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つたえたい訪問看護の話 受賞エピソード発表!入賞【2026】
つたえたい訪問看護の話 受賞エピソード発表!入賞【2026】
特集
2026年3月10日
2026年3月10日

つたえたい訪問看護の話 受賞エピソード発表!入賞【2026】

NsPaceの特別イベント「第4回 みんなの訪問看護アワード」で募集した「つたえたい訪問看護の話」。厳正な審査を経て、受賞作品が決定しました。本記事では、入賞エピソード15件をご紹介します! 大賞・審査員特別賞・ホープ賞・協賛企業賞はこちらつたえたい訪問看護の話 受賞エピソード発表!大賞・審査員特別賞・ホープ賞・協賛企業賞【2026】 「Yさんの日常に伴走」 投稿者: 安藤 芳雄(あんどう よしお) さん andYou訪問看護ステーション(埼玉県) Yさんは65歳女性。独り暮らし車椅子生活。Yさんの愛猫4歳は車椅子の肘掛けに乗る。さながらナウシカとテトのよう。Yさんはゴジラとプロレスが好き。通販も大好き。Yさんは大食い。うどん3玉ペロリ。これがYさんの普通。Yさんの左下肢は股関節から下が無い。右下肢は麻痺。坐骨に不治のD4褥瘡あり。Yさんのベッド移乗法は柔道の前回り受け身。これがYさんの普通。尿は留置カテーテルだけど便は不意に出てしまうことがある。独りではどうにもできないので緊急訪問看護する。人に頼るところはしっかり頼る。これがYさんの普通。Yさんは時々高熱が出る。多分褥瘡からの熱。これもYさんの普通だけど、これは辛い。私たちは決めた 【毎日朝晩褥瘡を洗おう】その日から高熱が出なくなった。訪問看護1日2回がYさんの普通になった。アウトレットモールに出かけた。人生初のジンギスカンを食べた。新幹線に乗って、USJのアトラクションに乗った。富士山には行けなかった。「よいお年を」で別れた翌朝に「あけましておめでとう」の挨拶をした。Yさんは嚥下が弱くなった。むせるのが普通になった。それでもお餅16個食べた。これが普通だから。肺炎が治らずHOTが始まった。入院治療よりも自宅で愛猫との生活を選んだ。Yさんの普通だ。最期の前日、愛猫を親友に託した。全てやりきった顔だった。今でも空から見守ってくれている。 2026年1月投稿 「『ごめんね』が『ありがとう』に変わった日」 投稿者: 奥田 玲子(おくだ れいこ) さん さんふらわぁ訪問看護リハビリステーション(東京都) 病状の進行により寝たきりとなり、四肢麻痺のある80代女性利用者さんを在宅で支援していました。自力での排便が困難となり、浣腸や摘便、洗浄、オムツ交換といった排泄ケアが必要な状況でした。その方は元来とても気を遣われる方で、ケアのたびに「汚いことをさせてごめんね」「いつも申し訳ないね」と話されていました。自分の汚物処理に他人の力を借りることに、強い負い目を感じておられたのだと思います。私たちは「それが仕事ですから」「気にしないでくださいね」と伝えてきましたが、申し訳なさは軽くなりませんでした。ある日のケアの中で、「私たちは便を取りに来ているのではなく、〇〇さんの不快感を取りに来ているんですよ」とお伝えしました。その言葉に少し驚いた表情をされた後、その日を境に「ごめんね」は「ありがとう」に変わりました。状況やケア内容は変わっていません。変わったのは、「迷惑をかけている」という捉え方から、「つらさを受け取ってもらっている」という感覚でした。看護とは処置を行うことだけでなく、その人の心の負担を引き受けることでもある。この経験は、私たちの大切にしている看護観を改めて教えてくれました。 2025年12月投稿 「旅立つ前の願い」 投稿者: 葛西 聡子(かさい ふさこ) さん 社会医療法人 函館博栄会 高齢者複合施設 ケアタウン昭里 訪問看護ステーションあまりりす(北海道) 小さな漁業の町の自宅で写真館を営んでいた78歳の男性。住民の成長していく姿を撮り続けてきた。妻と子ども、孫がいつも傍にいた生活。体調に気付いたのは、黄染と腹水が貯留し始めた頃。大腸癌、肝臓転移だった。「入院しない、家で死にたいんだ」。家族も「家に居たらいい」。訪問看護を開始した。黄染で掻痒が強く自宅での入浴を希望し、その時間は彼から沢山の思い出やこれからのことを聞いた。数日後、目が開かなくなり呼吸状態も落ちてきた。家族に、死期に近づく過程を説明した。泣きながらメモを取っていた。気になり夕方、こちらから入電。「呼吸が変わってきた」。訪問すると下顎呼吸となり「看護婦さんが教えてくれたから、覚悟できたよ」。妻は、携帯電話で遠方の家族に電話し「じぃちゃん、頑張ったね、ありがとう」彼の耳に当てて聞かせた。やがて呼吸は止まった。家族に見守られながら、生まれた自宅で亡くなりたいことを話してくれていた。初めての看取りの話です。家族との時間、一緒に看護すること、そしてご本人の最期への思いを理解して叶えていくことを大切に思い訪問看護をしています。 2026年1月投稿 「要介護5から自立へ 在宅回復の軌跡」 投稿者: 金﨑 千晶(かねさき ちあき) さん 訪問看護ステーション ぽっぽスマイル(福岡県) 74歳男性。COVID-19後の重症肺炎により気管切開・人工呼吸器管理での治療を受け、呼吸器からは離脱できたものの、痰が多く経口摂取は困難と判断され、経鼻経管栄養のまま要介護5で退院となった。退院後、訪問診療と訪問看護(看護師・理学療法士・作業療法士・言語聴覚士)による在宅支援を開始。元公務員で意思の強いFさんは、思うようにいかない現実に苛立つ場面もあったが、私たちはその姿を「諦めたくない気持ち」「生きる力」と受け止め、多職種で粘り強く関わった。「頑張る自分が大好き!」その言葉通り、Fさんは毎日のリハビリに真摯に取り組み、徐々に経口摂取が可能となり経鼻胃管は抜去。痰の減少とともに気管カニューレも抜去に至った。久しぶりに奥様と「声」で会話できた日の笑顔は、今も忘れられない。雨の日も暑い日もリハビリを継続し、5ヵ月後には趣味の釣りを再開。最終的に要介護5から非該当(自立)へと回復した。「コミュニケーションボードでの会話は、正直つらかった。今、声で気持ちを伝えられることが本当にうれしい」 そう話すFさんの表情は、穏やかで優しいものだった。7ヵ月後の訪問看護卒業の日。「ここまで一緒に来てくれてありがとう」涙を浮かべながら感謝を伝えてくださった。在宅看護・在宅リハビリは、命を支えるだけでなく、その人らしい人生を取り戻す力がある。本症例は、その確かな可能性を示した一例である。 2026年1月投稿 「花子さんとピアノ」 投稿者: 川上 加奈子(かわかみ かなこ) さん よつば訪問看護リハビリステーション(神奈川県) 「音楽は本当に素敵ですね。聴いていると涙が出そうになります」花子さんは93歳。昔、息子さんと2人で音楽鑑賞にもよく出かけていたとのこと。そのため、訪問看護の際にスマホでクラシックを流すととても喜ばれていた。そんなある日、ふとご自宅にあるピアノに目がとまる。たしか花子さんは幼稚園の先生をされていたからピアノは弾けるはず…。「ピアノ?もう40年も昔の話です。弾けませんよ」と苦笑いする花子さんの手をとり、一緒に鍵盤を押す。すると「ドドソソララソ…」。花子さんは音階を口ずみ、指も辿々しくも動きだしたのである。さらには、私が「ふるさと」をピアノで弾くと大きな声で歌いだされ、「なんて楽しいのかしら。毎回やりたいくらい!」と満面の笑みが溢れた。それ以降、花子さんのリクエストにお応えして、ケアの最後には脳トレと嚥下リハビリとしてピアノと歌を一緒に楽しんでいる。「相手を知ることとは、その人が大切にしていることに興味を持つということ」看護研修で学んだこの言葉を、これからも忘れずに利用者さん一人ひとりと関わっていきたいと思っている。 2025年12月投稿 「全・全・半・全・全・全・半」 投稿者: 小林 桂(こばやし けい) さん 訪問看護ステーション デライト石神井公園(東京都) 意味のない独り言に聞こえる言葉を、私はその日、初めて“追いかけた”。居間で彼は、無表情でぼそっと言った。「全・全・半・全・全・全・半」。独語は不明瞭で、質問しても返答は噛み合わない。会話は同席する両親への聞き取りが中心になり、両親も「何を言っているか分からない。妄想の中にいるみたい」と困っていた。沈黙が落ちるたびに、私も“会話する意味”を見失いかける。心の不調を抱える彼の言葉は、ほどけて、こちらの手からこぼれていくようだった。それでも、意味のない音にしてしまわないよう、私は一つだけ決めた。分からない言葉ほど、そのままにしない。並びに聞き覚えがあり、そっと繰り返すと、彼は続けた。「全・全・半…ドレミファソラシド」ピアノの鍵盤だ。両親に尋ねると「そういえば小学生の頃キーボードを習ってた。そんなこと覚えてたの」と懐かしむ。本人に「弾いていたんですか」と聞くと、視線を落としたまま、静かに一度だけ頷いた。初めて会話が繋がった瞬間だった。私の声は、届いていなかったわけじゃない。そう思った途端、胸の奥がじんわり熱くなった。在宅の居間には、家族の記憶と本人のことばが同時にある。その場で背景に触れられるのが訪問看護の強みだと知った。以来、噛み合わない返答の中にも手がかりがあると考え、目線や言葉の端に意味が宿ると信じて手繰り寄せ、対話の糸をほどくように関わり続けている。 2026年1月投稿 「迷いながらも正解のない選択に寄り添う看護」 投稿者: 坂口 葵(さかぐち あおい) さん カンナ訪問看護ステーション(千葉県) 膀胱がん末期80代後半男性。妻と、別居の娘が三人いる。訪問当初は拒否も強かったが、最期は自宅にいたいとの本人の思いを尊重し、スタッフ皆で丁寧に関わり続け、在宅療養は途切れることなく続いていた。徐々に衰弱が進み、水分摂取が困難になると皮下点滴の継続を巡って家族の意見が割れた。「苦しい時間は短くしてあげたい」そう語る妻に、娘は「でも、何もしないで見ているのは辛い。点滴で少しでも元気になるなら…」と声を詰まらせた。私は迷っていた。点滴を続ければ身体的苦痛は増すかもしれない。だが、ここで止めれば「何もしてあげられなかった」という後悔を家族に残すかもしれない。悩んだ末、結論を出すことを目標にするのではなく、家族が互いの思いを語り尽くす場を整えることが今の最善だと判断した。血圧や脈圧の変化、今後起こり得る経過などを説明し、「正解はありません。迷いながら、その時に一番納得できる選択を一緒に考えましょう」と伝えた。話し合いの末、点滴は一日だけ行われ、翌日の誕生日には家族全員が集い、穏やかな時間を過ごされた。逝去後のエンゼルケアでは、娘が「父さんの髪を洗うの、初めて」と涙を流し、孫たちもそっと手を伸ばした。二十代で訪問の世界に飛び込んだ私は、この仕事を通して人生で本当に大切なことを教えてもらっている。大変だが、これ以上に尊い仕事はないと感じている。そんな誇りを胸に、今日も私は訪問に向かう。 2026年1月投稿 「家族で過ごした宝物の時間」 投稿者: 清水 由佳(しみず ゆか) さん スターク訪問看護ステーション三鷹(東京都) 70代の男性が、ほとんど準備の整わないまま急遽退院することになった。末期の膵がん。医師は「家で看取るのは難しい」と話していた。それでも本人は「家族のそばで過ごしたい」と静かに願った。娘さんの家庭には幼く精神疾患を抱える子どもたち、そして自身の精神的な不安もあった。どう考えても「余裕がある状況」ではない。それでも娘さんは「できる限り家で看たい」と父の思いを受け止めた。私はそんな“覚悟”を支え、連日訪問した。不安が強い娘さんには、玄関先で短い会話を重ねて安心を届けた。落ち込みやすい本人には、お孫さんの布団やクッションをそっと傍に置き、「家族の気配」が心を支えるよう工夫した。私が訪ねると本人は不思議と落ち着いた。「あなたは、私の薬みたいだね」と言われたこともあった。わずか9日間。しかしその短さを感じさせないほど、濃く温かい時間が家族の間につくられていった。夫婦で静かに交わした会話。お孫さん一人ひとりとの別れ。旅立ちのあとには、家族全員でエンゼルケアを行い、最期の“ありがとう”を手で伝えた。私が帰ろうとした時、娘さんが涙をこらえ「宝物の時間を、ありがとう」と仰った。家族の力を信じ、その思いに寄り添い、その人らしい最期をそっと支えた。それは看護の力が確かに息づいた、私にとっても忘れられないエピソードとなった。 2026年1月投稿 「『好き』の力が引き出す可能性」 投稿者: 城間 裕斗(しろま ゆうと) さん えん訪問看護ステーション東京池袋(東京都) パーキンソン病を患うその方は、仮面様顔貌(かめんようがんぼう)で表情の変化が乏しく、日中の多くをベッド上で無気力に過ごされていました。リハビリ中も意欲低下が目立ち、身体機能が徐々に低下していくことに私は焦りを感じていました。そんなある日、会話の中で「昔はハーモニカが得意だった」というお話を聞きました。「もう一度、あの音色を聴きたい」と思った私は、自分でもハーモニカを購入して練習し、次回の訪問時に一曲披露しました。すると、普段は自発的な動きが少ないご本人が、お礼にと自らハーモニカを手に取り、一曲奏でてくださったのです。パーキンソンの症状もあり、本当に吹けるのかと少し不安もありましたが、聴こえてきたのは美しく、力強い音色でした。ベッドサイドでは20代のお孫さんと3歳のひ孫さんも一緒に手拍子をして喜んでおり、その光景に胸が熱くなりました。この経験から、ただ訓練を繰り返すのではなく、その方の歩んできた人生や趣味に寄り添うことの大切さを学びました。これからも、利用者様の「好き」という気持ちを引き出し、心から動きたくなるようなリハビリを目指していきたいです。 2026年1月投稿 「拒絶の先にあった"家で生きる"という選択」 投稿者: 鈴木 開哉(すずき かいや) さん ウィル訪問看護ステーションよこはま北山田(神奈川県) 「どうせお前らも、俺の敵なんだろ」。50代男性独居、アルコール性肝硬変末期。著明な腹水と呼吸苦、失禁が続き、易怒性が強く、入院先や在宅サービスでトラブルを重ね、支援は次々と断たれていた。計画相談員からの依頼は、「今回もかなり難しいが、受けてもらえないか」という切迫した一本の電話だった。私たちは「全ての人に、家に帰る選択肢を」という理念のもと、拒絶されることを前提に介入を決めた。ハラスメントの懸念から男性スタッフのみで開始したが、訪問しても扉は開かず、インターホンは無視される。安否を案じて郵便受けから室内を確認すれば激怒され、追い返される。それでも関わりを絶やさなかった。ある日、意識は朦朧、呂律は回らず、便汚染のベッド上で横たわる姿を目にする。肝性脳症を疑い、拒否の合間に声をかけ続け、往診医と連携し救急搬送につなげた。しかし病院でも居場所はなく、早期退院となる。退院後、彼が受け入れた支援は訪問看護だけだった。薬局も入室できず、私たちが内服を受け取り、一包ずつカレンダーにセットする。扉が閉ざされ続ける中でも相手を知ろうと関わりを続けたことで、少しずつ信頼が生まれ、本心を聞くことができた。その瞬間、看護はようやくケアとして成立した。 2026年1月投稿 「お風呂と寿司で生き抜く力」 投稿者: 清政 満枝(せいまさ みつえ) さん スターク訪問看護ステーション板橋徳丸(東京都) Aさんは70代男性で一人暮らし、透析通院中。脳梗塞を患い高次脳機能障害もありましたが、PT、OT、STリハ継続しながら透析も続けていました。しかし生きていくのが嫌になり、透析通院を拒否するようになりました。様々な職種、多くの友人が説得しましたが、ご本人の意思は変わらず透析をしない日々が続きました。ご本人、遠方に暮らす妹、沢山の友人、仕事仲間、主治医、CM、ヘルパー、リハ、看護師等と何度も話し合いを重ねましたが彼の意思は変わらず、透析は終了しました。彼の願いは好きなことを最期まで続けたい。それは「大好きなお風呂に毎日入りたい」こと、「好きなものを食べたい、外食したい」ということでした。急変や転倒リスクを恐れて制限するのは簡単です。しかし彼の思いを尊重し希望を叶えるため、部屋のレイアウトや福祉用具を工夫したり入浴介助の方法を模索したり、多職種で知恵を絞りチームが一丸となって支えました。ある日彼は「お寿司屋さんに行きたい」と言いました。透析を止めて一ヵ月程経っており体調は決して良くありません。それでも多職種が時間を合わせ、外出を実現。出かける準備をする彼の笑顔は、誰もが忘れられない瞬間でした。本当にやりたいことはもうできません。しかし今できるやりたいことを多職種がチームとなり実現できたことは、訪問看護だからこそできる力。最後まで希望を叶える時間は、支えた全員にとって忘れられない時間でした。 2026年1月投稿 「最期まで医師でありたい」 投稿者: 寺山 佳佑(てらやま けいすけ) さん 訪問看護ステーションかすたねっと(大阪府) 抗がん治療を受けながら在宅で働く神経内科医のKさん。咽頭がん術後に化膿性脊椎炎を発症し腕を上げられなくなり、訪問リハを希望された。気管切開によりコミュニケーションは、筆談。初回の訪問は、現役の神経内科医にリハを行うため、異様な緊張感が漂っていた。私は、腕が上げられない原因を説明しリハを行った。腕は徐々に上げられるようになったが、がんの経過は芳しくない。私はKさんにリハ以外でケアができることはないかと悩んでいた。ある日、「趣味はありますか?」と尋ねると、パソコンの前に案内された。すると、リハ中は仏頂面なKさんが嬉しそうに自分の研究論文を見せてくれた。私は、Kさんにとって医師という仕事が日常であり、「最期まで医師でありたい」という想いが伝わってきた。ちょうどその頃、同僚が社外の研修会を行うため、パーキンソン病の発表を準備していた。そこで、Kさんに発表の内容を見て頂けないかと相談すると、快く引き受けて下さった。次の訪問時、家族が上機嫌でパソコンに向かっている姿を楽しげに話してくれた。Kさんは、同僚に在宅で必要なパーキンソン病の薬や生活指導の内容を丁寧に伝えた。発表後、訪問するなり筆談で「発表はどうだった?」と尋ねられた。私は「大盛況でしたよ」と伝えるとお互いに笑みがこぼれた。Kさんとの出会いは、その人にとっての生きがいを理解することの大切さを学ばせてもらった貴重な経験となった。 2026年1月投稿 「桜を見上げるたびに思い出す」 投稿者: 寺山 恵(てらやま めぐみ) さん 医療法人社団 成美会 訪問看護ステーションあさがお(茨城県) 「その人らしい生活を送れる看護がしたい」という思いから訪問看護へ、そこで初めて出会ったのが、神経難病を抱えるNさんです。日常生活は容易ではなく、転倒を繰り返すNさん、好き嫌いがはっきりとした性格で、調子の悪い日には目も合わせてくれません。理想として思い描いていた看護と現実のギャップに悩みましたが、Nさんの思いを否定せず、そばに居続けることを選びました。そんなある日、「この辛さは誰にも分からない」「筋力を落としたくない。ここに居たい」「娘には迷惑をかけたくない」と想いを私に話してくれました。調子がいい日は一緒に一歩ずつ、調子が悪い日は腋窩を支えながら半歩ずつゆっくりと散歩をし、アパートの敷地内に咲いていた、たった1本小さく咲いている桜を眺め「来年もまた見に来ようね」と笑い合った時間は、今でも心に残り、春になり桜を見るとふとNさんの笑顔を思い出します。体調が急変し、救急車で運ばれていく姿を見送ったのが最後の訪問でした。数ヵ月後、遠方に住む娘さんから「あなたに直接感謝を伝えたくて」と電話があり、人目も憚らず私は泣き崩れ、喪失感から次の訪問に向かうまで気持ちを立て直すのに時間がかかった経験も、深く胸に刻まれています。Nさんとの出会いは、訪問看護とは理想を語ることではなく、その人の人生に覚悟をもって寄り添うことなのだと教えてくれました。 2026年1月投稿 「本当の願い」 投稿者: 豊嶋 絵理(とよしま えり) さん えん訪問看護ステーション三豊(香川県) 指定難病の強皮症である彼女の身体は自分の思い通りには動かない。彼女の痛みを和らげようとマッサージをしている時「豊嶋さんは何で訪問看護師になろうと思ったの?」と聞かれ「こうやってゆっくり話をしながら人と関わりたかったからです」と迷わず答えた。「私もヘルパーやっててね、よく時間を過ぎても話を聞いて励ましてあげてた。豊嶋さんは私と同じやね」と微笑んだ。彼女には以前、他事業所が介入しており様々な理由で契約が終了した経緯がある。調子が良くシャワー浴ができた日「寒いと痛みが強くなって辛いんよ。前は無理って言われたけど本当はお風呂がいい。けどシャワーできるようになっただけいいよね」と寂しそうに諦めた言葉。けれど前向きな彼女を私は知っている。「○○さん!色々工夫は必要だけど、挑戦してみましょう!諦めるのはまだ早いです」。勝算があったわけではないが、私は彼女に挑戦して欲しかった。うちの事務所の強みはリハビリスタッフがいること。早速担当スタッフへ相談し福祉用具も手配。我々の心配をよそに動作確認クリア!初めて湯船に入れた時は、満面の笑顔で「無理って言われたしやる前から諦めてた。家のお風呂に入れたの2年ぶりよ!本当に嬉しい。試してくれてありがとう!」 彼女の本当の願いが叶った瞬間に私が立ち会えたのも、彼女の勇気とそれを支えてくれたチームのお陰。ここからまた彼女の挑戦は続く。それをサポートするのが私の仕事。 2026年1月投稿 「旅のコンダクター」 投稿者: 八箇 多恵(はっか たえ) さん 訪問看護ステーション 十色(富山県) 肺癌の末期を宣告後、彼は全国各地を旅して回り、食べ歩きにも行き、緩和ケア病棟から1次退院をした時は、冬がやがて訪れる頃だった。彼の要望は、バイタルサイン測定も排泄や食事の話も、「それをしたところで命が伸びる訳でもなく、それならこの1時間を有意義なものにしたい」と、1時間看護師と色々な話をすることを希望した。彼は旅プラン提案するのが好きだった。私が訪問すると「所長、皆にリフレッシュ休暇あげよ!人生楽しまなきゃ、今しかできないことあるし」と話をしていた。いつの間にか見られないはずだった桜を見て、七夕の短冊は「リフレッシュ休暇が取得できるようになりますように」と、記載されていた。その後状態悪化で再入院。顔を見に行くと「これ、母ちゃんが忘れないようにって持たしてきた」。照れながら見せたのは、我々の新年の挨拶の写真入チラシ。「あんたらのお陰で家での生活楽しかったわ」。病室にも分厚い時刻表の本と、地図があった。「いつでも相談のれるようにな」と笑顔で笑った。今年から、リフレッシュ休暇採用になって皆順に旅する予定である。 2026年1月投稿 * * * 皆さま、おめでとうございます!今後、「みんなの訪問看護アワード」表彰式の様子をご紹介する記事や、大賞を受賞したエピソードの漫画記事も順次公開予定です。ぜひご覧ください。 編集: NsPace編集部 [no_toc]

