地域包括ケアに関する記事

インタビュー
2021年4月13日
2021年4月13日

訪問看護事業参入で地域包括ケアシステムの実現へ

  『介護のことならツクイ』。株式会社ツクイは介護事業に参入してから35年以上、顧客や社会のニーズにあわせて事業を拡大してきました。 今回は、ツクイの訪問看護事業参入プロジェクトを牽引されている事業企画推進部部長の竹澤仁美さんに、ツクイ入社までの経緯や訪問看護事業参入の経緯、ツクイが手掛けている事業についてお話を伺いました。 患者さんは、退院した後が本当の生活との闘い ―竹澤さんのこれまでのご経歴を教えてください。 竹澤: 看護師になろうと思ったのは、学校の先生に強く勧められてです。看護学校卒業後は、長野県内の病院に就職し、救急外来やオペ室、外科、ICU、脳外科、循環器など様々な経験をし、トータル10年ほど働きました。夫の転勤で上京後は、元々ケアマネージャーの資格を初年度に取って、違う環境で資格を活かせたらいいなと思っていました。それが病院から介護業界に入ったきっかけです。 ケアマネージャーとして働きはじめてからは、病院できちんと管理されていた、服薬や食事、排泄、保清などが行き届いていない生活状況を目にしました。老々介護で追い詰められて自死を選択するという、テレビで見ていた悲惨な状況も目の当たりにし、衝撃を受けました。 病院にいたら、「おめでとうございます」と言って患者さんを退院させますが、退院した後が本当の生活との闘いだと感じました。在宅の現状を知り、私の中で病院に戻る選択肢はなくなりました。在宅業界で自分の資格を活かして働いていこうと思いました。 ―その後どのように働かれたのですか。 竹澤: ケアマネージャーを4年ほどやりました。その後、都内に新しくできるショートステイに施設長として行きました。いろいろな課題がありましたが、訪問看護事業や有料老人ホーム事業、生活に関わる周辺の事業にも関わり、15年ほど働いていました。施設長は8年ほど、訪問看護の統括のような立場にもいました。 前社ではM&Aの関係もあり、ショートステイやデイサービス、訪問看護ステーションが一緒になったりしました。他の会社に買ってもらうときは、ルールに従わなきゃいけない難しさはありましたけど、柔軟に対応していました。逆に、他の会社を買ったときは、社内のルールや介護のしかた、有休の使い方など、文化が違うということで苦労しました。 経営陣の思いがまっすぐで同じベクトルであること ―ツクイに入った経緯は?決め手は何だったのでしょう。 竹澤: 元々は社長の会などに参加させてもらっていて、女子会のような流れでツクイの取締役と知り合いました。その当時、前社では訪問看護事業を拡大していくことはないといった感じで。管理の仕事をしていましたが、「訪問看護の仕事がしたい」、「自分はサービスに出たい」と思い、訪問看護での独立を考えていました。それを聞きつけたツクイの取締役が、「うちでやってみないか?」と声をかけてくださったんです。 ツクイは福祉事業だけで35年間真面目にやってきた会社ですし、これから全国展開していく中で、その拠点ごとに訪問看護を増やしていきたいという思いがあったのが入社の決め手です。あとは、経営陣たちの思いがまっすぐで同じベクトルだったので、ここなら思う存分訪問看護ができるなと感じました。 ―取締役は竹澤さんのどのようなところを見込んで、声をかけられたんでしょう? 竹澤: 在宅のときから地域に根付いてやってきたことを、お世話になっていたコンサルタントさんから聞いてご存じだったのかもしれません。また、私は数字を見ながらきちんと売り上げをあげることも意識しています。思い通りじゃないと嫌というわけでなく、柔軟に対応できるタイプだと思うので、そこがツクイに入ってもやっていけると思ってもらえたんじゃないでしょうか。 その後はコンセプトなどを1年くらいかけて聞かせていただいて、医療系事業プロジェクトをつくるためにいろいろ調べ、多くの方にお会いして、3年前にツクイに入社しました。 地域包括ケアシステム実現のために必要なこと ―今ツクイさんで手掛けている事業と、今後の展望について教えてください。 竹澤: グループ全体では734の事業所があり、デイサービスが527、グループホームが45、介護付き有料老人ホームが28、住宅型有料老人ホームが2、サービス付き高齢者向け住宅が22、訪問看護ステーションは14です。(2021年2月時点) ツクイでは、「人生100年(幸福に生きる)時代へ。」というコンセプトを掲げています。また、「ツクイは、地域に根付いた真心のこもったサービスを提供し、誠意ある行動で責任を持って、お客様と社会に貢献します。」という事業理念のもと、各種事業を展開しています。 その中の地域戦略推進の一つが訪問看護事業です。ツクイでは、人々が地域で暮らすために、福祉を軸として周辺の事業や医療との連携を強め、地域価値を創造していくという方向性で事業に取り組んでいます。 地域包括ケアシステムを実現するには、介護だけでも医療だけでもだめで、介護と医療の融合が必要です。そのために、医療系事業の訪問看護もしっかり伸ばしていく必要があると思っています。 ** 株式会社ツクイ 事業企画推進部 医療系事業プロジェクト 部長 竹澤仁美

