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コーチングと口腔ケア

この連載では、実例をとおして、口腔ケアの効果や手法を紹介します。今回と次回は、コミュニケーションが困難だった人への対応事例を紹介します。

コミュニケーションが難しい方への対応

事例

Lさん、76歳男性、要介護Ⅱ。上総義歯、下部分義歯。義歯不安定、残存歯2本のみ。痰の喀出困難、OHAT唾液-1、帯状疱疹後神経痛、前立腺肥大症ほか。
6年前に妻を亡くして以降、日々、機嫌が変わりやすくなった。
内科からの紹介で、義歯不安定を主訴に訪問歯科診療にかかわる。帯状疱疹後神経痛(腰痛)がつらく、口腔ケア時にも、顔をしかめるほどの痛みが発作的に襲うことがあった。

Lさんには「なんで毎週来るんだ、毎週来なくてもいいんだよ! 床が傷付くから、荷物を床に置くんじゃない!」と、初診時からしばらくは、頭ごなしに怒鳴られることもありました。対応に苦慮しながら、ひたすら寄り添い傾聴し、ハフィング(痰を吐き出しやすくする方法)の指導や、義歯の内面調整を行いました。

コーチングスキルを取り入れる

Lさんとのコミュニケーションに悩んでいたころ、コーチングの研修に参加することができました。「コーチ」の語源は「馬車」で、コーチングとは、人を馬車に乗せて目的地に運ぶ、つまり目標達成を支援するための、対話的コミュニケーションの技法です1)

研修で教わったコミュニケーション技法を、Lさんとの会話で試みました。ペーシング(歩調合わせ)やリフレイン(繰り返し)の技法により、難解と思われた関係性が、少し開けてきたように思いました。

以下、Lさんとの会話の一部を示します。(下線部がリフレインの箇所)

L「独りで暮らす自信がないなあ、もう僕、独りでは無理だと思う、歯科さん(筆者のこと)どう思う?」

山田「そうですか。お独りではご無理がありますよね、不安ですよね」

L「娘は仕事があるから、わがまま言えないし……」

山田「娘さん、お仕事を持っていらっしゃるのですね、お忙しいのですね」

相手主導で、相手の言葉をリフレインし、傾聴すると、こちらが積極的に問わなくても、Lさんが独り暮らしを不安に思っていること、娘さんがお仕事を持っていて、Lさんの娘さんへの気遣いがわかりました。初診のころの機嫌の悪さは、腰痛のせいだけでなく、孤独感の影響が大だったのだと理解しました。

サービス担当者会議の開催

Lさんへの口腔ケアの指導も順調に進み、もう「毎週来るな」とは言われなくなったころ、チームにLさんの腰痛が周知され、介護支援専門員から、腰痛対策のためのサービス担当者会議が招集されました。

コロナ下のことで、会議は文書でのやりとりでしたが、介護支援専門員がそれぞれの意見をまとめ、Lさんに丁寧に説明が行われました。

その説明を受けた後も、Lさんは不安げで、「歯科さん、僕にはよくわからないので、説明してくれるかい」とおっしゃるので、図のようにそれぞれの職種の意見を示し、「皆さんが、Lさんのことをたいへん心配されていますよ。でも、何を選ぶかは、Lさんご自身ですよ」と伝えました。

Lさんの顔は生き生きと見えました。訪問鍼灸師のお試し施術も受けられましたが、慣れない鍼灸への怖さと、施術中の姿勢保持が困難だったため、自分でできるストレッチと、内科医提案の鎮痛薬治療を選ばれたのでした。

行動変容が促される

その後は、訪問のたびに、ストレッチに歯磨き、舌の訓練も見せてくれるようになり、ご自分の話をしてくれるようにもなりました。あるときは、亡くなられたご自慢の奥様の写真も見せてくださいました。

義歯の安定には機能的なケアと唾液が必要です。精神的なストレスにより、唾液が減少することもあるので、訪問時のLさんとの何気ない会話に、心理面・体調面の好不調を探ることもありました。

コーチングは初心者ですが、基本的な介入を試みてから、急速にラポール形成が進行し、行動変容も促され、実際に口腔内環境が改善されたことには驚きでした。

残念ながら、腰痛はその後も大きく改善することはなく、ベッド上での時間も長くなり、ずいぶんと痩せられて、義歯も不安定になりました。

歯科医による義歯再調整のとき、そばで心配する私に、
「歯科さん、あなたがいちばん、僕のことをわかってくれている。入れ歯が合わないのはね、歯科さんのせいではないからね。心配しなくていいよ、僕が悪いんだ」
と笑顔で、おっしゃるのでした。

介入して2年半、Lさんは、そんな優しい言葉とたくさんの思い出を遺したまま、入所したばかりの施設で体調が急変され、愛する奥様のもとへ旅立たれました。

第10回へ続く

執筆
山田あつみ
(日本摂食嚥下リハビリテーション学会認定士、歯科衛生士)
 
記事編集:株式会社メディカ出版

【参考】
1)出江紳一ほか.『医療コーチングワークブック』東京,中外医学社,2019,168p.

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