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元気をもらえるエピソード【つたえたい訪問看護の話】第3回vol03
公開日:2026年7月6日
更新日:2026年7月6日

訪問看護の現場では、疾患・障害などがある中でも懸命に前向きに生きる利用者さんがたくさんいます。「みんなの訪問看護アワード2025」に投稿されたエピソードから、利用者さんの前向きな姿勢に力を分けてもらえるエピソードをご紹介します。
「お母さん」
肺がんで31歳のお母さんが、4人の子どもたちのために1200km陸路で帰郷し、翌日家族に囲まれて旅立ったエピソード。
| 浦安にある、とある病室での20時半すぎ。重い空気が流れるカンファレンスが行われていた。 患者さんは、31歳のえみさん。肺がんで12L/分の酸素投与をうけている。えみさんは、涙ながらに「家に帰りたい」と医師に訴えていた。 えみさんは、1~7歳までの4人のお子さんをもつお母さん。憧れのディズニーランドに行くため、家族で宮崎からやってきた。途中に、機内で呼吸困難が出現。着陸後、すぐに病院へ運ばれた。急展開の中、子どもたちと別れた。「お母さん、お母さん」と子どもたちの泣く声が聞こえた。 えみさんには、これから必要な治療と厳しい状態であることが説明された。宮崎に帰る体力はとぼしく、予断の許さない状態であると説明されたが、えみさんの強い意思と覚悟に医療者も心が揺れた。療養の場は在宅医療と訪問看護へとたすきが渡った。 帰郷を目標に、まずは在宅で3日間体調を整える。緩和ケアだけではなく、身体と心に栄養をたくわえる。看護師は精一杯、気力を高める手当てをした。 一方、静岡・神戸・岡山・宮崎の訪問看護の仲間の協力を仰ぎ、陸路での帰郷に決定し準備に入った。 サロンカーに酸素ボンベを25本備え、エアマットを敷いた。訪問診療の医師と看護師が同乗し宮崎を目指して出発した。 20時間後、えみさんの笑顔は子どもたちの中にあった。「お母さん、お母さん」と、はしゃぐ声が聞こえる。在宅医療と訪問看護は地元のステーションへたすきがつながった。長い1200kmであり、貴重な5日間となった。翌日、えみさんは家族に囲まれ旅立った。 |
2025年1月投稿
「訪問看護師が父を看取って」
訪問看護師自身が前立腺がんの77歳の父を看取る中で、「私にとってはたった1人のお父さん」と家族の気持ちに寄り添う大切さを学んだエピソード。
| 77歳になる父は長年、脊椎間狭窄症で腰痛に悩んでおり4月19日に退職した。訪問看護師として忙しく働く私に、ヘルプを出してきたのは5月4日。「熱があるみたい」SpO2が74%しかないことに驚き、救急車で病院へ向かった。医師から告げられた言葉は「お父さん、前立腺がんがあるよ。腰、大腿部、リンパ節に転移してる」あぁ…だから腰が痛かったんだ…!私は一瞬で父の置かれているステージが予測できた。 輸血しても酸素状態は悪化の一方で、食事も進まず。「あと1ヵ月程かもしれない。緩和ケアをすすめます」と、医師に言われた。私は「帰り道で亡くなってもいい、家に連れて帰る」と、大口を叩いた。大規模な退院カンファレンスが開かれた。何度も経験しているのに、心はついていかなかった。 退院前日、酸素9リットルまで投与された父に奇跡が起こった。突如として酸素投与を終了し、無事に退院し自宅で過ごすことができた。父も私も本当に嬉しかった。訪問看護やリハビリ、訪問入浴に介入してもらった。父はよく食べ笑顔だった。レスパイト入院している時に急変し、5日間ずっと付き添ったが7月24日に父は旅立った。家に帰る決断をすることができず、病院に踏みとどまった。訪問看護師のくせに…と、自分を責めてばかり。仕事上、多くの患者さんを担当しているけれど、私にとってはたった1人のお父さん。介護がこんなに大変だとも知らなかった。これからは家族の気持ちにもっと寄り添える訪問看護師になれるだろうか。 |
2025年1月投稿
「生まれ変わった過去の私」
褥瘡処置で毎日訪問するAさんから、「Bさん(私)はよくがんばってきたんですね」と過去の自分を肯定してもらい、生まれ変われたと感じたエピソード。