インタビュー
2021年4月6日
2021年4月6日

看護師としてのやりがいは地域での仕事、助け合いもますます重要に

訪問ボランティアナースの会「キャンナス」を25年前に立ち上げて地域ケアの先頭を走りつづけてきた代表の菅原由美さん。今後は、子供のケアや子育て支援に力を入れていきたいと話しています。在宅介護の担い手として、ヘルパーを准看護師として育成したい思いもあるそうです。まだまだ猪突猛進が続きそうです。 今後の構想 菅原: 私が一人開業って言い出したのを応援してもらったり、3.11東日本大震災で避難所の支援をしてから被災地支援が活動の一つとして加わったりと、振り返るといろいろなことをしてきたなぁと。介護保険ができる時には、訪問介護事業所の管理者をなぜ看護師がやってはいけないのか、厚労省に直談判もしたんですよ。最初は、掃除、洗濯は看護師の教育にはないからって言われたんですが、制度がはじまる直前になって、看護師資格を1級ヘルパー扱いとすることになりました。厚労省も含めて、みんな手探りでした。新しいことがはじまるというわくわく感はありました。 介護保険に引っ張られて高齢者ケアに行き過ぎてしまった思いはあります。 私としては、これからは子育て支援や子どものケアに力を入れ行きたいと思っているところです。 実は私は県の委託で3人の子どもの里親になった経験があります。親が育てきれずに施設に預けた子どもたちで、その中には知的障害者もつ子もいて、養育の難しさも感じました。こういう子どもたちは今もたくさんいて、なんとかできないかと。私がキャンナスを立ち上げた時の最初の利用者も、障害児のお母さんでした。その子を預けることができないので、兄弟を病院につれていけないと困っていました。今のお母さんはみんな働いているじゃないですか。高齢者の小規模多機能型サービスの子ども版があって、日中預かるだけでなく、なんかあったら泊まっていいし、病気の時はおうちにも行くよ みたいなサービスがあったらいいなと思ったりもしています。 介護保険ができればキャンナスなんていらなくなると思っていて、きちんと制度をつくりあげることが役割と思ってきたわけですが、状況はそうはなっていません。 このコロナ禍で、医療や介護にまわす財源が先細っていって、地域の助け合いでお願いしますという部分が増えていくのではないかと思います。 ―最後に訪問看護師として働いている方、これから働こうとしている方にメッセージをお願いします。 菅原: 私は病院には10カ月しかいなかったので、それが良いとか悪いとか言える立場にはありませんが、訪問看護の世界に入った人間が病院に戻ることは極々まれです。看護師としてのやりがい、生きがい、楽しみは訪問看護にあるので、せひ来て欲しいし、地域に根ざして頑張ってほしいです。 現実的には、訪問看護師は転職の多い職場ですが、今は仕事がたくさんあって、いくらでも選べるから仕方がない面もあります。そういう意味では、私はヘルパーにも期待していて、現場で頑張っているヘルパーに働きながら看護師の資格をとってもらったらどうかと思っています。 それで在宅での医療ニーズはかなりカバーできます。社会人が4年制大学や3年の専門学校に行くのはハードルが高いから、准看護師がいいのではと思っています。 キャンナスの仲間や介護経営者は、賛同してくれる人が多いです。准看護師は減らす方向で、学校もどんどん減っているので焦っています。 どうしてこう物議を醸すことばかり思いつくのか、自分でも不思議です。まだまだやらないと、と思うことは沢山あります。 キャンナスの25年間の取り組みや、お話ししたような考えは昨年10月に出版した『ボランティアナースの奇跡』(※1)で紹介していますので、ご一読いただけると光栄です。 ** 訪問ボランティアナースの会 キャンナス代表 菅原 由美 東海大学病院ICUに1年間勤務。その後、企業や保健・非常勤勤務の傍ら3人の子育て。96年ボランティアナースの会「キャンナス」を設立。98年有限会社「ナースケア」設立。2009年「ナースオブザイヤー賞」、「インディペンデント賞」受賞。 【参考】 ※1:菅原由美「ボランティアナースの奇跡」

