みんなの訪問看護アワード2026

つたえたい訪問看護の話 受賞エピソード発表!入賞【2026】
つたえたい訪問看護の話 受賞エピソード発表!入賞【2026】
特集
2026年3月10日
2026年3月10日

つたえたい訪問看護の話 受賞エピソード発表!入賞【2026】

NsPaceの特別イベント「第4回 みんなの訪問看護アワード」で募集した「つたえたい訪問看護の話」。厳正な審査を経て、受賞作品が決定しました。本記事では、入賞エピソード15件をご紹介します! 大賞・審査員特別賞・ホープ賞・協賛企業賞はこちらつたえたい訪問看護の話 受賞エピソード発表!大賞・審査員特別賞・ホープ賞・協賛企業賞【2026】 「Yさんの日常に伴走」 投稿者: 安藤 芳雄(あんどう よしお) さん andYou訪問看護ステーション(埼玉県) Yさんは65歳女性。独り暮らし車椅子生活。Yさんの愛猫4歳は車椅子の肘掛けに乗る。さながらナウシカとテトのよう。Yさんはゴジラとプロレスが好き。通販も大好き。Yさんは大食い。うどん3玉ペロリ。これがYさんの普通。Yさんの左下肢は股関節から下が無い。右下肢は麻痺。坐骨に不治のD4褥瘡あり。Yさんのベッド移乗法は柔道の前回り受け身。これがYさんの普通。尿は留置カテーテルだけど便は不意に出てしまうことがある。独りではどうにもできないので緊急訪問看護する。人に頼るところはしっかり頼る。これがYさんの普通。Yさんは時々高熱が出る。多分褥瘡からの熱。これもYさんの普通だけど、これは辛い。私たちは決めた 【毎日朝晩褥瘡を洗おう】その日から高熱が出なくなった。訪問看護1日2回がYさんの普通になった。アウトレットモールに出かけた。人生初のジンギスカンを食べた。新幹線に乗って、USJのアトラクションに乗った。富士山には行けなかった。「よいお年を」で別れた翌朝に「あけましておめでとう」の挨拶をした。Yさんは嚥下が弱くなった。むせるのが普通になった。それでもお餅16個食べた。これが普通だから。肺炎が治らずHOTが始まった。入院治療よりも自宅で愛猫との生活を選んだ。Yさんの普通だ。最期の前日、愛猫を親友に託した。全てやりきった顔だった。今でも空から見守ってくれている。 2026年1月投稿 「『ごめんね』が『ありがとう』に変わった日」 投稿者: 奥田 玲子(おくだ れいこ) さん さんふらわぁ訪問看護リハビリステーション(東京都) 病状の進行により寝たきりとなり、四肢麻痺のある80代女性利用者さんを在宅で支援していました。自力での排便が困難となり、浣腸や摘便、洗浄、オムツ交換といった排泄ケアが必要な状況でした。その方は元来とても気を遣われる方で、ケアのたびに「汚いことをさせてごめんね」「いつも申し訳ないね」と話されていました。自分の汚物処理に他人の力を借りることに、強い負い目を感じておられたのだと思います。私たちは「それが仕事ですから」「気にしないでくださいね」と伝えてきましたが、申し訳なさは軽くなりませんでした。ある日のケアの中で、「私たちは便を取りに来ているのではなく、〇〇さんの不快感を取りに来ているんですよ」とお伝えしました。その言葉に少し驚いた表情をされた後、その日を境に「ごめんね」は「ありがとう」に変わりました。状況やケア内容は変わっていません。変わったのは、「迷惑をかけている」という捉え方から、「つらさを受け取ってもらっている」という感覚でした。看護とは処置を行うことだけでなく、その人の心の負担を引き受けることでもある。この経験は、私たちの大切にしている看護観を改めて教えてくれました。 2025年12月投稿 「旅立つ前の願い」 投稿者: 葛西 聡子(かさい ふさこ) さん 社会医療法人 函館博栄会 高齢者複合施設 ケアタウン昭里 訪問看護ステーションあまりりす(北海道) 小さな漁業の町の自宅で写真館を営んでいた78歳の男性。住民の成長していく姿を撮り続けてきた。妻と子ども、孫がいつも傍にいた生活。体調に気付いたのは、黄染と腹水が貯留し始めた頃。大腸癌、肝臓転移だった。「入院しない、家で死にたいんだ」。家族も「家に居たらいい」。訪問看護を開始した。黄染で掻痒が強く自宅での入浴を希望し、その時間は彼から沢山の思い出やこれからのことを聞いた。数日後、目が開かなくなり呼吸状態も落ちてきた。家族に、死期に近づく過程を説明した。泣きながらメモを取っていた。気になり夕方、こちらから入電。「呼吸が変わってきた」。訪問すると下顎呼吸となり「看護婦さんが教えてくれたから、覚悟できたよ」。妻は、携帯電話で遠方の家族に電話し「じぃちゃん、頑張ったね、ありがとう」彼の耳に当てて聞かせた。やがて呼吸は止まった。家族に見守られながら、生まれた自宅で亡くなりたいことを話してくれていた。初めての看取りの話です。家族との時間、一緒に看護すること、そしてご本人の最期への思いを理解して叶えていくことを大切に思い訪問看護をしています。 