みんなの訪問看護アワード2023

忘れられない思い出エピソード【つたえたい訪問看護の話】
忘れられない思い出エピソード【つたえたい訪問看護の話】
特集
2025年12月2日
2025年12月2日

忘れられない思い出エピソード【つたえたい訪問看護の話】

訪問看護師の仕事は、人との出会いの連続です。「みんなの訪問看護アワード2023」に寄せられた投稿から、そうした出会いの中で、今でも忘れることができない利用者さんやご家族に関わるエピソードを4つご紹介します。 「ラブレターと、家で叶った2人の外出」 健やかなる時も病めるときも…。夫婦になる際の誓いの言葉を、最後まで行動で示す夫婦愛に感動するエピソードです。 仲良し夫婦の妻が入院。お見舞いに制限ある中、夫は「あなたが家にいなくて寂しい。元気になって帰ってきてください」と手紙を送る。入院中に胃ろう造設。手技が定着しないまま退院。訪問看護とリハが関わる。訪問看護師の指導で夫は胃ろうの手技をマスター。リハでの離床・移乗練習も行い、車いすで近所の公園に外出。2人で桜を見て満面の笑顔。妻はその後しばらくしてご逝去されたが、夫は最期をともに過ごせて安堵した表情がとても印象的でした。 2023年2月投稿 「最期の直前に電話してくださって眠るように旅立たれたAさん」 最期まで自分の生き方を全うした利用者さんが印象に残るエピソードです。 奥様が他界されてからは、独居のAさん。心不全で在宅酸素療法、尿道留置カテーテルを挿入している90代の方。今まで緊急訪問や救急搬送での入退院がたびたびありました。独居生活も厳しくその都度話し合いを重ねてきましたが主治医にはどうか自宅で看取ってくださいと懇願しておられました。Aさんは亡くなる当日の朝ご飯も食べ、ヘルパーさんに調子悪いので昼来て欲しいと言われました。午後看護師につらいので来てほしいと電話があり30分後に駆けつけました。携帯電話を握りしめまるで眠っておられるように安らかな最期でした。私たちの心配をよそに、きれいに安らかに旅立たれたAさん。最期まで希望を持って生き抜いたAさん。言葉で言い表せないことを教えていただきました。 2022年12月投稿 「白いごはんが食べたい」 大切な思い出は疾患を凌駕する原動力にもなると思い知らされるエピソードです。 アルツハイマー型認知症、脳梗塞後の80代女性で、娘さんと仲の良い方だった。こちらの言っていることは理解できていたが、自ら主体的に動くことはなく文字通りされるがままの様子だった。入院先の病院では食べる力はあるものの、食べることをやめていたのか食事がまったく進まなかったようである。娘さんから女性は畑仕事が好きだったこと、仕事に向かう旦那さんには両手に収まらない程の大きなオニギリを作って仕事に送り出していたことを聞き、自宅でゆっくり関われば食べる力を取り戻すと信じ、娘さんと一緒に食事を口元に運び続けた。訪問を続けたある日。「白いごはんが食べたい」と、その女性ははっきりと口にした。そのうちに表情が戻り、箸を使って食事を食べるようになった。あの日、驚き娘さんと顔を見合わせ、手を叩いて喜んだことは今でも忘れられない。 2023年2月投稿 「2人の時間を今も内緒にしていること。」 前向きに笑顔で疾患に立ち向かうことを約束した二人だからこそ、儚くも代えがたい大切な時間をつくれたのかもしれませんね。 訪問看護1年目(26歳)、初めての癌末期自宅での看取りでした。(70代女性)先輩と2人で同行訪問して、利用者様からいただいた初めての言葉は「あなたもっと笑いなさい。こっちはこういう状況でただでさえ暗くなるのに余計暗くなるわ」と。訪問が初めてな上、利用者様に言われた言葉は重く訪問する度に私自身気まずい想いでした。その後は訪問にも慣れ、プライベートな話を沢山し笑い合いました。(私の恋愛や仕事、利用者様の若い時の話等)ある時は、利用者様の旦那様に関しての愚痴や感謝していること。ある時は当時流行っていた加工アプリで一緒に写真を撮ったり、マニキュアを塗ったりと病院では考えられない看護をしていたと当時は思いました。最期が近くなってお酒好きということもあり、ご本人様希望で、往診医、先輩、利用者様家族皆でお酒を飲みながら晩酌をしました。それから2週間程で息を引き取りました。あれから数年経ちましたが今でも1番印象に残っている利用者様で、たまに写真を見返し嫌なことがあった時は当時を思い出し活力をいただいています。 2023年2月投稿 いつまでも心の中に生きる姿 「人生で印象的だった場面を思い出してください」。そう言われて思い出すことができる出来事はどのくらいあるでしょう。訪問看護師は、人の感情が大きく揺れ動く場面に遭遇する機会が多い仕事。ぜひ、一つひとつの出会いを大事にしていきたいものですね。 編集: 合同会社ヘルメース イラスト: 藤井 昌子  2026年1月23日(金)17時まで「第4回 みんなの訪問看護アワード」エピソード募集中!↓