インタビュー
2021年4月6日
2021年4月6日

これから地方での開業を志す人へ/第4回 訪問看護の1人開業・立ち上げ

訪問看護ステーションを一人開業し、ぷりけあ訪問看護ステーションを設立された後、看護を通して、地域で暮らす利用者一人ひとりの自分らしい生き方の支援をめざす渡部さん。最終回は、地域における訪問看護の可能性、今後のビジョンについて伺いました。 ボランティアで学んだチームとしてのつながり ―渡部さんの場合は被災地特例でしたが、地方ですぐに人を集められない場合、まずは有償ボランティアから始めて地域のネットワークを作り、それから開業するというモデルは、ほかでも実現可能なものだと思いますか。 渡部: 可能だと思います。私が震災の活動でキャンナス石巻を立ち上げたときは50番目でしたが、今のキャンナスは全国に130ヶ所以上の拠点があります。 キャンナスのネットワークは全国にあるし、交流会や勉強会などネットワーク構築体制も十分にあります。人とのつながりと、自分のやる気があれば、何でもできますよ。私が一人開業している時も、バックにはサポートしてくれるネットワークがあるというのが、自分の中ですごく安心感につながりました。  勤務先の職場内だけで閉じこもっているより、たくさんのことが学べて、いろいろな人とつながることができて 楽しいと思います。 ―運営にあたって、これまでの経験で役立ったことはありますか。 渡部: 自分一人で抱えすぎない、やりすぎない。人を信じてみんなで得意なところを出し合っていく、ということですかね。それがボランティア時代の自分の失敗から学んだことです。 たとえ一人開業だとしても、訪問看護を通していろいろな所とつながっているので、本当に一人でやることは限られています。 避難所でボランティア活動をしていたとき 、「信頼ってどういう意味かわかる?」と言われたことがありました。私がリーダー看護師だったとき 、自分が一番情報を持っている、自分が一番できる、みたいなおごりがあったんです。でも、自分一人でできることはたかが知れています。信頼とは、「ヒトを信じて頼る」 ということです。利用者さんのことを考えれば、自分の得意・不得意を理解したうえで、お互いに得意なところでつながり合った、「利用者さんのため、生活と命を守る」という目的を共にしたチームでサポートする方がずっといい。 こうした経験を踏まえて、今はいい意味で適当になったというか、変わった気がします。 これは自分よりも得意な人がいると思ったら、どんどん人に任せています。もちろん丸投げみたいな任せ方はいけないですが、相手からすれば任されることで新たな分野を学ぶきっかけや、成長する機会になることもあると思います。 ―それは、ほかの施設との連携という点でも同様ですね。 渡部: 今は過去の経験を踏まえて、地域内での連携も積極的にはかっています。 コロナ禍も災害の一つだと思いますが、もしうちの職員などから新型コロナウイルス感染者が出ても、地域内のステーションと連携をして、他のステーションの看護師が訪問に行けるように地域内で合意形成し体制を作っています。 そのために、利用者さんへ同意文書を配ったり、個別ケアの方法を文書化したりと、準備をしています。 看護師が地域社会に貢献できる可能性の追求 ―ぷりけあ訪問看護ステーションとして、また渡部さん自身として、今後どうしていきたいと思っていらっしゃいますか。 会社の事業でいうと、ステーション単体で7年やってきましたが、2021年の5月から通所介護サービスをオープン予定です。訪問看護を利用してくださっている方の中で、医療的依存度の高い方や、医療的ケアのある障害の方が日中安心して通える場所がない現実を、目の当たりにしてきました。 そうした方々から「ぷりけあさんでやってほしい」とずっと言われていました。 介護保険の地域密着型通所介護として指定を受ける予定ですが、うちの強みはスキルの高い看護師が多く在籍していることなので、その資源を生かしてどんな障害や病気のある方でも受け入れられるような場所にしていきたいと思っています。 個人的には、まだ子どもが小さいので育児にも手がかかる状況です。理想を言えば、やりたいことはいろいろありますけれど、今は家庭が崩壊しない程度に(笑)、地域に足りないこと、困っている方のためにできることを堅実にやっていこうと思っています。 いずれは、志を共にできる看護師さんと多く出会って、違うところにも拠点を持ちたいですし、誰でもどこでも、生きていて良かったと感じていただけるようなケア・サービスを利用できるような社会に、少しでも貢献できればと思っています。 ―最後に、訪問看護ステーションに興味がある方々にメッセージがあればお願いします。 渡部: そうですね… 興味があればぜひ、訪問看護の雑誌を読んだり、訪問看護をしている人とつながったり、ステーションの見学に行ったりして、つながる一歩を踏み出してほしいです。 訪問看護の現場では、幅広い年齢・疾患・生活背景の人々との出会いがあり、人生の重要な決断に立ち会う場面や、喜怒哀楽に寄り添うドラマティックな日々があります。 ひとりで判断して対応していくための専門的スキルも学べますし、自分の人間力も試されます。はじめはうまくいかないこともあるかもしれませんが、全てが自分の身になり、どんどん楽しさが分かってくると思います。 そして、日本は世界でも類をみないスピードで超高齢社会に突入しています。私たちは、その中での医療の役割、ケアのあり方ということを考え、作っていける時代に生まれているんです。 超高齢社会の中で、看護師がどのように地域に貢献していけるのか。それを共に考え、実践していける人が一人でも多く必要です。 ぜひ訪問看護の世界に触れる一歩を踏み出し、看護する感動、生きる感動を感じていただけたら、嬉しいです。 ** ぷりけあ訪問看護ステーション 代表取締役/保健師・看護師 渡部 あかね(わたなべ あかね)旧姓:佐々木 東日本大震災のボランティア活動で、医療者が地域の中に出向いていかなければ気づけ対応できないニーズが非常に多いことを経験。看護師として、本当に困っている人のそばに身を置いて関わっていきたいという思いから、被災地特例で一人開業し、その後2014年にぷりけあ訪問看護ステーションを開業。

インタビュー
2021年3月30日
2021年3月30日

訪問看護ステーション“一人開業”の必要性、地方分権で基準緩和が争点に

全国訪問ボランティナースの会「キャンナス」の代表、菅原さんには、訪問看護ステーションの一人開業の旗手というイメージもあります。3.11の被災地特例で実現にこぎつけましたが、時間切れで制度化にはいたっていない。“一人開業”の必要性について、菅原さんにお伺いします。 訪問看護ステーションの一人開業 ―訪問看護ステーションの一人開業について、今はどうお考えでしょうか。 菅原: この問題はまだ終わったわけじゃないんです。まだ、火はくすぶっているのはご存知ですか。地方分権に対する地方からの提案で、最低2.5人以上必要となっている人員基準を、都道府県知事の判断で変えられるようにしてほしいというのが出てきました。過疎地の看護師不足は深刻で、1人辞めてしまうと、採用ができなくて、ステーションが維持できなくなります。少ない人数でできるようにしてほしいということです。これは私たちの主張とまったく同じ。令和4年度中に結論を得ることになっていて、期待しています。今回は地方VS厚労省という図式で、私たちは見守るしかないのですが、実現のためならなんでもお手伝いしたいという思いでいます。 ―一人開業に取り組んだきっかけはなんでしょうか? 菅原: 訪問看護が充実すれば、隙間をうめていたキャンナスはなくなるだろうと考えていました。制度の充実が市民の幸せだと。それには、訪問看護ステーションを増やす必要があります。ところが、当初はなかなか増えなかったです。ネックになっていたのが人員配置基準でした。1人辞めるのだけれど、どうしても次がみつからなくて、1.5人になっちゃう。休止しないといけないのかっていうSOSは今もわたしのところにしょっちゅう入ってきます。 どんな商売だって、お客さんが少ない時は1人から始める。ケアマネジャーだって1人から始めて、利用者が増えたときに増員するわけです。それなのに、国家資格をもっている私たちがなんでだめなのって。シンプルなんです。開業する時に、お客さんが1人もいないのに、他の2人分の人件費払って、パソコンも人数分揃えてなんてやっていたら初期投資もかかります。ある程度収益が出るようになったら人を雇います。急に人が辞めてもお客さんを手放さないで、自分で穴埋めして頑張るというのが熱意ある管理者ナースのあるべき姿ではないですか?今は効率化のため大型化がいいという風潮ですが、1人ででもやりたいという意思と能力があれば、それを認めてほしいです。 09年に「開業看護師を育てる会」をキャンナスとは別に立ち上げて、たくさん訪問看護ステーションを増やしていきたいという思いで、「星降るほどの訪問看護ステーションを!」とキャッチフレーズを決めて、シンポジウムを開いて問題提起したり、ロビー活動をしたりとがむしゃらに活動していました。2.5人の基準の根拠はなんですかとずっと聞いてきたのですが、厚労省はずっと説明できていません。民主党政権ができたのが追い風になって、3.11の被災地特例でとして規制緩和が実現した時はやったー!と喜びました。自治体の反発や無理解もあって、特例は3ヵ所で期限がきて、打ち切りになってしまいましたが、1人でも大丈夫という成果を示せたと思っています。 大切なのは「志」(こころざし) 今、訪問看護ステーションもずいぶん増えて、あの頃とは状況が変わってきました。資格があれば、いくらでも仕事があるみたいな時代になって。それで、数ではなくてやはり「志」(こころざし)だと考え直しました。キャッチフレーズも変えて、「星降るほどの訪問看護“志”を!」にしています。 志(こころざし)があって、2.5人以上集まらないなら、自費で1時間1,600円、2,000円という世界ですが、キャンナスとして仲間に入ってもらえるとありがたいなと思います。 ** 訪問ボランティアナースの会 キャンナス代表 菅原 由美 東海大学病院ICUに1年間勤務。その後、企業や保健・非常勤勤務の傍ら3人の子育て。96年ボランティアナースの会「キャンナス」を設立。98年有限会社「ナースケア」設立。2009年「ナースオブザイヤー賞」、「インディペンデント賞」受賞。

