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訪問看護師は政策・制度検討の場に参画
訪問看護師は政策・制度検討の場に参画
インタビュー
2024年6月18日
2024年6月18日

訪問看護師は政策・制度検討の場に参画を~訪問看護のパイオニアとして~

兵庫県の西宮市訪問看護センター(社会福祉法人西宮市社会福祉事業団)は、西宮エリア内で最も長く地域を支え、幅広い取り組みを実施してきた訪問看護ステーション。当事業所で長年管理者を務めた山﨑 和代さんに、ステーション運営のノウハウやご経験談、お考えを伺いました。その内容を3回に渡りご紹介します。 今回は、山﨑さんが訪問看護師になるまでの経緯と、訪問看護をスムーズに実践するための地域づくりについてのお話です。 山﨑 和代(やまさき かずよ)さん保健師・看護師・養護教諭1級、経営学修士、日本看護協会認定看護管理者。大阪医科大学付属病院を経て、1995年に西宮市社会福祉事業団に入団。2001年~2024年3月まで西宮市訪問看護センターで管理者を務め、2024年4月に「株式会社医療・介護を受ける人と担う人のナーシングカンパニー」を起業。兵庫県訪問看護ステーション連絡協議会 副会長、兵庫県 訪問看護師・訪問介護員離職防止対策検討会議委員、兵庫県 訪問看護推進会議委員。 制度ができる前から訪問看護の道を志す ─山﨑さんが訪問看護師になるまでの経緯をお教えください。 母が看護師だったことに影響を受けて、看護の道を志しました。大学病院付属の学校に進学し、卒業後すぐに保健師学校に入学。そこで保健師免許を取ったあと、臨床経験を積みたいと思って大学病院へ入職しました。配属先は一般消化器外科の外来で、かなり多忙でした。 当時、印象的な出来事があったんです。肝がんが進行してADLが低下し、ストレッチャーで運ばれてきた重症患者さんがいらしたのですが、受け入れができない状況だったため、関連の病院に入院できるのは後日ということになってしまったんです。「この状態で自宅に帰すのか」と、大きな衝撃を受けました。 昔のことなので詳細は覚えていないのですが、どうしてもそのままにできなかった私は、外来看護師としてルール違反だと知りつつ、保健所に連絡したんです。当時は訪問看護制度がなかったのですが、保健師学校で市町村実習に行った際、保健師が地域で活動していることを知っていました。私ができることといったら、保健師に繋ぐことくらいだと思ったんです。その後、保健師さんから訪問できた旨をご連絡いただき、安心したのを覚えています。 それ以降、「患者さんの自宅で看護をする仕事がしたい」と考えるようになりました。保健師として保健指導をするのではなく、「看護」をしたいと。そのことを保健師学校の先生に相談したのですが、ちょうど訪問看護制度自体ができたばかりのタイミングで、近隣に求人はありませんでした。 一旦西宮の保健所で働きながら、「私、訪問看護をしたいんです!」とさまざまなところで話していたら、たまたま西宮市訪問看護センターが人員を募集していると知り、採用試験を受けました。当時はインターネットがないので、近場の求人もなかなか知ることができないんですよね。奇跡的に見つけられてよかったです(笑)。 政策・制度の検討に訪問看護師も参画を ―山﨑さんは30年間の訪問看護師歴のうち、23年管理者として務められましたが、管理者としてこれまで大切にしてきたことを教えてください。 管理者として大切にしてきたことはたくさんありますが、主に以下の5つです。 西宮市は人口48万人の中核都市で、西宮市訪問看護センターは市の委託を受けて社会福祉事業団がモデル事業として開設した事業所です。1992年の訪問看護制度創設と同時に、全国で最初に老人訪問看護ステーションの指定を受けた事業所のひとつでもあります。 当センターの理念は、当初から変わらず「住み慣れた場所で最期まで過ごせる地域づくり」です。初代管理者は「訪問看護のパイオニアとして良質な訪問看護のスタンダードを目指す」と宣言し、アドバンス・ケア・プランニング(ACP)を柱として、私が管理者を引き継いでからも、教育・地域連携・訪問看護の質向上などに注力しながら、新しい取り組みを積極的に行ってきました。 ─西宮訪問看護センターは大変規模が大きいと思いますが、職員数や運営体制について教えてください。 はい。2022年度の実績は、常勤換算50.7名、年間総利用者実数1,071人、総訪問回数36,455回、在宅死者数65名、指示受け主治医数約220名。24時間緊急対応は、利用者さんのうち約7割に契約いただいています。毎朝サテライトの拠点を含む全チームでミーティングやケースカンファレンスを実施していて、チーム間や多職種との連携にはクラウドツールを使っています。 ─「地域づくり」に関して、具体的なお取り組み内容を教えてください。 地域包括ケアシステムを構築すべく、多職種連携、市内の訪問看護ステーション間のネットワーク強化などを行いました。こうしたさまざまな取り組みは看護が地域でスムーズに実践されることにも繋がりました。「訪問看護ステーションネットワーク西宮」の会長をやらせていただいたのも、この取り組みの一環です。 さらに、訪問看護師が市の医療介護政策決定における会議に参加できるようにも働きかけました。災害に関しては、阪神・淡路大震災の災害時看護経験を生かして災害対策体制が構築できるよう、行政危機管理局と協働しさまざまなしくみを整えました。 また、医療的ケア児のインクルーシブ教育(障害の有無、言語・国籍の違い等で区別を受けることなく同じ場所で学ぶ教育)については、教育委員会から相談を受けたことが始まりで、小学校に訪問看護師を派遣できる支援体制を構築しました。のちに訪問看護ステーションネットワーク西宮が相談窓口の役割を担うようにして、最初は2名だった対象者もいまでは2ケタに増えています。 看看連携推進のために、ある急性期病院では退院調整会議に当ステーションの訪問看護師が在宅側の立場で参加する機会を確保しました。看護看護連携の重要性を看護部長と共有し、交渉して実現したものです。病院とのネットワークを生かして、県内で初めて新卒訪問看護師採用後の実習・研修も受け入れていただき、新卒スタッフ間の交流が継続しています。 こうした多種多様な取り組みが行えたのは、大規模な事業所ならではの利点とチーム全体の努力があったからだと思います。私も微力ながらその一端を担うことができました。 ─政策決定の場に訪問看護師が入ることについて、ご苦労はありませんでしたか? はい。当初は、「医師会の先生や看護協会の方が入っていますよ」と言われ、断られてしまうこともありました。行政の方から見れば同じ医療従事者なので、そのお気持ちも理解できますが、訪問看護師だからこそ見える部分があり、課題として捉えられることがあることを理解してもらえるよう、資料を持参し説明を重ねました。 時間はかかりましたが、医師会の先生のご協力があって実現しました。今では、高齢者福祉計画、医療計画の策定などにもどんどん入れるようになっています。会議の場に出て、訪問看護師の意見をしっかりと発言すること、政策決定のテーブルにつくことはとても重要ですし、苦労して得た経緯を知っているぶん、次世代の方々に今後もぜひ引き継いでいって欲しいです。 緊急訪問が必要になる状況を減らすために ─西宮市訪問看護センターで今掲げている目標について教えてください。 訪問看護に期待される、在宅看取り、重症・小児・24時間対応、地域貢献などの要件を満たすステーションに認められる、医療保険の「機能強化型Ⅰ」を取得しています。重症度の高い利用者さんを多く受け入れることが要件になっているため、医療法人を併設していない西宮市訪問看護センターが機能強化Ⅰを継続するのは容易ではないのかもしれません。でも、せっかく取得したので継続していきたいですね。 また、西宮市訪問看護センターでは、設立当初から「起こり得ることを予測して事前に対策する」ことを大切にしてきました。これは、リスクマネジメントや看護の質向上に直接繋がる、考え方の柱です。なので、「緊急を起こさない」を合言葉に、いかに緊急訪問対応を減らすか、ということにも取り組んでいます。 ─緊急訪問対応を減らす難易度は大変高いのではないかと思いますが、お取り組みの内容や背景にある思いを教えてください。 はい。緊急訪問に対応できることは非常に重要です。一方で、緊急訪問が発生しにくい状況をつくることも同時に重要だと考えています。利用者さんやご家族にとって、緊急対応が必要な状況が発生することや、夜中に他人が自宅を訪れることは大きな負担になるはず。安心して暮らしていただくために、緊急訪問が必要になる状況を減らしたいのです。 そのために、できるだけ利用者さんやそのご家族に知識や技術をお伝えしています。また、初回訪問時のアセスメントが非常に重要です。西宮市訪問看護センターでは、安心して在宅療養をするために必要な4種類のアセスメントシートを作成しています。これを使ってチームで支援の方向性を検討し、主治医やケアマネとも情報を共有しているほか、目標や訪問看護終結の目安を設定し、利用者さんとも合意形成をしているんです。訪問看護の終結はタスクシフトの一環であるとも考えています。 あくまで主体は利用者さんとご家族 ─入念にアセスメントをしてあらゆるリスクを想定するだけではなく、利用者さんや他の職種の方々ともしっかり連携されているんですね。 そうです。ご本人の希望と、療養生活の見通しをすり合わせた目標が、自立支援やセルフケアに繋がる。これが、我々がもっとも目指すべきところですね。あくまで「ご本人とご家族が主体」という考え方に基づいて支援しています。 看取りも同様ですが、医療者が意見を押し付けないように気を付けながら状態を見立て、それに基づいてご家族が「しっかり看取った」と思えるケアをしていくことが大切です。そのためにアセスメントシートを使ってアセスメントし、ケアマネや医師などと連携しています。 アセスメントシートが浸透するまでには約3年かかりましたが、現在はスタッフのみんながその必要性を理解してくれています。状況を可視化することでチームでの意識統一もでき、アプローチもしやすくなりました。 ─それでも避けられない緊急訪問が発生することもあるかと思うのですが、どのように対応されているのでしょうか。 どのようなケースであっても、最初から「仕方なかった」とは考えず、「緊急はなぜ起こったんだろう?」「日頃の訪問で抜けていた視点は?」などと振り返って、「どうすれば起こらなかったか」を話し合うカンファレンスを行っています。スタッフも「はなから諦めたらあかん」と言っており、支援内容をブラッシュアップしています。頼もしいですよね。 現在、契約数に対して連絡数は最大25%、緊急訪問数は最大20%、主治医連絡数は最大3%です。頑張りが現れている数字だと思っています。 ―ありがとうございました。次回は、ICT化や災害対応などについて伺います。 >>次回の記事はこちら阪神・淡路大震災とコロナ禍を経て~ICT化とトリアージ~ ※本記事は、2024年3月時点の情報をもとに記載しています。 執筆:倉持 鎮子取材・編集:NsPace編集部

訪問看護認定看護師トークセッション 地域連携編
訪問看護認定看護師トークセッション 地域連携編
インタビュー 会員限定
2024年6月11日
2024年6月11日

