小児看護に関する記事

つたえたい訪問看護の話 受賞エピソード発表(入賞)
つたえたい訪問看護の話 受賞エピソード発表(入賞)
特集
2024年3月12日
2024年3月12日

つたえたい訪問看護の話 受賞エピソード発表!入賞

NsPaceの特別イベント「第2回 みんなの訪問看護アワード」で募集した「つたえたい訪問看護の話」。厳正な審査を経て、受賞作品が決定しました。本記事では、入賞エピソード12件をご紹介します! 大賞・審査員特別賞・ホープ賞・協賛企業賞はこちらつたえたい訪問看護の話 受賞エピソード発表!大賞・審査員特別賞・ホープ賞・協賛企業賞 「最後のお風呂」 投稿者: 小川 綾乃(おがわ あやの) さん ソフィアメディ訪問看護ステーション雪谷(東京都) A君は初対面の私に「背中撫でて、痛いの」と言って小さな背中を向けた。少しでもがんの痛みが和らげばとそっと手を当てる。泣きながら痛みと戦う小さな背中を撫でるだけの3日間。4日目のA君は座ってDVDを見ていた。「一緒に見よう」と笑顔で私を誘うA君は無邪気な5歳の男の子だった。翌朝A君が旅立ったと聞いて駆け付けた。「お風呂に入れてあげたかったな…ずっと入ってなかったから」お母さんがA君の頭を撫でながら呟く。「お風呂入りましょう」と声をかけて準備しご両親にA君をそっとお渡しする。ご両親と入る最後のお風呂。「気持ちいいね…」「ごめんね…」ご両親が涙ながらに声をかける。浴室の外で待つ私も涙が止まらない。お風呂から出て大好きなアンパンマンの洋服を着た穏やかな顔のA君を抱っこしながら「最後に家族みんなでお風呂に入れてよかった。5日間だったけど本当にありがとう」と話すお母さんの顔は泣きながらも笑顔だった。 2024年1月投稿 「スタッフの成長・管理者の涙」 投稿者: 西尾 まり子(にしお まりこ) さん 地域ケアステーション八千代・訪問看護ステーション(大阪府) 訪問看護ステーション管理者3年目に自分に自信をつけたいと思い訪問看護認定看護師養成学校の受講をした。管理者をしながらの週末の受講であった。2月になり感染症が流行し利用者の急変やスタッフの休みが増えシフトが回らない状況になりつつあった。私は悩んだが新幹線に乗った。しかし、スタッフに電話し「やっぱり大阪に帰るわ。これ以上みんなに迷惑かけられへん」と伝えた。するとスタッフから「帰ってこないでください!認定の学校に行きたいと言われた時、これくらい大変になる事くらいみんな予測してました。こんな時のために皆で無視しない助け合う約束をしています。だから頑張って来てください!何とかします!しっかり勉強して色々教えてくださいね」と言われ涙が止まらなかった。管理者となり、自分が一人で必死になりスタッフを支えているつもりでいたのが、本当は自分がみんなに支えてもらって管理者にしてもらっていたのだと深く感じました。 2023年12月投稿 「足の爪切りから始まる看護」 投稿者: 大慈 めぐみ(だいじ めぐみ) さん 訪問看護ステーション ナースであんしん湘南(神奈川県) 96歳男性。膀胱がん末期。「出来ることは自分でやりたい」という思いが強く、他者の介入が難しい状況。転倒を繰り返したり、入浴困難になり、ご家族とケアマネジャーは支援が必要な状態であると判断するが、受け入れず。ある日、足の爪切りだけは自分で出来ないと、訪問看護の依頼があった。まずは足の爪切りで訪問し、信頼関係を築くことに。お話をしながらさりげなくお困り事を聴き…。その結果、週2回の入浴介助、褥瘡処置、内服管理の支援が出来るようになった。1か月半が過ぎた頃、体調が急激に悪化…。最期は、施設スタッフのご協力もあり、住み慣れた場所でご家族に見守られ永眠された。病気による疼痛や倦怠感がある中でも、いつも奥様の体調を気遣う優しい言葉。入浴後は、「ありがとうねぇ」と、穏やかな声で言って下さったこと。髭剃りが難しく、上手に剃れなくても「すっきりしたよぉ」と気遣って下さったこと。関係機関の皆様との連携の大切さを改めて実感したりと、多くの事を学ばせていただきました。A様は、もと学校の先生。引退された後も、こうして私達に素敵な授業をして下さいました。 2024年1月投稿 「最期の友人」 投稿者: 日高 志州(ひだか しず) さん 訪問看護ステーションおはな(埼玉県) 70代の男性、お調子者で独居の大酒飲み。今にも崩れそうなボロ家で好き勝手暮らし、年金は近場のスナックで散財していた。大腸がんがみつかり、残り少ない余命宣告をされたが、家での最期を望み帰ってきた。もちろん生活指導など聴き入れず。何か真面目な話をするとすぐ「あんたがあと30年早く産まれてくれりゃ、結婚考えてやったのになぁ…」などと冗談で返答し、私も負けじと「私と結婚するならスナック通いは禁止です」と応戦した。しかし死期が近くなり、少しずつ体にガタが出始めると、ずいぶん弱気になってきた。トイレが近い、目がくらむ、もう1人で生活するのは心細いと話され、何度も話合った結果、施設への入所が決まった。入所の当日、一緒に荷物をまとめ、お迎えの車へ車椅子で向かった。乗り込む直前、私に握手を求めてきた。「あんたは最期の友人。忘れてもいいけどたまには思い出してよ」と冗談を言って笑顔で乗り込んだ。ずっと忘れない。 2024年1月投稿 「笑顔の看取り」 投稿者: 服部 景子(はっとり けいこ) さん 愛全会 訪問看護ステーションとよひら・ちゅうおう(北海道) 訪問看護師となり8年が過ぎた頃、最愛の母が余命宣告されました。一人っ子の私にとって、親友や姉妹のような大切な存在だった母の願いは「もうすぐ死ぬなら旅行がしたい」でした。渋る先生を説得し沢山の医療品を持って、札幌から軽井沢、伊勢神宮、沖縄へと3回の家族旅行をする事が出来ました。「私のせいで大好きな仕事をやめる事になってごめんね。でも貴女がいつも側にいてくれて心強いし、毎日娘の顔を見られて本当に幸せ。出来れば最期までこの家に居たい」と母が涙した時、最後の願いを叶えてあげたいと家族で団結し、自宅での看取りを決めました。最期は父と、私の夫の手を握り「あ・り・が・と・う」と言って旅立った母。そこに涙はなく皆の穏やかな笑顔がありました。あれから4年。家族の苦悩を経験し、在宅看取りの素晴らしさを体験し復職した今、母のおかげで前より少し利用者さんとご家族の心にそっと寄り添えている様な気がしています。 2024年1月投稿 「余命を伝えないということ。」 投稿者: 小野寺 志乃(おのでら しの) さん 公益財団法人 宮城厚生協会 ケアステーション郡山(宮城県) 60代肺がん末期の男性の訪問看護が始まりました。往診から余命は3ヶ月と告げられたご家族からは本人には余命は伝えないでほしいと言われていました。しかし利用者本人も「自分の体だから分かる、いつまで生きられるんだ?」家族からは言わないように言われている、嘘もつきたくない、自分に訪問がつくたび何と声をかければ良いのか葛藤しながら訪問に向かいました。痛みや苦しさを家族に当たり散らした日には奥様が泣きながら話されることもありました。そして利用者様は家族親戚に囲まれて息を引き取られました。翌日聞いた話では亡くなる日の朝に「迎えがきた、会いたい人に会わせてくれ」と。ご家族もびっくりされていましたがとにかく連絡をして会いに来てもらっていました。最後に奥様に話される時「ラブラブな時間を奪わないでくれ」と娘様までも追い出したそうです。2人きりになるなり奥様の顔を手で包み「しわしわになったな、俺のせいか。これからも愛してるよ」と言って翌朝に亡くなられたそうです。余命を伝えなくても人生の終わりを迎える日が分かっていたんだと私自身も貴重な経験ができました。家族という存在も生きる原動力になると私は思いました。 