インタビュー
2021年3月30日
2021年3月30日

一人開業から正規の訪問看護ステーションへ/第3回 訪問看護の1人開業・立ち上げ

渡部さんは訪問看護ステーション一人開業の後、2014年に現在のぷりけあ訪問看護ステーションを設立されました。第3回は、自費サービスも含めた幅広い支援を行うぷりけあ訪問看護ステーションの運営についてお伺いします。 地域での訪問看護におけるサービス継続のために ―ぷりけあ訪問看護ステーションの立ち上げ経緯について教えてください。 渡部: 被災地特例の一人開業には期限が定められていて、生き残りの道として看護師2.5人以上の正規の訪問看護ステーションで継続するしかありませんでした。利用者さんもいましたので、ほかに選択肢がなかったんです。 ぷりけあ訪問看護ステーションの基本理念は、生まれてきてくれてありがとう、生きていてくれてありがとう、と言い合える社会の追求です。どんな病状であっても、どんな生活環境であっても、今生きているということ自体、その人ががんばって時間を積み重ねてきた証だと思うので…。それは利用者さんも、働く職員同士も同じです。 人にはみんな生きてきた歴史があって、その人をちゃんと理解するところから始めるという考え方を、訪問看護を通して社会に少しでも広めていきたい、という思いを込めて活動しています。特に石巻は震災で大きな被害を受けて、生き続けること自体がすごくしんどい時期をみんなで乗り越えてきた地域なので、お互いに思いやりを持って、自分たちのできることをやり続けていきたいと思っています。 ―地方は看護師が集まりにくいと言われていますが、スタッフはどのようにして集まってきたのでしょうか。 渡部: 訪問看護は未経験のスタッフがほとんどです。外来などでは患者さんと関わっていたけれど、家での生活が気になるとか、病院の外でももっと深く関わりたいという思いがあるスタッフが集まってくれました。現在のスタッフは、看護師6人、作業療法士(OT)が1人、事務1人です。みんな、もう病院勤務には戻れないと言っています(笑)。 一時期、人材紹介会社に頼んでいたこともありましたが、今はいい具合に知り合いからの紹介などが増えてきています。ほかのステーションの所長さんがそういう方法を取っていると聞いて、常に訪問先でも「知り合いに看護師さんいますか?」と聞いたりして、いい人とのつながりを作れるようにしています。こうした種まきのようなことが、少しずつ実を結んできているかもしれませんね。 利用者さんの生き方を支援する訪問看護の自費サービス 渡部: 現在の利用者さんは、訪問件数では介護保険と医療保険は5割ずつくらいです。(2020年12月時点) がん末期の方や特別訪問看護指示書による点滴や褥瘡の処置、看取り、精神科や障がいのある方もいます。今は小児の利用者さんはいませんが、重症心身障害の20代の若い方もいます。 -自費サービスもされているそうですね。どのようなものでしょうか。 渡部: 今の介護保険や医療保険では2時間が上限なので、それ以上の時間が必要な場合には自費のサービスを紹介しています。 家族のレスパイトや旅行、買い物、また普段は療養型病院に入院している方が外出する際の付き添いなど、お金を払ってでも外に出たいという要望にお応えしています。石巻市外からも、地域内の訪問看護ステーションでは対応してくれる人がいなくて、前はボランティアさんにお願いしていたこともあるけれど、今はいないということで依頼を受けています。病気や障がいであきらめていたこともあったけれど、社会との関わりのため、自分がやりたいことのために、一歩を踏み出す…。こうした貴重な場面に立ち会えるのは看護師としての醍醐味だと思います。 こうしたニーズは、地域で利用者さんと長く関わっていれば、必然的に出てくるのではないでしょうか。利用者さん本人、それに家族も丸ごとサポートしようとなると、医療や治療をメインにした訪問だけではなく、利用者さんの人生のどこに看護師として関わるのか、ということが求められてくる気がします。 今はコロナ禍なので自粛していますが、本当はもっとやっていきたいですね。看護師はもっと患者さんと向き合いたいと思っている人も多いはず。看護師にはこんな世界もあるんだよ、こんな寄り添い方があるんだよと知ってもらいたいし、経験してもらいたいです。 提供サービス 病状の観察、悪化予防 血圧・体温・脈拍などのチェックをし、全身状態の把握。異常の早期発見 在宅療養上のケア 身体の清拭、洗髪・入浴介助、食事や排泄などの介助・指導 薬の相談・指導 薬の作用・副作用の説明、飲み方の助言、残薬の確認など 医師の指示による医療処置 点滴、膀胱留置カテーテル、胃瘻、インシュリン注射など 医療機器の管理 在宅酸素、点滴ポンプ、人工呼吸器などの管理 床ずれや皮膚トラブルの予防・処置 ―― 認知症や精神疾患のケア 家族の相談、対応方法に関する助言など ご家族への介護支援・相談 介護方法の助言、不安の相談など 介護予防、リハビリテーション ―― ターミナルケア がん末期や終末期を、ご自宅で過ごせるような支援 保険外自費サービス 長時間の外出や旅行の付き添い、介護家族のレスパイト等 ** ぷりけあ訪問看護ステーション 代表取締役/保健師・看護師 渡部 あかね(わたなべ あかね)旧姓:佐々木 東日本大震災のボランティア活動で、医療者が地域の中に出向いていかなければ気づけ対応できないニーズが非常に多いことを経験。看護師として、本当に困っている人のそばに身を置いて関わっていきたいという思いから、被災地特例で一人開業し、その後2014年にぷりけあ訪問看護ステーションを開業。