訪問看護認定看護師トークセッション 地域連携編【セミナーレポート後編】

NsPace(ナースペース)主催のオンラインセミナー「訪問看護認定看護師によるトークセッション〜人材育成と地域連携の実例紹介~」を2024年2月3日に実施しました。スピーカーにお迎えしたのは、訪問看護認定看護師の野崎加世子さんと富岡里江さん。トークセッション形式で、訪問看護が抱える課題やその解決方法を議論しました。 今回はそのセミナーの内容を、前後編に分けて記事化。後編では地域連携について、実際の事例を紹介しながら考えていきます。 ※約60分間のセミナーから、NsPace(ナースペース)がとくに注目してほしいポイントをピックアップしてお伝えします。 >>前編はこちら訪問看護認定看護師トークセッション 人材育成編【セミナーレポート前編】 【講師】野崎 加世子さん初代訪問看護認定看護師協議会代表理事、現監事。「これからの在宅医療看護介護を考える会」代表。富岡 里江さん訪問看護ステーションはーと勤務。POO マスター、「渡辺式」家族看護認定インストラクター。東京都訪問看護教育ステーション事業における研修の企画・運営も担当。【ファシリテーター】中村 優子さんフリーアナウンサー・インタビュアー。著名人の YouTube チャンネル運営他、著者インタビューを多数手掛ける。 ※本文中敬称略 地域連携における現状と課題 中村: 野崎さんが活動する岐阜県における地域連携の現状と、連携強化のために実践している工夫について教えてください。 野崎: 私が活動しているのは人口10万人ほどの山間地が多いエリアで、地域サービスの不足が課題になっています。 その課題解消に向けて、地域の方たちと「顔の見える連携」を実践しています。なるべく直接顔を合わせるよう意識しつつ、ICTも活用。コロナ禍の連携にはオンラインミーティングを利用しました。 また、タブレット端末に専用ソフトをインストールし、利用者さんの情報を関係者間で共有しています。訪問範囲が広く、連携先の機関に出向くには時間がかかるので、とても便利です。 中村: 地域連携の難しさを感じるのはどんなときですか? 野崎: 病院から退院された利用者さんがスムーズに在宅での生活に移るには、訪問看護師と、医師や薬剤師、ケアマネジャー、ヘルパー、リハビリ職など、多職種が密に連携し、情報を共有する必要があります。しかし、ひとり暮らしや高齢の利用者さんが多く、民生委員やご近所の方などインフォーマルなサービスの方々が連携メンバーに加わるケースも。すると、個人情報保護の観点で話せないことも出てきます。さじ加減が難しいですね。 中村: 本当に多様な方々と連携されているんですね。連携時に意識なさっていることはありますか? 野崎: 会議の際に、参加者全員がわかる言葉選びを意識しています。医師や看護師が難しい医療用語を使うと、ほかの方々が発言しなくなってしまうケースもあるので。それぞれがお互いの立場や役割を理解し、わかりやすい言葉でコミュニケーションをとり、しっかり支え合えるよう心がけています。 地域連携の活動事例 中村: ここからは、地域連携の事例をお聞きできればと思います。まずは富岡さん、いかがでしょうか。 富岡: 私からは、予期せぬ手術で気管切開、人工呼吸器管理になったALS(筋萎縮性側索硬化症)の男性、Aさんの事例をご紹介します。 Aさんは奥さまに先立たれ、お子さん2人をひとりで育ててきた男性です。ALSに消化器疾患を併発し、状態が悪化。医師から「看取りが近い」と宣告され、長女さんは大学を休学して介護することを決意されました。 しかし、そのことを知った地域連携室が「本当にこれでよいのか」と悩み、私に相談をいただいたんです。 実際にAさんにお会いすると、病室にいながらインターネットでお子さんたちの日用品や食料品を手配したり、「家の中なら動ける」とおっしゃったりと、看取りが近いと宣告されたとは思えない様子でした。自身の最期を気にするよりも、お子さんの将来を楽しみにしているのが伝わってきましたね。 在宅ならもう少しADLの回復が見込めるかもしれないと考え、ケアマネジャーを含め各方面と相談。ご家族にも長期的な介護になる可能性を伝え、長女さんの就職も見据えて、在宅チームを結成しました。 そしてAさんは自宅に戻ると、やはりADLが回復。家庭の中心的な役割を担われるまでになりました。チームで介護にあたった結果、長女さんも大学を卒業し、就職できています。早期に関係者間の共通理解を図れたことで、連携、協働がうまく実現できた事例です。 中村: 非常に印象深いケースのご紹介をありがとうございます。野崎さんの活動事例も教えてください。 野崎: 私からは、気管切開を経て頻回の吸引が必要になった小児・Bさんの事例をご紹介します。 Bさんは「お兄ちゃんと同じ普通小学校に行きたい」という希望をもっていましたが、当時は特別支援学校にも看護職員がいない時代。教育委員会は普通小学校に吸引が必要なBさんの通学を許可してくれませんでした。私は、厚生労働省や他県の認定訪問看護師に相談しつつ、自分でも調査しました。すると、決して入学は無理ではないとわかってきたんです。 かかりつけ医や地域への協力を打診し、訪問看護師とBさんのお母さんとが交代で吸引を行う体制を整えました。そして、3年かけてやっと普通小学校への通学許可を得たんです。その後Bさんは、成長するにつれ自身で吸引を行うようになり、普通高校、国立大学へ進学したんですよ。そして、「普通小学校に通える子を増やしたい」という想いをもって2023年度から教員として小学校に就職し、今も元気に働いています。訪問看護師・認定訪問看護師になったからこそ支援できた事例でした。 中村: お二方とも、まさに訪問看護認定看護師の強みを活かされた貴重な情報の共有をありがとうございました。最後に、訪問看護師のみなさまへのメッセージをお願いします。 野崎: 訪問の現場では、日々つらいことや思い通りにならないことがあったり、孤独を感じたりするのではないかと思います。でも、相談に乗ってくれる人は必ずいます。目の前の利用者さんを大事にし、楽しみながら訪問看護を実践していきましょう。 富岡: ひとりで不安を抱えているなら、今回ご紹介した相談先に連絡したり、訪問先でもICTを活用して同僚とつながったりして、ぜひ周りに頼ってください。そして、できるだけ楽しく日々看護にあたり、利用者さんの笑顔を引き出してもらえたらと思います。全国の仲間と一緒に頑張りましょう! 執筆・編集:YOSCA医療・ヘルスケア

訪問看護認定看護師トークセッション 人材育成編
訪問看護認定看護師トークセッション 人材育成編
インタビュー 会員限定
2024年6月4日
2024年6月4日

訪問看護認定看護師トークセッション 人材育成編【セミナーレポート前編】

2024年2月3日に実施した、NsPace(ナースペース)主催オンラインセミナー「訪問看護認定看護師によるトークセッション〜人材育成と地域連携の実例紹介~」。訪問看護認定看護師の野崎加世子さん、富岡里江さんをスピーカーにお迎えし、トークセッション形式で、訪問看護が抱える課題や解決方法を考えました。 今回はそのセミナーの内容を、前後編に分けて記事化。前編では、訪問看護師や新任管理者の教育についての議論をまとめます。 ※約60分間のセミナーから、NsPace(ナースペース)がとくに注目してほしいポイントをピックアップしてお伝えします。 【講師】野崎 加世子さん初代訪問看護認定看護師協議会代表理事、現監事。「これからの在宅医療看護介護を考える会」代表。富岡 里江さん訪問看護ステーションはーと勤務。POOマスター、「渡辺式」家族看護認定インストラクター。東京都訪問看護教育ステーション事業における研修の企画・運営も担当。【ファシリテーター】中村 優子さんフリーアナウンサー・インタビュアー。著名人のYouTubeチャンネル運営他、著者インタビューを多数手掛ける。 ※本文中敬称略 人材不足の現場における教育の難しさ 中村: 訪問看護師の人材不足についてはよく耳にしますが、実際のところはいかがでしょうか? 富岡: 看護師のみなさんは、訪問看護に対して「緊急時にひとりで対応できるか不安」「オンコール対応の負担が大きいのでは」といった懸念を抱くようです。確かに、訪問看護はあらゆる年齢層や疾患、障害をお持ちの利用者さんを看ます。豊富なスキルや経験が必要だと考えて、不安ゆえになかなかチャレンジできない気持ちもわかります。 また、訪問看護師の中にも勤務時間を限定する雇用形態を選ぶ方は多いため、現場ではオンコール当番を含めてスタッフの確保に苦労していると思います。 中村: そのような厳しい状況下で、教育面ではどのような課題がありますか? 富岡: 全国の訪問看護ステーションにおける看護職の平均在籍人数は、わずか5人程度。看護職の人数が少ない小規模な訪問看護ステーションでは、OJT、OFF -JTを行おうにも限界があるのが現状です。 たとえば新任者教育のために同行訪問を行うにしても、得られる訪問料はひとり分なのに対し、ステーションは2人の訪問看護師を派遣した分の負担を背負うことになります。また、スタッフを外部研修に参加させると、訪問の計画を組むのが難しくなるでしょう。 中村: 人手不足な中で、収益や日程調整などの課題があるのですね。 富岡: そうですね。それに利用者さんが置かれている状況は実にさまざまで、同じケースは一例もなく、学びには終わりがありません。これも訪問看護の難しさではないかと思います。 新任管理者に対する教育の重要性 中村: 新任管理者の教育にも大きな課題があると伺っています。 富岡: はい。最近は訪問看護未経験のまま管理者になる方が増えていて。訪問看護に関する制度や適切な運営方法、利用者さんやご家族との適切な関わり方などがわからないまま管理業務に当たらなければならず、悩む新任管理者さんが多いようです。 野崎: 2023年4月時点で、全国の訪問看護ステーションは1万5,000ヵ所を超え、新設数は1年間で約1,800に上ります。一方で1年間に700〜800の事業所は閉鎖、もしくは休止してしまうんです。 その主な原因は、富岡さんがおっしゃったように、管理者に訪問看護ステーションをきちんと運営する知識やノウハウが不足していること。せっかく「訪問看護をやりたい」と情熱をもった新任管理者さんが行動を起こしても、在宅特有のレセプト業務や地域連携といった難しい壁にぶつかり疲弊してしまいます。こうした問題をなんとか解決すべく、私たちも研修を行っているんです。 中村: どのような研修なんですか? 野崎: たとえば、岐阜県では訪問看護認定看護師協議会に所属する15人の訪問看護認定看護師が集まって、地域の新任管理者や着任3年以内の訪問看護師が悩みを打ち明け、解消できる場を提供しています。管理者同士、新人同士でお互い悩みを話し合ってもらうんです。 こうした研修会は、日本訪問看護財団や事業協会が全国で行っています。新任管理者、新人訪問看護師の育成のためには、研修会やステーション内のケアカンファレンスなどを頻回に行うのが重要だと考えています。 富岡: 私が所属する事業所にも、新任管理者の方が体験研修にいらっしゃり、その後も引き続き相談を受けるケースは多いです。ただ、時間がないために相談先を探せず、ひとりで問題を抱え込んでしまう方も少なくないと思います。 >>関連記事日本訪問看護認定看護師協議会や訪問看護認定看護師の取り組みについてはこちら「訪問看護認定看護師」シリーズ一覧https://www.ns-pace.com/series/certification-nurse/ 訪問看護師、新任管理者の相談先 中村: 今問題を抱えている方は、どちらに相談するのがよいでしょうか? 野崎: 各都道府県にある訪問看護ステーション連絡協議会や、訪問看護支援センターが相談に乗ってくれますよ。私たちのような訪問看護認定看護師や在宅ケア認定看護師も頼ってほしいです。訪問看護認定看護師は全都道府県にいるので、訪問看護ステーション連絡協議会ホームページを参照し、ぜひお近くの者にご連絡ください。 また、連絡協議会では、コンサルテーション事業やメール相談も行っています。実際にたくさんの管理者さんから相談を受けているので、みなさまも遠慮なく活用してください。あとは、経験豊富な訪問看護師からアドバイスをもらうのも手だと思います。 中村: ありがとうございます。 >>後編はこちら訪問看護認定看護師トークセッション 地域連携編【セミナーレポート後編】 執筆・編集:YOSCA医療・ヘルスケア

新卒採用の意義&スタッフとのコミュニケーションで心がけていること
新卒採用の意義&スタッフとのコミュニケーションで心がけていること
インタビュー
2024年5月28日
2024年5月28日

