家族看護に関する記事

渡辺式家族アセスメント 関係性検討と援助の方向性【セミナーレポート後編】
渡辺式家族アセスメント 関係性検討と援助の方向性【セミナーレポート後編】
特集 会員限定
2025年5月20日
2025年5月20日

渡辺式家族アセスメント 関係性検討と援助の方向性【セミナーレポート後編】

NsPace(ナースペース)のオンラインセミナー「家族看護~渡辺式家族アセスメント/支援モデル 導入編~」(2025年2月21日開催)のテーマは、家族看護に活用したい「渡辺式家族アセスメント/支援モデル」(以下、渡辺式)。開発者の渡辺裕子さんをお招きし、その活用方法を詳しく教えていただきました。セミナーレポート後編では、渡辺式全5ステップのうち3〜5と、検討にあたって意識したいポイントをご紹介します。 ※約90分間のセミナーから、NsPace(ナースペース)がとくに注目してほしいポイントをピックアップしてお伝えします。 >>前編はこちら家族看護 「渡辺式」とは? 場面と登場人物の整理【セミナーレポート前編】>>関連記事「家族看護」シリーズ一覧 【講師】渡辺 裕子さんNPO法人日本家族関係・人間関係サポート協会 理事長/「渡辺式」家族看護研究会 副代表千葉大学大学院 看護研究科を修了後、市町村保健師として勤務。その後「家族看護研究所」「家族ケア研究所」を立ち上げ、2022年から現職。患者とその家族、職場の人間関係に悩む看護職を長年サポートしている。 ステップ3:対象者と援助者の関係性を検討する 対象者と援助者の関係性を検討します。本事例では、以下のような悪循環が生まれていることが見えてきました。 長女と母親長女は母親に対して苛立ちをぶつけ、甘える。しかし、母親に受け流されるため、さらにぶつける。母親は余計にしんどくなってまた受け流す。長女と訪問看護師長女は訪問看護師の前で両親を怒鳴ることで、不満を訴えている。訪問看護師は対処法がわからず、訴えを聞き流す。長女はますます強く訴える。母親と訪問看護師訪問看護師は母親を心配して気遣うが、母親は取り繕い、ますます気になる。 ステップ4:力関係と両者の心の距離感を検討する ステップ4では、ステップ3で整理した関係性をさらに細かく見ていきます。具体的には、「パワーバランス」の検討、相手との間に本来必要なパートナーシップを構築できているかを考えましょう。なお、「本来必要なパートナーシップ」とは、以下の条件を満たすものです。 パートナーシップの条件1. 利用者さんとご家族、援助者が対等である2. お互いの専門性を尊重し、相手に足りないものを交換し合う(訪問看護師は看護の、ご本人やご家族は「利用者さんの人生」の専門家)3. 望ましい心理的距離を保てている4. 目標を常に共有する5. 援助者はできる限りのサポートを提供し、利用者さんやご家族に力を発揮してもらい、協働する 本事例では、長女の訴えのパワーが適正範囲(ベースライン)を超えています。一方の訪問看護師は「あまり関わりたくない」という思いもあり、パワーが低い状態です。 また心理的距離についても、長女はバウンダリー(心の境界線)を超えて訪問看護師のほうに近寄っており、訪問看護師はやや逃げ腰です。 ステップ5:アセスメントをもとに、支援方策を考える ステップ5では、ここまでのアセスメントをもとに、「5つの柱」を意識しながら支援方策を立てます。 援助の方向性5つの柱1. 悪循環を是正する2. パワーバランスや心理的距離の乱れを是正する3. 背景の中で変えられるものにアプローチする4. ストレングスに働きかける5. 課題を共有し、今後の方向性を話し合う 「悪循環の是正」の観点では、聞き流される度に長女の訴えがエスカレートする状況を変えなければなりません。 「パワーバランスや心理的距離の乱れを是正する」という観点では、長女のパワーを下げて訪問看護師のパワーを上げること。つまり適正なバウンダリーを守り、よい距離感をキープすることを目指す必要があるでしょう。 「背景の中で変えられるものにアプローチする」では、ステップ2で整理した背景から、すぐに変えられそうな要素に焦点を当ててアプローチします。ポイントは、チームで取り組むこと。チームで考えれば「声のかけ方がわからない」という悩みは早期に解決できるかもしれません。また、「家族の問題にどこまで関わるべきかわからない」という悩みについても、組織としての判断を検討すると、自身の後ろに支えがあることを実感でき、訪問看護師のパワーの向上につながるはずです。 「ストレングスに働きかける」のは、家族看護において必須。問題ばかりを見ず、どの家族にもある強みに目を向けましょう。 最後の「課題を共有し、今後の方向性を話し合う」では、Aさんの介護をどうしていきたいかを、対象人物みんなで改めて考える必要があります。 具体的な支援方法の案 上記をふまえると、以下のような支援方法が考えられます。 支援方法1長女の背景に焦点を当てて気持ちを想像し、更年期障害の可能性も検討しながら、訴えを受け止める。長女の困りごとを一緒に考える姿勢をもつ。[理由/目的]・悪循環が是正され、心理的距離も少しずつ変化するはず。・長女への理解が深まることで、「援助者を困らせる人」ではなく「困っている人」なのだというリフレーミングが起こる。支援方法2カンファレンスで情報を共有の上、介入の必要性の有無を検討し、チームとして意思決定する。[理由/目的]・訪問看護師のパワーが上がる。支援方法3対象人物の訪問看護師には同行訪問の機会を設け、同僚の対応を見られるようにする。また、長女にかける言葉はチームで検討する。[理由/目的]・訪問看護師の背景に働きかける。支援方法4訪問スケジュールに余裕をもたせる。[理由/目的]・「中途半端な関わりになることへの不安」の解消を目指す。支援方法5長女、母親、訪問看護師で介護の体制について再度話し合う。[理由/目的]・母親にも長女にも過剰な負担がかからない体制をつくる。 このように、分析結果をひとつの仮説として捉え、支援方策を考え実施します。その後、その結果を評価し、さらなるアセスメントを繰り返すことで、支援の質を向上させていきます。 シート作成のポイント 人間関係見える化シート(R)の目的は、完璧に埋めることではなく、支援の糸口を探すことにあります。具体的な支援方法をなかなか見出せない事例もあるかと思いますが、理解が深まるだけでも、援助者の関わり方や対応が変わることもあるでしょう。 なお、このシートは、「誰が悪いか」を決めるものではありません。対象人物の言動の理由や根拠を認め、悪循環を見つけることで、現状を正しく理解しましょう。それができれば、中立性を保持できます。 * * * 渡辺式家族アセスメント/支援モデルは、利用者さん・ご家族への支援を構造的に捉え直す手がかりとなります。家族看護に悩んだ際は、ぜひ渡辺式を使い、現状を俯瞰した上で具体的な方策を考えてみてください。また、人間関係見える化シート(R)を職場内で共有し、共通の視点や枠組み、言葉で語り合える仲間を増やすのも重要なポイントです。本稿が、利用者さんやご家族との関わりにおける課題の整理や問題解決を考える上で少しでもお役に立てれば幸いです。 執筆・編集:YOSCA医療・ヘルスケア

家族看護 「渡辺式」とは? 場面と登場人物の整理【セミナーレポート前編】
家族看護 「渡辺式」とは? 場面と登場人物の整理【セミナーレポート前編】
特集 会員限定
2025年5月13日
2025年5月13日

