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元気をもらえるエピソード【つたえたい訪問看護の話】
元気をもらえるエピソード【つたえたい訪問看護の話】
特集
2026年6月26日
2026年6月26日

元気をもらえるエピソード【つたえたい訪問看護の話】第3回vol02

訪問看護の現場では、疾患・障害などがある中でも懸命に前向きに生きる利用者さんがたくさんいます。「みんなの訪問看護アワード2025」に投稿されたエピソードから、利用者さんの前向きな姿勢に力を分けてもらえるエピソードをご紹介します。 「長い人生の締めくくり」 耳が聞こえないMさんが、戦時中や人生の思い出を語ってくれたことで、忘れられない経験をしたエピソード。 Mさんは耳が聞こえません。戦争中に爆弾の衝撃を受けた影響だそうです。怒ってはいないのに笑顔もなく、淡々とされています。畑で倒れているところを緊急搬送され入院。超高齢、圧迫骨折、脱水や食欲不振と診断され訪問看護が介入となりました。退院後も食欲不振が続きましたが、点滴などの治療の希望はなく、静かに時が流れていく中で“何かケアができないのか?これで良いのか?”と、いつも感じていたある日の訪問。筆談中に突然、昔のことを淀みなく話し始めました。戦時中に別れた友人たちのこと、戦後の命は自分だけの命ではなく友人たちのものでもあると思っていること、病院に行かなかった理由、ご家族への思いなど。ひとしきり話した後、「ばあさん、アルマイトの弁当に白飯詰めて(棺に)入れてくれや。先に逝くから」と笑顔。90歳を超える妻は、驚きもせず、台所から弁当箱を持ってきて「これですね」と見せています。私には想像すらできない人生を歩んできたご夫婦の姿に、私にできることは、ただただ相手の声に耳を傾け、話を聴き、共感することだけだったと気づかされました。Mさんは、こうして自分の思いを全部吐きだし、白飯と梅干し弁当を持って旅立ちました。長い人生の締めくくりに立ち会った忘れられない経験でした。 2025年1月投稿 「その人らしい生き方」 心不全の治療を拒否し、「好きなことをして家で死にたい」と希望された利用者さんのエピソード。 基幹病院から「状態が安定しないが、退院を希望されている方の訪問看護をお願いしたい」と、連絡がありました。心不全の治療拒否をされているということで、どんな方なのか退院前カンファレンスを開いてもらい、ご本人とお話をさせてもらいました。この方の訴えとしては、「自分は死ぬなら家がいい。すきな酒、タバコ、好きなことをして家で死にたい」と、話されていました。“家に帰りたい“という意思の強さから、退院することになりました。退院日にご自宅に帰られると、医師より禁止されていたタバコ、お酒、お菓子を食べて幸せそうに、ご自身の想いを話し、意気揚々と過ごしておられました。用意された介護ベッドではなく、長年過ごしてきた家のソファーでお酒を片手に幸せそうに横になる姿を見て、スタッフみんなで「この方の願いを叶えてあげたい」と話をしました。この方が選んだ人生なのだから、その選択に寄り添いたいと思い訪問し、ご家族が不安にならないようにお話をたくさんしました。退院から2週間後、ソファーで両手を挙げ“万歳”と、人生を全うしたように満足げな表情で逝去されました。ご家族も「本人が望むように過ごせたことに悔いはない」と、お話しされていました。医療者として、看護を提供し生活の改善や向上をしていくという使命があります。ただ、それが医療者側の押し付けになってしまってはいけないということを改めて実感し、訪問看護でしかできない看護だと思いました。 2025年1月投稿 「ふたつの別れ」 重篤な心疾患のY子さんとあたたかい心の絆を結んだエピソード。 7年前の話だ。Y子さんは、重篤な心疾患で在宅酸素をして呼吸苦と向き合いながらも笑顔で前向きに暮らしていた。担当看護師の私はほとんど毎日訪問して、ケアをしながらたくさんの話をした。Y子さんは私を親しげに「ヤナイ!」と呼んでいた。「桜が見たいなぁ」とおっしゃった時、私は「見に行きましょうよ」と言った。Y子さんは「こんな酸素もしてるのにどうやって行くのよ」とすねたように言ったので「私がおんぶします」と言うと「ヤナイが連れてってくれるの?本当に?」と半信半疑に聞いてきた。「大丈夫、私は力があるんです」と答えると、Y子さんは「ふふふ」と子どものように笑った。Y子さんとはたくさんの楽しい時間を過ごした。想い出もたくさんある。そんな中、私が他の訪問看護ステーションへ異動が決まった。私は「もっと力になりたかったです」と声を上げて泣いた。利用者さんの前で泣いたのは初めてだった。Y子さんも涙をこらえて私を抱きしめてくれた。私たちは今生の別れになることを知っていた。もともと絵の上手だったY子さんはたくさんの絵を遺してくれた。それは、私がY子さんをおぶっている絵。二人は桜の下にいた。薔薇園にも宇宙空間にもいた。それから約1年後、Y子さんは亡くなった。2度目の、そして最後の別れだった。あの時のY子さんの年齢を私は追い越した。スマホに残る、私におぶさったY子さんの写真を見るたび「ヤナイ!」という声が聞こえる。 2025年1月投稿 「ただ、あなたがいてくれる。それだけでいい…」 認知症で自転車整備会社の経営者だった男性を、「この人がいてくれるだけでいい」と愛しそうに見つめる奥さんの深い愛を感じるエピソード。 ラクナ梗塞、認知症を既往にもつ、70代後半の男性利用者さん。訪問看護が介入当初は高次脳機能障害と認知機能の低下により、奥さんが介護するも昼夜問わず転倒を繰り返している状態でした。ご本人は自転車整備会社の経営者をしていましたが、病気や災害などを機に閉業し跡地に自宅を建てました。奥さんは、「この人は自転車が大好きで、いつまでもこの場所でこの人と暮らしていたい」と、切実な訴えと覚悟がありました。訪問看護では環境整備や排泄、入浴、食事の介助方法を奥さんと一緒に練習しました。利用者さんは転倒もなくなり、自分の気持ちを話せるようになるなど改善が見られました。本当に奥さんは頑張られました。現在、病状は進行し、歩くことも話すことも難しくなってきました。「この人は話すこともない、座っているだけかもしれない。だけどこの人がいてくれるだけでいいんだ」と、奥さんの愛しそうに本人を見つめる姿に深い愛を感じます。この風景、この空間がずっと続いてほしい。そう想って私は今日も訪問します。私にとっても「あなたが元気でいてくれる、ただそれだけでいい」そう想いながら…。 2025年1月投稿 「はいチーズ!」 80代の利用者さんとの、感謝と笑顔と家族の絆に関するエピソード。 年に1度、特別な日。お客様のお誕生日に、看護師の私ができること。この仕事をしていると、80代、90代、はたまた0歳から1歳を迎え、その1年を奇跡だと言いようのない喜びに溢れる人たちがいる。私は毎年できる限り、お客様とご家族の写真を撮り、現像しバースデーカードとしてお渡しすることにしている。はじめはカードにイラストを描いてプレゼントしていたので、お誕生日が近くなるとお客様の趣味や好きなものをお伺いしていた。「自分には得意なものも取り柄もないんだ」と、笑いながら言うAさんに「じゃあ、好きなものはありませんか」と尋ねると、Aさんはうーんと悩み、ぽそりと「奥さんだよ。本当に、自慢の奥さんなんだ」と話してくれた。私はなんだかすごく嬉しくなってしまって、奥さんを呼び「せっかくだから、お2人で一緒に写真を撮りませんか」と提案した。最初は「いやだ、そんなのいいわよ~」と奥様。するとAさんは「1年に1回なんだから。」と、奥様の手を取り、2人とも照れながらもカメラに笑顔を向けてくれた。写真を現像してお誕生日にお渡しすると奥様は、「こんな笑顔久しぶりに見ました。病気になってから写真なんて撮らなかったから…」と、カードを抱きしめ「素敵な思い出になるわ」と言ってくださった。私が作る1枚のバースデーカードが、大切な思い出として残せるなら。在宅に携わるからこそ、小さなことだけどできること。「いきますよ、はいチーズ!」 2025年1月投稿 利用者さんの前向きな姿勢や人生の歩みは、関わる訪問看護師だけでなく読者にまで元気や力を与えてくれます。あらためて、訪問看護師と利用者さんの関係は共鳴するのだと考えさせられます。 編集: NsPace編集部