新卒採用の意義&スタッフとのコミュニケーションで心がけていること

新卒訪問看護師を積極的に受け入れている「医療法人ハートフリーやすらぎ」。常務理事で統括管理責任者の大橋 奈美さんに、新卒採用をすることの意義や経営・運営面で気を付けていることなどを伺いました。 大橋 奈美(おおはし なみ)さん医療法人ハートフリーやすらぎ 常務理事、統括管理責任者。看護学校卒業後、総合病院等に勤務。2004年に医療法人ハートフリーやすらぎに入職。自身も現役の訪問看護師。日本訪問看護認定看護師協議会 代表理事。医療法人ハートフリーやすらぎ:https://www.heartfree.or.jp/ デイサービスや診療所で経験値を積む意義 ─医療法人ハートフリーやすらぎでは、新卒採用を積極的に行われています。新卒で入職した方は訪問看護・デイサービス・診療所など複数の事業所を経験されるそうですが、その意図を教えてください。訪問看護の場合はご家族の目もありますし、新卒をはじめ入職したばかりのスタッフにとって安心・安全にケアできる場所ではないと思います。ですから、デイサービスで吸引、沐浴、浣腸などの場数を踏むことや、診療所で医師の診療を間近でみること、採血などの経験を積むことが、とにかく大事なんです。経験を積んで熟練すれば、訪問先でも「いつものようにやればいい」と、安心してケアができるようになる。それが大きなメリットのひとつですね。 また、ただでさえ若い方はまだボキャブラリーも限られていますし、やらなければならないケアがたくさんあるなかで、利用者さんやご家族と上手に喋るのは難しいです。でも、デイサービスで働くことで話術に長けてきて、訪問先でご家族とお話しできることも増えてきます。利用者さんのことがわかってくるので、「おうちではこんな顔するんですね。デイサービスのときは…」と話題を広げることや、浣腸して「この後大体3分ぐらいで出ますよね」とお伝えする、といったことができるようになります。 看護師側のメリットだけではなく、利用者さんやご家族にとってのメリットもあります。やっぱり馴染みのある「いつもの看護師」だとご家族・利用者さんにとっても安心感があり、いつもデイサービスで顔を合わせている看護師が通学支援や訪問看護に来ると、喜ばれますね。 ─デイサービスでは、ご家族にお子様の様子を写真付きで毎日ご報告されているとのこと。こうした対応も丁寧にされているんですね。 ええ、毎日送っています。「こんなふうにお風呂に入れています」とか「一緒に寝ています」といった写真を見るだけで、「自分の子が一人にされていない」と安心できますし、充実した時間を過ごせていることが伝わると思います。保護者の皆さまも「写真が全部かわいい」って喜んでくださいます。 また、入職したばかりのスタッフがいても、写真を通じてきちんと優しく丁寧にケアしていることが伝われば、ご家族に安心いただけますよね。訪問看護でご自宅にお邪魔するときにも、「知らない人」ではなくなります。「新しいスタッフをよろしくお願いします」という意味合いも込めて送っているんです。 ─先輩看護師が若手看護師に訪問看護の同行を頼むケースもあると伺いました。 うちではよくありますね。例えば訪問先のお子さんが大藪くん担当だと、先輩看護師が「大藪くんにも来てほしい」と言います。新卒かどうかなんて関係なく、大藪くんは「その子について一番詳しく知っている看護師」だからです。 「その子にとって快適か」はデイサービスで担当している看護師のほうがよく把握していますし、ちょっとした変化に気づくことができます。経験や技術は先輩のほうが上でも、その子特有の傾向や好みはわかりませんし、先輩といえども個別のケースすべてに対応できるわけではなく、不安なものは不安なんです。大藪くんはデイサービスでサチュレーション(酸素飽和度)が下がる急変にも立ち会ったことがあり、身構えることなく冷静に対応でき、先輩のフォローができます。 こういった様子をみていると、「入社してもらってよかったな」と思いますね。新卒スタッフたちの成長は本当に早くて、私たちが教えてもらうことも多くあります。 >>関連記事・ハートフリーやすらぎ 大藪さんのインタビューはこちら言葉以外からも読み取れる感情 重症心身障がい児のデイサービス&訪問看護・ハートフリーやすらぎ 石川さんのインタビューはこちら自分自身が全力で遊びを楽しむ 重症心身障がい児のデイサービス&訪問看護 「その子を一番知る看護師」に任せる ─大藪さんも石川さんも、インタビュー時に「信頼されて任されることが嬉しい」とおっしゃっていました。 それはよかったです。入職当初は大藪くんも石川さんも当然ぎこちなかったのですが、今では「みんなと歌って、リズムをとって楽しそうでしたよ」「お風呂が気持ちよくて『もう一回』と言うので、もう一回入りましたよ」といったことをデイサービス後に自然にご家族にお伝えしています。こういった他愛のない会話が、ご家族にとってはすごく嬉しいものですし、そういった様子をみていて、安心して任せられると思っています。 私も、「したいことができない環境」にいた時期があったので、できるだけ利用者さんをよく知る看護師たちに判断を任せたいという思いがあるんです。 ―差支えない範囲で、「したいことができなかった」ご経験について教えてください。 病棟時代、末期がんの患者さんたちの大部屋を担当していたことがあるのですが、患者さんのご希望もあって、みんなで楽しく合唱したことがあるんです。そうしたら、次の日に患者さんが別の看護師に「昨日の看護師さんを呼んで」とおっしゃいました。その看護師は面白くなかったようで、師長に「歌を歌うのが看護なんですか」と言い、私は師長から「歌手じゃないねんから、やめなさい」と注意されました。 たった3分の歌を、余命いくばくもない方々と合唱することは、してはいけないことでしょうか。私はそうは思いません。あの時間は、その人の生きる力、輝く力を引き出した時間だったんじゃないかと思っています。私は、そのときの患者さんに、ベストだと思う手段を使って寄り添うことが大切だと思うんです。 新卒スタッフは「見て学ぶ存在」と認識する ─新卒採用について、経営的な観点でどうお考えかについても教えてください。 新卒スタッフの初年度の給与(約400万円)はマイナスで計上していて、元から採算ラインには乗せていません。訪問看護のほうで利益が出ていますし、あくまで新卒スタッフは「働くなかで見て学んでいく存在」として捉えているんです。1~2年経てば活躍してくれますし、3年経てば病院に負けない立派な看護師になりますから、1年目がゼロでもまったく問題ありません。 新卒スタッフは、ここにいてくれるだけでいい。利用者さんの体を支えてくれるだけでもありがたいです。「だって新卒だもん。できるわけがないやん。できちゃったらうちらはどうすんのよ」っていう考えですね。最初から採算だけを考えると、なかなか新卒採用に手を出せないかもしれません。 また、例えば診療所に通院されている地域のご高齢の患者さんたちは、新卒で入った看護師の成長の「役に立ちたい」とおっしゃってくださり、採血に失敗しても「この子にやらせてあげて」と私に手を出させないくらいです(笑)。本当にありがたいことですね。その看護師が成長してその方のところに訪問看護で伺うと、「立派になったね」と言ってくださったり、看護師のほうも当時の思い出を語れたりするわけです。こうした地域での素晴らしい関係性がつくれているということも、大きなメリットだと思っています。 安心感と自信をもたらす雰囲気づくりが大切 ─皆さん本当に生き生きと働いていらっしゃる様子が伝わってきますが、職場の雰囲気をよくするために意識されていることはありますか? そうですね、雰囲気づくりは一番意識していますし、努力している部分です。だからみんな明るいですよね。みんなに「ここにいていい」と思える安全な場を提供したいと常日頃から思っています。 ただ、私が安全な場を作っているつもりでも、みんなが本当に安全な場だと感じられなければ意味がありません。なので、「ありがとう」を意識的にたくさん伝えることで、「ここにいていいんだよ」というメッセージや、相手の存在を認めるメッセージを出すようにしています。 ─ハートフリーやすらぎにはプリセプター制度がありませんが、それも雰囲気づくりとつながっているのでしょうか。 そうですね。決まった教育係などいなくても、その都度聞きやすい人に聞けばいいですし、聞きにくい人には聞かなくていいと思うんです。「合う人」というのは人によって違うわけですから。 私自身、病院のプリセプター制度で合わない方と組むことになり、我慢をしていた時期がありました。「すべてプリセプターを通す」ことで生まれる非効率さや不合理さもあって、例えば質問をして1週間待ってOKと言われたことが、後で別の指導者からNGだと言われることもあったんです。そんなやり方がいいとは、どうしても思えない。だからここではプリセプター制度を採用していません。 その上で、所長や管理職、先輩方にお願いしてるのは、何か聞かれたときに「前も言ったやろ」「3回目やで」などとは絶対に言わないでほしいということです。繰り返し聞くことで叱られるのなら、もう聞かないでおこうと思うようになって当然です。その結果、医療ミスが発生する…といった悪循環を、病院でも見てきました。確認されたことに対しては「偉いやんか。さすがやな」といった言葉で迎える。理由を聞く際は「なんで?」と攻撃的に聞くのではなく、優しく事実を確認する。そういう文化が定着するようお願いしています。 ─意識して文化を醸成されているんですね。 そうですね。あとは、新卒スタッフに対して「プロセスを言語化する」ことも意識していて、近くに新卒スタッフがいるときは、「今何をしているのか」「どうしてこうしているのか」というのをしっかり声に出して伝えるようにしているんです。みんな丁寧にやってくれていますね。 新卒スタッフは「いっぱしの看護師」ではなく、「みんなで教育する人」であり、逆に「私から教わってくれてありがとう」「覚えてくれてありがとう」と感謝する姿勢が大事だと思っています。この「ありがとうの文化」を作っていけば、「ここにいていいんだ」と思ってもらえると信じています。 ―ありがとうございました! ※本記事は、2024年2月時点の情報をもとに構成しています。 執筆:倉持 鎮子取材・編集:NsPace 編集部

自分自身が全力で遊びを楽しむ 重症心身障がい児のデイサービス&訪問看護
自分自身が全力で遊びを楽しむ 重症心身障がい児のデイサービス&訪問看護
インタビュー
2024年5月21日
2024年5月21日

