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つたえたい訪問看護の話 受賞エピソード発表!入賞

つたえたい訪問看護の話 受賞エピソード発表(入賞)

NsPaceの特別イベント「第2回 みんなの訪問看護アワード」で募集した「つたえたい訪問看護の話」。厳正な審査を経て、受賞作品が決定しました。本記事では、入賞エピソード12件をご紹介します!

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つたえたい訪問看護の話 受賞エピソード発表!大賞・審査員特別賞・ホープ賞・協賛企業賞



入賞エピソード

「最後のお風呂」

投稿者: 小川 綾乃(おがわ あやの) さん

ソフィアメディ訪問看護ステーション雪谷(東京都)

A君は初対面の私に「背中撫でて、痛いの」と言って小さな背中を向けた。少しでもがんの痛みが和らげばとそっと手を当てる。泣きながら痛みと戦う小さな背中を撫でるだけの3日間。4日目のA君は座ってDVDを見ていた。「一緒に見よう」と笑顔で私を誘うA君は無邪気な5歳の男の子だった。翌朝A君が旅立ったと聞いて駆け付けた。「お風呂に入れてあげたかったな…ずっと入ってなかったから」お母さんがA君の頭を撫でながら呟く。「お風呂入りましょう」と声をかけて準備しご両親にA君をそっとお渡しする。ご両親と入る最後のお風呂。「気持ちいいね…」「ごめんね…」ご両親が涙ながらに声をかける。浴室の外で待つ私も涙が止まらない。お風呂から出て大好きなアンパンマンの洋服を着た穏やかな顔のA君を抱っこしながら「最後に家族みんなでお風呂に入れてよかった。5日間だったけど本当にありがとう」と話すお母さんの顔は泣きながらも笑顔だった。

2024年1月投稿

「スタッフの成長・管理者の涙」

投稿者: 西尾 まり子(にしお まりこ) さん

地域ケアステーション八千代・訪問看護ステーション(大阪府)

訪問看護ステーション管理者3年目に自分に自信をつけたいと思い訪問看護認定看護師養成学校の受講をした。管理者をしながらの週末の受講であった。2月になり感染症が流行し利用者の急変やスタッフの休みが増えシフトが回らない状況になりつつあった。私は悩んだが新幹線に乗った。しかし、スタッフに電話し「やっぱり大阪に帰るわ。これ以上みんなに迷惑かけられへん」と伝えた。するとスタッフから「帰ってこないでください!認定の学校に行きたいと言われた時、これくらい大変になる事くらいみんな予測してました。こんな時のために皆で無視しない助け合う約束をしています。だから頑張って来てください!何とかします!しっかり勉強して色々教えてくださいね」と言われ涙が止まらなかった。管理者となり、自分が一人で必死になりスタッフを支えているつもりでいたのが、本当は自分がみんなに支えてもらって管理者にしてもらっていたのだと深く感じました。

2023年12月投稿

「足の爪切りから始まる看護」

投稿者: 大慈 めぐみ(だいじ めぐみ) さん

訪問看護ステーション ナースであんしん湘南(神奈川県)

96歳男性。膀胱がん末期。「出来ることは自分でやりたい」という思いが強く、他者の介入が難しい状況。転倒を繰り返したり、入浴困難になり、ご家族とケアマネジャーは支援が必要な状態であると判断するが、受け入れず。ある日、足の爪切りだけは自分で出来ないと、訪問看護の依頼があった。まずは足の爪切りで訪問し、信頼関係を築くことに。お話をしながらさりげなくお困り事を聴き…。その結果、週2回の入浴介助、褥瘡処置、内服管理の支援が出来るようになった。1か月半が過ぎた頃、体調が急激に悪化…。最期は、施設スタッフのご協力もあり、住み慣れた場所でご家族に見守られ永眠された。病気による疼痛や倦怠感がある中でも、いつも奥様の体調を気遣う優しい言葉。入浴後は、「ありがとうねぇ」と、穏やかな声で言って下さったこと。髭剃りが難しく、上手に剃れなくても「すっきりしたよぉ」と気遣って下さったこと。関係機関の皆様との連携の大切さを改めて実感したりと、多くの事を学ばせていただきました。
A様は、もと学校の先生。引退された後も、こうして私達に素敵な授業をして下さいました。