家族看護 「渡辺式」とは? 場面と登場人物の整理【セミナーレポート前編】

2025年2月21日、NsPace(ナースペース)はオンラインセミナー「家族看護~渡辺式家族アセスメント/支援モデル 導入編~」を開催。家族看護に役立つ「渡辺式家族アセスメント/支援モデル」(以下「渡辺式」)について、開発者である渡辺裕子さんが、具体的な事例を挙げながら教えてくださいました。セミナーレポート前編では、渡辺式の基礎知識と、全5ステップのうち1~2をまとめます。 ※約90分間のセミナーから、NsPace(ナースペース)がとくに注目してほしいポイントをピックアップしてお伝えします。 【講師】渡辺 裕子さんNPO法人日本家族関係・人間関係サポート協会 理事長/「渡辺式」家族看護研究会 副代表千葉大学大学院 看護研究科を修了後、市町村保健師として勤務。その後「家族看護研究所」「家族ケア研究所」を立ち上げ、2022年から現職。患者とその家族、職場の人間関係に悩む看護職を長年サポートしている。 渡辺式家族アセスメント/支援モデルとは 渡辺式は、訪問看護師をはじめとした援助者が利用者さんとそのご家族との関わりに悩んだ際に、「ことの全容」を明らかにし、援助の方向性を導き出すための思考過程です。 渡辺式の3つの特徴 援助に行き詰まりを感じた場面や時期を特定した分析ツールある程度の期間支援を継続している中で、悩みや気持ちのモヤモヤが発生した際に有効な「渡辺式シート」。局面を特定して理解を深める。 援助者自身をも分析対象とする悩みは相手と援助者との関係の中で起こるため、援助者自身の思いや行動も分析対象とする。 個々の理解から関係性へと視点を拡げるツール複数の人を対象としている。分析対象人物を個々に掘り下げた先に、人間関係が見えてくる。 「渡辺式シート」とは 渡辺式家族アセスメント/支援モデルでは、支援を考えるときの思考の流れを整理できるように、「渡辺式シート」※というツールがあります。このシートは、次の3つのパートで構成されています。※NPO法人 日本家族関係・人間関係サポート協会のウェブサイトより「渡辺式シート」のダウンロードが可能です。 ● I:事例情報シート● II:人間関係見える化シート(R)● III:支援方策・実施・評価シート なかでも「Ⅱ:人間関係見える化シート(R)」は、ご家族の関係性を整理しながら、どこに支援の手がかりがあるかを見つけていくのに役立ちます。複雑な背景があるケースでも、整理して考えられるようになります。援助者が利用者さんやご家族に日頃から寄り添い、理解を深めても、自身を含めた人間関係の全容把握は難しいもの。このシートを使って全体を俯瞰していきます。 なお、人間関係見える化シート(R)は、チームメンバーで思考過程を共有する際に使うことを想定してつくりました。事例検討会やカンファレンスでぜひご活用ください。 >>関連記事家族看護とは何か、看護職に求められることは【総論 前編】家族看護 渡辺式家族アセスメント/支援モデルとは【総論 後編】 事例紹介「Aさん(80代前半/男性)の家族看護」 人間関係見える化シート(R)の内容は、以下の5ステップに分かれています。Aさんの家族看護事例1)を使って説明していきましょう。 Aさん(80代前半の男性)主病名・既往歴脳梗塞(7年前に発症)、肺気腫生活歴30代後半から飲食店を経営。脳梗塞の発症をきっかけに、70代半ばで店を引退。日常生活自立度要介護4。胃ろうを造設しており、車いす生活。排泄はおむつを使用。自発語は出にくいが意思疎通は可能。Aさんの家族妻:70代。明るく社交的な性格。介護の実働を担う。長女:50代。Aさんの店を長年手伝い、経営の管理を担当。結婚歴はなし。介護に関する諸手続きや対外的な対応、サービスの決定を担う。肩の痛みを訴えている。長男:別居。年に数回帰省するのみで、介護にはノータッチ。 対応に困難をきたしたできごと 本事例における訪問看護師の困りごとは、長女の言動です。AさんのADLが低下して介護量が増加したことに伴い、訪問看護師の前で両親に罵声を浴びせるようになりました。 長女から母親へ「ややこしいことを私に押しつけて、お母さんは自分勝手! こんな人生になると思わなかった」と、体の不調や自分が思うように生きられないのは「家の犠牲」になったせいだと主張。長女からAさんへ「親を介護する娘は早死にするんだって。私はお父さんより先に逝くかもしれない」と発言。 訪問看護師はこうした言動が目に余ると感じながらも、声の大きな長女に苦手意識があり、圧倒されていました。また、訪問時間が限られていることもあり、中途半端に関わって火に油を注ぐことにならないかと懸念もしています。 本事例でどのように渡辺式を活用するか、具体的に見ていきましょう。 ステップ1:検討場面の明確化 基本的には事例提供者ファーストで判断するので、訪問した看護師の希望に沿って、今回は「長女が母親を怒鳴る場面」とします。 次に「対象人物(誰に焦点を当てるか)」を整理。この場面では訪問看護師と長女、母親になるので、以下のようにシートに記入します。 ステップ2:対象者と援助者の言い分を明らかにする 「困りごと」「対処」「背景」の3つを整理しましょう。人の行動の裏には必ず理由があるため、対象人物の皮膚の内側に入ったような気持ちで考えてください。 長女困りごと自分でもコントロールできない苛立ち対処両親に暴言を吐いて気持ちをぶつける背景 ・人生に対する不満足感 ・やりがいの喪失 ・将来への不安 ・兄弟間で感じる理不尽 ・Aさんの現状への悲しみと苛立ち ・両親への甘え ・ストレス発散の機会がない ・更年期のホルモンの乱れ 母親困りごと娘から怒鳴られ、暴言を吐かれる対処聞こえないふりをして無言を貫く背景 ・言い返さないほうがよいという経験からの判断 ・長女の勢いに圧倒され、対応方法がわからない ・介護の疲れ ・ことを荒立てたくない気持ち ・自分さえ我慢すればよいという判断 ・長女に負担をかけていることへの親としての負い目 訪問看護師困りごと訪問中に長女が両親に暴言を吐く対処ケアに集中して聞こえないふりをする背景 ・長女への苦手意識 ・どう声をかけるべきかわからない ・長女の苛立ちを受け止める自信がない ・中途半端な関わりになることへの不安 ・家族の問題にどこまで関わるべきかわからない ・できれば面倒なことに関わりたくない気持ち こうして推察すると、対象人物の言動の意味や物語を理解しやすくなります。上記は仮説ですが、それが支援の第一歩になるのです。 次回は、前編に引き続き、渡辺式全5ステップのうちステップ3〜5を取り上げます。援助者と利用者さん・ご家族との関係性や、それぞれの力関係・心理的距離について具体的に検討しながら、支援を進める上で意識したいポイントを解説します。 >>後編はこちら渡辺式家族アセスメント 関係性の整理と援助の方向性【セミナーレポート後編】>>関連記事「家族看護」シリーズ一覧 執筆・編集:YOSCA医療・ヘルスケア 【引用】(1)渡辺 裕子監修(著),中村 順子,本田 彰子ほか(編)「家族看護を基盤とした地域・在宅看護論 第6版」東京,日本看護協会出版会,2022,P110-119,

大賞エピソード漫画化!「お母さん~看護の襷をつなぐということ~」第1話【つたえたい訪問看護の話】
大賞エピソード漫画化!「お母さん~看護の襷をつなぐということ~」第1話【つたえたい訪問看護の話】
特集
2025年4月30日
2025年4月30日

大賞エピソード漫画化!「お母さん~看護の襷をつなぐということ~」第1話【つたえたい訪問看護の話】

NsPaceの特別イベント「第3回 みんなの訪問看護アワード」で募集した「つたえたい訪問看護の話」。大賞を受賞したのは、株式会社ウッディ 訪問看護ステーションはーと(東京都)の木戸 恵子さんの投稿エピソード、「お母さん~看護の襷をつなぐということ~」です。 本エピソードを『ナースのチカラ ~私たちにできること 訪問看護物語~』著者の広田 奈都美先生に、漫画にしていただきました。ぜひご覧ください! >>全受賞エピソードはこちらつたえたい訪問看護の話 受賞エピソード発表!大賞・審査員特別賞・ホープ賞・協賛企業賞【2025】つたえたい訪問看護の話 受賞エピソード発表!入賞【2025】 続く。第2話は、約2ヵ月後に公開予定です。 漫画:広田 奈都美(ひろた なつみ)漫画家/看護師。静岡県出身。1990年にデビューし、『私は戦う女。そして詩人そして伝道師』(集英社)、『ナースのチカラ ~私たちにできること 訪問看護物語~』『おうちで死にたい~自然で穏やかな最後の日々~』(秋田書店)など作品多数。>>『ナースのチカラ』の試し読みはこちら【漫画試し読み】『ナースのチカラ』第1巻1話(その1)投稿者: 木戸 恵子(きど けいこ)さん株式会社ウッディ 訪問看護ステーションはーと(東京都) >>「第3回 みんなの訪問看護アワード」特設ページ [no_toc]

つたえたい訪問看護の話 受賞エピソード発表!入賞【2025】
つたえたい訪問看護の話 受賞エピソード発表!入賞【2025】
特集
2025年3月11日
2025年3月11日

