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インタビュー
2021年4月13日
2021年4月13日

多機能複合型店舗「せわのわ」モデルとは?

株式会社キュアステーション24が運営するせわのわ訪問看護ステーションは、地域に開かれた医療と介護サービスを提供する「せわのわ」のサービスの一つです。第1回は多機能複合型店舗「せわのわ」について、事業支援部長の半田さん、せわのわ事業本部長の目井さんにお話を伺いました。 「せわのわ」モデル第1号店として ―せわのわのような多機能展開しているところは珍しいと思いますが、実際にはどのような事業を行っているのでしょうか。 半田: 「せわのわ」は株式会社キュアステーション24が運営していて、TRホールディングスグループの傘下にあります。株式会社TRホールディングスは、医薬品・化粧品・医療機器等の販売や調剤薬局の運営、精密機器開発製造やシステム開発販売など、幅広く事業を行っていますが、基本理念は人々の健康な生活と笑顔にどれだけ医療面から貢献できるかで、医療を通して住民の方々に貢献するというのが一番のベースですね。 キュアステーション24は、調剤薬局・訪問看護・栄養ケアステーションの3業態の複合事業を新たに展開するために2019年4月に設立した法人です。 ここは、実験店でもあり基幹店でもあります。いわば我々が考えているせわのわの機能のフルバージョンで、飲食部門をつけたことが特に新たなチャレンジでもあります。 目井: この構想自体は2014年頃から出ていて、代表取締役である田中といろいろ話をしていました。元々調剤薬局を抱えていたので、薬局が今後も生き残りをかけていくには、地域や在宅の分野もしっかりやらないといけないと…。調剤薬局と訪問看護としたのは、経営サイドからすると、収益性の面が一番大きいですね。 半田: ただ、外来中心になっているような薬局だと、急に在宅に行けと言われてもなかなか動きづらい。でもこの先絶対、在宅をやっていかないと調剤薬局はもたない、下手をすると淘汰されてしまうと思っていたので、訪問看護とのペアリングを考えました。 目井: そうした話を重ねるうち、2018年頃には地域に貢献するのであれば、カフェや薬膳料理などもどうか、という案があがりました。薬局と訪問看護だけではなく、飲食と栄養面からも地域支援ができないかというのが最初のアイデアで、要介護の人よりもフレイルの人をターゲットに考えていましたね。 実際には、調剤薬局と訪問看護ステーション、コミュニティサロンも兼ねた健康食堂、栄養ケア・ステーションを運営しています。 組織内でのミニ包括ケアチームを目指して 半田: 地域包括ケアシステム、チーム医療とはよく言われていますけれど、本当に多職種連携が機能しているのかというと、実際は難しいところもありますよね。所属している組織も職種も違う中では、サービス担当者会議などの集まりでも、お互いに遠慮して言いたいことが言えないことも多いです。 それだったら、我々の組織でミニ包括ケアチームを作ってしまえばいいのではないかと。それが多職種業態にしようと思ったねらいです。 うちでは主に薬剤師、看護師、管理栄養士、理学療法士、言語聴覚技師、調理師などがいます。一つの組織の中でケアにあたる専門職をチーム化すれば、他の機能していないところより機能的に動けると思いました。まだ道半ばではありますけどね。 目井: 看護師と薬剤師が働くことのメリットがどのようなところにあるのかは、仮説のもとでやりはじめましたが、実際、お互いに相談しやすい環境であり、親和性は高いということはわかりました。 ―事業性としてはいかがですか。 目井: うちの特徴としては、住宅地のど真ん中にあります。ビジネスとして考えれば、調剤薬局はクリニックの横やショッピングモールなどに出店した方が集客もできてベストかもしれません。けれど、このモデルとしては地域に貢献するということを第一に考えていたので、その選択肢は外しました。この地域の半径500mをすべてカバーしようという考えではじめましたから…。 苦労も相当多いですが、「今のせわのわのモデルいいね」と言われることも多い。まだこうしたモデルは日本ではないと思うので、今は1号店として知見をためているところです。 半田: 調剤薬局にも訪問看護にも医療の専門家がいて、何かあれば相談できる。しかもみなさんが利用できるレストランもあって普段使いができるわけで、機能性の面だけでいえば便利に決まっています。 ただ、事業性をどう確保するかが最大の課題ですよね。ボランティアでやるわけにはいきませんし…。 このモデルの良さに加えて、きちんと事業性を証明していくことが、この先展開していく上での大きなキーになると思います。 目井: いずれは横展開をしていくことも考えていますが、展開自体は、私どもが独自に出すことは考えていなくて、FCやボランタリーでなどいろいろな方法があると思います。このモデル自体、誰がやったら相性がいいのか、クリニックかもしれない、調剤薬局かもしれない。そうしたことも含めて可能性を探っていて、どこからでもせわのわモデルに入っていけるような仕組みにしていきたいと思っています。 まだ実験段階ではありますが、ある程度の方向性は見えてきていますね。 半田: 今は広大な実験場にいるという感じですね。いずれビジネスモデルが固まってきたら、社会に貢献できる形で広げて行きたいと思っています。 ** 株式会社キュアステーション24 せわのわ事業支援部 部長 半田 真澄 30年以上臨床検査領域で働いた後、2013年にTRホールディングスグループに入社。代表取締役の田中氏とは社会人1年目が同期という縁。せわのわでは主に業務全般のサポートを行っている。 株式会社キュアステーション24 取締役/せわのわ事業本部 本部長 目井 俊也 ゼネコンや外資系保険会社などを経て、まったく畑違いの介護業界に。訪問介護ステーションやデイサービス、サービス付き高齢者向け住宅などの開業・運営経験がある。 株式会社キュアステーション24 訪問看護事業責任者/管理者 竹之内 航輝 総合病院の脳外科や透析外来に勤務後、訪問看護ステーションの管理者になるための経験として看護師の人材紹介会社で働いた経験を持つ。代表の地域貢献に関するビジョンや、スタッフに対する思いなどに共感し、せわのわ訪問看護ステーションに入職。

