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訪問看護師向け在宅看取り教育プログラム(PENUT)開発秘話/日本訪問看護財団
訪問看護師向け在宅看取り教育プログラム(PENUT)開発秘話/日本訪問看護財団
コラム
2026年3月24日
2026年3月24日

訪問看護師向け在宅看取り教育プログラム(PENUT)開発秘話/日本訪問看護財団

在宅で最期を迎えることを希望する人がいるなか、訪問看護師は、療養者や家族に寄り添いながら看取りを支える重要な役割を担っています。そうした社会的背景のもと誕生したのが、訪問看護師向け在宅看取り教育プログラム(PENUT:ピーナット)です。本記事では、PENUTの特徴とともに、開発に込められた思いや歩みを紹介します。 ■公益財団法人 日本訪問看護財団 PENUT事務局職員 平原 優美(ひらはら ゆみ)/常務理事、在宅看護専門看護師小沼 絵理(おぬま えり)/事業部所属岸 純子(きし じゅんこ)/事業部所属、在宅看護専門看護師角田 佳奈美(すみだ かなみ)/事業部所属濱谷 雅子(はまたに まさこ)/事業部所属※手前左から時計回りに記載 執筆:濱谷 雅子(はまたに まさこ)/公益財団法人 日本訪問看護財団 事業部博士(看護学)。早稲田大学スポーツ科学部を卒業後、修士課程から看護学の道へ。2020年度より現職。日本訪問看護財団が5年間にわたり実施した「訪問看護師向け在宅看取り教育プログラムの開発」事業では、主研究者として開発に携わる。訪問看護師の優れた実践をインタビュー調査などを通じて理論化し、その成果を広く社会へ発信する研究活動を行っている。 訪問看護師向け在宅看取り教育プログラム(PENUT)ってなに? 訪問看護師向け在宅看取り教育プログラム(PENUT: Program of End-of-life care for home visiting NUrses Training)は、在宅看取りを実践できる訪問看護師の養成を目的としたプログラムです。オンデマンド講義(約10時間)と演習(1日間)で構成されます(図1)。 2021年度に実施したモデル事業を含め、2026年1月末までに818名が修了しています。 【PENUTの3つの特徴】 PENUTの主な特徴は以下の通りです。 1. エビデンスに基づく系統的なプログラムPENUTは、アンケート調査、インタビュー調査、専門家のレビュー、モデル事業を経て開発された、エビデンスに基づく系統的なプログラムです。PENUTの有効性を検証した研究1)は、日本看護科学学会にて学術論文優秀賞および最優秀演題口頭発表賞を受賞しました。 2. 在宅看取りに卓越した訪問看護師と医師による臨場感ある講義講義は、在宅看取りに豊富な経験をもつ訪問看護師と医師が担当しています(表1)。各講義では、実際の事例に基づく支援の過程や療養者・家族とのコミュニケーションの様子などが再現され、臨場感のある学びが得られます。また、講義はオンデマンド配信のため、受講期間内であればいつでもどこでも何度でも視聴可能です。 3. 専門的な教育を受けたファシリテーターによる演習演習では「訪問看護計画の立案」と「コミュニケーション技術の習得」をテーマにグループワークを行います。訪問看護師向け在宅看取り指導者養成プログラム(PENUT-T)※により専門的な教育を受けた指導者がファシリテーターを担当します。 ※ 訪問看護師向け在宅看取り指導者養成プログラム(PENUT-T:Program of End-of-life care for home visiting NUrses Training-Trainer)は、PENUTを開催できる指導者を養成する教育プログラムです。詳しくは別の記事で紹介します。 PENUTはどうして誕生したの? 日本訪問看護財団では、訪問看護師による在宅看取りの推進を目的に、2017年度よりELNEC-J(End-of-Life Nursing Education Consortium-Japan)コアカリキュラムを用いた研修を実施してきました。ELNEC-Jは科学的根拠に基づいた有用なプログラムですが、主に医療施設における成人がん患者のケアを想定しており、当財団としては訪問看護に特化した包括的な看取り支援のための教育プログラムの必要性を感じていました。 国内の年間死亡者数は2040年には約168万人に達すると推計されています2)。また、国民の約半数は自宅で最期を迎えることを希望しています3)。こうした社会的背景を受け、当財団は2020年度よりPENUTの開発に着手しました。 PENUTの開発秘話 PENUT開発の歩み PENUTの開発は、日本財団の助成を受けて2020年度に始まり、5年間の計画で進められました。 図2に示すように、はじめに有識者で構成される検討委員会(委員長:東京大学・山本則子教授)とワーキング委員会を設置し、文献検討、アンケート調査、インタビュー調査を重ねてプログラム案を作成しました。その後、モデル事業の実施・評価を行うなど、複数の段階を経て完成に至りました。 コロナ禍での手探りのスタート PENUT開発事業は、まさにコロナ禍の真っただ中にスタートしました。緊急事態宣言が発令されるなか、訪問看護の現場は日々対応に追われ、ひっ迫した状況にありました。そのような状況で「プログラム開発をしている場合ではないのではないか」という声もありました。一方で、多死社会の到来は目前に迫っており、地域で看取りを支えるしくみづくりは待ったなしの課題です。こうした中長期的な視点で事業を進めることも、当財団の使命であると考え、PENUT開発事業をスタートさせました。 しかし、いざ事業を始めてみると、プログラム開発の手順や進め方について、右も左も分からないことばかりでした。どのような段階を踏めば質の高い教育プログラムがつくれるのか、どのように根拠を積み上げていくのか、手探りの状態からのスタートでした。 課題に一つひとつ向き合い、積み上げた5年間 そこで、財団事務局とワーキング委員で、国内外の類似プログラムや教育理論、研究方法について、文献を読み込み、必要なプロセスを一つひとつ整理していきました。そして、プログラムの開発や評価研究の経験をもつ専門家から助言をいただきながら、少しずつ事業の形を整えていきました。 こうして動き出した事業でしたが、5年間の道のりは決して平坦ではありませんでした。モデル事業の参加者は集まるのか、効果的なコミュニケーション技術演習をオンラインでどのように行うのか、収集した膨大なデータをどのように分析しプログラムに反映させるのかなど、一つひとつの課題に対し、事務局で議論を重ね、検討委員とワーキング委員の助言を得ながら進めていきました。 現場の訪問看護師の思いと実践がプログラムに そのようななかで、モデル事業に参加し、開発に協力してくださった全国の訪問看護師の皆さんの存在は、私たちの大きな支えとなりました。インタビュー調査では、日々悩みながらも積み重ねられている素晴らしい実践を、丁寧に、時に熱を込めて語ってくださいました。その語りに触れるたびに、「このような実践ができる訪問看護師をもっと増やしたい」という思いが強くなりました。 さらに、プログラムの講師や演習のファシリテーターを担当してくださったのも、まさに現場で看取りを支えている訪問看護師の方々でした。ご自身の経験を惜しみなく共有し、受講者に寄り添いながら学びを導く姿に、私たちは何度も心を動かされました。その実践の深さに触れるたび、「この内容を社会へ発信したい」という思いを強くしました。 このように、全国の訪問看護師の皆さんが語ってくださった実践、講師やファシリテーターとして支えてくださった方々の熱意、そして専門家の助言が、プログラムの要素を形づくっていきました。まさにPENUTは「現場とともにつくる教育プログラム」として育まれてきたのだと感じています。 研修情報・詳細はこちらさらに詳しい情報や研修開催情報については、PENUT専用ウェブサイトをご覧ください。 https://www.jvnf.or.jp/penut/ 次回は、「PENUT誕生で変化する看取りの現場」と題し、受講者の声を紹介します。 【参考文献】1)濱谷雅子, 平原優美, 小沼絵理, 沼田華子, 野口麻衣子, 菱田一恵, 岡本有子, 竹森志穂, 新幡智子, 栗田佳代子, 山本則子:無作為化比較試験による訪問看護師向け在宅看取り教育プログラム(PENUT)の有効性の検討. 日本看護科学会誌, 44, 218-227, 2024. https://www.jstage.jst.go.jp/article/jans/44/0/44_44218/_pdf/-char/ja2026/3/10閲覧2)内閣府(2022):第1章 高齢化の状況 高齢社会白書 (令和4年版),5, 日経印刷株式会社.3)厚生労働省(2023): 人生の最終段階における医療・ケアに関する意識調査報告書.https://www.mhlw.go.jp/toukei/list/dl/saisyuiryo_a_r04.pdf2026/3/10閲覧

心不全の緩和ケアがよく分かる 症状・治療・在宅支援のポイント
心不全の緩和ケアがよく分かる 症状・治療・在宅支援のポイント
特集
2026年3月24日
2026年3月24日