自分自身が全力で遊びを楽しむ 重症心身障がい児のデイサービス&訪問看護

1年の病棟勤務を経て、「医療法人ハートフリーやすらぎ」の訪問看護ステーションやデイサービスで働く石川さん。デイサービスと訪問看護、両方に携わることができる職場に大きな魅力を感じているとのこと。前回の大藪さんに引き続き、子どもたちとの触れ合いの中で感じていることや、心がけていることなどを伺いました。 >>前回の記事はこちら言葉以外からも読み取れる感情 重症心身障がい児のデイサービス&訪問看護 石川 紗也佳(いしかわ さやか)さん看護師。1年消化器外科病棟で働いた後、2023年4月に医療法人ハートフリーやすらぎに入職。日々、個別性の高い重症心身障がいを持つ子どもたちとの関わり方を模索。週の半分程度をデイサービスで、もう半分を訪問看護で働いている。医療法人ハートフリーやすらぎ: https://www.heartfree.or.jp/ いつか海外で働くことも見据えて看護師に ─まずは、看護師になった理由や訪問看護の道を志した理由を教えてください。 はい。理由は色々あるのですが、私はもともと海外に住んでいたこともあり、「海外でも通用する職に就きたい」という思いがあります。また、私の母は看護師で、保育園に勤めていたほか、海外でも色々な場面で頼られる姿をみてきました。さまざまな場所で働ける看護師という仕事に憧れて、自然とこの道を志すようになったんです。 いつか海外で医療に携わりたいと考えたとき、場合によっては物資が不足している中で医療行為を行うケースもあると思います。あくまで個人的な考えですが、これは訪問看護に近いものがあるのではないかと。限られたリソースで工夫しながら、患者さんの想いに寄り添いながらケアをする。そういったお仕事をしたくて、訪問看護の道を志しました。 訪問看護利用者さんと石川さん ─ハートフリーやすらぎに入職した経緯も教えてください。 私は大学生のとき、発達障がいについて学んでいたということと、昔から子どもが好きこともあり、放課後等デイサービスでアルバイトをしました。時には「クソババァ」と言われたこともありましたが(笑)、子どもたちは本当にかわいくて、虜になりました。「いつか看護師として放課後等デイサービスで働きたい」という気持ちを持つようになったんです。 石川さん作成資料 最初は病棟で経験を積みたいという思いもあったので、大学卒業後は1年ほど病棟で働きました。その後、放課後等デイサービスと訪問看護、両方の仕事ができる「ハートフリーやすらぎ」の存在を知り、私にとっては夢のような職場だと思って応募したんです。 ─入職当時のハートフリーやすらぎの印象はいかがでしたか? まず、子どもの数に対して、スタッフの数がとても多いことに驚きました。一人ひとりの利用者さんに丁寧に接することができる環境が用意されていたんです。重症心身障がい児の看護は、吸引のしかた一つをとってもその子によってやり方が違うんですが、不慣れな私に「この子はこれ以上やると吐くから気を付けて」など、それぞれの特徴を掴めるように説明してもらいました。「手厚い」とはこういうことなんだ、と納得したのを覚えています。 言葉以外の意思表示を感じ取る ─訪問看護とデイサービスを両方やっているなかで、違いを感じることはありますか? はい、意識するポイントも含めてかなり違うと思います。訪問看護は利用者さんのご自宅で、限られた時間の中でのケアになるので、「訪問中に完結させなければならない」というプレッシャーが常にあります。ただ、利用者さん一人ひとりと丁寧に向き合えるというメリットは大きいです。 デイサービスの場合は、長時間利用者さんと一緒にいることができます。その一方で、訪問看護と比較すると一人ひとりの利用者さんに集中しづらい面もあります。だからこそ、手厚く対応しようという意識を働かせながらケアをしています。 ─病棟から大きく仕事内容が変わる中で、不安になることはありませんでしたか? そうですね。言葉での意思表示がない子どもたちのケアをするということ自体が、「どう関わればいいのだろう」と最初は不安でいっぱいでした。ただ、実際に触れ合うと「意思表示がない」なんてことは絶対にないということがわかるんです。みんな、手足の動き、首の動き、目の動き、表情筋などを使って、感情や思いを表現してくれます。子どもによって表現方法が違うだけで、「この子の場合はこの方法で教えてくれる」ということがわかってきました。それがわかってからは、子どもたちとの関わりがとても楽しくなっていったんです。 利用者さんの病状が急変することに対しても不安でしたが、HOTやバッグバルブマスクの使用方法、緊急時の流れなどについて先輩と話し合いながら確認・シミュレーションをし、いつ何が起きても対応できるよう準備しています。私は現状大きな急変に立ち会ったことがありませんが、てんかん発作や咳き込みなどの対応はしており、少しずつ経験を積んでいます。過剰に構えず、冷静に対応していきたいです。 また、ハートフリーやすらぎでは大橋さん(※)や先輩方がいつも質問に丁寧に答えてくれますし、困ったことがあれば一緒に考えてくれます。利用者さんやご家族との関わり方についても、具体的なアドバイスや「さっきの対応はよかった」といったフィードバックをもらえるんです。正すべきことは当然指摘を受けますが、優しくて愛があふれていて、全然つらい気持ちにならないんです。こちらの発言も否定せず受け止めてくれて、「やってみたら」と応援してくれます。思ったことを気後れせずに伝えられますし、安心して仕事ができています。 ※大橋奈美さん:医療法人ハートフリーやすらぎ常務理事、統括管理責任者 積極的に遊びを仕掛ける ─石川さんが担当されている利用者さんについて教えてください。 はい。こちらのNくんは現在8歳の男の子で、脳性麻痺、てんかん、慢性肺疾患、肺高血圧症があり、医療的ケアとしては胃ろうの処置が必要です。電車や自動車などの乗り物が大好きで、よく笑う姿がとても可愛らしいです。反応してもらえるのが嬉しくって、たくさん遊びを仕掛けています。 ─遊ぶ際に心掛けていることはありますか? 以前、風船で一緒に遊ぼうとしたときにはあまり興味がなさそうにしていました。そのことを作業療法士に相談すると、「この子たちは生まれたときから自分の意思に関係なく、いろいろな医療処置をされてきた。誰かに何かを『させられる』ことに対する抵抗が大きい」と教えてもらったんです。それ以降はNくんにとって「させられる」のではなく、自分から「したい」になるよう、心掛けています。まずは私自身が遊びを全力で楽しむようにして、それを見て興味をもって、「一緒に遊びたいな」と少しずつ遊びに参加してくれたらいいなといつも思っています。 ─どんな遊びをするか、発達段階に応じた目安などはあるのでしょうか。 重症心身障がい児は発達の遅延を伴っているケースも多いので、そのときどきで柔軟に対応し、その子独自の対応方法を探るのがいいのではないかと思っています。Nくんに関わらず、ここにいる子どもたちはすごく個別性が高いため、実践重視のほうが合っているように思います。考えてみれば、私自身も子ども時代に型にはまった遊び方はしていなかったなと思うので、ダメ元でもいろいろなアプローチをしたいと思っているんです。例えばこの前は、訪問看護の利用者さんで肌に筆が触れる感覚が好きな子がいたので、デイサービスの子とも筆で遊んでみました。 新しい遊びのアイデアを提案すると、まわりの皆さんからも「ええやん!やってみたら」って信頼して見守ってもらえるので、本当にやる気が出ます。 ─最後に、今後の目標を教えてください。 いまよりも子どもたちの想いを汲み取れるようになりたいと思っています。言葉はなくとも、足の動き、手の動き、ちょっとした表情の変化から私が気づいてキャッチできる情報はどんどんキャッチして、より深く理解していきたいです。 それから、大橋さんや先輩方のひとことで利用者さんやご家族が安心している様子を見ると、「自分もこういうふうになりたい」と思います。私もいつか言葉一つで大きな安心をもたらす存在になりたいです。 ─ありがとうございました! * * * 次回は「ハートフリーやすらぎ」常務理事の大橋奈美さんに、新卒採用をすることの意義や経営・運営面で気を付けていることなどについて、お話を伺います。>>次回記事はこちら新卒採用の意義&スタッフとのコミュニケーションで心がけていること ※本記事は、2024年2月時点の情報をもとに構成しています。 執筆:倉持 鎮子取材・編集:NsPace編集部

言葉以外からも読み取れる感情 重症心身障がい児のデイサービス&訪問看護
言葉以外からも読み取れる感情 重症心身障がい児のデイサービス&訪問看護
インタビュー
2024年5月14日
2024年5月14日

言葉以外からも読み取れる感情 重症心身障がい児のデイサービス&訪問看護

大阪府住吉区の「医療法人ハートフリーやすらぎ」に新卒から入職した大藪 涯さんは、訪問看護、デイサービスで働く看護師です。新卒で訪問看護師になった理由や、重症心身障がいのある利用者さんやご家族と接する中で感じていることなどを伺いました。 大藪 涯(おおやぶ がい)さん  看護師。2022年4月に新卒で医療法人ハートフリーやすらぎに入職。大学の在宅分野の教授の教えに影響を受け、訪問看護師を目指す。現在は週2日ナーシングデイに勤め、その他の日は訪問看護を担当。1年目は診療所にも出向き、バイタルサインや採血などの経験を積む。 医療法人ハートフリーやすらぎ:https://www.heartfree.or.jp/ その人の生き方や生活を大事にしたい ─まずは、大藪さんが看護師を目指した理由や、訪問看護師に興味を持ったきっかけを教えてください。 医療に興味をもったきっかけのひとつは、幼いころに筋ジストロフィーという難病を患った弟さんがいる友人に出会ったことです。その友人は弟さんのことを明るく話していて、それが私には大きな衝撃でした。当時の自分は医療の知識もなく、難病は「とにかく大変なもの」というイメージがあったので、友人の受け止め方にいままでの印象を覆すものがあったというか。「病気との向き合い方」に興味を持ったことがきっかけで、看護師の仕事に興味を持つようになりました。 訪問看護師になろうと思ったのは、在宅分野の教授のお話がきっかけです。例えば、入院中は患者さんの喫煙や飲酒は原則避けることになりますが、訪問看護では利用者さんがしたいことと健康状態を照らし合わせ、どこまでOKなのか看護師の視点からアドバイスできる。一律でその行為を禁止するのではなく、その人に合わせて基準や看護のしかたを変えるのだ、という内容でした。 私は、健康を守ることはもちろんのことですが、その人の生き方や生活を大事にしながら関わりたいという想いがあったので、訪問看護に興味を持つようになったんです。 デイサービスで働く大藪さん ─就職活動をしていたときのことや、ハートフリーやすらぎに入職した経緯などを教えてください。 はい。そもそも訪問看護ステーションの新卒採用枠は少ないですし、大学の同学年の中でも訪問看護ステーションへの就職を目指していたのは私一人という状況でした。でも、さきほどお話しした教授が新卒で訪問看護師になることを応援してくれたんです。教授や学校の先輩にも相談している中で、ハートフリーやすらぎが新卒の採用に積極的だと知り、応募したという経緯です。 就職前に同行訪問をさせてもらったのですが、利用者さんが「訪問看護師さんたちにとてもよくしてもらっていて、自分の最期はこの方々にお任せしたいと思っている」とお話しされていたんです。それだけ信頼を得られる関係を築けていることに驚きました。また、職員同士の仲もよくて、和気あいあいとした雰囲気でした。プライベートなことも気軽に相談できるような関係性を見て、すごく安心したのを覚えています。 少しずつ確実にみえてきた利用者さんの表情 ─利用者さんとの関わりを通じて感じたことを教えてください。 はい、こちらの写真のSちゃんは15歳の女の子で、生後4ヵ月のころ、後天的に低酸素脳症を発症しました。その後、慢性呼吸器不全、てんかん、痙性四肢麻痺を発症し、現在は人工呼吸器を24時間装着しています。吸引や胃ろうからの注入が必要です。 私はまず、Sちゃんのデイサービスのケアから関わらせてもらいました。Sちゃんは比較的必要なケアが多い利用者さんで、吸引、入浴介助、浣腸、胃瘻からの注入、人工呼吸器の管理も行います。最初は個別のケアの方法を覚えるだけでも精一杯で、ほかの看護師が「Sちゃん、今日はご機嫌だね」とか、「しんどそうだね」と言っているのを聞いて、なぜ気持ちがわかるのか不思議だったんです。 ですが、Sちゃんにはきちんと表情がありますし、伝えようとしていることもありました。それを私が読み取れていないだけだったんです。言葉はなくとも、手を握ってくれたり、舌を動かしたり。口元や目元にも変化があります。長く一緒にいることで、私にもSちゃんの気持ちがわかるようになりました。 大切なのは、「どんなことを感じているんだろう」と、関心を持って探ること。そしてそれは、ケアの微妙な加減にも繋がると思います。デイサービスの場合、比較的長い時間お預かりできるので、毎日少しずつ、より確実に理解できることが増えていく感覚がありました。 ─半年ほど経ってから、Sちゃんの訪問看護もご担当されたと伺っています。どのようなことを感じましたか? デイサービスでさまざまな子どもたちと触れ合った経験が、訪問看護にも活かせると感じましたし、デイサービスにはデイサービスの、訪問看護には訪問看護の学びがあると思いました。 訪問看護でご自宅に伺って感じたのは、ご家族がSちゃんを良い意味で特別視していなくて、「日常」の中にSちゃんの存在があるということですね。妹さんや弟さんのお友達が遊びに来ているときも、「おかえり、看護師さんも一緒なんだね」というくらいの受け止め方なんです。Sちゃんも妹さんも弟さんも、それぞれ大切な存在で、障がいの有無で区別されていないというか。 Sちゃんはすごくお洒落に興味があるので、お洋服やアクセサリーをご家族が買ったり、自分で選んだりもするんですよ。アミューズメントパークにみんなで行ったときのこととか、ご家族からお出かけの話を伺うこともあります。先ほどの私の友人の話にも繋がりますが、疾患があっても、本人とご家族にとっての「したい生活」が叶うこと、安心して生活ができることがとても大事なのだと感じます。 ─自宅だからこそ見える部分があるのですね。一方で、重症心身障がいを持つ方へのサポートについて、課題に感じる部分はありますか? はい。医療的ケアが必要以上に「難しいもの」と捉えられてしまっているのではと感じることがあります。医療的ケアが身近でない方は、少し利用者さんの体調が変わっただけで、とても戸惑ってしまうんです。知らずして「関わるのが怖い」となってしまいがちなのは、難しいところだなと感じています。例えば、Sちゃんの場合は妹さんも吸引をはじめとした医療的なケアをしていますし、彼女のことを知っていれば「この変化は一時的なもの」と判断できるケースも多いです。 また、どうしても保護者に負担が偏っている現実があると思います。負担を軽減できる制度がもっとあればいいなと思うのですが、現状はまだまだ足りないのではないかと…。例えば、Sちゃんのご家庭の場合、体調不良でサービスの日程を変えるときなどは、相談員さんや介護タクシーなど、スケジュールの組み直しのための連絡と相談が必要になります。実にさまざまなところで報・連・相が必要とされる。それをお母さまがお一人でこなしているわけです。訪問看護も毎回同じ看護師というわけではないので、状況による判断などもSちゃんのお母さまに委ねるところが大きくなってしまう。家事やほかの子の育児もある上でのことですので、大変さが伝わってきます。18歳以上は放課後等デイサービスの対象でなくなり、生活介護に変わります。そのような将来のことについても考えなくてはなりません。 ー調整の負担が保護者にのしかかっている現実があるのですね。 「この人に任せたい」と思われる看護師に ─ハートフリーやすらぎに就職されてもうすぐ2年になりますが、改めて思うところはありますか? 就職したときよりも、さらに利用者さんとの関わりの深さを感じています。ハートフリーやすらぎに長く勤めている先輩看護師の中には、過去に看取りをさせていただいた方の息子さんや娘さんの訪問看護を依頼され、二世代に渡って訪問している人もいます。そういう人はそのご家庭の過去の歴史を含めて深く理解していることもあって利用者さんからの信頼も厚く、繋がりが強固です。私も、長きに渡る関係性を持てるように利用者さんと関わっていきたいなと思いますね。 それから、先輩たちに質問すると、とても丁寧に対応してもらえますし、一緒に答えを探してくれるんです。このステーションにはいわゆる「プリセプター」(後輩看護師を指導する先輩看護師)がいないので、教育担当者ひとりに責任を負わせることなく、新人を「全体で育てていこう」という精神が強いと思います。また、プレッシャーを与えない一方で「任せるよ!」という姿勢を見せてもらえるのがとても嬉しいです。自分の成長や存在、このステーションにおける自分の役割を実感することができています。 大藪さんと訪問看護利用者さん ─最後に今後の目標や、「なりたい看護師像」を教えてください。 利用者さんの病状のみならず、生活を深く知ることは、どんなケアをすべきか、看護師としてどう関わっていくべきか、ということに繋がると思います。ご家族の負担や希望なども伺いながら、ご家族と一緒にひとつのチームになってケアをしていきたいと思っています。第三者よりも、一歩ご家族に近い存在になりたいですね。 いずれは、利用者さんから「この人に看護を任せたい」と思ってもらえる存在、安心感を持って頼ってもらえる存在になりたいです。今後、さまざまな利用者さんと出会うと思います。成長・発達段階や、疾患・障がいなどによってもご相談いただく内容が変わってくるので、しっかり応じられる看護師になれるよう、これからいろいろと学んでいきたいと思います。 ─ありがとうございました! * * * 次回は「ハートフリーやすらぎ」で働く石川さんにデイサービスでの子どもたちとの触れ合い方や、職場の在り方などについて伺います。>>次回の記事はこちら(※近日公開)自分自身が全力で遊びを楽しむ 重症心身障がい児のデイサービス&訪問看護 ※本記事は、2024年2月時点の情報をもとに構成しています。 執筆:倉持 鎮子取材・編集:NsPace編集部