つたえたい訪問看護の話 受賞エピソード発表!大賞・審査員特別賞・ホープ賞・協賛企業賞【2026】
つたえたい訪問看護の話 受賞エピソード発表!大賞・審査員特別賞・ホープ賞・協賛企業賞【2026】
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2026年3月10日
2026年3月10日

つたえたい訪問看護の話 受賞エピソード発表!大賞・審査員特別賞・ホープ賞・協賛企業賞【2026】

NsPaceの特別イベント「第4回 みんなの訪問看護アワード」で募集した「つたえたい訪問看護の話」。厳正な審査を経て、受賞作品が決定しましたので発表いたします。本記事では、大賞1件、審査員特別賞3件、ホープ賞1件、協賛企業賞5件のエピソードをご紹介します! 「わたしらしさを、ともにつくる」 投稿者: 中田 富久(なかだ とみひさ) さん OUR訪問看護ステーション(宮崎県) 当所を立ち上げて間もない頃、挨拶まわりの最中にケアマネさんから静かに問われました。「HIVの方でも…対応できますか?」その一言に一瞬戸惑いながらも、真剣な眼差しに心を動かされ、私は「必ず支えます」と答えました。初めて彼と向き合った日、こんな言葉を聞きました。「わたしらしい人生を、もう一度つくっていきたいんです」幼少期に血友病を発症し、その後に薬害HIVが判明。十代の半ばまで病院や療養学校で日々を重ねてきた彼。脳出血にもあい、社会とのつながりが薄れていた彼にとって、訪問看護は“外の世界との架け橋”だったかもしれません。訪問を重ねるほどに、心の奥に押し込めてきた願いが溢れ始めました。仕事に挑戦したい。自由に外へ出たい。自宅のお風呂に入りたい。それは、ずっと言えなかった「本当の願い」でした。私たちは彼の言葉を胸に、多職種や地域の力を借りながら奔走しました。制度の壁、環境の整備、医療的なリスク…簡単ではなかったけれど、ひとつ実現するたびに、彼の表情が少しずつ明るくなっていくのが分かりました。そしてある日、彼はこう言いました。「3年前の生活から、180°変わりました」彼の『らしさづくり』ははじまったばかりです。訪問看護とは、誰かの人生の再スタートにそっと火を灯す仕事。これからも私たちは、地域の力とともに彼の『わたしらしさ』を『とも』につくっていきます。 2026年1月投稿 「言葉を遺す」 投稿者: 鈴木 沙恵子(すずき さえこ) さん (株)Hale ハレノヒ訪問看護ステーション(東京都) 「明日は娘の結婚式だ。」胃癌終末期50歳のAさん。点滴、麻薬による疼痛管理、胃管、尿管挿入中。血圧は80台/s、尿もほとんどでない状態にあった。待ち望んでいた娘の結婚式を明日迎える。早朝から同行することとなった私は医師の指示で朝の時点で管はすべて抜去した。命がけの外出だった。民間救急車内で寝たまま点滴を行い血圧低下を防いだ。到着時、後方の扉が開いた瞬間そこには新郎新婦がいた。今この瞬間亡くなるリスクが高いことを誰もがわかっていた。Aさんの目の色が変わった。「辿り着いた。行くぞ」タキシードに着替えバージンロードを車いすに乗り進んだ。Aさんは笑顔だった。嬉しい、楽しい、挨拶にいこう。私はAさんの言葉をすべて記録に残した。尿もでないこの状態で幸せな言葉が溢れていた。今看護師の私に求められている役割は判断だ。血圧を維持したい。痛みを軽くしたい。目を開けてこの景色をみていられるように何とかしたい。そしてこんなにも幸せな笑顔のAさんの言葉を家族に残したい。神経を張り巡らせ、ひと時もAさんから目を離すことなく看護師として存在した。式を退出するその時、Aさんは私に言った。「俺の娘はこの世で一番綺麗だろう」他人の私にだからこそ言えた言葉だ。Aさんに喜びを与えられた気がした。Aさんは日付が変わる頃、家族に見守られ静かに息を引き取った。私は家族に幸せなAさんの言葉をたくさん遺すことができた。 2026年1月投稿 「ママ、ぼくが作ったよ」 投稿者: 高橋 さゆり(たかはし さゆり) さん ReHOPE 南町田(東京都) 脳転移と闘う40代のSさま。「一番の気がかりは子どものこと」と涙され、8歳の息子さまとの時間を何より大切に入居されました。ある日、息子さまの「ママの生姜焼きが食べたい」という一言から、病室での料理会が実現。麻痺のある手を添えて包丁を握り、香ばしい匂いと笑顔が弾ける中、母の味を再現しました。それから餃子作りなどを重ね、食を通じて家族の記憶を紡いだ日々。そして迎えた最期の時。Sさまが絞り出した言葉は「やきそば」でした。その声に応えようと、息子さまは自ら焼きそばを作り、母の口元へ。「ママ、ぼくが作ったよ」。食べることは叶わずとも、成長した愛息からの贈り物は心を満たし、その瞬間、Sさまは安らかな母の顔をしていました。息子さまが新学期を迎えた春の日、Sさまは静かに旅立たれました。最期まで「母」として生き抜いた強さと、母を支え成長された息子さまの姿。それはSさまが遺した、何より尊い愛の証でした。 2026年1月投稿 「たっくん、天国で元気にしてるかい?」 投稿者: 山藤 響子(やまふじ きょうこ) さん 医療法人社団 永生会 大和田訪問看護ステーション(千葉県) 末期心疾患で余命1ヵ月と告知された、当時2歳の「たっくん」。ご家族の「どうしてもたっくんを家に連れて帰りたい!」の一言から、在宅移行が動き出しました。家族、訪問診療、訪問薬局、そして私たち訪問看護チームが輪になり、当時前例のなかった強心剤24時間持続投与に挑みました。ブロビアックカテーテル、日中のネーザルハイフロー、夜間のBiPAP。複数の医療デバイスが絡む中、CADDポンプの薬剤カセット交換や急変の不安が立ちはだかり、受け入れの可否を巡ってチーム内でも揺れました。それでも手技を標準化し、連絡網と物品を整え、家族と何度も練習を重ねて「暮らし」を守る体制を作りました。その後、たっくんは宣告を大きく超える8ヵ月をご自宅で過ごされました。たっくんが虹の橋を渡った後、お母様は「たっくんが愛の種まきをしてくれて、皆様とも出会えて幸せでした」と語ってくださいました。小さな身体で最後まで懸命に生き抜いたたっくんと、その時間を抱きしめ続けたご家族に、私たちは深い敬意を抱いています。この経験は今も、私たちの看護の軸として息づいています。 2026年1月投稿 「それでも地域で生きている」 投稿者: 米原 拓也(よねはら たくや) さん スターク訪問看護ステーション三鷹・調布(東京都) ベッド上で寝たきりの要介護5、90代男性。ストマ管理が必要な夫の生活を支えていたのは、認知症を抱える80代の妻だった。基本的なパウチ交換はできていたが、排便のたびにパウチを交換してしまうことや徘徊で買い物に出たまま家に戻れず、看護師がショッピングモールを探し回ったこともある。また、やかんの火を消し忘れ、訪問時にガスがついたままのこともあった。医療者の視点では「問題」が並ぶ夫婦だった。それでも妻は繰り返し語った。「夫が亡くなるまで、ここにいさせてあげたい。私は夫より一日でも長く生きられればいいんです」。その言葉には、揺るぎない覚悟があった。往診医、看護師、リハビリスタッフ、ケアマネジャー、ヘルパー、家族が何度も話し合いを重ね、夫婦の安全を守るためにそれぞれの訪問時間を調整して夫婦のもとへ訪れた。完璧な生活ではない。それでも、この夫婦は夫が逝去する最期まで自分たちの家で暮らし続けることができた。課題をなくすことが支援のゴールではない。課題を抱えながらも「それでも地域で生きる」力に向き合い、その人の人生を支えることこそが、訪問看護の本質であると深く教えられた事例であった。 2026年1月投稿 NTTプレシジョンメディシン賞 協賛企業: NTTプレシジョンメディシン株式会社業務をまるごとDX。訪問看護ステーション用電子カルテ「モバカルナース」 「島唄が架けた、言葉なき架け橋」 投稿者: 稲葉 実結(いなば みゆ) さん ソフィアメディ訪問看護白金高輪ステーション(東京都) 人工鼻を使用し、発語ができない独居の女性。生来お話し好きだった彼女は、思いが伝わらない苛立ちを、いつも諦めたような首振りと沈黙で終わらせていた。指先の震えから書字も拒み、私たちの間に「言葉」が架かることは一度もなかった。なかなか縮まらない距離に、私自身も無力感を感じる日々が続いていた。転機は、壁に飾られた一枚の海辺の写真だった。ある離島の出身だと知り、次回の訪問時にスマホでその島の「島唄」を流してみた。私が鼻歌を添えると、彼女の手が静かに拍子を取り始め、やがてその瞳から音もなく涙が溢れ落ちた。驚く私に、彼女は両手を合わせ、拝むような仕草を見せた。そして、あれほど拒んでいたホワイトボードを自ら引き寄せ、震える手でゆっくりと記した。「懐かしい」。その日を境に、彼女と「声なき会話」が続くようになった。いまでは、私が転んで作ったアザを笑って、それでいて心配するようになった。言葉の会話はなくとも、沈黙が来ることはなくなった。看護とは病を診るだけでなく、その人の人生が奏でてきた音色に耳を澄ますこと。島唄が架けてくれた小さな絆は、今も私の中で優しく響いている。 2026年1月投稿 東洋羽毛賞 協賛企業: 東洋羽毛工業株式会社ーより良い眠りから、健やかな毎日へー私たちは現場で頑張る訪問看護師の皆様を快適な眠りでサポートします 「また生まれてきたら同じ両親の元へ」 投稿者: 前田 昌紀(まえだ まさき) さん M.Crew訪問看護ステーション(東京都) ある日の訪問の合間、車での移動。バス停で待つ母子を見かけます。男の子は高校生くらい。ニコニコしてお母さんと話しています。その男の子は松葉杖をついていて、片方の足の先がありません。可哀想に…。怪我か病気で失くしたんだろうか…。その後もニコニコとお母さんに話している様子を見て、「頑張って」と心の中で声をかけます。それから、3ヵ月くらい経った頃に近くの大学病院のソーシャルワーカーから訪問看護の新規依頼。17歳の男の子で骨肉腫、肺転移による末期状態の診断。数日後に訪問診療の先生と初回訪問に伺います。「あっ!あの時の男の子だ!」。優しい笑顔で迎え入れる本人に、心の中でつぶやきました。病状が進行する中、「もう一度ラグビーを観に行きたい」。看護師が付き添い、試合を観に行ったり、訪問の先生が、本人が好きな選手のサインを知り合いに頼んでもらってくださいました。徐々に病状が進行し、苦しさから「もう終わりにしたい!」と訴えるようになり、お薬を調整していきました。最期の意識がなくなる寸前に、両親に「ありがとう」と、か細い声で言いました。意識をなくした後に看護師から「また生まれてきたら同じところに生まれて来ようね」との声がけに確かに「うん」と頷き、1時間後に息を引き取りました。数ヵ月後、近くのコンビニでお母さんが働き始め、再会。訪問の合間に寄るといつもカウンター越しにお互い涙を目にためて話しています。 2026年1月投稿 アクリーティブ賞 協賛企業: アクリーティブ株式会社レセプト請求業務の代行を通じ、訪問看護事業者様がよりご利用者様と向き合える環境づくりをご支援します。 「"あたたかさ"で支える」 投稿者: 平林 陵星(ひらばやし りょうせい) さん 訪問看護ステーションこむすび(和歌山県) 「今日はあそこのお店のケーキ。まぁ、なんだかんだ言って、コンビニスイーツが一番ええわな」と、超が付くほどの甘党のAさん。肺がん末期の状態で、在宅酸素や麻薬の持続注射を行っています。病気は進行し、酸素流量は最大量に。大好きなスイーツも受け付けなくなり、呼吸困難を緩和するため浅い鎮静剤の投与が始まりました。そんな矢先、奥様が「看護師さん見て!来週、家の隣にコンビニがオープンするんやって!なんとか行けやんかなぁ」と、チラシを片手に嬉しそうに相談してくれました。Aさんも「オープン日に行こう」と約束。雨予報が快晴に変わったオープン当日。医師の了承を得て、ご家族と私と車椅子に乗ったAさんコンビニへ向かいました。しんどい中でも、Aさんはスイーツ棚をじっと見つめ、自分で欲しいものをカゴに入れていました。イベントのガラガラ抽選会はハズレでしたが、店員さんの粋な計らいで「当たりだよ」と伝えられ景品を獲得。さらに、サプライズで外でご親族が待っていてくれました。皆で数週間ぶりの日なたぼっこを楽しんだ後、選んだスイーツを食べることもできました。数日後、Aさんは穏やかなお顔で旅立たれました。後日、奥様は「あの時、看護師さんだけでなく、あたたかい周りのみんなに支えられました」と話してくれました。あの日の色んな“あたたかさ”は、今でも私の心を照らし続けてくれています。 2025年11月投稿 「無人島に街を!」メディヴァ賞 協賛企業: 株式会社メディヴァ患者視点の医療改革を理念に、医療・介護・予防分野において、革新と価値創造を目指すコンサルティング企業 「理念である『地域の懸け橋』の瞬間」 投稿者: 栗原 拓郎(くりはら たくろう) さん アール・クラ横浜(神奈川県) 新規依頼の問い合わせ。子どものお母さんからだった。療育センターから「呼吸リハビリに詳しい理学療法士がいると聞きまして…」の連絡。エリアを確認すると、訪問の範囲外で片道1時間以上の距離だった。普段なら断るが切実な相談内容に「少し時間をください!」と電話を切る。訪問ができなくても、何か私にできることがあるのではないか…考える。依頼先の近隣にある基幹病院の療法士が、地域ブロックの代表者であることを思い出し相談してみることに。内容を説明すると快く引き継いでくれ病院のOBが訪問看護で働いていると紹介してくれる。OBの方から「知り合いに適任者がいるので紹介します」とさらに繋いでくれる。対応できる療法士が決まり、ご家族から「紹介してもらった方は、昔から療育センターで担当してもらっていた方でした。息子も喜んでいます」との内容だった。訪問エリア外でも地域のネットワークを使い、弊社理念である「地域の懸け橋」を繋いだ瞬間を感じることができた1日だった。 2025年12月投稿 ワールドアベニュー賞 協賛企業: 株式会社ワールドアベニュー海外の看護・医療現場で有給で働ける看護師限定ワーホリや海外正看護師資格取得をサポートしている留学会社です。 「ICTで言葉の壁を超える多文化共生ケア」 投稿者: 小川 祥子(おがわ しょうこ) さん ウィル訪問看護ステーションよこはま北山田(神奈川県) 生後まもない女の子。先天性表皮水疱症。触れるだけで皮膚が剥がれ、感染の不安と隣り合わせの毎日だった。インドネシア国籍の両親は、慣れない日本、言葉の壁、宗教的背景の中で、先が見えない状況の中、ご両親には不安の色が滲んでいた。私たちは翻訳アプリを使い、何度も言葉を探しながら対話を重ねた。伝えたいことが伝わらないもどかしさの中で、よくある質問や不安をまとめたパウチを作成し、「いつでも確認できる安心」を形にした。在宅でのケアは容易ではない。水疱の破疱、入浴、軟膏や被覆材の選択。感染を防ぎたい一方で、過度に守ることで発達を妨げてしまうのではないかという葛藤があった。私たちは「守る」と同時に「育てる」視点を忘れず、医師と密に連携し、見守り下では手先の自由を確保し、指の癒着を防ぐ関わりを続けた。また、ケアの中心から外れがちだった兄にも目を向け、家族全体を看る姿勢を大切にした。MCSを活用し、皮膚状態を共有することで異常の早期発見にもつなげた。退院後半年、感染を起こすことなく自宅での生活が続いている。日々の関わりの中で少しずつ日本語を習得し、簡単な意思表示やコミュニケーションを自らとってくれるようになっている。言葉の壁を越えて相手を知ろうとし続けたことが、不安だった育児を「この子と生きる時間」へと変えていった。 2026年1月投稿 皆さま、おめでとうございます! 入賞作品については、こちらの記事をご覧ください。つたえたい訪問看護の話 受賞エピソード発表!入賞【2026】 編集: NsPace編集部 [no_toc]