インタビュー
2021年4月13日
2021年4月13日

訪問看護事業参入で地域包括ケアシステムの実現へ

  『介護のことならツクイ』。株式会社ツクイは介護事業に参入してから35年以上、顧客や社会のニーズにあわせて事業を拡大してきました。 今回は、ツクイの訪問看護事業参入プロジェクトを牽引されている事業企画推進部部長の竹澤仁美さんに、ツクイ入社までの経緯や訪問看護事業参入の経緯、ツクイが手掛けている事業についてお話を伺いました。 患者さんは、退院した後が本当の生活との闘い ―竹澤さんのこれまでのご経歴を教えてください。 竹澤: 看護師になろうと思ったのは、学校の先生に強く勧められてです。看護学校卒業後は、長野県内の病院に就職し、救急外来やオペ室、外科、ICU、脳外科、循環器など様々な経験をし、トータル10年ほど働きました。夫の転勤で上京後は、元々ケアマネージャーの資格を初年度に取って、違う環境で資格を活かせたらいいなと思っていました。それが病院から介護業界に入ったきっかけです。 ケアマネージャーとして働きはじめてからは、病院できちんと管理されていた、服薬や食事、排泄、保清などが行き届いていない生活状況を目にしました。老々介護で追い詰められて自死を選択するという、テレビで見ていた悲惨な状況も目の当たりにし、衝撃を受けました。 病院にいたら、「おめでとうございます」と言って患者さんを退院させますが、退院した後が本当の生活との闘いだと感じました。在宅の現状を知り、私の中で病院に戻る選択肢はなくなりました。在宅業界で自分の資格を活かして働いていこうと思いました。 ―その後どのように働かれたのですか。 竹澤: ケアマネージャーを4年ほどやりました。その後、都内に新しくできるショートステイに施設長として行きました。いろいろな課題がありましたが、訪問看護事業や有料老人ホーム事業、生活に関わる周辺の事業にも関わり、15年ほど働いていました。施設長は8年ほど、訪問看護の統括のような立場にもいました。 前社ではM&Aの関係もあり、ショートステイやデイサービス、訪問看護ステーションが一緒になったりしました。他の会社に買ってもらうときは、ルールに従わなきゃいけない難しさはありましたけど、柔軟に対応していました。逆に、他の会社を買ったときは、社内のルールや介護のしかた、有休の使い方など、文化が違うということで苦労しました。 経営陣の思いがまっすぐで同じベクトルであること ―ツクイに入った経緯は?決め手は何だったのでしょう。 竹澤: 元々は社長の会などに参加させてもらっていて、女子会のような流れでツクイの取締役と知り合いました。その当時、前社では訪問看護事業を拡大していくことはないといった感じで。管理の仕事をしていましたが、「訪問看護の仕事がしたい」、「自分はサービスに出たい」と思い、訪問看護での独立を考えていました。それを聞きつけたツクイの取締役が、「うちでやってみないか?」と声をかけてくださったんです。 ツクイは福祉事業だけで35年間真面目にやってきた会社ですし、これから全国展開していく中で、その拠点ごとに訪問看護を増やしていきたいという思いがあったのが入社の決め手です。あとは、経営陣たちの思いがまっすぐで同じベクトルだったので、ここなら思う存分訪問看護ができるなと感じました。 ―取締役は竹澤さんのどのようなところを見込んで、声をかけられたんでしょう? 竹澤: 在宅のときから地域に根付いてやってきたことを、お世話になっていたコンサルタントさんから聞いてご存じだったのかもしれません。また、私は数字を見ながらきちんと売り上げをあげることも意識しています。思い通りじゃないと嫌というわけでなく、柔軟に対応できるタイプだと思うので、そこがツクイに入ってもやっていけると思ってもらえたんじゃないでしょうか。 その後はコンセプトなどを1年くらいかけて聞かせていただいて、医療系事業プロジェクトをつくるためにいろいろ調べ、多くの方にお会いして、3年前にツクイに入社しました。 地域包括ケアシステム実現のために必要なこと ―今ツクイさんで手掛けている事業と、今後の展望について教えてください。 竹澤: グループ全体では734の事業所があり、デイサービスが527、グループホームが45、介護付き有料老人ホームが28、住宅型有料老人ホームが2、サービス付き高齢者向け住宅が22、訪問看護ステーションは14です。(2021年2月時点) ツクイでは、「人生100年(幸福に生きる)時代へ。」というコンセプトを掲げています。また、「ツクイは、地域に根付いた真心のこもったサービスを提供し、誠意ある行動で責任を持って、お客様と社会に貢献します。」という事業理念のもと、各種事業を展開しています。 その中の地域戦略推進の一つが訪問看護事業です。ツクイでは、人々が地域で暮らすために、福祉を軸として周辺の事業や医療との連携を強め、地域価値を創造していくという方向性で事業に取り組んでいます。 地域包括ケアシステムを実現するには、介護だけでも医療だけでもだめで、介護と医療の融合が必要です。そのために、医療系事業の訪問看護もしっかり伸ばしていく必要があると思っています。 ** 株式会社ツクイ 事業企画推進部 医療系事業プロジェクト 部長 竹澤仁美