元気をもらえるエピソード【つたえたい訪問看護の話】
元気をもらえるエピソード【つたえたい訪問看護の話】
特集
2026年6月26日
2026年6月26日

元気をもらえるエピソード【つたえたい訪問看護の話】第3回vol01

訪問看護の現場では、疾患・障害があっても、自分らしく前向きに生きる利用者さんがたくさんいます。今回は「みんなの訪問看護アワード2025」に寄せられた投稿の中から、利用者さんの生き方や言葉に元気をもらえるエピソードをご紹介します。 「泣き笑いのお別れ」 コロナ禍をきっかけに在宅で最期まで過ごすことを選んだ70代女性。娘さんたちに見守られながら、笑いと涙が入り混じる穏やかなお別れを迎えたエピソードです。 私が訪問看護に携わり始めたころに訪問していた患者さんは、70代の女性で、消化器系のがんを患っておられました。医師より予後6ヶ月との説明を受け、ご本人・ご家族も理解されていました。数年前にご主人を肺がんで亡くされ、次女さんとの二人暮らしでした。長女さんは東京、三女さんは大阪にお住まいでした。当初、患者さんは「できるところまで通院し、最期は病院で迎える」と決めておられました。しかしコロナ禍で、県外に住む娘さんたちと思うような面会ができないため、「在宅で最期まで」と決められました。意識が朦朧となり、いよいよお別れまで数日となったある日、娘さんより電話がかかってきました。「母の息が止まっています。すぐ来てもらえますか?」駆け付けると、次女さん、三女さんが落ち着いた様子で出迎えてくれました。往診医にも連絡したとのことでした。「あのね、母はもうご飯食べられないでしょ。だからこのお部屋で『お母さんこれ美味しいのよ』なんて妹とおしゃべりしながら食べていて、ふと母の方を見たら息をしていなかったの」「不謹慎よね。でもこんなに、楽に、スーッと眠るように天に召されるのなら、在宅で最期まで過ごすのもいいなって」と。次女さん、三女さんと一緒にエンゼルケアをし、娘さんたちがお母さんにお化粧をしてくれました。安らかなお顔を見ながら、笑顔と涙が入り混じった、お別れをされました。 2025年1月投稿 「わしの自慢のビニールハウス」 80代末期がんのAさんが、「わしが立てたんや!12個あるんや!」と誇らしげに語ったビニールハウス。大切な思い出を写真に残したエピソードです。 「もう二度と病院には行きたくない!」初回訪問時にそう話されたのは、80代で末期がんのAさんでした。特別地域に住み、地域外の医師に訪問診療をなんとかお願いし、引き受けていただけました。山や田畑に囲まれた自宅。庭にはたくさんの鯉。多くを語らないAさんでしたが、蘭やアスパラをたくさん育てていた話はとても誇らしげに話してくれました。寝ていることが多かったですが「どこでもいいから外へ行きたい」という想いを聞き、ご家族と一緒に、行き先未定の散歩が始まりました。Aさんの指さす方へ進み、辿り着いた先は蘭やアスパラを育てたハウスでした。「これはわしが立てたんや!12個あるんや!」と教えてくれました。私が、この様子をなんとしてでも写真に残したいとAさんに伝えると、見せてくれた笑顔は忘れません。その1週間後、その笑顔は遺影として飾られました。どんな地域でも利用者さんの心に寄り添える訪問看護師でありたいと思います。 2025年1月投稿 「これからも頑張ってね」 新卒で訪問看護ステーションに就職し、利用者さんとご家族に育ててもらいながら、「これからも頑張ってね」と励まされたエピソード。 私は新卒で訪問看護ステーションに就職しました。先輩スタッフだけでなく、利用者さんやご家族に育ててもらっていると実感したエピソードです。Hさんは脳挫傷により寝たきりの方でした。気管切開をしており、ケアでは吸引を実施していました。私は、Hさんへの初めての吸引にとても緊張していました。そしてHさんも、不安そうな表情を浮かべていたのを覚えています。ご家族からは、「うちに来て、いろいろ学んで成長してほしいからね。頑張ってね。」とお言葉をいただき、嬉しく思うと同時に、HさんとHさんご家族のために自分自身も成長しないといけないなと気持ちが引き締まりました。Hさんは話すことはできませんが、何度も訪問しているうちに視線や表情でHさんの思いが少しずつわかるようになってきました。私がくみ取った思いが合っているときは、Hさんの表情が柔らかくなり、リラックスした様子を見せてくれることが増えました。その後、私はステーションを異動することになり、これまでのお礼を伝えると、ご家族から「うちにも、あなたと年の同じ看護師の卵がいるから、見守っていたのよ。これからも頑張ってね」と言われ、その言葉を忘れずに今も頑張っています。 2025年1月投稿 「お家マジックに助けてもらって。」 入院中はすべてのケアを拒否していたYさんが、自宅で過ごす中で少しずつ訪問看護を受け入れてくれた「お家マジック」のエピソード。 入院中は、治療・看護・リハビリなどのすべてを拒否していたYさん。退院にあたり、主治医から訪問リハビリ(言語聴覚士:ST)と訪問看護の介入の指示が出ました。しかし、ご家族もケアマネジャーも「ご本人の拒否により1、2回の訪問で終了になるだろう」と考えていました。先に訪問をした訪問リハビリでは、バイタルサイン測定も拒否されたと聞いて、戦々恐々としながら訪問看護初日を迎えました。バイタルサインは問題なく測定できましたが、枕元で奥様から情報を得ていると、Yさんが「うーーっ」と不機嫌な声を出されて表情も険しい状態でした。難聴があり、近くで話している声が雑音に聞こえるのではないかと考え、別室で奥様とお話するようにしました。また、体温計や血圧計を見せると、こちらの意図をわかってくださりスムーズにバイタルサイン測定ができるようになりました。すぐに、訪問中止になるだろうという予想を裏切り、現在、訪問開始から3カ月目に入りました。清拭、陰部清拭、足浴まで受け入れられています。爪切りもYさんから希望されています。受け入れ状態を見ながら、少しずつ介入の範囲を広げたことが良かったのではないかと考えています。それ以上に大きかったのは、住み慣れたご自宅でYさんのペースを保ちながら過ごせたことだったのかもしれません。その安心感が、訪問看護を受け入れる心境につながったように感じています。これからもお家マジックに助けてもらいながら、Yさんの希望に沿って介入範囲を広げていきたいと思います。 2025年1月投稿 「キラキラのにんじんしりしり」 コロナ罹患後に間質性肺炎が悪化した60代のJさんが、目をキラキラさせながら自慢のにんじんしりしりのレシピを教えてくれた心温まるエピソード。 コロナ罹患後、間質性肺炎が悪化した60代のJさん。退院にあたり訪問看護の利用を開始しました。入院前のJさんは家事全般を完璧にこなし、ご自宅には可愛らしいJさんのこだわりがたくさん詰まっていました。退院後は旦那さんが家事担当に。レンジの使い方から家事を始めた旦那さんが戸惑う様子を眺めながら、Jさんはもどかしさを感じていました。「料理と掃除をしたい」とリハビリも懸命に頑張りますが、2度の呼吸器感染の影響で食事をするのもやっとの呼吸状態です。担当看護師が毎日お弁当を作っているのを知り、「お弁当のおかずにするなら、にんじんしりしりよ。でも私のはちょっと違うの。にんじんに火が通ったら明太子を入れて、仕上げに醤油をチョンって入れるの。チョンってところがポイント!」と呼吸を整えながら、目をキラキラさせ、まるで目の前で調理しているかのように話します。後日、私がレシピ通りに作ったことを報告すると、Jさんはとっても嬉しそうな表情を見せてくれました。ご自宅でご家族に見守られながら旅立った今も、にんじんしりしりは我が家のお弁当の片隅にあります。そのたびに、目をキラキラさせながらレシピを教えてくれたJさんを思い出します。 2025年1月投稿 利用者さんの前向きな姿勢や生き方に、励まされた経験のある訪問看護師も多いのではないでしょうか。今回ご紹介したエピソードからも、訪問看護はケアを提供するだけでなく、利用者さんやご家族から多くのことを学び、支えられる関係であることが伝わってきます。 編集: NsPace編集部

民間救急 搬送事例~超高流量の酸素投与をしながら自宅へ~
民間救急 搬送事例~超高流量の酸素投与をしながら自宅へ~
コラム
2026年6月23日
2026年6月23日