非がん疾患の緩和ケアがよく分かる 予後予測・症状緩和・がんとの違い
非がん疾患の緩和ケアがよく分かる 予後予測・症状緩和・がんとの違い
特集
2026年2月17日
2026年2月17日

非がん疾患の緩和ケアがよく分かる 予後予測・症状緩和・がんとの違い

非がん疾患の患者さんに質の高い緩和ケアを届けるための知識・視点を整理。訪問時のケアの実践につながるヒントをお届けします。今回は、東京ふれあい医療生活協同組合 研修・研究センターの平原佐斗司先生に、非がん疾患における緩和ケアの現状、予後予測、苦痛に対する評価法やアプローチの特徴について分かりやすく解説いただきます。 非がん疾患における緩和ケアの現状 緩和ケアは、がんから非がん疾患を含むあらゆる疾患へ、小児から高齢者まで対象が広がっています。そして、緩和ケア病棟だけでなく、在宅・地域を中心として急性期病院や施設など、あらゆるセッティングで提供される、より基本的で包括的なケアへと広がりをみせています。 欧米では、1990年代に非がん疾患患者の終末期に緩和ケアの光が当たっていないことが明らかになり、今世紀に入ってからは非がん疾患の緩和ケアがそれぞれの国の方法で推進されてきました。一方、わが国においては、2010年頃からようやく注目されるようになり、最近になり各領域で非がん疾患の緩和ケアに関する実践・教育・研究で進展がみられるようになってきています。 わが国における緩和ケアの対象 わが国の在宅医療において非がん疾患の緩和ケアの対象として多い疾患は、主に後期高齢者にみられ、以下のとおりです。 臓器不全(非がん性呼吸器疾患〔NMRD〕、心不全、末期腎不全、肝不全) 認知症や脳卒中後遺症 パーキンソン病やパーキンソン関連疾患、筋萎縮性側索硬化症(ALS)などの神経難病 頻度は少ないですが、以下のような対象もあります。 重症の医療的ケア児 トラジション(成人した障害児者) など また、世界に目を向けてみると、アフリカや開発途上国ではHIVや感染症なども緩和ケアの対象となっています。 わが国の非がん疾患の緩和ケアには、がんの緩和ケアとは異なるいくつかの特徴があります。 緩和ケアの対象となる非がん疾患患者の多くは後期高齢者であること 病の軌跡に影響する因子が多様で複雑であるため、がんに比べて予後の予測が困難であること 自律が損なわれたり、同意能力が疑われたりする高齢者や認知症の人が少なくないため、意思決定において困難を伴う場合が少なくないこと 「病の軌跡」とは Lynnらは終末期の疾患軌道を、「がん等のモデル」、「心肺疾患などの臓器不全モデル」、「認知症・老衰モデル」の3つに分類しました(図1)1)。 図1 疾患群別軌道モデル 文献1)より筆者訳 がんの軌道の最大の特徴は、最期の1、2ヵ月で急速に全般的機能が低下することです。臓器不全、特に心不全や非がん性呼吸器疾患などは急性増悪を繰り返し、最後の急性増悪で比較的急な経過で死亡に至ります。認知症・老衰群では、緩やかにスロープを降りるように機能が低下し、やがて死に至ります。高齢者では、この認知症・老衰群が半数近くを占めるといわれています。 このような病の軌跡の違いを反映して、ADL依存となるリスクは、がんで一般の人の約1.5倍、臓器不全群で約3倍、認知症・老衰群では8倍と報告されています。 さて、このような病の軌跡はあくまでも基本であって、疾患や年齢によって異なる特徴があります。例えば、高齢がん患者の場合は、約半数が数ヵ月前より徐々に機能が低下することが分かっています。また、臓器不全群でも透析しない選択(保存的腎臓療法:CKM)をした末期腎不全患者(ESKD)の病の軌跡は、末期がんと類似しており、最後の1、2ヵ月で急速に機能が低下することが明らかになりました。 がんと非がん疾患、予後予測における違い がんの予後予測が比較的可能な理由 病の軌跡の特性は、予後予測の困難さに影響しています。がんは、原発巣や癌種が違っても、症状や臨床経過において一定の共通性・法則性が認められます。そして、その共通性・法則性は、終末期になるほど顕在化するという特徴があります。 これは、がんの基本病態が「自律増殖」と「浸潤・転移」であることに起因します。進行したがんは侵害受容器や神経に浸潤するため、比較的早期から疼痛が出現し、疼痛は増強しながら長期に持続します。そして、原発巣や転移臓器でのがんの増殖により呼吸不全、麻痺、肝不全といった臓器の機能不全を引き起こします。最期には異常な内分泌・代謝状態(悪液質)を来たし、だるさや食思不振、痩せなど、すべてのがんに共通した全身症状が現れます。 このようながんの特性に着目すれば、ある程度の信頼性のある予後予測ツールの開発が可能となるのです。 非がん疾患における予後予測の難しさ 一方、非がん疾患にはもともとの疾患の軌道に共通性がなく、以下に示すように多種多様です。 脳卒中のように突然発症するもの 腎不全や肝不全のように潜在的に進行するもの 心疾患や呼吸器疾患のように急性増悪を繰り返すもの アルツハイマー型認知症のように緩やかに機能が低下するもの ALSのように比較的早く呼吸や嚥下機能が低下し、生命の危機が訪れるもの このように、非がん疾患では、疾患や個人によって機能が低下する部位や臓器、進行の仕方やスピードがさまざまであることに加え、標準治療の実施の有無や本人の治療選択など、病態以外の因子が病の軌跡に大きく影響します。その結果、非がん疾患では月単位、週単位の予後予測は困難で、信頼性の高い予後予測ツールは開発できていません。 また、緩和ケアの対象となる非がん疾患患者の多くは後期高齢者であり、ほとんどがmultimorbidity(多疾患併存状態)であるため、予後に関係する疾患が複数あり、経過の中で主病名が入れ替わることも珍しくはありません。multimorbidityの高齢者のエンドオブライフ(EOL)期では、疾患ごとの予後予測指標はあてにならないことが多いのです。 そのため近年では、正確な予後予測を求めるのではなく、緩和ケアが必要と考えられる対象者を疾患にかかわらず、適切なタイミングで同定することに主眼が置かれるようになってきました。この目的のために、「GSF-PIG」や「SPICT」のようなさまざまなツールが開発されています。 苦痛の客観的評価法の有用性 非がん疾患では、緩和すべき苦痛ががんとは異なる場合があります。がんでは疼痛が最大の課題であるのに対して、多くの非がん疾患では「呼吸困難」や「摂食・嚥下障害」が最大の課題と考えられています。 高齢で認知症を合併することが多い非がん疾患患者の苦痛の評価においては、がんで用いられる「NRS」(痛みのスケール)といった主観的評価法や、「IPOS」などの複雑な総合評価は、実用的ではないことが少なくありません。 認知症高齢者など、自ら苦痛をはっきり訴えられない非がん疾患患者に対しては、苦痛の客観的評価法が有用です。欧米ではこうした評価法が実際の臨床現場で広く用いられていますが、わが国においてはその普及は十分でありません。 痛みの客観的評価法 海外では、痛みの客観的評価法として30以上のスケールが開発されていますが、日常使いができる程度の項目数(数項目程度)であり、日本語版が開発されているものとなると、以下のものに絞られます。 日本語版PAINAD アビー痛みスケール日本語版 呼吸困難の客観的評価法 呼吸困難の客観的評価法は、痛みの客観的評価法ほど多くは開発されていません。その中でゴールドスタンダードとされるのは8項目からなる「RDOS」で、日本語版も開発されています。近年、RDOSよりも簡便な呼吸困難の客観的評価法としてmodRDOS-4が開発され、筆者がその日本語版である「日本語版modRDOS-4」を開発しています。 このような、客観的評価法を積極的に使用することで、高齢者や認知症の人の苦痛に早期に気付くことが可能となります。 症状緩和に対する薬剤的アプローチの特徴 症状緩和の考え方や方法については、がんと非がん疾患では共通点もありますが、異なる点も多くあります。 非がん疾患、とりわけ心不全などの臓器不全群では、症状緩和のためにも標準的な疾患の治療とケアを最期まで継続することが重要になります。 オピオイドの使用について 症状緩和のための薬剤的アプローチにおいても、がんと非がんにはさまざまな違いがあります。例えば疼痛に対するオピオイド使用量は、がんでは痛みに応じて上限なく増量していくわけですが、非がん疾患の投与量はモルヒネ換算で最大60mg、多くても90mgまでとします。また、がんの場合と異なり、ケミカルコーピング防止の観点から疼痛に対するレスキューの使用は推奨されません。 一方、非がん疾患の呼吸困難に対するオピオイドの使用は、基本的には疾患に対する治療を最大限行っても緩和されない場合に考慮され、多くはモルヒネ換算1日10mgまでの少量で呼吸困難緩和の効果が期待できます。 緩和ケアの対象となるESKDではモルヒネの投与は、透析をしていない場合はほぼ禁忌と考えられます。腎機能の影響が少ないオキシコドンや、影響がほとんどないブプレノルフィン、フェンタニルが選択されます。心不全に腎不全を合併した状態(心腎症候群)や、肝不全に腎不全を合併した状態(肝腎症候群)などでも同様に、基本的にモルヒネ以外の薬剤の選択が必要になります。 そのほかの薬剤的アプローチについて オピオイド以外の鎮痛薬では、腎不全や心不全ではNSAIDsは基本的に避けるべきで、アセトアミノフェンの使用が推奨されます。 末期がんでは終末期の食思不振やだるさに対してステロイドを使用する場合がありますが、心不全などの非がん疾患ではステロイドは水分貯留に働く可能性があるため、基本的には使用しません。 非がん疾患の緩和ケアの今後 非がん疾患の苦痛に対する薬剤的アプローチは、緩和ケアのごく一部です。非がん疾患の中でも心不全、NMRD、ESKDなどの臓器不全群では緩和のための薬剤選択は比較的重要です。しかし、認知症や神経難病などの緩和ケアにおいては、日々の看護やケア、リハビリテーションの質そのものが、そのまま緩和ケアの質につながると考えます。 非がん疾患の緩和ケアはこの数年、研究面では一定の進歩がありました。しかし、がんと比べて全体的に教育・実践のレベルや制度においてはまだまだ課題があるといえるでしょう。 これから始まるこのシリーズでは、主要な非がん疾患の緩和ケアについて学んでいければと思います。 本文で使用した略語一覧(本文登場順)NMRD:non-malignant respiratory disease(非がん性呼吸器疾患)ALS:amyotrophic lateral sclerosis(筋萎縮性側索硬化症)HIV:human immunodeficiency virus(ヒト免疫不全ウィルス)ADL:activities of daily living(日常生活動作)CKM:conservative kidney management(保存的腎臓療法)ESKD:end stage kidney disease(末期腎不全患者)EOL:end of life(エンドオブライフ)GSF-PIG:GSF-prognostic indicator guidanceSPICT:supportive and palliative care indicator toolNRS:numerical rating scale(数値的評価スケール)IPOS:integrated palliative care outcome scalePAINAD:pain assessment in advanced dementia scaleRDOS:respiratory distress observation scaleNSAIDs:non-steroidal anti-inflammatory drugs(非ステロイド性抗炎症薬) 執筆:平原 佐斗司東京ふれあい医療生活協同組合 研修・研究センター 1987年に島根大学医学部卒。現在、東京ふれあい医療生活協同組合 研修・研究センター長ならびに、同オレンジほっとクリニック 地域連携型認知症疾患医療センター長として在宅医療、認知症診療に従事。専門は、在宅医療、非がん疾患の緩和ケアで、研修・研究センターでは在宅医療専門医・指導医として、多くの在宅専門医の育成を行う。学会活動では、日本在宅医療連合学会 代表理事、日本認知症の人の緩和ケア学会 理事長、日本エンドオブライフケア学会 副理事長を務めている。 編集:株式会社照林社 【引用文献】1) Lynn J:Perspectives on care at the close of life. Serving patients who may die soon and their families.The role of hospice and other services.JAMA 2001;285(7):925-932.

