2026年3月10日
つたえたい訪問看護の話 受賞エピソード発表!大賞・審査員特別賞・ホープ賞・協賛企業賞【2026】
NsPaceの特別イベント「第4回 みんなの訪問看護アワード」で募集した「つたえたい訪問看護の話」。厳正な審査を経て、受賞作品が決定しましたので発表いたします。本記事では、大賞1件、審査員特別賞3件、ホープ賞1件、協賛企業賞5件のエピソードをご紹介します!
「わたしらしさを、ともにつくる」
投稿者: 中田 富久(なかだ とみひさ) さん
OUR訪問看護ステーション(宮崎県)
当所を立ち上げて間もない頃、挨拶まわりの最中にケアマネさんから静かに問われました。「HIVの方でも…対応できますか?」その一言に一瞬戸惑いながらも、真剣な眼差しに心を動かされ、私は「必ず支えます」と答えました。初めて彼と向き合った日、こんな言葉を聞きました。「わたしらしい人生を、もう一度つくっていきたいんです」幼少期に血友病を発症し、その後に薬害HIVが判明。十代の半ばまで病院や療養学校で日々を重ねてきた彼。脳出血にもあい、社会とのつながりが薄れていた彼にとって、訪問看護は“外の世界との架け橋”だったかもしれません。訪問を重ねるほどに、心の奥に押し込めてきた願いが溢れ始めました。仕事に挑戦したい。自由に外へ出たい。自宅のお風呂に入りたい。それは、ずっと言えなかった「本当の願い」でした。私たちは彼の言葉を胸に、多職種や地域の力を借りながら奔走しました。制度の壁、環境の整備、医療的なリスク…簡単ではなかったけれど、ひとつ実現するたびに、彼の表情が少しずつ明るくなっていくのが分かりました。そしてある日、彼はこう言いました。「3年前の生活から、180°変わりました」彼の『らしさづくり』ははじまったばかりです。訪問看護とは、誰かの人生の再スタートにそっと火を灯す仕事。これからも私たちは、地域の力とともに彼の『わたしらしさ』を『とも』につくっていきます。
2026年1月投稿
「言葉を遺す」
投稿者: 鈴木 沙恵子(すずき さえこ) さん
(株)Hale ハレノヒ訪問看護ステーション(東京都)
「明日は娘の結婚式だ。」胃癌終末期50歳のAさん。点滴、麻薬による疼痛管理、胃管、尿管挿入中。血圧は80台/s、尿もほとんどでない状態にあった。待ち望んでいた娘の結婚式を明日迎える。早朝から同行することとなった私は医師の指示で朝の時点で管はすべて抜去した。命がけの外出だった。民間救急車内で寝たまま点滴を行い血圧低下を防いだ。到着時、後方の扉が開いた瞬間そこには新郎新婦がいた。今この瞬間亡くなるリスクが高いことを誰もがわかっていた。Aさんの目の色が変わった。「辿り着いた。行くぞ」タキシードに着替えバージンロードを車いすに乗り進んだ。Aさんは笑顔だった。嬉しい、楽しい、挨拶にいこう。私はAさんの言葉をすべて記録に残した。尿もでないこの状態で幸せな言葉が溢れていた。今看護師の私に求められている役割は判断だ。血圧を維持したい。痛みを軽くしたい。目を開けてこの景色をみていられるように何とかしたい。そしてこんなにも幸せな笑顔のAさんの言葉を家族に残したい。神経を張り巡らせ、ひと時もAさんから目を離すことなく看護師として存在した。式を退出するその時、Aさんは私に言った。「俺の娘はこの世で一番綺麗だろう」他人の私にだからこそ言えた言葉だ。Aさんに喜びを与えられた気がした。Aさんは日付が変わる頃、家族に見守られ静かに息を引き取った。私は家族に幸せなAさんの言葉をたくさん遺すことができた。
2026年1月投稿
「ママ、ぼくが作ったよ」
投稿者: 高橋 さゆり(たかはし さゆり) さん
ReHOPE 南町田(東京都)