民間救急 搬送事例~超高流量の酸素投与をしながら自宅へ~

「最期は自宅で過ごしたい」ーー。そう希望しても、医療的ケアが必要な患者さんが自宅へ戻ることは簡単ではありません。特に、高度な酸素管理が必要な状態では、移動中の安全確保だけでなく、退院後の医療体制まで見据えた準備が求められます。今回は、ネーザルハイフローを使用しながら自宅退院を希望された患者様の搬送事例をご紹介します。病院、訪問診療、訪問看護、ケアマネジャー、そして民間救急がどのように連携し、「自宅で過ごしたい」という願いを支えたのか。その実際をお伝えします。 執筆:藤 健二郎(とう けんじろう)社会人経験を経て看護師となり、済生会福岡総合病院の救命救急センターで勤務。重症患者の看護に従事した後、大学院で看護師のストレスに関する研究を行い、急性・重症患者看護専門看護師を取得。現在は東京女子医科大学病院CCUでの臨床と並行し、ケアプロ株式会社 交通医療事業部長として、重症患者搬送や外出支援など「医療×移動」の分野で事業を展開している。■ケアプロ株式会社「ドコケア」:https://dococare.com/transport民間救急とは?緊急性の低い患者の搬送を行う民間サービスのこと。多くは、消防庁の認可を受けて「患者等搬送事業(一般乗用旅客自動車運送業)」を行っている。 「自宅に帰りたい」という願いを支える搬送 前回の記事では、民間救急が「ただ移動を支援するサービス」ではなく、医療・生活・移動をつなぐ役割を担っていることをお伝えしました。今回は、その具体例として、実際に私たちが対応した搬送事例をご紹介します。 患者様は、高流量鼻カニュラ酸素療法(High flow nasal cannula oxygen therapy:HFNC)の装置(以下「HFNC装置」)を使用して、超高流量の酸素投与をしながら、ご自宅への退院を希望されていました。 病院からご自宅までは車で約10分。一見すると短距離の搬送ですが、超高流量の酸素を必要とする状態であり、搬送前の準備や関係職種との連携、車内での観察と対応が重要となるケースでした。 事前準備と車内での医療的対応 搬送前には、退院前カンファレンスに参加し、病院スタッフ、訪問診療、訪問看護、ケアマネジャーと情報を共有しました。 ご自宅に戻った後も医療が途切れないよう、在宅チームとの連携を確認し、当日の流れを整えました。また、搬送中は弊社所有のHFNC装置を使用するため、酸素ボンベの残量確認や高流量に対応した流量計の準備も行いました。 FiO₂95%、50Lという設定では酸素消費量が非常に多くなるため、短距離であっても酸素不足が起きないよう準備する必要があります。 搬送当日は、車内でもバイタルサインを観察し、呼吸状態に合わせて酸素を調整しました。また、呼吸が少しでも楽になるよう、呼吸法について声かけを行いながら、ご自宅まで慎重にお送りしました。 「自宅で過ごしたい」を支える搬送 ご自宅到着後は、待機していた訪問診療、訪問看護、ケアマネジャー、ご家族へ状態を引き継ぎました。 搬送中は弊社のHFNC装置と酸素ボンベを使用していましたが、ご自宅では同じ酸素量を継続することはできません。そのため、到着後は事前に相談していた方針に沿って、弊社の機器を切り離し、ご自宅で対応可能な最大量の酸素投与へ切り替えました。 そのうえで、訪問診療チームにより苦痛をできる限り和らげるための薬剤調整が行われ、ご家族に見守られながら、ご本人は静かに息を引き取られました。この流れは、搬送後に突然決まったものではありません。 退院前カンファレンスの時点で、病院、訪問診療、訪問看護、ケアマネジャー、搬送チームが集まり、ご本人の状態やご家族の希望、自宅で可能な医療体制を確認したうえで共有していた方針でした。 「最期は自宅で過ごしたい」 その願いを叶えるためには、病院から自宅へ運ぶだけではなく、自宅に着いた後の医療やケアまで見据えた連携が欠かせません。 民間救急は、ただ患者様を移動させる仕事ではありません。医療的な安全を守りながら、その人が望む場所へ移動することを支え、病院から在宅へ医療をつなぐ役割を担っています。 私たちはこれからも、患者様とご家族の想いに寄り添いながら、医療と移動をつなぐ搬送を一つひとつ丁寧に行っていきます。

小さなチームで支え合う看護~訪問看護ステーション ホット北部 髙橋さん・靏さん・足立さんにインタビュー~
小さなチームで支え合う看護~訪問看護ステーション ホット北部 髙橋さん・靏さん・足立さんにインタビュー~
インタビュー
2026年6月23日
2026年6月23日

小さなチームで支え合う看護~訪問看護ステーション ホット北部 髙橋さん・靏さん・足立さんにインタビュー~

訪問看護ステーション ホット北部には、それぞれの経験や生活環境を大切にしながら働くスタッフの姿があります。管理者の髙橋さん、主任の靏さん、非常勤の足立さん。立場や役割は違っても、共通しているのは「利用者さんとしっかり向き合いたい」という想いです。 病棟看護との違いや、働きやすさ、地域とのつながり、そして支え合いながら学べる環境について、日々の言葉で語っていただきました。 【※本記事はNsPace Careerが事業所向けに提供している「特集記事掲載サービス」によるものです。取材・撮影・編集はNsPace Careerが担当しました。】 「じっくり関われる」看護がしたかった -病棟看護と比べて、訪問看護ならではの魅力とは何でしょうか?「病棟では患者さんと関わる時間が少なくて…」と語るのは、訪問看護3年目の足立さん。病棟で15年の経験を持つ彼女は、治療が中心だった病棟勤務時代を振り返りながら、訪問看護との大きな違いをこう語ります。【足立さん】病棟では、バイタルを取って、処置して、指導して…その繰り返しで、患者さんとじっくり話す時間はなかなか取れませんでした。でも、訪問では1件1件にしっかり時間を取れるので、自然と「聞く時間」も「一緒に考える時間」も増えました。主任の靏さんも、訪問看護5年間を振り返って、同じような変化を実感していました。【靏さん】病棟では、入院期間が限られていて、関係性も短期的。でも在宅では、お家にお邪魔して、日々の生活の中に入っていくからこそ、信頼関係が深まりやすいと感じています。信頼関係の築き方について尋ねると、靏さんは「雑談から始まる」と教えてくれました。【靏さん】お家の様子や、家族の話、季節の話…そういった会話を重ねていくうちに、看護師としての言葉にも耳を傾けてもらえるようになるんです。「あの人が言うならやってみようかな」って思っていただける関係性が大事だと思います。訪問看護15年目の管理者 髙橋さんも、訪問看護ならではの魅力を次のように語ります。【髙橋さん】病棟だとどうしてもスケジュールに追われてしまって、一人ひとりに時間を使うことが難しかった。でも訪問看護では、1時間まるまる“その方のため”に使える。それが一番の魅力だと思っています。 和やかな雰囲気で話される、靏さん(画像:左)・髙橋さん(画像:中央)・足立さん(画像:右) 働きやすさの理由は、安心できるチームにあった -このステーションで「働きやすい」と感じるのはどんな時ですか?ホット北部の訪問件数は1日4件。余裕を持ったスケジュールが組まれており、残業は基本的にありません。 【足立さん】1件1件、利用者さんと話しているとついつい盛り上がってしまって(笑)。でも、件数が詰まっていないからこそ、そういう関わりも大切にできています。靏さんは2人のお子さんを育てながら勤務中。【靏さん】子どもが急に熱を出したときにも、他のメンバーが訪問を代わってくれて…。本当にありがたいです。また、髙橋さんは「環境づくりは管理者の役目」として、働きやすい体制を日々整えているそうです。【髙橋さん】この地域は坂道が多くて移動距離もあるので、自転車移動は現実的ではありません。だからすべての訪問は社用車で。雨の日も安心です。院内保育所もあり、未就学児なら預けられるので、子育てとの両立にも配慮しています。さらに注目すべきは、チームの結束力。常勤3名、非常勤4名という少人数だからこそ、「孤立させない工夫」がされていました。【髙橋さん】お昼は必ず事務所に戻ってランチ。ちょっとした雑談が、安心感につながるんですよね。朝は毎日ミーティングも行って、困りごとはその場で共有しています。 地域で支え合う看護のカタチ -地域に根ざしたステーションとして、大切にされていることはありますか?【髙橋さん】ホット北部が始まったきっかけについては、前任の管理者からお聞きしました。1983年に愛川北部病院が開院した後、ある患者さんのご家族から「バルーンカテーテルが詰まったので切った(ハサミで)ら、抜けなくなってしまった」と相談の電話があったそうです。当時は、病院の看護師がご自宅を訪問して対応したのが、訪問看護の始まりだったといいます。その後、制度の整備に伴い、1995年に訪問看護ステーション ホット北部が正式に設立されました。そんな地域密着の姿勢は今も変わらず、地域連携にも積極的です。ホット北部は設立当初、厚木市にありました。当時は訪問看護制度も始まったばかりで、情報や経験の共有が必要とされていた時代だったそうです。【髙橋さん】厚木市内の訪問看護ステーションが集まり、「厚愛訪問看護ステーション連絡会」という場を作って、毎月情報交換しています。虐待や医療安全の会議を合同で行うなど、小規模なステーション同士で支え合える場です。 一人じゃない。“育てる文化”がここにある -訪問看護が未経験の方にとって、不安なことも多いと思います。教育やサポート体制について教えてください。「訪問は一人で動くから不安」という声も多い中、ホット北部では“孤立しない”教育体制が整っています。【髙橋さん】まずは1ヶ月程度の同行訪問から始めます。最近では、学生時代に実習で訪問看護を経験している方も多いですが、現場での感覚を掴むために、じっくり見てから自立してもらいます。また、医療機器の使い方も業者を招いてレクチャーを受けるなど、経験年数に関係なく学べる環境が整っていました。【足立さん】経験年数が浅いので、判断に迷うことが多々あります。そんな時に先輩に電話するのは、先輩も訪問しているから気が引けます。でも、タブレットだとチャット感覚で相談できます。誰かしらがすぐ返してくれるので、本当に助かっています。 「みんなで支え合える職場です」と話す、髙橋さん あなたの「これから」を応援できる場所へ -最後に、ホット北部で働く魅力を求職者の方に伝えるとしたら、どんなことを伝えたいですか?【足立さん】訪問看護に興味があるけど不安…という方にとって、ここは安心して始められる場所だと思います。私も最初は同行からスタートして、無理なく慣れることができました。【靏さん】風通しが良くて人間関係が温かい。それに自然も豊かで、訪問の合間に河川敷で記録を書いたり、利用者さんと観光地の話をしたり…心がリフレッシュされます。【髙橋さん】看護師7人の小規模なステーションだからこそ、みんなで意見を出し合いながら支え合える。困ったときも一人じゃない。そんな職場です。働きやすい環境だと思うので、ぜひ一緒に働きましょう。「訪問看護に興味があるけど一歩踏み出せない」そんな方にこそ知ってほしい、あたたかい場所がここにあります。 インタビュアーより 今回のインタビューを通して感じたのは、ホット北部には「安心して働ける環境」と「利用者さんや家族と向き合うための余白」があるということです。小規模だからこそ一人ひとりの声が届きやすく、信頼関係を大切にする姿勢が自然に根付いていました。訪問看護を始めたい方、そして長く続けたい方にとって、とても心強い職場だと感じました。 事業所概要 事業所名訪問看護ステーション ホット北部(医療法人社団福寿会)住所神奈川県愛甲郡愛川町角田281-1事業所紹介ページhttps://ns-pace-career.com/facilities/16697 この記事を読んで「訪問看護、自分にもできるかも」と感じた方へ 「もっと患者さんと関わりたい」「自分らしい看護を実現したい」そう感じている看護師の方は少なくありません。 NsPace Careerナビでは、訪問看護の現場で働く看護師のリアルな声を多数掲載しています。 精神科訪問看護で活躍する看護師の声 未経験から訪問看護を始めた体験談 育児と両立しながら働く現場の実例 各ステーションの教育体制・チーム文化 さらに、キャリアの悩みやモチベーション維持のコツなど看護師として働くうえで役立つ記事も充実。 「自分に合う訪問看護の職場って、どんなところだろう?」そのヒントが、きっと見つかります。 ▶ 他の訪問看護師インタビューを読むhttps://ns-pace-career.com/media/ 記事提供:ナスキャリナビ編集部