2024年1月投稿

「最期の友人」

投稿者: 日高 志州(ひだか しず) さん

訪問看護ステーションおはな(埼玉県)

70代の男性、お調子者で独居の大酒飲み。今にも崩れそうなボロ家で好き勝手暮らし、年金は近場のスナックで散財していた。大腸がんがみつかり、残り少ない余命宣告をされたが、家での最期を望み帰ってきた。もちろん生活指導など聴き入れず。何か真面目な話をするとすぐ「あんたがあと30年早く産まれてくれりゃ、結婚考えてやったのになぁ…」などと冗談で返答し、私も負けじと「私と結婚するならスナック通いは禁止です」と応戦した。
しかし死期が近くなり、少しずつ体にガタが出始めると、ずいぶん弱気になってきた。トイレが近い、目がくらむ、もう1人で生活するのは心細いと話され、何度も話合った結果、施設への入所が決まった。
入所の当日、一緒に荷物をまとめ、お迎えの車へ車椅子で向かった。
乗り込む直前、私に握手を求めてきた。「あんたは最期の友人。忘れてもいいけどたまには思い出してよ」と冗談を言って笑顔で乗り込んだ。ずっと忘れない。

2024年1月投稿

「笑顔の看取り」

投稿者: 服部 景子(はっとり けいこ) さん

愛全会 訪問看護ステーションとよひら・ちゅうおう(北海道)

訪問看護師となり8年が過ぎた頃、最愛の母が余命宣告されました。一人っ子の私にとって、親友や姉妹のような大切な存在だった母の願いは「もうすぐ死ぬなら旅行がしたい」でした。渋る先生を説得し沢山の医療品を持って、札幌から軽井沢、伊勢神宮、沖縄へと3回の家族旅行をする事が出来ました。

「私のせいで大好きな仕事をやめる事になってごめんね。でも貴女がいつも側にいてくれて心強いし、毎日娘の顔を見られて本当に幸せ。出来れば最期までこの家に居たい」と母が涙した時、最後の願いを叶えてあげたいと家族で団結し、自宅での看取りを決めました。

最期は父と、私の夫の手を握り「あ・り・が・と・う」と言って旅立った母。そこに涙はなく皆の穏やかな笑顔がありました。

あれから4年。家族の苦悩を経験し、在宅看取りの素晴らしさを体験し復職した今、母のおかげで前より少し利用者さんとご家族の心にそっと寄り添えている様な気がしています。

2024年1月投稿

「余命を伝えないということ。」

投稿者: 小野寺 志乃(おのでら しの) さん

公益財団法人 宮城厚生協会 ケアステーション郡山(宮城県)

60代肺がん末期の男性の訪問看護が始まりました。往診から余命は3ヶ月と告げられたご家族からは本人には余命は伝えないでほしいと言われていました。しかし利用者本人も
「自分の体だから分かる、いつまで生きられるんだ?」
家族からは言わないように言われている、嘘もつきたくない、自分に訪問がつくたび何と声をかければ良いのか葛藤しながら訪問に向かいました。痛みや苦しさを家族に当たり散らした日には奥様が泣きながら話されることもありました。
そして利用者様は家族親戚に囲まれて息を引き取られました。翌日聞いた話では亡くなる日の朝に「迎えがきた、会いたい人に会わせてくれ」と。ご家族もびっくりされていましたがとにかく連絡をして会いに来てもらっていました。最後に奥様に話される時「ラブラブな時間を奪わないでくれ」と娘様までも追い出したそうです。2人きりになるなり奥様の顔を手で包み「しわしわになったな、俺のせいか。これからも愛してるよ」と言って翌朝に亡くなられたそうです。
余命を伝えなくても人生の終わりを迎える日が分かっていたんだと私自身も貴重な経験ができました。家族という存在も生きる原動力になると私は思いました。

