われてしまって、一人ひとりに時間を使うことが難しかった。でも訪問看護では、1時間まるまる“その方のため”に使える。それが一番の魅力だと思っています。 和やかな雰囲気で話される、靏さん(画像:左)・髙橋さん(画像:中央)・足立さん(画像:右) 働きやすさの理由は、安心できるチームにあった -このステーションで「働きやすい」と感じるのはどんな時ですか?ホット北部の訪問件数は1日4件。余裕を持ったスケジュールが組まれており、残業は基本的にありません。 【足立さん】1件1件、利用者さんと話しているとついつい盛り上がってしまって(笑)。でも、件数が詰まっていないからこそ、そういう関わりも大切にできています。靏さんは2人のお子さんを育てながら勤務中。【靏さん】子どもが急に熱を出したときにも、他のメンバーが訪問を代わってくれて…。本当にありがたいです。また、髙橋さんは「環境づくりは管理者の役目」として、働きやすい体制を日々整えているそうです。【髙橋さん】この地域は坂道が多くて移動距離もあるので、自転車移動は現実的ではありません。だからすべての訪問は社用車で。雨の日も安心です。院内保育所もあり、未就学児なら預けられるので、子育てとの両立にも配慮しています。さらに注目すべきは、チームの結束力。常勤3名、非常勤4名という少人数だからこそ、「孤立させない工夫」がされていました。【髙橋さん】お昼は必ず事務所に戻ってランチ。ちょっとした雑談が、安心感につながるんですよね。朝は毎日ミーティングも行って、困りごとはその場で共有しています。 地域で支え合う看護のカタチ -地域に根ざしたステーションとして、大切にされていることはありますか?【髙橋さん】ホット北部が始まったきっかけについては、前任の管理者からお聞きしました。1983年に愛川北部病院が開院した後、ある患者さんのご家族から「バルーンカテーテルが詰まったので切った(ハサミで)ら、抜けなくなってしまった」と相談の電話があったそうです。当時は、病院の看護師がご自宅を訪問して対応したのが、訪問看護の始まりだったといいます。その後、制度の整備に伴い、1995年に訪問看護ステーション ホット北部が正式に設立されました。そんな地域密着の姿勢は今も変わらず、地域連携にも積極的です。ホット北部は設立当初、厚木市にありました。当時は訪問看護制度も始まったばかりで、情報や経験の共有が必要とされていた時代だったそうです。【髙橋さん】厚木市内の訪問看護ステーションが集まり、「厚愛訪問看護ステーション連絡会」という場を作って、毎月情報交換しています。虐待や医療安全の会議を合同で行うなど、小規模なステーション同士で支え合える場です。 一人じゃない。“育てる文化”がここにある -訪問看護が未経験の方にとって、不安なことも多いと思います。教育やサポート体制について教えてください。「訪問は一人で動くから不安」という声も多い中、ホット北部では“孤立しない”教育体制が整っています。【髙橋さん】まずは1ヶ月程度の同行訪問から始めます。最近では、学生時代に実習で訪問看護を経験している方も多いですが、現場での感覚を掴むために、じっくり見てから自立してもらいます。また、医療機器の使い方も業者を招いてレクチャーを受けるなど、経験年数に関係なく学べる環境が整っていました。【足立さん】経験年数が浅いので、判断に迷うことが多々あります。そんな時に先輩に電話するのは、先輩も訪問しているから気が引けます。でも、タブレットだとチャット感覚で相談できます。誰かしらがすぐ返してくれるので、本当に助かっています。 「みんなで支え合える職場です」と話す、髙橋さん あなたの「これから」を応援できる場所へ -最後に、ホット北部で働く魅力を求職者の方に伝えるとしたら、どんなことを伝えたいですか?【足立さん】訪問看護に興味があるけど不安…という方にとって、ここは安心して始められる場所だと思います。私も最初は同行からスタートして、無理なく慣れることができました。【靏さん】風通しが良くて人間関係が温かい。それに自然も豊かで、訪問の合間に河川敷で記録を書いたり、利用者さんと観光地の話をしたり…心がリフレッシュされます。【髙橋さん】看護師7人の小規模なステーションだからこそ、みんなで意見を出し合いながら支え合える。困ったときも一人じゃない。そんな職場です。働きやすい環境だと思うので、ぜひ一緒に働きましょう。「訪問看護に興味があるけど一歩踏み出せない」そんな方にこそ知ってほしい、あたたかい場所がここにあります。 インタビュアーより 今回のインタビューを通して感じたのは、ホット北部には「安心して働ける環境」と「利用者さんや家族と向き合うための余白」があるということです。小規模だからこそ一人ひとりの声が届きやすく、信頼関係を大切にする姿勢が自然に根付いていました。訪問看護を始めたい方、そして長く続けたい方にとって、とても心強い職場だと感じました。 事業所概要 事業所名訪問看護ステーション ホット北部(医療法人社団福寿会)住所神奈川県愛甲郡愛川町角田281-1事業所紹介ページhttps://ns-pace-career.com/facilities/16697 この記事を読んで「訪問看護、自分にもできるかも」と感じた方へ 「もっと患者さんと関わりたい」「自分らしい看護を実現したい」そう感じている看護師の方は少なくありません。 NsPace Careerナビでは、訪問看護の現場で働く看護師のリアルな声を多数掲載しています。 精神科訪問看護で活躍する看護師の声 未経験から訪問看護を始めた体験談 育児と両立しながら働く現場の実例 各ステーションの教育体制・チーム文化 さらに、キャリアの悩みやモチベーション維持のコツなど看護師として働くうえで役立つ記事も充実。 「自分に合う訪問看護の職場って、どんなところだろう?」そのヒントが、きっと見つかります。 ▶ 他の訪問看護師インタビューを読むhttps://ns-pace-career.com/media/ 記事提供:ナスキャリナビ編集部

