命に寄り添う口腔ケア

特集
2022年10月4日
2022年10月4日

難聴で拒食のある人の関わり方

前回に引き続き、コミュニケーションが困難だった人への対応事例を紹介します。最終回は、難聴と拒食を伴った事例です。 事例 Mさん、85歳男性、要介護3。難聴、拒食症、軽度認知症の疑い。無歯顎、上下総義歯を装着したままで数週間をベッド上で過ごす。会話や食欲もなく、ときどき妻が差し出すプリンを口にする程度だったため、低栄養と摂食嚥下障害を心配した内科医からの紹介で、歯科医師とともに訪問。 Mさんは、妻と二人暮らしで近所に長男と長女がそれぞれ暮らしていますが、心配する妻や娘に、暴力的な行動もみられたとのことでした。食事拒否の原因は、図のようなことが考えられますが、Mさんの場合は、家族との会話が困難になるくらいの強い難聴に由来する「孤独感」の存在も否めませんでした。 介入開始時の状況 嚥下評価は、軽度のオーラルフレイル程度のレベルでした。 最初に、ホットタオルで顔面や唾液腺のマッサージを行い、数週間ぶりに義歯を外すことができました。 義歯内面の汚れがあり、広範囲に口腔粘膜はカンジタ性口内炎を発症していました。また、食が細くなって痩せたため、義歯が合わなくなり、義歯の内面調整も必要でした。 聴覚障害者用アプリで意思疎通 ご家族は、ホワイトボードに字を書いては消しを繰り返して、コミュニケーションをとっていました。「入れ歯を外してください」「うがいをしましょう」などのカードを提案し、口腔ケアがその方法で可能になりました。 しかし、義歯の内面調整となると、義歯の内側に内面調整剤を塗った後、しばらく口腔内で数分保持する必要があります。本人の協力を得る度合いが増えるので、カードでも困難と考え、スマホの聴覚障害者用アプリを利用することにしました。 「お薬のにおいがしますが、すぐ終わりますので、しばらく入れ歯をかんでいてください」「お薬が固まりましたので入れ歯を外しますよ」などと、スマホのアプリに向かって話すと1秒後には文字として表示されます。Mさんにも理解でき、義歯調整の同意が得られました。 こうして義歯装着が可能になると、妻からMさんが家の中を夜間にフラついて大変だったと聞きましたが、その後は近所のタバコ屋にタバコを買いに出て、数ヵ月ぶりの外出も可能となりました。 EAT-10注1が0点となったため、居宅療養管理指導は4回/月から2回/月へと変更になりました。Mさんはトンカツが大好きだったので、口腔ケアに関しての長期目標は、「トンカツを食べる」に設定しました。 コーチング(第9回参照)は、本人だけでなく、介護する家族にも有用なことがあります。日々不安を抱えている妻に、リフレイン(対象者の言葉を繰り返す)やチャンクダウン(問題の具体化)で対応しました。 「何かあれば何でも歯科衛生士に相談してください」と寄り添い、共感するスタイルを通して、ラポール(信頼関係)が構築され、本人(妻)のゴールが近づきました。 機能的口腔ケアで笑顔を取り戻す 歯科の短期目標として、義歯の清掃、唾液腺マッサージ、プッシングエクササイズ(声帯の強化)、口腔周囲筋のストレッチを指導すると、食事量が増えると同時に笑顔もみられるようになりました。 介入約3ヵ月後 家の中を歩く、座位で摂食する時間も増えて、介入から約3ヵ月が経過し、長期目標である「とんかつ」はカツ丼やカツ煮で食べることができました。 おわりに 全10回に及ぶ本連載を通して、訪問看護師をはじめとするチーム医療連携での歯科衛生士の業務について知っていただける機会となったと思います。口腔ケアや歯科診療だけでなく、摂食嚥下リハビリテーションから終末期の口腔ケアまで、口腔の衛生面・機能面の両面から要介護者をサポートする歯科衛生士を、今後ともよろしくお願いいたします。 * 注1 EAT-1010項目からなる軽度の嚥下障害のための質問票で、0~4点で各項目を評価する。合計が3点以上で嚥下障害の可能性がある。 執筆山田あつみ(日本摂食嚥下リハビリテーション学会認定士、歯科衛生士) 記事編集:株式会社メディカ出版

特集
2022年8月16日
2022年8月16日

コーチングと口腔ケア

この連載では、実例をとおして、口腔ケアの効果や手法を紹介します。今回と次回は、コミュニケーションが困難だった人への対応事例を紹介します。 コミュニケーションが難しい方への対応 事例 Lさん、76歳男性、要介護Ⅱ。上総義歯、下部分義歯。義歯不安定、残存歯2本のみ。痰の喀出困難、OHAT唾液-1、帯状疱疹後神経痛、前立腺肥大症ほか。6年前に妻を亡くして以降、日々、機嫌が変わりやすくなった。内科からの紹介で、義歯不安定を主訴に訪問歯科診療にかかわる。帯状疱疹後神経痛(腰痛)がつらく、口腔ケア時にも、顔をしかめるほどの痛みが発作的に襲うことがあった。 Lさんには「なんで毎週来るんだ、毎週来なくてもいいんだよ! 床が傷付くから、荷物を床に置くんじゃない!」と、初診時からしばらくは、頭ごなしに怒鳴られることもありました。対応に苦慮しながら、ひたすら寄り添い傾聴し、ハフィング(痰を吐き出しやすくする方法)の指導や、義歯の内面調整を行いました。 コーチングスキルを取り入れる Lさんとのコミュニケーションに悩んでいたころ、コーチングの研修に参加することができました。「コーチ」の語源は「馬車」で、コーチングとは、人を馬車に乗せて目的地に運ぶ、つまり目標達成を支援するための、対話的コミュニケーションの技法です1)。 研修で教わったコミュニケーション技法を、Lさんとの会話で試みました。ペーシング(歩調合わせ)やリフレイン(繰り返し)の技法により、難解と思われた関係性が、少し開けてきたように思いました。 以下、Lさんとの会話の一部を示します。(下線部がリフレインの箇所) L「独りで暮らす自信がないなあ、もう僕、独りでは無理だと思う、歯科さん(筆者のこと)どう思う?」山田「そうですか。お独りではご無理がありますよね、不安ですよね」L「娘は仕事があるから、わがまま言えないし……」山田「娘さん、お仕事を持っていらっしゃるのですね、お忙しいのですね」 相手主導で、相手の言葉をリフレインし、傾聴すると、こちらが積極的に問わなくても、Lさんが独り暮らしを不安に思っていること、娘さんがお仕事を持っていて、Lさんの娘さんへの気遣いがわかりました。初診のころの機嫌の悪さは、腰痛のせいだけでなく、孤独感の影響が大だったのだと理解しました。 サービス担当者会議の開催 Lさんへの口腔ケアの指導も順調に進み、もう「毎週来るな」とは言われなくなったころ、チームにLさんの腰痛が周知され、介護支援専門員から、腰痛対策のためのサービス担当者会議が招集されました。 コロナ下のことで、会議は文書でのやりとりでしたが、介護支援専門員がそれぞれの意見をまとめ、Lさんに丁寧に説明が行われました。 その説明を受けた後も、Lさんは不安げで、「歯科さん、僕にはよくわからないので、説明してくれるかい」とおっしゃるので、図のようにそれぞれの職種の意見を示し、「皆さんが、Lさんのことをたいへん心配されていますよ。でも、何を選ぶかは、Lさんご自身ですよ」と伝えました。 Lさんの顔は生き生きと見えました。訪問鍼灸師のお試し施術も受けられましたが、慣れない鍼灸への怖さと、施術中の姿勢保持が困難だったため、自分でできるストレッチと、内科医提案の鎮痛薬治療を選ばれたのでした。 行動変容が促される その後は、訪問のたびに、ストレッチに歯磨き、舌の訓練も見せてくれるようになり、ご自分の話をしてくれるようにもなりました。あるときは、亡くなられたご自慢の奥様の写真も見せてくださいました。 義歯の安定には機能的なケアと唾液が必要です。精神的なストレスにより、唾液が減少することもあるので、訪問時のLさんとの何気ない会話に、心理面・体調面の好不調を探ることもありました。 コーチングは初心者ですが、基本的な介入を試みてから、急速にラポール形成が進行し、行動変容も促され、実際に口腔内環境が改善されたことには驚きでした。 残念ながら、腰痛はその後も大きく改善することはなく、ベッド上での時間も長くなり、ずいぶんと痩せられて、義歯も不安定になりました。 歯科医による義歯再調整のとき、そばで心配する私に、「歯科さん、あなたがいちばん、僕のことをわかってくれている。入れ歯が合わないのはね、歯科さんのせいではないからね。心配しなくていいよ、僕が悪いんだ」と笑顔で、おっしゃるのでした。 介入して2年半、Lさんは、そんな優しい言葉とたくさんの思い出を遺したまま、入所したばかりの施設で体調が急変され、愛する奥様のもとへ旅立たれました。 ー第10回へ続く 執筆山田あつみ(日本摂食嚥下リハビリテーション学会認定士、歯科衛生士) 記事編集:株式会社メディカ出版 【参考】1)出江紳一ほか.『医療コーチングワークブック』東京,中外医学社,2019,168p.

