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コラム
2021年11月30日
2021年11月30日

ALSの平均寿命が2〜5年なんて嘘だ!

ALSを発症して6年、40歳の現役医師である梶浦さんによるコラム連載です。ALSについてインターネット上の情報が示すのは絶望的な情報。でも、アップデートされた正しい情報が示すのは、「ALSはともに生きていく病気だ!」 検索上位は絶望を誘う情報ばかり ALSと診断された患者や家族は、診断を受けたら、インターネットを使ってALSのことを調べるでしょう。 「ALS」と入力したら、検索の上位に出てくるのは「症状」や「寿命」などのワード。 ALSとはどんな病気か、まだほとんど知らない状態で入ってくるのが、平均寿命が2年〜5年という衝撃的な情報です。多くの人が、そこで、「自分はあと数年しか生きられないのか」と理解し、絶望するのです。 恥ずかしながら、医師である私も、そう理解しました。 発症当時34歳だった私は何の持病もなく、健康そのものでした。それなのに、40歳まで生きられないのか……。そう思い、愕然としました。愕然としすぎて、どこか他人事のようで現実感がなかったくらいですが、ただ漠然とした恐怖と不安に押しつぶされていました。 多くのALS患者さんも、同じような感情を抱くのだと思います。 『呼吸筋麻痺は終末期』は本当か インターネット上の多くの情報は、呼吸筋麻痺を「ALSの終末期」ととらえています。 確かに、ALS患者さんの多くは、気管切開による侵襲的人工呼吸療法(TPPV)をして生きていく道を選びません。実際、TPPVの導入割合は、日本で約 20〜30%と推計されています。 (余談ですが、欧米では数%から10%強そこそこなので、これでも日本は世界からみたら飛びぬけて TPPV が多い国ととらえられています。1)) なぜこんなにも、TPPVで生きていく人が少ないのでしょうか? それは多くの人が、ほとんど体が動かせず、治療法もないこの病気に希望が見いだせないからでしょう。 在宅環境のめまぐるしい進歩を味方に 確かに治療法はまだありません。しかしTPPVで在宅療養していく生活環境は、目まぐるしく進歩しています。特にtechnologyの進歩はすごい! 医学の進歩をはるかに凌駕しています。 ここ数年で、体の一部分が動かせさえすれば、iPhoneやiPadを操作できるようになりました。私も、最初のころは手の指で、手が難しくなってきて次は足の指で、その次は歯で、操作しています。私は今でも、これで、医師として仕事もするし、メールやLINEもするし、さまざまな動画コンテンツだって見ることができるし、本や漫画も読めるし、ゲームだってできる。ちなみに私はドラクエをしています(笑)。 たぶんこれからも、technologyはどんどん進歩していくし、それに伴ってALSの在宅療養環境もどんどん改善していくでしょう。 これだけでも、大きな希望です! 『呼吸筋麻痺は維持期』という考えかた だから私は、「呼吸筋麻痺はALSの終末期」ではなく、「呼吸筋麻痺はALSの維持期」と考えます! 実際、「胃瘻造設をして栄養管理を行いながらTPPVをしているALS患者の生存期間中央値は20年」というデータも都立神経病院から出ています2)。ALSの好発年齢が50〜70歳であることを考えると、十分に天寿も全うできる数字です。 これからは「ALSは死ぬ病気ではなく、ともに生きていく病気」になっていくでしょう。 ALSは20年だって生きられる病気だ 私もALS患者です、「ともに生きていく」ことが大変なのはよくわかります。私の考えを押しつけるつもりもまったくありません。TPPVを選ばないことも、立派な選択肢の一つだと思います。 ただ同じALS患者として、医師として、ALS患者さんには、正しい、アップデートされた情報をもって、TPPVをするかTPPVをしないかを選択してほしいと切に思います。私の記事がその一端を担えれば幸いです。 もう一度言います。 「ALSの平均寿命が2〜5年なんて嘘だ!」 「気管切開して、TPPVをした場合、ALSは20年だって生きられる可能性のある病気だ!」 ** コラム執筆者:医師 梶浦智嗣 記事編集:株式会社メディカ出版 【参考】1)荻野美恵子.『日本におけるALS終末期』臨床神経.48,2008,973-5.2)木村英紀.『長期TPPV下における問題点とその対策について』難病と在宅ケア.27(2),2021,60-3.