そのほかのエピソード
そのほかのエピソード
特集
2026年6月19日
2026年6月19日

そのほかのエピソード【つたえたい訪問看護の話】第2回vol13

訪問看護の現場では、さまざまなエピソードやドラマが生まれます。「みんなの訪問看護アワード2024」に投稿されたエピソードから、印象深いエピソードをご紹介します。 「学び続けることが看護の充実へつながった事例」 レビー小体型認知症の80代女性とご家族への看護を通して、学びを深め充実した看護を提供できたエピソード。 レビー小体型認知症の80代の女性へ訪問看護に入らせていただきました。ご主人と二人暮らしで、娘さまは近くに住んでおられました。夕方になると何度も娘さまに電話が入り「鍵がかかっているのに人が入ってくる」など理解しがたい訴えが繰り返され困っているとのことでした。契約の際に、「お母さまの症状で人の気配を感じておられますか」などレビー小体型認知症の症状を伺っていると、急に涙を流され「やっと光が見えました」「何をどうして良いのかわからなかったのです」と話してくださいました。夜間に緊急訪問が何度かありました。すぐに駆けつけ幻視や錯視への対応を繰り返すことで安心されたのか、幻視の内容はかわいい子どもへと変化していきました。レビー小体型認知症に対する学びを深めたいと思っていたことが、ご本人やご家族の安心に繋がったと考えます。また私自身は、看護を通してご本人やご家族に安心を提供できたことがとても充実した経験でした。 2024年1月投稿 「女子会」 「生きている意味がない」と話していたALSのAさんが、ケアマネさんの提案で女子会を開き、笑顔を取り戻したエピソード。 新卒で訪問看護師になり、3年目の時に出会ったALSのAさん。病状が進行し、ベッド生活となり、「生きているのがつらい。生きている意味がない」と話すことが増えていった。Aさんの気持ちをどのように受けとめれば良いのか悩んでいた時に、ケアマネさんが「女子会をしよう!」と提案してくれた。早速、女子会の準備に取りかかった。楽しい女子会にはごちそうが必要なので、旦那さんとの思い出話に出てきていた“デートで行ったレストランのステーキ弁当”を選んだ。女子会当日は、ケアマネさん、ヘルパーさん、リハビリの先生など、いろんな方が集まってくれた。Aさんも女子の顔をして、女子会定番の芸能人のゴシップネタなどを話して、Aさんも含めて集まった女子みんなが楽しく、あっという間に女子会はお開きになった。その時に話していた安住アナが元旦に結婚した。“空に旅立ったAさんに報告しないと”と思いながら、訪問中に空を見上げたお正月だった。 2024年1月投稿 訪問看護の現場では、日々さまざまなドラマが生まれています。一つひとつのエピソードが、訪問看護の魅力や意義を伝えてくれます。 編集: NsPace編集部