2026年1月投稿 「要介護5から自立へ 在宅回復の軌跡」 投稿者: 金﨑 千晶(かねさき ちあき) さん 訪問看護ステーション ぽっぽスマイル(福岡県) 74歳男性。COVID-19後の重症肺炎により気管切開・人工呼吸器管理での治療を受け、呼吸器からは離脱できたものの、痰が多く経口摂取は困難と判断され、経鼻経管栄養のまま要介護5で退院となった。退院後、訪問診療と訪問看護(看護師・理学療法士・作業療法士・言語聴覚士)による在宅支援を開始。元公務員で意思の強いFさんは、思うようにいかない現実に苛立つ場面もあったが、私たちはその姿を「諦めたくない気持ち」「生きる力」と受け止め、多職種で粘り強く関わった。「頑張る自分が大好き!」その言葉通り、Fさんは毎日のリハビリに真摯に取り組み、徐々に経口摂取が可能となり経鼻胃管は抜去。痰の減少とともに気管カニューレも抜去に至った。久しぶりに奥様と「声」で会話できた日の笑顔は、今も忘れられない。雨の日も暑い日もリハビリを継続し、5ヵ月後には趣味の釣りを再開。最終的に要介護5から非該当(自立)へと回復した。「コミュニケーションボードでの会話は、正直つらかった。今、声で気持ちを伝えられることが本当にうれしい」 そう話すFさんの表情は、穏やかで優しいものだった。7ヵ月後の訪問看護卒業の日。「ここまで一緒に来てくれてありがとう」涙を浮かべながら感謝を伝えてくださった。在宅看護・在宅リハビリは、命を支えるだけでなく、その人らしい人生を取り戻す力がある。本症例は、その確かな可能性を示した一例である。 2026年1月投稿 「花子さんとピアノ」 投稿者: 川上 加奈子(かわかみ かなこ) さん よつば訪問看護リハビリステーション(神奈川県) 「音楽は本当に素敵ですね。聴いていると涙が出そうになります」花子さんは93歳。昔、息子さんと2人で音楽鑑賞にもよく出かけていたとのこと。そのため、訪問看護の際にスマホでクラシックを流すととても喜ばれていた。そんなある日、ふとご自宅にあるピアノに目がとまる。たしか花子さんは幼稚園の先生をされていたからピアノは弾けるはず…。「ピアノ?もう40年も昔の話です。弾けませんよ」と苦笑いする花子さんの手をとり、一緒に鍵盤を押す。すると「ドドソソララソ…」。花子さんは音階を口ずみ、指も辿々しくも動きだしたのである。さらには、私が「ふるさと」をピアノで弾くと大きな声で歌いだされ、「なんて楽しいのかしら。毎回やりたいくらい!」と満面の笑みが溢れた。それ以降、花子さんのリクエストにお応えして、ケアの最後には脳トレと嚥下リハビリとしてピアノと歌を一緒に楽しんでいる。「相手を知ることとは、その人が大切にしていることに興味を持つということ」看護研修で学んだこの言葉を、これからも忘れずに利用者さん一人ひとりと関わっていきたいと思っている。 2025年12月投稿 「全・全・半・全・全・全・半」 投稿者: 小林 桂(こばやし けい) さん 訪問看護ステーション デライト石神井公園(東京都) 意味のない独り言に聞こえる言葉を、私はその日、初めて“追いかけた”。居間で彼は、無表情でぼそっと言った。「全・全・半・全・全・全・半」。独語は不明瞭で、質問しても返答は噛み合わない。会話は同席する両親への聞き取りが中心になり、両親も「何を言っているか分からない。妄想の中にいるみたい」と困っていた。沈黙が落ちるたびに、私も“会話する意味”を見失いかける。心の不調を抱える彼の言葉は、ほどけて、こちらの手からこぼれていくようだった。それでも、意味のない音にしてしまわないよう、私は一つだけ決めた。分からない言葉ほど、そのままにしない。並びに聞き覚えがあり、そっと繰り返すと、彼は続けた。「全・全・半…ドレミファソラシド」ピアノの鍵盤だ。両親に尋ねると「そういえば小学生の頃キーボードを習ってた。そんなこと覚えてたの」と懐かしむ。本人に「弾いていたんですか」と聞くと、視線を落としたまま、静かに一度だけ頷いた。初めて会話が繋がった瞬間だった。私の声は、届いていなかったわけじゃない。そう思った途端、胸の奥がじんわり熱くなった。在宅の居間には、家族の記憶と本人のことばが同時にある。その場で背景に触れられるのが訪問看護の強みだと知った。以来、噛み合わない返答の中にも手がかりがあると考え、目線や言葉の端に意味が宿ると信じて手繰り寄せ、対話の糸をほどくように関わり続けている。 2026年1月投稿 「迷いながらも正解のない選択に寄り添う看護」 投稿者: 坂口 葵(さかぐち あおい) さん カンナ訪問看護ステーション(千葉県) 膀胱がん末期80代後半男性。妻と、別居の娘が三人いる。訪問当初は拒否も強かったが、最期は自宅にいたいとの本人の思いを尊重し、スタッフ皆で丁寧に関わり続け、在宅療養は途切れることなく続いていた。