2024年1月投稿

「思い出の淡路島」

投稿者: 池田 裕季(いけだ ゆうき) さん

社会医療法人社団正峰会 正峰会訪問看護ステーション(兵庫県)

今でも海を見ると思い出す利用者さんがいます。
初回介入時点では交通機関を利用して単独外出が可能でしたが、1か月経過頃から床上生活を余儀なくされました。利用者さんはお洒落をして外出するのが趣味で、ご主人とはよく淡路島へドライブに行っていました。
残された時間が少ないことは本人も感じており、涙ながらに「最期に淡路島に行きたい」と伝えてくれましたが、状態が悪く外出許可が下りませんでした。しかしステロイドの内服により活気が蘇り、この機を逃さないよう主治医から外出許可を取りました。家族との絆の深さ、関係各所の協力に支えられ、許可を得た週末に、家族全員での淡路島旅行を決行できました。
時間としては移動も含めて2時間程度の旅行でしたが、「楽しかった~!」と笑顔で帰宅。その日は朝から雨が降っていましたが、家族写真には全員の眩しい笑顔と綺麗な青空が収められていました。帰宅から約6時間後、眠るように永眠されました。

2023年12月投稿

「ワンチームで叶える最後の願い」

投稿者: 坂下 聡美(さかした さとみ) さん

一般社団法人 在宅看護センター北九州
訪問看護・リハビリステーション 在宅看護センター北九州(福岡県)

2023年10月、スリランカに嫁いだ娘が帰ってくると嬉しそうに語るY様。余命は、週単位となっていた。Y様家族は、実行したいリストなどを作成し、私たち訪問看護師に見せて下さる。私たち訪問看護師は、介入して間もなかったが、その温かいご家族の空気感の中、いつの間にかその家族の一員になっていくような感覚を覚えた。11月に入り、「菊花祭、見に行けるかな…」と呟くY様。娘様曰く、息子様が新車を購入したので交通安全祈願のついでに、家族みんなでお出かけしたいとのことであった。ちょうどその時、主治医がお見えになられ、勇気を振り絞り、「最後の家族外出をしたい」と、Y様が仰った。主治医は、深くうなずいて見守る私たち訪問看護師の目を見て、「ワンチームでその願い叶えましょう!」と、英断され、そこからが、このチームのすごいところ。訪問看護師の鶴の一声で、多職種各事業所の方も参加下さり、「最後の外出」を決行した。当日、天気にも恵まれ、神様もワンチームとなったその日から4日後に旅立たれた。菊を見たら、今でもその時の光景を思い出す。

2024年1月投稿

「感謝の気持ちと恩返し。」

投稿者: 鉾山 英美(ほこやま えみ) さん

りゅうじん訪問看護ステーション枚方公園(大阪府)

病棟に5年勤め、訪問看護に携わり10年以上続けています。病棟では、環境の変化や人間関係から鬱病になり、一度看護師を辞めました。看護師を辞めて半年程すると、また看護師をしたいなぁと思い、知人の紹介で初めて訪問看護の世界に飛び込みました。まだ鬱病も治っていない状況で、私の中では社会復帰と思いながらまずは週2回の勤務から始めました。それでも、時々言いようのない不安や怖さに襲われ、事務所の最寄り駅に着いたら涙が溢れ、立ち竦むこともあり。出勤できない日もありました。それでもスタッフの皆が理解してくれ、温かく見守ってくれました。徐々に訪問を重ねる中で、利用者様から「また来てな」と声を掛けられたり、スタッフとも気兼ねなく話せるようになり、出勤日数も徐々に増やせました。移動中に見る景色、利用者様とのゆったりした時間。スタッフや家族のサポートがあり、鬱病を克服することができました。そして、ずっと訪問看護を続けています。あの時、訪問看護で働いていなければ、今の私はいません。私を救ってくれたこの仕事にいつも感謝し、恩返しの気持ちでいっぱいです。大好きな仕事です。これからも続けていきます!訪問看護ありがとう!