2024年1月投稿 「思い出の淡路島」 投稿者: 池田 裕季(いけだ ゆうき) さん 社会医療法人社団正峰会 正峰会訪問看護ステーション(兵庫県) 今でも海を見ると思い出す利用者さんがいます。初回介入時点では交通機関を利用して単独外出が可能でしたが、1か月経過頃から床上生活を余儀なくされました。利用者さんはお洒落をして外出するのが趣味で、ご主人とはよく淡路島へドライブに行っていました。残された時間が少ないことは本人も感じており、涙ながらに「最期に淡路島に行きたい」と伝えてくれましたが、状態が悪く外出許可が下りませんでした。しかしステロイドの内服により活気が蘇り、この機を逃さないよう主治医から外出許可を取りました。家族との絆の深さ、関係各所の協力に支えられ、許可を得た週末に、家族全員での淡路島旅行を決行できました。時間としては移動も含めて2時間程度の旅行でしたが、「楽しかった~!」と笑顔で帰宅。その日は朝から雨が降っていましたが、家族写真には全員の眩しい笑顔と綺麗な青空が収められていました。帰宅から約6時間後、眠るように永眠されました。 2023年12月投稿 「ワンチームで叶える最後の願い」 投稿者: 坂下 聡美(さかした さとみ) さん 一般社団法人 在宅看護センター北九州訪問看護・リハビリステーション 在宅看護センター北九州(福岡県) 2023年10月、スリランカに嫁いだ娘が帰ってくると嬉しそうに語るY様。余命は、週単位となっていた。Y様家族は、実行したいリストなどを作成し、私たち訪問看護師に見せて下さる。私たち訪問看護師は、介入して間もなかったが、その温かいご家族の空気感の中、いつの間にかその家族の一員になっていくような感覚を覚えた。11月に入り、「菊花祭、見に行けるかな…」と呟くY様。娘様曰く、息子様が新車を購入したので交通安全祈願のついでに、家族みんなでお出かけしたいとのことであった。ちょうどその時、主治医がお見えになられ、勇気を振り絞り、「最後の家族外出をしたい」と、Y様が仰った。主治医は、深くうなずいて見守る私たち訪問看護師の目を見て、「ワンチームでその願い叶えましょう!」と、英断され、そこからが、このチームのすごいところ。訪問看護師の鶴の一声で、多職種各事業所の方も参加下さり、「最後の外出」を決行した。当日、天気にも恵まれ、神様もワンチームとなったその日から4日後に旅立たれた。菊を見たら、今でもその時の光景を思い出す。 2024年1月投稿 「感謝の気持ちと恩返し。」 投稿者: 鉾山 英美(ほこやま えみ) さん りゅうじん訪問看護ステーション枚方公園(大阪府) 病棟に5年勤め、訪問看護に携わり10年以上続けています。病棟では、環境の変化や人間関係から鬱病になり、一度看護師を辞めました。看護師を辞めて半年程すると、また看護師をしたいなぁと思い、知人の紹介で初めて訪問看護の世界に飛び込みました。まだ鬱病も治っていない状況で、私の中では社会復帰と思いながらまずは週2回の勤務から始めました。それでも、時々言いようのない不安や怖さに襲われ、事務所の最寄り駅に着いたら涙が溢れ、立ち竦むこともあり。出勤できない日もありました。それでもスタッフの皆が理解してくれ、温かく見守ってくれました。徐々に訪問を重ねる中で、利用者様から「また来てな」と声を掛けられたり、スタッフとも気兼ねなく話せるようになり、出勤日数も徐々に増やせました。移動中に見る景色、利用者様とのゆったりした時間。スタッフや家族のサポートがあり、鬱病を克服することができました。そして、ずっと訪問看護を続けています。あの時、訪問看護で働いていなければ、今の私はいません。私を救ってくれたこの仕事にいつも感謝し、恩返しの気持ちでいっぱいです。大好きな仕事です。これからも続けていきます!訪問看護ありがとう! 2024年1月投稿 「心に残る誕生日プレゼント」 投稿者: 大日向 麻子(おおひなた まこ) さん 訪問看護ステーションリカバリー 東村山事務所(東京都) 「誕生日を家で迎えさせてあげたい」電話口でのご家族の言葉でした。利用者様はある日ご自宅での転倒を機に入院、主疾患治療中に他疾患も併発してしまい、医師より余命や療養型病院への転院についてお話があったとの事でした。その言葉を聞いた後、私は関係各所と連絡をとり、改めてご家族へ在宅療養を提案してみる事にしました。ご家族は悩んだ末、在宅で過ごす決断をしてくださり、サービスを調整して年末に退院。徐々に全身状態低下は見られましたが年明けには待望のお誕生日を迎える事が出来ました。「ケーキのクリームを舌に乗せたら、にこっと笑った気がしたの!こっちがプレゼントもらった気分だよ…」とご家族からもニコニコで報告がありました。その1週間後、眠るように息を引き取られました。最期の時間をどう過ごすか、選択をする事は大変な事だと思いますが、その選択に意味があると感じます。これからも自分たちに出来る事を探し続けて行きたいです。 2024年1月投稿 「最期の洗髪」 投稿者: 安藤 あゆ美(あんどう あゆみ) さん 公益社団法人 新潟県看護協会 訪問看護ステーションつくし(新潟県) 癌末期のAさんは美人でいつも髪の毛をきれいにアップしている理容師さん。お姉さんと息子さんと理容室を営んでいてお姉さんが熱心に介護されていました。徐々にベッドで過ごす事が多くなり残された時間が短いと思われた頃、訪問看護師から息子さんに洗髪を提案。頭の下にオムツを敷いて「初めて母親の髪を洗いました」と言う息子さんの手つきはさすがプロ。「気持ちいいね」とAさん。数日後にご家族に見守られながら穏やかなお顔で旅立たれました。実はあの時、洗髪を息子さんにお願いしたのは理由がありました。息子さんが直接介護をする事が少なかったので、亡くなった後に後悔するのではと思ったのです。洗髪する事で息子さんが満足する看とりができるといいなと考えたのです。Aさんのお悔やみに伺った際、訪問看護への思いを聞いた時「最高でした」と笑顔で答えてくださいました。良かったなと思いました。 2024年1月投稿 「訪看だって泣いていいんだ。」 投稿者: 中島 絵理子(なかじま えりこ) さん 一般財団法人同友会 藤沢訪問看護ステーション(神奈川県) 急性期で働いていた頃、看取りは日常的だった。看護師は常に冷静で、涙を流す事など許されないと思っていた。訪問看護師として働き7年が過ぎた頃、あるご夫婦を担当することになった。ご主人Tさんは肺癌末期、奥様Sさんは心不全でお二人同時に介入をしていた。Tさんは癌性疼痛があってもSさんを気遣い、そう遠くない将来別れが来るのかと思うと、Tさんの笑顔を見る事を辛く感じる事もあった。半年が過ぎた頃、Tさんの容態が悪化し入院することになった。『僕はね、この家で死にたいんだ』といつも言っていたが、Sさんの負担になりたくないというご本人の希望だった。1人になったSさんを訪問すると私を見るなり『連れて帰りたい!私、頑張るから!私が見るから!』と泣きじゃくった。私は何と言って良いのか分からず、Sさんの肩を抱いて一緒に泣く事しかできなかった。数日後Tさんが亡くなった。Tさんの仏前に手を合わせる私にSさんは言ってくれた。『中島さん、一緒に泣いてくれてありがとう。これからも私の訪問に来てくれる?』今もSさんのお宅へ訪問に伺っている。Tさんの思い出話をするSさんの笑顔を1日でも長く見られる事を願っている。 2024年1月投稿 * * * 皆さま、おめでとうございます!今後、「みんなの訪問看護アワード」表彰式の様子をご紹介する記事や、大賞・審査員特別賞・ホープ賞を受賞したエピソードの漫画記事も順次公開予定です。ぜひご覧ください。 編集: NsPace編集部 [no_toc]