第2回みんなの訪問看護アワード 訪問看護の魅力
第2回みんなの訪問看護アワード 訪問看護の魅力
インタビュー 会員限定
2024年5月14日
2024年5月14日

第2回みんなの訪問看護アワード 訪問看護の魅力 特別トークセッション 後編

2024年3月9日(金)に、銀座 伊東屋 HandShake Lounge(東京都中央区)にて開催した「第2回 みんなの訪問看護アワード」。エピソードを投稿された3人の受賞者のみなさんと、東京医科歯科大学 国際健康推進医学 非常勤講師 長嶺由衣子さんによるトークセッションの前半では、投稿してくださったエピソードの背景を深掘りしました。後半では、訪問看護の領域で働くことを選んだ経緯や、この仕事の魅力、それを周囲に広める方法などについてお話しいただいた内容をお送りします。 >>前編はこちら第2回みんなの訪問看護アワード 投稿のきっかけは? 特別トークセッション 前編 【ファシリテーター】長嶺 由衣子(ながみね ゆいこ)さん東京医科歯科大学国際健康推進医学 非常勤講師【登壇者】白﨑 翔平(しらさき しょうへい)さんいま訪問看護リハビリステーション(大阪府)「みんなの訪問看護アワード2024」入賞投稿エピソード「秋ひまわりプロジェクト:外出のきっかけづくり」新田 光里(にった あかり)さん@(あっと)訪問看護ステーション(東京都)「みんなの訪問看護アワード2024」入賞投稿エピソード「100年ぶりに入浴したU子さん」小野寺 志乃(おのでら しの)さん公益財団法人 宮城厚生協会 ケアステーション郡山「みんなの訪問看護アワード2024」入賞投稿エピソード「余命を伝えないということ。」 ※以下、本文中敬称略※本記事は、2024年3月時点の情報をもとに構成しています。 「次のチャレンジ」を提供したい 長嶺:ここからは、訪問看護の領域で働くことを選んだ経緯などを伺おうと思います。白﨑さんは作業療法士として、なぜ訪問看護の領域で働いていらっしゃるのでしょうか。 白﨑: 僕は、社会人1年目から救命救急センターの重症の患者さんが多くいらっしゃる現場で働きました。そこでは、患者さん本人が将来に希望を持てず、リハビリをやめてしまい、何かを諦めてしまう現状を度々目にしてきたんです。 働き始めて3年ほど経ったある日、バイクの事故に遭った少年の、次の病院に移るまでのリハビリを担当することになりました。ある日病室に行ったら、毎週彼が読んでいた少年漫画雑誌が置いてなかったんです。聞けば、「今後、治療費がかかるし、自分で買いに行けないからやめた」と。思わず「それはダメだ」と言いました。「これからリハビリが待っているのに、毎週読んでいた漫画を読むことすら諦めちゃだめだよ」と。それから僕は、毎週自分が買っていた漫画雑誌を届けるようにしました。彼はどう思ったか分かりませんが、その時に「諦めない」というか、「次のチャレンジを提供できる」セラピストになろうと思ったんです。 病院を退職した今から8年ほど前に、無謀なチャレンジをしてみました。新大阪から東京まで新幹線で行き、東京駅で車椅子を借りて、今私たちがいる銀座まで車椅子に乗って来てみたんです。休日だったので歩行者天国でしたが、エレベーターから降りる時や、道中を進んでいるときに、うまく車椅子を操作できず、くるりと回ってしまったり、歩行者の靴やバッグに車椅子が当たりそうになったりしました。そんなチャレンジにワクワク、ゾクゾクしている自分がいて、こんな気持ちを患者さんたちに提供できるセラピストになりたいと再確認しました。 その後、外出介助のボランティア団体を発足し、花見や町歩きツアーなどを開催し、色んな状況の方を外出につなげることにチャレンジしました。そのころから地域と密着した職場で働きたいなと思い、訪問看護ステーションに転職しました。 長嶺: 今までもさまざまなことにチャレンジしていらっしゃるんですね。白﨑さんの思いとやりたいことがつながって、今に至るのだということがよくわかりました。新田さんはいかがでしょうか。  新田: 子どものころ、病弱で入退院を繰り返していた影響で、看護師に憧れていました。高校生のときに家で救急車を呼んだことがあり、救急隊員の方が活躍されている姿を見て、救急救命士になろうと思いました。でも、当時私が住んでいた岩手県盛岡市には救命救急士の養成機関がなく、まずは看護師になってから先の事を考えようと思ったんです。 その後、看護師資格を取得して大学病院で働き、結婚し、満を持して救命士の夜間学校に行きました。仕事と勉強を両立させるために、知人が紹介してくれた夜勤がない訪問看護で働くことに。救急要請先は自宅が多く、超高齢社会では高齢者が運ばれることも多いだろうと思ったので、高齢者の日常を見てみたいという思いもありました。その後、救命士の資格を取得し、救急病棟で働いたんです。 長嶺: なぜ訪問看護師に戻られたのですか? 新田: ICUに慢性心不全の80代のおばあさまが運ばれてきたことがきっかけです。先輩が「この人は入退院を繰り返しているんだよ、困っちゃうよね」と言った時、「患者さんがどういう生活をしているのかを聞き取りし、生活改善の指導をすれば、救急車で運ばれることがなくなるのでは」と思いました。そこで在宅看護の目線で聞き取りをすることに。しかし、思った以上に時間がかかってしまって…。案の定、先輩に叱られてしまいました。 反省する一方で、救急病棟の「ミッションを次々にクリアしていく」働き方に違和感を覚えるとともに、在宅目線を持っている自分に気づきました。在宅で丁寧に利用者さんと関わっていく働き方のほうが、自分の性格には合っているし、コミュニケーション力も発揮できそうだと思ったんです。それ以降、尊敬する所長のもとで、14年間訪問看護を続けています。 長嶺: ありがとうございます。「自分が」この仕事をやりたいという思いから、「利用者さんのために」やりたいという気持ちに変化していったのですね。このような内面の変化が医療職の成長の大切な部分だと思っています。小野寺さんはいかがでしょうか。 小野寺: 看護学生時代から急性期の現場に苦手意識がありまして。バリバリ働いている上に人間関係のストレスもあるという話を聞くと、なおさら希望しようと思えませんでした。 訪問看護に興味を持ったきっかけは、看護学生のときの終末期の実習で、胃ろう、認知症、末期がんのおじいさんを担当したことです。その際、リハビリが組み込まれていることに疑問を感じました。なぜ末期なのにリハビリが必要なんだろうと。でも、理学療法士が患者さんのリハビリを担当する様子を見学したとき、歩けなかったおじいさんが歩いていたことにびっくりしたんです。 そこで初めて、患者さんが今持てる力を最大限活かすことがリハビリなんだと気づき、リハビリ科に就職しました。職場でも車椅子だった人が歩けたり、寝たきりの人が車椅子になったりなどリハビリで患者さんが力を発揮した姿を見ていると、自宅に帰った後の生活はどうなんだろうと、ふとその先が気になったんです。そこで、23歳で訪問看護の現場に飛び込んでみました。 長嶺: 飛び込んでみて、どうですか。 小野寺: 訪問看護の領域で働く看護師さんは、「病院でバリバリ働いた経験がある人」というイメージがあったので、経験が浅い私はとても不安でした。所長や主任からも、「こんな若い看護師が来ると思っていなかったので、どのように指導していいのか、最初は怖かったんだよね」と言われました。でも、何度も何度も同行訪問をしてサポート・指導してもらい、今では看護学生の指導を任せてもらうようになりました。 訪問看護はさまざまな疾患を学ぶ必要がありますが、赤ちゃんから100歳までの幅広い年齢層の方と関わることができる今の職場は、とても楽しいです。自分よりも若い看護師がこの職場に飛び込んできたときに、しっかり指導できるようになりたいと思っています。 命の教育が訪問看護の理解につながる 長嶺: 素敵なお話をありがとうございます。訪問看護のやりがいや魅力を一言でいうと、どんな言葉が出てくるでしょうか。 白﨑: 「ホスピタリティを発揮できる」ことですね。 新田: 「看護師の資格を最大限活かせる」ことでしょうか。 小野寺: 単純に、利用者さんやご家族から「ありがとう」と言われることが何よりのやりがいに感じます。 長嶺: ありがとうございます。訪問看護師は看護師全体の5%ぐらいですが、この仕事の魅力をどうすれば広めることができ、訪問看護の現場で働きたいと思う人が増えるでしょうか。 白﨑: こうしたイベントをたくさん開催していただけると、表に出てこない訪問看護の仕事の魅力が広まるのではないかと思います。今回参加させていただいて、僕自身とてもモチベーションが上がりました。そのモチベーションを持って、さらに新たなことにチャレンジすれば、もっとこの仕事が注目されるかなと思いました。 新田: 子どものころから看取りも含めた「人が亡くなる過程」を通じて命の大切さの教育をしていくと、知識が増え、思考が広がり、訪問看護の仕事が広まって、訪問看護師に対する捉え方も少し変わってくるのではないかなと思っています。看取りについて公に話すことをタブー視される風潮がありますが、子どものころからの教育でそれも変わってくると思います。 小野寺: 看護学校の同級生の中で訪問看護師として働いているのは、把握している限り私だけです。医療従事者ではない友人からは、「どういう仕事?」と聞かれることもあります。訪問看護師のインタビューをSNSやネットで発信し続けると、目に留まりやすく、認知度も上がるのではないかなと思いました。 長嶺: ありがとうございます。小野寺さんの事例を伺っていると、訪問看護師は若いころからチャレンジできる仕事であることがわかりますし、新田さんのお話からは、訪問看護の現場で働いてから救命救急士になるキャリアチェンジもあるとわかりました。どんなキャリアからスタートしてもいいですよね。そのキャリアの一つとして、訪問看護という仕事がもっと選ばれればいいなと思います。最後に、今後の抱負を一言ずつ教えていただいてもよろしいでしょうか。 白﨑: 1年にひとつ、新しいことにチャレンジしようと考えています。チャレンジすることを見つけるのが大変ですが、見つけることを諦めないように続けていきたいです。 新田: 目の前の仕事に一つひとつしっかりと取り組み、継続していきたいと思っています。 小野寺: 私も、日々の訪問を一つひとつ大切にして、利用者さんから「あなたが来てくれてよかった」と思ってもらえるような訪問看護師になりたいと思います。 長嶺: ありがとうございました。色々と考えさせられたり、ほっこりしたりといったお話が盛りだくさんで、素敵な時間でした。会場にいる皆さんも、それぞれのステーションに戻って、同僚たちの話を聞き合うようなセッションをやってみてもいいかもしれませんね。今日は本当にありがとうございました。 取材・執筆:高島 三幸編集:NsPace編集部