徐々に衰弱が進み、水分摂取が困難になると皮下点滴の継続を巡って家族の意見が割れた。「苦しい時間は短くしてあげたい」そう語る妻に、娘は「でも、何もしないで見ているのは辛い。点滴で少しでも元気になるなら…」と声を詰まらせた。私は迷っていた。点滴を続ければ身体的苦痛は増すかもしれない。だが、ここで止めれば「何もしてあげられなかった」という後悔を家族に残すかもしれない。悩んだ末、結論を出すことを目標にするのではなく、家族が互いの思いを語り尽くす場を整えることが今の最善だと判断した。血圧や脈圧の変化、今後起こり得る経過などを説明し、「正解はありません。迷いながら、その時に一番納得できる選択を一緒に考えましょう」と伝えた。話し合いの末、点滴は一日だけ行われ、翌日の誕生日には家族全員が集い、穏やかな時間を過ごされた。逝去後のエンゼルケアでは、娘が「父さんの髪を洗うの、初めて」と涙を流し、孫たちもそっと手を伸ばした。二十代で訪問の世界に飛び込んだ私は、この仕事を通して人生で本当に大切なことを教えてもらっている。大変だが、これ以上に尊い仕事はないと感じている。そんな誇りを胸に、今日も私は訪問に向かう。 2026年1月投稿 「家族で過ごした宝物の時間」 投稿者: 清水 由佳(しみず ゆか) さん スターク訪問看護ステーション三鷹(東京都) 70代の男性が、ほとんど準備の整わないまま急遽退院することになった。末期の膵がん。医師は「家で看取るのは難しい」と話していた。それでも本人は「家族のそばで過ごしたい」と静かに願った。娘さんの家庭には幼く精神疾患を抱える子どもたち、そして自身の精神的な不安もあった。どう考えても「余裕がある状況」ではない。それでも娘さんは「できる限り家で看たい」と父の思いを受け止めた。私はそんな“覚悟”を支え、連日訪問した。不安が強い娘さんには、玄関先で短い会話を重ねて安心を届けた。落ち込みやすい本人には、お孫さんの布団やクッションをそっと傍に置き、「家族の気配」が心を支えるよう工夫した。私が訪ねると本人は不思議と落ち着いた。「あなたは、私の薬みたいだね」と言われたこともあった。わずか9日間。しかしその短さを感じさせないほど、濃く温かい時間が家族の間につくられていった。夫婦で静かに交わした会話。お孫さん一人ひとりとの別れ。旅立ちのあとには、家族全員でエンゼルケアを行い、最期の“ありがとう”を手で伝えた。私が帰ろうとした時、娘さんが涙をこらえ「宝物の時間を、ありがとう」と仰った。家族の力を信じ、その思いに寄り添い、その人らしい最期をそっと支えた。それは看護の力が確かに息づいた、私にとっても忘れられないエピソードとなった。 2026年1月投稿 「『好き』の力が引き出す可能性」 投稿者: 城間 裕斗(しろま ゆうと) さん えん訪問看護ステーション東京池袋(東京都) パーキンソン病を患うその方は、仮面様顔貌(かめんようがんぼう)で表情の変化が乏しく、日中の多くをベッド上で無気力に過ごされていました。リハビリ中も意欲低下が目立ち、身体機能が徐々に低下していくことに私は焦りを感じていました。そんなある日、会話の中で「昔はハーモニカが得意だった」というお話を聞きました。「もう一度、あの音色を聴きたい」と思った私は、自分でもハーモニカを購入して練習し、次回の訪問時に一曲披露しました。すると、普段は自発的な動きが少ないご本人が、お礼にと自らハーモニカを手に取り、一曲奏でてくださったのです。パーキンソンの症状もあり、本当に吹けるのかと少し不安もありましたが、聴こえてきたのは美しく、力強い音色でした。ベッドサイドでは20代のお孫さんと3歳のひ孫さんも一緒に手拍子をして喜んでおり、その光景に胸が熱くなりました。この経験から、ただ訓練を繰り返すのではなく、その方の歩んできた人生や趣味に寄り添うことの大切さを学びました。これからも、利用者様の「好き」という気持ちを引き出し、心から動きたくなるようなリハビリを目指していきたいです。 2026年1月投稿 「拒絶の先にあった"家で生きる"という選択」 投稿者: 鈴木 開哉(すずき かいや) さん ウィル訪問看護ステーションよこはま北山田(神奈川県) 「どうせお前らも、俺の敵なんだろ」。50代男性独居、アルコール性肝硬変末期。著明な腹水と呼吸苦、失禁が続き、易怒性が強く、入院先や在宅サービスでトラブルを重ね、支援は次々と断たれていた。計画相談員からの依頼は、「今回もかなり難しいが、受けてもらえないか」という切迫した一本の電話だった。私たちは「全ての人に、家に帰る選択肢を」という理念のもと、拒絶されることを前提に介入を決めた。ハラスメントの懸念から男性スタッフのみで開始したが、訪問しても扉は開かず、インターホンは無視される。安否を案じて郵便受けから室内を確認すれば激怒され、追い返される。それでも関わりを絶やさなかった。ある日、意識は朦朧、呂律は回らず、便汚染のベッド上で横たわる姿を目にする。