インタビュー
2021年3月23日
2021年3月23日

訪問看護ステーションとボランティアを両輪で。補完し合い各地で多様な事業展開

「志」でつながっているという全国訪問ボランティアナースの会「キャンナス」。今回は各拠点の具体的な事業内容について代表の菅原由美さんにうかがいました。 制度事業とボランティア ―菅原代表のところでは、ボランティアとしてのキャンナスと営利法人での訪問看護ステーションの両方をやっていますね。 菅原: キャンナスをはじめて、しばらくしたら介護保険制度ができることがわかりました。制度の事業をするには、法人格が必要で、選択肢としては非営利のNPO法人もあったので、かなり悩みました。大手企業も続々参入する介護保険事業が非営利と思えなかったので、営利法人を別につくって、訪問介護、訪問看護はそちらで始めることにしました。キャンナスは制度の足りないところを埋めるスキマ産業で、制度が充実していけば、なくなると思っていたんです。キャンナスは1時間1,600円ですが、介護保険だと1割負担で数百円。制度が成熟することが市民の幸せだと。結果的には、この時の選択は正しかったのだと思います。両輪だから補い合うことができます。 各拠点での活動内容 ―各拠点で、どのような活動をなさっているのか詳しく教えていただけませんか? 菅原: 本当にいろいろです。細かなところまでは正直よくわからないのですが、よかったら、昨年10月にこの25年の活動を『ボランティアナースの奇跡』(※1)として出版しましたのでご覧ください。 この中では、8ヵ所の拠点のルポもあって、たとえば、キャンナス世田谷用賀は、もともと訪問看護ステーションがあって、患者さんの「普通の暮らしがしたい」という願いをかなえるために6年後にキャンナスを始めました。 キャンナス名古屋の代表は、ALSの患者さんのシェアハウスをやっていて、会社で訪問看護、訪問介護、居宅介護支援を行い、キャンナスは楽しみや人生の目的の支援と位置付けています。 石川県のキャンナス加賀山中は、訪問看護師として働くかたわら、空き家になった代表の実家を拠点に500円でワンコイン入浴をしていて、そこを地域の高齢者の通いの場にもしています。自分の体調も万全ではないのに、引きこもりの若者を引っ張り出して、林業に世話したりと、ひとり暮らしの高齢者の家に雪かきに行ったり飛びまわっていて、これが原点と頭が下がる思いです。 この本に掲載はされていないですが、北海道では、農協と連携して、家族が農作業をしている間に、お年寄りを集めて預かるという事業をキャンナスとしている代表もいます。 みんな違ってそれでいい 菅原: 医療保険、介護保険で足りない部分をキャンナスで補うかたちで考えている方もいれば、サラリーマン看護師として、空いている時間でやっている方もいて本当にそれぞれです。 本では、各拠点に行ったアンケートも紹介しています。回答してくれたのは、34カ所で、右向け右みたいな統制がとれてないところがキャンナスらしいねと笑いましたが、おおむねこんな感じではと思います。併設事業所がないキャンナスだけをやっているところと、併設事業所があるところがだいたい半分ずつ。 キャンナスをはじめようと思った理由も聞いていますが、「訪問看護ではできない暮らしの手助けがしたい」が一番で、次が、「看護師として地域貢献したい」で、その次が「訪問看護の上乗せ」でした。制度の穴埋めがメインの理由ではなく基本的にはみんなおせっかいなおばさん(笑)。 提供したことのある支援では、「通院以外の外出の付き添い」「通院時の付き添い」が多く、「宿泊付き旅行の付き添い」もいれると長時間になる外出系はニーズがある。次に、「喀痰吸引」で「掃除・洗濯」「食事・洗濯」と続いています。利用料は1時間あたり1,500円から3,000円くらいで、支援内容によって差をつけているところもあります。 地方では、他の訪問看護ステーションで対応できない時間帯の摘便に行ってとか、そういう使われ方をすることもあるようです。 ですが、それが地域の信頼を得ている、ということにもつながっているような気がします。訪問看護ステーション+キャンナスがあることで、補完し合い、地域に活かせると思います。 ** 訪問ボランティアナースの会 キャンナス代表 菅原 由美 東海大学病院ICUに1年間勤務。その後、企業や保健・非常勤勤務の傍ら3人の子育て。96年ボランティアナースの会「キャンナス」を設立。98年有限会社「ナースケア」設立。2009年「ナースオブザイヤー賞」、「インディペンデント賞」受賞。 【参考】 ※1:菅原由美著「ボランティアナースの奇跡」

