心温まるエピソード【つたえたい訪問看護の話】第3回vol08

訪問看護の現場では、利用者さんやご家族との日々の関わりのなかで、その人らしさや大切にしてきた思いに触れる瞬間があります。今回は、「みんなの訪問看護アワード2025」に寄せられた投稿のなかから、利用者さんと訪問看護師の間に生まれた、忘れがたい5つのエピソードをご紹介します。
「筆が引き出すあのころの顔つき」
「もう、心も体も衰えました」と繰り返し話していた90代のAさん。かつて親しんだ筆を手にした瞬間、その表情は凛と引き締まり、迷いのない筆運びで作品を書き上げました。Aさんのなかに今も息づいていた力と、娘さんが懐かしい母の姿を見つけたエピソードです。
| 90代のAさんは、訪問するといつも笑顔で「私はもう、心も体も衰えました」と繰り返し話していました。 そんなある日、足腰が弱り、自分では上がれなくなっていた2階へ、介助のもとで一緒に上がることになりました。案内していただいたのは、かつてAさんが使っていた部屋です。壁には、額に入れられたたくさんの習字や刺繍の作品が飾られていました。そこは、Aさんの生きてきた時間が詰まったような部屋でした。 Aさんが以前、習字をしていたことは聞いていました。しかし、Aさんはいつも、「もう衰えて、指も曲がってしまったから、習字はできませんわ」と話していました。 部屋で習字道具を見つけた私は、「やってみませんか」と声をかけ、1階の部屋まで運びました。 「あきません。もうできません」 Aさんは首を横に振りました。それでも私は、「私にも教えてほしいんです」とお願いし、墨汁を用意して筆を手渡しました。 すると、Aさんの目の色が変わりました。すっと立ち上がり、背筋をぴんと伸ばして半紙に向かいます。そこには、気迫さえ感じさせる凛とした姿がありました。 Aさんは、迷いのない筆運びですらすらと文字を書き上げ、最後に自らの雅号を添えました。そして、完成した作品を見つめながら、さまざまな感情が込み上げたように涙ぐんでいました。 後日、筆を持つAさんの写真を娘さんに見ていただくと、 「私が幼いころ、母はとても厳しい人でした。あのころのような、きりっとした表情を引き出してくださって、とてもうれしいです。こんな顔、久しぶりに見られました」 と、喜びの言葉をいただきました。 その後、Aさんの「もう衰えました」という言葉には、昔のように誰かのために何かをしたくても、思うようにできないもどかしさが込められていたのだと分かりました。 |
2025年1月投稿
「最期の願いを託した両親への手紙」
病状が進行するなか、ご両親への手紙を書きたいと願った38歳の佐藤さん。痛みや倦怠感が強まるなかでも少しずつ言葉をつづり、家族への感謝と思いやりを一通の手紙に託しました。その手紙が、今もご両親の心を支えているエピソードです。
| 佐藤さんは38歳。直腸がんが全身に転移し、ご家族は医療者から、予後が数カ月程度と見込まれると説明を受けていました。ご本人に病状をどのように伝えるかについては、ご家族と医療・ケアチームで慎重に話し合われていました。 リハビリに取り組んでいたある日、佐藤さんから声をかけられました。 「オレ、両親に手紙を書きたいんだ。協力してくれないかい?」 薬の副作用もあり、痛みや倦怠感が強まり、体調は悪化し続けましたが、それでも佐藤さんは決して諦めることなく「やるんだ!」と、まさに決死の思いで書き上げました。 完成した手紙には、自分が家族より先に旅立つことへの悲しみとともに、ご両親やご兄妹への最大級の感謝と、ご両親のこれからを気遣う言葉が綴られていました。 「僕が亡くなったら家族に渡してください」 そう約束した6日後、佐藤さんは亡くなりました。 まだ温かい彼に手を合わせ、ご両親に手紙をお渡ししました。 四十九日が過ぎたころ、ご両親にお会いすると、手紙を振り返りながら 「ちゃんと分かっていたんだね」 「私たちのこと心配してくれていたから、元気でいなくてはね」 と目に涙を浮かべながら、小さく笑顔を見せてくださいました。 佐藤さん。あなたが残した手紙は、今でもご両親を支えていますよ。 |
2025年1月投稿
「どうか最期まで満面の笑顔で」
表情や左手の動きで、豊かに気持ちを伝えていたTさん。満面の笑みは、関わる人たちの心を和ませていました。やがて表情が少なくなっていくなか、最期のときを迎える直前に見せた、穏やかなほほ笑みが心に残るエピソードです。
| 高次脳機能障害と右半身麻痺のあるTさん。失語により言葉を理解しているかどうかの判断も難しい状況で、意思表示の手段は、表情と動かせる左手の動きのみでした。移乗は断固拒否され、寝たまま左手で食事をする生活を20年程続けていました。 好き嫌いがはっきりしていたTさんは、受け入れにくいことがあると、表情や動かせる左手で強く気持ちを示すことがありました。一方、うれしいときには満面の笑みを浮かべ、涙を流したり、握手を求めたりすることもありました。そうした豊かな感情表現と笑顔には、周囲の人の心を和ませる不思議な力がありました。 だんだんと食が細くなり痩せ細るTさん。以前のように強く気持ちを表すことも少なくなり、力なく笑うようになっていきました。満面の笑みを見ることはなくなり、つらさからか泣くことも増えていきました。 段々と表情も乏しくなるなか、最期のときを迎える直前、看護師の顔を見て微笑んだTさん。まるで「ありがとう」と伝えてくれているような穏やかな表情を見て、穏やかな気持ちになりました。 Tさん、これからも大好きなパンと巻き寿司を口いっぱいに頬張りながら、あの素敵な笑顔で過ごしてね。 |