つたえたい訪問看護の話 受賞エピソード発表!入賞【2025】

NsPaceの特別イベント「第3回 みんなの訪問看護アワード」で募集した「つたえたい訪問看護の話」。厳正な審査を経て、受賞作品が決定しました。本記事では、入賞エピソード16件をご紹介します! 大賞・審査員特別賞・ホープ賞・協賛企業賞はこちらつたえたい訪問看護の話 受賞エピソード発表!大賞・審査員特別賞・ホープ賞・協賛企業賞【2025】 「看護の灯」 投稿者: 饗庭 康太朗(あいば こうたろう) さん TSUKASA訪問看護ステーション(神奈川県) 玄関のチャイムは壊れている。引き戸を開けると目前に階段が現れ、埃が掃除しきれない階段を、スリッパの形についた足跡を辿り2階にあがる。そこらかしこに積み上げられた本がFさんの人生を物語る。ながらく編集者として活躍されたのち、様々な会社の社史を担当したFさん。決して人付き合いが上手い人ではなく、遠方に住む娘さんとの関係性も良好とは言い難かったが、ウィットにとんだ会話と、なんとも言えない浮世離れした雰囲気は地域の皆に好かれていた。肺がんが末期となり、Fさんの療養生活を少しでも快適にしようとN看護師は根気よく取り組んでいた。生活に寄り添うN看護師のナーシングは親子のわだかまりも少しずつ解いていった。Fさんが亡くなったあとの娘さんからの手紙にはこうかかれていた。「最後に父にあった日、アパートの門灯をつけておいてくださったのはNさんかと思います。あの暖かい灯を一生忘れません。」スイッチひとつの気遣いだ。そこには確かに看護の技がひかっていた。 2025年1月投稿 「訪問看護の『正解』とは」 投稿者: 有川 美紀(ありかわ みき) さん 八幡医師会訪問看護ステーション(福岡県) Nさんと奥様との出会いは今から1年前になります。その数か月前にALSと診断を受けられ、初めて会った時はすでに多くの介助が必要な状態でした。進行は早く、当初より「人工呼吸器は絶対につけない」と強い意志をお持ちでした。元々大きな会社の管理職をされていたこともあってか、弱音を吐くことなくいつも毅然としておられ、スタッフを笑わせてくれていました。しかし、リハビリに対しては前向きになれず、ベッド上での生活となっており、ALSという病気を受け入れることができていない様子がうかがえていました。そんな時訪問診療の先生より「ALS患者家族の交流会」のお知らせがありました。やはり「絶対に行かない」とのことでしたが、スタッフでどうしたら参加できるのか話し合いを重ねました。不安に対して一つ一つ解決策を考え、参加したいという奥様のお気持ちを伝え何とか説得することができました。当日会場で「妻に迷惑だけはかけたくない。これから恩返しをしようと思っていた時だったのに」と心の内を明かされ涙されました。先日Nさんは肺炎を起こし永眠されました。奥様から「あなた達に出会えて本当に良かった。主人はとっても幸せだったと思う」と言われました。訪問看護では、正解が分からず本当にこの関わりで良かったのかと考えることが多々あります。しかし奥様のこの言葉で「よし!また頑張ろう!」と元気と勇気をいただきました。 2025年1月投稿 「訪問看護の魅力を伝えてくださったお嫁さん」 投稿者: 五十嵐 いずみ(いがらし いずみ) さん リハビリこんぱす訪問看護ステーション(埼玉県) 先日、ある病院の地域懇談会に出席しました。終了後、ほかの事業所の訪問看護師に声をかけられました。見覚えがなく、「誰だったかしら」と思っていると、「おばあちゃんがお世話になっていました」と。なんと、私が訪問看護1年目(20年以上前)に担当していた方のお孫さんでした。「母が、『訪問看護はいい仕事よ。私は訪問看護さんに救われたの』と、私に訪問看護を勧めてくれたんです」と。その利用者は認知症があり、苦悩する介護者のお嫁さんに3年間伴走したのです。聞くと、お母様は昨年亡くなったとのこと。私が提供した訪問看護が、介護者の心に残って、娘に訪問看護の魅力を伝えてくれたことは、驚きでした。が、とてもうれしくて、温かい気持ちになりました。 2025年1月投稿 「とびきりの薬になった花見」 投稿者: 植村 優衣(うえむら ゆい) さん 訪問看護ステーションハートフリーやすらぎ(大阪府) 新卒から訪問看護師になり、夜間待機を始めた頃、明け方4時に電話がなった。Aさんから息苦しさの訴えで臨時訪問の依頼だった。その時の私はとにかく緊張と不安でいっぱいだった。というのも、Aさんは、契約はしていたが、初回訪問は緊急電話があった日の夕方だったため、何も情報がわからなかった。真っ暗の中、地図を頼りに家を探すところから始まった。なんとかたどり着くと、不安で申し訳なさそうなAさんの家族が迎えてくれた。肺炎を起こしていたため、連日の抗生剤治療が始まったが、軽快する様子がなかった。その時、家族から、Aさんは広島出身で原爆を経験し辛い経験が多かったから、「少しでも今を幸せな時間にしたい。桜を見せに行きたい」と相談があった。主治医からは、現状では外出は控えてと言われたが、何度も相談をし、外出許可をもらった。すぐに、ケアマネに、リクライニング車椅子を手配してもらい、「当日はカメラマンとして同行する」と協力してもらった。理学療法士に相談すると、「出発前に呼吸リハを行って呼吸状態を整えよう。移動は男手がいるから一緒に行くよ」と話してくれた。とんとん拍子で話がまとまり、無事に花見を迎えられた。その後、驚くことにAさんの肺炎は軽快し、花見がとびきりの薬になっていた。今でも家族と会うと、「桜を見に行けて良かった」と話してくれる。ドキドキから始まった出会いだったが、ホッと心温まる看護を行えた経験である。 2025年1月投稿 「五臓六腑に染み渡る」 投稿者: 大日向 麻子(おおひなた まこ) さん 訪問看護ステーションリカバリー 東村山事務所(東京都) 「食べられない。これがどんなに辛いことか、わかるか?」心臓を掴まれた気がした。初めて会った日に交わした最初の会話。咽頭癌末期、胃瘻造設し経口摂取禁止の指示で帰宅されたSさん。「悔しい」と歯を食い縛るSさんを、家族が宥める。私が関われるのはほんの少しの時間、ご家族はここから毎日どんな思いでこのやりとりをすることになるだろう。ある日の訪問、Sさんが「あんた、好きな物あるか」と呟いた。「うーん、悩みますね。でも、特別美味しいと思うのは愛がこもった料理ですよね」と伝えると「だよなぁ」とにやり。初めて笑った!と感動したと同時に、「愛のこもった料理」に対して笑顔を見せてくれたということは…。「もしかして、奥様の料理が一番の食べたいものですか?」しばらくの沈黙があり、「そうだな」と話すSさんに、ミキサー状にすれば奥様のお料理も注入できることをお伝えすると、すぐに実践。「おまえのご飯が、食べたかったんだ。これが本当の五臓六腑に染み渡るだな」プロポーズ以来の素直な言葉に奥様は笑い泣き。その後、奥様は手作りご飯をよく作るようになり、Sさんは来る人来る人に「これ愛妻ごはんなんだよ」と私たちにも笑顔をくれた。食べることは、生きること。その人にとっての「食べたいもの」は、もしかすると味や風味より、大事なものがあるのかもしれない。Sさんが教えてくれた、大切な学びです。 2025年1月投稿 「パティシエナースが未来を笑顔にする。」 投稿者: 佐藤 律子(さとう りつこ) さん 訪問看護・リハビリステーション 在宅看護センター北九州(福岡県) 「僕の誕生日にケーキ作りがしたい」とその子はそっと話してくれた。特別支援学校へ通うH君17歳の誕生日は来週だった。平日は学校併設の寮に入り週末だけ自宅に帰る生活を送る。多動性障害、知的障害があり社会との関わり方や人間関係、性教育等の支援を訪問看護で行っていた。父子家庭であり父親と祖母との生活の中、H君がケーキを作りたい理由は、今までの父親、祖母への「感謝」を形にしたいからだと教えてくれた。誕生日当日は、真っ白のスポンジケーキの土台に家族の大好きな苺とマスカットやチョコレート、生クリームのトッピングを準備しH君は一生懸命ケーキを作った。もともと工芸や絵の得意なH君は、とても綺麗にそして鮮やかに一つ一つを丁寧に仕上げて完成。完成したケーキを持ち「大好きなお父さん、おばあちゃん。いつもありがとう。」と感謝の言葉を伝えることが出来た。父親と祖母は大変驚き、感動し涙を流して喜ばれた。その後の3人で最高の笑顔でケーキを食べている姿は忘れる事が出来ない。私は、看護師になる前15年間パティシエとして働いた後に看護師へ転職。今回、看護師とパティシエをコラボさせて自立支援の一環とし支援する事で、利用者のみではなく利用者家族の幸せも感じることが出来た。また、私自身も今まで培った知識や技術が活かされただけではなく、これからはパティシエと看護師を組み合わせて多くの笑顔を引き出せるパティシエナースになると強く思う。 2025年1月投稿 「おとうさんの、宝物。」 投稿者: 篠原 真菜美(しのはら まなみ) さん 正峰会訪問看護ステーション(兵庫県) ALSを患った70代女性の利用者さん。ご主人と2人暮らしです。少しずつ病状が進み、身体を思うように動かすこと、話すことが難しくなり、吸引などの処置が増えていきました。ずっと側にいていつも支えてくれているご主人に、普段言えない感謝の気持ちを、Sさんの今できる力を使ってお手紙にしてみたらどうだろうか、と先輩看護師の言葉を受け、Sさんに提案してみました。上手く文字が書けるかどうか不安がありつつも、「書く」と言われたSさん。病状の進行に伴い、車椅子にしっかり座っていることや、マジックペンを持つことも大変ですが、ぎゅっと握りしめ、一生懸命に想いを文字に乗せ、画用紙いっぱいに書き綴られました。ご主人が定期的に歯科受診で外出される時間に書く機会を一緒に作り、密かに少しずつ書きすすめられました。そして遂に、ご主人・家族への想いがたくさん詰まったお手紙が完成しました。そこには沢山の感謝と、"おとうさん 大すきですよ"の言葉がありました。家族が集合し、お手紙を渡した次の日の朝、Sさんは、眠るように息を引き取られました。「大すきだなんて…初めて言われたわ!これは、わしの、たからもんや!!」と、ご主人は涙を流しながらも、笑顔でそう言われました。 2025年1月投稿 「司令塔が遺したもの」 投稿者: 立川 尚子(たちかわ なおこ) さん 共立女子大学 看護学部(東京都) Aさんが奥さんを看取った後の某日、グリーフケアへうかがった。山積みになったアルバムを広げ、結婚式からエピソードを語るAさんの笑顔からは、訪問看護が入った当初の憤慨や困惑を思い出せないくらいだった。「あいつが最期に俺に遺してくれたのはさ、生活する力だね」家族の指令塔だった奥さんの余命宣告は、昭和生まれの男の人生へ大きな混乱をもたらしたけれど看取りまでの在宅生活では、二人で喧嘩しながら料理や洗濯ができるようになった。整理整頓された居間の奥から、奥さんの声が聞こえてほしい。「良くやってるじゃん」って。 2024年12月投稿 「1ヶ月の奇跡」 投稿者: 西田 歩惟(にしだ あい) さん 香住ヶ丘リハビリ訪問看護ステーション(福岡県) 「家に帰りたいけど家族には迷惑かけられない」「連れて帰りたいけど病院にいる方が安心」病棟で働いていた時に、よく耳にした。