肝性脳症を疑い、拒否の合間に声をかけ続け、往診医と連携し救急搬送につなげた。しかし病院でも居場所はなく、早期退院となる。退院後、彼が受け入れた支援は訪問看護だけだった。薬局も入室できず、私たちが内服を受け取り、一包ずつカレンダーにセットする。扉が閉ざされ続ける中でも相手を知ろうと関わりを続けたことで、少しずつ信頼が生まれ、本心を聞くことができた。その瞬間、看護はようやくケアとして成立した。 2026年1月投稿 「お風呂と寿司で生き抜く力」 投稿者: 清政 満枝(せいまさ みつえ) さん スターク訪問看護ステーション板橋徳丸(東京都) Aさんは70代男性で一人暮らし、透析通院中。脳梗塞を患い高次脳機能障害もありましたが、PT、OT、STリハ継続しながら透析も続けていました。しかし生きていくのが嫌になり、透析通院を拒否するようになりました。様々な職種、多くの友人が説得しましたが、ご本人の意思は変わらず透析をしない日々が続きました。ご本人、遠方に暮らす妹、沢山の友人、仕事仲間、主治医、CM、ヘルパー、リハ、看護師等と何度も話し合いを重ねましたが彼の意思は変わらず、透析は終了しました。彼の願いは好きなことを最期まで続けたい。それは「大好きなお風呂に毎日入りたい」こと、「好きなものを食べたい、外食したい」ということでした。急変や転倒リスクを恐れて制限するのは簡単です。しかし彼の思いを尊重し希望を叶えるため、部屋のレイアウトや福祉用具を工夫したり入浴介助の方法を模索したり、多職種で知恵を絞りチームが一丸となって支えました。ある日彼は「お寿司屋さんに行きたい」と言いました。透析を止めて一ヵ月程経っており体調は決して良くありません。それでも多職種が時間を合わせ、外出を実現。出かける準備をする彼の笑顔は、誰もが忘れられない瞬間でした。本当にやりたいことはもうできません。しかし今できるやりたいことを多職種がチームとなり実現できたことは、訪問看護だからこそできる力。最後まで希望を叶える時間は、支えた全員にとって忘れられない時間でした。 2026年1月投稿 「最期まで医師でありたい」 投稿者: 寺山 佳佑(てらやま けいすけ) さん 訪問看護ステーションかすたねっと(大阪府) 抗がん治療を受けながら在宅で働く神経内科医のKさん。咽頭がん術後に化膿性脊椎炎を発症し腕を上げられなくなり、訪問リハを希望された。気管切開によりコミュニケーションは、筆談。初回の訪問は、現役の神経内科医にリハを行うため、異様な緊張感が漂っていた。私は、腕が上げられない原因を説明しリハを行った。腕は徐々に上げられるようになったが、がんの経過は芳しくない。私はKさんにリハ以外でケアができることはないかと悩んでいた。ある日、「趣味はありますか?」と尋ねると、パソコンの前に案内された。すると、リハ中は仏頂面なKさんが嬉しそうに自分の研究論文を見せてくれた。私は、Kさんにとって医師という仕事が日常であり、「最期まで医師でありたい」という想いが伝わってきた。ちょうどその頃、同僚が社外の研修会を行うため、パーキンソン病の発表を準備していた。そこで、Kさんに発表の内容を見て頂けないかと相談すると、快く引き受けて下さった。次の訪問時、家族が上機嫌でパソコンに向かっている姿を楽しげに話してくれた。Kさんは、同僚に在宅で必要なパーキンソン病の薬や生活指導の内容を丁寧に伝えた。発表後、訪問するなり筆談で「発表はどうだった?」と尋ねられた。私は「大盛況でしたよ」と伝えるとお互いに笑みがこぼれた。Kさんとの出会いは、その人にとっての生きがいを理解することの大切さを学ばせてもらった貴重な経験となった。 2026年1月投稿 「桜を見上げるたびに思い出す」 投稿者: 寺山 恵(てらやま めぐみ) さん 医療法人社団 成美会 訪問看護ステーションあさがお(茨城県) 「その人らしい生活を送れる看護がしたい」という思いから訪問看護へ、そこで初めて出会ったのが、神経難病を抱えるNさんです。日常生活は容易ではなく、転倒を繰り返すNさん、好き嫌いがはっきりとした性格で、調子の悪い日には目も合わせてくれません。理想として思い描いていた看護と現実のギャップに悩みましたが、Nさんの思いを否定せず、そばに居続けることを選びました。そんなある日、「この辛さは誰にも分からない」「筋力を落としたくない。ここに居たい」「娘には迷惑をかけたくない」と想いを私に話してくれました。調子がいい日は一緒に一歩ずつ、調子が悪い日は腋窩を支えながら半歩ずつゆっくりと散歩をし、アパートの敷地内に咲いていた、たった1本小さく咲いている桜を眺め「来年もまた見に来ようね」と笑い合った時間は、今でも心に残り、春になり桜を見るとふとNさんの笑顔を思い出します。体調が急変し、救急車で運ばれていく姿を見送ったのが最後の訪問でした。