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呼吸困難への対応 前編【がん身体症状の緩和ケア】

呼吸困難への対応 前編【がん身体症状の緩和ケア】

呼吸困難とは呼吸時の不快な感覚のことをいいます。ご本人が「息苦しい」と感じる主観的な症状であるため、呼吸不全の病態と一致しないことも少なくありません。今回は末期の肺がんを患う鈴木さんのケースを通して、呼吸困難への対応を見ていきましょう。

在宅療養を始めたばかりの鈴木さん

鈴木さんは62歳の肺がん末期の利用者さんです。専業主婦として過ごしてこられましたが、2年前に肺がんが判明。抗がん剤治療を行っていましたが、効果がなくなり、自宅で過ごすことを選択されました。鈴木さんは両肺に多発転移、右胸に胸水貯留があるという状態です。

訪問看護師であるあなたと初めて会ったとき、鈴木さんは笑顔でした。1L/分で酸素が流れている経鼻酸素カニューレを手放せない状態ではありましたが、特に痛みもなく、息苦しさもないとのこと。酸素飽和度95%と呼吸状態もある程度保たれていました。

鈴木さんはご主人と娘さんの三人暮らしで、家事はすべてご主人がやってくれています。居間に置かれた介護用ベッドで療養されており、ときどきさみしそうな表情を浮かべることがあり、あなたはそれが少し気になっていました。

呼吸困難の訴えがあり夜間に訪問

退院翌日の夜10時、あなたが持っていたステーションの緊急用携帯電話が鳴りました。鈴木さんのご主人からです。

ご主人: 妻が1時間ほど前から息が苦しいと言っています。酸素の量を3L/分まで上げてもいいと言われていたので、酸素を増やして、背中をさすっていたのですがよくなりません。このまま息が止まってしまうのではないかと不安になり、電話をしました。

あなたはすぐに訪問する旨を伝えて、自転車で鈴木さんのご自宅に向かいました。訪問に向かう間、あなたはいろいろなことを考えていました。酸素飽和度が極端に低下していたら…、酸素を増やしても苦しいのだから主治医にすぐ連絡するべきなのだろうか…、そんなときに自分は何ができるのだろうか…。薄曇りの初夏の夜のことでした。

訪問してみると、居間のベッドで鈴木さんが座り込んでいました。起座呼吸の言葉が頭をよぎります。かなり状態がよくないのではないかと思い、鈴木さんに声をかけて、症状を聞きながら酸素飽和度と血圧を測定しました。鈴木さんの息はかなりハアハアしています。

鈴木さん: 胸の奥が何か締め付けられるような感じで、空気がうまく入っていかないの。このままだともっと苦しくなるような気がして…。

鈴木さんの酸素飽和度は98%(酸素投与量 3L/分)、血圧120/68mmHg、脈拍98回/分、呼吸数22回/分と大きな異常はありません。

リラックスを促し症状を緩和

まずあなたは、窓を開けて居間に風を呼び込むことにしました。窓を開けると幸いさわやかな風が吹き込んできました。次にベッドを45度程度にギャッジアップしました。クッションを集め、つらくない姿勢をとりました。右を下にしたほうが、少し楽になるようでした。

鈴木さんのように胸水が片側にたまっている患者さんの場合、側臥位をとると楽になったり、呼吸状態がよくなったりします。どちらの向きにするかは、胸水や酸素の状態によって違ってきますので、患者さんご本人の反応やSpO2などをみて調整するとよいでしょう。よくいわれているのは胸水がたまっているほうを上にすることですが、胸水の量が多いと健側の肺が胸水によって圧排され、かえって呼吸困難が強まることもあるので注意が必要です。

ベッドの脇には友人からの退院祝いである百合の花が置かれていました。匂いがきついと感じたあなたは、その花を隣室に移し、匂いがこもらないようにしました。

10分ほど背中をさすっていると「だいぶ楽になってきたわ」と鈴木さんが話されました。呼吸数も13回/分ほどまで改善している様子です。さらに30分ほど背中をさすり、当面状態が悪化する可能性は少ないことをご主人と鈴木さんに説明し、鈴木さんのお宅を後にしました。

薬物療法ではモルヒネや抗不安薬を使用

翌日、申し送りでそのことをスタッフに説明すると、ベテラン訪問看護師の西水さんから声をかけられました。

西水さん: よく対応したわね。私でもあなたと同じように対応したと思うわよ。特にあなたが窓を開けて空気の流れをつくったことはすごくいい工夫だと思ったわ。海外では携帯用のファンを持たせるように患者に指示して、苦しくなったら口元にファンで風を送り込むように指示している先生もいるそうよ。

あなた: そうなんですか。百合の花の匂いが少しきついなと思ったので風を送るようにしたのですが…。何とか楽になってくれてよかったです。でも、夜中にまた呼ばれたらどうしようとあまり寝られませんでした。

西水さん: そうね、先生たちはこんなときのため頓服の薬を出してくれているから、それを服用させるのも一つの手よね。たいてい抗不安薬であることが多いわ。でも緩和ケアの先生たちはモルヒネやヒドロモルフォンの速放性製剤を出してくれることが多いのよ。

あなた: 患者さんにとって呼吸が苦しいというのは、不安というか、恐怖だと思います。なので、抗不安薬が処方されるのは分かるのですが、医療用麻薬が処方されるはなぜですか?