その方とその家族の力になりたいと思い、私は訪問看護に進んだ。Iさんは終末期癌。独居、家族は遠方にお姉さんが一人。カニューレや点滴管理、清潔支援で1日3回の訪問。最期は家で過ごすと決めていたIさん。在宅生活が厳しくなり、医師が入院を勧めたが頑なに断り、看護師がお姉さんに来てもらうように声をかけた。Iさんは頷いたが「私達姉妹には確執がある」と表情を強張らせた。お姉さんも同じ言葉を口にされ、入院させるべきか、妹の意思を尊重するべきか、煮え切らない気持ちで過ごされていた。スタッフ皆が処置やケアの合間で時間を設け、寄り添いながら関わった。ある日私が訪問すると、お姉さんは涙ながらに「妹の意思を貫くって決めた」と言った。全力でサポートします!と伝えると、笑顔で頷かれた。その2日後、Iさんは穏やかな表情で永眠され、優しい眼差しで見送るお姉さんの姿があった。あれから3年。お姉さんより『皆様に勇気を戴いた』『在宅で過ごした時間は奇跡のよう』と、今も感謝の言葉が届く。Iさんが望んだ家で、お姉さんと共に生きたこと。訪問看護師の存在が、最期まで在宅で過ごす架け橋になったこと。私の初心を照らしてくれる大切な経験となった。 2025年1月投稿 「家族写真」 投稿者: 原田 三樹子(はらだ みきこ) さん 青山訪問看護ステーション(愛知県) 「看護師さんが来てくれると嬉しくて安心するよ」と毎回涙目で迎えてくれるAさん。ほとんど口から食べることもできなくなり、点滴が命綱の胃がん末期の70歳男性。とても笑顔が素敵だ。奥さんのことを○○ちゃんと呼ぶほど仲良し。ある訪問で「本当は家族写真を撮りに写真館に行きたいんだ。自分の目標にしたいんだ」と教えてくれた。「でも点滴があるからいけないよね」点滴スタンドにセットしバックに入れて持ち運べることを提案すると「わー行かれる。手伝ってくれる?」と。当日、奥さんはすでにきれいな着物を着ており、Aさんは素敵なスーツに着替える。点滴をスタンドにセットし目立たないような色の紙袋に入れ、送り出す。後日「記念に紙袋も撮ってもらったよ」と笑いながら言っていた。写真の中のAさんは家族に囲まれ、とびきりの笑顔だった。そこから芋ほり、孫の誕生日会、自分の誕生日と、どんどん目標を更新していった。ただ、最後の目標である自分の誕生日には二日届かず、亡くなってしまった。お参りに伺うと、あの時撮った写真が遺影になっていた。同じように笑顔で家族を見守っている。 2025年1月投稿 「桜の約束」 投稿者: 古川 莉沙(ふるかわ りさ) さん ヒーリングケア訪問看護ステーションみなと(大阪府) 90代男性Sさん。訪問介入当初は、声をかけても開眼する事なく無表情で寝たきり状態でした。半年前に桜を見に外に行ったのが最後だと息子さんがお話しされていて「来年も桜一緒に見に行きましょうね!」と言っても「行かん。もうやり残した事ない。死ぬだけ」と断固拒否でした。日々介入していく中で、少しずつではありましたが目を開けてくれるようになり、帰る時には「ありがとう」と言ってくれるようになりました。そのたった一言だけでも最初は嬉しくて感動していました。秋になり、紅葉が綺麗ですよとお話しすると、「紅葉を見に行きたい」と言ってくれて、大きすぎる進歩だと思いました。ケアマネージャーさんやヘルパーさんにも相談して、身体がしんどくない時に車椅子で紅葉を見に行けるよう調整していましたが…なかなか行けず。でもどうにかして秋を感じて欲しい…と考えに考えているうちに私はひらめきました。"紅葉を持っていけばいいんだ"と。綺麗に咲いていた紅葉を2枚持って行くと、涙を浮かべながら「ありがとう、姉ちゃん…」と言ってくれていつでも見えるところに飾ってくれました。そして、来年一緒に桜を見る約束が出来ました。看護師として体調管理はもちろんですが、それだけではなく、少しでも利用者さんの生きる活力になれるような、「まだ元気で過ごしたい」そう思ってもらえるような関わりをしていきたいです。 2025年1月投稿 「私たちの足跡は残さない」 投稿者: 松橋 久恵(まつはし ひさえ) さん 訪問看護ステーションそら(東京都) ある女性との出会いです。がんの症状が出現したため訪問看護が始まり、症状緩和、生活の工夫、家族支援を模索しながら訪問していました。女性は薬の管理が負担だったので、薬カレンダーを使おうと思いました。しかし部屋は子供の写真や絵が一杯で、薬カレンダーは相応しくありません。そこで薬をファイルにセットして本棚に入れました。女性は子供が学校にいる時間に訪問を希望しました。私は訪問の形跡を残さないよう努めました。女性はよく家族への思いを話し、「手紙を残したい」とも話していました。字を書くことが難しくなりそうなときに手紙について尋ねると「なんとなく書けない」とのことで、私が聞いてきた話を文章にする承諾をもらいました。それから数日後に家族に見守られながら息を引き取り、家族に文章を渡しました。病気が進行しても、いつもの暮らしを維持することを考え、希望を叶える手伝いをすることが大事だと教えてもらった出会いでした。 2025年1月投稿 「最後の約束」 投稿者: 松元 春華(まつもと はるか) さん 楽らくサポートセンター レスピケアナース(福岡県) 往診医の要請を受け、夜間の呼吸状態急変に対して緊急訪問した時のことです。終末期にある女性の利用者さんで、苦痛を緩和するため、鎮静剤の投与を検討されていた時期でした。到着した時は、既に朦朧とした意識の中で一生懸命呼吸する彼女を、大学を休んでお母さんに会いに来ていた息子さんとご主人が、心配そうに気遣っているところでした。往診医が到着し、ご家族と相談して鎮静剤の投与が決定したその時です。息子さんが「ちょっとだけ待ってください!」と、席を外されました。そして次に現れた時、息子さんはスクラブを着て、首から聴診器を下げた、“医者”の姿をしていたのです。県外の医大に通っていた息子さんは、彼女の前に立ち、「お母さん見て。僕が医者になった時の姿だよ!」と、鎮静を開始する前のお母さんに、彼女が見ることのできない、将来の自分の姿を見せてくれました。虚ろな目で息子を見る彼女の手を取り、息子さんは「立派な医者になって、お母さんみたいな人をたくさん救うからね」と、声を震わせながら何度も何度も約束したのです。とても尊いそんな時間を過ごした数日後、彼女は息を引き取りました。夢に向かう息子さんのこれからに、色んな想いを込めながらした、母との最後の約束が、力を与えてくれるよう願っています。 2025年1月投稿 「仲良し夫婦」 投稿者: 水島 真由美(みずしま まゆみ) さん 訪問看護ステーションひだまり(京都府) Aさん御夫婦。長年連れ添ってほぼ同じタイミングで、同じ胃癌。余命宣告。長年一緒に過ごした自宅に帰りたい。との気持ちを大切に大急ぎで在宅調整し退院してこられました。初めましての挨拶からすぐにケアが始まりました。御夫婦は日当たりのいい部屋にレンタルのベッドを並べほっと一息。二人で一緒に逝けたらな…と言うご主人の言葉でしたがその日のうちに奥様の容態が急変。帰らぬ人になりました。はじめはご主人も気持ちの整理がつかず点滴の合間に葬儀などが慌ただしく終わりました。すぐに奥様のところにと言う言葉もありましたが悲しみのまま残された時間を過ごしてほしくないと思いました。奥様との思い出、ご主人の好きなことなどたくさんお話をして少し先に逝った奥様へのお土産話をたくさん作りましょうと、声をかけ少しずつあれが食べたい、何をしたいと希望をおっしゃってくれるようになりました。奥様を見送ってひとつき。そろそろかな。今月が終わったら奥さんに会いに行くと笑顔で話され、もう少しお土産話作りましょうねと声をかけましたが、本当にその月の最終日に穏やかに息を引き取られました。その穏やかな顔をみて人生の最終段階、少しでも悲しみではなく穏やかな気持ちでその日を迎えられるよう身体も心も支えていける訪問看護師であろうと改めて誓った出会いでした。 2024年12月投稿 「思いに寄り添う訪問看護」 投稿者: 吉崎 由希子(よしざき ゆきこ) さん 医療法人社団成美会 訪問看護ステーションあさがお(茨城県) 定年を迎え、妻と旅行を楽しもうとしていた矢先、病院で末期の食道癌と診断されたAさん。転移があり医師から治療は困難と、セカンドオピニオンでも診断は変わらず。訪問診療と共に訪問看護も介入し、連日訪問。【また家族で出かけたい】との思いを叶える為、DRはIVHポート挿入、栄養状態が改善。輸液をバッグに入れ、家族とドライブ、ふきのとう狩り、山菜取り等に外出し思いが叶ったと。在宅では、愛する妻がそばにいて、子供たちに毎日会え、孫は保育園から帰るとジイジの頬にチュッとパワーを注入。愛犬も家族、常に一緒の生活が幸せと。ある日Aさんより「吉崎さん、お願いがあるんだ。絶対俺が痛んだり苦しんだりする事が無いようにしてくれな。吉崎さんの事は俺がちゃんと天国に連れてってやるからな」と死を受容しての言葉。疼痛にはPCAを使用。苦痛は最小限に在宅で大好きな家族と毎日Aさんらしく生活できるよう訪問しました。大好きな家族、妻、子供、孫、愛犬に見守られ、穏やかな最期でした。エンゼルケアは家族と泣き笑いながら、生前に決めていた素敵なスーツに着替えました。その後も残された家族に会いに行き、車ですれ違えば大きく手を振り合っています。私が亡くなったらAさんに会え、Aさんが私を天国に連れて行ってくれます。その時まで、私は訪問看護師をしながら、Aさんのように自分らしく精一杯生き抜こうと思います。 2025年1月投稿 「今日は〇点!」 投稿者: 渡邉 凪沙(わたなべ なぎさ) さん セコム大田訪問看護ステーション(東京都) これは私が新卒で訪問看護ステーションに就職し1ヶ月経った頃、初めて入浴介助を行ったFさんの話です。Fさんは80代の男性です。若いころからお風呂が大好きで、湯船に浸かった時には歌を歌い、「気持ちよかったぁ」と言いながら上がるのがお決まりでした。私が初めて入浴介助を行ったとき、部屋に戻るとFさんが突然「今日は80点!」と言いました。何についてかと聞くと介助に対しての点数でした。減点の理由は、頭をもっと強く洗ってほしい、ここが洗い足りない・流したりないなどでした。このとき私は、次は絶対に100点を取るぞ!と心に決め、教えていただいたところを特に気を付け介助しました。すぐに100点とはならず、今日はここが物足りなかったなど、毎回教えていただき、4回目の訪問でついに「今日は100点!」をもらうことが出来ました。私はこれを通して、自分の勉強や練習だけではなく、利用者さんにも成長させていただける訪問看護はとても魅力的だと感じました。未熟な私に、根気強く教えていただいたFさんに感謝しながら、これからも、一人前の訪問看護師になれるように頑張りたいと思います。 2025年1月投稿 * * * 皆さま、おめでとうございます!今後、「みんなの訪問看護アワード」表彰式の様子をご紹介する記事や、大賞・審査員特別賞・ホープ賞を受賞したエピソードの漫画記事も順次公開予定です。ぜひご覧ください。 編集: NsPace編集部 [no_toc]