信頼&絆エピソード【つたえたい訪問看護の話】
信頼&絆エピソード【つたえたい訪問看護の話】
特集
2025年11月25日
2025年11月25日

信頼&絆エピソード【つたえたい訪問看護の話】

訪問看護は利用者さんやそのご家族、医療・介護従事者などたくさんの方々と関わり合いがあるため、多様な人間関係や人間模様が存在します。「みんなの訪問看護アワード2023」から、訪問看護の絆にまつわるエピソードを5つご紹介したいと思います。 「これからもよろしく」 互いに訪問看護に携わるご夫婦の、夫から妻へのメッセージ。夫婦で支え合う二人の絆を強く感じるエピソードです。 私の妻は、私が代表を務める訪問看護ステーションの管理者です。向上心の高い彼女は一昨年、「私は訪問看護認定看護師の勉強がしたい」と言い出しました。うちは福岡ですが、私は「どうせ勉強するならば東京に行って学びなさい」と、つい言ってしまいました。彼女は勇んで聖路加国際大学で学びました。彼女が東京に滞在しながらの実習期間中は大変でした。毎日の生活はもとより、小4息子の遠足のお弁当作りや誕生日の食事の準備の時は台所でうなってしまいました。しかし本当に大変なのは彼女の方で、事例レポートや発表プレゼン作成など、質が高く内容の濃い勉強に自問自答し、時には目を潤ませながら一生懸命に取り組んでいる姿は「すごい」の一言でした。正直お互い苦しかったけれど、リモートで東京と結んで息子の誕生日のお祝いが出来たことは家族の癒しになった良い思い出です。妻へ、「認定看護師試験合格おめでとう。これからも一緒に頑張ろう。」 2023年1月投稿 「Hさんについて」 所作一つから愛情が溢れ出ているのが伝わり、利用者さんとその息子さんの親子の絆の強さが垣間見えるエピソードです。 Hさんは看多機開設当時から利用されていた方で、物知りでお話上手。「何事も感謝、感謝ですよ」が口癖の方。重い病気が見つかり、息子さんが仕事を辞めご自宅で介護することになった。一時期ショートステイされていた時に面会に来られても、どこかぎこちなく他人行儀に見え、介護経験のない息子さんが最後まで続けられるのだろうかとスタッフ皆が案じていた。ある日の夕方の訪問。その日は心無い利用者の言動に心が沈み、「利用者に寄り添うとは、看護とは、介護とは。」自問自答していた。お部屋に入るとHさんが静かに微笑まれていた。排尿介助の場面で「お母さん僕の肩につかまって」と息子さん。Hさんは細く痩せた腕を息子さんの肩に回した。息子さんはしっかり大地のように優しく、Hさんを抱きかかえていた。訪問を終え外に出る。街灯の灯が眩しい。何か元気をもらった気がした。親子の絆。信頼と愛情。その後、息子さんは立派にご自宅でHさんを看取られた。 2023年1月投稿 「看護を超えた、心のつながり」 職業人としては、利用者さんには公平で適切な距離感を保つことが必要である一方、感情や気持ちはそう割り切れない、人間らしさを感じるエピソードです。 脳腫瘍のIさんの訪問看護を開始して、1年半が経ちました。シャワー浴を実施していましたが、徐々にADLは低下していき、訪問看護で実施することが難しくなっていきました。自分たちよりも大きな男性の移乗や更衣を全介助で行うのは正直大変でしたが、元気な奥様と息を合わせて行うシャワー浴はわたしにとってはとても楽しみな時間でした。訪問中に、これまでのお二人のお話や、ちょっとした世間話などをすることも楽しみに訪問をしていました。しかし、ある時、シャワー浴がいよいよ安全に実施できないということで、訪問入浴導入が決定しました。訪問看護は状態観察で30分訪問を実施することになりました。何度目かの30分訪問を実施した時、奥様が話しました。「訪問が30分になってしまい、みんなが、急いで帰ってしまう様子が寂しい、これまで通り60分の訪問というわけにはいかないだろうか」と。それを聞いた時、看護を提供する者として、正解かは分かりませんが、私も、同じ気持ちですと、心の中で伝えました。看護は、誰しもに公平でなければならないと思います。ですが、看護師も人間です。こんな風に、心が繋がることもあるんだなぁと、実感した瞬間でした。 2023年2月投稿 「絶対に守る!」 新型コロナウイルスの蔓延により、本来必要であった看護や介護の手が届けることができない状況下でのリアルなエピソードです。夫婦の絆だけではなく、訪問看護師への強い信頼があったからこそ為し得た看護です。 新型コロナウイルスが蔓延したため、とても気を付けていましたが、介護者である奥様が感染してしまいました。本人でなくても介護者が陽性の場合、ヘルパーさん、訪問入浴、デイケア、ショートステイも断られました。神経難病で寝たきり、気管支瘻で吸引も必要、経管栄養、尿留置カテーテル、浣腸も毎日必要でした。ご主人の介護をどうしよう…と、奥様が泣かれました。訪問看護で毎日訪問することにしました。防護服を着て、最後の時間に訪問し、保清と排便処置を主に、ケア時の注意、立ち位置から消毒、換気まで細かく指導し、奥様と「絶対移さない!」を合言葉に頑張りました。症状はなくても奥様が心配で精神的に参ってしまわれ、1日ごとに抗原検査しました。奥様の発熱から最終10日目も陰性で万歳しました。「奥様凄いことです」。褒めて差し上げると、ご本人様は、強ばった身体で一生懸命頷いて笑顔を作って、ポロポロと涙を流されました。一番緊張して、奥様の体調も心配されてたんだと気付かされ感動しました。 2023年1月投稿 「事務さんの仕事はご利用者様への支援に繋がっている。」 勤めていると当たり前になりがちかも知れませんが、同じ職場のスタッフ同士でも信頼や絆があってこそ、良いサービスを届けることができるのだと気付くメッセージです。 いつも事業所でさまざまな業務をこなしてくれる事務さん。事務さんが請求業務を行ってくれるから、会社が成り立ちます。事務さんが医療機関へ訪問看護指示書を手配してくれるから私たちはご利用者様へサービスを届けることができます。事務さんが労務的な手続きを行ってくれるから、私たちは健康保険証で医療機関を受診できたり、保育園の入園申請が行えます。私たちが安心してご利用者様へケアを届けることができるのは、事務さんのバックアップがあるからです。事務さんがいるからご利用者様は安心してケアを受けることができ、ご自宅で過ごすことができています。事務さんの仕事はご利用者様へのケアに繋がっています。事務さん本当にありがとう。 2023年2月投稿 医療や介護のベースには思いやりを 家族間、スタッフ間、訪問看護師と利用者間とさまざまな間柄でのエピソードでしたが、苦労がある中でもお互いの絆を感じるものでした。相手への思いやりを持っているから築けた絆なのでしょう。医療や介護も常に人が関わる仕事。信頼や絆を築いていくためにも、日頃の接遇やコミュニケーションなどに配慮するとともに、相手への気遣いや思いやりを忘れないようにしていきたいものですね。 編集: 合同会社ヘルメース イラスト: 藤井 昌子  2026年1月23日(金)17時まで「第4回 みんなの訪問看護アワード」エピソード募集中!↓

励みになったエピソード【つたえたい訪問看護の話】
励みになったエピソード【つたえたい訪問看護の話】
特集
2025年2月25日
2025年2月25日

励みになったエピソード【つたえたい訪問看護の話】

訪問看護師として働いていると大変な出来事もたくさんありますが、利用者さんが自身の訪問を楽しみにし、感謝してもらえると心の励みになることでしょう。「みんなの訪問看護アワード2023」に投稿されたエピソードの中から、支援を通じて利用者さんやご家族から元気をもらったエピソードを5つご紹介します。 「本人と家族の意思を尊重できたことで…」 利用者さんとのお別れで悲しい中でも、訪問看護を楽しみにしてくれていた利用者さんの想いやご家族からの感謝が励みになるエピソードです。 利用者様は、直腸がん末期の方でした。訪問看護導入時はADLも自立されて、ご家族と自宅周囲の散歩をおこなっておりました。訪問時は、毎回笑顔で「よく来たね」と看護師を暖かく迎えてくださいました。がん末期であり疼痛増強にて、ADLは徐々に低下していきました。また肺転移もみられており、呼吸困難感も出現いたしました。予後が週単位となり、症状が増強しているため本人に入院をすすめると「まだ家にいたい」とおっしゃっており、家族も「本人の意見を尊重してまだ家でみます」との意向により在宅療養が継続になりました。意識レベルの低下がみられ、主治医の医療機関へ救急搬送になり、同日お亡くなりになりました。グリーフケアで後日訪問した際にご家族より「本人の希望通り、ぎりぎりまで家にいられてよかったです。毎回お父さんは看護師さんが来るのを楽しみで看護師さんが来ると元気になるんですよ」とおっしゃっていただきました。 2023年2月投稿 「訪問が楽しみ…それだけで頑張れる」 利用者さんにとって、訪問看護の時間が希望に近づくための大切で待ち遠しい時間だと受け止めてもらえた励みになるエピソードです。 在宅HOTを導入されている利用者様でした。ご自宅の敷地内にぶどう棚や畑、ビニールハウスなどでいろんな野菜や果物を育てておられご本人様の希望も今までどおり、作物の手入れができるようになりたいというものでした。訪問内容としては、呼吸訓練を主に呼吸法の訓練も取り入れておりました。天候や体調が良い日にはご自宅敷地内の畑やぶどう棚を見に散歩をしておりました。敷地内の散歩の際には本人も気持ちが昂るのか足早となり、呼吸困難がでてしまうこともありました。ご本人の嬉しい気持ちも察しておりますが、時には少し厳しく指導させていただくこともありました。その後、呼吸状態が安定せず逝去となりました。この後、長女様よりご連絡をいただき、訪問のある日は早くに着替えをし、来るのを楽しみにされていたとうかがい嬉しく思いました。 2023年2月投稿 「こころに寄り添う家族の絆」 故人とのお別れやお見送りは、看護師として経験を重ねても辛く、心苦しい場面です。しかし、ご家族が心残りなく見送れるよう支援できたときには、嬉しさを感じることもあります。そんな訪問看護のリアルが伝わるエピソードです。 お看取りで関わらせていただいたIさんとご家族のお話です。Iさんは、自宅退院後1週間ほどでご自宅にて亡くなられました。奥様は、亡くなる直前の数時間「苦しい」「痛い」と話すIさんの体をさすったり、手を握ったりしていたそうです。最後までIさんの心に寄り添うご家族の姿に、強さと絆を感じました。エンゼルケアのご依頼があり、奥様やお嫁さんと一緒に体拭きをさせていただきました。その際、ご家族の皆さまから、Iさんはずっと「家で死にたい」とおっしゃっていたという話を聞きました。ご本人の想いに寄り添ったからこそ、できたことなのだと思います。後日談ですが、偶然会ったお嫁さんから「体拭きが一緒にできてよかった。実の両親の時はできなかったから。」とお礼の言葉をいただき、とても嬉しかったです。弊社の理念は「こころに寄り添い、地元で生きることを支援します」ご利用者さんはもちろん、家族の想いにも寄り添う訪問看護をしていきます。 2023年2月投稿 「その言葉で頑張れる」 垣間見える本心にこそ力をもらえる、そんなエピソードです。 90代 認知症の利用者様。排便コントロールで訪問させていただいていますが、ケア中はいつも全力で抵抗。ご家族も「なんでこんなに力があるの」と手を焼くほど。その日も抵抗されながら、気持ち悪いよね、もうすぐ終わりますよ、と声を掛けながらケア実施。たっぷりお通じが出た後の達成感をご家族と称えあっていると、ご家族ではない小さな声が「ありがとう」と。びっくりして思わずご家族と顔を見合わせてしまいましたが、ふとした言葉が日々の励みになります。今日も変わらず抵抗されながらの排便コントロール。私も全力で応えます。 2023年2月投稿 「笑顔いっぱい」 利用者さんの生き生きとした様子や素敵な場の雰囲気が伝わってくるエピソードです。 90代男性、心不全で在宅生活。元々社交的でボランティア活動などを積極的にしたりと、しっかりした方でした。心不全で入退院を繰り返すようになってから外出はデイサービス程度でした。ある日、趣味のマジックショーを開催できないかと家族より相談を受けました。体調のことを考えて自宅で家族と看護師を集めて会を開き、その後サプライズでお誕生日会を開きました。普段見ることのないイキイキした素敵な表情をされ、「ありがとう。みんなの笑顔とみんなが喜んでくれたことがとても嬉しい」と言ってもらいました。訪問看護師として利用者さんの生活を支えるだけでなく、本当の意味で利用者さんに支えられ支えあっていると感じました。さらにあたたかい幸せな気持ちになれ、感謝でいっぱいでした。 2023年1月投稿 利用者さんと励まし合う関係 利用者さんの人生や生活とともに歩む訪問看護では、ときに家族の一員かのようにあたたかい言葉をかけられ、「また頑張ろう」と思える活力をもらえることも。そうした人とのつながりがたくさんできるのも訪問看護の魅力のひとつかもしれませんね。 編集: 合同会社ヘルメース イラスト: 藤井 昌子 