4コマ漫画「小児の卒業」 ニャースペースのつぶやき【訪問看護あるある】
4コマ漫画「小児の卒業」 ニャースペースのつぶやき【訪問看護あるある】
特集
2023年10月24日
2023年10月24日

4コマ漫画「小児の卒業」 ニャースペースのつぶやき【訪問看護あるある】

小児の利用者さんの卒業にじんわり… 今回の「訪問看護あるある」は4コマ漫画でお届け!小児の利用者さんの場合、訪問看護が不要になって「卒業」されることもあるにゃ。これまでのご本人・ご家族のお悩みやがんばりを知っているだけに、とってもうれしいにゃ ニャースペース病棟看護経験5年、訪問看護猫3年目。好きな言葉は「猫にまたたび」「わかる!」「こんな『あるある』も聞いて!」など、みなさんの感想やつぶやき、いつでも投稿受付中にゃ!>>投稿フォーム

受賞作品漫画「担当看護師からパパママ友へ」
受賞作品漫画「担当看護師からパパママ友へ」
特集
2023年8月9日
2023年8月9日

受賞作品漫画「担当看護師からパパママ友へ<後編>」【つたえたい訪問看護の話】

NsPaceの特別イベント「みんなの訪問看護アワード」で募集した「つたえたい訪問看護の話」。今回は、櫛野 秀原さん(ウィル訪問看護ステーション江東サテライト/東京都)の審査員特別賞エピソード「担当看護師からパパママ友へ」をもとにした漫画の後編をお届けします。 「担当看護師からパパママ友へ」前回までのあらすじ鎖肛のお子さん(優太くん)のケアに入っていた訪問看護師の櫛野さん。佐藤さん夫婦と対話を重ね、試行錯誤しながら訪問していました。互いを支え合う佐藤夫婦を尊敬していた櫛野さん。櫛野さん自身もパパになることがわかり、早速佐藤さんに報告しました。 >>前編はこちら受賞作品漫画「担当看護師からパパママ友へ<前編>」【つたえたい訪問看護の話】 担当看護師からパパママ友へ<後編> 漫画:さじろう山形県在住のイラストレーター/グラフィックデザイナー/漫画家。都内デザイン会社を経て現在フリーランスで活動中。『ダ・ヴィンチ』『東京カレンダー』『Men’s NONNO』『SUUMO』など多数の雑誌のほか、釣り具メーカー『DAIWA』『LIFE LABEL』などのWebやYouTube、CMでもイラスト・漫画制作を手掛ける。 エピソード投稿:櫛野 秀原(くしの しゅうげん)さんウィル訪問看護ステーション江東サテライト(東京都)今回の受賞は、佐藤優太くん(仮名です)のお母さまも喜んでくださいました。私のケースのように、看護師としてだけではなく、一人の人として接してもらえるのは、利用者さんとの距離が近い訪問看護師という職種の醍醐味だと思っています。私は、どんどん若い世代の看護師さんたちも在宅医療の世界に飛び込んで来ていただきたいと思っており、そう思えるような訪問看護の魅力が伝えられたら…と考えて応募いたしました。エピソードやこちらの漫画を読んでいただき、少しでもそういった魅力が伝わるとうれしいです。 [no_toc]