そのほかのエピソード
そのほかのエピソード
特集
2026年6月19日
2026年6月19日

そのほかのエピソード【つたえたい訪問看護の話】第2回vol13

訪問看護の現場では、さまざまなエピソードやドラマが生まれます。「みんなの訪問看護アワード2024」に投稿されたエピソードから、印象深いエピソードをご紹介します。 「学び続けることが看護の充実へつながった事例」 レビー小体型認知症の80代女性とご家族への看護を通して、学びを深め充実した看護を提供できたエピソード。 レビー小体型認知症の80代の女性へ訪問看護に入らせていただきました。ご主人と二人暮らしで、娘さまは近くに住んでおられました。夕方になると何度も娘さまに電話が入り「鍵がかかっているのに人が入ってくる」など理解しがたい訴えが繰り返され困っているとのことでした。契約の際に、「お母さまの症状で人の気配を感じておられますか」などレビー小体型認知症の症状を伺っていると、急に涙を流され「やっと光が見えました」「何をどうして良いのかわからなかったのです」と話してくださいました。夜間に緊急訪問が何度かありました。すぐに駆けつけ幻視や錯視への対応を繰り返すことで安心されたのか、幻視の内容はかわいい子どもへと変化していきました。レビー小体型認知症に対する学びを深めたいと思っていたことが、ご本人やご家族の安心に繋がったと考えます。また私自身は、看護を通してご本人やご家族に安心を提供できたことがとても充実した経験でした。 2024年1月投稿 「女子会」 「生きている意味がない」と話していたALSのAさんが、ケアマネさんの提案で女子会を開き、笑顔を取り戻したエピソード。 新卒で訪問看護師になり、3年目の時に出会ったALSのAさん。病状が進行し、ベッド生活となり、「生きているのがつらい。生きている意味がない」と話すことが増えていった。Aさんの気持ちをどのように受けとめれば良いのか悩んでいた時に、ケアマネさんが「女子会をしよう!」と提案してくれた。早速、女子会の準備に取りかかった。楽しい女子会にはごちそうが必要なので、旦那さんとの思い出話に出てきていた“デートで行ったレストランのステーキ弁当”を選んだ。女子会当日は、ケアマネさん、ヘルパーさん、リハビリの先生など、いろんな方が集まってくれた。Aさんも女子の顔をして、女子会定番の芸能人のゴシップネタなどを話して、Aさんも含めて集まった女子みんなが楽しく、あっという間に女子会はお開きになった。その時に話していた安住アナが元旦に結婚した。“空に旅立ったAさんに報告しないと”と思いながら、訪問中に空を見上げたお正月だった。 2024年1月投稿 訪問看護の現場では、日々さまざまなドラマが生まれています。一つひとつのエピソードが、訪問看護の魅力や意義を伝えてくれます。 編集: NsPace編集部