忘れられない思い出エピソード【つたえたい訪問看護の話】
忘れられない思い出エピソード【つたえたい訪問看護の話】
特集
2025年12月2日
2025年12月2日

忘れられない思い出エピソード【つたえたい訪問看護の話】

訪問看護師の仕事は、人との出会いの連続です。「みんなの訪問看護アワード2023」に寄せられた投稿から、そうした出会いの中で、今でも忘れることができない利用者さんやご家族に関わるエピソードを4つご紹介します。 「ラブレターと、家で叶った2人の外出」 健やかなる時も病めるときも…。夫婦になる際の誓いの言葉を、最後まで行動で示す夫婦愛に感動するエピソードです。 仲良し夫婦の妻が入院。お見舞いに制限ある中、夫は「あなたが家にいなくて寂しい。元気になって帰ってきてください」と手紙を送る。入院中に胃ろう造設。手技が定着しないまま退院。訪問看護とリハが関わる。訪問看護師の指導で夫は胃ろうの手技をマスター。リハでの離床・移乗練習も行い、車いすで近所の公園に外出。2人で桜を見て満面の笑顔。妻はその後しばらくしてご逝去されたが、夫は最期をともに過ごせて安堵した表情がとても印象的でした。 2023年2月投稿 「最期の直前に電話してくださって眠るように旅立たれたAさん」 最期まで自分の生き方を全うした利用者さんが印象に残るエピソードです。 奥様が他界されてからは、独居のAさん。心不全で在宅酸素療法、尿道留置カテーテルを挿入している90代の方。今まで緊急訪問や救急搬送での入退院がたびたびありました。独居生活も厳しくその都度話し合いを重ねてきましたが主治医にはどうか自宅で看取ってくださいと懇願しておられました。Aさんは亡くなる当日の朝ご飯も食べ、ヘルパーさんに調子悪いので昼来て欲しいと言われました。午後看護師につらいので来てほしいと電話があり30分後に駆けつけました。携帯電話を握りしめまるで眠っておられるように安らかな最期でした。私たちの心配をよそに、きれいに安らかに旅立たれたAさん。最期まで希望を持って生き抜いたAさん。言葉で言い表せないことを教えていただきました。 2022年12月投稿 「白いごはんが食べたい」 大切な思い出は疾患を凌駕する原動力にもなると思い知らされるエピソードです。 アルツハイマー型認知症、脳梗塞後の80代女性で、娘さんと仲の良い方だった。こちらの言っていることは理解できていたが、自ら主体的に動くことはなく文字通りされるがままの様子だった。入院先の病院では食べる力はあるものの、食べることをやめていたのか食事がまったく進まなかったようである。娘さんから女性は畑仕事が好きだったこと、仕事に向かう旦那さんには両手に収まらない程の大きなオニギリを作って仕事に送り出していたことを聞き、自宅でゆっくり関われば食べる力を取り戻すと信じ、娘さんと一緒に食事を口元に運び続けた。訪問を続けたある日。「白いごはんが食べたい」と、その女性ははっきりと口にした。そのうちに表情が戻り、箸を使って食事を食べるようになった。あの日、驚き娘さんと顔を見合わせ、手を叩いて喜んだことは今でも忘れられない。 2023年2月投稿 「2人の時間を今も内緒にしていること。」 前向きに笑顔で疾患に立ち向かうことを約束した二人だからこそ、儚くも代えがたい大切な時間をつくれたのかもしれませんね。 訪問看護1年目(26歳)、初めての癌末期自宅での看取りでした。(70代女性)先輩と2人で同行訪問して、利用者様からいただいた初めての言葉は「あなたもっと笑いなさい。こっちはこういう状況でただでさえ暗くなるのに余計暗くなるわ」と。訪問が初めてな上、利用者様に言われた言葉は重く訪問する度に私自身気まずい想いでした。その後は訪問にも慣れ、プライベートな話を沢山し笑い合いました。(私の恋愛や仕事、利用者様の若い時の話等)ある時は、利用者様の旦那様に関しての愚痴や感謝していること。ある時は当時流行っていた加工アプリで一緒に写真を撮ったり、マニキュアを塗ったりと病院では考えられない看護をしていたと当時は思いました。最期が近くなってお酒好きということもあり、ご本人様希望で、往診医、先輩、利用者様家族皆でお酒を飲みながら晩酌をしました。それから2週間程で息を引き取りました。あれから数年経ちましたが今でも1番印象に残っている利用者様で、たまに写真を見返し嫌なことがあった時は当時を思い出し活力をいただいています。 2023年2月投稿 いつまでも心の中に生きる姿 「人生で印象的だった場面を思い出してください」。そう言われて思い出すことができる出来事はどのくらいあるでしょう。訪問看護師は、人の感情が大きく揺れ動く場面に遭遇する機会が多い仕事。ぜひ、一つひとつの出会いを大事にしていきたいものですね。 編集: 合同会社ヘルメース イラスト: 藤井 昌子 

つたえたい訪問看護の話 受賞エピソード発表!入賞【2025】
つたえたい訪問看護の話 受賞エピソード発表!入賞【2025】
特集
2025年3月11日
2025年3月11日