【3月11日up】つたえたい訪問看護の話 受賞エピソード発表!大賞・審査員特別賞・ホープ賞・協賛企業賞【2025】
【3月11日up】つたえたい訪問看護の話 受賞エピソード発表!大賞・審査員特別賞・ホープ賞・協賛企業賞【2025】
特集
2025年3月11日
2025年3月11日

つたえたい訪問看護の話 受賞エピソード発表!大賞・審査員特別賞・ホープ賞・協賛企業賞【2025】

NsPaceの特別イベント「第3回 みんなの訪問看護アワード」で募集した「つたえたい訪問看護の話」。厳正な審査を経て、受賞作品が決定しましたので発表いたします。本記事では、大賞1件、審査員特別賞3件、ホープ賞1件、協賛企業賞5件のエピソードをご紹介します! 「お母さん~看護の襷をつなぐということ~」 投稿者: 木戸 恵子(きど けいこ)さん 株式会社ウッディ 訪問看護ステーションはーと(東京都) 浦安にある、とある病室での20時半すぎ。重い空気が流れるカンファレンスが行われていた。患者さんは、31歳のえみさん。肺がんで12L/分の酸素投与をうけている。えみさんは、涙ながらに、家に帰りたいと医師に訴えていた。えみさんは、1~7歳までの4人お子さんをもつお母さん。憧れの東京ディズニーランドに行くため家族で宮崎から上京した。途中、機内で呼吸困難が出現。着陸後、病院に運ばれた。急展開の中、子供たちと別れた。「お母さん、お母さん」と子供たちの泣く声が聞こえた。必要な治療と厳しいICを受けた。宮崎に帰る体力は乏しく、予断の許さない命と説明されたが、えみさんの強い意思と覚悟に医療者も心揺れた。療養の場は在宅医療と訪問看護へと襷(たすき)が渡った。帰郷を目標に在宅で3日間体調を整える。緩和ケアだけではなく、身体と心に栄養を蓄える。看護師は精一杯、気力を高める手当てをした。一方、静岡・神戸・岡山・宮崎の訪問看護の仲間の協力を仰ぎ陸路帰郷に決定、準備に入った。サロンカーに酸素ボンベを25本備え、エアマットを敷いた。在宅医師と看護師が同乗し宮崎を目指して出発した。20時間後、えみさんの笑顔は子供たちの中にあった。「お母さん、お母さん」とはしゃぐ声が聞こえる。在宅医療と訪問看護は地元のステーションへ襷がつながった。長い1200kmであり、貴重な5日間となった。翌日、えみさんは家族に囲まれ旅立った。 2025年1月投稿 「ハッピーライフ通信を活用してから意味のある看看連携ができた」 投稿者: 大橋 奈美(おおはし なみ) さん 訪問看護ステーションハートフリーやすらぎ(大阪府) ハッピーライフ通信は、退院後、訪問看護の現場を経験していない病院看護師が具体的に想像できるといいなと思い訪問看護での事実を病院へフィードバックしてみようと考えたことから始まった。病院と在宅の看護師間で意味のある連携ができるよう、紹介元へ退院後2~3週間の療養者の様子を写真付きのお手紙『ハッピーライフ通信』にして送る。退院指導された内容の中で、退院後変更した点を肯定的にフィードバックする。ある病院看護師からは、「急性期のベッドサイドケアのみの看護だったが、外の世界を見ることで看護の意味が繋がった。病院ではベッドの回転率に振り回され、看護の喜びが薄れてきて、自分の看護への思いが枯渇してきていると感じることがあった。そんな現状の中で読んだハッピーライフ通信は心に沁みた。良い看取りだったと泣ける喜びを知った。日常の看護では、看護師は泣いていられないくらい忙しい。療養者の安らかな看取りを手紙で届けてくれることは、自分たちの看護が決して無駄ではなく、本当に繋がったということを実感した」とお返事をいただいた。看護師は日常業務に追われ、退院後を知る機会は多くはない。訪問看護師たちも病院看護師もやりとりを通じて、互いの立場や役割、看護への理解が深まり、まさに愛のある看看連携の役に立つ連携、やりがいに繋がっていくと実感する。 2025年1月投稿 「看護師にご褒美をくれたA氏」 投稿者: 田端 支普(たばた しほ) さん 訪問看護ステーションハートフリーやすらぎ(大阪府) A氏は腎臓がん末期、多発肺転移、酸素が必要な状態で1人暮らしの自宅に退院してきました。自宅に帰って第一声は「あ~やっぱり家がいいわ。死ぬまで家にいたい」でした。そして酸素を外し「タバコは死んでもやめへんで」と言って一服したのでした。その時のA氏の幸せそうな顔を今でも覚えています。そんなA氏から夜になると電話が鳴るのです。ターミナル期のA氏からの夜の電話にドキッとしながら電話に出ると「布団がおちた」「明日何時に来る?」という内容に、緊急電話違うやんとホッとしながら返事をして電話を切るのでした。ターミナル期のA氏からの夜の電話は心臓に悪いので、私はこちらから先に電話して「明日は10時に訪問するよ」「もう寝たらすぐ明日やで。お休み」とお休み電話をするようにしたのでした。そんなA氏とのお別れの時が近づいてきたころA氏に「病院と違って夜は1人になるけど退院してきてよかった?」と聞いてみました。するとA氏は、「こんな風に、皆が毎日、来てくれて淋しくなかった」「毎晩、看護師さんとおやすみって電話して、おやすみって答えてくれて、それが嬉しかった」「1人じゃないって思った」「不安で帰って来たけど、不安が安心に変わった」と話してくれました。このA氏の言葉に私は目頭が熱くなりました。A氏の「不安で帰って来たけど、不安が安心に変わった」という言葉に、看護師へご褒美をもらった気持ちになりました。 2025年1月投稿 「意思疎通、出来ます。」 投稿者: 服部 景子(はっとり けいこ) さん 愛全会 訪問看護ステーションとよひら・ちゅうおう(北海道) 80代女性、脳梗塞、失語、介護5。ケアマネより「意思疎通不可の方。大声を上げる為2箇所のデイサービスから利用終了と言われ困っている」と訪問依頼。トシ子さんは身体を固くし大きな声を上げ続けており、バイタルどころか全てのケアを拒否されます。表情を固くしたままの娘さんとも会話が続きません。4回目の訪問時、玄関の外までトシ子さんの声が響いていました。「デイサービスから迷惑と言われてしまいました。マンションからも苦情が来ないか気がかりです」と娘さんがうつむきます。「意味無く声を上げている訳では無いと思います。一生懸命何か伝えて下さっているのに、汲み取れない私が悪いんです。鈍い看護師でごめんなさい」。そう伝えると、娘さんの頬が緩んだように見えました。いつもは娘さんだけを目で追うトシ子さんが、突然私と視線を合わせ顔をしかめて声を上げます。「トシ子さん何処か辛いのですか?」と尋ねると、微かに頷いて返事をしてくれました。その様子を見て、娘さんも私もびっくり。腕?腰?足?には無反応、お腹?に"うん"と。便は2日置きに出ていると聞いていましたが、浣腸で大量排泄。その後、整腸剤内服と週1回の摘便で、大声を上げる事が無くなりました。今では、バイタルはもちろんリハビリも出来ます。ニコッと微笑んでくれますし、一緒にハミングしたり、テレビを見て笑ったり、デイサービスにも通っています。皆様!トシ子さんは意思疎通可です! 2025年1月投稿 ※訪問看護歴3年未満の方対象 「いつものアップルパイ」 投稿者: 梶本 聡美(かじもと さとみ) さん 訪問看護ステーションかすたねっと(大阪府) 脳腫瘍により片麻痺や失語症があるTさんはご主人の介護を受けて生活しており、台所に立つこともなくなっていた。訪問看護に対していつも受け身で淡々としているTさんはどこか諦めを感じているように見えた。作業療法士としてどう関わればいいか悩んでいた私に、管理者が「Tさんとアップルパイ作らない?」と声をかけてくれた。管理者が訪問した時にTさんが「私の作るアップルパイ美味しいのよ」と言っていたらしい。こうして始まった訪問看護でのアップルパイ作り。Tさんは言葉が出難いながらも作業の助言をしたり、煮詰めたりんごの火加減を確認するなど、表情豊かで精力的に動いていた。アップルパイ作りが気になるスタッフやケアマネも訪問し、賑やかになった空間の中心にはTさんの笑顔があった。焼きたてのアップルパイを食べ「いつもの味」と呟いたTさん。今後できないことが増えても、今できること、楽しめることを探して関わっていきたいと思った。 2025年1月投稿 看護のアイちゃん:本物の看護がしたい賞 協賛企業: セントワークス株式会社処置屋さんでも報告屋さんでもない、本物の看護がしたい!として誕生したソフト『看護のアイちゃん』です! 「パソコンの得意な看護師さん」 投稿者:小出 真理子(こいで まりこ) さん 訪問看護ステーション オリーヴ(長野県) 数年前に受けたALSの男性のお話です。一年前から急激に進行しており退院したいがこれが最後かもしれないと病棟でカンファレンスに呼ばれました。数名の医師や病棟看護師、ケアマネージャーなど見たこともない数の専門職が集まっていました。本人は気管切開を拒否しており病棟看護師が泣き出すくらい悲壮な雰囲気が漂っていました。訪問2日目、私たちも緊張しながら医療機器を操作したり本人の希望であるノートパソコンを起動。呼吸苦の中やっとのことでパソコンを開けると画面には初期化しますか?という見慣れない表示。困惑して諦めようとしていたので操作を代わりました。彼が指示した場所を開けてみると画像添付されており元職場の部下からでした。画像を開けると、今より自信に満ちて笑顔の健康的なご本人の証明写真でした。開けた時に、私はハッとして遺影にされるつもりなのだと感じました。彼は私に「これだけが心残りで、パソコン操作をしたかった」と満足げでした。それからすぐ病院に戻られ数ヶ月後に亡くなられました。奥様にお悔やみのハガキを送ると「パソコンの得意な看護師さんだったんだぞ」と妻に語っていたと記されていました。数回しか関わりの無かった方でしたが、心残りのない人生を支援したいという看護観があの時形成されたのを感じます。 2024年12月投稿 「無人島に街を!」メディヴァ賞 協賛企業: 株式会社メディヴァ患者視点の医療改革を理念に、医療・介護・予防分野において、革新と価値創造を目指すコンサルティング企業 「地域に開かれた場所として」 投稿者: 馬場 直子(ばば なおこ) さん 訪問看護サボテン砂町(東京都) 脳梗塞後遺症、糖尿病による褥瘡悪化の創処置にて訪問看護利用となった80代女性。夫と息子と3人暮らし。夫、心臓の持病を抱え介護のストレスを訴えていた。数カ月後、妻の容態が急変し入院。入院後コロナ禍で面会が出来ない状況となり、頻回にステーションに立ち寄り妻の心配を話し帰られる。それがしばらく来ない日が続き心配していた矢先、亡くなったとケアマネより連絡あり。お悔やみに訪問した際、もっと色々としてあげたらと後悔を口にする。その後、1人になった寂しさや自身の体調の不安定さから、以前の様に頻回にステーションへ顔を出すようになる。朝早くまた昼、夜と。ステーションに居るスタッフが血圧測定や健康相談、何気ない話で安心した顔で帰って行く。下町の商店街にあるステーションで、子供や高齢者、海外の方など知らない方でも気軽に立ち寄れる場所。これからも、地域の輪が広がってほしいと思います。 2025年1月投稿 東洋羽毛賞 協賛企業: 東洋羽毛工業株式会社私たちは現場で頑張る訪問看護師の皆様を快適な眠りでサポートします。 「マクワウリ」 投稿者: 木内 亜紀(きうち あき) さん 地域ケアステーションゆずり葉(埼玉県) 初めて訪問した日、彼は怒っていた。これまでの医療者との関わりに不満を募らせる彼にどうしたら傍に寄せてもらえるのか。彼の心が穏やかだった頃ー。そうだ、子供の頃美味しかったものはなんですか?季節は6月終わり。夏の暑い最中に食べた懐かしい味を思い浮かべてもらう。「マクワウリかな。井戸水で冷やして食べた。美味かったなぁ」。一瞬、子供に戻って教えてくれた。心の扉がほんの少しだけ開いたけど、マクワウリって?すぐにステーションの皆にヘルプ。最年長看護師が休日に青果市場で発見!早速お届けすると目をまん丸にさせて「どこにあったの?」とクシャクシャな笑顔。その日から少しずつ目が優しくなった。怒っている人は、大切にされたい人。ある日、彼から「病院にいた時にお世話になった人にお礼がしたい」と頼まれた。名前もしっかり覚えている。一か八か、その場で病院に連絡してみた。するとたまたま出勤日で、電話にも出てくださった。彼は電話口で大泣きしながら「ありがとう。あなただけが僕に親身になってくれた。本当に感謝してる」と伝えていた。電話を切った後、まだ泣いていた。私もちょっと泣いた。それから数日、彼はひとり暮らしのベッドの上で亡くなっていた。社会的には孤独死というのかもしれない。でもきっと彼はひとりじゃなかった。そう思う。天国で、先に逝った大切な人とマクワウリの話をしてくれていたら嬉しいな。 2025年1月投稿 Tomopiia賞 協賛企業: 株式会社 Tomopiia看護師の『聴く』を育てる、新しい看護のカタチ「SNS看護」が学べるTomopiia(トモピィア)です。 「経験年数を超えて」 投稿者: 越村 麻子(こしむら あさこ) さん なないろ訪問看護ステーション(千葉県) 血管性認知症の利用者さん。いつも無表情でいわゆる易怒性があり、看護師へ怒鳴ることは日常茶飯事、時にはケア中手を上げることも。彼を担当しているのは、ブランク25年を経て訪問看護師1年目となったNさん。ある日Nさんと同行することになりました。ケア中、髭剃りのため首にかけたタオルを外そうとする利用者さん。私は咄嗟に「外さないで大丈夫です、これから髭剃りをしますから。」と伝えたが、Nさんは利用者さんの行動を不思議そうに見ていた。すると利用者さんは緩慢な動作で、Nさんの手についた汚れをそのタオルで拭き「わりぃね」と一言。「何かと思った、ありがとうございます」と返すNさん。2人で朗らかに笑っていました。私は、認知症の利用者さんが「状況理解ができずタオルを外そうとした」と決めつけていた自分に気付きハッとしました。Nさんは「何かは分からないけど、何かをしたいんだろうと思って」と言っていました。良いケアの提供に、経験年数は関係ないな。誰のためのケアなのか、心地よいケアとは。ケア専門職として忘れてはいけないことを、Nさんから学んだ日でした。 2024年11月投稿 NTTプレシジョンメディシン賞 協賛企業: NTTプレシジョンメディシン株式会社業務をまるごとDX。訪問看護ステーション用電子カルテ「モバカルナース」 「後悔しない人生」 投稿者: 鈴木 沙恵子(すずき さえこ) さん ハレノヒ訪問看護ステーション(東京都) 利用者様から学ばせていただいたお話です。「人生はあっという間に終わってしまうんだよ。後悔しないために毎日努力を続けなさい。」90代男性Kさん。職業元デザイナー。人生の終末期にいただいた言葉でした。Kさんはそう言いながら笑顔で私の首にスカーフを巻いてくれました。どの色が合うかコーディネートするその表情はとても真剣で、Kさんであり続けるその姿勢に胸が熱くなりました。この3日後、Kさんは永眠されました。相手の気持ちを受けとめること。丁寧にお辞儀をすること。感謝すること。いただいた笑顔に、もっと大きな笑顔でお返しするとその場の空気が変わること。在宅の現場で仕事をしている私は人生の大先輩方にたくさんのことを学ばせていただいています。利用者様が医療者にお世話になっていると感じるのではなく、利用者様が辛いときや苦しい時にはたくさんの人が自分を支えてくれるんだと思える環境を提供することが、在宅医療だと感じています。これからも私のありがとうの気持ちは心からのありがとうだと伝わるように、ひとつひとつ丁寧にケアを行っていきたいと思います。私の人生の最期に、Kさんのように前向きで真っすぐで、誠実な言葉を誰かに残せるだろうか。その時伝えられる言葉が、看護師として努力してきた自分の証となる言葉だといいな、と心から思っています。 2024年12月投稿 皆さま、おめでとうございます! 入賞作品については、こちらの記事をご覧ください。つたえたい訪問看護の話 受賞エピソード発表!入賞 編集: NsPace編集部 [no_toc]