2024年1月投稿

「心に残る誕生日プレゼント」

投稿者: 大日向 麻子(おおひなた まこ) さん

訪問看護ステーションリカバリー 東村山事務所(東京都)

「誕生日を家で迎えさせてあげたい」
電話口でのご家族の言葉でした。利用者様はある日ご自宅での転倒を機に入院、主疾患治療中に他疾患も併発してしまい、医師より余命や療養型病院への転院についてお話があったとの事でした。その言葉を聞いた後、私は関係各所と連絡をとり、改めてご家族へ在宅療養を提案してみる事にしました。ご家族は悩んだ末、在宅で過ごす決断をしてくださり、サービスを調整して年末に退院。徐々に全身状態低下は見られましたが年明けには待望のお誕生日を迎える事が出来ました。「ケーキのクリームを舌に乗せたら、にこっと笑った気がしたの!こっちがプレゼントもらった気分だよ…」とご家族からもニコニコで報告がありました。その1週間後、眠るように息を引き取られました。最期の時間をどう過ごすか、選択をする事は大変な事だと思いますが、その選択に意味があると感じます。これからも自分たちに出来る事を探し続けて行きたいです。

2024年1月投稿

「最期の洗髪」

投稿者: 安藤 あゆ美(あんどう あゆみ) さん

公益社団法人 新潟県看護協会 訪問看護ステーションつくし(新潟県)

癌末期のAさんは美人でいつも髪の毛をきれいにアップしている理容師さん。お姉さんと息子さんと理容室を営んでいてお姉さんが熱心に介護されていました。徐々にベッドで過ごす事が多くなり残された時間が短いと思われた頃、訪問看護師から息子さんに洗髪を提案。頭の下にオムツを敷いて「初めて母親の髪を洗いました」と言う息子さんの手つきはさすがプロ。「気持ちいいね」とAさん。数日後にご家族に見守られながら穏やかなお顔で旅立たれました。実はあの時、洗髪を息子さんにお願いしたのは理由がありました。息子さんが直接介護をする事が少なかったので、亡くなった後に後悔するのではと思ったのです。洗髪する事で息子さんが満足する看とりができるといいなと考えたのです。Aさんのお悔やみに伺った際、訪問看護への思いを聞いた時「最高でした」と笑顔で答えてくださいました。良かったなと思いました。

2024年1月投稿

「訪看だって泣いていいんだ。」

投稿者: 中島 絵理子(なかじま えりこ) さん

一般財団法人同友会 藤沢訪問看護ステーション(神奈川県)

急性期で働いていた頃、看取りは日常的だった。看護師は常に冷静で、涙を流す事など許されないと思っていた。
訪問看護師として働き7年が過ぎた頃、あるご夫婦を担当することになった。ご主人Tさんは肺癌末期、奥様Sさんは心不全でお二人同時に介入をしていた。
Tさんは癌性疼痛があってもSさんを気遣い、そう遠くない将来別れが来るのかと思うと、Tさんの笑顔を見る事を辛く感じる事もあった。
半年が過ぎた頃、Tさんの容態が悪化し入院することになった。『僕はね、この家で死にたいんだ』といつも言っていたが、Sさんの負担になりたくないというご本人の希望だった。
1人になったSさんを訪問すると私を見るなり『連れて帰りたい!私、頑張るから!私が見るから!』と泣きじゃくった。
私は何と言って良いのか分からず、Sさんの肩を抱いて一緒に泣く事しかできなかった。
数日後Tさんが亡くなった。
Tさんの仏前に手を合わせる私にSさんは言ってくれた。『中島さん、一緒に泣いてくれてありがとう。これからも私の訪問に来てくれる?』
今もSさんのお宅へ訪問に伺っている。Tさんの思い出話をするSさんの笑顔を1日でも長く見られる事を願っている。

2024年1月投稿

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皆さま、おめでとうございます!
今後、「みんなの訪問看護アワード」表彰式の様子をご紹介する記事や、大賞・審査員特別賞・ホープ賞を受賞したエピソードの漫画記事も順次公開予定です。ぜひご覧ください。

編集: NsPace編集部

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