後悔・葛藤エピソード【つたえたい訪問看護の話】
後悔・葛藤エピソード【つたえたい訪問看護の話】
特集
2026年6月19日
2026年6月19日

後悔・葛藤エピソード【つたえたい訪問看護の話】第2回vol12

訪問看護の仕事は、時に自分の力不足を痛感したり、利用者さんやご家族にとって何が最善なのか悩んだりすることがあります。答えの出ない問いを抱えながら支援に向き合う場面も少なくありません。「みんなの訪問看護アワード2024」から、そうした後悔や葛藤を感じたエピソードをご紹介します。 「幸せとは」 87歳のTさんに「今まで生きてきた中で1番幸せだったことは?」と尋ねた時、思いもよらない答えに人生観を考えさせられたエピソード。 「『幸せとは、体験するものではなく、あとから思い出して気づくものだ』ですって!深いですねー」87歳のTさんの訪問時には、毎回その日の名言カレンダーを読み上げ、それについて話し合っていました。「Tさんが今まで生きてきた中で1番幸せだと思ったことは何ですか?」と私。すると、少しの沈黙の後に「何もない」とTさん。「そうなんですね。でも長い人生ですから、何か心に残っていることがありそうな気もします。」と私。すると、また「…何もない」とTさん。近くで会話を聞いていた息子さんにも何だか申し訳ない気持ちになっていたその時でした。「だって、ずっと幸せだから」とぽそりとTさんが言われたのです。一瞬、時が止まったような衝撃を受け、泣きそうになっている自分がいました。寝たきりになってもなお、愛する息子2人がいつもそばにいてくれて、大好きな餡子を毎日食べさせてもらえること。それこそがTさんにとって、過去ではなく現在進行形の幸せなんだと教えられたのでした。『幸せとは…』私もいつか人生を振り返った時、「ずっと幸せだった」とTさんのように思えたらいいなと感じています。 2023年12月投稿 「訪問看護をやってみたい」 医療行為に長年のブランクがあった看護師が、パーキンソン病で入院していた母を思いながら訪問看護の道に進んだエピソード。 私には、医療行為に対して何十年ものブランクがあった。それでも、訪問看護をやってみたいという思いがあった。当然ながら不安はあり、教育用DVDを購入したり、県ナースセンターへ出向き、採血の練習をしたりしていた。そのころ、母は療養型病院に入院していた。現在勤務している訪問看護ステーションはその病院と同じ敷地内にあり、私は仕事をしながら病棟へ洗濯物を受け取りに通い続けていた。母は、長年パーキンソン病に苦しんでいた。特養に入居して1年ほど経ったころ、67歳で脳出血を発症。その後は寝たきりとなり、発語も難しく、経管栄養で生活するようになった経緯があった。そのような母の姿を見守りながら、切なさや悔しさが込み上げ、涙することがよくあった。平成29年6月、母は病院で息を引き取った。10年に及んだ母との療養の日々も、その時ひとつの区切りを迎えた。そして偶然にも、その月の末に新たな看護小規模多機能型居宅介護(看多機)がオープンし、ステーションは移転することになり、私自身も新たなスタートを切ることになった。いまも訪問看護で利用者さんやご家族と関わるたびに、母を思い出す。さまざまな在宅生活のあり方を学び続けている。 2023年12月投稿 「私が訪問看護を目指したきっかけ」 子宮がんで余命2週間の知人Aさんから、「家に帰るように言ってくれて、ありがとう」と言われたことが、訪問看護の道に進むきっかけとなったエピソード。 知人Aさんは、子宮がんの進行に伴いイレウスを併発し、緊急入院し、医師から余命2週間と告知され、現実を受容できない状態でした。入院したことを知り、コロナ禍のため電話でのやり取りをする中で、家に帰りたい思いが伝わってきました。退院後の生活を具体的にイメージできず、不安から在宅療養に踏み切ることができない状態でした。私は、Aさんが望む最期の過ごし方を考えることが先ではないかとお伝えしました。在宅での生活に必要な支援や方法については、その後に考えていけばよいのではないかと話しました。結果、Aさんは医師やご家族と話し合いを重ね、在宅での緩和ケアを開始できることになりました。当初は余命を告げられたことに怒りを見せる場面もありましたが、時間の経過とともに、少しずつ現実を受け入れていかれました。最後には、念願だった自身のやりたいことを実現することができ、知人、友人、家族にお別れの言葉も言えました。看取りが近いある日、「あの時、家に帰るように言ってくれて、ありがとう。ホンマにあんたの言う通りにして、良かった。病院にいたら、後悔するところやった。」と言ってくれました。それから数日後、Aさんは逝去しました。私は、この出来事をきっかけに訪問看護の道に進むことができました。 2023年12月投稿 「はじめての看取り」 がんの利用者様のご家族が未告知を選択し、最期まで笑顔のような表情で旅立った姿から、その選択の意味を考えさせられたエピソード。 担当していたがんの利用者様に転移がわかりました。ご本人はとても明るく、2人の娘様が交代で介護されており、訪問中は冗談を言いながら、とても楽しかったことを今でも覚えています。日に日に食べられるものや量も減り、痛みも増す中、麻薬持続注射を開始。ご家族は不安がいっぱいで表情がこわばっていましたが、そんな中でもご本人とは冗談を言い合いながら空気が濁ることはありませんでした。医師から「余命3ヶ月」と説明を受けた娘様たちは、「お母さんの明るいところを奪いたくない」「最後まで落ち込んでほしくない」と考え、未告知を選択されました。訪問看護師になって、はじめてのお看取りとなり、未告知という選択はどうなのだろうかと、自分の中で葛藤がありましたが、最期の訪問で私は確信しました。扉を開けた瞬間のご家族の表情は忘れられません。今にも泣き崩れそうな表情で。それでもご家族と一緒にお身体をきれいにしながら、私たちの会話は自然と楽しかった思い出ばかりになりました。最期の表情は笑顔のようで、ご家族にとって納得できる選択だったのだと感じました。あれから4年が経ちました。あの経験を通して、利用者様やご家族それぞれの選択を尊重できる訪問看護師になろうと、今でも奮闘中です。 2023年11月投稿 日々のケアで“どうしたらよかったか”と悩み、迷うことは、多いのではないでしょうか。大切なのは利用者さんやご家族の思いに耳を傾け、その人にとって何が最善なのかを考え続けること。そして、その答えを探しながら誠心誠意向き合うことなのかもしれません。 編集: NsPace編集部

事業計画の立て方
事業計画の立て方
コラム
2026年6月16日
2026年6月16日

訪問看護ステーションを開業するには?具体的な事業計画の立て方

事業計画が必要なのはわかっていても、具体的な準備となると、なかなか手が動かないものです。前編「訪問看護ステーションの開設に必要な事業計画とは?」では、事業計画の意義や、選ばれる事業所づくりの考え方をお伝えしました。今回は、人員体制の考え方から収支計画の立て方まで、事業計画を実際に立てる具体的なステップを解説していきます。 開業に必要な人員体制を考える 「どんな利用者を支えたいか」「どのエリアで活動するか」が見えてきたら、次に考えるのが人員体制です。 訪問看護ステーションを開業するには、法令で定められた人員基準を満たす必要があり、常勤換算で看護職員2.5名以上の配置が必要です。 ただし、看護職員2.5名体制は開業の最低基準です。1人が退職や休職になると、人員基準を割り込むリスクがあります。安定した運営を続けるためには、まず3〜5名体制を目指すとよいでしょう。 開業時の人員構成を考える際は、次の3つを整理しておきましょう。 常勤・非常勤の人数: 常勤採用だけでなく、非常勤採用も合わせて必要数を考えましょう。 オンコールの体制:24時間365日の緊急対応の有無と、緊急対応をする場合はオンコールをどのように分担するかを考えましょう。 リハビリ職(PT・OT・ST)の採用: 多様なニーズに応えていくために、いつごろからリハビリ職を採用するかを検討しましょう。 人員構成は収支にも直結します。どのタイミングでどのような人を採用するかまで含めて設計することが重要です。また、「どんな利用者を支えたいか」「どんな地域に貢献したいか」などビジョンが明確であるほど、必要な人員構成も見えてきます。 持続可能な収支計画を立てる 人員体制が決まったら、次に取り組むべきは収支計画——いわゆる「お金の計画」です。「数字は苦手」という方も多いかもしれませんが、ここを後回しにしたまま開業すると、理念はあっても事業が続かない状況になりかねません。 収支計画を立てる際は、 収益モデルに合わせたKPI管理を行う 固定費を上げすぎない 資金繰りを考えた計画を立てる の3つのポイントを押さえておきましょう。 収益モデルに合わせたKPI管理を行う 訪問看護の収益は、主に介護保険・医療保険からの報酬で成り立っています。たとえば、訪問看護(1時間程度)は、1回あたり約8,000〜10,000円前後です。適応となる保険や利用者の状態、事業所の体制によって単価が変動します。仮に利用者20名に月8回(週2回x4週)訪問すると、月の売上はおよそ128〜160万円規模になります。 訪問看護では、訪問を行うプロセスが報酬で評価されるため、看護師を配置するだけでは売上にならず、訪問件数の管理が重要となります。企業や地域による差もありますが、給与や法定福利、社用車、携帯電話やタブレット端末、その他スタッフ雇用に必要な毎月の経費を考えると、1名あたり月に50万円程度かかります。 しっかりと、各スタッフが自らに抱える経費以上の売上を上げないと、事業所全体として赤字が続き存続できなくなってしまいます。スタッフごとの訪問稼働率を重要指標として管理することが重要です。 固定費を上げすぎない 訪問看護の支出は、人件費やスタッフ雇用にかかる経費、賃料など、そのほとんどが毎月固定でかかる経費です。これらの経費は、売上が予想通りに伸びないことや、一時的に下がることがあっても、下げることができないという特徴があります。 「スタッフを多く採用したい」「人材が集まらないから」と地域の相場以上に給与を高くしたり、事務所にお金をかけたりすると、開業時から固定費が高くなってしまいます。そうすると、赤字の金額と期間が増加し、資金不足に陥る可能性があるため注意が必要です。 資金繰りを考えた計画を立てる 開業後、利用者への訪問を行うと売上があがりますが、その売上はサービス提供後すぐに入金されるわけではありません。月末に実績を締めレセプト提出後、支払い基金から入金されるまで約2ヶ月のタイムラグがあります。また、特に開業初期のうちはレセプトの間違いなどにより返戻が生じることもあります。予定より入金が遅れる可能性も視野に入れておきましょう。 さらに、訪問看護事業所の立ち上げが増えている昨今は、開業初月は利用者の依頼がない(売上0円)というケースも少なくありません。そのため、利用者数の増加も厳しめに見積もり、緩徐に伸びていく計画を立てておくことが重要です。 開業に必要な資金を準備する 収支計画が見えてきたら、次は「開業までにいくら必要か」を整理しましょう。開業時には、次のような費用がかかります。 採用費 人件費 事務所の敷金・礼金 内装・備品 医療機器 訪問看護システム(電子カルテ) 車両費 合計の目安は500万円前後とされています。(※開業規模や地域によって異なります)ただし、開業時の費用だけでなく、開業後しばらくの資金も準備しておく必要があります。 先述したように、訪問看護の報酬は実際に入金されるまで2ヶ月ほどかかるしくみです。開業直後は売上がゼロの状態ですが、人件費・家賃・光熱費などの固定費は毎月発生します。 運転資金として6ヶ月分の固定費を手元に確保しておくのが安心で、金額にすると600〜1,000万円程度になります。初期費用と運転資金を合わせると、1,200〜1,500万円程度が現実的なラインです。 大きな金額に見えますが、自己資金だけで全額用意する必要はありません。資金の調達方法には、主に次の3つがあります。 ▼主な資金の調達方法 調達方法特徴ポイント自己資金返済不要で自由に使える手元資金事業の安定性・信用力のベースになる総資金の2〜3割が目安多いほど融資審査で有利日本政策金融公庫の創業融資開業実績がなくても申し込みやすい金利も比較的低い事業計画書の内容が審査の核助成金・補助金自治体によっては開業支援の補助あり条件・申請期限あり、早めのリサーチが必要あくまで、補助的な位置付け 融資を受ける場合は、毎月の返済額を収支計画に組み込んでおく必要があります。借りられたからOKではなく、「返しながら事業を続けられるか」を必ず確認しておきましょう。 まとめ:事業計画は「作って終わり」ではない 事業計画は、開業のために一度だけ作るものではありません。事業を動かし続けるためのベースになります。 看護の現場に置き換えると、ケアプランに近いイメージです。利用者の状態変化に合わせてケアプランを見直すように、事業計画も現実に合わせて更新していくものと考えておきましょう。現場が忙しくなると、計画を見返す機会が減りがちです。月1回の収支確認、半年に1回の計画見直しを習慣にすると、問題の早期発見につながります。 最初から完璧な事業計画である必要はありません。「何人のスタッフが必要か」「収支はどうなるか」「資金はどう調達するか」——まずはこの3つを書き出すことから始めてみてください。その積み重ねが、開業への道筋をつくっていくでしょう。 執筆:広瀬 よしの(看護師ライター)編集者:米沢 まさこ(看護師ライター) 監修:小瀬 文彰(看護師・保健師・経営学修士)株式会社UPDATE代表取締役2013年慶應義塾大学看護医療学部卒。ケアプロ訪問看護ステーション東京にて、新卒訪問看護師としてキャリアをスタート。訪問看護の現場・マネジメント経験の後、薬局・訪問看護を運営するスタートアップ企業にて最高執行責任者として40拠点・年商65億規模の経営に携わり、上場企業へのグループインを実現。 現在は株式会社UPDATEの代表として、訪問看護のマネジメントコーチ(経営・組織づくり支援)や組織マネジメント講座を通し、「想いある医療者に、マネジメントの力を」届ける事業を展開中。その他、業界団体の研修会登壇や調査研究支援(シンクタンク事業)も実施中。