数ヵ月後、遠方に住む娘さんから「あなたに直接感謝を伝えたくて」と電話があり、人目も憚らず私は泣き崩れ、喪失感から次の訪問に向かうまで気持ちを立て直すのに時間がかかった経験も、深く胸に刻まれています。Nさんとの出会いは、訪問看護とは理想を語ることではなく、その人の人生に覚悟をもって寄り添うことなのだと教えてくれました。 2026年1月投稿 「本当の願い」 投稿者: 豊嶋 絵理(とよしま えり) さん えん訪問看護ステーション三豊(香川県) 指定難病の強皮症である彼女の身体は自分の思い通りには動かない。彼女の痛みを和らげようとマッサージをしている時「豊嶋さんは何で訪問看護師になろうと思ったの?」と聞かれ「こうやってゆっくり話をしながら人と関わりたかったからです」と迷わず答えた。「私もヘルパーやっててね、よく時間を過ぎても話を聞いて励ましてあげてた。豊嶋さんは私と同じやね」と微笑んだ。彼女には以前、他事業所が介入しており様々な理由で契約が終了した経緯がある。調子が良くシャワー浴ができた日「寒いと痛みが強くなって辛いんよ。前は無理って言われたけど本当はお風呂がいい。けどシャワーできるようになっただけいいよね」と寂しそうに諦めた言葉。けれど前向きな彼女を私は知っている。「○○さん!色々工夫は必要だけど、挑戦してみましょう!諦めるのはまだ早いです」。勝算があったわけではないが、私は彼女に挑戦して欲しかった。うちの事務所の強みはリハビリスタッフがいること。早速担当スタッフへ相談し福祉用具も手配。我々の心配をよそに動作確認クリア!初めて湯船に入れた時は、満面の笑顔で「無理って言われたしやる前から諦めてた。家のお風呂に入れたの2年ぶりよ!本当に嬉しい。試してくれてありがとう!」 彼女の本当の願いが叶った瞬間に私が立ち会えたのも、彼女の勇気とそれを支えてくれたチームのお陰。ここからまた彼女の挑戦は続く。それをサポートするのが私の仕事。 2026年1月投稿 「旅のコンダクター」 投稿者: 八箇 多恵(はっか たえ) さん 訪問看護ステーション 十色(富山県) 肺癌の末期を宣告後、彼は全国各地を旅して回り、食べ歩きにも行き、緩和ケア病棟から1次退院をした時は、冬がやがて訪れる頃だった。彼の要望は、バイタルサイン測定も排泄や食事の話も、「それをしたところで命が伸びる訳でもなく、それならこの1時間を有意義なものにしたい」と、1時間看護師と色々な話をすることを希望した。彼は旅プラン提案するのが好きだった。私が訪問すると「所長、皆にリフレッシュ休暇あげよ!人生楽しまなきゃ、今しかできないことあるし」と話をしていた。いつの間にか見られないはずだった桜を見て、七夕の短冊は「リフレッシュ休暇が取得できるようになりますように」と、記載されていた。その後状態悪化で再入院。顔を見に行くと「これ、母ちゃんが忘れないようにって持たしてきた」。照れながら見せたのは、我々の新年の挨拶の写真入チラシ。「あんたらのお陰で家での生活楽しかったわ」。病室にも分厚い時刻表の本と、地図があった。「いつでも相談のれるようにな」と笑顔で笑った。今年から、リフレッシュ休暇採用になって皆順に旅する予定である。 2026年1月投稿 * * * 皆さま、おめでとうございます!今後、「みんなの訪問看護アワード」表彰式の様子をご紹介する記事や、大賞を受賞したエピソードの漫画記事も順次公開予定です。ぜひご覧ください。 編集: NsPace編集部 [no_toc]

つたえたい訪問看護の話 受賞エピソード発表!大賞・審査員特別賞・ホープ賞・協賛企業賞【2026】
つたえたい訪問看護の話 受賞エピソード発表!大賞・審査員特別賞・ホープ賞・協賛企業賞【2026】
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2026年3月10日
2026年3月10日

つたえたい訪問看護の話 受賞エピソード発表!大賞・審査員特別賞・ホープ賞・協賛企業賞【2026】

NsPaceの特別イベント「第4回 みんなの訪問看護アワード」で募集した「つたえたい訪問看護の話」。厳正な審査を経て、受賞作品が決定しましたので発表いたします。本記事では、大賞1件、審査員特別賞3件、ホープ賞1件、協賛企業賞5件のエピソードをご紹介します! 「わたしらしさを、ともにつくる」 投稿者: 中田 富久(なかだ とみひさ) さん OUR訪問看護ステーション(宮崎県) 当所を立ち上げて間もない頃、挨拶まわりの最中にケアマネさんから静かに問われました。「HIVの方でも…対応できますか?」その一言に一瞬戸惑いながらも、真剣な眼差しに心を動かされ、私は「必ず支えます」と答えました。初めて彼と向き合った日、こんな言葉を聞きました。「わたしらしい人生を、もう一度つくっていきたいんです」幼少期に血友病を発症し、その後に薬害HIVが判明。十代の半ばまで病院や療養学校で日々を重ねてきた彼。