特集
2022年8月2日
2022年8月2日

口腔粘膜疾患と口腔ケア

この連載では、実例をとおして、口腔ケアの効果や手法を紹介します。今回は、口腔粘膜疾患や衛生面での口腔ケアについてお話しします。 口腔粘膜の疾患 前回では、準備期を「餅つき」に例えて、「噛む」ためには舌、唇、頬や、筋肉が重要な役割を果たすことをお話ししました。 高齢者の口腔内では、歯や歯肉だけでなく、唇、舌、頬の内側、口蓋など、口腔粘膜に疾患が見つかることも多くあります。低栄養やストレス、喫煙、傷などが起因となり、口内炎などの疾患が発症します。 軽度な口内炎でも、放置すると重篤な状態へ進行することもあるので、口腔ケアの際には粘膜の観察も大切です。 義歯もなく、下の歯が上口唇に刺さっていた事例 事例 Jさん、96歳女性、要介護5。難聴、軽度認知症の疑い。常時寝たきりで褥瘡あり。残存歯数20本。部分義歯がゆるいと、内科からの紹介で訪問。 Jさんは、上顎が無歯顎で、義歯もなく、残存歯は、下顎の前歯が4本あるだけでした。発声もなく、噛むことで、下の歯の先端が上口唇や粘膜に刺さり、咬傷ができていました。口腔ケアも不十分で、紅く腫脹した口腔カンジタ症注1の所見もありました。 口腔ケアを指導後、歯科医師が、上の口唇の傷の保護と、噛み合わせを高くするなどの目的でPAP(舌接触補助床、第5回参照)を作製しました。 できあがったPAPを初めて装着した日、顎関節マッサージの後、装着のため頑張って大きく開口したJさんは、「痛いよ!」と、とても大きな声を挙げました。ベッドサイドで様子を見ていた娘さんは、「まあ、おばあちゃんの声が久しぶりに聞けた!」と喜んでいました。 Jさんの口腔内はそれまで、上下の高さに隙間がないので、発声のために舌を動かすスペースもありませんでしたが、PAPにより舌が動かせる隙間ができ、発声や嚥下の改善、唾液誤嚥の減少にもつながりました。その後、家族や介護士などに口腔ケアの手技を伝え、カンジタ症はずいぶん改善しました。 上皮剝離膜、痂皮へのケア 主に終末期にある方では、上皮剝離膜や痂皮(かひ)の付着に注意が必要です。 痂皮とは、痰やプラーク(歯垢)などが固まった状態で、口腔粘膜に付着することがあります。誤嚥性肺炎のリスクにもなります。 痂皮が付着した様子 痂皮は、口腔内用の保湿剤をよく塗布し、数分ふやかしてから、さまざまな用具を使用してゆっくり時間をかけて除去します。剝離時に出血を伴うこともあり、口腔ケアシート 注2 で圧迫止血を繰り返しながら、慎重にケアします(非経口摂取患者口腔粘膜処置 注3 )。 口腔内の痂皮を見つけたら、歯科専門職でない方は無理に除去せず、ケアの後に保湿剤を塗布してください。保湿剤の代わりにワセリンを使用する人もいますが、ワセリンは乾燥を防ぐ目的で塗布するものです。汚れを除去する場合には不向きです。 虫歯の鋭縁が舌に大きな傷を作った事例 事例 Kさん、87歳男性、要介護4。施設介護。脳出血後右麻痺、常時寝たきり。 初診時、左下に大きな虫歯があり、舌の側面に潰瘍様の大きな口内炎が見つかりました。食事や発声のたびに、虫歯の鋭縁(欠けて尖った部分)が、舌を深く傷つけていたのです。 Kさんの舌の側面にできた口内炎 すぐに歯科医師が虫歯の鋭縁を削り丸くし、翌週には口内炎が軽快しました。放置していれば、癌化することも十分に考えられる炎症でした。 口腔粘膜傷害時のケア ・赤または白い斑点の口内炎が2週間以上続いている・接触痛(ヒリヒリ、ピリピリ、しみる、灼熱感)が2週間以上続いている・ステロイド使用で口内炎がある・抗がん薬治療で口内炎がある・放射線治療で口内炎がある これらの場合には、研磨剤含有の歯磨剤やアルコール含有の洗口剤を使用せず、またゴシゴシと強い歯磨きをしないように指導し、早急に歯科受診を促します。 おわりに 介護現場で口腔ケアが拒否される理由の一つに、今回お話ししたような粘膜疾患が挙げられることがあります。 懐中電灯などで口腔内の観察をして、粘膜の異常に気づいた場合は、早急に歯科へ情報提供をお願いします。 次回は、コーチングによって、ゴールに近づくことができた症例です。 注1 口腔カンジダ症:低栄養を引き金に、日和見菌のカンジダ・アルビカンスが増殖し、粘膜に紅斑や腫脹などを発症する。義歯清掃を怠ると義歯性口内炎を発症し、義歯が装着できないほど痛みを伴うこともある。低栄養が改善しなければ、薬物治療でも治りにくく、再発しやすい。 注2 口腔ケアシート:口腔内に使用できるウェットシート。口腔ケア時に拭き取り用として使用する。保湿剤とともにCOVID-19飛沫対策として推奨している。 注3 非経口摂取患者口腔粘膜処置(歯科診療報酬):経口摂取が困難な患者に対して口腔衛生状態の改善を目的として、歯科医師またはその指示を受けた歯科衛生士が、口腔清掃用具等を用いて口腔の剝離上皮膜の除去を行った場合に算定できる。月2回まで、1回110点。 執筆山田あつみ(日本摂食嚥下リハビリテーション学会認定士、歯科衛生士)記事編集:株式会社メディカ出版