後悔・葛藤エピソード【つたえたい訪問看護の話】
後悔・葛藤エピソード【つたえたい訪問看護の話】
特集
2026年6月12日
2026年6月12日

後悔・葛藤エピソード【つたえたい訪問看護の話】第2回vol11

訪問看護の仕事は、時に自分の力不足により迷惑をかけてしまうことや、適切な支援ができないこともあります。また何が正しいのか、どういう支援をするのが良いのか答えが出ず葛藤する場面に遭遇することもあるでしょう。「みんなの訪問看護アワード2024」から、そうした後悔や葛藤を感じたエピソードをご紹介します。 「訪問看護の『道』」 北海道の厳しい雪道を走りながら、訪問看護を「道」と捉え、いつか利用者さんから黒帯を授けてもらえる日を信じて走り続けるエピソード。 寒さも厳しく、雪が降る。ゆえに、舗道も道路も進むのが大変だ。訪問看護のように看護師が移動して各家庭での看護を展開することは苦労が多い。車や衣服に積まれた雪を払い除けたとしても、吹雪くこともある。道路は凍りツルツルで、自動車事故は多発するし、歩いていても滑って転ぶこともある。事故が起きなくても渋滞が起こり、予定通りの訪問ができないことがある。それでも訪問しなければならない。それが私たちの仕事だからだ。過酷である。看護とは「道」のようなものだと思ったことがあった。柔道や剣道、空手道、華道、茶道のような「道」。「看護道」と名づけたくなるような感覚のことがあった。実際、私は学生時代に空手部に所属していた。しかし、その35年余りの看護道の人生ではいつも私は初心者のような実力と自信のなさに悩み、いつまで経っても有段者になれず、黒帯に憧れ続けている。きっといつか、利用者さんが私に黒帯を授けてくださることを信じて、今日も厳しい雪道である看護道を走り続けるのである。 2024年1月投稿 「信頼関係で届いた思い」 双極性感情障害を抱えるAさんの困難な時に、5年間の信頼関係が生んだエピソード。 双極性感情障害を抱えるAさんは、時々躁状態になって入院することがあります。ある日、不眠で多弁な様子がありました。行動化はないものの躁状態になりつつあると感じ、すぐに主治医に報告して薬が増えました。薬が効いてくるまで時間がかかりますが、入院せずに様子を見ていました。そんな中での訪問時、「昔の事業のことで別れた妻が申請すれば20万円受け取れるから受け取らせてあげたい。90万円かかるけれど探偵を雇って妻の居場所を突き止めたい。親戚が売った土地のお金を分けてもらえれば支払える」と話がありました。元妻も親戚も関わりを拒否しているため、とても現実的ではありませんでした。躁状態の時に現実的なことを言っても、説得は難しいので悩みました。思わず出た言葉が「私は別れた妻のことよりも、あなたの幸せを願っている」でした。数十秒の間があったと思います。「…探すのやめよう」と言ってくれました。現実的に無理であることは理解していなかったと思いますが、私の気持ちを受け止めてくれたのだと思います。5年間築いた信頼関係がもたらした結果だと、実感した出来事でした。 2024年1月投稿 「命のコール」 前立腺癌末期のNさんが、夜中に看護師を呼ぶのを遠慮して6時間我慢していたことから、オンコールの大切さを再認識したエピソード。 朝7時10分にオンコールの電話が鳴る。受電するなり「お父さんが夜中の1時から、全然おしっこが出てないのよ。」とNさんの奥さまが話す。奥さまへ今から緊急訪問することをお伝えし、Nさんのご自宅に緊急訪問する。「Nさん、おはようございます」とご挨拶するとNさんより、「朝から看護師さん呼んでしまって申し訳ないです」と申し訳なさそうにお話される。Nさんは前立腺がん末期にて尿管が挿入されている。尿の浮遊物が多く、浮遊物が詰まり尿流出ができていなかった。1時から7時までの6時間、尿意や腹痛が伴っていたが、我慢していたと。しかし、夜中に看護師を呼ぶ事を遠慮していたと話し、「夜中、看護師さんだって寝てるのに起こすのがかわいそうでさ」と、話す。ナースコールや緊急時の電話は、利用者さんにとって遠慮してしまいがち。一方で、私たちは利用者さんの安心・安全・安楽な生活を過ごしていただく支援をすることが訪問看護の使命である。 2024年1月投稿 「能登半島地震を経験して」 能登半島地震を経験し、社内のBCPと災害訓練、リモート支援により職員と利用者の安全を守ることができたエピソード。 緊急警報が鳴り響き「強い揺れに警戒してください」の言葉が不安をあおる。立っていられない強い揺れ。「止まらん!いつまで続くん」ひたすら揺れがおさまるのを待った。社内で災害時に自動送信されるライフメールが届き、自分の安否連絡を送信した。16時12分、看護師のKから電話がきた。「職員と利用者の安否を確認しますか。ライフメールで安否確認するね。まずは自分の安全確保して!東京のメンバーに応援の要請しよう。リモートで繋ごう」すぐに東京の看護師さんがリモートで応援を招集してくれた。自社開発の電子カルテ“ウィルクラウド”は災害時に優先度順に切り替えられる。東京メンバーの支援により優先度AとBの利用者の安否確認を完了。社内にはBCPがあり、普段から災害訓練をしていた。翌日から看護師たちが自主的に出勤してくれた。医療依存度の高い方、高齢者と障害者、山間部の土砂崩れや断水地域の道路状況を確認した。訪問は2名体制で対応し、飲料水の提供や体調確認をして安全を守ることができた。能登の被害はさらに大きいため支援を続けていく。 2024年1月投稿 「みんな違ってみんな良い」 自分の看護に自信がなかった訪問看護師が、保育園での経験を活かして利用者さんと関わる中で、「自分にしかできない看護もある」と思えるようになったエピソード。 利用者さんでCさんという方がおり、娘さんは仕事を辞めて介護をしています。Cさんは訪問看護を開始したころ、「いつ死んでも構わない」とお話ししていましたが、お孫さんができてから「少しでも長生きしてお孫さんの成長を見たい」と話すようになっています。私が訪問すると、お孫さんの成長や関わり方で分からないことがあると相談を受けることが多くなり、手遊び歌をして一緒に遊ぶこともあります。Cさんや娘さんも、お孫さんが楽しそうにしている様子を見て和やかな雰囲気で過ごすことができています。私が来るのを「待っていた」と話してくださることもあり、今までの経験が活かせていると感じることもあります。利用者さん一人ひとり違うように、訪問看護師もみんな違って自分にしかできない看護もあると思えるようになりました。 2023年12月投稿 日々のケアで“どうしたらよかったか”と悩み、迷うことは、多いのではないでしょうか。大切なのは利用者さんやご家族のニーズを捉え、どのように看護を提供していくことがいいのかを考えて、誠心誠意実践していくことなのかもしれません。 編集: NsPace編集部