脳転移と闘う40代のSさま。「一番の気がかりは子どものこと」と涙され、8歳の息子さまとの時間を何より大切に入居されました。ある日、息子さまの「ママの生姜焼きが食べたい」という一言から、病室での料理会が実現。麻痺のある手を添えて包丁を握り、香ばしい匂いと笑顔が弾ける中、母の味を再現しました。それから餃子作りなどを重ね、食を通じて家族の記憶を紡いだ日々。そして迎えた最期の時。Sさまが絞り出した言葉は「やきそば」でした。その声に応えようと、息子さまは自ら焼きそばを作り、母の口元へ。「ママ、ぼくが作ったよ」。食べることは叶わずとも、成長した愛息からの贈り物は心を満たし、その瞬間、Sさまは安らかな母の顔をしていました。息子さまが新学期を迎えた春の日、Sさまは静かに旅立たれました。最期まで「母」として生き抜いた強さと、母を支え成長された息子さまの姿。それはSさまが遺した、何より尊い愛の証でした。
2026年1月投稿
「たっくん、天国で元気にしてるかい?」
投稿者: 山藤 響子(やまふじ きょうこ) さん
医療法人社団 永生会 大和田訪問看護ステーション(千葉県)
末期心疾患で余命1ヵ月と告知された、当時2歳の「たっくん」。ご家族の「どうしてもたっくんを家に連れて帰りたい!」の一言から、在宅移行が動き出しました。家族、訪問診療、訪問薬局、そして私たち訪問看護チームが輪になり、当時前例のなかった強心剤24時間持続投与に挑みました。ブロビアックカテーテル、日中のネーザルハイフロー、夜間のBiPAP。複数の医療デバイスが絡む中、CADDポンプの薬剤カセット交換や急変の不安が立ちはだかり、受け入れの可否を巡ってチーム内でも揺れました。それでも手技を標準化し、連絡網と物品を整え、家族と何度も練習を重ねて「暮らし」を守る体制を作りました。その後、たっくんは宣告を大きく超える8ヵ月をご自宅で過ごされました。たっくんが虹の橋を渡った後、お母様は「たっくんが愛の種まきをしてくれて、皆様とも出会えて幸せでした」と語ってくださいました。小さな身体で最後まで懸命に生き抜いたたっくんと、その時間を抱きしめ続けたご家族に、私たちは深い敬意を抱いています。この経験は今も、私たちの看護の軸として息づいています。
2026年1月投稿
「それでも地域で生きている」
投稿者: 米原 拓也(よねはら たくや) さん
スターク訪問看護ステーション三鷹・調布(東京都)
ベッド上で寝たきりの要介護5、90代男性。ストマ管理が必要な夫の生活を支えていたのは、認知症を抱える80代の妻だった。基本的なパウチ交換はできていたが、排便のたびにパウチを交換してしまうことや徘徊で買い物に出たまま家に戻れず、看護師がショッピングモールを探し回ったこともある。また、やかんの火を消し忘れ、訪問時にガスがついたままのこともあった。医療者の視点では「問題」が並ぶ夫婦だった。それでも妻は繰り返し語った。「夫が亡くなるまで、ここにいさせてあげたい。私は夫より一日でも長く生きられればいいんです」。その言葉には、揺るぎない覚悟があった。往診医、看護師、リハビリスタッフ、ケアマネジャー、ヘルパー、家族が何度も話し合いを重ね、夫婦の安全を守るためにそれぞれの訪問時間を調整して夫婦のもとへ訪れた。完璧な生活ではない。それでも、この夫婦は夫が逝去する最期まで自分たちの家で暮らし続けることができた。課題をなくすことが支援のゴールではない。課題を抱えながらも「それでも地域で生きる」力に向き合い、その人の人生を支えることこそが、訪問看護の本質であると深く教えられた事例であった。
2026年1月投稿
NTTプレシジョンメディシン賞
協賛企業: NTTプレシジョンメディシン株式会社業務をまるごとDX。訪問看護ステーション用電子カルテ「モバカルナース」
「島唄が架けた、言葉なき架け橋」
投稿者: 稲葉 実結(いなば みゆ) さん
ソフィアメディ訪問看護白金高輪ステーション(東京都)