つたえたい訪問看護の話 受賞エピソード発表!入賞【2025】

NsPaceの特別イベント「第3回 みんなの訪問看護アワード」で募集した「つたえたい訪問看護の話」。厳正な審査を経て、受賞作品が決定しました。本記事では、入賞エピソード16件をご紹介します! 大賞・審査員特別賞・ホープ賞・協賛企業賞はこちらつたえたい訪問看護の話 受賞エピソード発表!大賞・審査員特別賞・ホープ賞・協賛企業賞【2025】 「看護の灯」 投稿者: 饗庭 康太朗(あいば こうたろう) さん TSUKASA訪問看護ステーション(神奈川県) 玄関のチャイムは壊れている。引き戸を開けると目前に階段が現れ、埃が掃除しきれない階段を、スリッパの形についた足跡を辿り2階にあがる。そこらかしこに積み上げられた本がFさんの人生を物語る。ながらく編集者として活躍されたのち、様々な会社の社史を担当したFさん。決して人付き合いが上手い人ではなく、遠方に住む娘さんとの関係性も良好とは言い難かったが、ウィットにとんだ会話と、なんとも言えない浮世離れした雰囲気は地域の皆に好かれていた。肺がんが末期となり、Fさんの療養生活を少しでも快適にしようとN看護師は根気よく取り組んでいた。生活に寄り添うN看護師のナーシングは親子のわだかまりも少しずつ解いていった。Fさんが亡くなったあとの娘さんからの手紙にはこうかかれていた。「最後に父にあった日、アパートの門灯をつけておいてくださったのはNさんかと思います。あの暖かい灯を一生忘れません。」スイッチひとつの気遣いだ。そこには確かに看護の技がひかっていた。 2025年1月投稿 「訪問看護の『正解』とは」 投稿者: 有川 美紀(ありかわ みき) さん 八幡医師会訪問看護ステーション(福岡県) Nさんと奥様との出会いは今から1年前になります。その数か月前にALSと診断を受けられ、初めて会った時はすでに多くの介助が必要な状態でした。進行は早く、当初より「人工呼吸器は絶対につけない」と強い意志をお持ちでした。元々大きな会社の管理職をされていたこともあってか、弱音を吐くことなくいつも毅然としておられ、スタッフを笑わせてくれていました。しかし、リハビリに対しては前向きになれず、ベッド上での生活となっており、ALSという病気を受け入れることができていない様子がうかがえていました。そんな時訪問診療の先生より「ALS患者家族の交流会」のお知らせがありました。やはり「絶対に行かない」とのことでしたが、スタッフでどうしたら参加できるのか話し合いを重ねました。不安に対して一つ一つ解決策を考え、参加したいという奥様のお気持ちを伝え何とか説得することができました。当日会場で「妻に迷惑だけはかけたくない。これから恩返しをしようと思っていた時だったのに」と心の内を明かされ涙されました。先日Nさんは肺炎を起こし永眠されました。奥様から「あなた達に出会えて本当に良かった。主人はとっても幸せだったと思う」と言われました。訪問看護では、正解が分からず本当にこの関わりで良かったのかと考えることが多々あります。しかし奥様のこの言葉で「よし!また頑張ろう!」と元気と勇気をいただきました。 2025年1月投稿 「訪問看護の魅力を伝えてくださったお嫁さん」 投稿者: 五十嵐 いずみ(いがらし いずみ) さん リハビリこんぱす訪問看護ステーション(埼玉県) 先日、ある病院の地域懇談会に出席しました。終了後、ほかの事業所の訪問看護師に声をかけられました。見覚えがなく、「誰だったかしら」と思っていると、「おばあちゃんがお世話になっていました」と。なんと、私が訪問看護1年目(20年以上前)に担当していた方のお孫さんでした。「母が、『訪問看護はいい仕事よ。私は訪問看護さんに救われたの』と、私に訪問看護を勧めてくれたんです」と。その利用者は認知症があり、苦悩する介護者のお嫁さんに3年間伴走したのです。聞くと、お母様は昨年亡くなったとのこと。私が提供した訪問看護が、介護者の心に残って、娘に訪問看護の魅力を伝えてくれたことは、驚きでした。が、とてもうれしくて、温かい気持ちになりました。 2025年1月投稿 「とびきりの薬になった花見」 投稿者: 植村 優衣(うえむら ゆい) さん 訪問看護ステーションハートフリーやすらぎ(大阪府) 新卒から訪問看護師になり、夜間待機を始めた頃、明け方4時に電話がなった。Aさんから息苦しさの訴えで臨時訪問の依頼だった。その時の私はとにかく緊張と不安でいっぱいだった。というのも、Aさんは、契約はしていたが、初回訪問は緊急電話があった日の夕方だったため、何も情報がわからなかった。真っ暗の中、地図を頼りに家を探すところから始まった。なんとかたどり着くと、不安で申し訳なさそうなAさんの家族が迎えてくれた。肺炎を起こしていたため、連日の抗生剤治療が始まったが、軽快する様子がなかった。その時、家族から、Aさんは広島出身で原爆を経験し辛い経験が多かったから、「少しでも今を幸せな時間にしたい。桜を見せに行きたい」と相談があった。主治医からは、現状では外出は控えてと言われたが、何度も相談をし、外出許可をもらった。すぐに、ケアマネに、リクライニング車椅子を手配してもらい、「当日はカメラマンとして同行する」と協力してもらった。理学療法士に相談すると、「出発前に呼吸リハを行って呼吸状態を整えよう。移動は男手がいるから一緒に行くよ」と話してくれた。とんとん拍子で話がまとまり、無事に花見を迎えられた。その後、驚くことにAさんの肺炎は軽快し、花見がとびきりの薬になっていた。今でも家族と会うと、「桜を見に行けて良かった」と話してくれる。ドキドキから始まった出会いだったが、ホッと心温まる看護を行えた経験である。 2025年1月投稿 「五臓六腑に染み渡る」 投稿者: 大日向 麻子(おおひなた まこ) さん 訪問看護ステーションリカバリー 東村山事務所(東京都) 「食べられない。これがどんなに辛いことか、わかるか?」心臓を掴まれた気がした。初めて会った日に交わした最初の会話。咽頭癌末期、胃瘻造設し経口摂取禁止の指示で帰宅されたSさん。「悔しい」と歯を食い縛るSさんを、家族が宥める。私が関われるのはほんの少しの時間、ご家族はここから毎日どんな思いでこのやりとりをすることになるだろう。ある日の訪問、Sさんが「あんた、好きな物あるか」と呟いた。「うーん、悩みますね。でも、特別美味しいと思うのは愛がこもった料理ですよね」と伝えると「だよなぁ」とにやり。初めて笑った!と感動したと同時に、「愛のこもった料理」に対して笑顔を見せてくれたということは…。「もしかして、奥様の料理が一番の食べたいものですか?」しばらくの沈黙があり、「そうだな」と話すSさんに、ミキサー状にすれば奥様のお料理も注入できることをお伝えすると、すぐに実践。「おまえのご飯が、食べたかったんだ。これが本当の五臓六腑に染み渡るだな」プロポーズ以来の素直な言葉に奥様は笑い泣き。その後、奥様は手作りご飯をよく作るようになり、Sさんは来る人来る人に「これ愛妻ごはんなんだよ」と私たちにも笑顔をくれた。食べることは、生きること。その人にとっての「食べたいもの」は、もしかすると味や風味より、大事なものがあるのかもしれない。Sさんが教えてくれた、大切な学びです。 2025年1月投稿 「パティシエナースが未来を笑顔にする。」 投稿者: 佐藤 律子(さとう りつこ) さん 訪問看護・リハビリステーション 在宅看護センター北九州(福岡県) 「僕の誕生日にケーキ作りがしたい」とその子はそっと話してくれた。特別支援学校へ通うH君17歳の誕生日は来週だった。平日は学校併設の寮に入り週末だけ自宅に帰る生活を送る。多動性障害、知的障害があり社会との関わり方や人間関係、性教育等の支援を訪問看護で行っていた。父子家庭であり父親と祖母との生活の中、H君がケーキを作りたい理由は、今までの父親、祖母への「感謝」を形にしたいからだと教えてくれた。誕生日当日は、真っ白のスポンジケーキの土台に家族の大好きな苺とマスカットやチョコレート、生クリームのトッピングを準備しH君は一生懸命ケーキを作った。もともと工芸や絵の得意なH君は、とても綺麗にそして鮮やかに一つ一つを丁寧に仕上げて完成。完成したケーキを持ち「大好きなお父さん、おばあちゃん。いつもありがとう。」と感謝の言葉を伝えることが出来た。父親と祖母は大変驚き、感動し涙を流して喜ばれた。その後の3人で最高の笑顔でケーキを食べている姿は忘れる事が出来ない。私は、看護師になる前15年間パティシエとして働いた後に看護師へ転職。今回、看護師とパティシエをコラボさせて自立支援の一環とし支援する事で、利用者のみではなく利用者家族の幸せも感じることが出来た。また、私自身も今まで培った知識や技術が活かされただけではなく、これからはパティシエと看護師を組み合わせて多くの笑顔を引き出せるパティシエナースになると強く思う。 2025年1月投稿 「おとうさんの、宝物。」 投稿者: 篠原 真菜美(しのはら まなみ) さん 正峰会訪問看護ステーション(兵庫県) ALSを患った70代女性の利用者さん。ご主人と2人暮らしです。少しずつ病状が進み、身体を思うように動かすこと、話すことが難しくなり、吸引などの処置が増えていきました。ずっと側にいていつも支えてくれているご主人に、普段言えない感謝の気持ちを、Sさんの今できる力を使ってお手紙にしてみたらどうだろうか、と先輩看護師の言葉を受け、Sさんに提案してみました。上手く文字が書けるかどうか不安がありつつも、「書く」と言われたSさん。病状の進行に伴い、車椅子にしっかり座っていることや、マジックペンを持つことも大変ですが、ぎゅっと握りしめ、一生懸命に想いを文字に乗せ、画用紙いっぱいに書き綴られました。ご主人が定期的に歯科受診で外出される時間に書く機会を一緒に作り、密かに少しずつ書きすすめられました。そして遂に、ご主人・家族への想いがたくさん詰まったお手紙が完成しました。そこには沢山の感謝と、"おとうさん 大すきですよ"の言葉がありました。家族が集合し、お手紙を渡した次の日の朝、Sさんは、眠るように息を引き取られました。「大すきだなんて…初めて言われたわ!これは、わしの、たからもんや!!」と、ご主人は涙を流しながらも、笑顔でそう言われました。 2025年1月投稿 「司令塔が遺したもの」 投稿者: 立川 尚子(たちかわ なおこ) さん 共立女子大学 看護学部(東京都) Aさんが奥さんを看取った後の某日、グリーフケアへうかがった。山積みになったアルバムを広げ、結婚式からエピソードを語るAさんの笑顔からは、訪問看護が入った当初の憤慨や困惑を思い出せないくらいだった。「あいつが最期に俺に遺してくれたのはさ、生活する力だね」家族の指令塔だった奥さんの余命宣告は、昭和生まれの男の人生へ大きな混乱をもたらしたけれど看取りまでの在宅生活では、二人で喧嘩しながら料理や洗濯ができるようになった。整理整頓された居間の奥から、奥さんの声が聞こえてほしい。「良くやってるじゃん」って。 2024年12月投稿 「1ヶ月の奇跡」 投稿者: 西田 歩惟(にしだ あい) さん 香住ヶ丘リハビリ訪問看護ステーション(福岡県) 「家に帰りたいけど家族には迷惑かけられない」「連れて帰りたいけど病院にいる方が安心」病棟で働いていた時に、よく耳にした。その方とその家族の力になりたいと思い、私は訪問看護に進んだ。Iさんは終末期癌。独居、家族は遠方にお姉さんが一人。カニューレや点滴管理、清潔支援で1日3回の訪問。最期は家で過ごすと決めていたIさん。在宅生活が厳しくなり、医師が入院を勧めたが頑なに断り、看護師がお姉さんに来てもらうように声をかけた。Iさんは頷いたが「私達姉妹には確執がある」と表情を強張らせた。お姉さんも同じ言葉を口にされ、入院させるべきか、妹の意思を尊重するべきか、煮え切らない気持ちで過ごされていた。スタッフ皆が処置やケアの合間で時間を設け、寄り添いながら関わった。ある日私が訪問すると、お姉さんは涙ながらに「妹の意思を貫くって決めた」と言った。全力でサポートします!と伝えると、笑顔で頷かれた。その2日後、Iさんは穏やかな表情で永眠され、優しい眼差しで見送るお姉さんの姿があった。あれから3年。お姉さんより『皆様に勇気を戴いた』『在宅で過ごした時間は奇跡のよう』と、今も感謝の言葉が届く。Iさんが望んだ家で、お姉さんと共に生きたこと。訪問看護師の存在が、最期まで在宅で過ごす架け橋になったこと。私の初心を照らしてくれる大切な経験となった。 2025年1月投稿 「家族写真」 投稿者: 原田 三樹子(はらだ みきこ) さん 青山訪問看護ステーション(愛知県) 「看護師さんが来てくれると嬉しくて安心するよ」と毎回涙目で迎えてくれるAさん。ほとんど口から食べることもできなくなり、点滴が命綱の胃がん末期の70歳男性。とても笑顔が素敵だ。奥さんのことを○○ちゃんと呼ぶほど仲良し。ある訪問で「本当は家族写真を撮りに写真館に行きたいんだ。自分の目標にしたいんだ」と教えてくれた。「でも点滴があるからいけないよね」点滴スタンドにセットしバックに入れて持ち運べることを提案すると「わー行かれる。手伝ってくれる?」と。当日、奥さんはすでにきれいな着物を着ており、Aさんは素敵なスーツに着替える。点滴をスタンドにセットし目立たないような色の紙袋に入れ、送り出す。後日「記念に紙袋も撮ってもらったよ」と笑いながら言っていた。写真の中のAさんは家族に囲まれ、とびきりの笑顔だった。そこから芋ほり、孫の誕生日会、自分の誕生日と、どんどん目標を更新していった。ただ、最後の目標である自分の誕生日には二日届かず、亡くなってしまった。お参りに伺うと、あの時撮った写真が遺影になっていた。同じように笑顔で家族を見守っている。 2025年1月投稿 「桜の約束」 投稿者: 古川 莉沙(ふるかわ りさ) さん ヒーリングケア訪問看護ステーションみなと(大阪府) 90代男性Sさん。訪問介入当初は、声をかけても開眼する事なく無表情で寝たきり状態でした。半年前に桜を見に外に行ったのが最後だと息子さんがお話しされていて「来年も桜一緒に見に行きましょうね!」と言っても「行かん。もうやり残した事ない。死ぬだけ」と断固拒否でした。日々介入していく中で、少しずつではありましたが目を開けてくれるようになり、帰る時には「ありがとう」と言ってくれるようになりました。そのたった一言だけでも最初は嬉しくて感動していました。秋になり、紅葉が綺麗ですよとお話しすると、「紅葉を見に行きたい」と言ってくれて、大きすぎる進歩だと思いました。ケアマネージャーさんやヘルパーさんにも相談して、身体がしんどくない時に車椅子で紅葉を見に行けるよう調整していましたが…なかなか行けず。でもどうにかして秋を感じて欲しい…と考えに考えているうちに私はひらめきました。"紅葉を持っていけばいいんだ"と。綺麗に咲いていた紅葉を2枚持って行くと、涙を浮かべながら「ありがとう、姉ちゃん…」と言ってくれていつでも見えるところに飾ってくれました。そして、来年一緒に桜を見る約束が出来ました。看護師として体調管理はもちろんですが、それだけではなく、少しでも利用者さんの生きる活力になれるような、「まだ元気で過ごしたい」そう思ってもらえるような関わりをしていきたいです。 2025年1月投稿 「私たちの足跡は残さない」 投稿者: 松橋 久恵(まつはし ひさえ) さん 訪問看護ステーションそら(東京都) ある女性との出会いです。がんの症状が出現したため訪問看護が始まり、症状緩和、生活の工夫、家族支援を模索しながら訪問していました。女性は薬の管理が負担だったので、薬カレンダーを使おうと思いました。しかし部屋は子供の写真や絵が一杯で、薬カレンダーは相応しくありません。そこで薬をファイルにセットして本棚に入れました。女性は子供が学校にいる時間に訪問を希望しました。私は訪問の形跡を残さないよう努めました。女性はよく家族への思いを話し、「手紙を残したい」とも話していました。字を書くことが難しくなりそうなときに手紙について尋ねると「なんとなく書けない」とのことで、私が聞いてきた話を文章にする承諾をもらいました。それから数日後に家族に見守られながら息を引き取り、家族に文章を渡しました。病気が進行しても、いつもの暮らしを維持することを考え、希望を叶える手伝いをすることが大事だと教えてもらった出会いでした。 2025年1月投稿 「最後の約束」 投稿者: 松元 春華(まつもと はるか) さん 楽らくサポートセンター レスピケアナース(福岡県) 往診医の要請を受け、夜間の呼吸状態急変に対して緊急訪問した時のことです。終末期にある女性の利用者さんで、苦痛を緩和するため、鎮静剤の投与を検討されていた時期でした。到着した時は、既に朦朧とした意識の中で一生懸命呼吸する彼女を、大学を休んでお母さんに会いに来ていた息子さんとご主人が、心配そうに気遣っているところでした。往診医が到着し、ご家族と相談して鎮静剤の投与が決定したその時です。息子さんが「ちょっとだけ待ってください!」と、席を外されました。そして次に現れた時、息子さんはスクラブを着て、首から聴診器を下げた、“医者”の姿をしていたのです。県外の医大に通っていた息子さんは、彼女の前に立ち、「お母さん見て。僕が医者になった時の姿だよ!」と、鎮静を開始する前のお母さんに、彼女が見ることのできない、将来の自分の姿を見せてくれました。虚ろな目で息子を見る彼女の手を取り、息子さんは「立派な医者になって、お母さんみたいな人をたくさん救うからね」と、声を震わせながら何度も何度も約束したのです。とても尊いそんな時間を過ごした数日後、彼女は息を引き取りました。夢に向かう息子さんのこれからに、色んな想いを込めながらした、母との最後の約束が、力を与えてくれるよう願っています。 2025年1月投稿 「仲良し夫婦」 投稿者: 水島 真由美(みずしま まゆみ) さん 訪問看護ステーションひだまり(京都府) Aさん御夫婦。長年連れ添ってほぼ同じタイミングで、同じ胃癌。余命宣告。長年一緒に過ごした自宅に帰りたい。との気持ちを大切に大急ぎで在宅調整し退院してこられました。初めましての挨拶からすぐにケアが始まりました。御夫婦は日当たりのいい部屋にレンタルのベッドを並べほっと一息。二人で一緒に逝けたらな…と言うご主人の言葉でしたがその日のうちに奥様の容態が急変。帰らぬ人になりました。はじめはご主人も気持ちの整理がつかず点滴の合間に葬儀などが慌ただしく終わりました。すぐに奥様のところにと言う言葉もありましたが悲しみのまま残された時間を過ごしてほしくないと思いました。奥様との思い出、ご主人の好きなことなどたくさんお話をして少し先に逝った奥様へのお土産話をたくさん作りましょうと、声をかけ少しずつあれが食べたい、何をしたいと希望をおっしゃってくれるようになりました。奥様を見送ってひとつき。そろそろかな。今月が終わったら奥さんに会いに行くと笑顔で話され、もう少しお土産話作りましょうねと声をかけましたが、本当にその月の最終日に穏やかに息を引き取られました。その穏やかな顔をみて人生の最終段階、少しでも悲しみではなく穏やかな気持ちでその日を迎えられるよう身体も心も支えていける訪問看護師であろうと改めて誓った出会いでした。 2024年12月投稿 「思いに寄り添う訪問看護」 投稿者: 吉崎 由希子(よしざき ゆきこ) さん 医療法人社団成美会 訪問看護ステーションあさがお(茨城県) 定年を迎え、妻と旅行を楽しもうとしていた矢先、病院で末期の食道癌と診断されたAさん。転移があり医師から治療は困難と、セカンドオピニオンでも診断は変わらず。訪問診療と共に訪問看護も介入し、連日訪問。【また家族で出かけたい】との思いを叶える為、DRはIVHポート挿入、栄養状態が改善。輸液をバッグに入れ、家族とドライブ、ふきのとう狩り、山菜取り等に外出し思いが叶ったと。在宅では、愛する妻がそばにいて、子供たちに毎日会え、孫は保育園から帰るとジイジの頬にチュッとパワーを注入。愛犬も家族、常に一緒の生活が幸せと。ある日Aさんより「吉崎さん、お願いがあるんだ。絶対俺が痛んだり苦しんだりする事が無いようにしてくれな。吉崎さんの事は俺がちゃんと天国に連れてってやるからな」と死を受容しての言葉。疼痛にはPCAを使用。苦痛は最小限に在宅で大好きな家族と毎日Aさんらしく生活できるよう訪問しました。大好きな家族、妻、子供、孫、愛犬に見守られ、穏やかな最期でした。エンゼルケアは家族と泣き笑いながら、生前に決めていた素敵なスーツに着替えました。その後も残された家族に会いに行き、車ですれ違えば大きく手を振り合っています。私が亡くなったらAさんに会え、Aさんが私を天国に連れて行ってくれます。その時まで、私は訪問看護師をしながら、Aさんのように自分らしく精一杯生き抜こうと思います。 2025年1月投稿 「今日は〇点!」 投稿者: 渡邉 凪沙(わたなべ なぎさ) さん セコム大田訪問看護ステーション(東京都) これは私が新卒で訪問看護ステーションに就職し1ヶ月経った頃、初めて入浴介助を行ったFさんの話です。Fさんは80代の男性です。若いころからお風呂が大好きで、湯船に浸かった時には歌を歌い、「気持ちよかったぁ」と言いながら上がるのがお決まりでした。私が初めて入浴介助を行ったとき、部屋に戻るとFさんが突然「今日は80点!」と言いました。何についてかと聞くと介助に対しての点数でした。減点の理由は、頭をもっと強く洗ってほしい、ここが洗い足りない・流したりないなどでした。このとき私は、次は絶対に100点を取るぞ!と心に決め、教えていただいたところを特に気を付け介助しました。すぐに100点とはならず、今日はここが物足りなかったなど、毎回教えていただき、4回目の訪問でついに「今日は100点!」をもらうことが出来ました。私はこれを通して、自分の勉強や練習だけではなく、利用者さんにも成長させていただける訪問看護はとても魅力的だと感じました。未熟な私に、根気強く教えていただいたFさんに感謝しながら、これからも、一人前の訪問看護師になれるように頑張りたいと思います。 2025年1月投稿 * * * 皆さま、おめでとうございます!今後、「みんなの訪問看護アワード」表彰式の様子をご紹介する記事や、大賞・審査員特別賞・ホープ賞を受賞したエピソードの漫画記事も順次公開予定です。ぜひご覧ください。 編集: NsPace編集部 [no_toc]