心不全の緩和ケアがよく分かる 症状・治療・在宅支援のポイント

非がん疾患の患者さんに質の高い緩和ケアを届けるために、訪問看護師が知っておきたい知識・視点を整理します。今回のテーマは「心不全」。息切れや浮腫、倦怠感など心不全特有の症状とその観察ポイント、薬物治療やアドバンス・ケア・プランニング(ACP)を含む在宅での支援について、東京ふれあい医療生活協同組合 梶原診療所の藤田真奈先生に分かりやすく解説していただきます。 心不全とは 心不全診療のガイドラインでは、次のように定義されています1)。 心臓の構造・機能的な異常により、うっ血や心内圧上昇、およびあるいは心拍出量低下や組織低灌流をきたし、呼吸困難、浮腫、倦怠感などの症状や運動耐容能低下を呈する症候群 また、2017年10月31日には、日本心不全学会と日本循環器学会が、国民向けの定義として以下のように合同で記者発表しました2)。 心不全とは、心臓が悪いために、息切れやむくみが起こり、だんだん悪くなり、生命を縮める病気 心不全の分類として代表的なのが、左室の収縮機能(EF:駆出率)によるものです。 ●HFrEF:EFが低下した心不全●HFpEF:EFが保たれた心不全●HFmrEF:EFが軽度低下した心不全●HFimpEF:EFが改善した心不全※特に重要な分類を太字にしています。 最近増えている高齢者の心不全では、HFpEFが多いことが特徴です。 心不全の主な症状 心不全では主に「肺うっ血」「体うっ血」「低心拍出・組織低灌流」の3つが原因となり、さまざまな症状が現れます。それぞれの原因によって、次のような症状がみられます。 ●肺うっ血息切れや呼吸苦など●体うっ血下肢を中心とした全身の浮腫、腹部膨満感、食欲低下など●低心拍出・組織低灌流疲れやすさ、倦怠感、めまい、失神、認知機能の低下、せん妄など 心不全末期ではこれらの症状が重なり、不安や不眠が加わることで、より多様な症状となって患者さんを苦しめます(表1)。実際、末期には6~7種類の症状を有するという報告もあります3)。 表1 終末期における身体および精神症状 症状がん(%)心不全(%)倦怠感23~10042~82痛み30~9414~78悪心・嘔吐2~782~48呼吸困難16~7718~88不眠3~6736~48せん妄・認知機能障害2~6815~48抑うつ4~806~59不安3~742~49文献4)を参考に作成 なお、こうしたさまざまな症状が起こる末期であっても、心不全の場合、症状緩和と並行して病態の改善をめざした治療もできる限り継続します(治療の詳細については後述します)。 症状の分類にはNYHA心機能分類(表2)があります。訪問看護が必要な患者さんはNYHAⅢ度以上の方が多いですが、苦しみの程度や日常生活にどのような影響が出ているかは個々で異なります。そのため、実際の生活状況を見ながら、丁寧に評価することが重要です。 表2 NYHA心機能分類 NYHA Ⅰ   通常の心不全に起因する身体活動の制限はない。NYHA Ⅱ安静時には快適であるが、日常的な身体活動で心不全に起因する症状(呼吸困難、疲労、ふらつき)がわずかにみられる。NYHA Ⅲ安静時には快適であるが、日常的な身体活動以下で心不全の症状がみられる。NYHA Ⅳ 安静時にも心不全の症状がみられる。文献5)を参考に作成 心不全の進行の特徴 心不全は、急性増悪と治療による部分的な回復を繰り返しながら、徐々に進行していきます。急性増悪時にそのまま死に至ることもありますし、また致死的不整脈で突然死する可能性もあり、がんと比較すると予後の予測が困難です。 心不全患者の観察ポイント:変化に注目 バイタルサインは必須の確認指標ですが、「体重」も重要です。一般的に1週間で2kg以上の増加があると、生理的な体重増加を超えている可能性があります。その場合には、食事量の変化や息切れの有無を確認します。また、呼吸の様子(起座呼吸の有無、呼吸補助筋の利用の有無など)を観察しながら、慎重に身体所見をとりましょう。観察ポイントは以下のとおりです。 不整脈の有無 下腿浮腫の程度 頸静脈(特に内頸静脈)の怒張 肝腫大の有無 四肢冷汗の有無 聴診における湿性ラ音や過剰心音(Ⅲ音・Ⅳ音)、心雑音の有無 など 大切なのは「いつもと違う所見か」「安定時と比較して、新たに出現もしくは増悪している所見なのか」という視点です。なお、長期の低心拍出により悪液質や筋量減少をきたし、体重減少を生じる場合もあります。体重の増加だけでなく、減少にも注意が必要です。 心不全の治療 心不全の治療は、病態改善のための積極的治療と、症状緩和のための治療を並行して行っていきます(図1)。ここでは主に薬物治療について述べます。 図1 心不全の緩和ケアモデル 【参考】がんの緩和ケアモデル 文献6)を参考に作成 心不全の場合、緩和ケアと並行して、病態の改善をめざした積極的治療もできる限り継続される。 病態改善を目的とした薬物治療 代表的な薬には以下のようなものが用いられます。 ACE阻害薬:エナラプリル、カプトプリル、イミダプリル アンジオテンシンII受容体拮抗薬(ARB):ロサルタン、カンデサルタン、アジルサルタン アンジオテンシン受容体ネプリライシン阻害薬(ARNI):サクビトリルバルサルタン ミネラルコルチコイド受容体拮抗薬(MRA):スピロノラクトン、エプレレノン β遮断薬:カルベジロール、ビソプロロール SGLT2阻害薬:ダパグリフロジン、エンパグリフロジン こうした薬を、患者さんの病状や病態、血圧や心拍数、血液検査結果などを見ながら調整していきます。また、病態改善薬は心不全末期でも継続することが原則ですが、血圧低下や心拍数低下が患者さんの苦痛につながる場合は、減量や中止を検討することもあります。 症状緩和を目的とした薬物治療 代表的な薬剤は利尿薬です。【主な薬剤】 ループ利尿薬(フロセミド、アゾセミド、トラセミドなど) 【上記薬剤で効果が不十分な場合に併用される薬剤】 サイアザイド系利尿薬(トリクロルメチアジド、ヒドロクロロチアジドなど) バソプレシンV2受容体拮抗薬(トルバプタン) また、前述したMRAやSGLT2阻害薬にも利尿作用があります。 利尿薬は浮腫や胸腹水の軽減に有効ですが、漫然とした使用は脱水や腎機能低下、電解質異常、血圧低下にもつながるため、避けるべきです。 その他にも状況に応じて以下の薬剤を使用します。 低心拍出、組織低灌流による症状:経口強心薬(ピモベンダン、ドカルパミンなど) 治療抵抗性の呼吸苦:少量のオピオイド(心不全で使用可能なオピオイドとしてコデインリン酸塩、塩酸モルヒネがあります) 不安症状や不眠症状:抗不安薬や睡眠薬(非ベンゾジアゼピン系睡眠薬やメラトニン受容体作動薬等が望ましいです) さまざまな治療やケアでも耐え難い苦痛が残存する場合は、多職種で検討し、患者さんやご家族と十分に話し合った上で、鎮静薬の使用も検討します。 薬物治療以外の治療・ケア 薬物だけでなく、以下のような介入も有効かつ重要です。 心臓リハビリテーション 非侵襲的陽圧換気療法(NPPV) 在宅酸素療法(HOT) 心負荷が軽減される食生活や生活環境の調整 高齢者の心不全へのアプローチ 最近、急増している高齢者の心不全では、認知症や悪性疾患、骨折後のADL低下、独居、フレイルなど、心臓以外にもさまざまな疾患や問題を多く合併していることも特徴です。これらは心不全の治療・管理だけでは解決しないことも忘れてはいけません。 訪問看護師が大切にすべき視点と役割 患者さんの在宅生活を捉える視点 訪問看護師は、患者さんの在宅生活を見ることで、心不全が患者さんの生活にどれくらい影響しているのか、日々の生活で何に困っているかを直接見て把握することができます。そして、それを在宅チームに還元し、改善策をチームで話し合うことができます。訪問看護師の適切な観察と評価は、患者さんのQOLの改善に直結します。 ●食事や内服状況の評価例えば、高血圧が続いている心不全の方の食生活が塩分過多になっていることに気付いた場合、栄養指導や配食弁当の導入で改善が期待できます。また、服薬管理ができていないことが分かった場合には、訪問薬剤指導の導入や薬の一包化、服薬回数の調整(1日1回への整理)などで改善するかもしれません。 ●住環境の評価階段昇降やトイレの様子、手すりやベッドの有無など、在宅生活における患者さんの心負荷の程度を評価します。その情報をもとに改善策を、医師やリハビリ、介護スタッフと共有し、話し合うことで、心不全患者さんの在宅生活は確実に向上します。 ●アドバンス・ケア・プランニング(ACP)への取り組み心不全は予後予測が難しい疾患です。だからこそ、日々の生活の中で患者さんの意思や価値観を理解し、終末期も含め、将来どのような医療・ケアを受けたいのか、人生の最期の時間をどうやって過ごしたいのかを、患者さんの気持ちに寄り添いながら、ともに考えていきます。医師やほかのチームメンバーと情報共有・協力しながら意思決定支援を行っていくことも重要です。 訪問看護師が築く信頼と安心 もちろん医療者であっても、患者さんの私生活や個々の事情に自由に踏みこんでよいわけではありません。少しずつ信頼関係を築きながら患者さんの気持ちを理解し、生活を改善するために必要な情報を得ていくことが重要です。 大切なのは、患者さんの病状や状況を理解し、患者さんに寄り添い、安心してもらうことです。心不全の薬や治療にはさまざまなものがありますが、状態をよく分かっている訪問看護師が、患者さんの話を傾聴したり、背中をさすったりするだけで、苦痛や症状が緩和されることはよくあります。看護師の寄り添いとケアには、大きな力があると感じています。 まとめ 日本の心不全患者数は、2030年には約130万人に達するといわれています7)。入院ベッドの不足やコロナ禍を経て、在宅で療養する心不全患者さんも増加の一途をたどっています。 そのような中、訪問看護師の存在は極めて重要です。訪問看護師が中心的な役割を担い、医師や理学療法士、ヘルパー、ケアマネジャー、薬剤師、栄養士などと協力し、多職種連携による「在宅ハートチーム」をつくることが求められています。訪問看護師がハブとなって情報共有と多職種との協力を続けながら、患者さんに寄り添い、患者さんやご家族が安心して在宅療養生活を送れるように応援・サポートします。こうした支援の輪を広げていくことは、多くの心不全患者さんを救うことになるでしょう。 本文で使用した略語一覧(本文登場順)ACP:advance care planning(アドバンス・ケア・プランニング)EF:ejection fraction(駆出率)HFrEF:heart failure with reduced ejection fraction(EFが低下した心不全)HFpEF:heart failure with preserved ejection fraction(EFが保たれた心不全)HFmrEF:heart failure with mid-range ejection fraction(EFが軽度低下した心不全)HFimpEF:heart failure with improved ejection fraction(EFが改善した心不全)NYHA:New York Heart Association(ニューヨーク心臓協会)ACE:angiotensin converting enzyme(アンジオテンシン変換酵素)ARB:angiotensin II receptor blocker(アンジオテンシンII受容体拮抗薬)ARNI:angiotensin receptor neprilysin inhibitor(アンジオテンシン受容体ネプリライシン阻害薬)MRA:mineralocorticoid receptor antagonist(ミネラルコルチコイド受容体拮抗薬)SGLT2:sodium glucose cotransporter 2(ナトリウム・グルコース共輸送体2)NPPV:noninvasive positive pressure ventilation(非侵襲的陽圧換気療法)HOT:home oxygen therapy(在宅酸素療法)ADL:activities of daily living(日常生活動作)QOL:quality of life(生活の質) 執筆:藤田 真奈東京ふれあい医療生活協同組合 オレンジほっとクリニックふれあいファミリークリニック、梶原診療所高知大学医学部を卒業後、自治医大病院で初期研修を行う。一般内科・循環器内科の修練を積んだ後、在宅医療の世界へ。独居や認知症を合併した高齢心不全の方たちが一人でも多く心地よい在宅生活を送れるよう、日々患者さんと向き合っている。資格:循環器内科専門医・在宅医療専門医・総合内科専門医・認知症サポート医 編集:株式会社照林社 【文献】1)日本循環器学会,日本心不全学会,日本心臓病学会,他:2025年改訂版 心不全診療ガイドライン.日本循環器学会.2025:19.https://www.j-circ.or.jp/cms/wp-content/uploads/2025/03/JCS2025_Kato.pdf2025/10/23閲覧2)日本循環器学会,日本心不全学会:『心不全の定義』について.https://www.j-circ.or.jp/five_year/teigi_qa.pdf2025/10/23閲覧3)Nordgren L,Sörensen S:Symptoms experienced in the last six months of life in patients with end-stage heart failure.Eur J Cardiovasc Nurs 2003;2(3):213-217.4)Moens K,Higginson IJ,Harding R:Are there differences in the prevalence of palliative care-related problems in people living with advanced cancer and eight non-cancer conditions? A systematic review.J Pain Symptom Manage 2014;48(4):660-677.5)Heidenreich PA,Bozkurt B,Aguilar D,et al:2022 AHA/ACC/HFSA Guideline for the Management of Heart Failure: A Report of the American College of Cardiology/American Heart Association Joint Committee on Clinical Practice Guidelines.Circulation 2022;145(18):e895-e1032.6)Gibbs JS, McCoy AS, Gibbs LM, et al. Living with and dying from heart failure:the role of palliative care. Heart 2002;88(Suppl 2):ii36-ii39. 7)Okura Y,Ramadan MM,Ohno Y,et al:Impending epidemic: future projection of heart failure in Japan to the year 2055.Circ J 2008;72(3):489-491.

【人工呼吸器装着者 難病事例看護】「災害時」どうする? 避難計画策定の実際と課題
【人工呼吸器装着者 難病事例看護】「災害時」どうする? 避難計画策定の実際と課題
特集
2026年3月17日
2026年3月17日