特集
2022年7月5日
2022年7月5日

胃瘻でも餃子が食べたい! 慢性期の摂食嚥下リハビリテーション③

この連載では、実例をとおして、口腔ケアの効果や手法を紹介します。今回は、食事時の姿勢調整などで経口へ導いた事例です。 急性期・回復期・慢性期で嚥下障害は変化する 急性期では、重篤な嚥下反射遅延や誤嚥といった咽頭期(連載第3回を参照)の嚥下障害が発症し、経管栄養管理下に置かれることが、しばしばあります。回復期・慢性期になると体調が回復しますが、食べこぼす、噛みづらいなど、準備期(連載第3回を参照)の障害に変化するケースがあります。 急性期から回復期~慢性期へと、各々のステージで嚥下の再評価が必要です。その結果から、5期モデルのどこに障害があるのか、個々の回復の変化に応じて、適切な対応が可能になります。 事例 Hさん、69歳女性・要介護5。施設入所。脳梗塞発症後の左側片麻痺あり、歩行不能。 残存歯数が15本、重度歯周病と上下部分義歯不安定があることから、入所施設のケアマネジャーからの依頼で訪問となりました。 簡易検査はほぼ正常で、準備期の改善と姿勢の調整で、直接訓練が可能と判断しました。 初診時の嚥下評価 RSST注13回/30秒ODK注2パ3.2回/秒、タ2.8回/秒、カ2.0回/秒改訂水飲みテスト注34点 頸部聴診音清明頬の膨らまし左右 十分にできるうがい問題なくできる 間接訓練 準備期の主役は、歯や義歯です。「餅つき」に例えれば、歯はうす・・やきね・・です。 ときどき手水をつけた手で餅を返すことで、おいしい餅(食塊)になります。手水は唾液に相応し、返す手である舌や唇、頬の筋肉をうまく動かす間接訓練が、準備期にはとても大切です。 Hさんの間接訓練は順調に進み、早速、ベッド上の段階的摂食訓練を開始しました。 直接訓練 ファーラー位で右側を下にした側臥位に姿勢を調整しながら、「学会分類2021」の「0j」を試しました。1か月ほどで、「2-2」まで可能になりました。 ところがここで、義歯の装着が困難になるという問題が発生しました。 Hさんは、喫煙の影響から、歯周病(重度の骨吸収)がありました。義歯の内面調整後も、粉末やゼリータイプの義歯安定剤を使用しなければ咀嚼できない状況でした。さらに、装着時の鉤歯の動揺もあり、ときおり、義歯の装着を拒否することもありました。 そこで、食前に口腔ケアと間接訓練をすませ、義歯安定剤を貼付した義歯を装着するという条件を満たした場合にのみ食べる訓練(直接訓練)をしましょうと提案し、すぐに承諾していただきました。 姿勢を調整する Hさんは左側に麻痺があるので、体幹は自然に左へと傾斜します。重力の影響で水分などが麻痺側の左に流れて、ムセや誤嚥を発生させます。 まず、車いすにカットテーブルを装着しました。 患側の左側が下がってしまうことを防ぐために、患側の左手をカットテーブル上にのせます。さらに、背中にクッションを入れて患側の左側を高く、健側の右側を低く、勾配をつける姿勢に調整しました。これがうまくいき、ムセが軽減しました。 水分にはとろみ調整剤で交互嚥下法(連載第3回を参照)を取り入れ、UDF区分「舌でつぶせる」の、ソフト食が可能になりました。 餃子の自食をきっかけに その後看護師から、Hさんが、餃子を食べたがっていることを聞きました。 早速、市販の餃子を一口大にカットして提供しました。タレにはとろみを付け、まとめてかけます。おいしそうに自食され、これをきっかけに、一気に食上げが進みました。 介入から2年近く経過した現在は、姿勢調整することなく、UDF区分「容易にかめる」を自食されています。 食事介助に摂食嚥下リハを応用する 認知症の方などの食行動には、さまざまなパターンがあります。 ある人は、はがき一枚分の空間認識しかできない視野狭窄がありました。別の人は、口に食べ物が入れば咀嚼できるのに、認知症のために、食事に手をつけようとしませんでした。 このような場合、食事介助時に摂食嚥下リハビリテーションを応用すると、食支援につながる可能性があります。 認知症等の食行動に対応するためには、➀食に集中できる環境②おかずを目の前に多く置かない③患者の右側から介助する(右側嚥下法注4)──などの基本と、④食欲の低下には、食前に手のマッサージと口腔ケア⑤口が閉じにくい方は、口唇閉鎖訓練注5、「パ」の発声、口を閉じたり開けたりする口唇のストレッチ──も有効です。 認知症の食支援例 症状          対応法(例)食べ物に興味を示さない声掛け/食べ物の匂い/触感や味覚刺激を入れる/おにぎり早食い、かきこみ食べ一皿ずつ出す、小さいスプーン時間がかかるなるべく30~40分で切り上げる/間食で補う口の中に溜め込む食前に棒つき飴などで味覚刺激を入れるムセ、嗄声姿勢調整/食前に氷なめ/口唇閉鎖訓練 次回は、口腔粘膜疾患や衛生面での口腔ケアについてお話しします。 注1 RSST(反復唾液嚥下テスト):65歳以上では、3回/30秒で正常注2 ODK(オーラルディアドコキネシス):1秒間に「パ」「タ」「カ」をそれぞれ何回発音できるかをカウントする注3 改訂水飲みテスト:3mLの冷水を飲み、呼吸や嚥下の状態を評価する。4点以上でほぼ正常注4 右側嚥下法:食道は人体の左側で胃へつながっており、体が左側を向くと、食道入口部が閉まってしまう。この場合、30度ほど右側を向くと食道が開きやすくなり、物を飲み込みやすくなる注5 口唇閉鎖訓練の一例 執筆山田あつみ(日本摂食嚥下リハビリテーション学会認定士、歯科衛生士) 記事編集:株式会社メディカ出版