【3月11日up】つたえたい訪問看護の話 受賞エピソード発表!大賞・審査員特別賞・ホープ賞・協賛企業賞【2025】
【3月11日up】つたえたい訪問看護の話 受賞エピソード発表!大賞・審査員特別賞・ホープ賞・協賛企業賞【2025】
特集
2025年3月11日
2025年3月11日

つたえたい訪問看護の話 受賞エピソード発表!大賞・審査員特別賞・ホープ賞・協賛企業賞【2025】

NsPaceの特別イベント「第3回 みんなの訪問看護アワード」で募集した「つたえたい訪問看護の話」。厳正な審査を経て、受賞作品が決定しましたので発表いたします。本記事では、大賞1件、審査員特別賞3件、ホープ賞1件、協賛企業賞5件のエピソードをご紹介します! 「お母さん~看護の襷をつなぐということ~」 投稿者: 木戸 恵子(きど けいこ)さん 株式会社ウッディ 訪問看護ステーションはーと(東京都) 浦安にある、とある病室での20時半すぎ。重い空気が流れるカンファレンスが行われていた。患者さんは、31歳のえみさん。肺がんで12L/分の酸素投与をうけている。えみさんは、涙ながらに、家に帰りたいと医師に訴えていた。えみさんは、1~7歳までの4人お子さんをもつお母さん。憧れの東京ディズニーランドに行くため家族で宮崎から上京した。途中、機内で呼吸困難が出現。着陸後、病院に運ばれた。急展開の中、子供たちと別れた。「お母さん、お母さん」と子供たちの泣く声が聞こえた。必要な治療と厳しいICを受けた。宮崎に帰る体力は乏しく、予断の許さない命と説明されたが、えみさんの強い意思と覚悟に医療者も心揺れた。療養の場は在宅医療と訪問看護へと襷(たすき)が渡った。帰郷を目標に在宅で3日間体調を整える。緩和ケアだけではなく、身体と心に栄養を蓄える。看護師は精一杯、気力を高める手当てをした。一方、静岡・神戸・岡山・宮崎の訪問看護の仲間の協力を仰ぎ陸路帰郷に決定、準備に入った。サロンカーに酸素ボンベを25本備え、エアマットを敷いた。在宅医師と看護師が同乗し宮崎を目指して出発した。20時間後、えみさんの笑顔は子供たちの中にあった。「お母さん、お母さん」とはしゃぐ声が聞こえる。在宅医療と訪問看護は地元のステーションへ襷がつながった。長い1200kmであり、貴重な5日間となった。翌日、えみさんは家族に囲まれ旅立った。 2025年1月投稿 「ハッピーライフ通信を活用してから意味のある看看連携ができた」 投稿者: 大橋 奈美(おおはし なみ) さん 訪問看護ステーションハートフリーやすらぎ(大阪府) ハッピーライフ通信は、退院後、訪問看護の現場を経験していない病院看護師が具体的に想像できるといいなと思い訪問看護での事実を病院へフィードバックしてみようと考えたことから始まった。病院と在宅の看護師間で意味のある連携ができるよう、紹介元へ退院後2~3週間の療養者の様子を写真付きのお手紙『ハッピーライフ通信』にして送る。退院指導された内容の中で、退院後変更した点を肯定的にフィードバックする。ある病院看護師からは、「急性期のベッドサイドケアのみの看護だったが、外の世界を見ることで看護の意味が繋がった。病院ではベッドの回転率に振り回され、看護の喜びが薄れてきて、自分の看護への思いが枯渇してきていると感じることがあった。そんな現状の中で読んだハッピーライフ通信は心に沁みた。良い看取りだったと泣ける喜びを知った。日常の看護では、看護師は泣いていられないくらい忙しい。療養者の安らかな看取りを手紙で届けてくれることは、自分たちの看護が決して無駄ではなく、本当に繋がったということを実感した」とお返事をいただいた。看護師は日常業務に追われ、退院後を知る機会は多くはない。訪問看護師たちも病院看護師もやりとりを通じて、互いの立場や役割、看護への理解が深まり、まさに愛のある看看連携の役に立つ連携、やりがいに繋がっていくと実感する。 2025年1月投稿 「看護師にご褒美をくれたA氏」 投稿者: 田端 支普(たばた しほ) さん 訪問看護ステーションハートフリーやすらぎ(大阪府) A氏は腎臓がん末期、多発肺転移、酸素が必要な状態で1人暮らしの自宅に退院してきました。自宅に帰って第一声は「あ~やっぱり家がいいわ。死ぬまで家にいたい」でした。そして酸素を外し「タバコは死んでもやめへんで」と言って一服したのでした。その時のA氏の幸せそうな顔を今でも覚えています。そんなA氏から夜になると電話が鳴るのです。ターミナル期のA氏からの夜の電話にドキッとしながら電話に出ると「布団がおちた」「明日何時に来る?」という内容に、緊急電話違うやんとホッとしながら返事をして電話を切るのでした。ターミナル期のA氏からの夜の電話は心臓に悪いので、私はこちらから先に電話して「明日は10時に訪問するよ」「もう寝たらすぐ明日やで。お休み」とお休み電話をするようにしたのでした。そんなA氏とのお別れの時が近づいてきたころA氏に「病院と違って夜は1人になるけど退院してきてよかった?」と聞いてみました。するとA氏は、「こんな風に、皆が毎日、来てくれて淋しくなかった」「毎晩、看護師さんとおやすみって電話して、おやすみって答えてくれて、それが嬉しかった」「1人じゃないって思った」「不安で帰って来たけど、不安が安心に変わった」と話してくれました。このA氏の言葉に私は目頭が熱くなりました。A氏の「不安で帰って来たけど、不安が安心に変わった」という言葉に、看護師へご褒美をもらった気持ちになりました。 2025年1月投稿 「意思疎通、出来ます。」 投稿者: 服部 景子(はっとり けいこ) さん 愛全会 訪問看護ステーションとよひら・ちゅうおう(北海道) 80代女性、脳梗塞、失語、介護5。ケアマネより「意思疎通不可の方。大声を上げる為2箇所のデイサービスから利用終了と言われ困っている」と訪問依頼。トシ子さんは身体を固くし大きな声を上げ続けており、バイタルどころか全てのケアを拒否されます。表情を固くしたままの娘さんとも会話が続きません。4回目の訪問時、玄関の外までトシ子さんの声が響いていました。「デイサービスから迷惑と言われてしまいました。マンションからも苦情が来ないか気がかりです」と娘さんがうつむきます。「意味無く声を上げている訳では無いと思います。一生懸命何か伝えて下さっているのに、汲み取れない私が悪いんです。鈍い看護師でごめんなさい」。そう伝えると、娘さんの頬が緩んだように見えました。いつもは娘さんだけを目で追うトシ子さんが、突然私と視線を合わせ顔をしかめて声を上げます。「トシ子さん何処か辛いのですか?」と尋ねると、微かに頷いて返事をしてくれました。その様子を見て、娘さんも私もびっくり。腕?腰?足?には無反応、お腹?に"うん"と。便は2日置きに出ていると聞いていましたが、浣腸で大量排泄。その後、整腸剤内服と週1回の摘便で、大声を上げる事が無くなりました。今では、バイタルはもちろんリハビリも出来ます。ニコッと微笑んでくれますし、一緒にハミングしたり、テレビを見て笑ったり、デイサービスにも通っています。皆様!トシ子さんは意思疎通可です! 2025年1月投稿 ※訪問看護歴3年未満の方対象 「いつものアップルパイ」 投稿者: 梶本 聡美(かじもと さとみ) さん 訪問看護ステーションかすたねっと(大阪府) 脳腫瘍により片麻痺や失語症があるTさんはご主人の介護を受けて生活しており、台所に立つこともなくなっていた。訪問看護に対していつも受け身で淡々としているTさんはどこか諦めを感じているように見えた。作業療法士としてどう関わればいいか悩んでいた私に、管理者が「Tさんとアップルパイ作らない?」と声をかけてくれた。管理者が訪問した時にTさんが「私の作るアップルパイ美味しいのよ」と言っていたらしい。こうして始まった訪問看護でのアップルパイ作り。Tさんは言葉が出難いながらも作業の助言をしたり、煮詰めたりんごの火加減を確認するなど、表情豊かで精力的に動いていた。アップルパイ作りが気になるスタッフやケアマネも訪問し、賑やかになった空間の中心にはTさんの笑顔があった。焼きたてのアップルパイを食べ「いつもの味」と呟いたTさん。今後できないことが増えても、今できること、楽しめることを探して関わっていきたいと思った。 2025年1月投稿 看護のアイちゃん:本物の看護がしたい賞 協賛企業: セントワークス株式会社処置屋さんでも報告屋さんでもない、本物の看護がしたい!として誕生したソフト『看護のアイちゃん』です! 「パソコンの得意な看護師さん」 投稿者:小出 真理子(こいで まりこ) さん 訪問看護ステーション オリーヴ(長野県) 数年前に受けたALSの男性のお話です。一年前から急激に進行しており退院したいがこれが最後かもしれないと病棟でカンファレンスに呼ばれました。数名の医師や病棟看護師、ケアマネージャーなど見たこともない数の専門職が集まっていました。本人は気管切開を拒否しており病棟看護師が泣き出すくらい悲壮な雰囲気が漂っていました。訪問2日目、私たちも緊張しながら医療機器を操作したり本人の希望であるノートパソコンを起動。呼吸苦の中やっとのことでパソコンを開けると画面には初期化しますか?という見慣れない表示。困惑して諦めようとしていたので操作を代わりました。彼が指示した場所を開けてみると画像添付されており元職場の部下からでした。画像を開けると、今より自信に満ちて笑顔の健康的なご本人の証明写真でした。開けた時に、私はハッとして遺影にされるつもりなのだと感じました。彼は私に「これだけが心残りで、パソコン操作をしたかった」と満足げでした。それからすぐ病院に戻られ数ヶ月後に亡くなられました。奥様にお悔やみのハガキを送ると「パソコンの得意な看護師さんだったんだぞ」と妻に語っていたと記されていました。数回しか関わりの無かった方でしたが、心残りのない人生を支援したいという看護観があの時形成されたのを感じます。 2024年12月投稿 「無人島に街を!」メディヴァ賞 協賛企業: 株式会社メディヴァ患者視点の医療改革を理念に、医療・介護・予防分野において、革新と価値創造を目指すコンサルティング企業 「地域に開かれた場所として」 投稿者: 馬場 直子(ばば なおこ) さん 訪問看護サボテン砂町(東京都) 脳梗塞後遺症、糖尿病による褥瘡悪化の創処置にて訪問看護利用となった80代女性。夫と息子と3人暮らし。夫、心臓の持病を抱え介護のストレスを訴えていた。数カ月後、妻の容態が急変し入院。入院後コロナ禍で面会が出来ない状況となり、頻回にステーションに立ち寄り妻の心配を話し帰られる。それがしばらく来ない日が続き心配していた矢先、亡くなったとケアマネより連絡あり。お悔やみに訪問した際、もっと色々としてあげたらと後悔を口にする。その後、1人になった寂しさや自身の体調の不安定さから、以前の様に頻回にステーションへ顔を出すようになる。朝早くまた昼、夜と。ステーションに居るスタッフが血圧測定や健康相談、何気ない話で安心した顔で帰って行く。下町の商店街にあるステーションで、子供や高齢者、海外の方など知らない方でも気軽に立ち寄れる場所。これからも、地域の輪が広がってほしいと思います。 2025年1月投稿 東洋羽毛賞 協賛企業: 東洋羽毛工業株式会社私たちは現場で頑張る訪問看護師の皆様を快適な眠りでサポートします。 「マクワウリ」 投稿者: 木内 亜紀(きうち あき) さん 地域ケアステーションゆずり葉(埼玉県) 初めて訪問した日、彼は怒っていた。これまでの医療者との関わりに不満を募らせる彼にどうしたら傍に寄せてもらえるのか。彼の心が穏やかだった頃ー。そうだ、子供の頃美味しかったものはなんですか?季節は6月終わり。夏の暑い最中に食べた懐かしい味を思い浮かべてもらう。「マクワウリかな。井戸水で冷やして食べた。美味かったなぁ」。一瞬、子供に戻って教えてくれた。心の扉がほんの少しだけ開いたけど、マクワウリって?すぐにステーションの皆にヘルプ。最年長看護師が休日に青果市場で発見!早速お届けすると目をまん丸にさせて「どこにあったの?」とクシャクシャな笑顔。その日から少しずつ目が優しくなった。怒っている人は、大切にされたい人。ある日、彼から「病院にいた時にお世話になった人にお礼がしたい」と頼まれた。名前もしっかり覚えている。一か八か、その場で病院に連絡してみた。するとたまたま出勤日で、電話にも出てくださった。彼は電話口で大泣きしながら「ありがとう。あなただけが僕に親身になってくれた。本当に感謝してる」と伝えていた。電話を切った後、まだ泣いていた。私もちょっと泣いた。それから数日、彼はひとり暮らしのベッドの上で亡くなっていた。社会的には孤独死というのかもしれない。でもきっと彼はひとりじゃなかった。そう思う。天国で、先に逝った大切な人とマクワウリの話をしてくれていたら嬉しいな。 2025年1月投稿 Tomopiia賞 協賛企業: 株式会社 Tomopiia看護師の『聴く』を育てる、新しい看護のカタチ「SNS看護」が学べるTomopiia(トモピィア)です。 「経験年数を超えて」 投稿者: 越村 麻子(こしむら あさこ) さん なないろ訪問看護ステーション(千葉県) 血管性認知症の利用者さん。いつも無表情でいわゆる易怒性があり、看護師へ怒鳴ることは日常茶飯事、時にはケア中手を上げることも。彼を担当しているのは、ブランク25年を経て訪問看護師1年目となったNさん。ある日Nさんと同行することになりました。ケア中、髭剃りのため首にかけたタオルを外そうとする利用者さん。私は咄嗟に「外さないで大丈夫です、これから髭剃りをしますから。」と伝えたが、Nさんは利用者さんの行動を不思議そうに見ていた。すると利用者さんは緩慢な動作で、Nさんの手についた汚れをそのタオルで拭き「わりぃね」と一言。「何かと思った、ありがとうございます」と返すNさん。2人で朗らかに笑っていました。私は、認知症の利用者さんが「状況理解ができずタオルを外そうとした」と決めつけていた自分に気付きハッとしました。Nさんは「何かは分からないけど、何かをしたいんだろうと思って」と言っていました。良いケアの提供に、経験年数は関係ないな。誰のためのケアなのか、心地よいケアとは。ケア専門職として忘れてはいけないことを、Nさんから学んだ日でした。 2024年11月投稿 NTTプレシジョンメディシン賞 協賛企業: NTTプレシジョンメディシン株式会社業務をまるごとDX。訪問看護ステーション用電子カルテ「モバカルナース」 「後悔しない人生」 投稿者: 鈴木 沙恵子(すずき さえこ) さん ハレノヒ訪問看護ステーション(東京都) 利用者様から学ばせていただいたお話です。「人生はあっという間に終わってしまうんだよ。後悔しないために毎日努力を続けなさい。」90代男性Kさん。職業元デザイナー。人生の終末期にいただいた言葉でした。Kさんはそう言いながら笑顔で私の首にスカーフを巻いてくれました。どの色が合うかコーディネートするその表情はとても真剣で、Kさんであり続けるその姿勢に胸が熱くなりました。この3日後、Kさんは永眠されました。相手の気持ちを受けとめること。丁寧にお辞儀をすること。感謝すること。いただいた笑顔に、もっと大きな笑顔でお返しするとその場の空気が変わること。在宅の現場で仕事をしている私は人生の大先輩方にたくさんのことを学ばせていただいています。利用者様が医療者にお世話になっていると感じるのではなく、利用者様が辛いときや苦しい時にはたくさんの人が自分を支えてくれるんだと思える環境を提供することが、在宅医療だと感じています。これからも私のありがとうの気持ちは心からのありがとうだと伝わるように、ひとつひとつ丁寧にケアを行っていきたいと思います。私の人生の最期に、Kさんのように前向きで真っすぐで、誠実な言葉を誰かに残せるだろうか。その時伝えられる言葉が、看護師として努力してきた自分の証となる言葉だといいな、と心から思っています。 2024年12月投稿 皆さま、おめでとうございます! 入賞作品については、こちらの記事をご覧ください。つたえたい訪問看護の話 受賞エピソード発表!入賞 編集: NsPace編集部 [no_toc]