【人工呼吸器装着者 難病事例看護】「災害時」どうする? 避難計画策定の実際と課題

難病を抱える訪問看護利用者さんの災害時の対応について悩む方も多いでしょう。筆者が住む鹿児島県は台風が多く、規模の大小にかかわらず、避難や安全管理を怠ると命を失う恐れがあります。今回は、難病看護師であり訪問看護ステーション管理者でもある筆者が取り組んでいる、難病人工呼吸器装着者の災害避難入院について紹介します。 人工呼吸器装着者の災害時の備え 筆者は、2015年5月に「びっぐすまいる訪問看護ステーション」を開設し、鹿児島県北西部の3市町村を活動エリアとしています。2020年6月に「居宅介護支援事業所大笑い」を開設し、2025年1月には「びっぐすまいる訪問看護ステーションサテライトさつま町」をオープンしました。乳児から高齢の方まで幅広く対応し、医療依存度の高い方の訪問も行っています。現在、人工呼吸器装着者は難病の方を中心に6名います。 人工呼吸器装着者の場合、生活場所や自宅の環境、介護状況などによって、在宅避難がよいのか、避難先への移動がよいのか、その選択はさまざまです。台風や大雨のように災害が予測される場合は、電源確保の観点から事前に避難できるよう準備を進めています。 災害への備えとして重視している点は次のとおりでです。(1)災害から逃げる(連絡先・避難先の確保、避難搬送訓練)(2)安全に過ごせる場所の確保(情報・通信手段の確保)(3)普段からの防災対策(お薬手帳の準備、医療機器の電源確保) 避難先の選定と制度利用についての課題 避難先は事前に本人や家族と話し合い、病院やホテル、知人・親戚宅(地理的条件や電源確保的に安全と思われる場所)など、それぞれです。移動時間や費用、心的安全性を考慮し、平時から各所と連携を図っています。 コロナ禍では事前に断られることもあったため、避難先の確保が大変でした。病院の場合、「空床があれば」という条件のため、入院先候補をいくつか交渉しておく必要があります。入院を希望しない場合、各自でホテルと交渉をされていましたが、電源はあってもホテル内のベッドの角度が変えられないことや、周りのスペースが問題となり現実的ではありませんでした。 病院への避難では制度の確認が必要 現在はほとんどの方が病院に避難されますが、病院によってその取り扱いが異なります。医療保険による入院や難病法による一時入院(レスパイト入院)、障害者総合支援法に基づく医療型短期入所制度(空床利用型を含む)の利用など、あらかじめどのような取り扱いをされるのか確認が必要です。 なぜなら、人工呼吸器の持ち込みは当然としても、医療型短期入所制度を活用する場合、持ち込まねばならない医療消耗品や衛生材料、注入食などがあるからです。場所と電源を貸すだけ、という説明をされる病院担当者もいます。 医療型短期入所制度は、障害福祉サービスに位置づけられるため、事前に住居する自治体(区、市町村)の障害福祉担当課へ申請し、支給決定を受ける必要があります。そして、病院担当者との面談や事前打ち合わせなど行い、利用可能かどうか検討していただくことになっています。 持参物品リストの作成 どこに避難しようとも、避難入院に備え、患者ごとに「避難時の持参物品リスト」を作成しておきます。できるだけ短時間にスムーズな移動が行えるよう、災害に対する個別計画が必要です。日頃から家族や重度訪問介護員をはじめ、介護職への指導も実施しておきましょう。 災害時の避難計画と関係者との連携 台風をはじめとした災害が予測される場合、本人と家族、ケアマネジャーなどの関係者と避難方法を検討しておきます。 ケアマネジャーは、移動手段の手配を行うため、結果的に避難はしなかったとしても、早めに連絡をとるように心がけています。場合によっては、訪問入浴といった介護サービスをキャンセルすることや、介護サービス事業所側がサービスの提供を休止する場合もあるため、各介護サービス提供元と連携をとっていただく必要があります。 同時に、避難先に挙がっている病院に対して、避難の相談をしなければなりません。空床がなかったり、他の人工呼吸器装着者の予約が入っていたりすることもあるため、数ヵ所の病院に確認します。その上で、台風や大雨で移動が困難にならないうちに避難します。 避難入院の調整と連携 一言で「避難入院」といっても、とてつもなく多くの方の協力と連携が必要となります。入院先の調整は病院相談員が担当し、日頃看ていない患者を看てくれる病棟との連携を行います。連携方法は、詳しいサマリーで対応します。必要に応じて、病院到着時に病院では使用になじみのない排痰補助装置や低圧持続吸引器の説明を行っています。 ケアマネジャーは、移動手段の手配や人員確保を行います。人工呼吸器や排痰補助装置、低圧持続吸引器など機器の持ち込みが多いため、移動はとても大変です。持ち込み物品の準備は家族とともに訪問看護師が行います。呼吸器会社の担当者も来てくれることがあり、大変助かっています。 医療型短期入所では、入院中に、家族や重度訪問介護員の付き添いを必要とする場合があり、スタッフのシフト調整が必要なため、介護事業所とのやり取りに時間を要することが多いです。 避難を阻むもの ここまで述べたような準備をして、無事に避難入院できたとしても、そこに至るまでの患者の心理的な葛藤、避難にかかる人的資源、移動、経済的要因は、避難を遅らせる要因となり得ます。 患者の心理的葛藤 患者は、自宅で日常生活が送れないこと自体に不安を感じています。1つは、コミュニケーションの問題です。通常の読唇や文字盤での意思疎通が、病院では困難となるためです。 病室で意思伝達装置(パソコン)を用いて看護師らとコミュニケーションすることはできても、パソコンのセッティングが必要な場合は、患者が我慢せざるを得ないこともあります。また、吸引手技やその頻度などが、日頃の方法と異なるために負担を感じています。何より、病棟は忙しく、患者は対応してもらえるかどうかが不安です。 そうした状況から、患者は「ポータブル電源(図1)がある自宅にいたほうがよいのでは」と考え、なかなか避難に踏み切れません。 しかし、患者が自宅にいることで家族や介護者も危険な状況に置かれるため、その点について理解を得なければなりません。暴風雨直前に家族や関係者の説得に応じ、急遽避難が決定することもありました。 図1 患者宅で準備しているポータブル電源 避難行動のための人的資源 避難には、人工呼吸器や排痰補助装置、低圧持続吸引器、意思伝達装置(パソコン)など、多くの機器の運搬が必要です。介護タクシーと家族の自家用車だけでは運搬できないこともあります。 また、移動に際し同乗者を誰にするか、家族が対応できないときにどのように人員を確保するのかについても考慮しなければなりません。患者を取り巻く環境や介護体制によって異なるため、最悪の事態を想定し、最善策を検討しておくことが重要です。 時には地域の方にお手伝いいただくこともあるため、地域ぐるみの支援活動も検討しなければいけません。また、台風時には、みんなが一斉に移動するため、訪問看護師も時間調整を行わなければならず、まさに事業所が台風のような忙しさになります。 避難による経済的負担 避難移動を自家用車以外で行う場合、福祉車両でなければ移動はできません。その場合には、当然ですが、移動費がかかります。一般のタクシーと異なり、車椅子対応やストレッチャー対応の場合は料金が高くなります。移動距離にもよりますが、往復で2万円程度かかることもあり、少しの台風や大雨情報では動きたくない、という気持ちになりがちです。また、家族が付き添う場合、食費や移動費が増えることも予想されます。 今後の避難にかかわる課題 コロナ禍では、避難入院をすることが困難でした。今後、新たな新興感染症が発生したときに、長期的かつ絶対的な電源確保を要する難病患者が、避難する場所をどう確保するのか、難病支援と災害支援の観点から考えていかなければなりません。 避難に伴う経済的負担が命を守る障壁とならないよう、何らかの支援制度ができることに期待したいものです。そのためには、当事者や関係者が声をあげることが大切です。特に、福祉施策を担当する市町村自治体の理解が重要と考えます。当県においては、患者会とともに声をあげることで、令和6年(2024年)新規事業として非常用電源貸し出しに関する補助が開始されました。まだ十分に認知されていない事業ですが、一歩ずつでも患者家族の安全のために役立つものにしていきたいと思います。 また、私たちが制度について正しく知ることで、自治体だけでなく病院にも働きかけることができ、医療型短期入所のような支援制度を増やしていけるのではないかと感じます。 避難入院準備は、本人と家族の避難訓練の1つと捉えられ、想定外災害時への行動示唆となります。さらに、本人と家族だけでなく関係者の防災意識を高めることができ、これは大きな産物といえるでしょう。医療機器に苦手意識を持っていた支援者が徐々に取り扱いに慣れていくというメリットもあり、日常生活のなかでも本人と家族の安心につながっています。 人工呼吸器装着者の電源を確保でき、土砂災害の危険からも避難できること。台風が過ぎ去った後に「準備は大変だったけど、台風被害はなくてよかったね」と笑って言えることを願っています。訪問看護師として、難病看護師として、多くの方と連携し、地域の中で自助・互助・共助を発揮でき、難病患者や家族の安全確保を続けていきたいと思います。   執筆:柳田 千草合同会社BigSmile 代表 びっぐすまいる訪問看護ステーション 管理者看護師(看護学修士)、介護支援専門員、日本看護協会認定看護管理者、日本難病看護学会認定・難病看護師鹿児島県立保健師学校、鹿児島大学大学院保健学研究科博士前期課程を卒業。総合病院での病棟や外来勤務を経て、1992年より訪問看護の分野に携わる。その後、保健所や市役所の嘱託保健師として勤務し、看護学校講師、複数の訪問看護ステーションの開設支援を行う。クオラグループの運営企画室在宅管理部長を経て、合同会社BigSmileを設立し現在に至る。また、在宅領域における「災害支援」や「暴力・ハラスメントへの備えと対応」をテーマとした講演活動も積極的に行っている。編集:株式会社照林社

つたえたい訪問看護の話 受賞エピソード発表!入賞【2026】
つたえたい訪問看護の話 受賞エピソード発表!入賞【2026】
特集
2026年3月10日
2026年3月10日