コラム
2021年10月26日
2021年10月26日

在宅療養開始 ~スーパー理学療法士(PT)現る!~

ALSを発症して6年、40歳の現役医師である梶浦さんによるコラム連載です。ALSは、できなくなる前に先回りができる病気。しかしそれにも限界を感じていたある日、出会ったのは……?! 遠隔診療を開始してから 2019年3月に退職した後は、在宅での生活を開始しました。仕事も、それまでのように直接患者さんを診るのではなく、iPadに送られてくる画像や情報をもとに診療する、遠隔診療に変えました。直接診察できない寂しさはありましたが、医師が不足している地域の人たちや、病院にかかれない人たちの助けになるため、やりがいを感じていました。 その後も徐々に全身の筋力が落ちていき、できることが少なくなっていきました。しかし、この病気のいいところは、「次にできなくなることの予測ができる!」。予測ができるということは、先回りができる!ともいえるのです。 動かなくなる前に対策をしよう! 多くのALS患者は、線維束性攣縮という、筋肉の不随意性の細かい痙攣を自覚します(要は、筋肉が勝手にピクピク動く)。 下位運動ニューロンが障害されたときに出る症状であり、これが出てきたら、その部分の筋力が落ちてくるので、そう心得ておくとよいのです。 私は視力がとても悪く、コンタクトレンズを着けて生活していましたが、腕が上がらなくなりコンタクトレンズを着けられなくなる前に、ICL(眼内コンタクトレンズ)の手術をしました。また、歩けなくなる前に家をバリアフリーに改築し、力を使わずに移乗ができるように、天井走行リフトを設置しました。そして、2019年6月、まだまだ食べられるうちに胃瘻を造設する手術をしました。特に、早期に胃瘻を造設し、しっかり栄養をとることがとても重要!!なので、また折をみて触れたいと思います。 すごいPTさんに出会った! このころには、右手は動かせず、左手の指だけわずかに動く程度でした。それでも何とか力を振りしぼってiPadを操作していたのですが、限界を感じていました。 どうすればいいのかわからないまま、いろいろな方法を模索していたとき、退職して引っ越しをしたタイミングで、新しい訪問看護ステーションと出会いました。そこの理学療法士(PT)さんたちが、すごかったのです。 私はそれまで、「PTさんは、関節や筋肉の拘縮を予防するためのリハビリテーションとして、ストレッチやマッサージをしてくれる人たち」だと思っていました。しかし、その訪問看護ステーションとPTさんたちは違いました。職種の範囲にとらわれず、「生活の質(QOL)を上げること」を看護・リハビリテーションと考えてくれていました。今の私が何に困っていて、何が必要なのかを判断して迅速に対応してくれました。 できていたことが、できなくなる前に 当時の私は、左手でiPhoneやiPadのタッチパネルが押せず、仕事ができなくなってきたことに、一番困っていました。そのことをPTさんに相談すると、指のわずかな動きでスイッチを押してiPadを操作できることを教えてくれました。そして、押しやすい親指の形に合わせたスイッチを3Dプリンターで作ってくれたのです! こんなことまでPTさんがやってくれるのか! 驚きつつ、私は新しい可能性の発見と、まだまだ仕事ができることに気分が高揚しました。 その後も、親指でスイッチが押せなくなったら、中指の動きを感知する空圧センサーを作ってくれました。また、パソコンの視線入力装置の調整、車いすの調整やトイレの手すりの調整、文字盤を使わずに目の動きだけで会話する方法があることを教えてくれたりと、QOLを上げるさまざまなことをしてくれました。 そのような強力な味方に支えられながら、近い将来できなくなるであろうことを予測しながら、できなくなる前に先手を打っていきました。 そうすることで、「できていたことが、いきなりできなくなる」絶望感や虚無感を味わうことなく、うまくストレスを分散させながらコントロールすることができたのだと思います。 最後の食事! 2019年7月ごろからはNPPV(非侵襲的陽圧換気。気管切開を行わないで、マスクを着けるだけの人工呼吸器)を導入しました。 最初は睡眠時だけ装着し、徐々に慣れさせながら、日中にも着けるようにしていきました。 NPPVを導入するタイミングは難しいのですが、呼吸筋の疲労を取る意味でも、息苦しさを感じる前に、早期から導入することをおすすめします。鼻だけ覆うタイプや、鼻と口の両方覆うタイプなど、何種類かあるので、いろいろ試してみるといいですよ。 それ以降は、徐々に呼吸機能とともに嚥下機能も落ちていき、一回に食べる量が減って、食べることに時間がかかるようになってきました。必要な栄養は胃瘻から摂るようにして、食べることは「味を楽しむもの」と割り切って考えるようにしました。食べることの疲労が強くなり、誤嚥する可能性も出てきたため、2020年4月に食べることを止めました。 皆さんが最後の晩餐として食べたいものは何でしょうか? ちなみに、私の最後の食事は「牛肉のバター醤油チャーハン」でした。 **コラム執筆者:医師 梶浦智嗣記事編集:株式会社メディカ出版