心温まるエピソード【つたえたい訪問看護の話】
心温まるエピソード【つたえたい訪問看護の話】
特集
2025年1月21日
2025年1月21日

心温まるエピソード【つたえたい訪問看護の話】

訪問看護で利用者さんを支援していると、利用者さんやご家族の心情や感情を垣間見て心温まる瞬間があります。「みんなの訪問看護アワード2023」への投稿から、胸がほっこりするエピソードを5つご紹介したいと思います。 「みんなと“同じ“になるために。」 目標達成のため努力する利用者さんにエールを送りたくなるエピソードです。 10歳女の子の輝かしい第一歩のお話です。白血病に対する骨髄移植、重症GVHDに悩む女の子です。一般の小学校に通い、周囲のお友達と「同じように」を強く望んでいました。その一つが自転車に乗ることです。お友達と同じ場所や同じ速度感で遊べないことに、もどかしさを感じていました。練習を始めるも課題は多く、特に皮膚トラブルや免疫力の影響で一度でも転んでしまえば入院は免れません。転ばないよう注意しますが、手の巧緻動作や握力が十分でなく、ブレーキが上手くかかりませんでした。本人の強い想いと周囲のサポートにより、最後にはすべての課題を克服し自転車に乗ることができました。練習はとても大変で、「つらい…」と泣いてしまうこともありましたが、最後は笑顔で締めくくることができました。女の子はこの先も、周囲と「同じように」という大きな壁に次々とぶつかると思いますが、今回の成功体験を思い出し、前向きに生きて行くことを願います。 2023年1月投稿 「私を呼ぶ、あなたの声がきけた」 家族の強い愛情が通じ合う瞬間を感じ取れるエピソードです。 5月のうりずん(※)の時期、しとしと雨が降る中でMさんの訪問看護は始まった。Mさんは交通事故に遭われ、持病も重なり長く入院生活を過ごされた後で、ご家族の強い希望で自宅退院された。訪問が始まった時は、脈も早く、口呼吸をし、意識も朦朧としており、いのちの灯火は消えかけていた。Mさんとのコミュニケーションは難しく、声かけに頷いているか明らかでないことも多かった。ある日、それまでは少し遠巻きで見ていた父のことが大好きな長女さんに声かけをし、一緒にMさんの洗髪、足浴、清拭を行った。痩せ細り骨ばった父のからだに愛おしそうに触れ、涙しながら父に話しかけていた。そのとき、意識も朦朧としていた父がはっきりと娘の名前を呼んだ。その呼び声は娘への愛情に満ちていた。この時、この場面でしか出なかった声かもしれない。「こんなに安心して手厚い看護を受けられるなら、早く帰ってくればよかった。お父さん、ごめんね」。長女さんからは、涙がとめどなく流れていたが、どこか父に触れ、大切なことをしてあげられたことへの清々しい笑顔もあった。時期が遅かったかもしれない。しかし、その時間の中でできる最善を尽くす、それだけだ。 2023年1月投稿 ※編集部注:うりずん: 沖縄の古語で、春分から梅雨入りの頃までを指す 「やっぱりお風呂が1番」 乗り気ではなかった利用者さんの様子が変わっていく姿に、見守る私たちも思わず笑顔になってしまうエピソードです。 80代の男性の方でケアハウスに入所している方です。多発性筋痛症、認知症を患っている方でバイタル値は安定し室内は独歩、廊下や少し距離のある場所への移動はシルバーで移動していました。お風呂は週に一回は施設の大浴場で貸切で入っています。倦怠感や全身の関節痛は自制内で経過していますが面倒なことはあまり好きではない性格もあり入浴に対して少し億劫になることも時折見られています。私たち訪問看護師もそのお風呂介助に携わり、一緒に大浴場まで付き添い、背中や手の届かない部分の洗浄をお手伝いします。訪問時は入浴に対して乗り気じゃなく、今日はやめておこうと言われていましたが清潔への大切さや爽快感の話をすると渋々納得され一緒に大浴場へ移動していきます。そしていざ浴槽へ入るとそれまでに固かった表情がなくなり、すごい爽快感が溢れる表情へと変わりました。浴槽に入りながら歌も歌い、心地よい時間を過ごしており私も見守っていました。居室へ戻る時にはやっぱりお風呂が1番と言われ優しく癒された表情にホッコリしたエピソードでした。 2023年1月投稿 「夜空の花火」 利用者さんのご家族かのように思い出を共有する関係に心温まるエピソードです。 大きな家で1人暮らしのAさん。たくさんの薬を自己管理するのが難しくなったり1人でお風呂に入るのが危ない状況となり訪問看護が始まりました。Aさんは「娘ができたみたいで嬉しいよ。」と訪問看護の日をいつも楽しみにしてくれていましたが、「1人はさみしいよ。夕方になると本当にさみしい。」といつも言っていました。ある夏の日ステーションの携帯電話にAさんから電話があり、電話に出た看護師に「○○さん(担当の看護師)いる?」と。携帯に転送になっており、別の看護師が携帯当番なので「ここにはいないですよ。」と伝えると「なら○○さんに伝えて!空を見てごらん。花火がキレイだよ」と言い電話を切ったそうです。携帯当番の看護師が私に電話をくれ、電話の内容を伝えてくれました。Aさんの家から少し離れている私の家からは花火は見えなかったのですが、いつも1人でさみしい思いをしているAさん。「今日はキレイな夜空を見ているんだなぁ。」と花火は見えなくても心がほっこり温かくなりました。今は亡きAさん。夏の夜空に花火を見ると思い出します。 2023年2月投稿 「ちょうだいできた!」 日々の子どもの成長をご家族とともに喜べる微笑ましいエピソードですね。 顔を覗き込んで「こんにちは」と声をかけると、K君は小さなふたつの人差し指をペコリと曲げた。「こんにちは」のサインです。K君がコロナに感染するのが怖くて、外出は病院との往復のみ。補聴器と気管カニューレ、経管栄養の管理も家族だけで頑張っていました。2歳半を過ぎて「社会の中で普通に生きていってほしい」というご両親の思いから、私たちとの関わりが始まりました。K君は難聴で自閉傾向、偏食があり、食事テーブルにつけず、自分から何かしてほしいと伝えることもできませんでした。食事や人との関りを持てるように、K君のペースに合わせ、一緒にお気に入りの電車で遊ぶ、サインや絵カードで対話するなどし、日々、K君の心と体の状態をご家族と共有していきました。訪問看護を開始して数ヵ月、「ちょうだいできた!」とお母さんから連絡がきました。お母さんに空のマグを持ってきたそうです。来週には、春から幼稚園に通うための担当者会議をします。 2023年2月投稿 訪問看護師もまるで家族の一員 訪問看護の利用者さんはお子さんからご高齢の方まで幅広い年代の方がいらっしゃいますが、時には親のように、時には子どものように利用者さんと絆が生まれることもあります。日々の支援の中で、微笑ましい出来事や楽しい時間を共有することができるのも、訪問看護師としてのやりがいのひとつなのかもしれません。こうした心温まるエピソードを見ていると、「明日からも頑張ろう!」と力を分けてもらえる気がしますね。 編集: 合同会社ヘルメース イラスト: 藤井 昌子 