第2回 みんなの訪問看護アワード 投稿のきっかけは?
第2回 みんなの訪問看護アワード 投稿のきっかけは?
インタビュー 会員限定
2024年5月7日
2024年5月7日

第2回みんなの訪問看護アワード 投稿のきっかけは? 特別トークセッション 前編

2024年3月9日(金)に、銀座 伊東屋 HandShake Lounge(東京都中央区)にて開催した「第2回 みんなの訪問看護アワード」表彰式。エピソードを投稿された方をはじめとしたゲストの皆さまに全国からお越しいただき、表彰、特別トークセッション、懇親会などで盛り上がりました。ここでは、特別トークセッションの内容をピックアップしてお届けします。 ファシリテーターに東京医科歯科大学 国際健康推進医学 非常勤講師 長嶺由衣子さんを迎え、エピソードを投稿した背景や、訪問看護の領域で働くことを選んだ理由、この仕事の魅力などを、3人の受賞者の皆さまにお話しいただきました。前編では、エピソードを投稿したきっかけやその背景を深掘ります。 【ファシリテーター】長嶺 由衣子(ながみね ゆいこ)さん東京医科歯科大学国際健康推進医学 非常勤講師【登壇者】白﨑 翔平(しらさき しょうへい)さんいま訪問看護リハビリステーション(大阪府)「みんなの訪問看護アワード2024」入賞投稿エピソード「秋ひまわりプロジェクト:外出のきっかけづくり」新田 光里(にった あかり)さん@(あっと)訪問看護ステーション(東京都)「みんなの訪問看護アワード2024」入賞投稿エピソード「100年ぶりに入浴したU子さん」小野寺 志乃(おのでら しの)さん公益財団法人 宮城厚生協会 ケアステーション郡山「みんなの訪問看護アワード2024」入賞投稿エピソード「余命を伝えないということ。」 ※以下、本文中敬称略※本記事は、2024年3月時点の情報をもとに構成しています。 宮城・東京・大阪の受賞者が登壇 長嶺: はじめまして、長嶺と申します。本日は皆さまにお話を伺えることを楽しみにしていました。いろいろと深掘りしていきたいのですが、まずは、訪問看護歴と簡単に自己紹介をお願いします。 小野寺: 「ケアステーション郡山」で働いている小野寺志乃と申します。郡山というと福島を思い浮かべる方が多いと思いますが、宮城県仙台市の郡山から参りました。1年8ヵ月ほど病棟で勤務したのち、早くから経験を積みたいと思って、組織内で異動して3年前から訪問看護師として働いています。本日はよろしくお願いします。 新田: 東京都立川市の「@(あっと)訪問看護ステーション」で働く新田光里です。看護師歴は20年ほどで、訪問看護師歴は14年を超えました。救急救命士として働きたいという思いもあったのですが、色々あって今は訪問看護師として、毎日自転車で利用者さんのお宅をまわっています。投稿エピソードに書ききれないほどの濃い日々を過ごし、利用者さんから学ばせていただいています。本日はよろしくお願いします。 白﨑: 大阪府の「いま訪問看護リハビリステーション」で作業療法士をしている白﨑翔平です。看護師である母の勧めで作業療法士の資格を取得し、現在13年目です。社会人1年目は三次救急に興味があったので病院で働き、ICUや病棟の看護師さんに色々と教えていただきました。20代半ばで外出介助のボランティア団体を立ち上げていて、こうした経験が今回のエピソードにもつながっていると思います。よろしくお願いします。 雑木林をひまわり畑に!利用者さんが外出するきっかけづくり 長嶺: ではまず、皆さんのエピソードをそれぞれ深掘りしていきましょう。白﨑さんから、このエピソードを投稿しようと思ったきっかけを教えてください。 白﨑: はい。今回の「秋ひまわりプロジェクト」でも協力してもらった同僚の訪問看護師さんに、「みんなの訪問看護アワード」の存在を教えてもらいました。本当は通院以外で外出しない利用者さんの外出するきっかけになればと思って「ひまわり喫茶」を企画していたんですが、残暑の影響でひまわりの開花が早く、実現できず残念に思っていたので…。そういった気持ちを昇華するためにもすすめてくれたんです。 長嶺: 白﨑さんが残念がっていたのが、きっかけだったのですか(笑)? 白﨑: そうですね(笑)。「ひまわり喫茶」をどうしてもやりたくて、企画書を書いて社長に提出し、予算もつけてもらっていたんです。ひまわり畑を作って、利用者さんにはひまわり畑を眺めながら担当の療法士や看護師との会話を楽しんでほしいと考えていました。テントを用意し、利用者さんへの招待状も全部送り終えていたんです…。準備万端だったので、中止になってとても残念でした。 長嶺: 雑木林をひまわり畑にされたんですよね。きっかけや経緯をもう少し詳しく教えていただけますか。 白﨑: きっかけは、一人の利用者さんとの出会いです。外出できるぐらい体調が落ち着かれたのですが、出かける目的がないから外出されていないとのこと。お花が好きな方だったので、お花畑があれば「お花を育てる役割」ができ、水やりをしに行くという外出目的が生まれると思ったんです。事務所の側にある雑木林をお花畑にしたいと思い、少しずつ整備していきました。 長嶺: お花畑を作ることが利用者さんの社会参加につながると考えたんですね。行動に移されたことが素晴らしいと思うのですが、一人で実行されたのでしょうか。 白﨑: 最初は、休日に雑木林へ一人で行って伐採していました。でも、土日担当の看護師さんに、徐々にバレ始めまして(笑)。そこから、その看護師さんが草刈りを手伝ってくれるようになり、他のスタッフもイベント企画に協力してくれるようになりました。 長嶺: 訪問看護ステーションが地域の資源や拠点となるんだと改めて教えてもらえるエピソードですね。純粋に、「すごいことをする人たちがいるんだな」と感動しました。ありがとうございます。 1年かけて信頼関係を築き、数年ぶりの入浴を実現 長嶺:続きまして、新田さんにエピソードを投稿したきっかけを教えていただきましょう。 新田:所長から回覧された昨年の受賞エピソード集を見たときに、今回のエピソードに登場するU子さんの笑顔が浮かんだんです。92歳で認知症があって、いろいろと看護は大変だったのですが、エピソードを書くことで、当時の気持ちをほかの看護師さんにも共有できる機会になると思いました。U子さんとのエピソードは本当にたくさんあるので、400字にまとめるのは大変でしたが、訪問看護のリアルさが伝わればいいなと思いながら書きました。 長嶺: 特にエピソードの最後の部分は臨場感が溢れていて、看護されているリアルな光景が思い浮びました。新田さんは、当初入浴を受け入れてくれない認知症のU子さんに憤りを感じていたということでしたが、憤りというのは、こうあるべしというイメージを今までの経験からあてはめてしまう専門職だからこそ沸き起こる感情だと思います。所長さんの助言が思考の転換になったんですよね。 新田: はい。以前の私の職場は救急部門で、当時は「ミッションをクリア」していくことが求められていました。その名残もあって、「皮膚トラブルを解消するために、どうしたら入浴してくれるか」と必死だったんです。しかし、一生懸命になればなるほど、U子さんには受け入れてもらえませんでした。まずは私の顔を認知してもらおうと、私の顔写真をお仏壇の隣に置いたり、低栄養で低ナトリウム血症があったので昼食を買っていってU子さんのお宅でランチしたり、いろいろとチャレンジしました。食事を一緒にすれば仲良くなれるかな、とも思ったんですよね。 こういった取り組みによってU子さんとの距離は近づいていきましたが、なかなかお風呂に入っていただくことはできませんでした。そんなとき所長から、「まず、あなたがU子さんを好きにならないとね」と助言をもらい、ハッとしたんです。入浴してくれないし、こだわりが強いし、私はU子さんを苦手になっているのかもしれない…と。それからは、U子さんの素敵なところに目を向け、U子さんの好きな「リンゴの唄」を一緒に歌ったり、戦時中の体験談を傾聴し労いの言葉をかけたり…といった関わり方を続けました。そして、1年ほど経ったころに、ようやく入浴につながったんです。所長は「利用者さんを大切に思いなさい」ということを、教えてくれたのだと思います。 長嶺: ありがとうございます。一緒に食事をして距離感が縮まるというのは、私も経験があります。入浴に成功した後、どうやって継続していくのかも大事であり、かつ難しい点だと思いますが、後日談はありますか? 新田: 「ピンクの服を着た新田が来ると、お風呂に入れる」という流れができて、しばらくは入ってくださっていたんです。ですが、長男が風邪をひいて私が仕事を休まないといけなくなって、別の看護師に行ってもらったら、それをきっかけに入浴されなくなって…。そのままご自宅で、お一人で旅立たれました。ルーティンが少しでもズレてしまうと、継続できなくなる認知症高齢者の難しさや厳しさについても、U子さんに教えていただきました。 長嶺: 同じ人じゃないと、継続できなかったということですね。受賞された時の周りの反応はいかがでしたか? 新田: 「よかったわね」と所長は喜んでくれましたし、受賞を報告した同僚の皆さんも「U子さんのお話を書いたなら賞をもらうよ。だって一生懸命頑張って関わっていたじゃん」と言って喜んでくれました。U子さんはうちのステーションの中でも名物おばあちゃんだったので、苦労も多かったですが皆に愛されていたのだなとも感じました。 3年前の3月11日に天国へ旅立ちましたが、U子さんはきっと、「私のおかげで受賞したのよ!」と言っていると思います(笑)。私も「U子さんのおかげでこんなに華々しいところに来れたよ!」と報告したいです。 長嶺: ありがとうございます。素敵なエピソードでした。 ご家族から「余命を伝えないでほしい」と頼まれたときのアプローチ 長嶺:続いて訪問看護歴3年目の小野寺さんです。エピソードを投稿しようと思ったきっかけを教えていただけますか。 小野寺: 施設内のスタッフへの連絡ボードを見て、投稿エピソードの募集の存在を知りました。「何か投稿しようかな」と思ったときに浮かんだのが、昨年の初夏に出会った60代で末期がんの男性利用者さんでした。「余命は伝えないでほしい」というご家族の要望がある中で、次第に具合が悪くなっていくご本人から「いつまで生きられるのか」と質問され、どう答えればいいのかわからず悩みました。訪問するたびに「帰りたい…」という気持ちになってしまって…。一番つらいのは利用者さんと支えるご家族なのに、私がこんな状態ではダメだと思いました。 そこで先輩の訪問看護師にどんなふうに声をかければいいのか相談したところ、「ただ話を聞いてあげるのも看護だよ」と助言をもらったんです。それ以降、模索しながら自分なりにコミュニケーションを取るようにしました。ご本人はつらかったと思いますが、そんな中でもご家族と温かい時間を過ごされていたのがとても印象的で、このエピソードを選んで投稿しました。 長嶺: 訪問看護歴に関わらずかもしれませんが、「余命を伝えない」という葛藤に皆さんも直面したことがあるのではないでしょうか。利用者さんが死期を悟り、「会いたい人がいる」と言われたことを知ったとき、何を思いましたか。 小野寺: 医師からあと2、3日が山になると言われた時から緊急コールが頻繁に鳴るようになり、「いよいよか」と心の準備をしていました。そして、利用者さんは家族・親戚に囲まれて息を引き取られました。翌日聞いた話では、亡くなる日の朝に「会いたい人に会わせてくれ」とおっしゃっていたそうです。余命は伝えなかったけれど、自分のことは自分が一番分かるんだろうなと思いました。自分で悟り、やりたいことをやりたいという気持ちになったんだろうなと。 長嶺: ありがとうございます。私は、ご本人の希望があれば余命を伝える派です。ただ、ご本人とご家族で伝えて欲しいかどうか意見が分かれることもあります。日本の場合、ご家族の意向を尊重する傾向があり、患者さんの意向なのに本人がなぜ知ることができないんだと思うこともあります。もちろん、ご家族から「余命を伝えないで欲しい」といわれれば尊重しますが、ただ、「ご本人が知りたいと言われたら、私は恐らく伝えると思います」とも言います。 絶対に伝えたいというわけではなく、本人の意思をどうすれば尊重できるのかという考えが根底にあるからです。私は、医師だから余命を伝えることができるケースがあるのですが、「余命を伝えないでほしい」とご家族から言われたとき、看護師の皆さんはどのようなアプローチをされているのでしょうか?手を挙げてくださった、受賞者の鳥居さんはいかがでしょう。 鳥居: 私も同じような経験があります。看護師は余命を言えません。その代わりに体の変化を伝えていくようにしています。「徐々に寝ている時間が増えてきますよ」「飲み物を飲めなくなってきますよ」といった体の変化を伝えていくと、ご自分で余命を悟られる方もいらっしゃいました。 長嶺: 言い方を変えながら、伝えていくということですか。 鳥居: そうですね。つい最近、お看取りした90代の方も同じような状況でした。ご本人は死期を悟っていたようで、「どうしてそのように(死期が近いと)思われるのですか?」と聞くと、「〇〇ができなくなってきたし、最近、俺、よく寝ているんだよな」と。「最期は苦しいのか?」「どんなふうになるんだ?」と私に質問されたので、「お休みになっているときはつらいですか」と聞き返したら、「いや。俺は寝ている時間に、そのまま逝くのかな」と話されていました。その後、吐血をするなど大変でしたが、ご家族にも死への準備教育をしていたので、「吐血をしたのですが、事前に聞いていたので慌てずに済みました」とおっしゃっていただき、最後までご自宅で介護され、看取ってくださいました。28年間訪問看護師をやっていると、余命を伝えないでとご家族から頼まれた経験はたくさんあります。でも、ほとんどの場合、ご本人はわかっていたように思います。 * * * 次回は、訪問看護の世界に身を置いた経緯や訪問看護の魅力を世の中に伝えるアイデアなどについて語り合います。>>後編はこちら第2回みんなの訪問看護アワード 訪問看護の魅力 特別トークセッション 後編 取材・執筆:高島 三幸編集:NsPace編集部