受賞作品漫画「担当看護師からパパママ友へ」
受賞作品漫画「担当看護師からパパママ友へ」
特集
2023年8月8日
2023年8月8日

受賞作品漫画「担当看護師からパパママ友へ<前編>」【つたえたい訪問看護の話】

NsPaceの特別イベント「みんなの訪問看護アワード」で募集した「つたえたい訪問看護の話」。今回は、櫛野 秀原さん(ウィル訪問看護ステーション江東サテライト/東京都)の審査員特別賞エピソード「担当看護師からパパママ友へ」をもとにした漫画をお届けします。 >>全受賞エピソードはこちらつたえたい訪問看護の話 受賞エピソード発表!【みんなの訪問看護アワード】 担当看護師からパパママ友へ<前編> >>後編はこちら受賞作品漫画「担当看護師からパパママ友へ<後編>」【つたえたい訪問看護の話】 漫画:さじろう山形県在住のイラストレーター/グラフィックデザイナー/漫画家。都内デザイン会社を経て現在フリーランスで活動中。『ダ・ヴィンチ』『東京カレンダー』『Men’s NONNO』『SUUMO』など多数の雑誌のほか、釣り具メーカー『DAIWA』『LIFE LABEL』などのWebやYouTube、CMでもイラスト・漫画制作を手掛ける。 エピソード投稿:櫛野 秀原(くしの しゅうげん)さんウィル訪問看護ステーション江東サテライト(東京都) [no_toc]

小児感染症 手足口病
小児感染症 手足口病
特集
2023年8月1日
2023年8月1日

手足口病の症状・原因・治療法を解説 大人がかかるとどうなるの?

手や足、口腔内などに発疹が現れた場合、手足口病が疑われます。手足口病は、子どもの病気のイメージが強いものの大人も罹患する場合があります。しかも、子どもと比べて症状が強く現れる傾向があるため、抵抗力が低い高齢者と関わることが多い訪問看護師は特に注意が必要です。本記事では、手足口病の症状や原因、治療法、大人が罹患した場合の症状などについて詳しく解説します。 手足口病とは 手足口病(HFMD:hand, foot and mouth disease)は、口腔粘膜や手足などに水疱性の発疹が現れる感染症です。日本では1967年頃に存在が明らかになりました。必ずしも発熱するとは限らないことから感染に気づかずに周囲の子どもと接触し、感染を拡げてしまうケースもあります。 手足口病の症状 手足口病は、3~5日の潜伏期間を経て口腔粘膜や手のひら、足底、足背といった四肢の末端部分に2~3mm程度の水疱が現れます。ただし、肘や膝、臀部などに現れる場合もあるなど個人差があります。口腔粘膜は時間が経つと小さな潰瘍が形成されることもあるため、必要に応じて観察することが大切です。 発熱は1/3程度に見られますが、38℃以下の軽度であることがほとんどです。症状が改善するまでにかかる期間は3~7日程度で、水疱はかさぶたが形成されません。主症状は重篤なものではないものの、まれに髄膜炎や脳炎、小脳失調症などの合併症を引き起こすことがあるため注意が必要です。また、治療後1~2ヵ月頃に手足の爪が剥がれる爪変形・爪甲脱落症が起きる場合があることが報告されています。 手足口病が流行する時期 例年、4歳頃までの子どもを中心に夏季に流行します。また、半数を2歳以下の子どもが占めますが、学童期の子どもの間で流行することもあります。なお、手足口病は5類感染症定点把握疾患に定められた病気です。 手足口病の原因 手足口病は、主にコクサッキーウイルスA6・A16やエンテロウイルス71による感染で発症しますが、まれにコクサッキーウイルスA10が原因となります。主に咽頭からウイルスが排出され、飛沫感染でうつります。また、水疱内容物による接触感染にも注意が必要です。そのほか、症状が消失してから2~4週間も便にウイルスが排出されるため、子どものトイレやおむつ換えの後は必ず手洗いや消毒を行いましょう。 手足口病を引き起こすウイルスは複数あるため、一度罹患しても再び手足口病に罹患する可能性があります。 手足口病の検査方法・診断 医療機関では、水疱の性状と分布をはじめとする臨床症状のみで診断されることが一般的です。また、季節や流行状況なども診断材料の1つになります。確定診断には、咽頭拭い液や水疱内容物、便などの検体を用いたウイルス分離かウイルス検出が必要です。 手足口病の治療法 手足口病の原因となるウイルスに有効な抗ウイルス薬は存在しません。また、ウイルスには抗生剤の投与も効果がありません。発熱や水疱のほかに治療が必要な症状が現れることは少ないため、対症療法すら不要な場合もあります。まれに発疹にかゆみを伴うため、必要に応じて抗ヒスタミンの外用薬を使用します。なお、通常は炎症を抑えることを目的に副腎皮質ステロイド外用薬を使用することはありません。 口腔粘膜に生じた水疱に対しても、柔らかくて薄味の食べ物が推奨されている程度であり、特別な治療法がなく、基本的には経過観察します。食欲不振がある場合は脱水が懸念されるため、水分を少量ずつ頻回に与える必要があります。 元気がない、吐き気や頭痛、高熱、発熱の2日以上の持続などの症状がある場合は髄膜炎や脳炎への進展が懸念されるため、早急に医療機関を受診することが重要です。 手足口病は大人がかかったらどうなる? 大人が手足口病に罹患した場合、子どもと比べて発疹の痛みが強く現れる傾向があります。足裏にひどく現れた場合は、痛みで歩けなくなることも懸念されます。そのほか、インフルエンザの発症前のような全身倦怠感や関節痛、筋肉痛、悪寒などが現れることもあります。 手足口病の予防法 手足口病は、症状が消失してからも長期間にわたりウイルスが便から排出される場合があります。また、無症状でウイルスを排出するケースもあるため、流行期に患者との接触を避けるだけでは感染を完全に防ぐことは困難です。 一般的な感染対策として、外出先から帰ってきたときの手洗いやうがい、排泄物の適切な処理などを徹底しましょう。 * * * 手足口病は、口腔粘膜や手足などに水疱が現れる病気です。発熱するケースは約1/3と少ないものの、脳炎や髄膜炎に進展する可能性が否定できないため、発熱に伴って頭痛、嘔吐、意識の混濁、ひきつけなどの症状が現れていないか注意深く観察する必要があります。なお、大人が感染すると子どもの場合と比べて重い症状が現れやすいため注意が必要です。 編集・執筆:加藤 良大監修:久手堅 司せたがや内科・神経内科クリニック院長 医学博士。「自律神経失調症外来」、「気象病・天気病外来」、「寒暖差疲労外来」等の特殊外来を行っている。これらの特殊外来は、メディアから注目されている。著書に「気象病ハンドブック」誠文堂新光社。監修本に「毎日がラクになる!自律神経が整う本」宝島社等がある。 【参考】〇NIID国立感染症研究所「手足口病とは」(2014年10月17日改訂)https://www.niid.go.jp/niid/ja/kansennohanashi/441-hfmd.html2023/6/26閲覧〇厚生労働省「手足口病に関するQ&A(2013年8月)」https://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou19/hfmd.html2023/6/26閲覧

小児感染症 プール熱
小児感染症 プール熱
特集
2023年7月25日
2023年7月25日

プール熱の症状・原因・治療法を解説 大人がかかるとどうなるの?