想いに寄り添うエピソード【つたえたい訪問看護の話】
想いに寄り添うエピソード【つたえたい訪問看護の話】
特集
2024年12月24日
2024年12月24日

想いに寄り添うエピソード【つたえたい訪問看護の話】

訪問看護をしていると、利用者さんやご家族のたくさんの想いと向き合います。「みんなの訪問看護アワード2023」に投稿されたエピソードから、利用者さんやそのご家族の想いに胸が迫るエピソードを5つご紹介します。 「最期まで、妻・母・娘として生きたN子さん。」 末期のがんに罹りながら家族とともに懸命に生き、最期の場面でも家族を想う姿に胸が打たれるエピソードです。 63歳のN子さんは肺がん末期で骨転移等もあった。12月初めの退院前カンファレンスでは、クリスマスは迎えられてもお正月は厳しい、と告げられていた。自宅に戻る際も頸部・体幹のコルセットは外せず、不本意ではあるが夜間はおむつ内で排泄するよう指導されていた。しかし、63歳という年齢、夫にも気兼ねがありコッソリと夜間もポータブルトイレに座っておられた。クリスマスが過ぎお正月が過ぎ、期待と不安を抱え桜の季節を迎えた。担当ケアマネから、近所の川沿いにある桜並木の下でお花見をさせてあげたい!と声が上がり、ご主人・ヘルパー・看護師・ケアマネとともに小春日和の中、ゆっくりと桜の下を車いすで散歩することができた。その後、「最後になるかも知れないけれど、家族のために料理がしたい。お風呂に入りたい」とご本人から希望があり、短期間であったが調理や入浴をすることができた。秋が過ぎ骨盤に転移した腫瘍が急激に大きくなり、みるみる体調は悪化傾向になっていったが、お酒の好きな夫の健康を気遣い、高齢のご両親より先に逝くことを詫び、夏に生まれた孫の成長を楽しみに、初冬、最期まで弱音を吐かず笑顔の素敵な母の姿を残して旅立たれた。 2023年1月投稿 「涙あり、笑いあり、そんなお看取り。」 故人との別れに悲しみもある中、家族総出でのお見送りの準備に愛情が感じられるエピソードです。 最期が近いAさん。お正月というのもあって娘様家族が来ている。同じ空間にベッドで寝ているAさん。とても穏やかな時間が流れていた。Aさんは声掛けに「はい」と吐息で答えてくれる。何か言いたげだが言葉にならない。(今日中かな…)そう思いながら明日も訪問することを伝え退室。その日の夜、ご家族から「息が止まりました」と連絡が入った。私は車で向かう。到着すると家族に見守られながら眠っているAさん。娘様は涙を流している。湯灌の予定だったが、それが高いことを知り、急遽フルエンゼルケアをさせていただくことに。お孫さんも含め全員で行った。みんなで役割分担しながらあーでもない、こーでもないと言いながら娘様を中心に。そこには涙は無くて笑顔が溢れていた。うるさすぎて奥様に怒られるほどだった。最後に奥様に口紅を塗ってもらったが、グロスだったのかな?「女装したみたいになったね」と笑い合う。ご家族に囲まれて幸せだなぁ。 2023年2月投稿 「患者の最期の願いを叶えた自宅での看取り」 最期に願いを叶えられた利用者さんの心からの感謝が胸に響くエピソードです。 私は訪問看護ステーションに配属された新人訪問看護師。肺癌の診断で自宅療養中のA氏から訪問看護利用の依頼があった。呼吸苦はあるが園芸の話をする、好きなサイダーを飲む等病状は安定していた。1ヵ月後、病状は増悪し「30年かけ作った庭をもう一度見たい。ほかに思い残すことはない。」と言葉が聞かれるようになった。自宅前に本人が作った庭があった。願いを叶えるためケアマネ、家族と協力しスロープと車椅子を準備した。当日本人から「体調が悪い、庭へ行くのは諦める。」と電話があった。短時間で行えるようがんばるので庭を見ましょうと励まし私、ケアマネ、家族で本人を庭へ移動した。涙を浮かべ「庭を見られて良かった。ありがとう。」と言葉が聞かれた。翌日、肺から出血し麻薬投与が開始され家族に見守られながら永眠された。後日訪問時、香典返しの挨拶状に庭を見た日のことが記載されており庭を見た後「幸せな人生だった。」と話していたことが分かった。 2023年2月投稿 「思い出の一場面」 ひとりでも自宅にいたいと思う利用者さんの気持ちが伝わってくるエピソードです。 24時間緊急対応の当番は電話が鳴るとビクビクする。何年やっていても緊張する。そんな中、Aさんからの緊急電話はなんだかホッとしてしまう。よく緊急電話をかけてくるAさん。尿カテトラブルが多く、呼ばれるのは大抵尿漏れ。夕飯時に呼ばれることが多く、またかぁ、という気持ちになるけれど、「こんな時間に悪いねぇ。」と申し訳なさそうに言うAさんの顔を見ると、そんな嫌な気分は吹き飛んでしまう。ある時、いつも通り夜に呼ばれて処置をしていると犬の遠吠えが聞こえてきた。そこから、かつてラブラドールを飼っていたと話し出すAさん。奥さんも子どももいて、よくラブラドールを家の庭で走らせていたという。「家の周りぐるぐる回るんだけど、曲がり損ねて転んじゃって。妻と大笑いしたよ。13年間、楽しませてもらったよ。」と嬉しそうに話すAさん。楽しい話なのになんだか切なくなり泣きそうになってきた。広い家に一人暮らしのAさん。話を聞いていて、楽しかったころの情景がパッと頭の中に浮かんできた。思い出たくさんの家で、少しでも長く過ごせるようお手伝いしていきたいと切に思った出来事だった。 2023年2月投稿 「優しく切ないけれど、温かい話」 相手を想うからこその奥様の配慮と、その優しさに気付きながらも配慮したご主人。どんな時でもお互いを想い合う夫婦に胸が温かくなるエピソードです。 ALSの60代男性。点滴加療の入院中に、可愛がっていた小鳥が突然死んでしまいました。奥さんと子どもは「とても可愛がっていたので、悲しんで気落ちすると病状も進行してしまう」と心配しました。そこで退院までに同じ種類の小鳥を手配して取り繕うことにしました。皆ハラハラしましたが、ご主人は亡くなるまで特に変わりなく小鳥に接していたので安心していました。初盆参りの時に奥さんは「小鳥が変わっていたことに本当は気が付いていたと思います」「主人にもっと優しく接することができたら良かったのに」と涙を流されていました。それから1年と経たないうちに、奥さんから私を看取って欲しいと驚きの連絡がありました。末期の肺がんでした。3ヵ月後、気丈で美しい最期を子どもさんとともに看取らせていただきました。命の儚さについて、改めて考えさせられた小鳥とご主人、そして奥さん。きっとどこかで再会しているはずだとスタッフ一同、信じています。 2023年2月投稿 利用者さんとそのご家族の想いを支える 今回は、投稿者の皆さんが利用者さんを大切にする姿勢が垣間見えるお話ばかりでした。訪問看護では、利用者さんやそのご家族の立場、背景、想いなどをくみ取って理解し、それぞれにあった支援をしていくことが求められます。正解がわからず模索するケースも多い中で、勇気づけられるエピソードですね。 編集: 合同会社ヘルメース イラスト: 藤井 昌子 

心に残る利用者さんのエピソード【つたえたい訪問看護の話】
心に残る利用者さんのエピソード【つたえたい訪問看護の話】
特集
2024年11月5日
2024年11月5日