特集
2022年6月7日
2022年6月7日

褥瘡のせいでムセる? 慢性期の摂食嚥下リハビリテーション②

この連載では、実例をとおして、口腔ケアの効果や手法を紹介します。今回は、口腔機能には大きな問題がないのに、ムセがみられた事例を紹介します。 褥瘡による食生活への影響 娘さんの手料理とお孫さんの訪問を楽しみにしていた96歳の女性が、褥瘡を発症しました(DESIGN-R® 10点)。皮膚科医師による治療や管理栄養士による対応により改善したものの、さらなる問題が発生。チーム医療の連携によって健康な食生活を取り戻した事例を紹介します。 初診時は重篤な嚥下障害なし 事例 Gさん、96歳女性。要介護5、難聴、軽度認知症の疑い。常時寝たきりで褥瘡あり。残存歯数20本。 部分義歯の緩みのため、内科からの紹介があり、初回訪問となりました。まずは、歯科医師が部分義歯の緩みを調整しました。 嚥下評価は、緊張感と難聴のため、すぐには反応がないこともしばしば。ベッド上での嚥下評価(スクリーニング検査)は、オーラルデイアドコキネシス(ODK)注1は不明瞭。しかし、反復唾液嚥下テスト(RSST)注2や改訂水飲みテスト注3は、年齢的にはそれほどの問題もなく、おおむね準備期から咽頭期(連載第3回を参照)まで、特に重篤な嚥下障害は認められませんでした。 初診時の嚥下評価 RSST注22回/30秒ODKパ2回/秒、タ0.8回/秒、カ0回/秒改訂水飲みテスト注34点 頸部聴診音清明頬の膨らまし左右 十分できる食べこぼしなし 口腔衛生面では、口腔乾燥と、舌に軽度の舌苔付着がみられ、家族の協力も得られたので居宅療養管理指導にて月1回の訪問となりました。 間接訓練は、ブローイング(シャボン玉吹き)、パタカラ発声、口舌のストレッチを指導するのみで、しばらくはこのまま安定した状態が続くかと思われました。しかし、褥瘡が大きくなってきたと、訪問看護師からの情報提供がありました。 皮膚科治療と栄養指導で褥瘡が改善 内科から、皮膚科と管理栄養士の介入の要請がありました。 すぐに皮膚科医が診察し、デブリードマン(壊死組織に対する切除洗浄ほか)が行われました。そして、表皮形成促進作用のある噴霧剤が処方され、訪問看護師と連携し、創面の洗浄などに使用するよう対応をしました。 褥瘡治癒の過程には栄養が必須であり、低栄養では治癒が遷延します。Gさんの場合は、管理栄養士によると「摂取している総エネルギー量は600kcal/日で、全体的に低栄養の疑いがある」とのことでした。 さまざまな栄養補助食品の提案をしましたが、家族の意向で一般の食品の中からアイスクリームやプリン、おしるこを追加することになりました。褥瘡への対応として、アルギニン注4や亜鉛等が配合された栄養補助飲料を紹介すると、毎日欠かさずに飲むようになったそうです。 3か月ほどで、訪問看護師から、創面の表皮の形成がみられてきたと報告がありました。 今度はムセが頻発 ところが、Gさん宅から戻った管理栄養士から、再度の嚥下評価の依頼がありました。今度はムセが頻発するようになったのです。 再評価をしたところ、点数は前回の評価とあまり変化はなく、SpO2も94~96%と安定していました。 ただ、前回は車いす上で食事をしていたが、最近は、褥瘡への負担を心配してベッド上(セミファーラー位15~30度)での食事をしているとのことでした。食形態を確認すると煮魚や軟飯など、咀嚼できることを意識した、UDF区分の「容易にかめる」に近いことがわかりました。 ムセは咽頭期の症状ですが、臥床に近い姿勢が、準備期での咀嚼機能と口腔期の送り込みに影響して飲み込むときにムセが生じた、つまり食形態と姿勢がうまく適合していなかった可能性が十分に考えられました。 食事の姿勢でムセやすくなる 口腔機能に問題がないのにムセがみられる場合に、注意することは、姿勢です。 ムセにくい安全な食事時の姿勢は、起座位です。下にずり落ちやすい場合は、膝の下と足の裏をクッションなどで補正します。さらに、顎はあげずに、引くようにして食べてもらいます。しかし、Gさんの場合のように、仙骨に負担をかけまいと臥床に近い姿勢を優先するのであれば、舌などの飲み込みに重要な役割を担う口腔周囲筋群が重力の影響を受けます。 幸い、Gさんはその後、褥瘡の改善で、起座位に近い姿勢(60~90度)が可能になりました。それによってムセずに食事ができるようになりました。 96歳という年齢でも、内科・皮膚科・栄養・歯科にわたる、各チームの専門性が生かされた連携が奏功し、半年後には褥瘡もほとんど治癒するまで回復された事例でした。 次回は、脳血管障害後の胃瘻の方に、食事時の姿勢調整などで経口へ導いた事例を紹介します。 注1 オーラルディアドコキネシス(ODK):1秒間に「パ」「タ」「カ」をそれぞれ何回発音できるかをカウントする注2 反復唾液嚥下テスト(RSST):65歳以上では、3回/30秒で正常注3 改訂水飲みテスト:3mLの冷水を飲み、呼吸や嚥下の状態を評価する。4点以上でほぼ正常注4 アルギニン1):アミノ酸の一種。創傷治癒時に優先的に消費され、「条件付き必須アミノ酸」といわれる 執筆山田あつみ(日本摂食嚥下リハビリテーション学会認定士、歯科衛生士) 【参考】 1)田村佳奈美.アルギニン.『Nutrition Care』9(7),2016,32-3.