プール熱は、夏季を中心に小児に罹患しやすい感染症です。大人も感染する可能性がある上に感染力が強いことから、短期間で家族全員が罹患するケースも少なくありません。本記事では、プール熱の症状や原因、治療法、大人が罹患した場合の症状などについて詳しく解説します。 プール熱とは プール熱は咽頭結膜熱ともいい、アデノウイルスの感染によって発熱や喉の痛みのほか、結膜炎などの症状が現れる病気です。プールでの感染者との接触やタオルの共用によって感染する場合があることから、プール熱と呼ばれています。 プール熱の症状 プール熱の症状は次のとおりです。 ・急激な発熱・頭痛・食欲不振・全身倦怠感・咽頭痛・結膜の充血・目やに・眼痛 目の症状は左右どちらかから始まり、その後にもう一方にも現れることが一般的です。中でも下眼瞼結膜に炎症が強く生じ、上眼瞼結膜の炎症はそれほど強くない傾向があります。潜伏期間は5~7日とされており、潜伏期間中でも感染力を持ちます。 重傷化のリスクは特に高いわけではありませんが、生後14日以内の新生児が感染した場合は全身性感染に進行するリスクが高いとの報告があります。 プール熱が流行する時期 例年、6月頃から感染者数が増加し始め、7~8月にピークに達します。6~8月はプールで子ども同士が接触する機会が多いことも、感染者の増加に関係していると考えられます。 ただし、原因となるアデノウイルスに季節性はないため、ほかの時期でも感染する可能性があります。プール熱に罹患した場合は、その時期に関係なく、発熱や咽頭炎、結膜炎といった主要な症状が消失してから2日間は出席停止になります。 プール熱の原因 プール熱の原因となるアデノウイルスにはさまざまな型があり、中でも2型と3型がプール熱を発症しやすいとされています。ほかには、1型や4型、7型、14型などがあり、中でも7型は肺炎を引き起こすことで重症化しやすい点に注意が必要です。 感染経路は、飛沫感染や接触感染などで、感染力が非常に強いことから周囲の人が短期間でプール熱に罹患する場合もあります。また、症状が消失してからも喉からは1~2週間程度、排泄物からは1ヵ月程度はアデノウイルスが排出されるとの報告もあるため、出席停止期間が終了した後に他人に感染させることもあるでしょう。 また、アデノウイルスには複数の型があるため、一度罹患したことがある場合でも別の型に感染する可能性があります。 プール熱の検査方法・診断 プール熱の確定診断には、鼻汁や唾液、糞便、拭い液などを用いてウイルス抗原の検出もしくはウイルス分離を行う必要があります。検体は、綿棒で喉やまぶたの裏を擦って採取します。検査キットにかけてから結果が出るまでにかかる時間は15分程度のため、即日でプール熱の罹患の有無を確認できます。 ただし、検査のタイミングや検体のウイルス量が少ない場合は、結果が陰性になる場合があることに注意が必要です。なお、血液を採取してアデノウイルスの抗原検査を行うことでも確定診断できます。 プール熱の治療法 プール熱はウイルス感染症であり、有効な抗ウイルス薬は現時点では存在しません。合併症を防ぐことを目的に抗生剤を使用することがあります。また、咽頭部や結膜の炎症を抑えるために、抗炎症成分が含まれた点眼薬などを使用します。 そのほか、高熱に対しては解熱剤、咽頭痛には抗炎症薬など、対症療法が中心となります。 プール熱は、高熱や喉の痛み、腫れによって食事をとることが難しくなる場合があるため、脱水症状に注意が必要です。また、なるべく喉を刺激しないように、柔らかいものを食べるとよいでしょう。 プール熱は大人がかかったらどうなる? 大人がプール熱に罹患した場合、小児ほど強い症状は通常現れません。そのため、小児ほどの影響が懸念されないとして、対応する医療機関が多いでしょう。ただし、症状が強く現れなくても感染力は強いため、他人にうつさないための対策は必要です。 プール熱の予防法 プール熱の予防法は、一般的な感染対策と同じです。流水と石けんによる手洗い、外出先から帰宅してきたときのうがいを欠かさないようにしましょう。また、感染者との密接な接触をなるべく避けるほか、タオルの共用をしないことが大切です。プールからあがった後は、シャワーを浴びてうがいをします。 * * * プール熱は主に小児が罹患する病気ですが、大人も罹患する可能性があります。感染力が高いため、疑わしい症状があるときは周りの人との接触を避け、医療機関を受診して適切な治療を受けることが重要です。 編集・執筆:加藤 良大監修:久手堅 司せたがや内科・神経内科クリニック院長 医学博士。「自律神経失調症外来」、「気象病・天気病外来」、「寒暖差疲労外来」等の特殊外来を行っている。これらの特殊外来は、メディアから注目されている。著書に「気象病ハンドブック」誠文堂新光社。監修本に「毎日がラクになる!自律神経が整う本」宝島社等がある。 【参考】〇厚生労働省「咽頭結膜熱について」https://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou17/01.html2023/6/25日閲覧〇NIID国立感染症研究所「咽頭結膜熱とは(2014年4月1日)」https://www.niid.go.jp/niid/ja/kansennohanashi/323-pcf-intro.html2023/6/25閲覧

ヘルパンギーナ
ヘルパンギーナ
特集
2023年7月18日
2023年7月18日

ヘルパンギーナの症状・原因・治療法を解説 大人がかかるとどうなるの?

ヘルパンギーナは主に子どもが罹患する感染症ですが、大人も罹患する可能性があります。重症化しやすいとの報告もあるため、子どものみの病気と考えずに対応方法について確認しておくことが大切です。本記事では、ヘルパンギーナの特徴や症状、原因から治療法、大人が罹患した場合の症状などについて詳しく解説します。 ヘルパンギーナとは ヘルパンギーナは、エンテロウイルスに感染することで発熱とともに水疱性の発疹が口腔粘膜に生じる病気です。乳幼児を中心に夏季に流行する「夏かぜ」の一種とされています。 ヘルパンギーナの症状 ヘルパンギーナの潜伏期間は2~4日です。突然の発熱に続き咽頭痛が生じ、咽頭粘膜に強い赤みが現れます。その後、主に軟口蓋から口蓋弓にかけて、赤くなった皮膚に囲まれる形で小水疱が現れます。小水疱の大きさは通常1~2mm程度ですが、5mm程度の大きいものが現れる場合もあります。 発熱に熱性けいれんを伴うほか、咽頭痛による食欲不振や哺乳障害が問題となる場合があるため、対症療法で症状をなるべく和らげることが重要です。まれに無菌性髄膜炎や急性心筋炎などを合併することがあるため、38~40度の発熱や頭痛、吐き気、嘔吐、腹痛、下痢、胸の痛み、関節痛、筋肉痛などの症状に注意しましょう。 ヘルパンギーナが流行する時期 ヘルパンギーナは5月頃から増え始め、7月頃にピークを迎えます。8月頃から減り始め、9〜10月にはほぼ見られなくなります。このように季節性があるものの、ほかの時期にまったく見られなくなるわけではありません。 また、日本では西から東へと拡がっていく傾向があります。患者の90%以上は5歳以下で、最も多いのは1歳、そして2歳、3歳、4歳と続きます。 0歳と5歳の罹患数はほぼ同じです。ヘルパンギーナは5類感染症定点把握疾患であるものの、学校において予防すべき伝染病としては規定されていません。 そのため、一律で学校長の判断によって出席停止とするものではなく、対応については学校ごとに異なります。欠席者が多い、流行の規模が大きい、合併症を伴うケースが見られることで保護者の間で大きな不安が生じている場合、学校医との相談の上で出席停止の扱いとすることがあります。 ヘルパンギーナの原因 ヘルパンギーナは、エンテロウイルスによる感染症です。エンテロウイルスはピコルナウイルス科に属するRNAウイルスの総称で、以下のようなウイルスが該当します。 ・ポリオウイルス・コクサッキーウイルスA群(CA)・コクサッキーウイルスB群(CB)・エコーウイルス・エンテロウイルス(68~71型) ヘルパンギーナの主な原因となるウイルスはコクサッキーウイルスA群(CA)ですが、コクサッキーウイルスB群(CB)やエコーウイルスが引き起こす場合もあります。 急性期にはウイルスの排出量が多く、感染力も強いとされています。ただし、エンテロウイルスは症状が消失してからも2〜4週間は便からウイルスが排出される場合があるため、回復後もしばらくは油断できません。 ヘルパンギーナの検査方法・診断 ヘルパンギーナの確定診断には、口腔内の拭い液や水疱の内容物を含むもの、便などによるウイルス分離またはウイルス抗原の検出が必要です。 ただし、実際の医療の現場では臨床症状のみで診断することがほとんどです。 ヘルパンギーナの治療法 エンテロウイルスそのものに効果がある抗ウイルス薬は存在しないため、対症療法が主な治療法です。発熱や頭痛には解熱鎮痛作用がある内服薬を使用する場合があります。 脱水が生じている場合は必要に応じて輸液を行います。咽頭痛によって飲食を敬遠する場合があるため、脱水を防ぐために薄味で柔らかく口当たりがよいものを与えます。 ヘルパンギーナは大人がかかったらどうなる? ヘルパンギーナは、大人が罹患すると子どもと同じく光熱や口腔粘膜の小水疱などの症状が現れます。ただし、子どもと比べて症状が強く、高熱や非常に強い咽頭痛のほか、筋肉痛や頭痛、関節痛が現れる場合があります。 また、症状が現れている期間が長く、重症化しやすい点も特徴です。 ヘルパンギーナの予防法 ヘルパンギーナの予防法は、ほかの感染症と同じです。主な感染経路は、飛沫感染・接触感染・経口感染です。流行時には手洗いうがいをより入念に行いましょう。また、ヘルパンギーナの感染者との密接な接触をなるべく避けることも大切です。 ウイルスは長期間にわたり便から排出されるため、子どもがトイレで排泄できる場合は、手洗いや手指消毒を必ず行うように指導し、おむつを使用している場合は交換後に手洗いと手指消毒を徹底します。 流行時にはおもちゃの貸し借りも避けたほうがよいでしょう。エンテロウイルス対策として、ものを洗浄・消毒する場合は、念入りな洗浄と清拭でウイルスを物理的に除去した上で、0.02%に希釈した次亜塩素酸ナトリウムで消毒します。 * * * ヘルパンギーナは、突然の発熱・口腔粘膜の小水疱などを主症状とする感染症です。主に罹患するのは5歳以下の子どもですが、大人がかかる場合もあります。大人は子どもと比べて症状が強く、重症化しやすい傾向があるなど、より一層の注意が必要です。抵抗力が低い高齢者の訪問看護を行っている看護師は、今回解説したヘルパンギーナの症状や治療法、予防法などについて十分に確認しておきましょう。 編集・執筆:加藤 良大監修:久手堅 司せたがや内科・神経内科クリニック院長 医学博士「自律神経失調症外来」、「気象病・天気病外来」、「寒暖差疲労外来」等の特殊外来を行っている。これらの特殊外来は、メディアから注目されている。著書に「気象病ハンドブック」誠文堂新光社。監修本に「毎日がラクになる!自律神経が整う本」宝島社等がある。 【参考】〇NIID国立感染症研究所「ヘルパンギーナとは」(2014年07月23日改訂)https://www.niid.go.jp/niid/ja/kansennohanashi/515-herpangina.html2023/6/26閲覧〇一般社団法人日本循環器学会「2023 年改訂版心筋炎の診断・治療に関するガイドライン」p,21(2023年3月17日更新)https://www.j-circ.or.jp/cms/wp-content/uploads/2023/03/JCS2023_nagai.pdf2023/6/26閲覧〇NIID国立感染症研究所「無菌性髄膜炎とは」(2014年05月16日改訂)https://www.niid.go.jp/niid/ja/kansennohanashi/520-viral-megingitis.html2023/6/26閲覧