後悔・葛藤エピソード【つたえたい訪問看護の話】
後悔・葛藤エピソード【つたえたい訪問看護の話】
特集
2026年6月19日
2026年6月19日

後悔・葛藤エピソード【つたえたい訪問看護の話】第2回vol12

訪問看護の仕事は、時に自分の力不足を痛感したり、利用者さんやご家族にとって何が最善なのか悩んだりすることがあります。答えの出ない問いを抱えながら支援に向き合う場面も少なくありません。「みんなの訪問看護アワード2024」から、そうした後悔や葛藤を感じたエピソードをご紹介します。 「幸せとは」 87歳のTさんに「今まで生きてきた中で1番幸せだったことは?」と尋ねた時、思いもよらない答えに人生観を考えさせられたエピソード。 「『幸せとは、体験するものではなく、あとから思い出して気づくものだ』ですって!深いですねー」87歳のTさんの訪問時には、毎回その日の名言カレンダーを読み上げ、それについて話し合っていました。「Tさんが今まで生きてきた中で1番幸せだと思ったことは何ですか?」と私。すると、少しの沈黙の後に「何もない」とTさん。「そうなんですね。でも長い人生ですから、何か心に残っていることがありそうな気もします。」と私。すると、また「…何もない」とTさん。近くで会話を聞いていた息子さんにも何だか申し訳ない気持ちになっていたその時でした。「だって、ずっと幸せだから」とぽそりとTさんが言われたのです。一瞬、時が止まったような衝撃を受け、泣きそうになっている自分がいました。寝たきりになってもなお、愛する息子2人がいつもそばにいてくれて、大好きな餡子を毎日食べさせてもらえること。それこそがTさんにとって、過去ではなく現在進行形の幸せなんだと教えられたのでした。『幸せとは…』私もいつか人生を振り返った時、「ずっと幸せだった」とTさんのように思えたらいいなと感じています。 2023年12月投稿 「訪問看護をやってみたい」 医療行為に長年のブランクがあった看護師が、パーキンソン病で入院していた母を思いながら訪問看護の道に進んだエピソード。 私には、医療行為に対して何十年ものブランクがあった。それでも、訪問看護をやってみたいという思いがあった。当然ながら不安はあり、教育用DVDを購入したり、県ナースセンターへ出向き、採血の練習をしたりしていた。そのころ、母は療養型病院に入院していた。現在勤務している訪問看護ステーションはその病院と同じ敷地内にあり、私は仕事をしながら病棟へ洗濯物を受け取りに通い続けていた。母は、長年パーキンソン病に苦しんでいた。特養に入居して1年ほど経ったころ、67歳で脳出血を発症。その後は寝たきりとなり、発語も難しく、経管栄養で生活するようになった経緯があった。そのような母の姿を見守りながら、切なさや悔しさが込み上げ、涙することがよくあった。平成29年6月、母は病院で息を引き取った。10年に及んだ母との療養の日々も、その時ひとつの区切りを迎えた。そして偶然にも、その月の末に新たな看護小規模多機能型居宅介護(看多機)がオープンし、ステーションは移転することになり、私自身も新たなスタートを切ることになった。いまも訪問看護で利用者さんやご家族と関わるたびに、母を思い出す。さまざまな在宅生活のあり方を学び続けている。 2023年12月投稿 「私が訪問看護を目指したきっかけ」 子宮がんで余命2週間の知人Aさんから、「家に帰るように言ってくれて、ありがとう」と言われたことが、訪問看護の道に進むきっかけとなったエピソード。 知人Aさんは、子宮がんの進行に伴いイレウスを併発し、緊急入院し、医師から余命2週間と告知され、現実を受容できない状態でした。入院したことを知り、コロナ禍のため電話でのやり取りをする中で、家に帰りたい思いが伝わってきました。退院後の生活を具体的にイメージできず、不安から在宅療養に踏み切ることができない状態でした。私は、Aさんが望む最期の過ごし方を考えることが先ではないかとお伝えしました。在宅での生活に必要な支援や方法については、その後に考えていけばよいのではないかと話しました。結果、Aさんは医師やご家族と話し合いを重ね、在宅での緩和ケアを開始できることになりました。当初は余命を告げられたことに怒りを見せる場面もありましたが、時間の経過とともに、少しずつ現実を受け入れていかれました。最後には、念願だった自身のやりたいことを実現することができ、知人、友人、家族にお別れの言葉も言えました。看取りが近いある日、「あの時、家に帰るように言ってくれて、ありがとう。ホンマにあんたの言う通りにして、良かった。病院にいたら、後悔するところやった。」と言ってくれました。それから数日後、Aさんは逝去しました。私は、この出来事をきっかけに訪問看護の道に進むことができました。 2023年12月投稿 「はじめての看取り」 がんの利用者様のご家族が未告知を選択し、最期まで笑顔のような表情で旅立った姿から、その選択の意味を考えさせられたエピソード。 担当していたがんの利用者様に転移がわかりました。ご本人はとても明るく、2人の娘様が交代で介護されており、訪問中は冗談を言いながら、とても楽しかったことを今でも覚えています。日に日に食べられるものや量も減り、痛みも増す中、麻薬持続注射を開始。ご家族は不安がいっぱいで表情がこわばっていましたが、そんな中でもご本人とは冗談を言い合いながら空気が濁ることはありませんでした。医師から「余命3ヶ月」と説明を受けた娘様たちは、「お母さんの明るいところを奪いたくない」「最後まで落ち込んでほしくない」と考え、未告知を選択されました。訪問看護師になって、はじめてのお看取りとなり、未告知という選択はどうなのだろうかと、自分の中で葛藤がありましたが、最期の訪問で私は確信しました。扉を開けた瞬間のご家族の表情は忘れられません。今にも泣き崩れそうな表情で。それでもご家族と一緒にお身体をきれいにしながら、私たちの会話は自然と楽しかった思い出ばかりになりました。最期の表情は笑顔のようで、ご家族にとって納得できる選択だったのだと感じました。あれから4年が経ちました。あの経験を通して、利用者様やご家族それぞれの選択を尊重できる訪問看護師になろうと、今でも奮闘中です。 2023年11月投稿 日々のケアで“どうしたらよかったか”と悩み、迷うことは、多いのではないでしょうか。大切なのは利用者さんやご家族の思いに耳を傾け、その人にとって何が最善なのかを考え続けること。そして、その答えを探しながら誠心誠意向き合うことなのかもしれません。 編集: NsPace編集部

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