つたえたい訪問看護の話 受賞エピソード発表!入賞【2026】

NsPaceの特別イベント「第4回 みんなの訪問看護アワード」で募集した「つたえたい訪問看護の話」。厳正な審査を経て、受賞作品が決定しました。本記事では、入賞エピソード15件をご紹介します! 大賞・審査員特別賞・ホープ賞・協賛企業賞はこちらつたえたい訪問看護の話 受賞エピソード発表!大賞・審査員特別賞・ホープ賞・協賛企業賞【2026】 「Yさんの日常に伴走」 投稿者: 安藤 芳雄(あんどう よしお) さん andYou訪問看護ステーション(埼玉県) Yさんは65歳女性。独り暮らし車椅子生活。Yさんの愛猫4歳は車椅子の肘掛けに乗る。さながらナウシカとテトのよう。Yさんはゴジラとプロレスが好き。通販も大好き。Yさんは大食い。うどん3玉ペロリ。これがYさんの普通。Yさんの左下肢は股関節から下が無い。右下肢は麻痺。坐骨に不治のD4褥瘡あり。Yさんのベッド移乗法は柔道の前回り受け身。これがYさんの普通。尿は留置カテーテルだけど便は不意に出てしまうことがある。独りではどうにもできないので緊急訪問看護する。人に頼るところはしっかり頼る。これがYさんの普通。Yさんは時々高熱が出る。多分褥瘡からの熱。これもYさんの普通だけど、これは辛い。私たちは決めた 【毎日朝晩褥瘡を洗おう】その日から高熱が出なくなった。訪問看護1日2回がYさんの普通になった。アウトレットモールに出かけた。人生初のジンギスカンを食べた。新幹線に乗って、USJのアトラクションに乗った。富士山には行けなかった。「よいお年を」で別れた翌朝に「あけましておめでとう」の挨拶をした。Yさんは嚥下が弱くなった。むせるのが普通になった。それでもお餅16個食べた。これが普通だから。肺炎が治らずHOTが始まった。入院治療よりも自宅で愛猫との生活を選んだ。Yさんの普通だ。最期の前日、愛猫を親友に託した。全てやりきった顔だった。今でも空から見守ってくれている。 2026年1月投稿 「『ごめんね』が『ありがとう』に変わった日」 投稿者: 奥田 玲子(おくだ れいこ) さん さんふらわぁ訪問看護リハビリステーション(東京都) 病状の進行により寝たきりとなり、四肢麻痺のある80代女性利用者さんを在宅で支援していました。自力での排便が困難となり、浣腸や摘便、洗浄、オムツ交換といった排泄ケアが必要な状況でした。その方は元来とても気を遣われる方で、ケアのたびに「汚いことをさせてごめんね」「いつも申し訳ないね」と話されていました。自分の汚物処理に他人の力を借りることに、強い負い目を感じておられたのだと思います。私たちは「それが仕事ですから」「気にしないでくださいね」と伝えてきましたが、申し訳なさは軽くなりませんでした。ある日のケアの中で、「私たちは便を取りに来ているのではなく、〇〇さんの不快感を取りに来ているんですよ」とお伝えしました。その言葉に少し驚いた表情をされた後、その日を境に「ごめんね」は「ありがとう」に変わりました。状況やケア内容は変わっていません。変わったのは、「迷惑をかけている」という捉え方から、「つらさを受け取ってもらっている」という感覚でした。看護とは処置を行うことだけでなく、その人の心の負担を引き受けることでもある。この経験は、私たちの大切にしている看護観を改めて教えてくれました。 2025年12月投稿 「旅立つ前の願い」 投稿者: 葛西 聡子(かさい ふさこ) さん 社会医療法人 函館博栄会 高齢者複合施設 ケアタウン昭里 訪問看護ステーションあまりりす(北海道) 小さな漁業の町の自宅で写真館を営んでいた78歳の男性。住民の成長していく姿を撮り続けてきた。妻と子ども、孫がいつも傍にいた生活。体調に気付いたのは、黄染と腹水が貯留し始めた頃。大腸癌、肝臓転移だった。「入院しない、家で死にたいんだ」。家族も「家に居たらいい」。訪問看護を開始した。黄染で掻痒が強く自宅での入浴を希望し、その時間は彼から沢山の思い出やこれからのことを聞いた。数日後、目が開かなくなり呼吸状態も落ちてきた。家族に、死期に近づく過程を説明した。泣きながらメモを取っていた。気になり夕方、こちらから入電。「呼吸が変わってきた」。訪問すると下顎呼吸となり「看護婦さんが教えてくれたから、覚悟できたよ」。妻は、携帯電話で遠方の家族に電話し「じぃちゃん、頑張ったね、ありがとう」彼の耳に当てて聞かせた。やがて呼吸は止まった。家族に見守られながら、生まれた自宅で亡くなりたいことを話してくれていた。初めての看取りの話です。家族との時間、一緒に看護すること、そしてご本人の最期への思いを理解して叶えていくことを大切に思い訪問看護をしています。 2026年1月投稿 「要介護5から自立へ 在宅回復の軌跡」 投稿者: 金﨑 千晶(かねさき ちあき) さん 訪問看護ステーション ぽっぽスマイル(福岡県) 74歳男性。COVID-19後の重症肺炎により気管切開・人工呼吸器管理での治療を受け、呼吸器からは離脱できたものの、痰が多く経口摂取は困難と判断され、経鼻経管栄養のまま要介護5で退院となった。退院後、訪問診療と訪問看護(看護師・理学療法士・作業療法士・言語聴覚士)による在宅支援を開始。元公務員で意思の強いFさんは、思うようにいかない現実に苛立つ場面もあったが、私たちはその姿を「諦めたくない気持ち」「生きる力」と受け止め、多職種で粘り強く関わった。「頑張る自分が大好き!」その言葉通り、Fさんは毎日のリハビリに真摯に取り組み、徐々に経口摂取が可能となり経鼻胃管は抜去。痰の減少とともに気管カニューレも抜去に至った。久しぶりに奥様と「声」で会話できた日の笑顔は、今も忘れられない。雨の日も暑い日もリハビリを継続し、5ヵ月後には趣味の釣りを再開。最終的に要介護5から非該当(自立)へと回復した。「コミュニケーションボードでの会話は、正直つらかった。今、声で気持ちを伝えられることが本当にうれしい」 そう話すFさんの表情は、穏やかで優しいものだった。7ヵ月後の訪問看護卒業の日。「ここまで一緒に来てくれてありがとう」涙を浮かべながら感謝を伝えてくださった。在宅看護・在宅リハビリは、命を支えるだけでなく、その人らしい人生を取り戻す力がある。本症例は、その確かな可能性を示した一例である。 2026年1月投稿 「花子さんとピアノ」 投稿者: 川上 加奈子(かわかみ かなこ) さん よつば訪問看護リハビリステーション(神奈川県) 「音楽は本当に素敵ですね。聴いていると涙が出そうになります」花子さんは93歳。昔、息子さんと2人で音楽鑑賞にもよく出かけていたとのこと。そのため、訪問看護の際にスマホでクラシックを流すととても喜ばれていた。そんなある日、ふとご自宅にあるピアノに目がとまる。たしか花子さんは幼稚園の先生をされていたからピアノは弾けるはず…。「ピアノ?もう40年も昔の話です。弾けませんよ」と苦笑いする花子さんの手をとり、一緒に鍵盤を押す。すると「ドドソソララソ…」。花子さんは音階を口ずみ、指も辿々しくも動きだしたのである。さらには、私が「ふるさと」をピアノで弾くと大きな声で歌いだされ、「なんて楽しいのかしら。毎回やりたいくらい!」と満面の笑みが溢れた。それ以降、花子さんのリクエストにお応えして、ケアの最後には脳トレと嚥下リハビリとしてピアノと歌を一緒に楽しんでいる。「相手を知ることとは、その人が大切にしていることに興味を持つということ」看護研修で学んだこの言葉を、これからも忘れずに利用者さん一人ひとりと関わっていきたいと思っている。 2025年12月投稿 「全・全・半・全・全・全・半」 投稿者: 小林 桂(こばやし けい) さん 訪問看護ステーション デライト石神井公園(東京都) 意味のない独り言に聞こえる言葉を、私はその日、初めて“追いかけた”。居間で彼は、無表情でぼそっと言った。「全・全・半・全・全・全・半」。独語は不明瞭で、質問しても返答は噛み合わない。会話は同席する両親への聞き取りが中心になり、両親も「何を言っているか分からない。妄想の中にいるみたい」と困っていた。沈黙が落ちるたびに、私も“会話する意味”を見失いかける。心の不調を抱える彼の言葉は、ほどけて、こちらの手からこぼれていくようだった。それでも、意味のない音にしてしまわないよう、私は一つだけ決めた。分からない言葉ほど、そのままにしない。並びに聞き覚えがあり、そっと繰り返すと、彼は続けた。「全・全・半…ドレミファソラシド」ピアノの鍵盤だ。両親に尋ねると「そういえば小学生の頃キーボードを習ってた。そんなこと覚えてたの」と懐かしむ。本人に「弾いていたんですか」と聞くと、視線を落としたまま、静かに一度だけ頷いた。初めて会話が繋がった瞬間だった。私の声は、届いていなかったわけじゃない。そう思った途端、胸の奥がじんわり熱くなった。在宅の居間には、家族の記憶と本人のことばが同時にある。その場で背景に触れられるのが訪問看護の強みだと知った。以来、噛み合わない返答の中にも手がかりがあると考え、目線や言葉の端に意味が宿ると信じて手繰り寄せ、対話の糸をほどくように関わり続けている。 2026年1月投稿 「迷いながらも正解のない選択に寄り添う看護」 投稿者: 坂口 葵(さかぐち あおい) さん カンナ訪問看護ステーション(千葉県) 膀胱がん末期80代後半男性。妻と、別居の娘が三人いる。訪問当初は拒否も強かったが、最期は自宅にいたいとの本人の思いを尊重し、スタッフ皆で丁寧に関わり続け、在宅療養は途切れることなく続いていた。徐々に衰弱が進み、水分摂取が困難になると皮下点滴の継続を巡って家族の意見が割れた。「苦しい時間は短くしてあげたい」そう語る妻に、娘は「でも、何もしないで見ているのは辛い。点滴で少しでも元気になるなら…」と声を詰まらせた。私は迷っていた。点滴を続ければ身体的苦痛は増すかもしれない。だが、ここで止めれば「何もしてあげられなかった」という後悔を家族に残すかもしれない。悩んだ末、結論を出すことを目標にするのではなく、家族が互いの思いを語り尽くす場を整えることが今の最善だと判断した。血圧や脈圧の変化、今後起こり得る経過などを説明し、「正解はありません。迷いながら、その時に一番納得できる選択を一緒に考えましょう」と伝えた。話し合いの末、点滴は一日だけ行われ、翌日の誕生日には家族全員が集い、穏やかな時間を過ごされた。逝去後のエンゼルケアでは、娘が「父さんの髪を洗うの、初めて」と涙を流し、孫たちもそっと手を伸ばした。二十代で訪問の世界に飛び込んだ私は、この仕事を通して人生で本当に大切なことを教えてもらっている。大変だが、これ以上に尊い仕事はないと感じている。そんな誇りを胸に、今日も私は訪問に向かう。 2026年1月投稿 「家族で過ごした宝物の時間」 投稿者: 清水 由佳(しみず ゆか) さん スターク訪問看護ステーション三鷹(東京都) 70代の男性が、ほとんど準備の整わないまま急遽退院することになった。末期の膵がん。医師は「家で看取るのは難しい」と話していた。それでも本人は「家族のそばで過ごしたい」と静かに願った。娘さんの家庭には幼く精神疾患を抱える子どもたち、そして自身の精神的な不安もあった。どう考えても「余裕がある状況」ではない。それでも娘さんは「できる限り家で看たい」と父の思いを受け止めた。私はそんな“覚悟”を支え、連日訪問した。不安が強い娘さんには、玄関先で短い会話を重ねて安心を届けた。落ち込みやすい本人には、お孫さんの布団やクッションをそっと傍に置き、「家族の気配」が心を支えるよう工夫した。私が訪ねると本人は不思議と落ち着いた。「あなたは、私の薬みたいだね」と言われたこともあった。わずか9日間。しかしその短さを感じさせないほど、濃く温かい時間が家族の間につくられていった。夫婦で静かに交わした会話。お孫さん一人ひとりとの別れ。旅立ちのあとには、家族全員でエンゼルケアを行い、最期の“ありがとう”を手で伝えた。私が帰ろうとした時、娘さんが涙をこらえ「宝物の時間を、ありがとう」と仰った。家族の力を信じ、その思いに寄り添い、その人らしい最期をそっと支えた。それは看護の力が確かに息づいた、私にとっても忘れられないエピソードとなった。 2026年1月投稿 「『好き』の力が引き出す可能性」 投稿者: 城間 裕斗(しろま ゆうと) さん えん訪問看護ステーション東京池袋(東京都) パーキンソン病を患うその方は、仮面様顔貌(かめんようがんぼう)で表情の変化が乏しく、日中の多くをベッド上で無気力に過ごされていました。リハビリ中も意欲低下が目立ち、身体機能が徐々に低下していくことに私は焦りを感じていました。そんなある日、会話の中で「昔はハーモニカが得意だった」というお話を聞きました。「もう一度、あの音色を聴きたい」と思った私は、自分でもハーモニカを購入して練習し、次回の訪問時に一曲披露しました。すると、普段は自発的な動きが少ないご本人が、お礼にと自らハーモニカを手に取り、一曲奏でてくださったのです。パーキンソンの症状もあり、本当に吹けるのかと少し不安もありましたが、聴こえてきたのは美しく、力強い音色でした。ベッドサイドでは20代のお孫さんと3歳のひ孫さんも一緒に手拍子をして喜んでおり、その光景に胸が熱くなりました。この経験から、ただ訓練を繰り返すのではなく、その方の歩んできた人生や趣味に寄り添うことの大切さを学びました。これからも、利用者様の「好き」という気持ちを引き出し、心から動きたくなるようなリハビリを目指していきたいです。 2026年1月投稿 「拒絶の先にあった"家で生きる"という選択」 投稿者: 鈴木 開哉(すずき かいや) さん ウィル訪問看護ステーションよこはま北山田(神奈川県) 「どうせお前らも、俺の敵なんだろ」。50代男性独居、アルコール性肝硬変末期。著明な腹水と呼吸苦、失禁が続き、易怒性が強く、入院先や在宅サービスでトラブルを重ね、支援は次々と断たれていた。計画相談員からの依頼は、「今回もかなり難しいが、受けてもらえないか」という切迫した一本の電話だった。私たちは「全ての人に、家に帰る選択肢を」という理念のもと、拒絶されることを前提に介入を決めた。ハラスメントの懸念から男性スタッフのみで開始したが、訪問しても扉は開かず、インターホンは無視される。安否を案じて郵便受けから室内を確認すれば激怒され、追い返される。それでも関わりを絶やさなかった。ある日、意識は朦朧、呂律は回らず、便汚染のベッド上で横たわる姿を目にする。肝性脳症を疑い、拒否の合間に声をかけ続け、往診医と連携し救急搬送につなげた。しかし病院でも居場所はなく、早期退院となる。退院後、彼が受け入れた支援は訪問看護だけだった。薬局も入室できず、私たちが内服を受け取り、一包ずつカレンダーにセットする。扉が閉ざされ続ける中でも相手を知ろうと関わりを続けたことで、少しずつ信頼が生まれ、本心を聞くことができた。その瞬間、看護はようやくケアとして成立した。 2026年1月投稿 「お風呂と寿司で生き抜く力」 投稿者: 清政 満枝(せいまさ みつえ) さん スターク訪問看護ステーション板橋徳丸(東京都) Aさんは70代男性で一人暮らし、透析通院中。脳梗塞を患い高次脳機能障害もありましたが、PT、OT、STリハ継続しながら透析も続けていました。しかし生きていくのが嫌になり、透析通院を拒否するようになりました。様々な職種、多くの友人が説得しましたが、ご本人の意思は変わらず透析をしない日々が続きました。ご本人、遠方に暮らす妹、沢山の友人、仕事仲間、主治医、CM、ヘルパー、リハ、看護師等と何度も話し合いを重ねましたが彼の意思は変わらず、透析は終了しました。彼の願いは好きなことを最期まで続けたい。それは「大好きなお風呂に毎日入りたい」こと、「好きなものを食べたい、外食したい」ということでした。急変や転倒リスクを恐れて制限するのは簡単です。しかし彼の思いを尊重し希望を叶えるため、部屋のレイアウトや福祉用具を工夫したり入浴介助の方法を模索したり、多職種で知恵を絞りチームが一丸となって支えました。ある日彼は「お寿司屋さんに行きたい」と言いました。透析を止めて一ヵ月程経っており体調は決して良くありません。それでも多職種が時間を合わせ、外出を実現。出かける準備をする彼の笑顔は、誰もが忘れられない瞬間でした。本当にやりたいことはもうできません。しかし今できるやりたいことを多職種がチームとなり実現できたことは、訪問看護だからこそできる力。最後まで希望を叶える時間は、支えた全員にとって忘れられない時間でした。 2026年1月投稿 「最期まで医師でありたい」 投稿者: 寺山 佳佑(てらやま けいすけ) さん 訪問看護ステーションかすたねっと(大阪府) 抗がん治療を受けながら在宅で働く神経内科医のKさん。咽頭がん術後に化膿性脊椎炎を発症し腕を上げられなくなり、訪問リハを希望された。気管切開によりコミュニケーションは、筆談。初回の訪問は、現役の神経内科医にリハを行うため、異様な緊張感が漂っていた。私は、腕が上げられない原因を説明しリハを行った。腕は徐々に上げられるようになったが、がんの経過は芳しくない。私はKさんにリハ以外でケアができることはないかと悩んでいた。ある日、「趣味はありますか?」と尋ねると、パソコンの前に案内された。すると、リハ中は仏頂面なKさんが嬉しそうに自分の研究論文を見せてくれた。私は、Kさんにとって医師という仕事が日常であり、「最期まで医師でありたい」という想いが伝わってきた。ちょうどその頃、同僚が社外の研修会を行うため、パーキンソン病の発表を準備していた。そこで、Kさんに発表の内容を見て頂けないかと相談すると、快く引き受けて下さった。次の訪問時、家族が上機嫌でパソコンに向かっている姿を楽しげに話してくれた。Kさんは、同僚に在宅で必要なパーキンソン病の薬や生活指導の内容を丁寧に伝えた。発表後、訪問するなり筆談で「発表はどうだった?」と尋ねられた。私は「大盛況でしたよ」と伝えるとお互いに笑みがこぼれた。Kさんとの出会いは、その人にとっての生きがいを理解することの大切さを学ばせてもらった貴重な経験となった。 2026年1月投稿 「桜を見上げるたびに思い出す」 投稿者: 寺山 恵(てらやま めぐみ) さん 医療法人社団 成美会 訪問看護ステーションあさがお(茨城県) 「その人らしい生活を送れる看護がしたい」という思いから訪問看護へ、そこで初めて出会ったのが、神経難病を抱えるNさんです。日常生活は容易ではなく、転倒を繰り返すNさん、好き嫌いがはっきりとした性格で、調子の悪い日には目も合わせてくれません。理想として思い描いていた看護と現実のギャップに悩みましたが、Nさんの思いを否定せず、そばに居続けることを選びました。そんなある日、「この辛さは誰にも分からない」「筋力を落としたくない。ここに居たい」「娘には迷惑をかけたくない」と想いを私に話してくれました。調子がいい日は一緒に一歩ずつ、調子が悪い日は腋窩を支えながら半歩ずつゆっくりと散歩をし、アパートの敷地内に咲いていた、たった1本小さく咲いている桜を眺め「来年もまた見に来ようね」と笑い合った時間は、今でも心に残り、春になり桜を見るとふとNさんの笑顔を思い出します。体調が急変し、救急車で運ばれていく姿を見送ったのが最後の訪問でした。数ヵ月後、遠方に住む娘さんから「あなたに直接感謝を伝えたくて」と電話があり、人目も憚らず私は泣き崩れ、喪失感から次の訪問に向かうまで気持ちを立て直すのに時間がかかった経験も、深く胸に刻まれています。Nさんとの出会いは、訪問看護とは理想を語ることではなく、その人の人生に覚悟をもって寄り添うことなのだと教えてくれました。 2026年1月投稿 「本当の願い」 投稿者: 豊嶋 絵理(とよしま えり) さん えん訪問看護ステーション三豊(香川県) 指定難病の強皮症である彼女の身体は自分の思い通りには動かない。彼女の痛みを和らげようとマッサージをしている時「豊嶋さんは何で訪問看護師になろうと思ったの?」と聞かれ「こうやってゆっくり話をしながら人と関わりたかったからです」と迷わず答えた。「私もヘルパーやっててね、よく時間を過ぎても話を聞いて励ましてあげてた。豊嶋さんは私と同じやね」と微笑んだ。彼女には以前、他事業所が介入しており様々な理由で契約が終了した経緯がある。調子が良くシャワー浴ができた日「寒いと痛みが強くなって辛いんよ。前は無理って言われたけど本当はお風呂がいい。けどシャワーできるようになっただけいいよね」と寂しそうに諦めた言葉。けれど前向きな彼女を私は知っている。「○○さん!色々工夫は必要だけど、挑戦してみましょう!諦めるのはまだ早いです」。勝算があったわけではないが、私は彼女に挑戦して欲しかった。うちの事務所の強みはリハビリスタッフがいること。早速担当スタッフへ相談し福祉用具も手配。我々の心配をよそに動作確認クリア!初めて湯船に入れた時は、満面の笑顔で「無理って言われたしやる前から諦めてた。家のお風呂に入れたの2年ぶりよ!本当に嬉しい。試してくれてありがとう!」 彼女の本当の願いが叶った瞬間に私が立ち会えたのも、彼女の勇気とそれを支えてくれたチームのお陰。ここからまた彼女の挑戦は続く。それをサポートするのが私の仕事。 2026年1月投稿 「旅のコンダクター」 投稿者: 八箇 多恵(はっか たえ) さん 訪問看護ステーション 十色(富山県) 肺癌の末期を宣告後、彼は全国各地を旅して回り、食べ歩きにも行き、緩和ケア病棟から1次退院をした時は、冬がやがて訪れる頃だった。彼の要望は、バイタルサイン測定も排泄や食事の話も、「それをしたところで命が伸びる訳でもなく、それならこの1時間を有意義なものにしたい」と、1時間看護師と色々な話をすることを希望した。彼は旅プラン提案するのが好きだった。私が訪問すると「所長、皆にリフレッシュ休暇あげよ!人生楽しまなきゃ、今しかできないことあるし」と話をしていた。いつの間にか見られないはずだった桜を見て、七夕の短冊は「リフレッシュ休暇が取得できるようになりますように」と、記載されていた。その後状態悪化で再入院。顔を見に行くと「これ、母ちゃんが忘れないようにって持たしてきた」。照れながら見せたのは、我々の新年の挨拶の写真入チラシ。「あんたらのお陰で家での生活楽しかったわ」。病室にも分厚い時刻表の本と、地図があった。「いつでも相談のれるようにな」と笑顔で笑った。今年から、リフレッシュ休暇採用になって皆順に旅する予定である。 2026年1月投稿 * * * 皆さま、おめでとうございます!今後、「みんなの訪問看護アワード」表彰式の様子をご紹介する記事や、大賞を受賞したエピソードの漫画記事も順次公開予定です。ぜひご覧ください。 編集: NsPace編集部 [no_toc]