西水さん: 医療用麻薬のうちモルヒネとヒドロモルフォンは呼吸困難を改善させる効果があるとされているの。その機序ははっきりと分かっていない部分もあるのだけど、呼吸中枢に働いて呼吸数を減らすといわれているわ。呼吸数が減るとずいぶん楽になるのよ。

あなた: そうなんですね。勉強になりました。ところで、西水さん、実は鈴木さんのことで気になることがあるのです。初回訪問の時、鈴木さんが少しさみしそうな表情をされているように思ったんです。鈴木さんの娘さんが同居されているのですが、昨日、今日とお会いしなかったことも少し気がかりで…。

西水さん: あなたがそう思うなら、お二人に聞いてみるのはどうかしら。

あなた: わかりました、聞いてみます。

どこかさみしそうだった本当の理由

翌日の定期訪問では、鈴木さんは息苦しさも改善して穏やかに過ごされていました。体のチェックでも胸水はさほど増えていないと思われ、酸素の投与量を医師の指示で1L/分に減らしても、酸素飽和度は95%と大きな問題はなさそうです。

ご主人もいらっしゃったので、あなたは思い切って鈴木さんご夫婦に切り出しました。

あなた: 素敵なご夫婦ですね。これだけご主人がかいがいしくお世話をされるご夫婦はそう多くはありませんよ。

鈴木さん: ありがとう。でもそんなによくはないのよ。

あなた: 確か娘さんもご一緒でしたよね。あまりお見かけしないなと思って…。

鈴木さん: 娘は…。

そう言いかけて、鈴木さんは途中でだまってしまいました。

あなた: 話したくないことでしたら、無理にお答えいただかなくても結構ですよ。

鈴木さん: そんなことはないの。でも、少し娘のことを考えると申し訳なくて…。

あなた: よかったら聞かせていただけませんか。

鈴木さん: 娘は会社でプロジェクトのリーダーを任されているのよ。毎日遅くまで仕事して、疲れ果てて帰ってくるの。この1年ほどは食事もほとんど一緒にとっていないわ。そんな生活だから、私が退院するとき、娘はそのまま緩和ケア病棟に入るように強くすすめてきたの。家に帰ってこられても、自分には私を世話できないって。それは無理のないことだとも思ったわ。でも、私はどうしても家に帰りたかった。味気ない病院の天井を見ているのはもう限界だとも思ったの。幸い主人が帰ってもいいよと言ってくれたので、こうして帰ることができたのだけど。娘は気分が悪いらしく、帰ってもほとんど会ってくれないの。夜遅く帰った後に夫が声をかけても「疲れたから寝る」と言って、ほとんど口も聞いていないのよ。娘にとって私は迷惑なのかもしれないわね。きっと主人にとっても迷惑なのよね。この前のようなことがまたあれば、緩和ケア病棟に入ったほうがいいかもしれないわね。

あなた: そうだったんですか。でも、鈴木さんは家で過ごしたいんですよね。

鈴木さん: できればだけど…。

娘さんに手紙を書いてみることに

あなたはその日はそのままステーションに帰りました。ステーションに帰ると管理者の望月さんと先輩の西水さんに相談しました。また、主治医の先生にも報告し、まずは訪問看護のほうから娘さんにアプローチすることにしました。

あなたはまず娘さんに手紙を書いてみることにしました。書き出しは悩みましたが、鈴木さんが娘さんに引け目を感じていること、不安やさみしい気持ちがあるように見えること、つらい症状は精神的な要因から生じている可能性があることを記載しました。そして、最後にステーションに電話をもらえるようにお願いをしてみました。

手紙を渡した翌日の午後、娘さんから電話がありました。

娘さん: お手紙、ありがとうございました。母のこと気遣っていただき、感謝しています。正直なところ仕事も忙しく、母が自宅に戻ってきたことで私に何ができるのか、すごくモヤモヤしていたのです。私は緩和ケア病棟に行くように強くすすめたのですが、今の両親を見ていると、自宅に戻るのも悪くないかなって思うようになって…。でも、あれだけ自宅に戻ることを反対した手前、母の前に行きづらくて。ほとんど話すことも見つからないのです。上司は事情を知っていて、私にしばらく介護休暇を取るようにすすめてくれるのですが、この仕事を放り出すわけにも行かず、悩んでいました。

あなた: そうだったんですね。娘さんもつらい思いをされていたのですね。もしよかったら、忙しいとは思うのですが、一度、主治医から鈴木さんの病状について説明を受けていただくお時間をつくっていただけないでしょうか。私たちも同席し、娘さんをどのように応援できるのか相談させていただければと思うのです。

娘さん: ありがとうございます。分かりました、時間をつくってみます。

あなたは、主治医と管理者に娘さんと話した内容を伝え、彼女と相談する時間をつくってもらうようお願いしました。そしてご主人にはきちんとこのことを伝えておくようにしました。

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呼吸困難への対応 後編【がん身体症状の緩和ケア】

執筆:鈴木 央
鈴木内科医院 院長

●プロフィール
1987年 昭和大学医学部卒業
1999年 鈴木内科医院 副院長
2015年 鈴木内科医院 院長
 
鈴木内科医院前院長 鈴木荘一が日本に紹介したホスピス・ケアの概念を引き継ぎ在宅ケアを行っている。
 
編集:株式会社照林社

【参考】
〇日本緩和医療学会 緩和医療ガイドライン作成委員会編.『進行性疾患患者の呼吸困難の緩和に関する診療ガイドライン(2023年版)』金原出版,東京,2023.

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