【医師に聞く】地域医療と訪問看護~新宿で一歩先の在宅医療を提供~
【医師に聞く】地域医療と訪問看護~新宿で一歩先の在宅医療を提供~
インタビュー
2024年4月23日
2024年4月23日

【医師に聞く】地域医療と訪問看護~新宿で一歩先の在宅医療を提供~

東京23区を広くカバーする在宅医療を行っているあけぼの診療所院長の下山先生。開業する以前、循環器内科医として働いた経験が、現在に生きているとのこと。在宅医療を提供する上で、都心エリアは特殊な土地。応用と工夫が必要な在宅医療の現場で、訪問看護師に求められる心構えについてもうかがいました。 下山 祐人(しもやま ゆうじん)先生あけぼの診療所院長2004年東京医科大学医学部卒業後、湘南鎌倉総合病院にて初期研修を行い、2006年に東京女子医科大学病院循環器内科学教室入局。仙台循環器病センター循環器内科、立正佼成会付属佼成病院循環器内科、医療法人社団焔 やまと診療所を経て2015年に中央大学ビジネススクールにてMBA取得した上で2017年あけぼの診療所開業。新宿を拠点に、東京23区をほぼカバーする16km圏内を中心に訪問診療を行う。 医師としての成長は在宅医療の中にある ー開業前は循環器内科医としてご活躍だったとのこと。在宅に移行された経緯を教えていただけますでしょうか。 初期研修後に循環器内科に進み、総合病院でカテーテル治療などに従事していました。月5~6回の当直と10回程度のオンコールをこなす毎日です。そんな中、たまたま非常勤で在宅医療にかかわる機会があったんです。病院でも自宅でも、場所の違いを意識することなく、患者さんに対してできることを常に一生懸命考えることで、楽しんで在宅医療を始められました。循環器内科医として患者さんの予後予測をするというスキルの向上に加え、自分だったらその人生の時間をどのように使いたいかを考え、そのための医療を裁量をもって提供したいと考えた結果が自分で診療所を開設することでした。 在宅を学んだ診療所では在宅の患者さんたちを1日半ぐらい任せてもらったり、新規受け入れの電話対応をしたり。そういった仕事を通して、在宅なら患者さんとの距離が近く、安心して医療を受けてくれると感じました。また、工夫すればリソースが限られていても、病院ではなくとも医療は十分成立すると実感したんです。医師としての成長は、在宅医療の中にあるのではないかと感じ、在宅医療へ軸足を移しました。 私たちの医療は「病院診療からの発展形」 ー下山先生が目指す在宅医療についてお聞かせください。 在宅医療から1歩進んで、「医療を持ち運ぶ」「患者さんにとってよりわかりやすくする」ことを目指しています。数ある診療科の中の一つではなく、私たちの医療は病院診療からの発展形であるという認識です。 患者さんの予後を予測すると、そこまでの道のりで必要な医療や医療資材、人的資源などが見えてきます。そこで、ご本人の希望とどうすり合わせられるのか。在宅医療ではそれもケアの対象になります。 具体的にどういうことかというと、長年治療してきて、余命2ヵ月ほどの段階でおうちに帰ってきた患者さんがいらっしゃるとします。毎朝20錠ぐらい薬を飲んでいる場合、薬を一つひとつ見ていきます。10年後の病気発生率を下げるような薬が含まれていれば、「今必要なお薬だけ使えばいいですよ」と説明して減らしていきます。 こういった話を患者さんだけでなく、患者さんとかかわる訪問看護師さんはじめ医療者にも周知して、全員の納得を得てから先に進めています。非常に手間のかかることですが、チームで仕事をする上で重要なことです。 ーどのようなところにやりがいを感じていらっしゃいますか? 在宅医療の場合は最後の最後まで診なければいけません。患者さん・ご家族に信頼いただいて、「先生たちにお願いできてよかった。おかげでお母さん、お父さんをしっかり看取れた」と言っていただけることが私たちのやりがいになっていると思っています。 救急要請と変わらない早さでの医療提供 ー東京の在宅医療事情についてお聞かせください。 まず、細分化された多種多様な事業社さんたちが揃っているというところが特徴ではないでしょうか。 東京以外の訪問診療では直径32kmのエリア内に訪問看護ステーションも訪問ヘルパーステーションもない、ケアマネージャーさんも少なく、老人ホームもないことが珍しくありません。そういう場合、医療機関がワンストップでそれらをすべて揃えて運営していることが多いんです。 反対に東京はすでに全部揃っていますので、私たちは医療機関本体の事業に注力できます。そのぶん他の事業社さんたちとの濃密な連携が非常に重要になるため、私たちも丁寧に接することを心がけています。 ーあけぼの診療所は東京23区のほぼすべてが診療エリアだとうかがっています。都心ならではの事情や課題はありますか? よく患者さんから、「まわるのが大変なのでは?」「緊急のときすぐ来てもらえないのでは?」と言われますが、これらは誤解です。 まず、私たちは診療時に軽自動車などの小さい車両ではなく、ミニバンを使っています。走破性も優れていますし、スタッフも疲れにくい。さらに大量の物資を持っての移動が可能です。車内のバッテリーも充実しているので、輸血用の血液などを冷やしながら運べています。 ミニバンでの往診のようす そして、意外に思うかもしれませんが、緊急のとき医師に会えるまでの時間は、救急車を呼ぶ場合とあまり変わらないんです。今東京都で救急要請をした場合、病院到着までにかかる時間は50分ほど。さらに医師の診察を受けるまでに少し時間が必要なことをふまえると、自宅で救急要請をしてから医師に会えるまでの時間はおおよそ60分前後(東京消防庁『救急活動の現況 令和3年』より)。これは私たちが要請を受けて駆けつけるまでの時間とあまり変わりません。エリア内のどの場所から向かう場合でも同じことがいえます。 ー救急要請と変わりない時間で先生に診てもらえるというのは、在宅医療を選ぶ患者さんにとって大きな安心につながりますね。 そう思っていただけたらうれしいですね。信頼を築くため、往診の要請や「なんか調子が悪い…」といった連絡に対しても、必ず速やかにまめに対応するようにしています。結果として、想定外のタイミングでの往診依頼が減ることにもつながっています。 病院での輸血に比較して何ら劣らない ー先ほど輸血のお話がありました。「在宅医療では輸血が難しい」と思う方も多いと思いますが、あけぼの診療所はどんな方法で輸血をなさっているのですか? 通常の在宅輸血は、患者さんの家に行って点滴をつないで輸血を始め、最初の15~30分は医師がいて、その後、時間を合わせて来てもらった訪問看護師さんと交代。看護師さんが30分おきぐらいにチェックして、2~3時間かけて輸血をします。病院で行う輸血も同様のやり方です。 一方、当院の在宅輸血は、一般的な輸血より速いスピードで滴下しています。血小板なら15分、赤血球なら30分で落とします。というのも、3時間かけて輸血している病院でも、ICUや手術室では15分で落としているからです。当院では滴下の間医師と医療スタッフがずっと横について、何か問題が起きればすぐ対応します。 問題が起きる件数についても、輸血にかかわる合併症が起きる割合は4,000件に1件程度と言われています。当院では2017年の開院以来4,500件(2024年2月現在)の輸血を実施していますが、大きなトラブルは1件のみ。その1件も在宅でステロイドや酸素を使って乗り切っています。 この実績をふまえても、病院での輸血に比較して何ら劣るところはありません。工数や扱う人材など、コストはかかりますが、家だから輸血はできないという思い込みを減らし、一緒に挑戦していける診療所や病院を増やしていきたいものです。 広い視野で考え、患者さんに寄り添う医療を ー最後に、訪問看護師さんに向けて、メッセージをお願いいたします。 在宅医療の現場には、教科書に書いてある知識や病院の常識の外で工夫や応用が必要な場面がたくさんあります。そういうときにどんな工夫ができるか、マインドチェンジをしていくことが患者さんに寄り添うことにつながります。 必要な物品がない、あるいは保険算定上使えない物品があるような場合。今ある持ち物の中で、どうやって工夫してやっていくかの検討が必要になります。それから、患者さんの家の中に入れてもらうと、たくさんの情報を目にするでしょう。気にかかることがあったら、医療者としての立場にこだわり過ぎることなく、「これをすると患者さんは助かるのではないか」という意識をもって自発的に動いて、そのことを報告していただけるとうれしいですね。 そのためにも、私たち診療所も活発にコミュニケーションを取り合えるような関係でいたいと思います。患者さんのことを横でみて、よくわかっているのは他でもない看護師の皆さんです。 私自身いつも看護師さんには大切なことを教えてもらって診療に生かしています。患者さんの重要な局面に、看護師と医師がしっかりとした信頼関係で話ができる、伝えたことが伝わること、こういうことが患者さんにとって大きなメリットになります。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。 ※本記事は、2024年2月の取材時点の情報をもとに構成しています。 取材・執筆・編集:YOSCA医療・ヘルスケア