脳出血にもあい、社会とのつながりが薄れていた彼にとって、訪問看護は“外の世界との架け橋”だったかもしれません。訪問を重ねるほどに、心の奥に押し込めてきた願いが溢れ始めました。仕事に挑戦したい。自由に外へ出たい。自宅のお風呂に入りたい。それは、ずっと言えなかった「本当の願い」でした。私たちは彼の言葉を胸に、多職種や地域の力を借りながら奔走しました。制度の壁、環境の整備、医療的なリスク…簡単ではなかったけれど、ひとつ実現するたびに、彼の表情が少しずつ明るくなっていくのが分かりました。そしてある日、彼はこう言いました。「3年前の生活から、180°変わりました」彼の『らしさづくり』ははじまったばかりです。訪問看護とは、誰かの人生の再スタートにそっと火を灯す仕事。これからも私たちは、地域の力とともに彼の『わたしらしさ』を『とも』につくっていきます。 2026年1月投稿 「言葉を遺す」 投稿者: 鈴木 沙恵子(すずき さえこ) さん (株)Hale ハレノヒ訪問看護ステーション(東京都) 「明日は娘の結婚式だ。」胃癌終末期50歳のAさん。点滴、麻薬による疼痛管理、胃管、尿管挿入中。血圧は80台/s、尿もほとんどでない状態にあった。待ち望んでいた娘の結婚式を明日迎える。早朝から同行することとなった私は医師の指示で朝の時点で管はすべて抜去した。命がけの外出だった。民間救急車内で寝たまま点滴を行い血圧低下を防いだ。到着時、後方の扉が開いた瞬間そこには新郎新婦がいた。今この瞬間亡くなるリスクが高いことを誰もがわかっていた。Aさんの目の色が変わった。「辿り着いた。行くぞ」タキシードに着替えバージンロードを車いすに乗り進んだ。Aさんは笑顔だった。嬉しい、楽しい、挨拶にいこう。私はAさんの言葉をすべて記録に残した。尿もでないこの状態で幸せな言葉が溢れていた。今看護師の私に求められている役割は判断だ。血圧を維持したい。痛みを軽くしたい。目を開けてこの景色をみていられるように何とかしたい。そしてこんなにも幸せな笑顔のAさんの言葉を家族に残したい。神経を張り巡らせ、ひと時もAさんから目を離すことなく看護師として存在した。式を退出するその時、Aさんは私に言った。「俺の娘はこの世で一番綺麗だろう」他人の私にだからこそ言えた言葉だ。Aさんに喜びを与えられた気がした。Aさんは日付が変わる頃、家族に見守られ静かに息を引き取った。私は家族に幸せなAさんの言葉をたくさん遺すことができた。 2026年1月投稿 「ママ、ぼくが作ったよ」 投稿者: 高橋 さゆり(たかはし さゆり) さん ReHOPE 南町田(東京都) 脳転移と闘う40代のSさま。「一番の気がかりは子どものこと」と涙され、8歳の息子さまとの時間を何より大切に入居されました。ある日、息子さまの「ママの生姜焼きが食べたい」という一言から、病室での料理会が実現。麻痺のある手を添えて包丁を握り、香ばしい匂いと笑顔が弾ける中、母の味を再現しました。それから餃子作りなどを重ね、食を通じて家族の記憶を紡いだ日々。そして迎えた最期の時。Sさまが絞り出した言葉は「やきそば」でした。その声に応えようと、息子さまは自ら焼きそばを作り、母の口元へ。「ママ、ぼくが作ったよ」。食べることは叶わずとも、成長した愛息からの贈り物は心を満たし、その瞬間、Sさまは安らかな母の顔をしていました。息子さまが新学期を迎えた春の日、Sさまは静かに旅立たれました。最期まで「母」として生き抜いた強さと、母を支え成長された息子さまの姿。それはSさまが遺した、何より尊い愛の証でした。 2026年1月投稿 「たっくん、天国で元気にしてるかい?」 投稿者: 山藤 響子(やまふじ きょうこ) さん 医療法人社団 永生会 大和田訪問看護ステーション(千葉県) 末期心疾患で余命1ヵ月と告知された、当時2歳の「たっくん」。ご家族の「どうしてもたっくんを家に連れて帰りたい!」の一言から、在宅移行が動き出しました。家族、訪問診療、訪問薬局、そして私たち訪問看護チームが輪になり、当時前例のなかった強心剤24時間持続投与に挑みました。ブロビアックカテーテル、日中のネーザルハイフロー、夜間のBiPAP。複数の医療デバイスが絡む中、CADDポンプの薬剤カセット交換や急変の不安が立ちはだかり、受け入れの可否を巡ってチーム内でも揺れました。それでも手技を標準化し、連絡網と物品を整え、家族と何度も練習を重ねて「暮らし」を守る体制を作りました。その後、たっくんは宣告を大きく超える8ヵ月をご自宅で過ごされました。たっくんが虹の橋を渡った後、お母様は「たっくんが愛の種まきをしてくれて、皆様とも出会えて幸せでした」と語ってくださいました。小さな身体で最後まで懸命に生き抜いたたっくんと、その時間を抱きしめ続けたご家族に、私たちは深い敬意を抱いています。この経験は今も、私たちの看護の軸として息づいています。 