コラム
2021年9月28日
2021年9月28日

positiveに生きよう! 〜ALSと診断されてからの経過と心の葛藤〜

ALSを発症して6年、40歳の現役医師である梶浦さんによるコラム連載。第2回は、診断前後の日々と葛藤の様子をお話しします。「enjoy!ALS」と思えるまでの心の動きは…… 「今の自分にできることを考えていこう!」 私は体も動かないし、声も出せないが、内面は何も変わっていない。 できなくなったことも多いし、大変なことも多いが、できることも、まだまだたくさんある。 できなくなったことを悔やむのではなく、今の自分にできることだけを考えて、生きていこう! ALSと診断されてから、すぐにそう考えられたわけではありません。そこまでには、さまざまな苦悩や葛藤がありました。 ALSという病気は、今まで培ってきたキャリアや地位やプライドがひっくり返されて、まったく違う人生を歩んでいかないといけない病気です。 そこで、まず私がALSと診断されてから在宅加療を開始するまでの、経過と心の葛藤についてお話ししたいと思います。 留学先で、「何かおかしい!?」 前回もお話ししましたが、私は大学病院で皮膚科医として勤務しながら、「毛包幹細胞」について研究をしていました。その研究のため、2015年の4月に、アメリカのUCSD(カリフォルニア大学サンディエゴ校)に留学しました。 留学中は毎日趣味のサーフィンをしてから、職場に行く、充実した日々を過ごしていました。ところが、7月ごろから、少しずつ文字が書きづらくなってきたことに気が付きました。 当初は疲れているだけかと思い、さほど気にしていませんでしたが、8月になっても治らず、右腕が左腕よりも細いことに気が付きました。 さすがにおかしいと思い、自分の症状について調べはじめました。ちょうどサーフィンで首を痛めていたこともあり、同僚の整形外科医にも相談し、頸椎症や椎間板ヘルニアなどの可能性を考えMRIを撮りましたが、明らかな異常はありませんでした。するとUCSDの神経内科を紹介され、診察してもらうと、すぐにALS専門医に紹介されました。 何が何だか…… その時点で頭が真っ白になっていました。専門的な話を英語で説明され、さらに、何が何だかわかりませんでした。ただ、最後に「ALS専門医の貴方からみて、私はALSだと思いますか?」と聞くと、「多分ALSだろう」と言われたことだけは、はっきり覚えています。 その瞬間、後頭部をハンマーで殴られたような衝撃が走りました。事態が飲み込めず、ただただ呆然としていました。徐々にその診断の重さを理解して、気がついたら帰り道で号泣していました。 当時、私は34歳でした。2歳になる息子もおり、これからのことを考えると、恐怖と絶望で胸が張り裂けそうでした。