ニャースペースのつぶやき 夏
ニャースペースのつぶやき 夏
特集
2025年3月4日
2025年3月4日

世代を越えた関わりがほほえましい ニャースペースのつぶやき【訪問看護あるある】

家にいるから家族と触れ合える 在宅療養をしているからこそ、お孫さんとの関わりが持てることも。ほほえましいにゃ 在宅で療養していると、世代を越えた家族との触れ合いがあったり、利用者さんがご家族のケアを担っていたりすることも。訪問看護師さんからは、「車椅子の利用者さんが、幼児のお孫さんの食事のお世話をしているケースもあります。関わりや役割を持てて利用者さんも嬉しそうです」「ベッド上の生活をしている利用者さんがいらっしゃいましたが、お孫さんがベッドに乗って一緒に遊んだり、添い寝したりしていることもあり、とても良い表情をしていました」といった声が聞かれました。 ニャースペース病棟経験5年、訪問看護猫3年目。好きな言葉は「猫にまたたび」「わかる!」「こんな『あるある』も聞いて!」など、みなさんの感想やつぶやき、いつでも投稿受付中にゃ!>>投稿フォーム

想いに寄り添うエピソード【つたえたい訪問看護の話】
想いに寄り添うエピソード【つたえたい訪問看護の話】
特集
2024年12月24日
2024年12月24日

想いに寄り添うエピソード【つたえたい訪問看護の話】

訪問看護をしていると、利用者さんやご家族のたくさんの想いと向き合います。「みんなの訪問看護アワード2023」に投稿されたエピソードから、利用者さんやそのご家族の想いに胸が迫るエピソードを5つご紹介します。 「最期まで、妻・母・娘として生きたN子さん。」 末期のがんに罹りながら家族とともに懸命に生き、最期の場面でも家族を想う姿に胸が打たれるエピソードです。 63歳のN子さんは肺がん末期で骨転移等もあった。12月初めの退院前カンファレンスでは、クリスマスは迎えられてもお正月は厳しい、と告げられていた。自宅に戻る際も頸部・体幹のコルセットは外せず、不本意ではあるが夜間はおむつ内で排泄するよう指導されていた。しかし、63歳という年齢、夫にも気兼ねがありコッソリと夜間もポータブルトイレに座っておられた。クリスマスが過ぎお正月が過ぎ、期待と不安を抱え桜の季節を迎えた。担当ケアマネから、近所の川沿いにある桜並木の下でお花見をさせてあげたい!と声が上がり、ご主人・ヘルパー・看護師・ケアマネとともに小春日和の中、ゆっくりと桜の下を車いすで散歩することができた。その後、「最後になるかも知れないけれど、家族のために料理がしたい。お風呂に入りたい」とご本人から希望があり、短期間であったが調理や入浴をすることができた。秋が過ぎ骨盤に転移した腫瘍が急激に大きくなり、みるみる体調は悪化傾向になっていったが、お酒の好きな夫の健康を気遣い、高齢のご両親より先に逝くことを詫び、夏に生まれた孫の成長を楽しみに、初冬、最期まで弱音を吐かず笑顔の素敵な母の姿を残して旅立たれた。 2023年1月投稿 「涙あり、笑いあり、そんなお看取り。」 故人との別れに悲しみもある中、家族総出でのお見送りの準備に愛情が感じられるエピソードです。 最期が近いAさん。お正月というのもあって娘様家族が来ている。同じ空間にベッドで寝ているAさん。とても穏やかな時間が流れていた。Aさんは声掛けに「はい」と吐息で答えてくれる。何か言いたげだが言葉にならない。(今日中かな…)そう思いながら明日も訪問することを伝え退室。その日の夜、ご家族から「息が止まりました」と連絡が入った。私は車で向かう。到着すると家族に見守られながら眠っているAさん。娘様は涙を流している。湯灌の予定だったが、それが高いことを知り、急遽フルエンゼルケアをさせていただくことに。お孫さんも含め全員で行った。みんなで役割分担しながらあーでもない、こーでもないと言いながら娘様を中心に。そこには涙は無くて笑顔が溢れていた。うるさすぎて奥様に怒られるほどだった。最後に奥様に口紅を塗ってもらったが、グロスだったのかな?「女装したみたいになったね」と笑い合う。ご家族に囲まれて幸せだなぁ。 2023年2月投稿 「患者の最期の願いを叶えた自宅での看取り」 最期に願いを叶えられた利用者さんの心からの感謝が胸に響くエピソードです。 私は訪問看護ステーションに配属された新人訪問看護師。肺癌の診断で自宅療養中のA氏から訪問看護利用の依頼があった。呼吸苦はあるが園芸の話をする、好きなサイダーを飲む等病状は安定していた。1ヵ月後、病状は増悪し「30年かけ作った庭をもう一度見たい。ほかに思い残すことはない。」と言葉が聞かれるようになった。自宅前に本人が作った庭があった。願いを叶えるためケアマネ、家族と協力しスロープと車椅子を準備した。当日本人から「体調が悪い、庭へ行くのは諦める。」と電話があった。短時間で行えるようがんばるので庭を見ましょうと励まし私、ケアマネ、家族で本人を庭へ移動した。涙を浮かべ「庭を見られて良かった。ありがとう。」と言葉が聞かれた。翌日、肺から出血し麻薬投与が開始され家族に見守られながら永眠された。後日訪問時、香典返しの挨拶状に庭を見た日のことが記載されており庭を見た後「幸せな人生だった。」と話していたことが分かった。 2023年2月投稿 「思い出の一場面」 ひとりでも自宅にいたいと思う利用者さんの気持ちが伝わってくるエピソードです。 24時間緊急対応の当番は電話が鳴るとビクビクする。何年やっていても緊張する。そんな中、Aさんからの緊急電話はなんだかホッとしてしまう。よく緊急電話をかけてくるAさん。尿カテトラブルが多く、呼ばれるのは大抵尿漏れ。夕飯時に呼ばれることが多く、またかぁ、という気持ちになるけれど、「こんな時間に悪いねぇ。」と申し訳なさそうに言うAさんの顔を見ると、そんな嫌な気分は吹き飛んでしまう。ある時、いつも通り夜に呼ばれて処置をしていると犬の遠吠えが聞こえてきた。そこから、かつてラブラドールを飼っていたと話し出すAさん。奥さんも子どももいて、よくラブラドールを家の庭で走らせていたという。「家の周りぐるぐる回るんだけど、曲がり損ねて転んじゃって。妻と大笑いしたよ。13年間、楽しませてもらったよ。」と嬉しそうに話すAさん。楽しい話なのになんだか切なくなり泣きそうになってきた。広い家に一人暮らしのAさん。話を聞いていて、楽しかったころの情景がパッと頭の中に浮かんできた。思い出たくさんの家で、少しでも長く過ごせるようお手伝いしていきたいと切に思った出来事だった。 2023年2月投稿 「優しく切ないけれど、温かい話」 相手を想うからこその奥様の配慮と、その優しさに気付きながらも配慮したご主人。どんな時でもお互いを想い合う夫婦に胸が温かくなるエピソードです。 ALSの60代男性。点滴加療の入院中に、可愛がっていた小鳥が突然死んでしまいました。奥さんと子どもは「とても可愛がっていたので、悲しんで気落ちすると病状も進行してしまう」と心配しました。そこで退院までに同じ種類の小鳥を手配して取り繕うことにしました。皆ハラハラしましたが、ご主人は亡くなるまで特に変わりなく小鳥に接していたので安心していました。初盆参りの時に奥さんは「小鳥が変わっていたことに本当は気が付いていたと思います」「主人にもっと優しく接することができたら良かったのに」と涙を流されていました。それから1年と経たないうちに、奥さんから私を看取って欲しいと驚きの連絡がありました。末期の肺がんでした。3ヵ月後、気丈で美しい最期を子どもさんとともに看取らせていただきました。命の儚さについて、改めて考えさせられた小鳥とご主人、そして奥さん。きっとどこかで再会しているはずだとスタッフ一同、信じています。 2023年2月投稿 利用者さんとそのご家族の想いを支える 今回は、投稿者の皆さんが利用者さんを大切にする姿勢が垣間見えるお話ばかりでした。訪問看護では、利用者さんやそのご家族の立場、背景、想いなどをくみ取って理解し、それぞれにあった支援をしていくことが求められます。正解がわからず模索するケースも多い中で、勇気づけられるエピソードですね。 編集: 合同会社ヘルメース イラスト: 藤井 昌子 