つたえたい訪問看護の話 受賞エピソード発表!大賞・審査員特別賞・ホープ賞・協賛企業賞【2026】
つたえたい訪問看護の話 受賞エピソード発表!大賞・審査員特別賞・ホープ賞・協賛企業賞【2026】
特集
2026年3月10日
2026年3月10日

つたえたい訪問看護の話 受賞エピソード発表!大賞・審査員特別賞・ホープ賞・協賛企業賞【2026】

NsPaceの特別イベント「第4回 みんなの訪問看護アワード」で募集した「つたえたい訪問看護の話」。厳正な審査を経て、受賞作品が決定しましたので発表いたします。本記事では、大賞1件、審査員特別賞3件、ホープ賞1件、協賛企業賞5件のエピソードをご紹介します! 「わたしらしさを、ともにつくる」 投稿者: 中田 富久(なかだ とみひさ) さん OUR訪問看護ステーション(宮崎県) 当所を立ち上げて間もない頃、挨拶まわりの最中にケアマネさんから静かに問われました。「HIVの方でも…対応できますか?」その一言に一瞬戸惑いながらも、真剣な眼差しに心を動かされ、私は「必ず支えます」と答えました。初めて彼と向き合った日、こんな言葉を聞きました。「わたしらしい人生を、もう一度つくっていきたいんです」幼少期に血友病を発症し、その後に薬害HIVが判明。十代の半ばまで病院や療養学校で日々を重ねてきた彼。脳出血にもあい、社会とのつながりが薄れていた彼にとって、訪問看護は“外の世界との架け橋”だったかもしれません。訪問を重ねるほどに、心の奥に押し込めてきた願いが溢れ始めました。仕事に挑戦したい。自由に外へ出たい。自宅のお風呂に入りたい。それは、ずっと言えなかった「本当の願い」でした。私たちは彼の言葉を胸に、多職種や地域の力を借りながら奔走しました。制度の壁、環境の整備、医療的なリスク…簡単ではなかったけれど、ひとつ実現するたびに、彼の表情が少しずつ明るくなっていくのが分かりました。そしてある日、彼はこう言いました。「3年前の生活から、180°変わりました」彼の『らしさづくり』ははじまったばかりです。訪問看護とは、誰かの人生の再スタートにそっと火を灯す仕事。これからも私たちは、地域の力とともに彼の『わたしらしさ』を『とも』につくっていきます。 2026年1月投稿 「言葉を遺す」 投稿者: 鈴木 沙恵子(すずき さえこ) さん (株)Hale ハレノヒ訪問看護ステーション(東京都) 「明日は娘の結婚式だ。」胃癌終末期50歳のAさん。点滴、麻薬による疼痛管理、胃管、尿管挿入中。血圧は80台/s、尿もほとんどでない状態にあった。待ち望んでいた娘の結婚式を明日迎える。早朝から同行することとなった私は医師の指示で朝の時点で管はすべて抜去した。命がけの外出だった。民間救急車内で寝たまま点滴を行い血圧低下を防いだ。到着時、後方の扉が開いた瞬間そこには新郎新婦がいた。今この瞬間亡くなるリスクが高いことを誰もがわかっていた。Aさんの目の色が変わった。「辿り着いた。行くぞ」タキシードに着替えバージンロードを車いすに乗り進んだ。Aさんは笑顔だった。嬉しい、楽しい、挨拶にいこう。私はAさんの言葉をすべて記録に残した。尿もでないこの状態で幸せな言葉が溢れていた。今看護師の私に求められている役割は判断だ。血圧を維持したい。痛みを軽くしたい。目を開けてこの景色をみていられるように何とかしたい。そしてこんなにも幸せな笑顔のAさんの言葉を家族に残したい。神経を張り巡らせ、ひと時もAさんから目を離すことなく看護師として存在した。式を退出するその時、Aさんは私に言った。「俺の娘はこの世で一番綺麗だろう」他人の私にだからこそ言えた言葉だ。Aさんに喜びを与えられた気がした。Aさんは日付が変わる頃、家族に見守られ静かに息を引き取った。私は家族に幸せなAさんの言葉をたくさん遺すことができた。 2026年1月投稿 「ママ、ぼくが作ったよ」 投稿者: 高橋 さゆり(たかはし さゆり) さん ReHOPE 南町田(東京都) 脳転移と闘う40代のSさま。「一番の気がかりは子どものこと」と涙され、8歳の息子さまとの時間を何より大切に入居されました。ある日、息子さまの「ママの生姜焼きが食べたい」という一言から、病室での料理会が実現。麻痺のある手を添えて包丁を握り、香ばしい匂いと笑顔が弾ける中、母の味を再現しました。それから餃子作りなどを重ね、食を通じて家族の記憶を紡いだ日々。そして迎えた最期の時。Sさまが絞り出した言葉は「やきそば」でした。その声に応えようと、息子さまは自ら焼きそばを作り、母の口元へ。「ママ、ぼくが作ったよ」。食べることは叶わずとも、成長した愛息からの贈り物は心を満たし、その瞬間、Sさまは安らかな母の顔をしていました。息子さまが新学期を迎えた春の日、Sさまは静かに旅立たれました。最期まで「母」として生き抜いた強さと、母を支え成長された息子さまの姿。それはSさまが遺した、何より尊い愛の証でした。 2026年1月投稿 「たっくん、天国で元気にしてるかい?」 投稿者: 山藤 響子(やまふじ きょうこ) さん 医療法人社団 永生会 大和田訪問看護ステーション(千葉県) 末期心疾患で余命1ヵ月と告知された、当時2歳の「たっくん」。ご家族の「どうしてもたっくんを家に連れて帰りたい!」の一言から、在宅移行が動き出しました。家族、訪問診療、訪問薬局、そして私たち訪問看護チームが輪になり、当時前例のなかった強心剤24時間持続投与に挑みました。ブロビアックカテーテル、日中のネーザルハイフロー、夜間のBiPAP。複数の医療デバイスが絡む中、CADDポンプの薬剤カセット交換や急変の不安が立ちはだかり、受け入れの可否を巡ってチーム内でも揺れました。それでも手技を標準化し、連絡網と物品を整え、家族と何度も練習を重ねて「暮らし」を守る体制を作りました。その後、たっくんは宣告を大きく超える8ヵ月をご自宅で過ごされました。たっくんが虹の橋を渡った後、お母様は「たっくんが愛の種まきをしてくれて、皆様とも出会えて幸せでした」と語ってくださいました。小さな身体で最後まで懸命に生き抜いたたっくんと、その時間を抱きしめ続けたご家族に、私たちは深い敬意を抱いています。この経験は今も、私たちの看護の軸として息づいています。 2026年1月投稿 「それでも地域で生きている」 投稿者: 米原 拓也(よねはら たくや) さん スターク訪問看護ステーション三鷹・調布(東京都) ベッド上で寝たきりの要介護5、90代男性。ストマ管理が必要な夫の生活を支えていたのは、認知症を抱える80代の妻だった。基本的なパウチ交換はできていたが、排便のたびにパウチを交換してしまうことや徘徊で買い物に出たまま家に戻れず、看護師がショッピングモールを探し回ったこともある。また、やかんの火を消し忘れ、訪問時にガスがついたままのこともあった。医療者の視点では「問題」が並ぶ夫婦だった。それでも妻は繰り返し語った。「夫が亡くなるまで、ここにいさせてあげたい。私は夫より一日でも長く生きられればいいんです」。その言葉には、揺るぎない覚悟があった。往診医、看護師、リハビリスタッフ、ケアマネジャー、ヘルパー、家族が何度も話し合いを重ね、夫婦の安全を守るためにそれぞれの訪問時間を調整して夫婦のもとへ訪れた。完璧な生活ではない。それでも、この夫婦は夫が逝去する最期まで自分たちの家で暮らし続けることができた。課題をなくすことが支援のゴールではない。課題を抱えながらも「それでも地域で生きる」力に向き合い、その人の人生を支えることこそが、訪問看護の本質であると深く教えられた事例であった。 2026年1月投稿 NTTプレシジョンメディシン賞 協賛企業: NTTプレシジョンメディシン株式会社業務をまるごとDX。訪問看護ステーション用電子カルテ「モバカルナース」 「島唄が架けた、言葉なき架け橋」 投稿者: 稲葉 実結(いなば みゆ) さん ソフィアメディ訪問看護白金高輪ステーション(東京都) 人工鼻を使用し、発語ができない独居の女性。生来お話し好きだった彼女は、思いが伝わらない苛立ちを、いつも諦めたような首振りと沈黙で終わらせていた。指先の震えから書字も拒み、私たちの間に「言葉」が架かることは一度もなかった。なかなか縮まらない距離に、私自身も無力感を感じる日々が続いていた。転機は、壁に飾られた一枚の海辺の写真だった。ある離島の出身だと知り、次回の訪問時にスマホでその島の「島唄」を流してみた。私が鼻歌を添えると、彼女の手が静かに拍子を取り始め、やがてその瞳から音もなく涙が溢れ落ちた。驚く私に、彼女は両手を合わせ、拝むような仕草を見せた。そして、あれほど拒んでいたホワイトボードを自ら引き寄せ、震える手でゆっくりと記した。「懐かしい」。その日を境に、彼女と「声なき会話」が続くようになった。いまでは、私が転んで作ったアザを笑って、それでいて心配するようになった。言葉の会話はなくとも、沈黙が来ることはなくなった。看護とは病を診るだけでなく、その人の人生が奏でてきた音色に耳を澄ますこと。島唄が架けてくれた小さな絆は、今も私の中で優しく響いている。 2026年1月投稿 東洋羽毛賞 協賛企業: 東洋羽毛工業株式会社ーより良い眠りから、健やかな毎日へー私たちは現場で頑張る訪問看護師の皆様を快適な眠りでサポートします 「また生まれてきたら同じ両親の元へ」 投稿者: 前田 昌紀(まえだ まさき) さん M.Crew訪問看護ステーション(東京都) ある日の訪問の合間、車での移動。バス停で待つ母子を見かけます。男の子は高校生くらい。ニコニコしてお母さんと話しています。その男の子は松葉杖をついていて、片方の足の先がありません。可哀想に…。怪我か病気で失くしたんだろうか…。その後もニコニコとお母さんに話している様子を見て、「頑張って」と心の中で声をかけます。それから、3ヵ月くらい経った頃に近くの大学病院のソーシャルワーカーから訪問看護の新規依頼。17歳の男の子で骨肉腫、肺転移による末期状態の診断。数日後に訪問診療の先生と初回訪問に伺います。「あっ!あの時の男の子だ!」。優しい笑顔で迎え入れる本人に、心の中でつぶやきました。病状が進行する中、「もう一度ラグビーを観に行きたい」。看護師が付き添い、試合を観に行ったり、訪問の先生が、本人が好きな選手のサインを知り合いに頼んでもらってくださいました。徐々に病状が進行し、苦しさから「もう終わりにしたい!」と訴えるようになり、お薬を調整していきました。最期の意識がなくなる寸前に、両親に「ありがとう」と、か細い声で言いました。意識をなくした後に看護師から「また生まれてきたら同じところに生まれて来ようね」との声がけに確かに「うん」と頷き、1時間後に息を引き取りました。数ヵ月後、近くのコンビニでお母さんが働き始め、再会。訪問の合間に寄るといつもカウンター越しにお互い涙を目にためて話しています。 2026年1月投稿 アクリーティブ賞 協賛企業: アクリーティブ株式会社レセプト請求業務の代行を通じ、訪問看護事業者様がよりご利用者様と向き合える環境づくりをご支援します。 「"あたたかさ"で支える」 投稿者: 平林 陵星(ひらばやし りょうせい) さん 訪問看護ステーションこむすび(和歌山県) 「今日はあそこのお店のケーキ。まぁ、なんだかんだ言って、コンビニスイーツが一番ええわな」と、超が付くほどの甘党のAさん。肺がん末期の状態で、在宅酸素や麻薬の持続注射を行っています。病気は進行し、酸素流量は最大量に。大好きなスイーツも受け付けなくなり、呼吸困難を緩和するため浅い鎮静剤の投与が始まりました。そんな矢先、奥様が「看護師さん見て!来週、家の隣にコンビニがオープンするんやって!なんとか行けやんかなぁ」と、チラシを片手に嬉しそうに相談してくれました。Aさんも「オープン日に行こう」と約束。雨予報が快晴に変わったオープン当日。医師の了承を得て、ご家族と私と車椅子に乗ったAさんコンビニへ向かいました。しんどい中でも、Aさんはスイーツ棚をじっと見つめ、自分で欲しいものをカゴに入れていました。イベントのガラガラ抽選会はハズレでしたが、店員さんの粋な計らいで「当たりだよ」と伝えられ景品を獲得。さらに、サプライズで外でご親族が待っていてくれました。皆で数週間ぶりの日なたぼっこを楽しんだ後、選んだスイーツを食べることもできました。数日後、Aさんは穏やかなお顔で旅立たれました。後日、奥様は「あの時、看護師さんだけでなく、あたたかい周りのみんなに支えられました」と話してくれました。あの日の色んな“あたたかさ”は、今でも私の心を照らし続けてくれています。 2025年11月投稿 「無人島に街を!」メディヴァ賞 協賛企業: 株式会社メディヴァ患者視点の医療改革を理念に、医療・介護・予防分野において、革新と価値創造を目指すコンサルティング企業 「理念である『地域の懸け橋』の瞬間」 投稿者: 栗原 拓郎(くりはら たくろう) さん アール・クラ横浜(神奈川県) 新規依頼の問い合わせ。子どものお母さんからだった。療育センターから「呼吸リハビリに詳しい理学療法士がいると聞きまして…」の連絡。エリアを確認すると、訪問の範囲外で片道1時間以上の距離だった。普段なら断るが切実な相談内容に「少し時間をください!」と電話を切る。訪問ができなくても、何か私にできることがあるのではないか…考える。依頼先の近隣にある基幹病院の療法士が、地域ブロックの代表者であることを思い出し相談してみることに。内容を説明すると快く引き継いでくれ病院のOBが訪問看護で働いていると紹介してくれる。OBの方から「知り合いに適任者がいるので紹介します」とさらに繋いでくれる。対応できる療法士が決まり、ご家族から「紹介してもらった方は、昔から療育センターで担当してもらっていた方でした。息子も喜んでいます」との内容だった。訪問エリア外でも地域のネットワークを使い、弊社理念である「地域の懸け橋」を繋いだ瞬間を感じることができた1日だった。 2025年12月投稿 ワールドアベニュー賞 協賛企業: 株式会社ワールドアベニュー海外の看護・医療現場で有給で働ける看護師限定ワーホリや海外正看護師資格取得をサポートしている留学会社です。 「ICTで言葉の壁を超える多文化共生ケア」 投稿者: 小川 祥子(おがわ しょうこ) さん ウィル訪問看護ステーションよこはま北山田(神奈川県) 生後まもない女の子。先天性表皮水疱症。触れるだけで皮膚が剥がれ、感染の不安と隣り合わせの毎日だった。インドネシア国籍の両親は、慣れない日本、言葉の壁、宗教的背景の中で、先が見えない状況の中、ご両親には不安の色が滲んでいた。私たちは翻訳アプリを使い、何度も言葉を探しながら対話を重ねた。伝えたいことが伝わらないもどかしさの中で、よくある質問や不安をまとめたパウチを作成し、「いつでも確認できる安心」を形にした。在宅でのケアは容易ではない。水疱の破疱、入浴、軟膏や被覆材の選択。感染を防ぎたい一方で、過度に守ることで発達を妨げてしまうのではないかという葛藤があった。私たちは「守る」と同時に「育てる」視点を忘れず、医師と密に連携し、見守り下では手先の自由を確保し、指の癒着を防ぐ関わりを続けた。また、ケアの中心から外れがちだった兄にも目を向け、家族全体を看る姿勢を大切にした。MCSを活用し、皮膚状態を共有することで異常の早期発見にもつなげた。退院後半年、感染を起こすことなく自宅での生活が続いている。日々の関わりの中で少しずつ日本語を習得し、簡単な意思表示やコミュニケーションを自らとってくれるようになっている。言葉の壁を越えて相手を知ろうとし続けたことが、不安だった育児を「この子と生きる時間」へと変えていった。 2026年1月投稿 皆さま、おめでとうございます! 入賞作品については、こちらの記事をご覧ください。つたえたい訪問看護の話 受賞エピソード発表!入賞【2026】 編集: NsPace編集部 [no_toc]