最期・お看取りエピソード【つたえたい訪問看護の話】
最期・お看取りエピソード【つたえたい訪問看護の話】
特集
2026年6月12日
2026年6月12日

最期・お看取りエピソード【つたえたい訪問看護の話】第2回vol10

人生の最期をどこで、どのように過ごしたいか。その願いは一人ひとり異なります。訪問看護師は、ご本人やご家族の思いに寄り添いながら、その人らしい最期の時間を支えています。今回は、「みんなの訪問看護アワード2024」に寄せられたエピソードの中から、看取りの現場で生まれた心温まる物語をご紹介します。 「最期まで家にいること」 入院を予定していた103歳の利用者さんが、「最期まで家で過ごしたい」という思いを大切にしながら在宅での日々を選択。看取りを終えたご家族が「家で看取れて本当に良かった」と振り返ったエピソードです。 診療所から新規の依頼があった。103歳、末期がん、ご家族が自宅では看取れないため、入院までの3日間だけ訪問看護利用をお願いしたいと。半年前まで一人暮らしをしていたが、食事摂取量減少あり息子さんご夫婦と同居されていた。症状は落ち着いていたため、今までの生活や楽しかった旅行の話などで盛り上がり、笑いながら2人で話をした。ご本人は自宅にいたいようだったが、さまざまな事情を考慮して入院を選択された息子さんに対し、『このまま自宅で』とは言えなかった。入院当日、訪問時にどんな話をしようかと頭を悩ませていた。その時、息子さんから電話があり「本人にどうするか聞いたら家にいたいと言ったので自宅で看取ろうと思います。」それから2ヶ月近く、ご本人・ご家族ともに穏やかな日々を過ごし、ご本人は自宅で亡くなった。息子さんご夫婦から「家で看取れて本当に良かった」と言われたこと、訪問看護との関わりも含め、ご本人とご家族が自宅で過ごす選択を考えるきっかけになったことに嬉しさがこみ上げた。 2023年12月投稿 「私の訪問看護の原点」 「早く幼稚園に戻りたい」と願った70代の幼稚園経営者。最期まで大切な仕事と向き合い続けたその生き方が、一人の看護師の原点となったエピソードです。 看護師1年目の私は、幼稚園を経営する70代の女性、Aさんを受け持った。Aさんはがんを患い、入院していたが、「早く退院して幼稚園に戻りたい」と話していた。当時は現在のような在宅療養を支える制度が十分に整っておらず、介護保険制度も始まる前だった。話を聴くだけの自分の力のなさを感じた。ある日、準夜勤で出勤すると「明日、退院するの。早く帰らないと。若いお母さんたちが待っているから」と話された。当時としては珍しいケースで、病院の計らいによりご本人には退院と説明し、外泊となった。ご家族は『母の生き方を尊重する。どうしても体調が悪くなったら連れてくる』という合意のもとであった。一生涯の仕事を持ち、その仕事を全うしようとする、スーツを着て凛としたAさんに心を打たれた。約1週間後に永眠されたのだが、Aさんの生き方やそれを支えたご家族をみて、やりたいことを最期まで貫けるよう、暮らしを支えられる看護師になりたいと思った。今もAさんを思い出し、訪問看護を実践している。療養者の生き方に伴走できる看護を実践したいと思う。 2023年12月投稿 人生の最期をどこで、どのように迎えるか。その選択を支え、最後まで寄り添う訪問看護の役割の大きさを感じるエピソードでした。一人ひとりの人生の締めくくりに立ち会わせていただけることの尊さを改めて感じます。 編集: NsPace編集部

人工呼吸器装着後の安楽な姿勢とベッド周りの環境整備:当事者の知恵と工夫
人工呼吸器装着後の安楽な姿勢とベッド周りの環境整備:当事者の知恵と工夫
コラム
2026年6月9日
2026年6月9日