心に残る利用者さんのエピソード【つたえたい訪問看護の話】

訪問看護をしていると、いろいろな利用者さんとの出会いと別れがあります。「みんなの訪問看護アワード2023」に投稿されたエピソードから、いつまでも私の胸に残る思い出深いエピソードを5つご紹介します。 「ミラクルな1日」 利用者さんにとって、心の中に溜めていた周囲への感謝や喜びが溢れでた1日だったのかもしれません。 27歳訪問看護師3年目、看護師になって7年目。看護学生時代の担任の先生が訪問看護ステーションを始められ、一緒に働いている。いろんな利用者さんに出会ってきた。その中でも印象深い利用者さんがいる。誤嚥性肺炎で余命1ヵ月と言われ、在宅へ帰ってきた。物腰柔らかな奥様としっかり者の娘様が手厚く介護されていた。在宅で療養中も誤嚥性肺炎を何度も起こし、そのたびに補液や抗生剤を使用し回復されていた。自営で仕事一筋で過ごされ、とっても頑固。家族やスタッフにも感謝の言葉はあまりなく、いつも「悪態」をついて怒鳴っていた。段々と具合が悪くなっていき、ある日とてもミラクルなことが起きた。目がキラキラと輝き、家族やスタッフにたくさんのありがとうを言い、嬉しそうにたくさん笑っていた。余命1ヵ月と言われながらも7ヵ月頑張って過ごされ、その日の夜に家族に見守られ亡くなられた。「ミラクルな1日でした」と言った家族の顔と、ご本人の輝いた瞳が忘れられない。 2023年1月投稿 「訪問看護の中の密かな楽しみ」 お互いを想う気持ちや二人で物語を楽しむ一時が伝わってくるエピソードです。 もう亡くなってしまったけれど、忘れられない人がいます。私より一回りほど年上の女性。難病で声を失った彼女は日中いつも一人で、帰るときは決まって寂しそうでした。楽しめることはないかと、訪問の終わりの僅かな時間に、彼女の好きな本を読むことにしました。1ヵ月かけて好きな作者を知り、ご家族に手持ちの本を幾つか用意していただき、半年以上かけて一冊読み終えました。週2回の訪問なので前回の話を忘れていたりして、行きつ戻りつでした。私は彼女に楽しんで欲しくて、時々リアクションを入れたり感想を述べたり。彼女はいつも笑って応えてくださいました。読み切った後本を選んだ理由を尋ねると、私が好きそうだったからと。楽しんでもらうつもりが、楽しませてもらっていました。10年以上も前の話ですが、彼女の笑顔は今も鮮明に覚えています。サービス提供者も沢山のものをいただいていることを深く心に刻むことができた大切な思い出です。 2023年2月投稿 「笑顔がみられますように」 コミュニケーションを工夫していった結果、利用者さんからの意思表示が生まれ、最後には意思疎通ができたのかもしれません。不満話に笑顔を見せる利用者さんが印象的です。 50代、くも膜下出血の後遺症から遷延性意識障害になったYさん。ご主人が日中お仕事に行かれるお昼間に排泄援助と胃ろうから栄養剤を注入するため、週3回訪問を担当。意思表示もなくコミュ二ケーションもとれません。そこで、快の刺激でコミュニケーションがとれないかなあと考えました。足裏には全身のツボがあることから、注入食の前に足裏とふくらはぎのマッサージをしました。数ヵ月たったころに、何となく目が合うような感じがありました。その日は何の気なく、私の主人の不満をYさんのご主人と重ね合わせて話しかけました。すると口をいがめて声をあげて笑うんです。一瞬、え!とびっくりしました。笑うのは、なぜかご主人の不満話なんですが、通じるものなんだと思いました。残念ながら再びシャント不全を起こしてしまい入院されましたがしばらくは笑顔を見せてもらえて私の訪問看護の中では忘れることがない出来事です。 2023年2月投稿 「認知症のおばあさんが放った言葉」 人の言葉には考え方や捉え方を変容させる力があることを認識するエピソードです。 理学療法士として訪問していた認知症のおばあさんとのお話です。その方は認知症で記憶力が低下しており、有料老人ホームに入居されていました。約2年間一緒にリハビリをしてきましたが、私の顔と名前を覚えられていないご様子でした。ですが、私のユニフォーム姿を見て「リハビリの人」という認識はできていたと思います。とても明るく、お話し好きでもあり、ときには私が悩み相談をしていることもありました。そんな中、自分の転機により退職することとなり、最後の日にお別れの挨拶をすると悲しそうな顔をされていました。ですが、「私は何でもすぐに忘れてしまうから悲しいのもきっと今だけ。そう思うともの忘れも悪くないなあ。」と返ってきました。この返答には大変驚き、身体がビビッとなったのを覚えています。この出来事以降、「認知症の方」に対する考え方や関わり方が私の中で大きく変わったように思います。これからも私の忘れられない一場面です。 2023年2月投稿 「訪問看護だからこそ」 利用者さんを看護師が観察するように、利用者さんも看護師をしっかりと見ています。だからこそ利用者さんから発せられた言葉だったのだと思うエピソードです。 病棟勤務から訪問看護に異動した私にとってSさんは病棟時代から関わっていた患者さんだった。訪問看護に異動してすぐにSさんの初回訪問から携わった。異動して不慣れな私の成長を見守っててくれていた。ある日Sさんが「やっと前の◯◯さんに戻ってきたね、病棟のころにいた時と近くなってきた」と言った。肩に力が入っていた私を心配していた、と言ってくれた。思わず涙してしまった時、Sさんから「◯◯さんの良さは訪問看護だからこそ伸びるんだと思う。時間に、患者に追われ過ぎてた◯◯さんよりずっと今の方が楽しそうだよ。自信を持って続けたらいいと思うよ」と笑って言ってくれた。元々准看護師だった私が、正看護師合格とともにずっとやりたかった訪問看護に異動願いを出し、念願叶って訪問看護師になれたものの一つも看護師としての自信がなかった私にとって、Sさんの言霊がとても胸に響いた。悲しいことにSさんは昨年逝去してしまったが、これからも続くであろう訪問看護人生で絶対にSさんのことは忘れない。訪問看護ならではの利用者さんとの一対一の関わりを大事に、ずっとやりたかった訪問看護を続けていきたい。 2023年2月投稿 思い出は糧となる 人との出会いは、自分にとって一生の宝物になることも。自分を変えるきっかけや学びになるような出会いを積み重ねながら、思い出とともに今日もまた訪問看護に携わっていくのでしょう。改めて自分の中にあるたくさんの人とのつながりを思い返す、そんなエピソードでしたね。 編集: 合同会社ヘルメースイラスト: 藤井 昌子