ただそんななか、妻だけは気丈に振る舞い、私を支えてくれたおかげで、何とか正気を保つことができました。 まだ診断が確定したわけではないため、急いで帰国して精査しました。その後、さまざまな病院で検査するも、なかなか確定診断がつきません。さまざまな診断名を言われ、そのたびに一喜一憂する日々が続き、精神的にかなり疲弊して行きました。 結局ALSと確定診断されたのは、症状が出現してから9か月後の、2016年4月でした。そのときには右腕以外にも症状が出現しており、ALSの診断に納得したのを覚えています。 ALSと確定してから その後の日々は、今までとはまったく違うものでした。 すぐに仕事に復帰し、元どおりの生活を再開しましたが、右手が動かずカルテが書けなかったり、手術ができなくなったり、今まで当たり前のようにできていたことが、徐々にできなくなっていきました。なぜこんなことになってしまったのか? 何かの間違いではないか? と、自問自答を繰り返す日々が続きました。いくら考えても答えは出るはずもなく、考えれば考えるだけ気分が落ち込むだけでした。 時間があればいろいろ考えてしまいます。暇な時間を作らないように、一生懸命仕事をし、たくさん息子と遊び、映画を観て、ボーッとする時間をなくすようにしました。そして遠い未来のことは考えすぎず、今の自分の状態でできることだけをやるようにしました。 どうしても、つらく悲しくなるときは、ため込まず思いっきり泣くようにしました。よく手嶌葵さんの『明日への手紙』を聴き「明日を描こうともがきながら、進んでいく」という歌詞に自分を投影して泣いたのを覚えています。 そうやって、ストレスをコントロールしながら徐々に病気を受け入れて、自分の症状と向き合っていきました。何よりも妻が常にサポートしつづけ、息子がそばにいてくれたおかげで、前向きにやってこられました。 限界まで現場に出たい 私は医師という仕事が大好きです。限界まで、現場で働いて、直接患者さんを診療したいと思いました。 パソコンのキーボードがうてなくなったら音声入力装置を使い、歩けなくなったら電動車いすで通勤し、何とか診療を続けることができました。最後は声が出しづらくなっていましたが、同僚が自分の手となり声となって、ペアで診療してくれました。 さすがに、最後は患者さんより自分のほうが明らかに重症で、患者さんたちに心配されてしまい、診療が滞ってしまったため、2019年3月に退職し、東京の実家に戻り在宅加療を開始しました。 次回は、在宅加療を開始してから今に至るまでの経過をお話ししたいと思います。 私の主治医であるさくらクリニック練馬の佐藤先生が、クリニックのブログに前回コラムの感想を載せてくれました。よかったらこちらもご覧ください。 ** コラム執筆者:医師 梶浦智嗣 記事編集:株式会社メディカ出版