看取りの作法2024 グリーフケアと支援の実践【セミナーレポート 後編】
看取りの作法2024 グリーフケアと支援の実践【セミナーレポート 後編】
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2024年12月17日
2024年12月17日

看取りの作法2024 グリーフケアと支援の実践【セミナーレポート 後編】

2024年9月20日に開催したNsPace(ナースペース)主催オンラインセミナーでは、「看取りの作法2024 〜習得のための理論と実践〜」と題し、看取り支援に必要な基礎知識を教えていただきました。講師として登壇してくださったのは、家庭医療専門医で訪問診療専門クリニック院長の田中公孝先生です。 セミナーレポート後編では、前編に続いて看取りの対応にあたって知っておきたい理論と、実践に際して役立つ考え方をまとめました。 ※約75分間のセミナーから、NsPace(ナースペース)がとくに注目してほしいポイントをピックアップしてお伝えします。 >>前編はこちら看取りの作法2024 終末期・看取りの基礎知識【セミナーレポート 前編】 死前教育を実践する 死前教育(看取り直前の経過の説明)は、看護師のみなさんにもできるようになってほしい対応のひとつです。具体的には、看取りパンフレットを使いながら、死亡前の「1週間以内」「48時間以内」に現れやすい以下のような症状や体の状態を説明します。 【死亡1週間以内】 ・ADLが低下する(トイレに行けなくなる) ・水分摂取ができなくなる・発語が減少する・見た目が急激に弱ってくる・意識障害が起こる  【死亡前48時間以内】・血圧が低下する・一日中、反応が少なくなってくる・脈拍の緊張が弱くなり、確認が困難になる ・手足の末梢冷感・チアノーゼが認められる・死前喘鳴が出現する(ゼェゼェという痰が絡むような音が聞こえる)・身の置き所がない様子で、手足をバタバタさせる(「せん妄」状態に陥る) これらをご家族が前もって理解できていると、看取りのときがきても慌てにくくなります。 私の場合は基本的に週に1回往診するので、タイミングを見計らい、できれば土日に入る前に死亡前1週間以内にみられる変化についてご案内しています。また、「1週間以内に看取りになる可能性が高い」と判断したときは、併せて「もうそろそろ、葬儀業者を検討しておくことをおすすめします」とお伝えすることもあります。少し遠回しな表現ではありますが、これによりご家族は「死期が近づいていること」を感じ取り、看取りの準備をしたり、覚悟をしたり、気持ちの整理をするきっかけになることが多いと感じています。 >>関連記事看取りのパンフレットについては以下の記事をご参照ください看取りの作法 ~ 最期の1週間 グリーフケアを意識する 人は、死別をはじめ愛する人を失ったとき、大きな悲しみ(悲嘆=グリーフ)を感じます。その後、特別な精神状態の変化を経て、長い時間をかけて悲しみを乗り越えるのです。この悲嘆のプロセスを「グリーフワーク」、悲嘆をケアすることを「グリーフケア」といいます。 グリーフケアは、看取り支援の大切な最後のプロセス。看護師のみなさんにはその技術をきちんと身につけ、意識的に取り組んでいただきたいと考えています。訪問看護は病院とは違い、四十九日にお花を送る、弔問することもあるくらい利用者さんやご家族との距離が近い存在なので、死前・死後のグリーフケアをぜひ大切にしてください。具体的には、以下を実践してみましょう。 死前のグリーフケア 亡くなった後の世界を想像するよう働きかけることをはじめ、ご家族が心構えできるように促します。ご家族の中には相続に関する問題を抱えていたり、最期にしてあげたいことがあったりと、それぞれ異なる状況や想いを持っています。そのため、訪問を通してご家族に話し合いのきっかけを提供し、考える時間を設けることが重要です。また、死生観は、葬儀の参列や故人の顔を見届けるなどの経験を通じて深まるとされています。私たち専門職も多くの方のお看取りに関わる中で、こうした意識を持ち、死生観を養っていくことが求められます。 死後のグリーフケア 死後にご家族の悲嘆が長引かないよう、感情の整理や表出を促すことが大切です。葬儀や四十九日といった節目は、親族や近しい人々が集まるための協力を仰ぐ機会となり、「死に対する感情の表出」を支える場として役立っているといわれています。私たち医療職も、こうした感情表出を手助けできるよう、「がんばりましたね」と声をかけたり、エンゼルケアの場でお話しいただいたりすることで、悲しみを抱え込まずに表現してもらえるよう努めていきましょう。 なお、グリーフケアは医療・介護職の心のケアにもつながります。支援の内容を振り返りつつ、ご家族をフォローする中で「上手に支援ができた」「満足していただけた」と思えるケースを増やせるとよいと思います。 看取り支援の実践に役立つ考え方 最後に、実際に支援を行う際のポイントをご紹介します。 看取りの現場でつまずきがちなポイント 看取り支援でとくにつまずきがちなのが「初回訪問時の見立て」「ギアチェンジ(利用者さんの体調が急激に悪くなる)の見極め」「亡くなる直前の説明」です。一定の経験を積むまでは、これらのタイミングでは慣れたスタッフに伴走してもらうことをおすすめします。 ちなみに私は、急変に備えて在宅コンフォートセットを準備しています。みなさんには、麻薬やステロイド、抗不安薬の使い方など、一つひとつ経験を通じて覚えてもらえたらと思います。 カンファレンスでトラブルを防ぐ 事業所内でカンファレンスを行い、急変時の予測をしておくのもおすすめです。例えば「排泄介助の負担が増えて、訪問看護やヘルパーの介入頻度が増えそう」「急に看取りとなってご家族が慌てるのでは」といった具合ですね。現状をふまえて今やるべきこと、そして次に予測される展開を考えれば、焦りやトラブルを軽減できるはず。私の場合は、常に看取りまでの全体の流れを予測しています。丁寧に見通しを立てて準備をしておけば、時間外対応も減ってバタバタしにくくなります。 また多職種でデスカンファレンスを開催することも大切です。私はオンラインで行うことが多く、時間がない中でも実施しやすいのでおすすめです。クリニック側はどうみていたのか、医師がどう判断していたのかを知ると、今後に活かすことができます。 療養場所の変更を常に検討する 自宅で看取る方針を定めた後も、緩和ケア病棟への入院の可能性は常に意識すべきです。逐一ご家族に状況を確認し、介護力が不足している、症状コントロールが難しいなどと判断した場合は、入院の選択肢を提示できることも大切です。「在宅看取りがベスト」と決めつけるとご家族とのすれ違いを招きかねません。十人十色であることを念頭に置き、複数の関係者でディスカッションや振り返りをしながら検討してください。 * * * 看取りの支援では、医療技術だけでなく、コミュニケーションも重視されます。今日のセミナーを参考に、どういうコミュニケーションをとるのがよいか考え、明日から少しずつでも実践していただけたらうれしいです。 執筆・編集:YOSCA医療・ヘルスケア

看取りの作法2024 終末期・看取りの基礎知識【セミナーレポート 前編】
看取りの作法2024 終末期・看取りの基礎知識【セミナーレポート 前編】
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2024年12月10日
2024年12月10日