悩んだ&困ったエピソード【つたえたい訪問看護の話】
悩んだ&困ったエピソード【つたえたい訪問看護の話】
特集
2026年3月3日
2026年3月3日

悩んだ&困ったエピソード【つたえたい訪問看護の話】

多職種で連携を行う在宅医療ではたくさんの人と関わるため、時折「聞いていた話と違う!」という困った出来事や、「どうやって支援環境を整えればいいの?」という困難な問題に遭遇することがあります。「みんなの訪問看護アワード2023」に投稿されたエピソードから、訪問看護をしていて困ったエピソードを3例ご紹介します。 「孫はSNSで発信を続ける売れないミュージシャン」 利用者さんの環境を整えるのも訪問看護師の大事な仕事ですが、利用者さんのご家族に悩むケースも少なくありません。 患者さんは78歳のご高齢。公営の団地に住まわれていました。息子さんは 子どもが産まれてすぐに離婚され子どもを引き取られました。息子さんは毎日仕事に忙しくされ家のことは何もされないので、この患者さんがお孫さんを育てあげた感じです。蜂窩織炎で毎日の処置が必要とのことで訪問看護が入りました。狭い団地にお孫さんの物らしき荷物がびっしりと詰め込まれ患者さんの寝る場所すらなく、患者さんは炊事場の前の小さなスペースに椅子に座って眠るという生活だったようです。そんなお孫さんはひと部屋の中にベッドを入れ、壁を背に配信のスペースを設け SNSに歌の配信を行っていました。しかし仕事はせずに患者の年金を当てに生活され、ほぼネグレクトな状態でした。こちらが挨拶をすれば挨拶を返してくれるような程度のコミュニケーションしか取れません。患者さんの生活基準も低くそこからの対応が必要な状態でした。結局、座ってしか眠れない状態では傷も良くならないということで患者さんは入院になりました。入院中に家の環境を整える話は出ていましたがその孫が連絡を取り合わないので話は進まない状態です。 2023年2月投稿 「退院カンファで『歩ける』って聞いたのに」 退院して在宅へ戻る際、医療機関の担当者と情報の共有を行いますが、評価の判断や言葉の認識が同じではないことを考えさせられる事例です。 コロナよりも数年前。回復期病棟から退院予定の60代の女性。もっと動けるようになりたいと、訪問看護とリハビリを希望。退院カンファでPTより「装具と杖で歩行は自立」と言われる。初訪問で家族から一言「歩けません!」。よくよく聞くと「装具をつけていない」ことが発覚。装具をつけて解決かと思ったら、本人も家族も、装着の方法も必要性も分かっていなかった。「普通家では靴もこんなの(装具)もつけないでしょ」と本人。必要性を伝え、着脱練習を何度か繰り返した後、スタッフ不在でも歩行可能となる。退院直前まで、機能の底上げに偏りすぎてはいけない、歩く動作の周辺を含めた、生活を意識したリハビリを病院でも意識してもらうことの大切さを感じました。 2023年2月投稿 「訪問サービスが本当に必要な場所とは」 目の前の利用者さんとの支援だけではなく、社会的な視点での問題に困ることもあります。 私は1ヵ月前に今の事業所へ転職した、まだまだ未熟者の新人訪問看護師です。私の事業所は、1年ほど前より、離島への訪問を行っています。離島での訪問看護に必要性を感じた社長が、自ら村長と話をし、島民への訪問看護・リハビリが始まりました。ご存知の通り、離島などのへき地は、若い方は少なく、高齢者が多いため、老老介護や家族介護がほとんどです。施設や病院もなく、診療所に医師と看護師が1人ずつ。離島医療がテーマの某ドラマを生で見ているようでした。都合上月にたった2回の訪問ですが、利用者のADLが以前と比べ明らかに変化してきていると聞き、さらなる可能性を感じます。また、倒れていても、周りに人がいない等の理由で、発見や対応が遅れてしまうことも多々あるとのことでした。現在、昔と比べ、訪問看護ステーションの数はかなり増えてきてますが、本当に必要な場所へはまだまだ普及していないのが現実です。 2023年1月投稿 事業所内の「報・連・相」もしっかりと 今回は3例の実体験を通じ、異なる困りごとをご紹介しました。支援環境を整えられないという社会的・物理的な問題から、対人的な問題まで日々さまざまな困りごとが発生します。訪問看護は原則1名で訪問しているため、こうした困りごとも1人で抱え込みがちです。「三人寄れば文殊の知恵」という言葉もある通り、管理者や先輩などと共有することで解決を図れることも多いでしょう。まずは社内のコミュニケーションを円滑にしていきたいですね。 編集: 合同会社ヘルメース イラスト: 藤井 昌子 

エンバーミングとご家族のケア―最後の時間を穏やかに過ごすために
エンバーミングとご家族のケア―最後の時間を穏やかに過ごすために
コラム
2026年2月17日
2026年2月17日