特集
2022年5月2日
2022年5月2日

気切でも声が聴きたい! 慢性期の摂食嚥下リハビリテーション

この連載では、実例をとおして、口腔ケアの効果や手法を紹介します。今回は、気管切開・胃瘻でも、味を楽しみ、声を出すことができた事例を紹介します。  楽しみのトップは「食事」 歯科医、加藤順吉郎氏の研究に、介護施設の入所者や病院の長期入院患者に「楽しみは何ですか」と尋ねたアンケート調査があります。結果は、いずれの施設でも楽しみのトップは、家族の訪問やテレビを抜いて「食事」でした1)。 数年前に私が歯科専門職向けに行ったアンケート調査でも、利用者・患者に設定する長期目標について問うと、やはり「食事を楽しみたい」が1位という結果となりました。 【事例】気管切開・胃瘻でも、口から食べてほしい、声を聞きたい Fさん、男性、81歳。要介護5。施設介護中のJCS=200。クモ膜下出血で気管切開、胃瘻造設。失語。常時寝たきりで残存歯は下に2本のみ、義歯なし。 Fさんは、以前は会社を経営していました。クモ膜下出血で重篤な状態となりましたが、命を取りとめ、リハビリテーション病院を退院後、施設入所となりました。 入所当時から施設で紹介された歯科専門職の口腔ケアの介入もありました。しかしFさんの妻は、信頼している内科医に、ある想いを吐露しました。入所から3年経ったころでした。 「歯医者さんに3年もかかっているのに、夫はアイスクリームの一口も食べられませんし、私は夫の声をもう聞けないのでしょうか?」 どれほど重篤であっても、楽しみ程度の経口摂取と、できればFさんの声が聞きたいという妻の願いでした。家族として当然のそんな願いを叶えるべく、それまでの歯科と交代し、私は、管理栄養士・歯科医師とともに、Fさんにかかわることになりました。 スピーチカニューレ変更とPAP作製 初診時のFさんは、急性期病院で装着された気管カニューレのままで、眉間に皺を寄せた表情でベッドに横たわっていました。胃瘻に気管切開。精密検査はできなくても嚥下機能に重篤な影響があることは確かです。 早速、内科医の指導を受け、それまでのカニューレを卒業し、いつでもFさんの声が聞けるようにスピーチカニューレへと変更しました。 気管カニューレは、呼吸経路を確保し痰や誤嚥物の吸引のために装着するものです。スピーチカニューレでは、発声のための発声バブル(茶色)が付いていて、従来のカニューレよりコンパクトになっています。 また歯科医師には、人工歯を付けた舌接触補助床(PAP注1)を作製してもらいました。PAPとは、舌の力の弱い人の嚥下や発声を補助する装置です。 多職種によるさまざまな介入 Fさんは、退院後の3年間は積極的な嚥下リハビリテーションが実施されていなかったため、直接訓練の前に、準備期から咽頭期までの間接訓練が必要でした。 アイスマッサージや頭部挙上などの咽頭期の訓練に加えて、棒付き飴を使ったストレッチ、顔面のマッサージ、首肩や胸鎖乳突筋などのマッサージも実施し、ときには1時間近くに及ぶこともありました。 管理栄養士の介入により、注入する栄養剤のエネルギー量が900kcal/日から1,200kcal/日へと増えました。Fさんは、体重も筋肉量も増加し、声かけによく反応し、満面の笑顔がみられるようになりました。 気管切開孔から貯留物を自力で吐き出すことも、さかんになりました。PAP装着も手伝って、直接訓練時の嚥下反射発動までの時間も短縮してきました。 歯科医師による丁寧な吸引を受けながら、食形態は訓練食から調整食2-1までに改善しました。 ついに大きな声が聞けた 私たちが介入して半年が経ったころ、Fさんが可愛がっていた姪御さんや、会社の部下が面会に来た際に、Fさんの「うおー!」という叫びのような声があり、握手を求めるかのように左上腕が高く上がることもあったそうです。 ときには、発熱や痰量の増加のために、施設から直接訓練の中止を求められることもありました。そのつど施設看護師や介護職員と連携し、訓練を見学してもらうことで理解を得られ、Fさんの体調の安定を待って訓練を継続することができました。 現在、発病から約6年、介入から約3年以上が経過しました。 施設でも、妻にも見守られながら、元気だったころに好きだったカレーやすき焼きといった味を、嚥下調整食の形態で楽しんでいます。ー第6回へ続く 注1 PAP(舌接触補助床)歯科医師の指導に従って歯科技工士が作製します。医療保険適用。 執筆山田あつみ(日本摂食嚥下リハビリテーション学会認定士、歯科衛生士) 記事編集:株式会社メディカ出版 【参考】1)加藤順吉郎.『福祉施設及び老人病院等における住民利用者(入所者・入院患者)の意識実態調査分析結果』愛知医報.1434,1998,2-14.

特集
2022年4月5日
2022年4月5日

在宅復帰後の摂食嚥下リハビリテーション②

この連載では、実例をとおして、口腔ケアの効果や手法を紹介します。今回は、自宅への退院後、胃瘻栄養を離脱し、常食摂取が可能になった事例を紹介します。 経管栄養の離脱を目指す 患者さんが病院を退院して自宅や施設に戻られる際、経管栄養管理下での退院となる場合があります。 退院後すぐには経口摂取が困難で、胃瘻栄養を選択した場合でも、諦めず、無理のない範囲でのリハビリテーションが必要と考えます。 義歯の方の場合は、義歯装着と、発声練習や舌のストレッチなどのリハビリを日々継続すると、どこにどのような障害があるのか問題が整理されてくることもあります。 胃瘻から早く元の食生活に戻りたい 事例 Eさん、76歳男性。要介護5、左脳梗塞後に誤嚥性肺炎、胃瘻造設、前立腺肥大と心筋梗塞の既往あり。 Eさんは脳梗塞のため入院。退院し自宅へ戻った時点では胃瘻管理でした。自宅は、数人の従業員を抱える自営業の、店舗兼住宅です。4年前に心筋梗塞の既往があり、尿道カテーテルも留置しています。 妻は訪問看護師から指導を受け、胃瘻と尿道カテーテルのケアを手際良く行っています。しかし退院後、家族と従業員とが一緒に囲んでいた賑やかな食卓風景はなくなりました。食べられないEさんに食べているところを見せたくないと、お孫さんたちは隠れるように食事をしたからです。 この時点で、Eさんとご家族の「早く元の食生活に戻りたい」というゴールは、はっきりしていました。 いつの間にかバナナを完食! Eさんは入院中、義歯を装着していなかったということです。初回の嚥下評価で、言葉の巧緻性をみるオーラルディアドコキネシス(ODK)注1は、1秒間に「パ」が1回弱でした。しかも、「パ」が「ファ」に聞こえ、発声するたびに義歯が外れました。 そこで、基本的な機能的口腔ケアを指導すると、2週間後には笑顔で「お腹が空いた」との発語もあり、義歯装着もしっかりしてきました。 ところが、翌週に事件が起きました。 寝たきりのはずのEさんは、いつの間にかベッドから起き上がり、仏壇のお供えのバナナを1本完食していたのです。本人が白状されたそうで、家族も、連絡をもらった私も、何事もなくてよかったと胸をなでおろしました。義歯装着効果か、室内を歩く程度の距離を自立歩行できていたのにも驚きです。 VFでは経口摂取はまだ無理 今回は幸運にも無事でしたが、2回目もそうとはかぎりません。歯科医の判断で、Eさんは歯学部付属病院の専門外来で放射線嚥下造影検査(VF)注2を受けることになりました。 VFの結果、Eさんの嚥下には、少量の誤嚥と、喉頭蓋谷(こうとうがいこく)に多量の残留が認められました(図)。準備期-咽頭期のリハビリ対応が必要な状態です。とろみ使用の水分摂取は許可されたものの、経口摂取はまだ無理な状況でした。 図 喉頭蓋谷に多量の残留が認められる 1か月半後の再評価 VF後は、従来の口腔ケアに加え、嚥下障害の専門医の指導で、腹筋を鍛える足上げ運動や頭部挙上訓練が加わりました。痰の吐き出しや窒息時に備えるためです。歯科衛生士と訪問看護師が、Eさんにリハビリを行うことになりました。 1か月半後、VF再評価を行いました。 再VFでは、試料が喉頭蓋谷に残留することなく食道へと運ばれていき、嚥下機能が改善。専門医からも直接訓練(食物を使う訓練)の許可が出ました。 Eさんは、段階的摂食訓練を開始し、介入から約5か月で、ほぼ入院前の食生活に戻ることができました。 専門医の診断で納得を得る この事例のポイントは、「さあこれからお口の訓練を頑張りましょう!」から、バナナ事件で「おじいちゃんお口から食べられるよ」という方向に一気に傾いてしまいました。たまたま無事でしたが、誤嚥性肺炎の既往がある方なので、経口移行するならそれなりの嚥下評価と裏付けが必要です。ここからの立て直しが必要な事例でした。 バナナを食べている時の目撃者はいませんが、喉に詰まりそうな怖い状況を想像します。今回は早急に専門医の診断を求め、Eさんの訓練続行に、本人、家族、かかりつけ医を含めたチーム全員の、納得を得ることができました。 このことが、要介護5から3へと要介護度改善にもつながりました。 Eさんの食支援介入前後の評価  初診(退院後1か月半)介入後(退院後約5か月)食形態経管経口(常食)ODK(発語)パ1.2回/秒、不明瞭 パ5.4回/秒、会話が可能VF誤嚥あり、喉頭蓋谷残留あり誤嚥なし、喉頭蓋谷残留なし摂食状況レベル  レベル1(嚥下訓練なし)レベル9(三食経口摂取)介護度要介護5要介護3 間接訓練から直接訓練へ移行するポイント 間接訓練から直接訓練に移行する場合は、まず、嚥下評価で直接訓練が可能となることが前提です。そして、嚥下評価に加えて、以下の項目にも注意したいものです。 ・呼吸(SpO2 96%以上)や血圧の医学的安定・食欲がある・咳や痰の喀出、発声ができる・姿勢調整ができる ほか これらは、すべてが揃わなければならないわけではありませんが、なかでも「食欲」は重要です。長期間の経管栄養管理が継続されていると、嚥下評価上では経口摂取が可能でも、食欲を押し殺している人もいます。心理的なサポートが必要となります。 ー第5回へ続く 注1 オーラルディアドコキネシス(ODK):1秒間に「パ」「タ」「カ」をそれぞれ何回発音できるかをカウントする。 注2 嚥下造影検査(VF)造影剤を含む試料を使用する放射線下の精密検査で、歯科大学病院や耳鼻科で対応可能。地域の歯科医師会の在宅歯科医療地域連携室、嚥下障害の窓口などに相談するとよいです。 執筆山田あつみ(日本摂食嚥下リハビリテーション学会認定士、歯科衛生士)記事編集:株式会社メディカ出版