2025年1月投稿
「木曜日の午後2時」
がんの終末期を自宅で過ごしていた正義さんは、体調が変化しても、外を歩くことを楽しみにしていました。亡くなる2週間前まで一歩ずつ散歩を続け、いつも笑顔を見せていた正義さん。後になって知った「木曜日の午後2時」への思いに、訪問看護師の胸が熱くなったエピソードです。
| がん終末期に病院を退院した正義(まさよし)さん。とてもダンディで心温かく、まるで正義の味方のような方でした。 退院してから少しずつ元気になり、ベッド中心の生活から次第に歩けるようになりました。私が選んだウォーカーをとても気に入ってくださり、どんどん歩ける距離も伸びていきました。その姿は、腰椎に転移があるとは思えないほどでした。 夏には1キロメートル近く散歩できました。足の悪い私は、スタスタ歩く正義さんについて行くのが大変なこともありました。 秋の終わりになると、足がむくみ始め、重さも増して歩くスピードも遅くなりました。 冬になっても、雨さえ降っていなければ、どれだけ寒い日でも「少しだけお付き合いください」と言われ、一緒に歩きました。吐く息が真っ白になるほど寒い日でも「風が気持ちいいですね」と笑っていました。 正義さんと一緒に春を迎えられるとは、思っていませんでした。足は大きくむくんでいましたが、それでも正義さんは「外にでたい」と話し、私たちは一緒に20メートルほど歩きました。体はつらそうなのに嬉しそうでした。 亡くなる2週間前にも、わずか10メートルではありましたが、歩くことができました。一歩一歩はとてもゆっくりで、足取りも重く、つらそうでした。それでも、正義さんの表情には嬉しそうな笑みが浮かんでいました。 その翌日から全身の痛みが強まり、正義さんはベッドから動けなくなりました。傾眠状態になってからも、ケアの後には「ありがとうございました」と言って、いつものように笑顔を見せてくださいました。正義の味方のような方でした。 後日、娘さんから「父は、訪問看護が来る木曜日の午後2時を、いつも心待ちにしていました」と聞きました。その言葉を聞いた瞬間、涙があふれました。けれど、木曜日の午後2時を心待ちにしていたのは、私も同じでした。 |
2025年1月投稿
「痛みとの孤独な闘い」
進行した膵臓がんと診断されたKさんは、入院ではなく、住み慣れた自宅で過ごすことを望みました。十分とはいえない生活環境のなかでも、訪問看護師や医師と関わりながら、自分らしい時間を過ごしたKさん。最期まで本人の希望を支えた日々と、看護師の心に残った言葉を描いたエピソードです。
| 生活保護で一人暮らしをしていた67歳のKさん。血糖値の管理が難しくなったことをきっかけに、訪問看護の介入を開始した。その後、著しい高血糖で入院し、肝臓への転移を伴う進行膵臓がんと診断された。 Kさんは積極的な治療を希望せず、住み慣れた自宅で緩和ケアを受けながら過ごすことを選択した。がん性疼痛が強くなったため、年末からは医療用麻薬による疼痛緩和が開始されるも、入院は望まず。 室内は生活環境を整えることが難しい状態で、寝具や排泄の環境も十分ではなかった。はじめは支援を受け入れることにためらいがあったが、体を動かすことが難しくなるにつれ、少しずつ排泄ケアなどを受け入れてくださるようになった。私たちは寝具や衣類を整え、Kさんらしく過ごせる方法を一緒に考えた。 「一人で過ごすのは寂しくないですか。痛みを和らげるために、入院する方法もありますよ」 そう声をかけると、Kさんは、 「病院はどうしても嫌や。ここにおるんが気楽や」 と答えた。決して整った環境ではなかったが、そこはKさんが長く暮らしてきたかけがえのない自宅だった。私はその思いを受け止め、主治医やほかの看護師と相談しながら、自宅で過ごし続けられるよう支援することを決めた。 ラジオから懐かしい曲が流れると、Kさんは頭を揺らしてリズムを取った。私たちも一緒に歌い、穏やかな時間を過ごした。訪問診療医から「こういう看取りもいいね。みんなで支えれば、ここで最期まで過ごせると思う」と言葉をかけてもらったことも、支援を続けるうえで大きな支えとなった。 最期が近いと感じた日の早朝、夢のなかにKさんが現れ、「ありがとうな」と声をかけてくれました。長く関わっていた別の看護師も、同じころにKさんの夢を見たという。 Kさんは、自分が望んだ場所で最期まで過ごされた。私たちの関わりは、Kさんの寂しさや痛みを少しでも和らげ、心の支えとなったのだろうかと、今も考える。 『負けないで、もう少し』今後、この歌を耳にするたびにKさんを思い出し、私たち自身が前を向くための応援歌として口ずさむことでしょう。 |
2025年1月投稿
利用者さんやご家族との信頼関係から生まれる温かい瞬間は、訪問看護師にとってかけがえのない宝物です。これからも一人ひとりの人生に寄り添い、心通う看護を届けていきたいですね。
編集: NsPace編集部