エンバーミングとご家族のケア―最後の時間を穏やかに過ごすために

エンバーミングは、ご遺体の状態を保つための技術であると同時に、大切な人の死を受け止め、お別れの準備ができるよう時間と環境を整えるための支援でもあります。今回は、エンバーミングによる心理的な影響や、著者が代表取締役を務める株式会社ジーエスアイで取り組んでいる施術後のご家族との関わりについて教えていただきます。 はじめに ACP(アドバンス・ケア・プランニング)をはじめ、患者本人の医療行為に関する意思を尊重する取り組みが広がりつつあります。それと同時に、さまざまな民間団体が「終活」という枠組みの中で、亡くなる前にご家族の負担を軽減するための活動を積極的に展開しています。 「最後にどのように送られたいか」「どのように送りたいか」を本人とご家族、それぞれの希望を生前に共有し、準備しておくことで、いざという時に心の余裕が生まれ、その人らしい最後を迎えられるのだと思います。 アメリカから帰国後に、終末期医療や訪問医療に携わる医療従事者と、エンバーミングについて意見交換をしたことがあります。ご家族にとってエンバーミングは「安らかできれいな姿でお見送りができる」「葬儀の日程が先になった場合でも、保冷庫の中に預けたままではなく、そばにいてあげられる」といった点から、選択肢の1つになり得ると肯定的な意見があった一方で、次のような疑問も投げかけられました。 「その変わらない姿を見ることで、長く一緒に過ごすうちに、かえって死を受け入れられなくなるのではないでしょうか」 こうした疑問を受け、今回は「エンバーミング」と「死を受け入れること」について、現在もエンバーミングと並行して取り組んでいる「グリーフ(悲嘆)」の視点から考察していきたいと思います。 「きれいな姿」が死の受容を妨げる? また別の機会に、葬儀社の方々とエンバーミングについて意見交換をした際にも、似たような話がよく聞かれました。 例えば、 亡くなって体温が下がり、さらにドライアイスなどで冷やされた身体に触れることで、死の現実を実感できる。変化しなければお別れの決心がつきにくい 儀式が滞りなく進むことで、死を受け入れることができる。エンバーミングを行い、日程を延ばせば、お別れができなくなる といった内容が代表的なものでした。 依頼を断るケースもある 起業した20年ほど前、まだエンバーミングを知る人も少なかった頃、あるご遺族からエンバーミングのご相談がありました。その方がエンバーミングを希望する理由を含め、長時間お話をお聴きする中で、その言動から故人との間に極度の依存関係があり、精神的にも執着している可能性が高いと感じられました。 また、日本遺体衛生保全協会(IFSA)が定める自主基準(表1)のうち、海外搬送の場合を除き、死亡後50日を超えてのご遺体の保存処置を行わないというルールにも同意いただけませんでした。そのため、依頼を受けてしまうと大きな問題へと発展する恐れがあると判断し、やむなくお断りしたケースでした。 表1 IFSAの自主基準 1.本人またはご家族の署名による同意に基づいて行うこと2.IFSAに認定され、登録されている高度な技術能力を持った技術者によってのみ行われること3.処置に必要な血管の確保および体腔の防腐のために最小限の切開を行い、処置後に縫合・修復すること4.海外移送をする場合を除いて、死亡と判定された日から50日を超えて保全しない 日本遺体衛生保全協会:エンバーミングの法的解釈.https://www.embalming.jp/embalming/interpretation/(2025/8/26閲覧)より許諾を得て転載 しかし、これはあくまでも例外的なケースであり、基本的に私たちは、IFSAの自主基準に同意していただければ、処置依頼を受けるようにしています。 その上で強調しておきたいのは、「お別れができないから」という理由で葬儀や火葬を取りやめた事例は、これまで一度もないということです。私たちはご遺族が大切な方と最後のお別れをきちんとできるように、できる限りの支援をしています。 実際、アメリカにおいてもエンバーミングを説明する際には、故人の面影やその人らしい表情を取り戻すための大切なプロセスとして「Preparation(準備)」という言葉がよく使われます。エンバーミングは、お別れの時間を整えるための行為であり、私たちの姿勢もそこに重なります。 処置後も関わり「死を受け入れる」手助けに エンバーミングを行っても、ご遺体が安置される環境によっては、状態が変化することがあります。それは皮膚の乾燥です。心臓の停止により血流が止まり、体内の水分供給が断たれるため、時間とともに水分が蒸発し、特に外気に触れる部分や皮膚の薄い部分が乾燥しやすくなります。 このため、処置後も表皮の保湿を続けなければ、どうしても乾燥は進んでしまいます。ご安置が1週間を超える場合には、定期的にご自宅を訪問してお身体の状態を確認し、保湿や化粧直しなどを行います。お見送りやお別れの日まで、よりよい状態を保つために故人と関わり続ける必要があるのです。これを、当社は「様子見」と呼び、大切な取り組みとして位置づけています。 また、この機会を利用して「死を受け入れる」プロセスを進めるための働きかけも行っています。 エンバーミングの処置依頼を受ける時点では、さまざまな事情から葬儀の日程が決まっていないこともあります。そのような場合には、ご遺族が納得した上でお別れの場に臨めるように、様子見の際にお話を伺いながら、後悔の念や罪悪感を抱えていることがあれば、その解消に向けた支援ができるよう意識しています。もう少し理解していただきやすくするために、当社が実際に行っている支援の工夫をお伝えしましょう。 少しずつ変化をつける ご遺体の安置時には、安らかに眠っているかのように見えるよう、パジャマや浴衣をお着せします。納棺の日には、その人らしさを象徴するようなお見送りのための服装への着替えをご提案することもあります。納棺を通じて、旅立ちの準備が進んでいることを自覚できるように変化をつけ、徐々に死を受け入れる流れを作っています。 罪悪感や後悔の解消をサポート 闘病中は病気の治療が最優先となり、それ以外のことが後回しにされることがよくあります。「おしゃれがしたい」「きれいにメイクをしたい」「爪をかわいくしたい」といった願いも、「元気になったらね」と先送りされることが多く、結果的に叶わなかったということが少なくありません。亡くなった後に、「生前にもう少し好きにさせてあげればよかった」と後悔されるご遺族が少なくないのです。 多くの企業では、エンバーミングとお化粧をエンバーミングセンター内で完結させます。しかし、先述したように、当社ではご希望があればご自宅でメイクはもちろん、マニキュアを塗るなど、生前にできなかったことを最後に叶えて差し上げることもあります。 生前にご本人がしたいとお話しされていたことや、ご家族の希望を細かくお伺いし、元気だった頃のお写真を参考にしながら、できる限りそのお姿に近づけていきます。最後にご家族と一緒に仕上げていく時間を設けることで、最後の思い出作りができるよう工夫をしています。 「おかえり」と迎える時間の大切さ ご遺族は、表情が戻った故人を見て、「おかえりなさい」「お家に帰ってきたよ」と声をかけられます。故人が病院で亡くなり家に帰ってきた時には、「死体」になってしまったという感覚が拭えないのか、遠巻きに見ているご遺族も中にはいらっしゃるのですが、エンバーミング後は、その感覚はなくなるそうです。大切な人との思い出がよみがえり、周囲の人に「ぜひ顔を見ていって」「あの人に会っていって」と声をかけられる方が本当に多いです。 エンバーミングを施しただけでも、ご遺体の状態が安定し、ご遺族の不安は解消されることでしょう。それだけでなく、ご遺体の前で、ご遺族が感じていることを話す機会を作ることで、最後のお別れまでの時間が、ゆっくりと「大切な人の死」を受け入れる時間になっていくのだと思います。  執筆:橋爪 謙一郎株式会社ジーエスアイ 代表取締役一般社団法人グリーフサポート研究所 代表理事米国で葬祭科学とエンバーミング、グリーフサポートを学び、帰国後(有)ジーエスアイと(一社)研究所を設立。現在は東大大学院で脳科学的視点からグリーフの研究を行う。編集:株式会社照林社

【EB難病看護事例】「知られていない」がゆえに届かない看護 制度解釈の課題
【EB難病看護事例】「知られていない」がゆえに届かない看護 制度解釈の課題
特集
2026年2月10日
2026年2月10日

【EB難病看護事例】「知られていない」がゆえに届かない看護 制度解釈の課題

「指定難病のなかで訪問看護を必要とする疾患は?」と聞かれると、多くの人はパーキンソン病や筋萎縮性側索硬化症(ALS)などの神経系難病を思い浮かべるかもしれません。一方で、希少難病を抱える方々も訪問看護を必要としており、病状によっては毎日の訪問看護が欠かせない場合もあります。それにもかかわらず、現在の制度ではこうしたニーズに十分応えられていないのが実情です。今回は、希少難病の1つである「表皮水疱症(epidermolysis bullosa:EB)」を例に、この課題について考えてみたいと思います。 表皮水疱症(EB)とは EBは遺伝性疾患であり、表皮と真皮を接続させるタンパク質の遺伝子に異常があります。そのため、皮膚そのものが非常に脆弱で、軽微な外力で全身の皮膚や口腔粘膜などに水疱やびらんが生涯にわたって生じます。特に足趾や手指など日常的に外力の加わる部位は、深い潰瘍を形成し、癒着することもあります。さらに、びらんした全身の皮膚からは常に血液や滲出液が漏れ出るため、慢性的な貧血や低栄養を伴うことに加えて、合併症による皮膚がんで生命を脅かされることも少なくありません1)。日本における患者数は、約500~1,000名と報告されていますが、難病法における医療費助成受給者証を取得されているのは約300名です2)。 EBの治療/対症療法について 筆者によるこれまでの研究では、EB専門医は非常に少なく、診断後の病状に応じたケアや合併症予防のための積極的な介入はあまり行われていません。主に皮膚ケアに必要となる「ガーゼや創傷被覆材などの処方」が中心となっていました。 現状、病状管理について相談しやすい医療環境とはいえず、家族は在宅生活のなかで日々絶え間なく生じる皮膚病状と対峙し、ケア方法を手探りで模索し続けています。ご存じのとおり、皮膚は身体最大の臓器であり、病状が全身に及ぶ場合、1日の多くの時間がケアに費やされます。皮膚ケアだけでなく、入浴や食事、病状を悪化させないための衣類や寝具の工夫、移動の介助など、EBケアは生活全般にわたるのです。これらの膨大なケアは、今もなお家族の孤軍奮闘によって支えられています。 事例:Kさん(高校生)の皮膚ケアの実際 では、EB患者さんの皮膚ケアとはいったいどのようなものなのでしょうか。高校生のKさんの事例をもとに実際を紹介します。Kさんは全身の皮膚や口腔粘膜などに病状があり、指趾の癒着もあるため、皮膚ケアのみならず日常生活すべてに支援が必要です。 現在、入浴を含めた全身の皮膚ケアは、週3回行われています。このケアには、Kさんの母親、祖父母のどちらか、さらに訪問看護師が参加し、計3人で実施しています。ケアには1日4時間以上かかりますが、訪問看護師が参加できるのは利用時間の1時間半のみです。 以下の語りは、皮膚ケアを担っておられるKさんの母親のものです。 「(訪問看護師が入る)1時間半の後ね、右足だけやりはって、包帯巻くとこまでいかないの。その1時間でやっとできるのが、血を抑えるのと薬塗んのんと水疱を潰すっていうところ、しかも右足だけ。右足と右手か。右半分を彼女たち(訪問看護師)に任して、左半分を私がして。おばあちゃんは(水疱の中の水を)抜いたりはできない。だからそれこそ、おばあちゃんが、なんか、よく見てるし、そのもう1人の人のこともよく知ってるから、そろそろテープ要るなとか、あと4枚ガーゼが足らんなとか分かるみたいで、うん、で、先々にやってくれてすごい助かるんやけど」2)。 皮膚ケアには多くの時間・人手が必要 皮膚ケアは、Kさんの身体の左右に分かれて、母親と訪問看護師によって同時進行で進められていきます。祖父母たちはケアの進行具合に応じて、テープをカットしたり、ガーゼを準備したりしています。 当然、病状は日々変化します。そのため、全身の皮膚病状に応じて軟膏やガーゼ、創傷被覆材の種類を変える必要があります。また、ガーゼや創傷被覆材は体の動きに追従するよう固定を工夫しなくてはなりません。出血や滲出液があるため、入浴日だけでなく、毎日ガーゼや創傷被覆材の交換が必要です。このように、Kさんの皮膚ケアには時間も人手も多くが求められます2)。 生命予後の改善と医療・福祉サービスの役割 これまで、病状が重いEB患者さんは、びらんした皮膚からの感染症や、皮膚がんの発症によって短命となるケースが多くみられました。そのため、EB患者さんを対象とした看護学研究は、まずは生命を維持し、在宅での生活が継続できるよう家族の存在を前提としたものでした3),4),5)。 しかし近年では、家族による献身的なケアに加えて、病状に応じたさまざまな創傷被覆材の使用や、合併症の早期治療が進められるようになり、生命予後の改善が図られるようになっています。その結果、重度でも成人期を迎えるEB患者さんが増えてきたのです。それは今後、EB患者さんが自立した生活を送るためには、これまで家族が担ってきた役割を、医療や福祉サービスなどが引き受ける必要があることを意味しています。 Kさんの皮膚ケアからも分かるように、EB患者さんの皮膚ケアには訪問看護師による専門的な支援が求められます。しかし、冒頭で述べたように、EB患者さんが訪問看護を毎日利用することは難しい状況にあります。 訪問看護制度における課題 ご存じのとおり、訪問看護を利用する場合、医療保険であれば週3日までです。しかし、以下の条件に該当する場合には、訪問看護の利用日数や回数が大幅に拡大されます6)。  「特掲診療科・別表第7 厚生労働大臣が定める者」(以下、別表第7) 「特掲診療科・別表第8 厚生労働大臣が定める者」(以下、別表第8) 「特別訪問看護指示書」が交付された場合 別表第7について 別表第7では、主に病名が指定されており、神経系難病が多く対象となっています。しかし、そのなかに希少難病であるEBは含まれていません。 別表第8について 別表第8では、医療的ケアが必要な状態にある者が指定されています。そのなかの1つに「真皮を超える褥瘡の状態にある者」があります。EB患者さんたちも病状によっては、全身のさまざまな部位に真皮を超える皮膚病状が存在しているため、この条件に該当するかと思われます。 しかし、「真皮を超える褥瘡の状態にある者」という表現には、いかようにも解釈が可能な曖昧さが含まれています。例えば、「EBの病状はそもそも褥瘡ではないため条件に該当しない」と判断される場合もあれば、「EBの病状も真皮を超えていれば褥瘡の状態と同一であるため該当する」とされる場合もあります。つまり、「真皮を超える褥瘡の状態にある者」という制度的な位置づけは、医療者の解釈によって判断が異なってしまうという現状があるのです。 特別訪問看護指示書について 特別訪問看護指示書は、一時的に病状が悪化した場合に主治医が交付する書類です。重度のEB患者さんの場合、常に真皮を超える皮膚病状が存在していることから、「一時的に」病状が悪化しているわけではないため、その目的から外れるのです2)。 希少難病の共通課題と支援体制 今回、お話しした状況はEB患者さんに限らず、他の希少難病を抱える患者さんたちにも当てはまる可能性が高いと考えられます。希少難病という特性上、患者数が少ないため、これらの問題をまとまった声として社会に伝えることができないかもしれません。今後、希少難病を抱える患者さんの生命やQOL(生活の質)、そして家族との生活が、安定的かつ持続的に維持できる体制の整備が喫緊に求められているのです。  本事例は、本人の承諾を得た上で掲載しています。個人が特定されないよう、必要な情報を匿名化し、適切に調整を行っています。本内容は教育・研究を目的としており、特定の診療や治療を推奨するものではありません。   執筆:戸田 真里京都光華女子大学 看護福祉リハビリテーション学部看護学科在宅看護学、立命館大学生存学研究所 客員研究員日本難病看護学会認定・難病看護師として、病院や在宅支援機関、難病相談支援センターでの勤務を経て、現職。主な著書に『からだがやぶれるー希少難病 表皮水疱症』(生活書院、2024年刊)がある。編集:株式会社照林社 【引用文献】1) 山本明美他編:稀少難治性皮膚疾患に関する診療の手引き.稀少難治性皮膚疾患に関する調査研究班事務局,2011.2) 戸田真里:からだがやぶれる 希少難病 表皮水疱症.生活書院,東京,2024.3) 上嶋仁美:先天性表皮水疱症を有する児の看護.Neonatal Care 1997;10:224-229.4) 中村久美:表皮水疱症児の両親への日常生活指導と訪問看護との連携.日創傷オストミー失禁管理会誌 2014:18(4);354-357.5) 和田実里,中込さと子:栄養障害型表皮水疱症学童の発育過程と皮膚症状ならびに親によるケアに関する記述研究.日遺伝看会誌 2014;12(2):2-17.6) 厚生労働省:訪問看護(改定の方向性).令和5年11月6日.https://www.mhlw.go.jp/content/12300000/001164130.pdf2025/3/31閲覧

【MS難病看護事例】看護ができることが見えにくい 孤立を防ぐかかわりと制度の狭間
【MS難病看護事例】看護ができることが見えにくい 孤立を防ぐかかわりと制度の狭間
特集
2026年2月3日
2026年2月3日