| 褥瘡の処置のため、毎日訪問しているAさん。Aさんは処置の際にいろいろな話をしてくださいます。とりわけ、すでに自立されたお子さん方の幼少期のエピソードは、子育て中の私の笑いを誘い、Aさん自身のお子さんへの慈しみを感じさせます。Aさんは私にとって利用者さんというより、尊敬できる子育ての先輩であり、時に私を育ててくれる存在です。 ある日、Aさんは私の経歴に興味をもたれたのか「Bさん(私)は看護師にどうしてなったの?看護師になる前はどうしていたの?」と仰いました。私は一般の大学に通っていたこと、バブル景気も終わりがみえてきたころで、家庭の事情により自分で学費を賄うために夜間の学校に行っていたこと、またそのことが若いころも今も恥ずかしさをともない、積極的に話題にしない自分がいることをAさんに話しました。 その時にAさんは少し間をおいて、「Bさんはよくがんばってきたんですね。そのことは恥ずかしく思わずに、ぜひBさんのお子さんが大きくなったらお話しされたらいいと思いますよ」と笑顔で私に話しました。 今までの恥ずかしいと思っていた気持ちが晴れて、過去の自分の人生を誇ってもいいんだと、生まれ変われた瞬間でした。 訪問看護は、利用者さんと長く関わり対話を重ねていくことができます。その対話から看護師である私自身のこれまでの人生を、新しく捉え直す機会に出会うことができました。この経験は訪問看護の醍醐味の1つといえると思います。 |
2025年1月投稿
「訪問看護の『正解』とは」
ALSのNさんと奥様を支え、交流会への参加を説得し、最期に「あなた達に出会えて本当に良かった」と言われたエピソード。
| Nさんと奥様との出会いは今から1年前になります。Nさんは、その数か月前にALSと診断を受けられ、初めて会った時はすでに多くの介助が必要な状態でした。進行は早く、当初より「人工呼吸器は絶対につけない」と強い意志をお持ちでした。もともと大きな会社の管理職をされていたこともあってか、弱音を吐くことなくいつも毅然としておられ、スタッフを笑わせてくれていました。 しかし、リハビリに対しては前向きになれず、ベッド上での生活となっており、ALSという病気を受け入れることができていない様子がうかがえました。そんな時、訪問診療の先生より「ALS患者家族の交流会」のお知らせがありました。やはり「絶対に行かない」とのことでしたが、スタッフでどうしたら参加できるのか話し合いを重ねました。不安に対して一つひとつ解決策を考え、奥様が「参加したい」というお気持ちを伝え、何とか説得することができました。当日の会場で「妻に迷惑だけはかけたくない。これから恩返しをしようと思っていた時だったのに」と心の内を明かされ涙されました。 先日Nさんは、肺炎により永眠されました。奥様から「あなたたちに出会えて本当に良かった。主人はとっても幸せだったと思う」と言われました。 訪問看護では、正解が分からず“本当にこの関わりで良かったのか”と、考えることが多々あります。しかし奥様のこの言葉で「よし!また頑張ろう!」と元気と勇気をいただきました。 |
2025年1月投稿
「利用者の希望の先にあるもの」
がんの利用者さんとの関わりで、訪問看護の仕事を改めて考えさせられたエピソード。
| Aさんは胃がんの終末期で、「最期は家で過ごしたい」という希望を叶えるため在宅療養を開始した。疼痛のコントロールはできていたが、鎮痛薬の副作用で倦怠感が強く、ベッド上で過ごす日々が続き廃用性症候群が進行した。 「車椅子に乗りたい」というつぶやきが忘れられず、次のカンファレンスで議題にあげ、主治医や理学療法士と連携しながら座位保持と車椅子移乗の練習を始めた。Aさんは苦痛をこらえ、黙々とリハビリに励んだ。自力で移動できるようになると台所に向かい、料理道具を眺めて微笑み「体力がついたら料理するね」と話した。 その3日後、家族に見守られながら静かに息を引き取った。Aさんが闘病前、パン作りが趣味で家族に振る舞うことを誇りにしていたことを聞いた。利用者の人生に寄り添い、希望を形にするための手助けをするこの仕事の尊さを改めて感じた。 |
2025年1月投稿
利用者さんの前向きな姿勢や人生の歩みは、関わる訪問看護師だけでなく読者にまで元気や力を与えてくれます。あらためて、訪問看護師と利用者さんの関係は共鳴するのだと考えさせられます。
編集: NsPace編集部