想いに寄り添うエピソード【つたえたい訪問看護の話】
想いに寄り添うエピソード【つたえたい訪問看護の話】
特集
2024年12月24日
2024年12月24日

想いに寄り添うエピソード【つたえたい訪問看護の話】

訪問看護をしていると、利用者さんやご家族のたくさんの想いと向き合います。「みんなの訪問看護アワード2023」に投稿されたエピソードから、利用者さんやそのご家族の想いに胸が迫るエピソードを5つご紹介します。 「最期まで、妻・母・娘として生きたN子さん。」 末期のがんに罹りながら家族とともに懸命に生き、最期の場面でも家族を想う姿に胸が打たれるエピソードです。 63歳のN子さんは肺がん末期で骨転移等もあった。12月初めの退院前カンファレンスでは、クリスマスは迎えられてもお正月は厳しい、と告げられていた。自宅に戻る際も頸部・体幹のコルセットは外せず、不本意ではあるが夜間はおむつ内で排泄するよう指導されていた。しかし、63歳という年齢、夫にも気兼ねがありコッソリと夜間もポータブルトイレに座っておられた。クリスマスが過ぎお正月が過ぎ、期待と不安を抱え桜の季節を迎えた。担当ケアマネから、近所の川沿いにある桜並木の下でお花見をさせてあげたい!と声が上がり、ご主人・ヘルパー・看護師・ケアマネとともに小春日和の中、ゆっくりと桜の下を車いすで散歩することができた。その後、「最後になるかも知れないけれど、家族のために料理がしたい。お風呂に入りたい」とご本人から希望があり、短期間であったが調理や入浴をすることができた。秋が過ぎ骨盤に転移した腫瘍が急激に大きくなり、みるみる体調は悪化傾向になっていったが、お酒の好きな夫の健康を気遣い、高齢のご両親より先に逝くことを詫び、夏に生まれた孫の成長を楽しみに、初冬、最期まで弱音を吐かず笑顔の素敵な母の姿を残して旅立たれた。 2023年1月投稿 「涙あり、笑いあり、そんなお看取り。」 故人との別れに悲しみもある中、家族総出でのお見送りの準備に愛情が感じられるエピソードです。 最期が近いAさん。お正月というのもあって娘様家族が来ている。同じ空間にベッドで寝ているAさん。とても穏やかな時間が流れていた。Aさんは声掛けに「はい」と吐息で答えてくれる。何か言いたげだが言葉にならない。(今日中かな…)そう思いながら明日も訪問することを伝え退室。その日の夜、ご家族から「息が止まりました」と連絡が入った。私は車で向かう。到着すると家族に見守られながら眠っているAさん。娘様は涙を流している。湯灌の予定だったが、それが高いことを知り、急遽フルエンゼルケアをさせていただくことに。お孫さんも含め全員で行った。みんなで役割分担しながらあーでもない、こーでもないと言いながら娘様を中心に。そこには涙は無くて笑顔が溢れていた。うるさすぎて奥様に怒られるほどだった。最後に奥様に口紅を塗ってもらったが、グロスだったのかな?「女装したみたいになったね」と笑い合う。ご家族に囲まれて幸せだなぁ。 2023年2月投稿 「患者の最期の願いを叶えた自宅での看取り」 最期に願いを叶えられた利用者さんの心からの感謝が胸に響くエピソードです。 私は訪問看護ステーションに配属された新人訪問看護師。肺癌の診断で自宅療養中のA氏から訪問看護利用の依頼があった。呼吸苦はあるが園芸の話をする、好きなサイダーを飲む等病状は安定していた。1ヵ月後、病状は増悪し「30年かけ作った庭をもう一度見たい。ほかに思い残すことはない。」と言葉が聞かれるようになった。自宅前に本人が作った庭があった。願いを叶えるためケアマネ、家族と協力しスロープと車椅子を準備した。当日本人から「体調が悪い、庭へ行くのは諦める。」と電話があった。短時間で行えるようがんばるので庭を見ましょうと励まし私、ケアマネ、家族で本人を庭へ移動した。涙を浮かべ「庭を見られて良かった。ありがとう。」と言葉が聞かれた。翌日、肺から出血し麻薬投与が開始され家族に見守られながら永眠された。後日訪問時、香典返しの挨拶状に庭を見た日のことが記載されており庭を見た後「幸せな人生だった。」と話していたことが分かった。 2023年2月投稿 「思い出の一場面」 ひとりでも自宅にいたいと思う利用者さんの気持ちが伝わってくるエピソードです。 24時間緊急対応の当番は電話が鳴るとビクビクする。何年やっていても緊張する。そんな中、Aさんからの緊急電話はなんだかホッとしてしまう。よく緊急電話をかけてくるAさん。尿カテトラブルが多く、呼ばれるのは大抵尿漏れ。夕飯時に呼ばれることが多く、またかぁ、という気持ちになるけれど、「こんな時間に悪いねぇ。」と申し訳なさそうに言うAさんの顔を見ると、そんな嫌な気分は吹き飛んでしまう。ある時、いつも通り夜に呼ばれて処置をしていると犬の遠吠えが聞こえてきた。そこから、かつてラブラドールを飼っていたと話し出すAさん。奥さんも子どももいて、よくラブラドールを家の庭で走らせていたという。「家の周りぐるぐる回るんだけど、曲がり損ねて転んじゃって。妻と大笑いしたよ。13年間、楽しませてもらったよ。」と嬉しそうに話すAさん。楽しい話なのになんだか切なくなり泣きそうになってきた。広い家に一人暮らしのAさん。話を聞いていて、楽しかったころの情景がパッと頭の中に浮かんできた。思い出たくさんの家で、少しでも長く過ごせるようお手伝いしていきたいと切に思った出来事だった。 2023年2月投稿 「優しく切ないけれど、温かい話」 相手を想うからこその奥様の配慮と、その優しさに気付きながらも配慮したご主人。どんな時でもお互いを想い合う夫婦に胸が温かくなるエピソードです。 ALSの60代男性。点滴加療の入院中に、可愛がっていた小鳥が突然死んでしまいました。奥さんと子どもは「とても可愛がっていたので、悲しんで気落ちすると病状も進行してしまう」と心配しました。そこで退院までに同じ種類の小鳥を手配して取り繕うことにしました。皆ハラハラしましたが、ご主人は亡くなるまで特に変わりなく小鳥に接していたので安心していました。初盆参りの時に奥さんは「小鳥が変わっていたことに本当は気が付いていたと思います」「主人にもっと優しく接することができたら良かったのに」と涙を流されていました。それから1年と経たないうちに、奥さんから私を看取って欲しいと驚きの連絡がありました。末期の肺がんでした。3ヵ月後、気丈で美しい最期を子どもさんとともに看取らせていただきました。命の儚さについて、改めて考えさせられた小鳥とご主人、そして奥さん。きっとどこかで再会しているはずだとスタッフ一同、信じています。 2023年2月投稿 利用者さんとそのご家族の想いを支える 今回は、投稿者の皆さんが利用者さんを大切にする姿勢が垣間見えるお話ばかりでした。訪問看護では、利用者さんやそのご家族の立場、背景、想いなどをくみ取って理解し、それぞれにあった支援をしていくことが求められます。正解がわからず模索するケースも多い中で、勇気づけられるエピソードですね。 編集: 合同会社ヘルメース イラスト: 藤井 昌子 

看取りの作法2024 グリーフケアと支援の実践【セミナーレポート 後編】
看取りの作法2024 グリーフケアと支援の実践【セミナーレポート 後編】
特集 会員限定
2024年12月17日
2024年12月17日

看取りの作法2024 グリーフケアと支援の実践【セミナーレポート 後編】

2024年9月20日に開催したNsPace(ナースペース)主催オンラインセミナーでは、「看取りの作法2024 〜習得のための理論と実践〜」と題し、看取り支援に必要な基礎知識を教えていただきました。講師として登壇してくださったのは、家庭医療専門医で訪問診療専門クリニック院長の田中公孝先生です。 セミナーレポート後編では、前編に続いて看取りの対応にあたって知っておきたい理論と、実践に際して役立つ考え方をまとめました。 ※約75分間のセミナーから、NsPace(ナースペース)がとくに注目してほしいポイントをピックアップしてお伝えします。 >>前編はこちら看取りの作法2024 終末期・看取りの基礎知識【セミナーレポート 前編】 死前教育を実践する 死前教育(看取り直前の経過の説明)は、看護師のみなさんにもできるようになってほしい対応のひとつです。具体的には、看取りパンフレットを使いながら、死亡前の「1週間以内」「48時間以内」に現れやすい以下のような症状や体の状態を説明します。 【死亡1週間以内】 ・ADLが低下する(トイレに行けなくなる) ・水分摂取ができなくなる・発語が減少する・見た目が急激に弱ってくる・意識障害が起こる  【死亡前48時間以内】・血圧が低下する・一日中、反応が少なくなってくる・脈拍の緊張が弱くなり、確認が困難になる ・手足の末梢冷感・チアノーゼが認められる・死前喘鳴が出現する(ゼェゼェという痰が絡むような音が聞こえる)・身の置き所がない様子で、手足をバタバタさせる(「せん妄」状態に陥る) これらをご家族が前もって理解できていると、看取りのときがきても慌てにくくなります。 私の場合は基本的に週に1回往診するので、タイミングを見計らい、できれば土日に入る前に死亡前1週間以内にみられる変化についてご案内しています。また、「1週間以内に看取りになる可能性が高い」と判断したときは、併せて「もうそろそろ、葬儀業者を検討しておくことをおすすめします」とお伝えすることもあります。少し遠回しな表現ではありますが、これによりご家族は「死期が近づいていること」を感じ取り、看取りの準備をしたり、覚悟をしたり、気持ちの整理をするきっかけになることが多いと感じています。 >>関連記事看取りのパンフレットについては以下の記事をご参照ください看取りの作法 ~ 最期の1週間 グリーフケアを意識する 人は、死別をはじめ愛する人を失ったとき、大きな悲しみ(悲嘆=グリーフ)を感じます。その後、特別な精神状態の変化を経て、長い時間をかけて悲しみを乗り越えるのです。この悲嘆のプロセスを「グリーフワーク」、悲嘆をケアすることを「グリーフケア」といいます。 グリーフケアは、看取り支援の大切な最後のプロセス。看護師のみなさんにはその技術をきちんと身につけ、意識的に取り組んでいただきたいと考えています。訪問看護は病院とは違い、四十九日にお花を送る、弔問することもあるくらい利用者さんやご家族との距離が近い存在なので、死前・死後のグリーフケアをぜひ大切にしてください。具体的には、以下を実践してみましょう。 死前のグリーフケア 亡くなった後の世界を想像するよう働きかけることをはじめ、ご家族が心構えできるように促します。ご家族の中には相続に関する問題を抱えていたり、最期にしてあげたいことがあったりと、それぞれ異なる状況や想いを持っています。そのため、訪問を通してご家族に話し合いのきっかけを提供し、考える時間を設けることが重要です。また、死生観は、葬儀の参列や故人の顔を見届けるなどの経験を通じて深まるとされています。私たち専門職も多くの方のお看取りに関わる中で、こうした意識を持ち、死生観を養っていくことが求められます。 死後のグリーフケア 死後にご家族の悲嘆が長引かないよう、感情の整理や表出を促すことが大切です。葬儀や四十九日といった節目は、親族や近しい人々が集まるための協力を仰ぐ機会となり、「死に対する感情の表出」を支える場として役立っているといわれています。私たち医療職も、こうした感情表出を手助けできるよう、「がんばりましたね」と声をかけたり、エンゼルケアの場でお話しいただいたりすることで、悲しみを抱え込まずに表現してもらえるよう努めていきましょう。 なお、グリーフケアは医療・介護職の心のケアにもつながります。支援の内容を振り返りつつ、ご家族をフォローする中で「上手に支援ができた」「満足していただけた」と思えるケースを増やせるとよいと思います。 看取り支援の実践に役立つ考え方 最後に、実際に支援を行う際のポイントをご紹介します。 看取りの現場でつまずきがちなポイント 看取り支援でとくにつまずきがちなのが「初回訪問時の見立て」「ギアチェンジ(利用者さんの体調が急激に悪くなる)の見極め」「亡くなる直前の説明」です。一定の経験を積むまでは、これらのタイミングでは慣れたスタッフに伴走してもらうことをおすすめします。 ちなみに私は、急変に備えて在宅コンフォートセットを準備しています。みなさんには、麻薬やステロイド、抗不安薬の使い方など、一つひとつ経験を通じて覚えてもらえたらと思います。 カンファレンスでトラブルを防ぐ 事業所内でカンファレンスを行い、急変時の予測をしておくのもおすすめです。例えば「排泄介助の負担が増えて、訪問看護やヘルパーの介入頻度が増えそう」「急に看取りとなってご家族が慌てるのでは」といった具合ですね。現状をふまえて今やるべきこと、そして次に予測される展開を考えれば、焦りやトラブルを軽減できるはず。私の場合は、常に看取りまでの全体の流れを予測しています。丁寧に見通しを立てて準備をしておけば、時間外対応も減ってバタバタしにくくなります。 また多職種でデスカンファレンスを開催することも大切です。私はオンラインで行うことが多く、時間がない中でも実施しやすいのでおすすめです。クリニック側はどうみていたのか、医師がどう判断していたのかを知ると、今後に活かすことができます。 療養場所の変更を常に検討する 自宅で看取る方針を定めた後も、緩和ケア病棟への入院の可能性は常に意識すべきです。逐一ご家族に状況を確認し、介護力が不足している、症状コントロールが難しいなどと判断した場合は、入院の選択肢を提示できることも大切です。「在宅看取りがベスト」と決めつけるとご家族とのすれ違いを招きかねません。十人十色であることを念頭に置き、複数の関係者でディスカッションや振り返りをしながら検討してください。 * * * 看取りの支援では、医療技術だけでなく、コミュニケーションも重視されます。今日のセミナーを参考に、どういうコミュニケーションをとるのがよいか考え、明日から少しずつでも実践していただけたらうれしいです。 執筆・編集:YOSCA医療・ヘルスケア