これからの医療的ケア児と訪問看護
これからの医療的ケア児と訪問看護
インタビュー
2023年5月2日
2023年5月2日

親子の夢が広がる 医療的ケア児の就学支援事例 【長野県 小布施町】

清泉女学院大学の北村千章教授が主宰するNPO法人「親子の未来を支える会」では、学校への看護師をはじめとした医療的ケア児の就学支援を行っています。今回は、そんな「親子の未来を支える会」と自治体が連携を図り、医療的ケア児の就学支援に成功した事例をご紹介します。北村教授と長野県 小布施町教育委員会 関口氏にお話を聞きました。 >>前回の記事はこちら見落としがちな親視点 保護者に聞く&寄り添う看護-医療的ケア児と訪問看護 清泉女学院大学 小児期看護学北村 千章(きたむら ちあき)教授看護師・助産師。新潟県立看護大学大学院看護学研究科修士課程修了。「全国心臓病の子どもを守る会」にボランティアとして参加したのをきっかけに、先天性心疾患および22q11.2欠失症候群の子どもたち、医療的ケアが必要な子どもたちを、地域ボランティアチームをつくってサポート。2019年、清泉女学院大学看護学部に小児期看護学准教授として着任。慢性疾患のある子どもたちが大人になったときに居場所を持ち、ひとり立ちできるための必要な支援や体制つくりについて研究している。同年、NPO法人「親子の未来を支える会」の協力を得て、医療的ケア児の就学サポートを開始。医療的ケアが必要な子どもが、教育を受ける機会が奪われないしくみづくりを目指す。2023年4月より、清泉女学院大学看護学部 小児期看護学 教授に就任。小布施町教育委員会関口 和人(せきぐち かずと)氏2002年長野県の小布施町役場に入職し、建設水道課、健康福祉課等を経て、2022年度より教育委員会子ども支援係の係長に就任。子ども支援係では、保育園・幼稚園~小・中学校までの支援を担当している。 ※本文中敬称略 行政との連携で子どもたちの自立をサポート ―小布施町教育委員会と、「親子の未来を支える会」との関係性について教えてください。 北村: 最初に、「親子の未来を支える会」と小布施町教育委員会とが連携したのは、胃ろうからの経管栄養が必要な医療的ケア児のAさん・Bさん(下記)の事例でした。このお二方は、看護師や学校の先生、自治体といった多職種の連携サポートによって小学校に通えるようになったあと、「胃ろうから自己注入ができるようになった」「経口摂取が可能になった」など、大きな成長が見られたんです。子どもたちには、我々には分からない未知数の「持っている力」があって、そうした力を引き出せるということが看護師にとっての一番の魅力であり、やりがいだと思います。一方、看護師だからできる医療的ケアもあるものの、当然学校の先生や教育委員会の方々との協力体制がなくてはサポートが実現できません。 関口: 教育委員会の者は、当然ながら医療従事者に比べてずっと医療的な知識が少なく、それまで医療的ケア児の就学支援を行った前例もありませんでした。各ご家庭のニーズ・状況に合わせて医療従事者に適宜質問しながら対応策を考え、行動するしかなかったんです。Aさん・Bさんの事例以降、マニュアルの作成や支援会議の開催などの準備段階から、その都度、北村先生にはご相談をしていて、助言のおかげで比較的スムーズで柔軟な対応ができていると思います。■小布施町教育委員会と親子の未来を支える会との連携事例 【事例】・医療的ケア内容:Aさん・Bさんともに「胃ろうからの経管栄養」 ・Aさん:町外の特別支援学校に通っていたが、小布施町の小学校に転入し、学校看護師を配置して通常級へ。 栄養剤からミキサー食に変更したほか、現在は中学校の通常級に通いながら、胃ろうからの自己注入も可能に。自立への道が開けた。 ・Bさん:Aさんの転入前は、訪問看護ステーションの協力を得ながら小布施町の小学校に通学。Aさんの転入に伴い、学校看護師によるBさんの医療的ケアが可能に。現在は給食の経口摂取をしている。 ―Bさんがもともと通っていた小学校にAさんが転入したことがきっかけで、小布施町との連携事例が始まったと伺っています。詳しく経緯を教えてください。 関口: もともとその小学校がBさんを受け入れることができていた理由は、主に2点あります。まずは、訪問看護ステーションの協力を得られ、学校に看護師を派遣してくださっていたこと。ふたつ目は、Bさんが常時医療的ケアが必要なお子さんではなく、給食を胃ろうから注入するケアのみで、サポートのハードルが低かったことです。 そこに、Aさんの転入を受け入れるお話があり、どうすればいいか検討していく過程で「親子の未来を支える会」と出会い、連携が始まりました。 北村: Aさんのご自宅から小学校までは徒歩5分。学習能力も十分にあるのに、胃ろうがあるために小学校に受け入れてもらえず、隣の市の支援学校に入学することになったんです。隣の市へ毎日送迎するお母さんは、とても大変なご様子でした。そんな中で、我々「親子の未来を支える会」に、小布施町の相談支援員さんからAさんの件でご相談をいただいて、関わらせてもらったのです。 その後、Aさんは小布施町の小学校に転入し、学校看護師を配置して通常学級へ通えるようになりました。総合栄養剤からミキサー食に変更したほか、転校から4年経った現在は、中学校の通常級に通いながらいろいろと学習され、自己注入もできるようになっています。「医療的ケア児」の定義から外れるまでに、Aさんが自分でできることが増えていったのです。 以前は「高校に通う」ことも想像できなかったかもしれませんが、今は家族も本人も高校に通う夢を叶えたいと思っていらっしゃると思います。 ―Bさんについてはいかがでしょう。 北村: 低体重で生まれて嚥下障害もあったBさんは、保育園や小学校の低学年のころは、訪問看護師さんが経管栄養の管理だけサポートしていました。その訪問看護師さんが介入していたことがとても大きくて、例えば、給食を注入しているときにBさんが欲しがるそぶりを見せた際、少し口から摂取できていたそうなんです。それを見ていた訪問看護師さんが、「口からも食べている」「もしかしたら、もうちょっと口から食べられるんじゃないか」といった情報を我々に提供してくださいました。また、通っていた放課後等デイサービスの看護師さんからも、「子どもたちが集まる場所だとBさんは口から食べようとするし、実際に少し食べている」という情報も得ることができた。こうした情報がなければ、ずっと注入だけを続けていたかもしれません。もちろん家でケアをする親御さんも、経口摂取を諦めず、チャレンジされていました。 ただ、学校側としては当然主治医の指示書通りにやらねばならず、給食を口から食べさせるチャレンジはできていませんでした。そこで私は、まず小布施町のかかりつけ医のところに行き、経口摂取へのチャレンジをすすめる意見書を書いていただけないか相談しました。その意見書や諸々の根拠・データ類を持ってBさんが通っていた小児専門の主治医に会いに行ったんです。最初は、「何言っているの?先天的に嚥下障害があるんだよ?」と言われました。でも、データを見せながらお話していくと、「少しだけなら食べさせてもいい」とおっしゃったんです。Bさんに以前から関わっている看護師さんたちのアセスメントも強い追い風になり、私たちは少しずつですが給食の経口摂取にチャレンジできるようになりました。現在のBさんは、注入しないで給食を食べられるまでになっています。 やはりBさんは、幼いころから専門性が高い訪問看護師のケアを受けていたことがとても大きかったと思います。そこで「食べられるかもしれない」と看護師が気づかなければ、我々がサポートしても、注入なしで給食を食べさせるといったチャレンジには到達できなかったでしょう。 ―AさんもBさんも、胃ろうによる経管栄養のケアをしているなかで、自立への道が広がったのですね。改めて、「食の自立」の重要性についても教えてください。 北村: まず、総合栄養剤とミキサー食では栄養がまったく異なりますし、ミキサー食のほうが当然ながら体重も増えます。 Bさんが「食べたい」と思ったのは、友達が給食を食べている様子を見たからではないかなとも思うんですね。みんなと同じ給食のメニューを、目の前に運んできます。「これをミキサーするね」と見せるんです。この時点で他のお友達と一緒のメニューだとBさんは分かります。おいしそうなごはんやみんなが食べる様子を見て、自分も食べたいという欲求が湧く。それに訪問看護師さんが気づいて、口から給食を食べるという支援につながっていきました。食べることは五感を使いますし、幸せなことです。五感を働かせる環境をつくることはとても大切だと思います。 子どもの「やりたい」「うれしい」が波及 ―通常学級で医療的ケア児を受け入れることのハードルの高さは感じますか? 北村: そうですね。全国的にもまだ難しいと思います。例えば、小布施町の事例ではないですが、15年ほど前に総合栄養食を使っていた福祉施設に疑問を感じて、ミキサー食を実施しようとしたのですが、「二回調理することになるからNG」と言われてしまいました。この施設に限らず、NGと言われるケースは結構多いと思います。そのときは、やる気のある施設長が「そんなことできるの?やってみよう!」と言ってくれたので、最終的にミキサー食を作ることができ、ご本人も親御さんも喜んでいました。でも基本的には、学校の教育現場でも調理現場でも「何かあったら困る」という考えになってしまいがちです。 初めて医療的ケア児を受け入れるのですから、先生たちが心配されるのは無理もありません。だから私たちは、Aさん・Bさんのケースでも先生たちが安心するまでは終日看護師がつかなければいけないと考え、それに賛同してくださった小布施町が予算をつけてくれたんです。看護師がケアする様子を実際に見て、学校の先生たちの不安も軽減していきました。「もう大丈夫だな」と思ったところで、看護師の派遣時間を減らしていきました。 ―多職種の連携によって、学校側も次第に安心して支援ができるようになっていったのですね。 北村: そうですね。例えばAさんの場合、地元のこども病院も協力してくださいました。たまたまAさんが入院することになったとき、訪問看護師さんや我々が作った自己注入のマニュアルを病院に持って行き、病院の看護師さん立ち会いのもと、Aさん主体で自己注入を実践しました。これが「見守りのもとなら自己注入ができる」という実績になりましたし、「これほどしっかり手技を取得できているのだから、学校でもできるよね」という考えが広がっていったのです。医療従事者や学校の先生、自治体などがひとつのチームになって連携すると、「安心」が増えていくのだと思います。 でも、やはり最も影響力があるのが、お子さん自身の「自分でできる」「できてうれしい」というメッセージですね。Aさんからは、「もう自分でいろんなことができるようになったから、そんなに看護師さんたちがケアしてくれなくてもいいよ」との言葉がありました。Aさんの成長やうれしそうにしている様子は、学校の先生や教育委員会の人たちへの最も強いメッセージになったんです。 ―子どもの自立をサポートしたい気持ちはひとつだからこそ、子どもからのメッセージは影響力があるんですね。関口さん、医療的ケア児の就学支援について、行政側が考える課題も教えてください。 関口: はい。そもそも自治体としてまだ医療的ケアが必要なお子さんを受け入れる体制が作れていない現実があります。やはり、自治体側の医療的ケア児に関する知識が根本的に足りないんです。例えば、医療的ケア児の保護者様から入園に関するご相談をいただく際も、ケア内容がケースバイケースですし、柔軟・スピーディに対応しきれていない状況なんです。 そのため、医療従事者を教育委員会内に入れたほうがよいと考えました。 教育委員会内で看護師を雇用 ―小布施町では、2023年度より教育委員会として看護師配置が決まったのですよね。 関口: はい、2023年4月以降、教育委員会内に看護師を配置しました。NPO法人「親子の未来を支える会」と契約しての連携も非常に良かったですが、契約によってどうしても業務内容が限られてしまい、やれることの限界があります。今後は保護者の相談をはじめとした初期対応や学校の先生・外部の医療従事者との連携など、フットワーク軽く柔軟な対応ができる体制に整えるようにしていきたいと思っています。 ―保健師さんがそういった動きを担うことは、やはり難しいものなのでしょうか。 関口: そうですね。そういったご質問をいただくこともあります。制度が変われば保健師が介入する道もあるかもしれません。ただ、現状保健師は母子保健のほうで手一杯で、実際に医療的ケア児やそのご家族と関われるのは、基本的に就学前だけなんです。 北村: その現状がありますね。その中で、小布施町教育委員会内の看護師配置は、今後につながるとても良い取り組みだと思います。これを機に、医療的ケア児や保護者の環境がより良くなっていくことを期待しています。 ―ありがとうございました。 ※本記事は2022年12月および2023年1月の取材内容をもとに構成しています。 執筆:高島三幸取材・編集:NsPace 編集部