特集
2022年3月8日
2022年3月8日

在宅復帰後の摂食嚥下リハビリテーション①

この連載では、実例をとおして、口腔ケアの効果や手法を紹介します。今回は、摂食嚥下リハビリにより食形態が向上し、介護負担の軽減につながった事例を紹介します。 摂食嚥下のメカニズム 食物を口に入れ飲み込むまでの一連の機能を、摂食嚥下機能と呼びます。摂食嚥下のメカニズムは、五つの段階に分けて考えます。 5期モデル1) 1.先行期   口に入れる前、色や形、においなどから、食物を認識し、どのように食べるか判断する2.準備期味覚や舌触りなどの情報を得るとともに、食物を咀嚼して唾液と混ぜ合わせ、飲み込みやすい食塊を作る3.口腔期舌の動きなどによって、食塊を口腔内から咽頭に運ぶ4.咽頭期食塊が咽頭付近に到達すると、嚥下反射が起こる(軟口蓋が閉じ、喉頭蓋が反転し気管の入り口を塞ぐ)。このとき、0.3秒ほど呼吸が停止する5.食道期食塊が、食道の蠕動運動によって胃に運ばれる この考えかたが、嚥下障害を改善に導くリハビリテーションへの指標となります。 神経疾患や筋疾患、認知症といった重篤な全身疾患や心理的な問題は、上記の5期それぞれにも影響を与えます。ADL低下にとどまらず、誤嚥や窒息など、生命の危機にもつながります。 重篤になるほど、本人の苦痛だけでなく、家族や介護者に大きな負担ともなります。 摂食嚥下機能のリハビリテーションは、間接訓練(食物を使わない訓練)だけでは進みません。食べられるようになるためには、5期のどこに・どのような障害が・どの程度あるのかを適切にアセスメントし、その後、直接訓練(食物を使う食べる訓練)が必要となります。 口腔ケアと摂食嚥下リハビリにより介護負担の軽減へ 今回は、2回の脳出血後、摂食嚥下リハビリにより食形態が向上し、介護負担の軽減につながった事例を紹介します。 事例 Dさん、45歳男性、要介護5。左側に麻痺、脳出血後高次脳機能障害ほか既往あり。2回目の脳出血での入院時に、一時経鼻胃管栄養管理となったが、カテーテルを自己抜去。OT・STによる懸命なリハビリ後、経口摂取が可能となり退院した。しかし退院後もDさんは寝たきりで、毎回の食事介助に1時間以上かかる。妻は、嚥下食の準備や、子ども2人を育てる生活と不安から疲弊し、「せめて家族の食形態に近い食事ができるようになってほしい」と強い希望を持ち、歯科に依頼した。 Dさんには誤嚥性肺炎の既往もあり、歯科大学附属病院の摂食嚥下専門外来と連携して対応することにしました。 嚥下機能評価をもとに訓練計画を立てる 専門医により嚥下内視鏡検査(VE)注1評価を実施し、咽頭期の問題は比較的軽度であり、準備期・口腔期に訓練が必要とわかりました。 ▷段階的摂食訓練で段階的に食形態を上げていく ▷口唇・舌のストレッチや舌口外法で主に舌の後方の力をつける ▷舌口内法で舌全体の力をつける ── などを短期目標としました。 そして、麻痺のある左側に残渣が確認されていました。妻には、日々の口腔ケアに、とろみ茶との交互嚥下を行うことをお願いしました。交互嚥下とは、形態が異なる食材を交互に食べることです。そうすることで、口の中や咽頭の残留を防ぐことができます。 歯科専門職の居宅療養管理指導は2~4回/月が上限です。そのため、Dさんの口腔衛生面の対応について、他職種にも積極的に情報共有しました。情報を共有することで、歯科専門職が訪問しないときでも、他職種が口腔や摂食嚥下の状況を観察し、サポートしてくれます。質の高い口腔ケアの提供が可能になり、私の背中を押してくれました。 Dさんのリハビリ経緯 直接訓練は、急がずあわてず、呼吸や医学的安定が大前提です。VE評価後、約4か月をかけ、ペースト食から軟飯へと進みました。 そのころ、Dさんは鰻が好物だと聞き、フワフワのオムレツの中に、よく刻んだ鰻を仕込み、持参しました。「よく噛んでくださいね、中からお好きなものが出てきますよ」と声掛けしたところ、鰻入りオムレツ約100gを、5分で完食されました。 麻痺のある左側に確認されていた残渣は、毎日のケアで一掃されました。咀嚼も向上しました。 ゴールは、「家族の食形態に近い食事」でした。ご飯の炊飯時、水を多くして軟飯とします。おかずは、刻んだりほぐしたりで細かくした後、片栗粉などでまとめます。約半年で、希望に近い地点に辿り着くことができました。 結果  介入前介入後(約半年後)食形態学会分類 2-1.2-2UDF 容易に噛める食事時間1時間30~40分MWST注244兵藤スコア1-1-1-1―BMI17.518.5 おわりに 病院を退院し在宅療養に入ると、摂食嚥下機能の再評価もないまま、病院での食形態をそのまま継続している患者も多いと聞きます。本事例では、早期から専門医との連携により嚥下評価を受けることができました。そして、妻や他職種との協力により、食形態の向上と食事時間の短縮がかない、介護負担の軽減を得ることができました。 次回は、在宅復帰後、胃瘻栄養を離脱し、常食摂取が可能になった事例を紹介します。 注1 嚥下内視鏡検査(VE):兵頭スコア(鼻腔~喉頭の内視鏡像を、主に4つの視点から評価する)で評価する。合計点7点を超えると経口摂取が困難となるが、今回の症例は事前の評価が比較的軽度だったので、事後の評価は省略となった。 注2 MWST(改訂水飲みテスト):嚥下スクリーニング法として一般的に使用されている評価法。冷水3mLを嚥下し、嚥下前後の呼吸やむせの有無、頸部聴診音などで評価する。 執筆山田あつみ(日本摂食嚥下リハビリテーション学会認定士、歯科衛生士) 記事編集:株式会社メディカ出版 【参考】1)山田あつみ.『介護現場で今日から始める口腔ケア』大阪,メディカ出版,2014,60-1.