インタビュー
2021年3月16日
2021年3月16日

ボランティアナース〜ナースの力はもっと地域に活かせる〜

全国訪問ボランティアナースの会「キャンナス」は、1997年の立ち上げから25年たって、全国に136ヵ所の拠点があります(2020年9月末現在)。ボランティアとして、制度にとらわれない支援ができるのが特徴です。訪問看護ステーションと組み合わせて事業化している拠点もあります。今も活動したいという看護師は後を絶たないといいます。キャンナスの魅力について、発起人であり、現在も代表を務める菅原由美さんにお尋ねします。 ボランティアナースとは? ―キャンナスの理念を教えてください。 困った時はお互い様、地域のためにできることをできる範囲でしようというところから始まっています。キャンナスのキャンナスは、英語の「できる」(キャン)と看護師(ナース)の造語で、「できることをできる範囲で」という意味です。 ボランタリーな精神で無理はしない。そこが25年前も今も変わらない基本的な部分です。 ―キャンナスの立ち上げ時のお話を聞かせてください。 菅原: 97年に住まいのある藤沢で最初のキャンナスを立ち上げた時は、まだ、介護保険制度もなくて、訪問介護事業所も訪問看護ステーションも身近にはりませんでした。家族や休めるようにレスパイトケアや、家での看取りのお手伝いというところから始まって、どこかに遊びに行きたいといった最後の夢をかなえる、保険内ではかなわないその方の生き方をサポートしているような支援も行っています。 私も、仲間も基本的に「おせっかいなおばさん」で、まず体が動いちゃう。だから、何かできることがあるのではいかと被災地にも飛んでいってしまうわけです。 3.11東日本大震災では、避難所に泊まり込んでお手伝いさせてもらいました。あれから、大きな自然災害が続いて、被災地支援に積極的に取り組んでいたので、被災地支援ボランティア団体みたいなイメージをもたれている方もいるようですが、地域での助け合い活動がメインです。 潜在看護師の活躍の場 ―潜在看護師に出てきてほしい、そんな思いがあったのでしょうか。 菅原: 立ち上げた時には、潜在看護師の掘り起こしという思いも強くありました。 私もその一人で、資格を取った後は、病棟に10ヵ月勤務して結婚退職。看護師としては保健所のパートみたいなことしかしてこなかったです。 子育てで仕事を離れていて復職したいけれど病院はちょっとハードルが高い、という人はゴロゴロいました。私でも家族の看取りができたのだから、サンダル履きで行ける範囲で、空いている時間で活動してくれれば、喜んでくれる利用者がいるから出てきてほしい、そんな思いです。ボランティアといっても、無償ではなくて有償。そのほうが出てきてもらいやすいから。 キャンナスの活動にかかわりたいという方からは、SNSやホームページを通じて、毎日のように連絡があります。 ―自分もやりたい、そう思ったらどうすればよいですか? 菅原: 活動に興味があるという方から連絡があった場合、今は全国に拠点があるので、近くの拠点を紹介しています。拠点というと、フランチャイズのような組織で、それだけ増えれば、本部が儲かって儲かって困るんじゃないのと言われたりすることもあるのですけど、本部は何ももらっていません。 拠点の発会式は私が参加する決まりがあって、全部行きましたが交通費は持ち出し。結構な出費ですけれど、楽しいからいいか、と。やりたいと言って手をあげてくださった方とはお話しして、同じ思いを共有できるかは私が確認していますが、事業は、それぞれ自己決定、自己責任。みんな違っていいと思っていますから。 組織ではなく、「志」(こころざし)でつながっているネットワークと考えてもらったほうが良いと思います 訪問ボランティアナースの会 キャンナス代表 菅原 由美 東海大学病院ICUに1年間勤務。その後、企業や保健・非常勤勤務の傍ら3人の子育て。96年ボランティアナースの会「キャンナス」を設立。98年有限会社「ナースケア」設立。2009年「ナースオブザイヤー賞」、「インディペンデント賞」受賞。