これからの医療的ケア児と訪問看護
これからの医療的ケア児と訪問看護
インタビュー
2023年4月25日
2023年4月25日

見落としがちな親視点 保護者に聞く&寄り添う看護-医療的ケア児と訪問看護

2021年に「医療的ケア児及びその家族に対する支援に関する法律」が施行され、医療的ケア児への支援は「努力義務」ではなく「責務」となりました。そうした時代の流れの中で、訪問看護師が医療的ケア児のサポートに入るニーズが増加しています。しかし、技術的なハードルの高さや保護者との関係性に悩む看護師も多いようです。医療的ケア児の支援に造詣が深い、清泉女学院大学の北村千章教授にお話を伺いました。 >>前回の記事はこちら医療的ケア児にまつわる課題&あるべき支援-医療的ケア児と訪問看護 清泉女学院大学 小児期看護学北村 千章(きたむら ちあき)教授看護師・助産師。新潟県立看護大学大学院看護学研究科修士課程修了。「全国心臓病の子どもを守る会」にボランティアとして参加したのをきっかけに、先天性心疾患および22q11.2欠失症候群の子どもたち、医療的ケアが必要な子どもたちを、地域ボランティアチームをつくってサポート。2019年、清泉女学院大学看護学部に小児期看護学准教授として着任。慢性疾患のある子どもたちが大人になったときに居場所を持ち、ひとり立ちできるための必要な支援や体制つくりについて研究している。同年、NPO法人「親子の未来を支える会」の協力を得て、医療的ケア児の就学サポートを開始。医療的ケアが必要な子どもが、教育を受ける機会が奪われないしくみづくりを目指す。2023年4月より、清泉女学院大学看護学部 小児期看護学 教授に就任。 技術的には医療的ケア児の支援は難しくない ―医療的ケア児のケアについて、「技術的に難しい」と感じている訪問看護師も多いようですが、北村先生はどのようにお考えでしょうか。 そうですね。訪問看護の利用者は、終末期を在宅で過ごしたい高齢者の割合が高いと思います。いきなり医療的ケア児の看護に入ることになったら、戸惑うでしょう。私も初めて医療的ケア児のサポートをしたときは、すでに研究の世界に身を置いて臨床から離れていたこともあり、不安でした。ですから皆さんの気持ちは分かります。 でも実は、技術的には終末期患者のケアのほうが大変なんです。医療機器の使い方さえ覚えれば、医療的ケア児のケアのハードルはそこまで高くありません。ベテランの看護師ならなおさら、技術的な部分に対して身構える必要はないと思います。 私が所属する「親子の未来を支える会のチーム」には、志が高い看護師ばかり集まっていますが、やはり技術面において「本当に対応できるのか」と、心配する声は多かったです。でもいざ現場に入ってみると、医療的ケア児の保護者に色々と教えていただきながら、しっかりサポートできています。保護者の皆さんは、ご自身で医療機器の使い方を調べながら、一生懸命お子さんのケアをされています。そんな方々の胸を借りるつもりで、サポートすればいいのではないかと思います。 保護者はずっと「がんばれ」と言われている ―「保護者の胸を借りる」というお話が出ましたが、保護者とうまく関係性を築けずに悩む訪問看護師も多いようです。北村先生は、どのように保護者と関係性を築かれているのでしょうか。 私の場合、あるお母さんとの出会いが大きな学びにつながりました。今から15年ほど前に遡りますが、私は大学院で勉強しながらフリーの看護師をするという、二足の草鞋を履いていました。そのころ出会った福祉施設の方に、「あるお母さんと、うまくコミュニケーションが取れる看護師がいないから困っている」と言われ、放課後等デイサービスで医療的ケア児と関わる機会をいただいたんです。私は、そのお母さんは看護師を信頼できないのかもしれないと思い、「話を聴くしかない」と考えました。 医療的ケア児のBさんは人工呼吸器をつけているのですが、ご自宅を訪問するとすぐに、「とても愛されて大切にされている」ことを肌で感じました。私もお母さんと同じ気持ちで大事にケアをしていきたいと思い、日々お母さんに寄り添いながら傾聴していったところ、最初は不安そうなお母さんの顔がだんだん和らいでいきました。 ひとつ忘れられないエピソードがあります。そのお母さんはとある男性歌手の大ファンだったのですが、Bさんを産んでから1回もライブに行けていませんでした。そんな彼女が、「地元でその男性歌手のコンサートがあるから行きたい」とおっしゃったんです。福祉施設の施設長から「行かせてあげたいから、帰宅するまで子どもを見てくれないか」と頼まれ、引き受けしました。緊急トラブルが起こったときのために、施設長にもサポートしてもらいました。 幸い何事もなく、20時ごろにお母さんは帰宅されたのですが、「本当にありがとう。とってもうれしかった」とものすごく感謝してくださったんです。障害のある子を産み育てていくと、「自分ががんばらなければ」「我慢しなければ」という気持ちになるんですね。その様子をみて、私は「コンサートにも行けなくなるのか」「普通の暮らしが難しくなるんだな」と、切なくなりました。 その後、心を開いてくだったお母さんから、「すごくがんばっているのに、看護師に『もうちょっとがんばりましょう』と言われると、『なんで!』と攻撃的になってしまうんです」と本音を聴くことができました。そのとき、それまで看護師とうまくいかなかった原因が初めて分かったんです。腹を割って話せたことで、お母さんとの距離はさらにぐっと縮まりました。医療的ケア児の保護者の気持ちを学ぶことができて、今でもBさんのお母さんとの出会いに感謝しています。今でもBさんのお母さんとは友達で、これまで技術的な面も含めてたくさんのことを教えていただきました。 ―そのような経験を経て、看護師の保護者との接し方について、どのようにお考えでしょうか。 医療的ケア児の保護者の皆さんは、毎日必死。それまで当たり前だった「日常」を過ごせなくなり、気持ちがずっと張り詰めたままがんばっています。自分を責めている人もたくさんいます。そうした保護者の背景を想像せずに、看護師が「もうちょっとがんばれ」と言ったら、誰でも攻撃的になってしまうでしょう。 私たち看護師は、そんな自責の念で苦しんでいる保護者の気持ちを理解し、忘れてはいけないと思います。また、保護者は常に困っているので、看護師が医療的ケア児をサポートすることは「必ず保護者の助けになる」ことも忘れてはいけません。保護者は「自分の話を聴いてもらいたい」という気持ちがあると思うので、まずは、寄り添って話を聴く。そして技術的なことについては怖がらずに、「どうすればいいですか? 教えてください」と素直に頼ればいいと思います。また、「笑顔がかわいくなったね」「今までと違う動きができるようになったね」「体重が増えてよかったね」などと、お子さんのことを褒められると保護者はうれしいものです。「この看護師さんは、子どもをよく見てくれて、丁寧に関わってもらえているな」と思ってくれると思います。 ―逆に気を付けたほうがよいポイントはありますか。 子どもにとってベストなケアを考えると、看護師は保護者に向かって「子どものためにもっとこうしたほうがいいですよ」というアドバイスをしてしまいます。直接的に「がんばれ」と言っていなくても、こうした発言は保護者の負担になっているケースが多いので、気をつけたほうがいいと思います。 私もNICUで働いていたときは、なかなか保護者の気持ちが理解できませんでした。お母さんの気持ちを理解したくて、助産師の資格を取った経緯もあります。そこからやっと、保護者の立場に立って考えられるようになりました。NICUの看護師の場合は「子どものケア」が中心になるため、「お母さん、母乳で授乳しましょう。おっぱいをあげることは、とてもいいんですよ」などと言ってしまいがちですよね。でも、出産後、赤ちゃんが重度の障害を持っていると言われたら、当然ですがショックが大きくて思考や母乳が止まってしまうお母さんもいます。がんばりたい気持ちがあってもがんばれない。そんな状況の人に対して、「子どものためにがんばって」と追い込むようなメッセージを無意識に発しているケースが多いんです。 少しでも保護者側の視点に立って、寄り添いながら話を聴いてケアをする。やはりそれが一番大切ではないでしょうか。「きちんと保護者の話を聴いて理解しているのか」と自問してみて、自信がない場合は気を付けたほうがいいと思います。 看護学校の教科書で、家族中心のケア(Family-Centered Care; FCC)について学んだと思います。知識はあっても、現場に入るとどうしても患者中心になりがちです。改めて家族にも尊厳と敬意を持ち、家族と十分なコミュニケーションを図って情報を共有すること。そして、家族が望むレベルと、ケアや意思決定への参加を推奨し、支持をして、家族と協働することが大事です。 保護者が持つ看護師のイメージ ―北村先生は、研究上さまざまな保護者の方にインタビューする機会があると伺っています。保護者側からはどんな声が聞こえてきますか? そうですね。話を聞くと、やはり子どもが急性期のときに関わるNICUで最初に出会った看護師に良いイメージ持っていない保護者が多いように感じます。障害がある子を抱えて大きなプレッシャーや不安を感じる中でも、本当は毎日子どもに会いにいきたい。でも、例えば体調が悪く行けないことがあると、「お母さんなんだからがんばってね」と看護師に言われる。それが一番つらくて、行こうとすると足がすくんで、子どもに会いに行けなくなる…。といった保護者の声も聞きました。 もっと「NICUの看護師さんによくしてもらった」「看護師さんが話を聴いてくれてありがたかった」という経験ができるようになればいいと思います。そうすれば、退院して子どもと自宅に戻って暮らし始めても、もっと訪問看護師に甘えられるはずですよね。NICU側も変わっていかなければならないですが、訪問看護師の皆さんには、まずはこうした現状を理解してもらえるとうれしいです。 ―医療的ケア児の保護者で、SNSやブログなどで積極的にコミュニティを作り、前向きに動いている方も多いようです。 本当にそのとおりなんです。LINE、ブログ、SNSなどの情報ツールの発達によって、医療的ケア児を育てる保護者同士のネットワークはすごく広がっていますね。皆さん、医療やケアに関するたくさんの情報を持っています。私も「22q11.2欠失症候群」という遺伝性疾患の会を主催していますが、最新の研究内容をお伝えしようとしたら、すでにその英語の論文を読まれていたという保護者もいらっしゃいました。「100円ショップで見つけたアイテムでこんな風にケアをしています」といった経済的に負担の少ない介護の工夫をされている方もいて、それを私が講演会で他の保護者の方々に紹介するケースもあります。 看護師は「患者やその家族にアドバイスしなければ」と思いがちですが、保護者の方々はそうした最新情報を収集して勉強され、日々実践されています。教えてもらうことのほうが多いので、そういったスタンスで接していくほうがうまくいくと思います。 ―悩みながら医療的ケア児のサポートをしている訪問看護師さんたちに向けて、メッセージをお願いします。 高齢者の訪問看護について、「高齢者が地域でどう暮らしていくか」を考えてケアをされていると思いますが、医療的ケア児もまったく同じです。加えて、彼ら・彼女らには何十年もの先の未来があり、サポート次第で大きく選択肢が広がります。そして、ずっと走り続けてつらい時間を過ごされている保護者の心身のケアをすることも、とても重要な役割です。 医療的ケア児やその保護者との接し方に悩むこともあるかもしれませんが、壁を乗り越えて「貢献できた」と感じられたら、大きなやりがい・喜びを感じられるようになると思います。 ―ありがとうございました。次回は、教育委員会との連携事例について伺います。 次回の記事はこちら>>親子の夢が広がる 医療的ケア児の就学支援事例 【長野県 小布施町】 ※本記事は2022年12月の取材内容をもとに構成しています。 執筆:高島三幸取材・編集:NsPace 編集部