看取りの作法2024 終末期・看取りの基礎知識【セミナーレポート 前編】
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2024年12月10日
2024年12月10日

看取りの作法2024 終末期・看取りの基礎知識【セミナーレポート 前編】

2024年9月20日に開催したNsPace(ナースペース)主催オンラインセミナー「看取りの作法2024 〜習得のための理論と実践〜」。家庭医療専門医で訪問診療専門クリニック院長の田中公孝先生を講師にお迎えし、訪問看護師が看取り支援をより身近な業務として捉えられるように必要な基礎知識を教えていただきました。 セミナーレポート前編では、看取り支援にあたって知っておきたい理論や田中先生が現場で意識しているポイントなどをまとめました。 ※約75分間のセミナーから、NsPace(ナースペース)がとくに注目してほしいポイントをピックアップしてお伝えします。 【講師】田中 公孝先生杉並PARK在宅クリニック 院長/日本プライマリ・ケア連合学会認定 家庭医療専門医滋賀医科大学卒業。2017年から東京都三鷹市で訪問クリニックの立ち上げに参画し、2021年4月には訪問診療に特化した杉並PARK在宅クリニックを開業。すべての患者さんに「最期までその人らしく過ごせる在宅医療」を提供することを目指す。 「病の軌跡(がん、非がん)」を理解する 看取り支援に必要な知識としてまず挙げられるのが、病の軌跡。「がん」「非がん」の2パターンの軌跡を理解しておくと、看取りの流れをイメージしやすくなります。 がんの軌跡 がんの軌跡の特徴は、身体機能が非がん疾患と比べて長い期間保たれ、その後亡くなる直前に急速に悪化する点が挙げられます。機能が急速に低下する期間は、平均して約2ヵ月ともいわれており、若い方の場合は急激に悪化するため、この期間が短くなるケースにもしばしば遭遇します。一方、ご高齢の方では、がん細胞の進行も老いてゆっくりなのか、悪化のペースが緩やかになることもあります。 また、がんの悪液質を緩和するステロイド治療を行った場合、食欲が回復したり体を動かせたりするようになり、亡くなるまでの期間が1、2ヵ月ほど延びることもあります。しかし、原則として最期の2ヵ月間は急速に機能が低下し、排泄介助が必要になる、疼痛が悪化するなど問題に直面する機会が増えていきます。 非がん疾患の軌跡 非がん疾患の軌跡の特徴は、予後予測が難しい点が挙げられます。例えば心・肺疾患では、急性増悪を繰り返しながら徐々に機能低下が起こり、最後は比較的急な経過を辿るケースも見られます。一方、認知症・老衰の場合は、誤嚥性肺炎で一度口から食事がとれなくなっても、状態が安定して再び食事ができるようになる方もいます。そのため、ご家族には亡くなる可能性についてお伝えする一方で、機能が一時的に持ち直す可能性もあることを事前に説明しておくとよいでしょう。 「全人的苦痛(トータルペイン)」を活用する 全人的苦痛とは、利用者さんの苦痛を総合的に捉えるための概念のこと。「身体的苦痛」「社会的苦痛」「スピリチュアルペイン」「精神的苦痛」の4つに分類され、密接に影響し合っているという考え方です。例えば、がんの症状に伴う疼痛や息苦しさ、倦怠感などの身体的苦痛がある場合も、精神的、社会的、スピリチュアルな要因を含めたすべての側面を考慮する必要があります。適切なケアを提供する上で役に立つ考え方なので、ぜひ活用してください。 >>関連記事全人的苦痛(トータルペイン)の詳しい解説については以下をご参照ください。トータルペインでとらえる 終末期の現場で医師が考えていること 看取り支援の現場で私が意識しているポイントもお伝えします。 がんの症状 「肺がんは呼吸器に症状が現れる」「膵臓がんは強い痛みを伴う」など、一口にがんといっても種類によって症状は異なります。そのため、がんの種類や治療経過(手術歴、放射線治療や化学療法の有無や程度)を必ず確認します。みなさんも、各がんの特徴やおもな症状は押さえておきましょう。 多職種連携 終末期には訪問看護、訪問薬局、ケアマネジャーなどさまざまな職種の方々と方針を共有し、一丸となってご家族をサポートします。このとき、連携先はできるだけ看取りの経験があるところを選んでいます。 在宅看取りが可能か 在宅での看取りでは、家族の介護力や覚悟が問われます。早い段階での要介護認定を受けることをはじめ、各種制度を最大限活用できるよう環境を整えることも必要です。これらの条件を総合的に考慮し、「在宅で看取りきれるか」を常に考えています。 なお、緩和ケア病棟へのエントリーは、基本的にすべてのケースで行います。レスパイト入院をはじめ、在宅看取りを希望していても状況に応じて利用を検討する可能性があるためです。 利用者さんとご家族の認識に向き合う 告知の判断 私は、認知機能に問題がある利用者さんを除いて、基本的に告知はすべきだと考えています。とくにご本人が自身の体調の異変を感じているにも関わらず、ご家族から「落ち込むから伝えないでほしい」と要望がある場合は、本当に告知なしでよいかを丁寧に確認します。ちなみに、ご本人が違和感を覚えているのに告知しなかったケースは私の在宅医療のキャリアではほとんどなく、告知がよい結果に結びついたケースは多いです。ご家族に踏み込んだ話をするには医療者としての覚悟や経験が求められますが、利用者さんやご家族にとっての最善を考えて行動してください。 なお、告知と「予後を伝えること」は別の話です。ご家族には予後について必ず説明しますが、利用者さんにはご本人から強い要望がない限り伝えておらず、伝えなくてもうまくいくケースが多いです。 家族の受容段階の確認 ご家族の認識にアプローチするには、「キューブラー・ロス-死の受容5段階モデル」に基づいて考えるのがおすすめです。 もうこれ以上治すための手段がなく、緩和ケアに意識を切り替えていく、もしくは余命が幾許もないという受容の段階に進んでもらうために、私は早い時期にがんの特徴と看取りまでの経過をお伝えします。亡くなるまであと1ヵ月ほどの段階で「病の軌跡」について話し、「看取りのパンフレット」もお渡しして、「看取りの1週間前になったらこういう説明をさせてもらいます」と概要を伝えるんです。そうすればご家族も、「もうすぐそのときがくるんだな」と心構えできますから。 >>関連記事看取りのパンフレットについては以下をご参照ください。看取りの作法 ~ 最期の1週間キューブラー・ロス-死の受容5段階モデルの詳しい解説については以下をご参照ください。患者・家族の認識とグリーフケア 次回は、看取りのパンフレットを使用した死前教育やご家族へのグリーフケア、看取り支援の実践に役立つ考え方について説明します。>>後編はこちら「看取りの作法2024 グリーフケアと支援の実践【セミナーレポート 後編】」 執筆・編集:YOSCA医療・ヘルスケア

心に残る利用者さんのエピソード【つたえたい訪問看護の話】
心に残る利用者さんのエピソード【つたえたい訪問看護の話】
特集
2024年11月5日
2024年11月5日

心に残る利用者さんのエピソード【つたえたい訪問看護の話】

訪問看護をしていると、いろいろな利用者さんとの出会いと別れがあります。「みんなの訪問看護アワード2023」に投稿されたエピソードから、いつまでも私の胸に残る思い出深いエピソードを5つご紹介します。 「ミラクルな1日」 利用者さんにとって、心の中に溜めていた周囲への感謝や喜びが溢れでた1日だったのかもしれません。 27歳訪問看護師3年目、看護師になって7年目。看護学生時代の担任の先生が訪問看護ステーションを始められ、一緒に働いている。いろんな利用者さんに出会ってきた。その中でも印象深い利用者さんがいる。誤嚥性肺炎で余命1ヵ月と言われ、在宅へ帰ってきた。物腰柔らかな奥様としっかり者の娘様が手厚く介護されていた。在宅で療養中も誤嚥性肺炎を何度も起こし、そのたびに補液や抗生剤を使用し回復されていた。自営で仕事一筋で過ごされ、とっても頑固。家族やスタッフにも感謝の言葉はあまりなく、いつも「悪態」をついて怒鳴っていた。段々と具合が悪くなっていき、ある日とてもミラクルなことが起きた。目がキラキラと輝き、家族やスタッフにたくさんのありがとうを言い、嬉しそうにたくさん笑っていた。余命1ヵ月と言われながらも7ヵ月頑張って過ごされ、その日の夜に家族に見守られ亡くなられた。「ミラクルな1日でした」と言った家族の顔と、ご本人の輝いた瞳が忘れられない。 2023年1月投稿 「訪問看護の中の密かな楽しみ」 お互いを想う気持ちや二人で物語を楽しむ一時が伝わってくるエピソードです。 もう亡くなってしまったけれど、忘れられない人がいます。私より一回りほど年上の女性。難病で声を失った彼女は日中いつも一人で、帰るときは決まって寂しそうでした。楽しめることはないかと、訪問の終わりの僅かな時間に、彼女の好きな本を読むことにしました。1ヵ月かけて好きな作者を知り、ご家族に手持ちの本を幾つか用意していただき、半年以上かけて一冊読み終えました。週2回の訪問なので前回の話を忘れていたりして、行きつ戻りつでした。私は彼女に楽しんで欲しくて、時々リアクションを入れたり感想を述べたり。彼女はいつも笑って応えてくださいました。読み切った後本を選んだ理由を尋ねると、私が好きそうだったからと。楽しんでもらうつもりが、楽しませてもらっていました。10年以上も前の話ですが、彼女の笑顔は今も鮮明に覚えています。サービス提供者も沢山のものをいただいていることを深く心に刻むことができた大切な思い出です。 2023年2月投稿 「笑顔がみられますように」 コミュニケーションを工夫していった結果、利用者さんからの意思表示が生まれ、最後には意思疎通ができたのかもしれません。不満話に笑顔を見せる利用者さんが印象的です。 50代、くも膜下出血の後遺症から遷延性意識障害になったYさん。ご主人が日中お仕事に行かれるお昼間に排泄援助と胃ろうから栄養剤を注入するため、週3回訪問を担当。意思表示もなくコミュ二ケーションもとれません。そこで、快の刺激でコミュニケーションがとれないかなあと考えました。足裏には全身のツボがあることから、注入食の前に足裏とふくらはぎのマッサージをしました。数ヵ月たったころに、何となく目が合うような感じがありました。その日は何の気なく、私の主人の不満をYさんのご主人と重ね合わせて話しかけました。すると口をいがめて声をあげて笑うんです。一瞬、え!とびっくりしました。笑うのは、なぜかご主人の不満話なんですが、通じるものなんだと思いました。残念ながら再びシャント不全を起こしてしまい入院されましたがしばらくは笑顔を見せてもらえて私の訪問看護の中では忘れることがない出来事です。 2023年2月投稿 「認知症のおばあさんが放った言葉」 人の言葉には考え方や捉え方を変容させる力があることを認識するエピソードです。 理学療法士として訪問していた認知症のおばあさんとのお話です。その方は認知症で記憶力が低下しており、有料老人ホームに入居されていました。約2年間一緒にリハビリをしてきましたが、私の顔と名前を覚えられていないご様子でした。ですが、私のユニフォーム姿を見て「リハビリの人」という認識はできていたと思います。とても明るく、お話し好きでもあり、ときには私が悩み相談をしていることもありました。そんな中、自分の転機により退職することとなり、最後の日にお別れの挨拶をすると悲しそうな顔をされていました。ですが、「私は何でもすぐに忘れてしまうから悲しいのもきっと今だけ。そう思うともの忘れも悪くないなあ。」と返ってきました。この返答には大変驚き、身体がビビッとなったのを覚えています。この出来事以降、「認知症の方」に対する考え方や関わり方が私の中で大きく変わったように思います。これからも私の忘れられない一場面です。 2023年2月投稿 「訪問看護だからこそ」 利用者さんを看護師が観察するように、利用者さんも看護師をしっかりと見ています。だからこそ利用者さんから発せられた言葉だったのだと思うエピソードです。 病棟勤務から訪問看護に異動した私にとってSさんは病棟時代から関わっていた患者さんだった。訪問看護に異動してすぐにSさんの初回訪問から携わった。異動して不慣れな私の成長を見守っててくれていた。ある日Sさんが「やっと前の◯◯さんに戻ってきたね、病棟のころにいた時と近くなってきた」と言った。肩に力が入っていた私を心配していた、と言ってくれた。思わず涙してしまった時、Sさんから「◯◯さんの良さは訪問看護だからこそ伸びるんだと思う。時間に、患者に追われ過ぎてた◯◯さんよりずっと今の方が楽しそうだよ。自信を持って続けたらいいと思うよ」と笑って言ってくれた。元々准看護師だった私が、正看護師合格とともにずっとやりたかった訪問看護に異動願いを出し、念願叶って訪問看護師になれたものの一つも看護師としての自信がなかった私にとって、Sさんの言霊がとても胸に響いた。悲しいことにSさんは昨年逝去してしまったが、これからも続くであろう訪問看護人生で絶対にSさんのことは忘れない。訪問看護ならではの利用者さんとの一対一の関わりを大事に、ずっとやりたかった訪問看護を続けていきたい。 2023年2月投稿 思い出は糧となる 人との出会いは、自分にとって一生の宝物になることも。自分を変えるきっかけや学びになるような出会いを積み重ねながら、思い出とともに今日もまた訪問看護に携わっていくのでしょう。改めて自分の中にあるたくさんの人とのつながりを思い返す、そんなエピソードでしたね。 編集: 合同会社ヘルメースイラスト: 藤井 昌子

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