人工呼吸器装着後の安楽な姿勢とベッド周りの環境整備:当事者の知恵と工夫

ALSを発症して10年、現役医師・梶浦先生によるコラム連載、第2弾。最終回となる今回は、梶浦先生が受けてこられた質問の中で最も多かった人工呼吸器装着後の安楽な姿勢を保つ方法と、ベッド周りの環境整備のコツについてたっぷりご紹介いただきます。 本記事は、医療従事者の指導・管理のもとで行われている在宅医療の一例を紹介するものです。掲載されている医療機器の配置や使用方法を、一般の方が医療者の指示なく参考・模倣することは安全上のリスクがあります。在宅での医療機器管理については、必ず主治医や訪問看護師等の医療従事者にご相談ください。 はじめに ALS当事者や関係者の⽅々から最も多く寄せられた質問が、今回のタイトルです。 気管切開して⼈⼯呼吸器を付ける前のALS当事者にとって、装着後の⽣活がどのように変わるのかを想像することは難しいものです。人工呼吸器をつけても安楽に過ごせるのか。どのような環境整備が必要なのか。こうした情報は、人工呼吸器をつけて生きていくか否かの決断に大きく関わるにもかかわらず、調べてもなかなか出てきません。 私自身、これから⾃分がどうなっていくのかよく分からないながらも、死にたくない⼀⼼で、気管切開と人工呼吸器装着を決断しました。だからこそ、その後の生活で一番考えながら、改良を重ねてきたのもこのテーマだったのです。 ALSという病気は、症状も進行スピードも人によって違います。また、在宅療養環境(⽀援体制や⾃宅のスペースなど)もそれぞれの家庭で大きく異なります。⼀概に「こうしたほうがよい」とは⾔えず、教科書的に一括りにして扱うことが難しいのが実情です。 それゆえに、ALS当事者や関係者たちが、在宅での療養生活で実際に取り入れている知恵や工夫を持ち寄り、それを発信し、「いいな」と思った部分を⾃分の⽣活の中に取り⼊れていくしかないのだと思います。 そこで今回は、私が考えて、実践している⼯夫を紹介していきたいと思います。それぞれの状況に応じて参考にしていただければ幸いです。 安楽な姿勢の基本原則:接触面積を広くとる ⼈⼯呼吸器をつける前のALS患者を含む、重度の四肢体幹障害者に共通して重要なのは、 体と、⾞椅⼦・ベッドとの接触面積を広くとり、浮いている部分をできるだけなくす ということに尽きます。 これにより体圧が1ヵ所にかかり過ぎるのを防ぎ、分散することができ、身体への負担を最⼩限に抑えることができます。 座位での姿勢の工夫(図1) ⾞椅⼦に座るときやベッドの背もたれを起こしたときには、以下を意識します。 腰の部分が浮かないように、できるだけ深く座る 枕と⾸の間に隙間ができないよう、タオルや薄いクッションを丸めて入れる 図1 ベッド上での座位姿勢の工夫 側臥位での姿勢の工夫 クッションを活用し接触面積を広くとりつつ、足の骨同士が重ならないように気をつけています(図2)。 図2 側臥位での姿勢の工夫 ちなみに、私は毎晩、側臥位で寝ています。その際、空圧センサーにつま先を接地しておくようにし、ほんのわずかな⼒でもセンサーを押して、人を呼べるようにしています。センサーを押したら「反対側の側臥位へ体位変換してほしい」という合図です。 人工呼吸器をつけることで大きく変わること 人工呼吸器をつけると、気管孔と⼈⼯呼吸器が回路(ホース)で常につながるようになります。このホースが動いてしまうと、それが刺激になり、むせてしまったり、気管孔周囲に⾁芽組織*を形成する原因になったりします。そのため、ホースはできるだけ動かないように固定しておく必要があります。私がおすすめする固定⽅法は、胸元とベッドの2点で固定することです(図3)。 *肉芽組織:傷の治癒過程や慢性炎症の際に形成される、新しい結合組織と⽑細⾎管のこと。出血を伴うこともある。 図3 ホースの固定方法 ホースを胸元とベッドの2点で固定し、ホースができるだけ動かないように工夫している ホースの動きにさえ注意していれば、⼈⼯呼吸器をつける前と安楽な姿勢はあまり変わりません。私は人工呼吸器を装着したことで、呼吸苦から解放され、大きな安堵を感じました。 ベッド周りの環境整備と物品管理の工夫 ベッド周囲の環境は、部屋の広さやレイアウトによって変わる部分が⼤きいのですが、ここでは私が試⾏錯誤の末にたどり着いた「理想的な形」を書いていこうと思います。参考にしてみてください。 ベッド周りには⼈が⼊れるスペースを確保する 部屋を広く使うためにベッドを壁につけている⽅も少なからずいらっしゃいます。しかし、これは介助者にとっては、とてもやりにくい配置になります。 例えば、先述した側臥位の体位変換を左右均等に行うには、介助者がベッドの左右から行う必要があります。可能であれば、人が1人⼊れるくらいのスペースをどちらにも確保しておくことをおすすめします。 ■介護用電動ベッドとモーター数ちなみに、介護⽤電動ベッドはモーター数によって性能が変わります(表1)。モーター数が多いほど性能がよく、ALS患者のように介護度が高い場合、3モーター以上のモデルが推奨されます。 なお、要介護度によりますが、介護⽤電動ベッドは介護保険を利用してレンタルができます。 表1 電動ベッドのモーター数と機能 モーター数     機能           1モーター   背上げ(または脚上げとの連動)基本的な動作2モーター背上げ+脚上げ標準的な介護に対応3モーター背上げ+脚上げ+高さ高度な介護に対応。ベッドの高さが変えられるため、介護者の負担が軽減される4モーター以上背上げ+脚上げ+高さ+αベッド自体の傾斜が変更できる機能、立ち上がりサポート機能、体位変換機能など、さまざまな機能があり、より個々の細かいニーズに対応。 ベッド周りの物品は「厳選」し「コンパクトに配置」する ⼈⼯呼吸器を使用すると、人工呼吸器はもちろん、吸引器や排痰補助装置など、ベッドの周りに置いておく機器が増えます。限られたスペースの中で効率的に動けるよう、動線を考えてコンパクトにまとめることが大切です。 ■私の機器配置の工夫ここでは私が実際に配置している機器の配置⽅法をご紹介します(図4)。私は必要なものをできるだけコンパクトに置きたいため、1つのワゴンに人工呼吸器、吸引器、排痰補助装置、持続吸引器を載せています。⼈⼯呼吸器の加湿器もワゴンの⽀柱に固定してます。 図4 私の機器配置の工夫(一例として) ■カテーテルの保管方法⼝腔内と⿐腔内の吸引に必要なカテーテルは、洗濯バサミの⽳に通し、ワゴンの取⼿に固定して吊り下げています。気管カニューレ内を吸引するカテーテルは、特に清潔な状態を保つ必要があるため、壁から吊るして、⼈の⼿や身体などが触れない場所に保管しています。 在宅療養環境での一般的なカテーテルの保管⽅法としては、以下の2つが⽤いられることが多いです。私の場合、「(2)乾燥させて保管する方法」を採⽤しています。 (1)清潔な容器で保管する方法清潔な蓋つきの保存容器、または未開封の専⽤パック・滅菌袋に入れて保管する⽅法です。容器を再利用する場合は、十分に洗浄・乾燥させてから使用します。(2)乾燥させて保管する方法(私が採用している方法)風通しのよい場所で自然乾燥させて保管する方法です。カテーテルは水分が残ると細菌が繁殖しやすいため、しっかり乾燥させます。 病院では、基本的に吸引カテーテルを1回使⽤したら捨てるのが原則かと思いますが、在宅医療の現場では、使用できる吸引カテーテルの数が限られています。数日使用してから交換するケースが⼀般的なため、私はこのような方法で管理しています。 ■吸引カテーテルの色分け吸引カテーテルは太さによってコネクターの⾊が違います。私は、緑色の14Frを口腔内用、白色の12Frを気管カニューレ内用、黒色の10Frを鼻腔内用として使用しています。原則「鼻用は黒」など、吸引する部位ごとに色を分けておくと、家族が使うときにも間違えなくてよいかと思います。 ■通水ボトルの管理方法カテーテルを使⽤した後は、カテーテルの内腔に水道水を通して洗浄する必要があります。この時に使う水も、私はペットボトルに入れて、フックを取り付け、ワゴンに吊り下げています。気管吸引用カテーテルを通水する水は清潔な状態を維持しないといけないため、常にペットボトルの蓋を締め、⼝腔用・⿐腔⽤のペットボトルと間違えないようにしています。また、ペットボトルの⽔が半分以下になったら中⾝を破棄し、新しい⽔に交換します。ペットボトル自体は、週1回、新しいものに交換しています。 カテーテルや通⽔ボトルの管理⽅法は、家庭ごとに異なります。ここで紹介した方法は、1つの例として参考にしてください。 「enjoy!ALS 2」最終回の最後に― ALSと診断された⼈は、必ず⼀度は「死」を意識するでしょう。これまでずっと、⽣きることに前向きな情報だけを発信してきた私もそうでした。⼈は死を⾝近に感じたときに、改めて⾃分の⼈⽣について振り返るものです。 それが⼀瞬の出来事であれば「⾛⾺灯」と呼ばれるものなのかもしれません。⾃分の⼈⽣について振り返ったときに、⾃分は⼗分⽣きたのか? ⾃分の⼈⽣は満⾜なものだったのか? という問いについて考えさせられることになります。 当時35歳の私は、医師としてのキャリアも順調で、愛する家族もでき、⼈⽣には「希望」しかありませんでした。それが突然、⾃分はALSという病気であり、あと数年で死ぬかもしれないという予測不能な無慈悲な現実に直⾯しました。そのとき、⾃分の希望に満ちた未来は「絶望」という⾔葉に置き換わりました。絶望の中から⼀筋の希望を探し出し、前向きに⽣きていくことは、⾔葉ではとうてい表現できないほど、とてもつらく⼤変なことでした……。 私は「⼈の役に⽴ちたい」という強い思いから医師になり、医師の仕事が⾃分の⽣きがいでした。私の中の⼀筋の希望は「死ぬまで医師として、誰かの役に⽴てるように⽣き続けていこう」という決意でした。そんな⾃分の希望を守っていくために、さまざまな⼯夫を凝らしながら、もがき続けました。対⾯診療ができなくなったら遠隔診療に切り替え、⼿でカルテが書けなくなったら、⻭でカルテを書いてきたのです。 これからもさまざまな困難に直⾯すると思いますが、そのつど⼯夫を凝らしながら、もがき続けていきたいと思っています。そして、精⼀杯⽣きて、⼈⽣の最後にただ愛する妻と息⼦に「パパがんばってたね! かっこよかったね!」と⾔ってもらえたら、きっと⾃分の⼈⽣はとても有意義で素晴らしいものだったと思えることでしょう。そんな⽣き⽅をしたいものです。 コラム執筆者:医師 梶浦 智嗣「さくらクリニック」皮膚科医。「Dermado(デルマド)」(マルホ株式会社)にて「ALSを発症した皮膚科医師の、患者さんの診かた」を連載。また、「ヒポクラ」にて全科横断コンサルトドクターとしても活躍。編集:株式会社照林社

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