理想の看護&目標エピソード【つたえたい訪問看護の話】
理想の看護&目標エピソード【つたえたい訪問看護の話】
特集
2024年9月17日
2024年9月17日

理想の看護&目標エピソード【つたえたい訪問看護の話】

看護師としての目標は勤め先や関わる仕事内容によっても変わってきますが、皆さんはどのような目標を設けていますか?「みんなの訪問看護アワード2023」から、「どういう看護師で在りたいか」「どういう看護を届けたいのか」という目標を定め、それを体現しようとしているエピソードを5つご紹介します。 「60点からのBCPスタート!」 策定まで試行錯誤が必要なBCP(業務継続計画)。定めた目標を段階的に評価して達成していくことの重要性を感じられるエピソードです。  「当事者のようで当事者でない」兵庫県西宮市出身の私は、阪神淡路大震災の時は千葉におり、東日本大震災の時は西宮に戻っていたので、まだ大きな揺れを経験したことがありません。自分ごとにできない弱みから、災害対策マニュアルの作成にも本腰が入らず、台風や停電の時も「大丈夫だろう」と正常性バイアスにまんまとハマってしまう日々でした。そんな私がBCP策定に着手できたのは、この当事者意識の薄さを乗り越えたい自身への挑戦でもありました。訪問看護サミットの視聴も大きなきっかけとなり、BCP策定を通して「出逢うべくして繋がった」多くの方たちの後押しが原動力となりました。BCPはやればやるほどその壮大さに圧倒されます。最初に自機関のBCPができた時には、「計画だもの。満点を目指さなくて良いんだ。60点からのBCPスタート!」と言い聞かせました。コレは、訪問看護の利用者の意思決定支援における、ゼロかヒャクかで決められない人の人生の支え方に通じます。利用者を支えている訪問看護スタッフを支える管理者の仕事として、BCPを自分ごとに昇華していけるよう挑み続けたいと思います。 2023年1月投稿 「訪問看護の力」 利用者さんにとっては入院生活と自宅生活は精神的に大きな違いがあり、訪問看護師として在宅生活の支援に注力したいという目標に共感できるエピソードです。 これまで回復期リハビリテーション病棟や地域包括ケア病棟で勤務し、さまざまな理由で自宅退院を諦める方を見てきました。昨年8月に訪問看護師となり、これまでできないことばかりに注目し自宅に帰れない理由を探していたのではと思いました。病棟勤務の時に入院されていた方に訪問する機会があり、自宅で生き生きと暮らす姿に感動しました。認知症のため離床センサーをつけていた方にお会いした時は、目の輝きに驚きました。病棟では自由が制限され、固い表情だったのだと思います。その方が体調を崩し医師から入院を強くすすめられた時、絶対に入院しないと譲らず、点滴と体調管理のために連日訪問することになりました。入院せずに普段の生活に戻ることができた時、訪問看護の力を強く感じました。この経験を生かし、患者の「家にいたい」と願う気持ちに寄り添える看護師として成長していきたいです。 2023年1月投稿 「取り憑かれている私」 利用者さんの人生や生き様が、訪問看護師としての人生の目標や生き方を決めるきっかけになったエピソードです。 私には、勝手に「魂の言葉」と名づけ、取り憑かれているある利用者さんの言葉がある。私が30代前半で訪問看護ステーションに配属になり、1人立ちという単独訪問ができるようになったころ、神経難病の方のお宅へ訪問していた。その方は社会的地位も高く、知的で穏やかで若輩者の私にも丁寧に接してくれ、私の声がけのリハビリも一生懸命行ってくれた。進行の予防に取り組みながら、病気についても調べ、最新治療の情報を集めたりと積極的に向きあっていた。排泄が上手にできなくなり処置が必要になったころ、その方は「治療は諦めたけど、生きるのは諦めない」という言葉を言った。その方は、程なく入院し胃ろうを造設、気管切開をし、亡くなった。訃報を聞いたその時は、最後まで生きることに真剣に向き合った、「生きることを諦めなかった」結果だと思った。十数年たった今、「生きることを諦めない」とは、自分を知り、生きるということに向き合い、自分の意思で生き方を決めることだということがわかる。私は「魂の言葉が聞きたい」という思いで今も訪問看護に就いている。 2023年1月投稿 「生きた看護が生まれる場所」 看護師としてどういうスタンスで看護を行うか。目標や心がけは接遇や所作に表れます。そのことを明確に体現されているエピソードです。 在宅で療養する患者さん、介護をされている家族が安心して過ごせるように手助けをするのが訪問看護師の役割だと思う。そんな私が訪問時に心がけていることは特別なことをし過ぎないことである。医師からの指示や、複雑で家族ができないような処置をしているときは私の看護は始まっていない。家族に「私にもできそう」と思ってもらえるケアができたときが看護の始まりである。例えば、痰がうまく出せない患者さんには横向きになってもらい背中を擦る。呼吸が楽になるようにストレッチをして体の緊張ほぐす。この時にゆっくりと丁寧な所作で行う。なにをしていたか分からないような複雑な動きはしない。ケアを見ていた家族が「あれをしたら気持ちよさそう、楽になりそう」と思ってもらえたらケアは成功だ。ケアをやってみようと思ってくれる家族が増える。私がいない時間でも私の看護が生き続ける。そんなやさしい手が増えますようにと思い、日々訪問している。 2023年2月投稿 「看護師のゆらぎ」 目標を掲げることは、利用者さんに対してだけではなく、職場内のスタッフにも好影響を及ぼすことがわかるエピソードです。 一次病院から経験8年目にして在宅に飛び込んできた看護師。医師が側にいない、検査がすぐにできない環境で一人で訪問すること、検査ができない中でのアセスメント、すぐに苦痛の緩和ができない。アセスメント能力、コミュニケーション能力も今までよりも必要になると痛感し自信も崩れ看護師である自分に対して「今までの自分がクソだった」と泣きながら話すこともあった。個別面談や毎朝チームでのミーティングも行ったり泣きながら、笑いながら日々奮闘している。最近はチームに向けた勉強会を開催したいと自ら発信し実施した。ほかのスタッフ達も入職して一年は特に「目の前の人と向き合うことは自分自身と向き合う、自分自身を知る一年だった」と話していた。彼女自身のスキルアップと同時に彼女自身が自分と向き合えるようチームでこれからも伴走していきたい。そして在宅未経験な看護師達が地域に飛びこめる環境を整えていきたい。 2023年2月投稿 目標は成長につながる 「なぜ看護師という職業に就いたのか?」ということを振り返るきっかけになりそうなエピソードばかりでした。「仕事=賃金をもらうための対価」としてだけ捉えると、ルーティンワークになりがちですが、仕事はひとつの自己表現ともいわれています。時間をかけてやるからには「自分が成したいこと」を見つけ、目標として目指していきたいものですね。編集: 合同会社ヘルメースイラスト: 藤井 昌子

最期・お看取りエピソード
最期・お看取りエピソード
特集
2024年2月27日
2024年2月27日

最期・お看取りエピソード【つたえたい訪問看護の話】

訪問看護では利用者さんの最期に関わることも数多くあります。「みんなの訪問看護アワード2023」に投稿されたエピソードから、利用者さんやご家族の最期の希望に寄り添い支援した感慨深いエピソードを5つご紹介します。 「残された時間を一緒に」 最期を看取るという利用者さんの奥様の強い覚悟を受け止めて、無事支援しきったエピソードです。 残された時間がない療養者の在宅療養を受けることを伝え、在宅医に了承してもらった。医師は「明日帰れないかもしれない、ギリギリの状態だ」と話された。翌日、在宅医は民間救急の後ろを走行し、訪問看護師は自宅で準備をした。自宅につくと妻と初対面の挨拶を済ませ、ベッドに移送し酸素吸入、持続点滴等を実施し療養者のケアをした。妻は自宅療養に至った話をしてくれた。面会制限があり毎日電話で話していたが、数日で話せなくなった。最期は家で看取る決意で退院を希望したと話された。「義父母の最期も見送ってきた私の役目だ、その時まで一緒にいたい」と話され妻の強い決意を感じた。親しい人が「ひさしぶり」「カラオケいったなあ」と明るく笑顔で妻や孫を交えて過ごされた。その笑顔をみられてうれしく思った。深夜に「呼吸が止まった」と妻からコールがあり、医師の死亡確認のあと最期のケアをおこなった。妻は「最後に一緒に過ごせてよかった」と話された。 2022年12月投稿 「大切な時間」 残された時間の穏やかな日常をサポートできるのは、訪問看護の冥利なのかもしれません。 退院を機に自宅で最期まで過ごすと決められ、ご依頼をいただきました。優しい奥様と笑顔のご本人様。かわいい猫ちゃん。スタッフの前では、感じていたはずの「痛み・苦しみ・辛さ」マイナスの言葉は心の奥底に封印され、食べたいものを食べて、笑ってお話しされていました。入籍一周年を間近に控えられていたこともあり、「一緒にお祝いしましょうね。」と訪問看護チーム全員でお二人の時間をサポートさせていただきました。2ヵ月もないほどの時間。少しでも寄り添い、お二人の気持ちを穏やかにすることができていたならこれ程幸せなことはないと思います。ご本人様にとって、ご家族にとっていつ訪れるか分からない最期の時間は色々な思いがあふれ出す時間だと思います。「できる限りのことをする。」これがうちの管理者の考え方です。大切な時間を一緒に過ごさせていただいたことにスタッフ一同感謝しています。 2023年1月投稿 「よりみち」 望む最期を迎えられるよう、利用者さんとご家族の希望に寄り添ったからこそ贈られた感謝の言葉だったのだと胸打たれるエピソードです。 ステーションへの帰りによりみちすると、庭に人影があった。「ああ、お世話になりました、四十九日が終わったところです。」草むしりを再開しながら「今年は花が早く咲いているの。姉が早く見せてくれているみたい。」胃がんの末期。腹水コントロールができるなら家にとおっしゃり、ご家族の希望で未告知のまま在宅療養が始まった。「新しい時代が来ましたね。どうなるのか不安でしたが、こうやって自宅で過ごせることが分かって安心した感じです。」ナートした留置針と延長チューブを通り、腹水はペットボトルにドレナージされた。腹水がオレンジ色のころに「最期まで家に居させて。楽に逝かせてほしい。」赤くなったころ「もう長くないと思う。だったらなおさら家族に最期の時期をみてもらいたい。」希望通りに「気がついたら呼吸が止まっていて…」とステーションに電話があった。「姉の生活は見ていて理想でした。」別れ際に妹さんは言ってくれた。 2023年2月投稿 「初めての看取り」 利用者さんに寄り添い心情を汲み取った一言に、利用者さんの心が救われたことが分かるエピソードです。 訪問看護師になってもう13年が経ちますが、未だに1番初めに携わった末期癌の利用者様の看取りは忘れられません。その方はまだ65歳になられたお若い男性でした。その方には内縁の奥様がいて、利用者様の「家で死にたい」との思いを受けて、病院を退院されました。訳ありのお二人にはほかに家族はおられず。私達とケアマネが唯一の縁者でした。緊張の面持ちで家での生活が始まりました。お二人の生活は経済的に厳しい状況であったため、奥様はパートを休むことができず、その間は利用者様が一人になります。奥様のいない間、3回訪問を提案し、体調をみさせていただいていました。初めは緊張して何もお話ししてくれなかった利用者様が、緩和マッサージ行っていた時、奥様との馴れ初めや境遇をお話しくださり、涙を流して、もうすぐ奥様を残して旅立つ自分の情けなさと、独りになる奥様の心配を話してくださいました。「私たちがいますから、奥様は大丈夫です。」と思わずでた言葉に「ありがとう。」と微笑んでくださいました。数日後、奥様の膝枕で、微笑んだお顔で旅立たれました。今でも奥様は事務所に時々お顔を見せてくださっています。 2023年2月投稿 「最期の笑顔に寄り添って」 偶然の中に縁を感じるとともに、投稿者さんを看護師に導いてくれたお父様への感謝も感じられるエピソードです。 訪問看護師の仕事をして23年目。たくさんの出会いがあり、お別れもあった。ある日のこと、午前の訪問先と午後の訪問先は不思議なことに、お二人とも年齢は90代の男性。どちらも奥さんが介護されていた。そしてどちらも男性のお孫さんがそばにいた。手も足も指の色は紫色になり血圧も低く、血中酸素濃度は測定できない。それでも意識はしっかりされていた。午前の方は、お孫さんが子供の頃、学習塾へ送迎をされていたことを奥さんが思い出して話をされた。お孫さんはしっかりと手を握り、「おじいさんわかる?」と声をかけ涙を流された時、頭を持ち上げお孫さんの顔を見てにこりとされた。午後の方はギャッチアップして口腔ケアの後、「Mさん今日もかっこいいですね」と声かけ、すると微笑まれた。奥さん娘さんお孫さんとで記念撮影をした。お二人ともそれが最期の訪問となり、静かに旅立たれた。訪問看護師として人生の最期の時を伴走して、ゴールテープを切られるのを見届けた。2月1日の訪問看護。その日は、私に看護師になることを勧めてくれた父の命日だった。 2023年2月投稿 最期のお別れを共有する存在 看護師は人の生と死に立ち会うことのある職業です。今回は最期の別れのエピソードをご紹介しましたが、旅立つ方にはなるべく心安らかに、見送る方には後悔なく見送れることを願う看護師としての想いが伝わってくるようでした。最期の支援を家族とともにできる看護師の誇りを感じるとともに、別れの儚さや切なさなど、いろんな感情が入り交じる感慨深いエピソードです。 編集: 合同会社ヘルメース イラスト: 藤井 昌子 