制度のはざまにいる人をサポート~包括的な支援を目指して~
制度のはざまにいる人をサポート~包括的な支援を目指して~
インタビュー
2024年4月16日
2024年4月16日

制度のはざまにいる人をサポート~包括的な支援を目指して~

栃木県下野市で「れもん在宅クリニック」開業し、訪問診療・往診に従事している吉住直子先生。医師として活躍する傍ら、地域食堂や子ども食堂の運営・学習支援なども精力的に行っており、そこからの学びも多いとおっしゃいます。医療にとどまらず、包括的に地域の方の人生をサポートすべく活動する想いや目指すことについてうかがいました。 >>前編はこちら介護ヘルパーから医師へ~地域医療への想いの源泉~ 吉住 直子(よしずみ・なおこ)先生れもん在宅クリニック 院長訪問看護ふらみんご 代表取締役1982年栃木県足利市生まれ。臨床検査技師、介護ヘルパーを経て群馬大学医学部医学科に編入。2014年同大卒業後、自治医科大学附属病院、JCHOうつのみや病院などを経て2022年れもん在宅クリニック開業。医師の仕事と並行して、2019年からは子ども食堂と学習支援を行う「任意団体おおるり会」を運営している。 少し医学に詳しい、いちメンバーとして ―ご自身のクリニックや、運営している訪問看護ステーションのスタッフとのコミュニケーションで、気をつけていらっしゃることはありますか。 臨床検査技師と介護ヘルパーの経験があるので、医師に報告やお願いをすることがどれほど気を遣って大変なことなのか分かっているつもりです。 例えば医師に電話したいと思っても、「外来中かな」とかいろいろ考えて気が引けてしまったり、事前に根回しが必要だったり。いざ電話をかけるときもすごく緊張しましたし、連絡して「忙しいから後にして」なんて言われると心が折れました。ですから、医師になった現在は、周りの人が自分に話をしやすい空気を作れるよう意識しています。 ほかの訪問看護ステーションの方とは掲示板で患者さんの情報共有をすることが多いので、まめに書き込んだりレスポンスしたりすることを心がけています。「この人には気軽に連絡していいんだな」と思ってもらいたいですね。 ―気軽に医師に相談できる環境というのは、訪問看護にかかわるすべての職種にとって本当に心強いものだと思います。 在宅・訪問医療において、私は自分を「ちょっと医学的なことに詳しい、いちメンバー」だと考えています。看護師さん、ケアマネさん、介護ヘルパーさん、デイサービスのスタッフさん、福祉用具業者さん、そのチームの中のひとりです。 医療福祉界のトップが医師というわけではありません。褥瘡のことは看護師さんの方が私よりずっと知識も経験もあって得意でしょうし、オムツを替えてくれる介護ヘルパーさんでないと気づかないこともあるかもしれない。ほかの職種のほうが知っていること・得意なことはあると思うので、「教えてほしい」というスタンスで仕事をしています。 ―先生が今後行っていきたいと考えていることはありますか? 地域医療や介護サービスにかかわるみなさんと、死生観や生きること・死ぬことについて勉強会などを通して一緒に考えて、思いを共有できるような機会が作れるといいなと思っています。 例えば、頸髄症で四肢の動きがあまり良くない独居の男性がいらっしゃるとして、ご本人は家で過ごすことを希望している。ただ転倒リスクは高いし、一人暮らしを継続するには毎日介護ヘルパーを入れる必要がある。こういった場合、私は本人の意思を尊重したいと思いますが、他者の視点から見ればそれが最適ではないこともあります。 絶対的な正解はないかもしれませんが、一緒にしっかりと考えていきたいですね。 子ども食堂でのハロウィンの様子。手前でジバニャンの仮装をしているのが吉住先生(写真を一部加工しています) 子ども食堂、学習支援での葛藤とよろこび ―吉住先生は、子ども食堂や学習支援にも取り組んでいらっしゃいます。活動を始めたきっかけを教えてください。 前編でお話ししたとおり、私が中学生のころ父は入退院を繰り返していました。同じころ妹も入院が必要になり、母は妹に付き添うことに。私が家に一人残らねばならないとなったとき、近所に住んでいた友人の家族が私を預かってくれたんです。 私自身が近所の人に助けてもらってきたので、今度は自分が地元に還元したい、困っている子どもがいたら助けたいと思って始めました。 ―活動されている中での気づきや葛藤などがあれば教えてください。 子ども食堂をやってみて知ったのは、本当にいろんな家庭があるということ。土地柄、金銭的にすごく困っている家庭は少ないのですが、シングル世帯でお母さんがあまり家におらず、お金には困っていないけれど愛情不足、とか。 本当に「どうにかしなければ」と思ったときは児童相談所に行ったこともありました。不登校の子どもや、道を踏み外しそうな子どもの相談にも乗っていましたが、子ども食堂でいくら話を聞いて、彼・彼女らの考えを尊重しても、結局子どもはそれぞれの家に帰っていく。そして、家では親の価値観の中で暮らすことになります。 私の意見と親の意見との間で揺れてしまうのではないか、私がかかわることでかえって子どもを惑わせているのではないかと悩むこともしばしばです。どこまで踏み込むべきなのか、今でもまだ迷っていますね。 ―食事の提供や勉強を教えること以外に行っていることはありますか? 将来の夢が見つかれば勉強するモチベーションになるかなと思い、「世の中にはこんな仕事があります」という仕事紹介の会をしたことがあります。電車の運転士さんとCAさんに来ていただいて、この仕事に就くためにはこんな勉強をした、こういう学校を出ればいい、仕事のこんなところが大変だった・面白かった、ということを話してもらいました。 海外出身の方に来ていただいて、その国の文化について話してもらって子どもたちの興味の幅を広げる勉強会もしましたね。 ―素敵な活動ですね。先生のところで支援を受けたお子さんたちはその後どのような道を歩んでいるのでしょうか。 学年最下位で、ギリギリで公立高校に入った、子ども食堂の利用者第一号の子が自衛官になりました。嬉しかったですね。 彼が初めて子ども食堂に来たのは中学3年生のとき。親は公立高校に入れたいと思っているけれど、本人は勉強嫌いで教科書を全部捨ててしまっている状態だったんです。アルファベットも書けなかったところから、一緒に問題集を買って勉強して、公立高校に合格できました。「将来は自衛官や警察官が向いているんじゃないの?」なんて話していたら本当に自衛官になったんです。 ―どういう部分で自衛官や警察官が向いているのではないかと思われたのですか? 「高校に受かりたいなら毎日来なよ、一緒に勉強しようよ」と言ったら、前の日にどんなにケンカをしても、毎日来ることだけは続けてくれたからでしょうか。言われたことをコツコツ守ることができたから、そういう仕事が向いているのではないかと思って。今も元気に社会人をやっていますよ。 吉住先生の誕生日に、スタッフから花束とメッセージのプレゼント グリーフケアの一環としての地域食堂 ―患者さんのご家族やご遺族を招く地域食堂にも取り組まれているそうですね。 子ども食堂や学習支援を始めたのが2019年、地域食堂は「れもん在宅クリニック」を開業して2年後の2024年1月から始めました。 訪問診療していた患者さんをお看取りした後、そのご家族が「もうこれで先生と会うのは最後なんですね。子ども食堂にボランティアを兼ねていってもいいですか」と言ってくださることが何度かあったんです。 子ども食堂は、子どもたちがワイワイご飯を食べて学習もしている場所。ご遺族に来ていただいてもうまく交わらないのではないかと感じ、子ども食堂とは別に地域食堂を始めることにしました。地域食堂は、グリーフケアの一環という位置付けです。クリニックに関係するご家族を中心に、ときには患者さんご本人も呼んでざっくばらんな話をしています。 実際に始めてみたら、すごく学びがありました。印象的だったのは、医師の夫と看護師の妻というご夫婦で、長い闘病の末に夫を看取った奥様。「夫を亡くした後、初めて自分から外に出ようと思ったのがこの地域食堂だった。私は毎日泣いて過ごしていて、同じように夫を亡くして気持ちの整理がつかない人の話を聞いてみたいと思った」と話してくれたんです。 彼女が思いを表出する機会を作れてよかったと思いましたし、医療従事者であっても、一番身近なご家族を失うことは、大変つらいこと。ご家族に医療従事者がいらっしゃると安心してしまいがちだったのですが、ご家族を看取るのに医療従事者であるかどうかは関係ないのだと学びましたね。 「制度のはざま」にいる人たちへのサポート ―今後の展望についてお聞かせください。 宿泊できる施設を作りたいと思っています。在宅に切り替えたものの自宅でのケアが思ったより大変だと感じているご家族、お看取りのときに看護師も医師もいないのは心細い方、ペットと離れたくないから病院には戻りたくない方などが、必要なときに泊まれる施設です。病院でも家でもない、在宅医療を続けたい方のための宿泊施設ですね。 そういった施設があれば、一般的には保護が行き届かない方もサポートできると考えています。例えば独居で気ままに暮らしている高齢者で、介護保険の申請もしておらず、病気ではないので入院適応もないけれど動けなくなった、ショートステイ施設にも行けない、というような方も保護できます。 制度のはざまで困っている人たちを取りこぼさずに、支えていきたいと思っています。 ※本記事は、2024年1月の取材時点の情報をもとに構成しています。 取材・執筆・編集:YOSCA医療・ヘルスケア

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