人工鼻を使用し、発語ができない独居の女性。生来お話し好きだった彼女は、思いが伝わらない苛立ちを、いつも諦めたような首振りと沈黙で終わらせていた。指先の震えから書字も拒み、私たちの間に「言葉」が架かることは一度もなかった。なかなか縮まらない距離に、私自身も無力感を感じる日々が続いていた。転機は、壁に飾られた一枚の海辺の写真だった。ある離島の出身だと知り、次回の訪問時にスマホでその島の「島唄」を流してみた。私が鼻歌を添えると、彼女の手が静かに拍子を取り始め、やがてその瞳から音もなく涙が溢れ落ちた。驚く私に、彼女は両手を合わせ、拝むような仕草を見せた。そして、あれほど拒んでいたホワイトボードを自ら引き寄せ、震える手でゆっくりと記した。「懐かしい」。その日を境に、彼女と「声なき会話」が続くようになった。いまでは、私が転んで作ったアザを笑って、それでいて心配するようになった。言葉の会話はなくとも、沈黙が来ることはなくなった。看護とは病を診るだけでなく、その人の人生が奏でてきた音色に耳を澄ますこと。島唄が架けてくれた小さな絆は、今も私の中で優しく響いている。
2026年1月投稿
東洋羽毛賞
協賛企業: 東洋羽毛工業株式会社ーより良い眠りから、健やかな毎日へー私たちは現場で頑張る訪問看護師の皆様を快適な眠りでサポートします
「また生まれてきたら同じ両親の元へ」
投稿者: 前田 昌紀(まえだ まさき) さん
M.Crew訪問看護ステーション(東京都)
ある日の訪問の合間、車での移動。バス停で待つ母子を見かけます。男の子は高校生くらい。ニコニコしてお母さんと話しています。その男の子は松葉杖をついていて、片方の足の先がありません。可哀想に…。怪我か病気で失くしたんだろうか…。その後もニコニコとお母さんに話している様子を見て、「頑張って」と心の中で声をかけます。それから、3ヵ月くらい経った頃に近くの大学病院のソーシャルワーカーから訪問看護の新規依頼。17歳の男の子で骨肉腫、肺転移による末期状態の診断。数日後に訪問診療の先生と初回訪問に伺います。「あっ!あの時の男の子だ!」。優しい笑顔で迎え入れる本人に、心の中でつぶやきました。病状が進行する中、「もう一度ラグビーを観に行きたい」。看護師が付き添い、試合を観に行ったり、訪問の先生が、本人が好きな選手のサインを知り合いに頼んでもらってくださいました。徐々に病状が進行し、苦しさから「もう終わりにしたい!」と訴えるようになり、お薬を調整していきました。最期の意識がなくなる寸前に、両親に「ありがとう」と、か細い声で言いました。意識をなくした後に看護師から「また生まれてきたら同じところに生まれて来ようね」との声がけに確かに「うん」と頷き、1時間後に息を引き取りました。数ヵ月後、近くのコンビニでお母さんが働き始め、再会。訪問の合間に寄るといつもカウンター越しにお互い涙を目にためて話しています。
2026年1月投稿
アクリーティブ賞
協賛企業: アクリーティブ株式会社レセプト請求業務の代行を通じ、訪問看護事業者様がよりご利用者様と向き合える環境づくりをご支援します。
「"あたたかさ"で支える」
投稿者: 平林 陵星(ひらばやし りょうせい) さん
訪問看護ステーションこむすび(和歌山県)
「今日はあそこのお店のケーキ。まぁ、なんだかんだ言って、コンビニスイーツが一番ええわな」と、超が付くほどの甘党のAさん。肺がん末期の状態で、在宅酸素や麻薬の持続注射を行っています。病気は進行し、酸素流量は最大量に。大好きなスイーツも受け付けなくなり、呼吸困難を緩和するため浅い鎮静剤の投与が始まりました。そんな矢先、奥様が「看護師さん見て!来週、家の隣にコンビニがオープンするんやって!なんとか行けやんかなぁ」と、チラシを片手に嬉しそうに相談してくれました。Aさんも「オープン日に行こう」と約束。雨予報が快晴に変わったオープン当日。医師の了承を得て、ご家族と私と車椅子に乗ったAさんコンビニへ向かいました。しんどい中でも、Aさんはスイーツ棚をじっと見つめ、自分で欲しいものをカゴに入れていました。イベントのガラガラ抽選会はハズレでしたが、店員さんの粋な計らいで「当たりだよ」と伝えられ景品を獲得。さらに、サプライズで外でご親族が待っていてくれました。皆で数週間ぶりの日なたぼっこを楽しんだ後、選んだスイーツを食べることもできました。数日後、Aさんは穏やかなお顔で旅立たれました。後日、奥様は「あの時、看護師さんだけでなく、あたたかい周りのみんなに支えられました」と話してくれました。あの日の色んな“あたたかさ”は、今でも私の心を照らし続けてくれています。