訪問看護のケアで後悔・葛藤したエピソード【訪問看護のつたえたい話】
訪問看護のケアで後悔・葛藤したエピソード【訪問看護のつたえたい話】
特集
2024年1月16日
2024年1月16日

訪問看護のケアで後悔・葛藤したエピソード【訪問看護のつたえたい話】

訪問看護の仕事は、時に自分の力不足により迷惑をかけてしまうことや、適切な支援ができないこともあります。また何が正しいのか、どういう支援をするのが良いのか答えが出ず葛藤する場面に遭遇することもあるでしょう。「みんなの訪問看護アワード2023」から、そうした後悔や葛藤を感じたエピソードを5つご紹介します。 「終末期ケアで大切なもの」 「最適な看取り」とは何かを考えさせられるエピソードです。 訪問看護を始めて3年目のころ、乳がんの末期のOさんを受け持ちました。娘さんとは疎遠だったものの病気の悪化もあり、介護に協力してくれるようになりました。娘さんと過ごせることがOさんの喜びになっているのが、お話を聞くだけで伝わってきました。しかし、癌が悪化し、痛みが強くなってきたころ、入院をすすめられたOさんですが、「病院は嫌、家にいたい」という気持ちが強く麻薬を使いながら、訪問回数を最大限まで使い、自宅での生活を続けました。最初は娘さんも介護を頑張っていましたが、次第に疲労がたまり、変わりゆく母の姿が悲しくなってきていました。薬で意識が朦朧となる中、Oさんの目から涙が溢れたことが忘れられません。結局、娘さんの身体を考え、入院を選択し、Oさんは1週間後に病院で亡くなられました。私は看護師としてどうしたら1分1秒でも長く娘さんとの時間を過ごすことができたんだろう、自宅で娘さんの腕の中で最期を迎えることはできなかったのかと後悔が募ります。その人らしい看取りとはなんなのかということをOさんのケアを通して考え、まだ私の中ではっきりとした答えが出ていません、この答えを探すため、奮闘しています。 2023年1月投稿 「『みんなよく頑張りました。本当に楽しかったです。』と妻。」 末期の利用者さんを支えるご家族に寄り添う看護師の葛藤や感謝が綴られたエピソードです。 57歳、男性、脳腫瘍の末期で、訪問看護が導入された患者さん。余命宣告を受けてから1年経過、抗がん剤治療を受けながら、病院から在宅診療となりました。副作用のこともあり次の抗がん剤は希望されず経過を見ることとなりました。軽度の右麻痺や巧緻障害などがある中、妻は献身的にご主人を支えておられました。てんかんや吃逆など、長引きはしない症状もあり、いつ急変してもおかしくない状況で入浴介助を行い、状態観察をしていました。BSCの方向で、病院から紹介されていたのですが、在宅生活が2ヵ月以上安定した所、妻より、急変したら、病院に行き、最善のことをしてあげたいと言われ、奥様の意見に傾聴し、訪問医へ相談していました。末期の患者さんを支える家族の葛藤は計り知れず、看護師としての立場だけでは、どう寄り添っていけば良いのか、答えが見つからず、苦悩している矢先に、下血で急変しました。意識レベルが低下した状態で、止血剤、胃薬、補液の点滴で、意識が回復され、そこから、寝たきりの状態から数日経過し、コロナ禍の中、病院では難しい、親戚、友人との面会もでき、永眠。最後の妻の言葉がタイトル通りです。奥様に感謝です。 2023年1月投稿 「自分のエゴとの葛藤と1つの答え」 利用者さんと家族との希望が相違したとき、悩むケースは多いでしょう。その時々の状況や環境で判断することはもちろん大切ですが、「やりきることの大切さ」を学んだエピソードです。 訪問でのリハビリテーションの考え方を学ばせていただいた経験です。その方は難病を患いながらも自宅での生活を送られておりました。しかし徐々に病状は進行し、家族の手を借りる場面が増えていきました。本人の希望は「家にいたい」、家族の希望は「いずれは施設」。私自身としては、本人の希望をお手伝いしたく生活面や運動に対する指導を繰り返し行いましたが、いつまでも反映されず…。いつしか、熱の入った指導は自分のエゴなのでは?と思うことが増え、徐々に消極的な介入にシフトしていきました。その後も状況は好転せず、最終的に本人の希望しない施設入所が決まりました。サービス終了後、本人の理解が得られるまで戦い続けなかったことを強く反省しました。仮に将来的にも理解されないままだったとしても「こちら側が先に手を引くことは本当に後悔が残る」こと、また「人様と関われる時間は有限である」という認識を持つ大切さを学ばせていただきました。 2023年2月投稿 「辞めたい自分が出会えた看護のカタチ」 このまま看護師を続けるべきか…。葛藤を抱えていたからこそ、利用者さんが前向きになってくれたエピソードです。 「私は訪問看護師です。」とまだまだ自信を持って言えない半年くらいの話。私は病棟の看護師を2年くらいで辞めて、先輩の紹介で同世代の訪問看護ステーションに入社。うまく打ち解けられないし、仕事も慣れたけどなんだかやりがいも感じない。そんな日が続いていて。たくさん失敗もしてもう辞めてしまおうかなって思ってた。そんなときに出会った患者さん。高齢の旦那さんと二人暮らしだった。口癖は「もう私はいいんだ、いつ死んでも」。だからご飯もリハビリももう食べたくもやりたくないとベッドでずっと寝ながら話してた。褥瘡があったから、毎日訪問をした。その人はお店をやっていて、いつも行くとこのようなことを言いながら笑顔で迎え入れてくれた。逆にその方が私の話を聞きたいと言ってくれて話してるうちに色々な感情が溢れて泣いてしまった。たくさん聞いてくれた。その後から相手も少しずつ私に色々話してくれるようになり、「あなたのためにも頑張らないと!」とご飯も少しずつ進んで、歩く量も増えた。この時の行動は訪問看護師としては失格だと思う。だけどその時の自分でしか見つけられなかった患者さんの思いだなと感じた。 2023年1月投稿 「なんもできないけど」 新人訪問看護師として、どうすればいいかわからない。悩みながらも寄り添う努力を続けたエピソードです。 「お前なんかなんもできないんだから帰れ!」怒鳴られても側にいたい。そう思っていました。利用者さんは70才男性。膵癌末期。現役の造園業で職人気質。同居の孫は父親がなく、重度の知的障害児でした。自分が死ぬと残された家族はどうやって食べて行けばいいのか…体調を崩すと不安で焦慮し、訪問の際には予後予測の質問攻めでした。ある夜、陰嚢が腫れているから管を入れて水を抜いてほしいと連絡があり緊急訪問。管を入れても腫れはひかないことを再三説明しても納得されず、怒鳴られる始末。浮腫が全身に広がっており病態は悪化傾向。訪問看護を始めたばかりの私はどうしていいか分からず、涙をこらえてただ側にいることしかできませんでした。何もできないけど、側にいて体をさする毎日。そのうち私に笑顔をくれ、体を摩っている間は、穏やかに熟睡されるようになりました。未熟な私でも寄り添うことができていたのでしょうか…今でも思い出します。 2023年2月投稿 看護に絶対や正解はない 今回は、支援する中での葛藤や後悔したエピソードをご紹介させていただきました。実際に訪問看護をしていると、「こうすればよかった」「あのときこっちを選択していれば」「もっと自分に力があれば」と感じることがあるでしょう。しかし、看護には「絶対こうすれば成功する」「こうすることが正しい看護だ」という答えはありません。大切なのは利用者さんやご家族のニーズを捉え、どのように看護を提供していくことがいいのかを考えて、誠心誠意実践していくことなのかもしれません。どこか看護倫理の原点でもあるナイチンゲール誓詞を思い出すようなエピソード5つでした。 編集: 合同会社ヘルメースイラスト: 藤井 昌子 第2回「みんなの訪問看護アワード」エピソードの募集は終了いたしました。たくさんのご応募ありがとうございました。>>イベント詳細はこちらから第2回「みんなの訪問看護アワード つたえたい訪問看護の話」 特設ページ