2026年1月投稿 「それでも地域で生きている」 投稿者: 米原 拓也(よねはら たくや) さん スターク訪問看護ステーション三鷹・調布(東京都) ベッド上で寝たきりの要介護5、90代男性。ストマ管理が必要な夫の生活を支えていたのは、認知症を抱える80代の妻だった。基本的なパウチ交換はできていたが、排便のたびにパウチを交換してしまうことや徘徊で買い物に出たまま家に戻れず、看護師がショッピングモールを探し回ったこともある。また、やかんの火を消し忘れ、訪問時にガスがついたままのこともあった。医療者の視点では「問題」が並ぶ夫婦だった。それでも妻は繰り返し語った。「夫が亡くなるまで、ここにいさせてあげたい。私は夫より一日でも長く生きられればいいんです」。その言葉には、揺るぎない覚悟があった。往診医、看護師、リハビリスタッフ、ケアマネジャー、ヘルパー、家族が何度も話し合いを重ね、夫婦の安全を守るためにそれぞれの訪問時間を調整して夫婦のもとへ訪れた。完璧な生活ではない。それでも、この夫婦は夫が逝去する最期まで自分たちの家で暮らし続けることができた。課題をなくすことが支援のゴールではない。課題を抱えながらも「それでも地域で生きる」力に向き合い、その人の人生を支えることこそが、訪問看護の本質であると深く教えられた事例であった。 2026年1月投稿 NTTプレシジョンメディシン賞 協賛企業: NTTプレシジョンメディシン株式会社業務をまるごとDX。訪問看護ステーション用電子カルテ「モバカルナース」 「島唄が架けた、言葉なき架け橋」 投稿者: 稲葉 実結(いなば みゆ) さん ソフィアメディ訪問看護白金高輪ステーション(東京都) 人工鼻を使用し、発語ができない独居の女性。生来お話し好きだった彼女は、思いが伝わらない苛立ちを、いつも諦めたような首振りと沈黙で終わらせていた。指先の震えから書字も拒み、私たちの間に「言葉」が架かることは一度もなかった。なかなか縮まらない距離に、私自身も無力感を感じる日々が続いていた。転機は、壁に飾られた一枚の海辺の写真だった。ある離島の出身だと知り、次回の訪問時にスマホでその島の「島唄」を流してみた。私が鼻歌を添えると、彼女の手が静かに拍子を取り始め、やがてその瞳から音もなく涙が溢れ落ちた。驚く私に、彼女は両手を合わせ、拝むような仕草を見せた。そして、あれほど拒んでいたホワイトボードを自ら引き寄せ、震える手でゆっくりと記した。「懐かしい」。その日を境に、彼女と「声なき会話」が続くようになった。いまでは、私が転んで作ったアザを笑って、それでいて心配するようになった。言葉の会話はなくとも、沈黙が来ることはなくなった。看護とは病を診るだけでなく、その人の人生が奏でてきた音色に耳を澄ますこと。島唄が架けてくれた小さな絆は、今も私の中で優しく響いている。 2026年1月投稿 東洋羽毛賞 協賛企業: 東洋羽毛工業株式会社ーより良い眠りから、健やかな毎日へー私たちは現場で頑張る訪問看護師の皆様を快適な眠りでサポートします 「また生まれてきたら同じ両親の元へ」 投稿者: 前田 昌紀(まえだ まさき) さん M.Crew訪問看護ステーション(東京都) ある日の訪問の合間、車での移動。バス停で待つ母子を見かけます。男の子は高校生くらい。ニコニコしてお母さんと話しています。その男の子は松葉杖をついていて、片方の足の先がありません。可哀想に…。怪我か病気で失くしたんだろうか…。その後もニコニコとお母さんに話している様子を見て、「頑張って」と心の中で声をかけます。それから、3ヵ月くらい経った頃に近くの大学病院のソーシャルワーカーから訪問看護の新規依頼。17歳の男の子で骨肉腫、肺転移による末期状態の診断。数日後に訪問診療の先生と初回訪問に伺います。「あっ!あの時の男の子だ!」。優しい笑顔で迎え入れる本人に、心の中でつぶやきました。病状が進行する中、「もう一度ラグビーを観に行きたい」。看護師が付き添い、試合を観に行ったり、訪問の先生が、本人が好きな選手のサインを知り合いに頼んでもらってくださいました。徐々に病状が進行し、苦しさから「もう終わりにしたい!」と訴えるようになり、お薬を調整していきました。最期の意識がなくなる寸前に、両親に「ありがとう」と、か細い声で言いました。意識をなくした後に看護師から「また生まれてきたら同じところに生まれて来ようね」との声がけに確かに「うん」と頷き、1時間後に息を引き取りました。数ヵ月後、近くのコンビニでお母さんが働き始め、再会。訪問の合間に寄るといつもカウンター越しにお互い涙を目にためて話しています。 2026年1月投稿 アクリーティブ賞 協賛企業: アクリーティブ株式会社レセプト請求業務の代行を通じ、訪問看護事業者様がよりご利用者様と向き合える環境づくりをご支援します。 