インタビュー
2021年3月9日
2021年3月9日

カフェも併設!地域と繋がるステーション

野花ヘルスプロモート(通称 のばな)では、地域住民との交流カフェ「NOBANA SIDE CAFE」や地域の高齢者見守り「みま〜も」を運営し、地域に貢献しています。引き続き、冨田さんにお話を伺いました。 まちの保健室のような本格派カフェ ―のばなさんでは、「NOBANA SIDE CAFE」というカフェも運営されていますよね。どのようなきっかけで始められたのですか? 冨田: 地域の居場所、まちの保健室のようなコンセプトで作りました。 どうしても私たちの職種って、目の前に患者さんやご家族が来られる時には、すでに病気であったり困っていたりする状態のことが多いです。そのため、支援を開始するタイミングが遅くなってしまいます。 そこで、私たちの日頃の仕事を地域の人に知ってもらい「何か困ったら、ここに相談すれば大丈夫や」「ここなら安心や」と思ってもらいたくて、岸和田の商店街のど真ん中にカフェを作りました。 ―カフェがすごくおしゃれで、驚きました。 冨田: 一番大切にしたのは、いわゆるカフェスタイルにすることです。巷では認知症カフェやデスカフェなどもありますけど、本格的にこだわったカフェが作りたかったので、店内のデザインや雑貨はアメリカの古いスタイルのものにしています。 ―カフェはどのような方が来られますか? 冨田: 客層が面白いんです。高齢者も多いですけど、このあたりは喫茶店でモーニングを食べる文化があるのでおしゃれな方もたくさん来ます。周辺でモーニングが食べられる喫茶店が少なくなってきた中で「NOBANA SIDE CAFE」ができたので、憩いの場という役割も担っているようです。 ―カフェではどんな活動をされているのでしょうか? 冨田: カルチャーセンターのような体験活動が定期的にできればよかったのですが、コロナ禍で今はできていないですね。こんな中で地域の方々はどうやって情報を集めるのだろう、と思っていた中で訪問看護だけはずっと直接お宅に伺うことができました。 集まることはできなくても、行って情報を伝えることはできる。これはまさに訪問看護だからできたことかなと思っています。そうはいっても、リアルに集まりたいですね。 本来繋がらないところと繋がれる ―高齢者見守りの「みま~も岸和田」はどのようにして始められたのですか? 冨田: 法人の代表である医師から「地域でできる活動はないか」という相談を受けたんです。みま~も代表の澤登久雄さん(全国に拡大中!地域を支える『みま~も』とは?)と知り合いの看護師がいたので、そのつてでのれん分けをしてもらいました。 みま~もは全国に何か所も活動拠点がありますが、それぞれコンセプトは少し違います。岸和田の場合は高齢者の見守りだけではなく、子どもも交えてスタートしました。 自分が助けてもらいたいときには助けてもらい、自分に余裕ができて助けられるときには助けるという場所を作っています。 ―実際はどのような活動をされているのでしょうか。 冨田: セミナーだけでなく、書道や着付けなど、地域の人が趣味を広げることができるような活動もしています。弊社のスタッフも運営委員として参加はしていますが、地域の人がメインとなってお互い教え合えるように進めています。 運営にはどうしても資金が必要なので、地域の企業に協賛していただいています。協賛企業の中には、この活動から地域のニーズを拾って形にしているところもあります。かゆいところに手が届くような企業は、地域にも愛されるんだなと実感しています。 ―実際に地域のニーズを拾えた例など教えていただけますか? 冨田: 例えば、葬儀屋さんって営業なんてできないですが、エンディングノートの書き方や人の死を悪いものと捉えない面白い話をしてくれたことで、地域の中でファンが増えました。本来だったら繋がらなかったところと繋がることができるんですよね。 ―最後に、訪問看護にかける想いをお願いします。 冨田: 日本全体で看護師の仕事を俯瞰してみたら、働ける場所って昔と比べて変化してきていると思うんです。今まで通りどこの病院でも働けるのは難しくなってくるだろうし、そういう時に訪問看護という選択肢が出てきてほしいです。 病院では「看護師さん」と呼ばれがちですが、訪問看護では「○○さん」と名前を呼んでもらえることで、楽しかったり、使命感だったり、やりがいだったりを感じることができます。自分がどうしたいかではなく、地域に何が必要とされているかを正しく捉えて返していくことですね。 野花ヘルスプロモート代表取締役 冨田昌秀 祖母が看護師だった影響を受けて自身も看護師に。病棟での看護に違和感があり、介護保険施行のタイミングで起業を決意。代表を務める野花ヘルスプロモートは認知症ケアに注力しており、大阪府岸和田市にてケアプランセンター、デイサービス、訪問介護、訪問看護、サービス付き高齢者向け住宅、有料老人ホームを運営。

インタビュー
2021年3月2日
2021年3月2日

地域の強みを活かし合う「見える事例検討会」とは

地域全体の底上げをするため、のばなでは「見える事例検討会」を実施しています。実際にどんな人が参加して、どのように行われているのでしょうか。引き続き、冨田さんにお話を伺いました。 見えることで伝わる思い ー見える事例検討会をはじめたきっかけを教えてください。 冨田: 病床数が減ってスムーズに入院できないこともある中で、在宅生活をどう支えていくかに強く課題を感じていました。そこで必要だと思ったのが、多職種で知恵を共有し連携を図ることです。 どんな方法がいいか試行錯誤した結果、「見える事例検討会」に辿り着きました。 ーどんな試行錯誤をされたんですか? 冨田: これまでは自分たちの活動や思いを可視化できる機会がありませんでした。それが劇場型というか、勉強会という形で「見える」ようにしたことで自分たちの思いが伝わるようになりました。 名刺交換をしたらネットワーク広がった気になることもありますが、名刺交換した人がどういう思いで利用者さんと関わっているかを知る機会はなかなかありません。それが、ひとつの事例を通していろんな意見を出していくと見えてくるんです。 ー名刺交換のお話、確かに!と思いました。参加されている方の反応はいかがですか? 冨田: お互いの考えが見える場所として、同じように実感してくれているようです。 見える事例検討会の目的は「援助技術の向上」「事例の課題解決」「ネットワークの構築」です。参加者は医師、看護師、そのほかの医療従事者、ボランティア、民生委員、お寺の住職、行政の方なんかも来ますが、一番多いのは、訪問看護ステーションさんですね。 ーお寺の住職さんまでとは幅広いですね。訪問看護ステーションにとってはどのようなメリットがあると感じますか? 冨田:参加者が自分たちの意見を出すことにより、福祉関係者や行政の人たちから「この訪問看護ステーションは、こういう考えでやっているのか」と認識してもらえます。まず知ってもらうことで、次の関係に進んでいくことができると思いますね。 多職種の強みと弱みを生かせる地域へ ー見える事例検討会は具体的にどのように実施されているのでしょうか? 冨田: 検討会は「見え検マップ」というマインドマップを中心に進行しています。まずAさんという方に関して病気、家族構成、生活状況、課題などの事例を提供されます。参加者が「ここはどうですか?」など質問をして、答えられた情報をマップに追記していく流れです。 ホワイトボードに書き足していくことで全体像が視覚的に見えるようになります。そして、事例に関わっている方が見落としていた部分や自分たちの強みにも気付くことができます。 ー具体的にどんな気づきがあるのか、聞かせてください。 冨田: 例えば、看護師さんが参加されていると質問内容は薬や持病など医療的なものがどうしても多くなりがちです。一方、ケアマネジャーさんなど他の職種からは地域住民との関わり、経済状況などについての質問が上がってきます。 専門と専門外のように「強みと弱み」を補っていけるような知恵の共有ができていきます。お互いに「ここは協力しなければ」という気持ちになりますね。 ー自分と違う職種の人がいるからこそ、気づけることがあるんですね。 冨田: はい。他にも、権利擁護の使い方が分からなかったケアマネジャーさんに士業の方がアドバイスできたこともありました。地域包括支援センターの方が地域の社会資源を知り、ないものは行政としてどう作っていくか、考える材料として持ち帰ることもあります。 ー見える事例検討会は今後の目標などはありますか? 冨田: 地域力の底上げのためにファシリテートしていければと思っています。 実は見える事例検討会の発祥は横浜なんです。医師と社会福祉士の方が立ち上げ、その方々から研修を受けました。現在は日本全国に見え検トレーナーの養成講座を受けた方がいて、地域ごとに行われています。 ー冨田さんは何年前から、見える事例検討会をやられているんですか? 冨田: 僕たちが見える事例検討会を始めたのは2014年です。開催回数も80回を超えました。在宅を軸に働かれている多職種の方や看護学生の間でもスタンダードになるまで続けていきたいと思っています。 野花ヘルスプロモート代表取締役 冨田昌秀 祖母が看護師だった影響を受けて自身も看護師に。病棟での看護に違和感があり、介護保険施行のタイミングで起業を決意。代表を務める野花ヘルスプロモートは認知症ケアに注力しており、大阪府岸和田市にてケアプランセンター、デイサービス、訪問介護、訪問看護、サービス付き高齢者向け住宅、有料老人ホームを運営。 地域で活躍する訪問看護ステーションについてもっと知りたい方は、こちらの特集記事をご覧ください。