元気をもらえるエピソード【つたえたい訪問看護の話】
元気をもらえるエピソード【つたえたい訪問看護の話】
特集
2023年12月19日
2023年12月19日

元気をもらえるエピソード【つたえたい訪問看護の話】

訪問看護の現場では、疾患・障害等がある中でも懸命に前向きに生きる利用者さんがたくさんいます。「みんなの訪問看護アワード2023」に投稿されたエピソードから、利用者さんの前向きな姿勢に力を分けてもらえるエピソードを5つご紹介します。 「今日はどこに行こうかな」 滅びの呪文は引きこもりがちだった過去の自分に向けた言葉だったのかもしれません。未来に歩み出した利用者さんの力強い姿が目に浮かぶエピソードです。 彼は今日も街へ繰り出す。下半身麻痺のため日中はずっと車椅子。母親も病気のため介護してくれる家族は居らず、独りで生活を送っている。40代と若い彼は自身の病気を嘆き何度も自分で人生を終えようとした事もある。そんな彼に関わりだしてもう5年以上が経った。デイに行っても周りは高齢者だらけで話も合わない。職員とは忙しくゆっくり話す時間もない。最初は人見知りかあまり進んで話してくれる事は無かったが、徐々に打ち解け何でも話してくれるようになった。ある日彼からジブリ展に行ってみたいとの相談があった。今まで引き篭もりがちだった彼からそのような言葉が聞けて私は驚いた。受診とデイ以外の外出は久し振りだと彼は楽しそうにしていた。帰り際、物販で購入したのは、バルスと書かれたTシャツだった。それ以降、彼は外出を躊躇わなくなった。破壊の呪文が書かれたTシャツを纏い、過去の自分を破壊するかの様に未来に向かって車椅子を漕いで行く。 2023年1月投稿 「お風呂と花見と自宅がいいよ!」 最後までやりたいことを諦めず追いかけ達成しきった利用者さんに、拍手を送りたくなるエピソードです。 末期前立腺がんの男性の訪問看護に入ることになった。某自動車メーカーの支部長さんで、「何してくれるの?」くらいアウェイな空気でスタートする。シャワー介助から介入し始めて、徐々に関係ができた時に「何かやってみたいことはありますか?」と尋ねると、しばらくして「花見に行きたい」。この時余生は2-3月と言われており、(難しいかもしれないけど、応援したいと思って)一緒に計画立てて、本人の努力もありお孫さんとの花見を実現。痛みや倦怠感のある中、乗り切った彼は「また行きたい、次は元同僚と」とコメントし、こちらも達成。その後、最後は病院でと言っていたのに「実は家で過ごしたい」と本音を打ち明け、家族会議を提案。奥さんも反対していたけど、折り合いつけてくれて、結果6月に永眠される。やりたいことを追いかけた結果、予後予測を乗り越えて自己実現されました。 2023年2月投稿 「酸素をしたマジシャン」 好きなことを追いかける目や身体には力が宿る…。目標や希望は人の原動力になることがわかるエピソードです。 重症COPDで在宅酸素療法をしている方のお宅を初めて訪問したときのことです。酸素流量が増え、トイレに動くのもままならなくなりつつありました。ベッドに腰かけ、会話で大きく息をつきながら生真面目に受け答えする高齢の男性でした。ふと部屋の隅に目を向けると、そこにはまぶしい白いスーツとハット姿で華やかにリボンの束を投げているご本人の写真が。よく見ると鼻には酸素カニュラが付いています。在宅酸素の患者さんの集まりでマジックショーを披露したときの写真でした。退職してから始めたマジックをお孫さんにも教えているとか。その話になると疲れたような表情から目が活き活きとして饒舌になり、ハンカチマジックを披露してくれました。ご本人は手つきに納得がいかない様子。訪問看護と訪問リハビリで少しずつ体力を取り戻そうとずっと頑張っていました。その人の生活の場に伺う訪問看護の現場では、人柄や生き様、周りの人たちとの関係が、情報としてというよりも感覚として捉えられます。今でも、近くを通るたびに自分のことをそっちのけでサービス精神が旺盛なマジシャンの姿を思い出します。 2023年2月投稿 「おばあちゃんの知恵袋」 前向きな発想の転換はまさに「知恵袋」。先人たちの知恵はいつも私たちを救ってくれます。 とある女性の利用者さん宅への訪問時、私の異変に気付いたのか、「今日はどうしたん?暗い顔して」と言われ、「実はこの後怒りっぽいおじいさんのところに訪問するんです。その日の気分で顔を見るなり怒鳴りつけられることも…」という話になったところ、「じゃあ、あんた一回気をもむたびに10円、20円と心の中で数えたらええやん。今日はいっぱい儲けておいで。」と言われました。なんとかしてその利用者さんを怒らせないように、自身の対応に何か間違いはないか…など色々考えていた私の心はすっかり晴れ、二人で大笑い。でもさすがにお金の事を考えるのはちょっと気が引けると伝えると、「じゃあ、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と心で唱えたらどう?」「でもその時、声を出したり、手を合わせたりしたらあかんで」と言うからまた二人で大笑い。今でも、難しい利用者に出会うと、私は心の中で呟いています。「今日も何事もありませんように。南無阿弥…」 2023年2月投稿 「初回訪問看護」 疾患に負けまいと未来に向け希望を抱く利用者さんと、それを支えようとする訪問看護師の前向きな姿勢にエールを送りたくなるエピソードです。 今日が退院後初回訪問看護。病棟からは躁状態になると易怒性が高く、家族トラブル、浪費、内服中断傾向と聞いている。躁状態の典型のような男性、わたしの苦手とするタイプ。病状悪化での暴力暴言のリスクも大きい。怖い、気が重い、玄関の扉も重い。部屋に入るとシェフとして働いていた時の写真がたくさん飾ってある。どれも大きな口を開けて、外国人のシェフと肩を組んで笑っている。今の本人は疲れた表情で大きなテーブルにぽつんと座り、「入院前から薬を飲み忘れてたくさん余っている」と大きな体を小さくまるめて申し訳なさそうにしている。庭には元気なころに植えられたであろうハーブたちがしょんぼりしていて、今の本人とかぶる。一般就労をまたしたいという希望を叶えるために、体力をつけて内服の飲み忘れを減らして、と考えることはたくさん。けれど、写真の彼のようにキラキラ笑って過ごせる日が来るようにと願い、いつの間にか重い心が軽くなっていた。 2023年2月投稿 利用者さんの生き様に触れる 利用者さんの前向きな姿勢や生き様は、関わる訪問看護師だけでなく読者にまで元気や力を与えてくれる、そんなエピソードばかりでした。訪問看護は医療者から一方向的にケアを提供するのではなく、双方的な関係性であることを改めて感じますね。 編集: 合同会社ヘルメース イラスト: 藤井 昌子  第2回「みんなの訪問看護アワード」エピソードの募集は終了いたしました。たくさんのご応募ありがとうございました。>>イベント詳細はこちらから第2回「みんなの訪問看護アワード つたえたい訪問看護の話」 特設ページ

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