これからの医療的ケア児と訪問看護
これからの医療的ケア児と訪問看護
インタビュー
2023年4月18日
2023年4月18日

医療的ケア児にまつわる課題&あるべき支援-医療的ケア児と訪問看護

厚生労働省によると、医療的ケア児(NICU等に長期入院した後、人工呼吸器・胃ろう等を使用して、医療的ケアをしながら日常を送る児童)の数は約2万人に上り、2008年ごろと比べると2倍になっています。2021年には、「医療的ケア児及びその家族に対する支援に関する法律」が施行され、医療的ケア児への支援は「努力義務」ではなく「責務」となりました。そうした時代の流れの中で、医療的ケア児にまつわる課題やあるべき支援、訪問看護師できることは何でしょうか。清泉女学院大学 北村千章教授にお話を聞きました。 清泉女学院大学 小児期看護学北村 千章(きたむら ちあき)教授看護師・助産師。新潟県立看護大学大学院看護学研究科修士課程修了。「全国心臓病の子どもを守る会」にボランティアとして参加したのをきっかけに、先天性心疾患および22q11.2欠失症候群の子どもたち、医療的ケアが必要な子どもたちを、地域ボランティアチームをつくってサポート。2019年、清泉女学院大学看護学部に小児期看護学准教授として着任。慢性疾患のある子どもたちが大人になったときに居場所を持ち、ひとり立ちできるための必要な支援や体制つくりについて研究している。同年、NPO法人「親子の未来を支える会」の協力を得て、医療的ケア児の就学サポートを開始。医療的ケアが必要な子どもが、教育を受ける機会が奪われないしくみづくりを目指す。2023年4月より、清泉女学院大学看護学部 小児期看護学 教授に就任。 目標は、子どもたちの未来を広げること ―先生が理事をされているNPO法人「親子の未来を支える会」では、「赤い羽根福祉基金」による活動として、医療的ケア児の就学支援体制の構築や、「学校における高度な医療的ケアを担う看護師」(以下、「学校看護師」)の派遣、各種施設の視察、学校看護師を集めるための研修会等を実施されています。どのような想いで活動されているのでしょうか。 学ぶ意欲があり、学べる能力があっても、生活する中で医療的なケアを必要とする子どもの学び先は、特別支援学校に限られてしまうことが大半でした。「親子の未来を支える会」では、そうした子どもの就学先の選択肢が狭まってしまう現状を課題に掲げ、彼らが学校で学べるように「学校看護師の配置」の実現を最低限の目標にして活動を続けてきたのです。 以前は、人工呼吸器をつけている医療的ケア児は長生きができないという現実がありましたが、今は決してそんなことはありません。むしろ人工呼吸器をつけている状態のほうが安全であるという時代となり、医療的ケア児は成長して大人になります。そんな彼らの未来を想像すると、日常生活において自分でできることを増やしたり、彼らの持っている能力を引き出したりといった教育を、子どものころから施すことが本当に大切だと思うのです。子どもの成長を最大限に促すためにも、医療的ケアの専門知識を生かして学校職員や保護者と連携・協働ができる「学校看護師」の存在が欠かせません。 実際に支援活動を続けていると、学校で教育を受けた医療的ケア児は驚くほど自身でできることが増えていくことを実感しています。もちろん、病気や疾患を抱えているので無理はできません。主治医とも連携しながら子どもが持っている力を引き出し、これから先も続く彼らの未来が少しでも明るくなるようなサポート体制を整えていければと考えています。 教育機関に医療関係者が入るハードルの高さ ―活動されるなかで、苦労されることもあったのではないでしょうか。 そうですね。試行錯誤の連続でした。「親子の未来を支える会」で最初に支援させていただいたのは、新潟県のAさんという医療的ケア児。Aさんは小学校の途中から病気が進行して人工呼吸器をつけることになり、特別支援学校に移りました。 Aさんは知的レベルが高く、理解力もあり、何よりも本人が学校で学びたいと思っていました。でも、安全面を第一に考える学校側としては、「人工呼吸器をつけるほど重症な子どもを学校で受け入れることは難しい」という発想になってしまいます。学校側はサポートできないし、だからといって保護者がずっとAさんに付き添うという選択は、ご家族が仕事を辞めることになったり、心身ともに疲弊してしまったりする恐れもあり、現実的ではありません。教育現場に医療従事者が入ることについても高いハードルがあり、特別支援学校に移る選択肢しかなかったのです。 でも私は、Aさんの未来を考えるとやはり学校に通えたほうがいいと思い、校長先生のもとに何度も通ってAさんが学校で教育を受ける必要性や、学校に看護師を配置することの重要性を訴え続けました。先生から、「(当時の)県のガイドラインでは、医療的ケア児を学校に通わせることはNGとされているのに、北村先生はどうしてそんなに頑張るのですか?」と言われたこともあります。 ―交渉が難航する中で、どのようにして学校看護師の配置が実現したのでしょうか。 ディスカッションを重ねていくうちに、私たち以上に学校の先生たちのほうが、心情的にはAさんにそのまま学校で学んでほしいという思いが強いことに気づきました。先生は、「県のガイドラインに逆らうことは難しい」と言っていただけで、Aさんを「通わせたくない」「受け入れたくない」とは言っていなかったんです。「どうして理解してくれないのか」と訴えていた、我々の最初のアプローチのしかたが間違っていたのだと思いました。そこで一歩引いて、「どうすれば『学校看護師』の配置が実現できるか、一緒に考えていただけませんか」と相談するような姿勢に変え、先生方が主体となって考えていくと、物事が動き始めたんです。 現在は新潟県のガイドラインも変更されているので、医療的ケア児が学校に通うのはOKになりました。でも、Aさんが通い始めたときはまだガイドラインが変更される前だったので、校長先生が「人工呼吸器」を「生活補助具」として扱ってはどうかと県に提案してくださいました。そこから流れが変わり、我々のチームから学校看護師を配置できるようになり、Aさんは再び学校に通うことができたんです。 あくまでも我々は医療的ケアをする役割なので、教育について一方的に口出しするのではなく、まず先生方の考えをヒアリングすることが大切。その上で学校看護師が介入するとしたらどのような形で入ることができるのかを相談しながら、学校側を主体に話を進めていくことの重要性を学びました。このときの経験は、他の自治体で調整するときにも役立っています。 ―現在は、学校に看護師が介入するハードルは下がっているのでしょうか。 学校看護師の設置はかなり進んできましたが、全国的に見るとまだ、学校側は「どんな人が来るのかな」「あまり余計なこと言わないでほしいな」などと思いながら、恐る恐る受け入れている現状があると思います。それでは介入のハードルは下がりませんし、いいサポート連携にもつながりません。だからこそ、私たちは「学校看護師の役割」を明確にし、定義していかなければいけないと考えています。 地域で医療的ケア児を支える世の中へ ―地域連携に関しても伺っていきたいと思います。北村先生は「減災ナースながの」という活動もされています。地域の災害対応の取り組みについて教えてください。 「減災ナースながの」(https://gensainurse-nagano.org/)Webサイトより 2019年、長野県・千曲川の洪水で長沼地区のほぼ全域が浸水したという水害があった際、医療的ケア児は避難できなかったんです。幸いみんな命に別状はなかったものの、災害対応について大きな危機感を抱くようになりました。個別の支援計画はありましたが実際には何もできず、地域連携型支援も機能していませんでした。 避難所に移動するにも人の手が必要ですから、まずは医療的ケア児の存在を周囲に知ってもらえるネットワークづくりが大事だと思っています。 また、医療的ケアを必要とする人にとって電力は24時間欠かせないものであり、災害時の電力確保は喫緊の課題になります。そこで自動車メーカーの協力を仰いで、電気自動車を使用して電力を確保し、実際に人工呼吸器や加湿器の作動を試行しました。人工呼吸器は問題なく作動し、加湿器の温度上昇も確認できました。 さらに、「一緒に災害時のシミュレーションをしませんか」と県に提案し、「減災ナースながの」のホームページを立ち上げて医療的ケア児の存在を発信したり、イベントを開催して助成金を集めたりもしています。 電力確保のために動くことも大切ですが、いざというときに1日や2日でもいいので、吸引をはじめとした医療的ケアができる看護師の存在も大切になりますね。そうした連携が取れるしくみ作りを目指して、今後も活動を続けていきます。 ―医療的ケア児のケアプランを考える際、医療従事者が入っていないことにも課題があると伺っています。 高齢者の介護でケアマネジャーが介護計画を立てるように、医療的ケア児のサポート計画を考えるケアプランナーがいます。でもその役を担うのは発達支援センターに所属する相談支援専門員で、医療ではなく「福祉」の人。人工呼吸器をつけて病院から自宅に戻ってきた子どもをケアプランナーと保健師が連携して支えていますが、医療的サポートが必要だからこそ、訪問看護師が介入できる体制になったほうがいいように思います。 また、普通学級がいいのか、特別支援学級のほうがいいのかといった、子どもの就学先に関して地域の関係者が集まって話し合う「支援会議」があります。私も参加していますが、そこには保健師や訪問看護師の姿はありません。 かつて医療的ケア児は短命で、自宅に戻って来られるのは「医療的ケアの必要がない子ども」が主だったので、医療従事者が介入する必要性はないと考えられていたのかもしれません。しかし、医療技術の発達とともに医療的ケア児が増えることで、ケアの形も変化する必要があります。例えば、医療的ケア児を幼いころからサポートしてきた訪問看護師にも「支援会議」に参加してもらい、「この子はここまで自分でできます」「このサポートは続けたほうがいい」といった情報をシェアして提案してもらえるだけでも、より充実したサポートにつながるはずです。そう考えると、医療的ケア児をサポートする側と、訪問看護ステーションとの連携が大切になるとも思います。 ―訪問看護師は、医療的ケア児のケアにどのように関わっていくとよいと思いますか? 「医療的ケア児及びその家族に対する支援に関する法律」では、学校における医療的ケアも責務だとされており、「学校看護師」を設置することで保護者も働けるとうたっています。しかし、実際にはそう簡単なことではありません。夜間や土日は保護者が面倒を見なければいけませんし、学校看護師の数も足りず、制度も十分に整っていません。そこで、地域の訪問看護師がさっと学校に入り、30分でもいいので子どものケアができるようになれば、本当はすごくいいなと思っています。 医療的ケア児が退院して自宅に戻ってきたときから訪問看護師に支えてもらえれば、子どもたちも保護者も安心で助かるはずです。子どもが学校に行くようになれば、その子のことも学校のこともよく知る地域の訪問看護師がサポートしていく。さらに理想を言えば、小学校から中学校に上がっても、同じ訪問看護師が継続的にサポートしていくのがベストだと思います。 訪問看護師の皆さんは、「利用者が地域で生活していくためにどうすればいいか」について普段から考えていると思います。割合としては高齢者の方へのサポートが大半だと思いますが、その中で医療的ケア児のサポートがもっと広がっていくといいなと思います。 ―ありがとうございました。次回は、医療的ケア児の保護者との関わり方について伺っていきます。 >>見落としがちな親視点 保護者に聞く&寄り添う看護-医療的ケア児と訪問看護 ※本記事は2022年12月の取材内容をもとに構成しています。 執筆:高島三幸取材・編集:NsPace 編集部

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