インタビュー
2021年1月21日
2021年1月21日

地域に選ばれる訪問看護ステーションになる

新規開業した訪問看護ステーションの中には、利用者がなかなか獲得できないステーションもあります。地域ささえあいセンターから見た、頼みたくなるステーションには、どんな特徴があるのでしょうか。引き続き、澤登さんにお話を伺います。  依頼したいステーションの特徴 澤登: 訪問看護ステーションの中には、小児や認知症などに特化しているところもあります。その部分のケアが重点的に必要であれば、こういったステーションに連絡を取ることもあると思います。 しかし、在宅で看ていくと考えた時には、さまざまな多職種連携やサービスによって、その人が地域で暮らしていけるよう支えていくわけです。 その視点からいうと、地域の多職種の方、あるいは多職種連携のコーディネーターとなるような方と顔の見える関係づくりができている訪問看護ステーションは依頼しやすいというのはあります。 ―地域の方と信頼関係を築いていくにあたり、訪問看護ステーションが具体的に取り組むべきことは何でしょうか。 澤登: 信頼関係って抽象的で難しいですが、生活を支えるという具体的な作業を通して、徐々にできてくるものだと思います。 管理者さんなどステーションと地域をつなげる役割の人が、自分たちのステーションがどんなことを大事にしているのか、看護の専門職として何ができるかなどを、多職種の方に明確に伝えていくことが大切だと思います。 例えば、『みま~も』でもデイサービスやデイケアで働く理学療法士さんたちが商店街裏の公園で、元気な人たちを対象にした体操を毎週やってくれているんです。当然ながら、これは本来の仕事ではありませんが、こういう取り組みをしている事業所は地域から信頼され、地域に根差していると感じます。  地域に入り込む方法 ―例えば、立ち上げたばかりのステーションなどは、どのように多職種のネットワークに入っていけば良いと思われますか? 澤登: どこの地域でも多職種が集まる会が、今すごく盛り上がっているなと感じます。そういう場に顔を出していくことが、まず大事だと思います。 その中で、看護師という立場からチームに何が貢献できるか、ほかのサービスの人たちの立場も踏まえることが必要です。 どうしても医療と介護って壁を感じることがある中で、看護師の方から介護に携わる人たちのことを理解しようという姿勢が、関係づくりでも大事だと思います。 ―訪問看護師は、どのように地域に関わっていけば良いと思いますか。 澤登: 専門職が地域に出ていき、元気なころから地域住民に関わることによって、その方が健康でいる時期を長くするためにさまざまなことができます。 そのため通常の訪問看護のように、元気がなくなってしまってから関わるのではなく、もっと早くに地域に出て、関わっていくことも必要だと思います。 元気なころから訪問看護ステーションの看護師が関わっていれば、利用者さんとしても安心できるし、例えば看取りの時期も本人自身では思いを表出できなくなったとしても、その方の生き方を支えていけると思うんです。 また、訪問看護師さんも管理職か現場の方かにもよりますが、毎日毎日、時間単位のケアに追われる仕事をしていたら、いつか力尽きてしまうかもしれません。 そんな時も、利用者の方たちが元気だったころをイメージすると、がんばろうと思える、地域に支えられる面もあると思います。  牧田総合病院 地域ささえあいセンター センター長 澤登久雄 大学時代、児童演劇に夢中になり、舞台芸術を提供する地域の団体職員として8年勤務。結婚し、子供ができたことをきっかけにデイサービスに就職。介護福祉士・ケアマネージャー・社会福祉士の資格を取得後、牧田総合病院に入職。病院内に地域ささえあいセンターを立ち上げ、センター長として地域貢献に尽力している。 地域で活躍する訪問看護ステーションについてもっと知りたい方は、こちらの特集記事をご覧ください。

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