「"あたたかさ"で支える」 投稿者: 平林 陵星(ひらばやし りょうせい) さん 訪問看護ステーションこむすび(和歌山県) 「今日はあそこのお店のケーキ。まぁ、なんだかんだ言って、コンビニスイーツが一番ええわな」と、超が付くほどの甘党のAさん。肺がん末期の状態で、在宅酸素や麻薬の持続注射を行っています。病気は進行し、酸素流量は最大量に。大好きなスイーツも受け付けなくなり、呼吸困難を緩和するため浅い鎮静剤の投与が始まりました。そんな矢先、奥様が「看護師さん見て!来週、家の隣にコンビニがオープンするんやって!なんとか行けやんかなぁ」と、チラシを片手に嬉しそうに相談してくれました。Aさんも「オープン日に行こう」と約束。雨予報が快晴に変わったオープン当日。医師の了承を得て、ご家族と私と車椅子に乗ったAさんコンビニへ向かいました。しんどい中でも、Aさんはスイーツ棚をじっと見つめ、自分で欲しいものをカゴに入れていました。イベントのガラガラ抽選会はハズレでしたが、店員さんの粋な計らいで「当たりだよ」と伝えられ景品を獲得。さらに、サプライズで外でご親族が待っていてくれました。皆で数週間ぶりの日なたぼっこを楽しんだ後、選んだスイーツを食べることもできました。数日後、Aさんは穏やかなお顔で旅立たれました。後日、奥様は「あの時、看護師さんだけでなく、あたたかい周りのみんなに支えられました」と話してくれました。あの日の色んな“あたたかさ”は、今でも私の心を照らし続けてくれています。 2025年11月投稿 「無人島に街を!」メディヴァ賞 協賛企業: 株式会社メディヴァ患者視点の医療改革を理念に、医療・介護・予防分野において、革新と価値創造を目指すコンサルティング企業 「理念である『地域の懸け橋』の瞬間」 投稿者: 栗原 拓郎(くりはら たくろう) さん アール・クラ横浜(神奈川県) 新規依頼の問い合わせ。子どものお母さんからだった。療育センターから「呼吸リハビリに詳しい理学療法士がいると聞きまして…」の連絡。エリアを確認すると、訪問の範囲外で片道1時間以上の距離だった。普段なら断るが切実な相談内容に「少し時間をください!」と電話を切る。訪問ができなくても、何か私にできることがあるのではないか…考える。依頼先の近隣にある基幹病院の療法士が、地域ブロックの代表者であることを思い出し相談してみることに。内容を説明すると快く引き継いでくれ病院のOBが訪問看護で働いていると紹介してくれる。OBの方から「知り合いに適任者がいるので紹介します」とさらに繋いでくれる。対応できる療法士が決まり、ご家族から「紹介してもらった方は、昔から療育センターで担当してもらっていた方でした。息子も喜んでいます」との内容だった。訪問エリア外でも地域のネットワークを使い、弊社理念である「地域の懸け橋」を繋いだ瞬間を感じることができた1日だった。 2025年12月投稿 ワールドアベニュー賞 協賛企業: 株式会社ワールドアベニュー海外の看護・医療現場で有給で働ける看護師限定ワーホリや海外正看護師資格取得をサポートしている留学会社です。 「ICTで言葉の壁を超える多文化共生ケア」 投稿者: 小川 祥子(おがわ しょうこ) さん ウィル訪問看護ステーションよこはま北山田(神奈川県) 生後まもない女の子。先天性表皮水疱症。触れるだけで皮膚が剥がれ、感染の不安と隣り合わせの毎日だった。インドネシア国籍の両親は、慣れない日本、言葉の壁、宗教的背景の中で、先が見えない状況の中、ご両親には不安の色が滲んでいた。私たちは翻訳アプリを使い、何度も言葉を探しながら対話を重ねた。伝えたいことが伝わらないもどかしさの中で、よくある質問や不安をまとめたパウチを作成し、「いつでも確認できる安心」を形にした。在宅でのケアは容易ではない。水疱の破疱、入浴、軟膏や被覆材の選択。感染を防ぎたい一方で、過度に守ることで発達を妨げてしまうのではないかという葛藤があった。私たちは「守る」と同時に「育てる」視点を忘れず、医師と密に連携し、見守り下では手先の自由を確保し、指の癒着を防ぐ関わりを続けた。また、ケアの中心から外れがちだった兄にも目を向け、家族全体を看る姿勢を大切にした。MCSを活用し、皮膚状態を共有することで異常の早期発見にもつなげた。退院後半年、感染を起こすことなく自宅での生活が続いている。日々の関わりの中で少しずつ日本語を習得し、簡単な意思表示やコミュニケーションを自らとってくれるようになっている。言葉の壁を越えて相手を知ろうとし続けたことが、不安だった育児を「この子と生きる時間」へと変えていった。 2026年1月投稿 皆さま、おめでとうございます! 入賞作品については、こちらの記事をご覧ください。つたえたい訪問看護の話 受賞エピソード発表!入賞【2026】 編集: NsPace編集部 [no_toc]

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