2025年11月投稿
「無人島に街を!」メディヴァ賞
協賛企業: 株式会社メディヴァ患者視点の医療改革を理念に、医療・介護・予防分野において、革新と価値創造を目指すコンサルティング企業
「理念である『地域の懸け橋』の瞬間」
投稿者: 栗原 拓郎(くりはら たくろう) さん
アール・クラ横浜(神奈川県)
新規依頼の問い合わせ。子どものお母さんからだった。療育センターから「呼吸リハビリに詳しい理学療法士がいると聞きまして…」の連絡。エリアを確認すると、訪問の範囲外で片道1時間以上の距離だった。普段なら断るが切実な相談内容に「少し時間をください!」と電話を切る。訪問ができなくても、何か私にできることがあるのではないか…考える。依頼先の近隣にある基幹病院の療法士が、地域ブロックの代表者であることを思い出し相談してみることに。内容を説明すると快く引き継いでくれ病院のOBが訪問看護で働いていると紹介してくれる。OBの方から「知り合いに適任者がいるので紹介します」とさらに繋いでくれる。対応できる療法士が決まり、ご家族から「紹介してもらった方は、昔から療育センターで担当してもらっていた方でした。息子も喜んでいます」との内容だった。訪問エリア外でも地域のネットワークを使い、弊社理念である「地域の懸け橋」を繋いだ瞬間を感じることができた1日だった。
2025年12月投稿
ワールドアベニュー賞
協賛企業: 株式会社ワールドアベニュー海外の看護・医療現場で有給で働ける看護師限定ワーホリや海外正看護師資格取得をサポートしている留学会社です。
「ICTで言葉の壁を超える多文化共生ケア」
投稿者: 小川 祥子(おがわ しょうこ) さん
ウィル訪問看護ステーションよこはま北山田(神奈川県)
生後まもない女の子。先天性表皮水疱症。触れるだけで皮膚が剥がれ、感染の不安と隣り合わせの毎日だった。インドネシア国籍の両親は、慣れない日本、言葉の壁、宗教的背景の中で、先が見えない状況の中、ご両親には不安の色が滲んでいた。私たちは翻訳アプリを使い、何度も言葉を探しながら対話を重ねた。伝えたいことが伝わらないもどかしさの中で、よくある質問や不安をまとめたパウチを作成し、「いつでも確認できる安心」を形にした。在宅でのケアは容易ではない。水疱の破疱、入浴、軟膏や被覆材の選択。感染を防ぎたい一方で、過度に守ることで発達を妨げてしまうのではないかという葛藤があった。私たちは「守る」と同時に「育てる」視点を忘れず、医師と密に連携し、見守り下では手先の自由を確保し、指の癒着を防ぐ関わりを続けた。また、ケアの中心から外れがちだった兄にも目を向け、家族全体を看る姿勢を大切にした。MCSを活用し、皮膚状態を共有することで異常の早期発見にもつなげた。退院後半年、感染を起こすことなく自宅での生活が続いている。日々の関わりの中で少しずつ日本語を習得し、簡単な意思表示やコミュニケーションを自らとってくれるようになっている。言葉の壁を越えて相手を知ろうとし続けたことが、不安だった育児を「この子と生きる時間」へと変えていった。
2026年1月投稿
皆さま、おめでとうございます! 入賞作品については、こちらの記事をご覧ください。つたえたい訪問看護の話 受賞エピソード発表!入賞【2026】
編集: NsPace編集部
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