看取りの作法2024 終末期・看取りの基礎知識【セミナーレポート 前編】

2024年9月20日に開催したNsPace(ナースペース)主催オンラインセミナー「看取りの作法2024 〜習得のための理論と実践〜」。家庭医療専門医で訪問診療専門クリニック院長の田中公孝先生を講師にお迎えし、訪問看護師が看取り支援をより身近な業務として捉えられるように必要な基礎知識を教えていただきました。 セミナーレポート前編では、看取り支援にあたって知っておきたい理論や田中先生が現場で意識しているポイントなどをまとめました。 ※約75分間のセミナーから、NsPace(ナースペース)がとくに注目してほしいポイントをピックアップしてお伝えします。 【講師】田中 公孝先生杉並PARK在宅クリニック 院長/日本プライマリ・ケア連合学会認定 家庭医療専門医滋賀医科大学卒業。2017年から東京都三鷹市で訪問クリニックの立ち上げに参画し、2021年4月には訪問診療に特化した杉並PARK在宅クリニックを開業。すべての患者さんに「最期までその人らしく過ごせる在宅医療」を提供することを目指す。 「病の軌跡(がん、非がん)」を理解する 看取り支援に必要な知識としてまず挙げられるのが、病の軌跡。「がん」「非がん」の2パターンの軌跡を理解しておくと、看取りの流れをイメージしやすくなります。 がんの軌跡 がんの軌跡の特徴は、身体機能が非がん疾患と比べて長い期間保たれ、その後亡くなる直前に急速に悪化する点が挙げられます。機能が急速に低下する期間は、平均して約2ヵ月ともいわれており、若い方の場合は急激に悪化するため、この期間が短くなるケースにもしばしば遭遇します。一方、ご高齢の方では、がん細胞の進行も老いてゆっくりなのか、悪化のペースが緩やかになることもあります。 また、がんの悪液質を緩和するステロイド治療を行った場合、食欲が回復したり体を動かせたりするようになり、亡くなるまでの期間が1、2ヵ月ほど延びることもあります。しかし、原則として最期の2ヵ月間は急速に機能が低下し、排泄介助が必要になる、疼痛が悪化するなど問題に直面する機会が増えていきます。 非がん疾患の軌跡 非がん疾患の軌跡の特徴は、予後予測が難しい点が挙げられます。例えば心・肺疾患では、急性増悪を繰り返しながら徐々に機能低下が起こり、最後は比較的急な経過を辿るケースも見られます。一方、認知症・老衰の場合は、誤嚥性肺炎で一度口から食事がとれなくなっても、状態が安定して再び食事ができるようになる方もいます。そのため、ご家族には亡くなる可能性についてお伝えする一方で、機能が一時的に持ち直す可能性もあることを事前に説明しておくとよいでしょう。 「全人的苦痛(トータルペイン)」を活用する 全人的苦痛とは、利用者さんの苦痛を総合的に捉えるための概念のこと。「身体的苦痛」「社会的苦痛」「スピリチュアルペイン」「精神的苦痛」の4つに分類され、密接に影響し合っているという考え方です。例えば、がんの症状に伴う疼痛や息苦しさ、倦怠感などの身体的苦痛がある場合も、精神的、社会的、スピリチュアルな要因を含めたすべての側面を考慮する必要があります。適切なケアを提供する上で役に立つ考え方なので、ぜひ活用してください。 >>関連記事全人的苦痛(トータルペイン)の詳しい解説については以下をご参照ください。トータルペインでとらえる 終末期の現場で医師が考えていること 看取り支援の現場で私が意識しているポイントもお伝えします。 がんの症状 「肺がんは呼吸器に症状が現れる」「膵臓がんは強い痛みを伴う」など、一口にがんといっても種類によって症状は異なります。そのため、がんの種類や治療経過(手術歴、放射線治療や化学療法の有無や程度)を必ず確認します。みなさんも、各がんの特徴やおもな症状は押さえておきましょう。 多職種連携 終末期には訪問看護、訪問薬局、ケアマネジャーなどさまざまな職種の方々と方針を共有し、一丸となってご家族をサポートします。このとき、連携先はできるだけ看取りの経験があるところを選んでいます。 在宅看取りが可能か 在宅での看取りでは、家族の介護力や覚悟が問われます。早い段階での要介護認定を受けることをはじめ、各種制度を最大限活用できるよう環境を整えることも必要です。これらの条件を総合的に考慮し、「在宅で看取りきれるか」を常に考えています。 なお、緩和ケア病棟へのエントリーは、基本的にすべてのケースで行います。レスパイト入院をはじめ、在宅看取りを希望していても状況に応じて利用を検討する可能性があるためです。 利用者さんとご家族の認識に向き合う 告知の判断 私は、認知機能に問題がある利用者さんを除いて、基本的に告知はすべきだと考えています。とくにご本人が自身の体調の異変を感じているにも関わらず、ご家族から「落ち込むから伝えないでほしい」と要望がある場合は、本当に告知なしでよいかを丁寧に確認します。ちなみに、ご本人が違和感を覚えているのに告知しなかったケースは私の在宅医療のキャリアではほとんどなく、告知がよい結果に結びついたケースは多いです。ご家族に踏み込んだ話をするには医療者としての覚悟や経験が求められますが、利用者さんやご家族にとっての最善を考えて行動してください。 なお、告知と「予後を伝えること」は別の話です。ご家族には予後について必ず説明しますが、利用者さんにはご本人から強い要望がない限り伝えておらず、伝えなくてもうまくいくケースが多いです。 家族の受容段階の確認 ご家族の認識にアプローチするには、「キューブラー・ロス-死の受容5段階モデル」に基づいて考えるのがおすすめです。 もうこれ以上治すための手段がなく、緩和ケアに意識を切り替えていく、もしくは余命が幾許もないという受容の段階に進んでもらうために、私は早い時期にがんの特徴と看取りまでの経過をお伝えします。亡くなるまであと1ヵ月ほどの段階で「病の軌跡」について話し、「看取りのパンフレット」もお渡しして、「看取りの1週間前になったらこういう説明をさせてもらいます」と概要を伝えるんです。そうすればご家族も、「もうすぐそのときがくるんだな」と心構えできますから。 >>関連記事看取りのパンフレットについては以下をご参照ください。看取りの作法 ~ 最期の1週間キューブラー・ロス-死の受容5段階モデルの詳しい解説については以下をご参照ください。患者・家族の認識とグリーフケア 次回は、看取りのパンフレットを使用した死前教育やご家族へのグリーフケア、看取り支援の実践に役立つ考え方について説明します。>>後編はこちら「看取りの作法2024 グリーフケアと支援の実践【セミナーレポート 後編】」 執筆・編集:YOSCA医療・ヘルスケア

心に残る利用者さんのエピソード【つたえたい訪問看護の話】
心に残る利用者さんのエピソード【つたえたい訪問看護の話】
特集
2024年11月5日
2024年11月5日

心に残る利用者さんのエピソード【つたえたい訪問看護の話】

訪問看護をしていると、いろいろな利用者さんとの出会いと別れがあります。「みんなの訪問看護アワード2023」に投稿されたエピソードから、いつまでも私の胸に残る思い出深いエピソードを5つご紹介します。 「ミラクルな1日」 利用者さんにとって、心の中に溜めていた周囲への感謝や喜びが溢れでた1日だったのかもしれません。 27歳訪問看護師3年目、看護師になって7年目。看護学生時代の担任の先生が訪問看護ステーションを始められ、一緒に働いている。いろんな利用者さんに出会ってきた。その中でも印象深い利用者さんがいる。誤嚥性肺炎で余命1ヵ月と言われ、在宅へ帰ってきた。物腰柔らかな奥様としっかり者の娘様が手厚く介護されていた。在宅で療養中も誤嚥性肺炎を何度も起こし、そのたびに補液や抗生剤を使用し回復されていた。自営で仕事一筋で過ごされ、とっても頑固。家族やスタッフにも感謝の言葉はあまりなく、いつも「悪態」をついて怒鳴っていた。段々と具合が悪くなっていき、ある日とてもミラクルなことが起きた。目がキラキラと輝き、家族やスタッフにたくさんのありがとうを言い、嬉しそうにたくさん笑っていた。余命1ヵ月と言われながらも7ヵ月頑張って過ごされ、その日の夜に家族に見守られ亡くなられた。「ミラクルな1日でした」と言った家族の顔と、ご本人の輝いた瞳が忘れられない。 2023年1月投稿 「訪問看護の中の密かな楽しみ」 お互いを想う気持ちや二人で物語を楽しむ一時が伝わってくるエピソードです。 もう亡くなってしまったけれど、忘れられない人がいます。私より一回りほど年上の女性。難病で声を失った彼女は日中いつも一人で、帰るときは決まって寂しそうでした。楽しめることはないかと、訪問の終わりの僅かな時間に、彼女の好きな本を読むことにしました。1ヵ月かけて好きな作者を知り、ご家族に手持ちの本を幾つか用意していただき、半年以上かけて一冊読み終えました。週2回の訪問なので前回の話を忘れていたりして、行きつ戻りつでした。私は彼女に楽しんで欲しくて、時々リアクションを入れたり感想を述べたり。彼女はいつも笑って応えてくださいました。読み切った後本を選んだ理由を尋ねると、私が好きそうだったからと。楽しんでもらうつもりが、楽しませてもらっていました。10年以上も前の話ですが、彼女の笑顔は今も鮮明に覚えています。サービス提供者も沢山のものをいただいていることを深く心に刻むことができた大切な思い出です。 2023年2月投稿 「笑顔がみられますように」 コミュニケーションを工夫していった結果、利用者さんからの意思表示が生まれ、最後には意思疎通ができたのかもしれません。不満話に笑顔を見せる利用者さんが印象的です。 50代、くも膜下出血の後遺症から遷延性意識障害になったYさん。ご主人が日中お仕事に行かれるお昼間に排泄援助と胃ろうから栄養剤を注入するため、週3回訪問を担当。意思表示もなくコミュ二ケーションもとれません。そこで、快の刺激でコミュニケーションがとれないかなあと考えました。足裏には全身のツボがあることから、注入食の前に足裏とふくらはぎのマッサージをしました。数ヵ月たったころに、何となく目が合うような感じがありました。その日は何の気なく、私の主人の不満をYさんのご主人と重ね合わせて話しかけました。すると口をいがめて声をあげて笑うんです。一瞬、え!とびっくりしました。笑うのは、なぜかご主人の不満話なんですが、通じるものなんだと思いました。残念ながら再びシャント不全を起こしてしまい入院されましたがしばらくは笑顔を見せてもらえて私の訪問看護の中では忘れることがない出来事です。 2023年2月投稿 「認知症のおばあさんが放った言葉」 人の言葉には考え方や捉え方を変容させる力があることを認識するエピソードです。 理学療法士として訪問していた認知症のおばあさんとのお話です。その方は認知症で記憶力が低下しており、有料老人ホームに入居されていました。約2年間一緒にリハビリをしてきましたが、私の顔と名前を覚えられていないご様子でした。ですが、私のユニフォーム姿を見て「リハビリの人」という認識はできていたと思います。とても明るく、お話し好きでもあり、ときには私が悩み相談をしていることもありました。そんな中、自分の転機により退職することとなり、最後の日にお別れの挨拶をすると悲しそうな顔をされていました。ですが、「私は何でもすぐに忘れてしまうから悲しいのもきっと今だけ。そう思うともの忘れも悪くないなあ。」と返ってきました。この返答には大変驚き、身体がビビッとなったのを覚えています。この出来事以降、「認知症の方」に対する考え方や関わり方が私の中で大きく変わったように思います。これからも私の忘れられない一場面です。 2023年2月投稿 「訪問看護だからこそ」 利用者さんを看護師が観察するように、利用者さんも看護師をしっかりと見ています。だからこそ利用者さんから発せられた言葉だったのだと思うエピソードです。 病棟勤務から訪問看護に異動した私にとってSさんは病棟時代から関わっていた患者さんだった。訪問看護に異動してすぐにSさんの初回訪問から携わった。異動して不慣れな私の成長を見守っててくれていた。ある日Sさんが「やっと前の◯◯さんに戻ってきたね、病棟のころにいた時と近くなってきた」と言った。肩に力が入っていた私を心配していた、と言ってくれた。思わず涙してしまった時、Sさんから「◯◯さんの良さは訪問看護だからこそ伸びるんだと思う。時間に、患者に追われ過ぎてた◯◯さんよりずっと今の方が楽しそうだよ。自信を持って続けたらいいと思うよ」と笑って言ってくれた。元々准看護師だった私が、正看護師合格とともにずっとやりたかった訪問看護に異動願いを出し、念願叶って訪問看護師になれたものの一つも看護師としての自信がなかった私にとって、Sさんの言霊がとても胸に響いた。悲しいことにSさんは昨年逝去してしまったが、これからも続くであろう訪問看護人生で絶対にSさんのことは忘れない。訪問看護ならではの利用者さんとの一対一の関わりを大事に、ずっとやりたかった訪問看護を続けていきたい。 2023年2月投稿 思い出は糧となる 人との出会いは、自分にとって一生の宝物になることも。自分を変えるきっかけや学びになるような出会いを積み重ねながら、思い出とともに今日もまた訪問看護に携わっていくのでしょう。改めて自分の中にあるたくさんの人とのつながりを思い返す、そんなエピソードでしたね。 編集: 合同会社ヘルメースイラスト: 藤井 昌子

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