コラム
2021年8月31日
2021年8月31日

私はALSを発症して6年になる40歳の医師です

enjoy! ALS 『enjoy! ALS』では、ALS患者として在宅療養をしながら、現在も診療を行っている現役の医師が、ALSに関するpositiveな情報をお届けします。 まず簡単に自己紹介を 私はALSという病気を発症して6年になる40歳の医師です。もともと、大学病院で皮膚科医として勤務しながら、医学部と看護学部で皮膚科の講義を行なったり、『毛包幹細胞』について研究したりしていました。2015年に研究のため、アメリカのUCSD(カリフォルニア大学サンディエゴ校)に留学したのですが、同年の7月にALSを発症して帰国してきました。帰国後は、さまざまな検査や治療をしながら、同僚のサポートのもと大学病院で医師として診療を続けていました。徐々に手が動かなくなっていったため、カルテは音声入力で記録。歩けなくなったため、電動車いすで通勤……など工夫をしていましたが、発声が困難になってしまったため、2019年の3月に退職しました。 その後は自宅で、皮膚科医として遠隔診療をしながら、現在に至るまで在宅加療を続けています。診療の対象は、離島など皮膚科医のいない地域の患者さんや、私のように在宅療養しており皮膚科医の診察を受けられない患者さんで、iPadで画像や問診票を見て診療する形です。 このたび、お世話になっている訪問看護師さんから、「NsPaceでコラムを書いてみないか?」というお話をいただきました。すぐに「やります」と答えました。自分で言うのもなんですが、私は医師で、若年発症のALSという、かなりまれな患者です。発症してから国内外問わずさまざまな論文を読んでALSに関する知識を深めてきましたし、工夫をこらして快適な生活環境を作ってきました。 その中で強く感じたのは、「世の中にはALSに関してnegativeな情報が多すぎる!!」ということ。 あふれるnegativeな情報 ALSと診断された患者やその家族、それにかかわる看護師や介護士が、まずインターネットなどでALSを調べると、 “ALSは進行性の神経難病で、徐々に全身の筋肉が動かなくなっていき、治療法はなく、発症してからの平均余命は2〜5年” そんな乾いた文字だけが針のように突き刺さってきます。それは、今までのALS患者の症状や経過をただ統計学的にまとめて、羅列しただけ。 そういう私も約20年前、医学部生だったころに神経内科の授業でそう習いました。なんてつらくて、無慈悲な病気なんだと思い、絶対になりたくない病気ランキングワースト3には必ず入っていました。その当時はまさか自分がなるなんて思ってもおらず、ただ他人ごとのように授業を聞いていたものです。 つらい・残酷なだけの病気なのか しかし、そんな文字からは、現場の生の声は、入ってこないのです! 確かにALSは今でも治療法はありませんが、私が医学部生の時代とは違い、病態はわかってきています。運動ニューロンの中にTDP-43という異常なタンパク質が蓄積して、それが細胞死を引き起こしているということです。なんでTDP-43が蓄積するのか? どうすればそれを除去できるのか? それがわかれば根本的な治療につながってくるのですが、そこはまだ時間はかかりそうです。 しかし、ALS患者を取り巻く環境は劇的に進歩してきています!特にコミュニケーションツールの発展は目覚ましいものがあります。私は2021年2月に気管切開+声門閉鎖手術をしたため、声は出せず、目と口、足が少し動くくらいです。でもそれだけ動けば、できることが山ほどあります。歯のわずかな動きでiPadを操作して、皮膚科医として月100〜300人の患者さんを診察しているし、YouTubeやNetflixなども見ることができます。また、iPadに赤外線リモコンを記憶させて、テレビをはじめ、エアコンや扇風機など、さまざまな家電を操作することができます。目の動きだけで文字盤など何も使わずに会話することができるし(後々紹介します!)、目の動きだけでパソコンを操作して、大学で講義をする時のPowerPointスライドを作っています。ほかにもできることはたくさんあるし、やりたいこともたくさんあって、毎日時間が足りません。 ALSと前向きに向き合っていく人たちへ 私は日々充実して本当に楽しく過ごしています。 多くの人は、「ALSは、いろいろなことができなくなっていく、つらくて残酷な病気」ととらえていますが、「わずかな動きと工夫しだいで、いろいろなことができる可能性に満ちた病気」です!ALSと前向きに向き合っていく、患者とその家族、周りの医療スタッフに、ただただpositiveで有益な情報を伝えたくて、このコラムのタイトルをつけました。『enjoy! ALS』 **コラム執筆者:医師 梶浦智嗣記事編集:株式会社メディカ出版

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