特集
2022年2月1日
2022年2月1日

認知症と義歯の関係

この連載では、実例をとおして、口腔ケアの効果や手法を紹介します。今回は、超高齢でも、認知症があっても、義歯の調整と口腔ケアで咀嚼機能が回復した事例を紹介します。 8020運動を知っていますか 1989年、厚生労働省と日本歯科医師会は、80歳で20本の歯を維持することを目指す「8020運動」を制定しました。当時、80歳の平均残存歯はわずか5本でした。28年が経過した2016年の調査では、「80~84歳の約半数が残存歯20本以上」を達成しました。 なぜ20本必要なのか。それは、単純に「タコやイカが食べられるから」だけではありません。20本以上歯があると、医療費の削減(残存歯数が0~4本に比べ総医療費は約17万円/年少ない)、自立歩行ができる、本人の健康感が大きい、などが報告されているのです。 しかし実際には、すでに「20本もありません、入れ歯なんです」といった人も多いのが現実です。今回は、義歯でも咀嚼できれば、全身への好影響につながることを、事例をもとに紹介します。 認知症で入れ歯を入れなくなった例 Bさん、96歳女性。要介護4、上下総義歯。難聴・認知症ほか既往あり。「3か月前から入れ歯を入れなくなり、『新しく作ったほうがいいのでは』と家族から相談がありました」と、ケアマネジャーから紹介あり。 初回の介入 歯科医師の診断で、早速、義歯の内側を調整しました。調整では、歯科用の特殊な樹脂を義歯の内面に裏打ちし、接着します。 口の周囲の筋肉のリハビリ後、まず上の義歯だけを装着すると、Bさんはすぐに義歯を取り出してしまいました。懲りずに、私は再び上義歯を装着すると同時に、片手でBさんが外そうとする手と握手し、バナナの薄切りをBさんの奥歯へと運びました(義歯は前歯で噛むと後ろから空気が入りこみ、外れやすくなるので、基本は奥歯で咀嚼します)。 そして耳元で「お好きなバナナですよ」と声掛けしました。すると、何とか義歯を外さずに噛めるようになりました。 その後、下の義歯も装着し、唾液に溶ける赤ちゃん用せんべいを渡すと、ご自分で奥歯に持っていこうとしました。 2か月後の変化 Bさんは、それまで食事は車いす上での全介助でした。数回の訪問診療後(初診から約2か月)には、食卓のいすに座り、箸を使って、自立した食事が可能になりました。 当初、家族は新しい義歯の作製を望まれていましたが、新しい義歯は、型取りから仕上げまで4~5段階を要します。認知症のあるBさんには苦痛になると考えられました。本事例では、旧義歯の調整と、舌や口唇の力をつける機能的ケア、前歯ではなく左右の奥歯でしっかり噛む咀嚼訓練を選択し、それらが回復のスピードアップにつながりました。 さらに、姿勢が起座位であるほうが噛みやすいのですが、起座位の時間が長くなると自立歩行や転倒予防にもつながります。義足や義手がそうであるように、道具(義歯)をうまく使いこなすには、根気強い丁寧なリハビリ職の対応とチーム医療が必須です。Bさんのケースでは、サービス担当者会議にはBさんが通うデイサービスの職員も出席し、デイ利用中の口腔リハビリや食事支援をしてもらいました。それらも早期自立への一助となったと考察します。 機能的ケアで発語が増えた例 Cさん、98歳女性。要介護3、認知症ほか既往あり。上が総義歯、下が部分義歯。義歯破損で訪問歯科を希望された。 下義歯の修理・調整のための訪問のたびに、衛生面の口腔ケアも必要でしたが、機能的ケアも取り入れていきました。 開口訓練、ストロー福笑い、呼吸訓練、パタカラ体操は、認知症でもでき、義歯でうまく噛めるようになる機能的ケアです。 ストロー福笑い パタカラ体操 介入して1年後の変化として、食事量の増加、食事時間の短縮、自分からの発語や歌が増え、しかも発語が明瞭になりました。 義歯を入れられなくなったケース これまでに経験した、高齢者で義歯が入れられなくなるケースと、解決法を紹介します。 ①認知症により義歯での噛みかたを忘れてしまう 認知症のために、義歯を異物としてとらえてしまうケースもあります。いずれも、段階的な咀嚼訓練を行うことで解決できました。 ②義歯を作製したときよりやせた やせたために義歯が合わなくなるケースはよく耳にされるかと思います。義歯が合わない、外れるなどのために、食事量が減少してやせるといった因果関係もあります。歯科医につなぎ、義歯の内面調整が必要です。 ③口腔乾燥 口腔乾燥があると、粘膜に義歯が密着しにくい状態です。義歯が不安定になり口内に傷ができやすくもなります。軽度であれば、保湿剤を義歯の内面に塗布することでも効果がみられます。唾液分泌を促す機能的ケアに、棒付き飴でのストレッチがあります。 棒付き飴を使った口唇・舌・ほおのストレッチ 棒を引き抜こうとすると、唇が飴をとらえて口が閉じる。味覚による唾液分泌と、飴の棒を引っ張ることにより口唇を閉じる訓練になる。(実施の判断時は、糖尿病のリスクがないことを確認。食前の実施がよい。) ①~③が複合的に生じることもあります。しっかり装着するためにも、市販の義歯安定剤を試していただくのもよいでしょう。 義歯のケア方法 義歯は主にプラスチックです。日ごろの洗浄や消毒を怠ると、プラスチック特有の極微細な気泡中に、口腔内細菌が繁殖します。低栄養や免疫力低下が引き金となり、カンジダ菌(日和見菌)による義歯性口内炎が発症することもあります。 義歯は、最低一日1回の手入れが必要です。歯磨剤は使用せず、流水下で義歯用ブラシ洗浄し、義歯洗浄剤に30分以上浸けます。 おわりに 認知症があっても、あきらめる必要はありません。入れ歯が合わず落ちる、すぐ外してしまうなどの場合は、ご家族にも相談の上、早期に訪問歯科へつないでもらうようケアマネジャーに伝えましょう。 次回は、2回の脳出血後に嚥下困難になった方を、介護負担の軽減へ導いた症例を紹介します。 執筆山田あつみ(日本摂食嚥下リハビリテーション学会認定士、歯科衛生士)記事編集:株式会社メディカ出版