【MS難病看護事例】看護ができることが見えにくい 孤立を防ぐかかわりと制度の狭間

皆さんは「多発性硬化症」について、どのようなイメージをもっていますか?「何となく聞いたことはあるが、どのような病気なのかよく分からない」「ALS(筋萎縮性側索硬化症)やパーキンソン病と同じような難病というイメージ」など、訪問看護師にたずねるとよくこのような答えが返ってきます。今回は多発性硬化症(multiple sclerosis:MS)を取り上げ、対話を通じた支援により、制度の狭間に陥りやすい対象者が孤立しないようにかかわった事例を紹介します。 多発性硬化症(MS)とは はじめに、多発性硬化症について簡単に説明します。正式名は「multiple sclerosis」といい、その頭文字をとって「MS」と呼んでいます。 症状が多彩で再発・寛解を繰り返す MSは、自己免疫機序の関与によって、視神経・脳・脊髄の中枢神経系に慢性的な炎症を引き起こす神経難病です。視力障害・構音障害・運動障害・感覚障害・歩行障害など症状は多彩で、再発と寛解を繰り返すのが特徴。また、自己管理による再発の予防・制御が難しく、症状の不確かさが顕著なこともMSの特性です。 ライフイベントにも影響 特に20~40代に発症しやすいことから、就労、結婚、妊娠、出産、子育てなど、人生のライフイベントの時期と重なるケースも多く見られます。さらに、MSの症状は外観からは分かりにくく、周囲から理解されにくいことから、ライフイベントやQOL(quality of life:生活の質)に大きく影響を及ぼすことがあるのも大きな特徴の1つです。 治療の進歩により地域での療養が可能に 近年、MSの治療が急速に進歩していることから、それまで入院を余儀なくされていたMSの方も、外来で治療を受けながら、地域で在宅療養や社会生活を送れるようになってきました。退院後、症状が軽い方は外来通院のみとなるため、看護師と出会う機会はほぼなくなります。一方、症状や障害が重く、医療的ケアが必要な方は、訪問看護や訪問リハビリテーション(以下、訪問リハビリ)を利用している方もいらっしゃいます。 * * * 今回は、難病看護師でもある筆者が「お話をうかがう」ことを通してかかわらせていただいている事例を紹介します。なお、本事例については、本人の承諾のもと、一部加工して掲載しています。 事例紹介:A氏(40代、男性) Aさんは、高齢の両親と同居しています。以前は妻・子どもと暮らしていましたが、MS発症後に別居生活となりました。 20代後半のときに手足の感覚に違和感を覚え、急に階段が降りられなくなるなどの症状が出現。近医の整形外科を何度も受診し、MRI検査も行いましたが「原因が分からない」と言われ続けました。そんななか、たまたま脳に関する記事を読んで「もしかしたら」と思い、別の病院を紹介してほしいと依頼し、B病院の神経内科を受診しました。そこでも「今の段階ではよく分からない」と言われ、C大学病院の脳神経内科の紹介を受け、受診した結果、30代でMSの確定診断を受けました。 診断後、しばらくは内服治療を行っていましたが、点滴治療に変更となり、現在は4~6週間に1回通院しています。本人は、「薬が効いている実感がない」と話します。MSの身体障害度を示すEDSS*は7.5、右半身麻痺があり、排尿困難があります。終日電動車椅子を使用し、自力での移乗は不可という状況です。 *EDSS(expanded disability status scale:総合障害度スケール):MSの身体障害度を評価するスケール。障害度は0から10で、0.5ずつ20段階で評価、スコア0は神経機能正常、6以上になると歩行に杖や装具などの補助が必要と評価されます。 Aさんは、30代後半から徐々に症状が悪化し、通勤ができなくなりましたが、在宅ワークに切り替えて仕事は継続できています。歩行ができなくなったため、外出の機会は激減しました。生活や身体介護は、すべて両親が行っています。膀胱留置カテーテル交換のため、医療保険による訪問看護を月約1回の頻度で利用しています。 Aさんが語るさまざまな思い 初回の対話 初めての対話の際は、確定診断を受けたときの気持ちや家族への思いが語られました。「まさか自分がMSになるとは思わなかった。確定したのはいいんだけど、だからといって病気が治るわけでもないので、不安でしかなかった。この病気はとてもつらい病気なので」「こんな病気になってしまって、家族に申し訳ないという思いと、迷惑もかけたくないし、どんどん悪くなる自分の姿を子どもにも見せたくないって、そういう思いしかなかった。結局、この歳で高齢の両親に迷惑や負担をかけることになっちゃったんですけどね。でも、そうするしかないと思って自分で決めたので」 2回目の対話 2回目の対話では、仕事のことや今の「やり場がない」思いが語られました。「何よりも自分の体が動かないってことが一番ストレスなんでね。迷惑をかけて生きるっていうのが一番嫌なので。死ねるなら、ほんと死にたいなって思いもあるし。人間で生きていられること、自分で動けるってことが生きてるってことだと思うので。今はもう自分1人では何もできないし、どこにも行けないし、自分がやりたいって思ったことができないんで。正直、生きてるっていう意味では半分くらいじゃないかなって思う。なので、生きる権利を保障するためにも“安楽死”の制度があったらいいなと思う」「ちょうど社会的にも、こういう障害をもった人を雇いなさいっていうタイミングがあったじゃないですか。会社に義務も課せられて。それもうまく重なって、在宅ワークに移ることができたって感じだと思う。ただ怖いのは、人間、本音と建前があるじゃないですか。だから、鵜呑みにはせず、なるべく会社の役に立つようにと思って、最初は週1~2日くらい顔を出してたんですけど、途中から症状がどんどん悪くなってしまい、最近は会社に行くこともできなくなってしまった」 3回目の対話 訪問看護師のことや今後についての思いが語られました。「それでも、まだね、特に両親のおかげで一日一日過ごすことができている。正直言うと、ここまで自分の意思がしっかりしてると自分でも想像していなくて、20××年頃には、もう寝たきりになっているんじゃないかなって思ってたので。でも、将来への不安はずっとあるし消えることはない」「訪問看護師には話していない。というか、話せる雰囲気ではない。MSのこともよく知らない感じだし。毎回『体調はどうですか』って聞かれるけど、大丈夫なはずがない。自分の思うように体が動かないとか、それって自由がないってことだと思うんですよね。だから、時々言い方もきつくなったりして。申し訳ないなと思うんですけど」 寄り添い理解し最善をともに考える 私が行っている支援は、本人の気持ちに真摯に向き合い寄り添い、思いを受け止め、常に一緒に考える姿勢をもち続けることです。また、病状進行に伴う生活のしづらさ、本人の価値観や考え、希望を理解し、ともに「最善」を考えていくことです。 この方の場合、障害者総合支援法が活用できますが、利用への葛藤があり、導入に至っていません。むしろ、今一番望んでいることは「MSの症状とこの体で日常生活を送るための個別に応じた具体的指導や助言(食事・栄養面、入浴方法、睡眠、生活動作、随伴症状を和らげる工夫など日々の細々したこと)」「じっくりと話を聞いてくれる専門職」なのです。 MSは生涯にわたり付き合っていく疾患であり、病気の経過は一様ではありませんが、難病看護は決して特別なものではありません。しかし、このようなケースは支援の狭間に陥りやすくなるため孤立させないよう本人の憂慮する思いに対話を通して支援を行っています。 本事例を通して、MSの方の看護・支援について考えていただき、皆さんの今後の難病看護や訪問支援活動の一助となってもらえれば幸いです。   本事例は、本人の承諾を得た上で掲載しています。個人が特定されないよう、必要な情報を匿名化し、適切に調整を行っています。本内容は教育・研究を目的としており、特定の診療や治療を推奨するものではありません。   執筆:牧 千亜紀湘南鎌倉医療大学看護学部 看護学科 教授日本難病看護学会認定・難病看護師行政保健師として難病保健事業や支援活動を担当したことが契機となり、現在は「地域における難病支援」をテーマに調査研究活動を行う。編集:株式会社照林社

患者視点で取り組む腹膜透析患者の生活支援とセルフケア指導の実際
患者視点で取り組む腹膜透析患者の生活支援とセルフケア指導の実際
特集
2026年2月3日
2026年2月3日

患者視点で取り組む腹膜透析患者の生活支援とセルフケア指導の実際

高齢化の進行とともに、在宅医療の重要性が増すなかで、腹膜透析(Peritoneal Dialysis:PD)は、患者さんの生活の質(QOL)を維持しながら続けられる腎代替療法として改めて注目されています。しかし、安定した治療には、本人やご家族の理解、セルフケア能力に加え、医療者による継続的な支援が不可欠です。本稿では、PD療法を受ける患者さんの生活支援とセルフケア指導について、訪問看護師と基幹病院の連携を軸に、当事者の視点を重視した支援のあり方を考察します。 腹膜透析(PD)患者の生活管理における支援 PD患者の生活管理は、「医療」と「日常生活」が密接に結びついている点に特徴があります。透析液の交換や出口部の管理、手技の清潔保持など、日常的に行う行為が直接的に治療の質にかかわります。 ここで重要なのは、患者さんの日常生活を理解した上での指導と支援です。たとえば、視力や手指の巧緻性に問題を抱える患者さんには、PDを行う部屋の明るさや手指の清潔保持の工夫が必要です。また、家庭内の空間や生活動線を観察し、最適な透析スペースの確保や感染リスクの軽減策を提案することも訪問看護師に求められる、かつ訪問看護師にしかできない役割です。 さらに、高齢PD患者さんでは、生活全体の「フレイル予防」や「転倒予防」も重要です。適度な運動の指導や食事内容のチェック、服薬状況の確認など、PD療法の枠を超えた包括的な生活支援が、生活の安定化、ひいてはPD治療の安定化につながります。訪問看護師がこれらのニーズに気づき、地域の医療資源や介護サービスとの連携を調整することが、患者さんの生活を守る要となります。 セルフケア指導と家族教育の工夫 PDのセルフケアには一定の技術と衛生管理が必要ですが、それ以上に大切なのは、患者さんとご家族がその意味を理解し、必要性に納得して実践できることです。手技の必要性を十分理解できていないと、技術的には可能でも、その段階をスキップし、治療に問題を起こし合併症につながる、といったことにもなりかねません。 基幹病院では、導入時の入院中に十分な教育が行われますが、退院後の継続的なフォローやフィードバックも同様に重要です。ここで訪問看護師が果たす役割は大きく、以下のような支援が効果的と考えます。 ●視覚的・体感的な指導文字や口頭で伝わりにくい部分は、実際の動作を一緒に行いながら確認し、分かりやすく指導します。使用する物品の配置や動線もともに確認することで、生活に即した工夫ができます。 ●「できること」に着目する支援できないことばかりに目を向けるのではなく、できることを評価し、徐々に自己管理の幅を広げていきます。こうしたかかわりが、患者さんの自信とモチベーションの維持につながります。 ●家族との対話を重視家族が過剰な負担感を持たずに関われるよう、役割分担や休息の確保を意識した支援を行います。特に高齢の配偶者が介護を担うケースでは、無理のない協力体制を築くことが継続の鍵となります。これは、患者さんの生活に身近な訪問看護師の「現場の眼」があってこそ実現する支援の一つです。 * * * PDを継続するなかで、不安や疑問が生じることは避けられません。そうしたときに「すぐ相談できる人がいる」という安心感が、患者さんやご家族のセルフケア力を下支えします。訪問看護師はその 「つなぎ役」として、基幹病院との情報共有や、タイムリーな報告・相談を担うことが求められます。そして、この支援体制の確立と維持は、PD療法の継続において不可欠です。 このような連携をより円滑に行うための手段として、近年では、医療情報をリアルタイムに共有できる情報通信技術(ICT)を活用したアプリケーションの導入が進んでいます。画像や動画を用いた情報のやり取りや、双方向性のコミュニケーションによって、基幹病院との効率的な連携が可能となっています。 基幹病院との連携で支える「生活に根差したPD」 PD療法は、「治療」ではありますが、「暮らしのなかで営まれる医療」であるともいえます。そのため、患者さんの生活に密着した視点と、医学的・専門的な視点とのバランスが求められます。 基幹病院は治療の安全性や技術的指導において中心的役割を担い、訪問看護師は先述したとおり、「その人らしい生活」を維持するための「現場の眼」として、PD治療において不可欠の存在です。 例えば出口部の感染が疑われた際には、単に処置を行うだけでなく、生活習慣や清潔行動の背景を踏まえた改善策を患者さんに提案しましょう。また、基幹病院には、感染の事実を報告するだけでなく、必要に応じて情報を共有し合うなど、双方向の支援体制を築いていくことが理想です。 この点については、ICTツールを活用することで、訪問看護の内容を写真つきで共有したり、病院からの指示をリアルタイムで確認できたりする体制が整いつつあります。病院-訪問看護-患者・家族が一体となってPD治療を支えられるようになってきたといえるでしょう。 おわりに 腹膜透析は、患者さん自身がご家族や訪問看護師、基幹病院の協力のもと、なるべく透析前に近い生活を取り戻すための治療であり、「在宅医療の未来」を象徴するものともいえます。患者さんの視点に立ち、セルフケアと生活支援の両輪で支えることが、PD療法の安定継続と患者さんの満足度につながります。 訪問看護師の温かいまなざしと専門性、そして基幹病院との協働が、「腎代替療法の一治療形態」としてではなく「暮らしを支える生活の一部としての腹膜透析」を実現する鍵となるでしょう。   執筆:上村 太朗松山赤十字病院 腎臓内科 部長2001年 愛媛大学医学部卒業関西圏の市中基幹病院で研修2005年 松山赤十字病院入職2016年 松山赤十字病院腎臓内科部長前任部長・原田篤実より受け継いだラストマンシップを診療の軸に、地域と連携し、すべての腎臓病患者さんが困らない医療を心がけています。編集:株式会社照林社

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