特集
2022年1月11日
2022年1月11日

口腔ケアと全身の関連

この連載では、実例をとおして、口腔ケアの効果や手法を紹介します。第1回は、口腔の衛生・機能への介入が全身状態を改善させた事例です。 歯科衛生士は口腔管理のプロフェッショナル 私は現在、歯科衛生専門学校の講師として「チーム医療演習」「口腔リハビリテーション」を教えるかたわら、東京都世田谷区の多機能型クリニック歯科室「さくら中央クリニック」に非常勤で勤務し、要介護者の歯科治療や摂食嚥下リハビリテーションに従事しています。このシリーズでは、口腔ケアの大切さとその手法などについて、実例を紹介しながら解説していきます。 「歯科衛生士という仕事は何か?」と患者さんや看護師に尋ねると、「歯磨き(口腔ケア)を教えてくれるプロ」「歯石を取る仕事」などが返ってきます。でも、口腔ケアにも種類があります。 一般に、歯科医師・歯科衛生士が行うケアは、専門的口腔ケア。患者本人や看護師・介護職が行う口腔ケアは日常的口腔ケアと、区別されます。 専門的な口腔ケアには、口腔の周囲にある筋肉へのアプローチなど、安全な食へ導くためのケア(摂食嚥下リハビリテーションを含む機能的口腔ケア)も含まれます。つまり、歯科衛生士はリハビリテーションにかかわる職種なのです。 私が所属している一般社団法人日本摂食嚥下リハビリテーション学会は、学会員の約2割が歯科衛生士です。同学会では学会指定の研修を受講後、入会後2年以上を経過すると学会認定士受験資格が得られます。私も受験し、摂食嚥下リハビリテーション認定士を取得しました。 このように、歯科衛生士の仕事は、口腔衛生と口腔機能、両面からの口腔管理なのです。 肺炎が約半数に激減! 命を守る口腔ケア 口腔ケアをないがしろにすると全身状態に影響を及ぼすことは、訪問看護師の皆さまもご存じかと思います。 なかでも歯周病菌群は、嫌気性菌であることと、血管を詰まらせてしまうという特徴から、糖尿病と歯周病との相互関連をはじめ、狭心症など重篤な疾患の原因菌であると認識されています1)。 米山武義先生の研究2)では、週に1回、2年間、歯科専門職が全国の介護施設に赴いて専門的口腔ケアを行ったグループと、日常的口腔ケアのみのグループとを比較したところ、前者の発熱発症率、肺炎罹患率、肺炎死亡率が、すべて約半数だったことがわかりました。高齢者の死因の常に上位にある肺炎を、専門的口腔ケアが予防する。つまり、口腔ケアが命を守ることに関与できることの、裏づけとなる研究でした。 また、飯島勝矢医師(東京大学高齢社会研究機構)は、「オーラルフレイル(飲み込みづらいなど、口腔機能の軽度の衰え)と、口腔や歯に対する意識低下が放置されると、全身のフレイルや要介護状態につながりかねない」とする知見を述べています。 このように近年、要介護高齢者の口の健康の大切さがいっそう叫ばれるようになったのは、たいへん喜ばしいことです。 このような多くの先行研究に支えられ、私は居宅療養管理指導の一員として、長年要介護者の口腔ケアにたずさわってきました。今回は最後に、そのなかでも記憶に残る症例を紹介します。 【事例】胃瘻でも口腔リハで咳嗽反射が改善 Aさん、女性、80歳。介護度5。胃瘻、心筋梗塞ほか既往あり。自宅で家族の手厚い介護を受けていたが、心臓発作を起こし救急搬送。無事に手術を終え、回復期病院で退院を心待ちにしていた。しかし発熱が続いたため退院は延期に。娘さんが、入院中も口腔ケアの存続を望まれ、かかりつけ歯科医への依頼となった。 入院前からAさんの口腔ケアに訪問していた私は、かかりつけ歯科医師とともに病院へ向かいました。 胃瘻であっても口腔ケアは欠かせません。私はAさんに、歯磨きと、経口摂取へ導くための摂食嚥下リハビリテーションを、20分ほど行いました。 Aさんの口腔ケア・口腔リハビリ前後の表情の変化 口腔ケア・口腔リハビリ前 口腔ケア・口腔リハビリ後 口がしっかり開き、頬が紅潮しているのがわかります。 その夜、娘さんから電話がありました。 「山田さん、今日も母のところへ行ってくださったのよね。でも母の口の中に、びっくりするくらい痰がたまっていました」 それは、口腔のリハビリやケアでの刺激によって、咳嗽反射が改善し、喉の奥の汚れが口へと出てきた結果でした。ご自分で痰を吐き出せるようになったのはよいことです。 やがてAさんは熱も下がり、数日後に無事に退院されました。もちろん体調によっては、すぐにこのような反応がみられないことや、熱が下がりにくいこともあるでしょう。しかしAさんの場合、歯科衛生士や娘さん、介護職がふだんから口腔ケアを行い、その重要性を認識しており、娘さんが病院での歯科の介入を強く要望したことが奏効したと思います。 次回のテーマは、「義歯」です。 注:居宅療養管理指導では病院に訪問することは通常できません。しかし入院した回復期病院に歯科医は不在で、娘さんが自宅で行っていた専門的口腔ケアを強く望まれたことで実現しました。 執筆山田あつみ(日本摂食嚥下リハビリテーション学会認定士、歯科衛生士)記事編集:株式会社メディカ出版 【参考】1)山田あつみ.『介護現場で今日からはじめる口腔ケア』飯田良平監.大阪,メディカ出版,2014,71-5. 2)米山武義ほか.『要介護高齢者に対する口腔衛生の誤嚥性肺炎予防効果に関する研究』『日本歯科医学会誌』20,2001,58-68.

× 会員登録する(無料) ログインはこちら