インタビュー
2021年4月13日
2021年4月13日

対話による介入「オープンダイアローグ」とは?

 KAZOCが取り組むオープンダイアローグとは、「開かれた対話」による精神科のクライシス(精神症状の悪化に起因する危機)介入の手法です。「対話」の場を重視することで良好な治療成績をあげています。第3回は、オープンダイアローグの具体的な内容について、渡邊さんに伺いました。 対話を繰り返すリフレクティング・プロセス 渡邊: オープンダイアローグは、フィンランドの西ラップランドという地方にあるケロプダス病院だけで行われている取り組みです。そこが、エビデンスが桁違いの論文を出したことで注目されました。 日本では統合失調症患者への向精神薬の投与率は99%といっても言い過ぎではなく、治療=薬のイメージですが、それがケロプダス病院の論文では投与率25%だというのです。また、統合失調症は国際水準でいうと100人に1~2人は発症すると言われていて、文化的な影響や男女差もないとされていますが、これが一万人に一人という発症率だというのです。ということは、統合失調症の症状が投薬治療をせずに半年以内に症状が消失しているということになる…もう衝撃的でしたね。 ―どのようにして実践していくのでしょうか。 渡邊: オープンダイアローグでは、ファミリーセラピーという構造を取っていて、一対一ではなく、家族の中に支援者が複数名で入っていきます。対話を促進するために必要であれば、親せき、学校の先生、職場など外の人も参加し、リフレクティング・プロセスという方法で対話を繰り返すのが特徴です。 当初は、ファシリテーターを置いて家族に話をさせて、それをマジックミラーの外側から見ている専門家が、家族の問題点を修正するための質問を遠隔でファシリテーターに伝えるという方法でした。しかし、ノルウェーの精神科医トム・アンデルセンが、片方だけが見えていて、もう片方が見えていないのはどうなのかと考えて入れ替えを行うようになりました。 今度は家族の話を元に専門家が話をする場面を、家族が見ることになったわけです。自分たちの会話がどう解釈されているのかを知ることで、何かが変化する、構造が変わるということで実践と研究が進み、そこで起きているのは対話が促進されるということであるということがわかりました。 次に、対話であればもっとフランクなほうがいいとマジックミラーがなくなり、ただの日常会話の中で時折、専門家同士がパッと向き合って専門的な話をして、また元に戻るようなやり方になっていきました。 こうした対話の繰り返しが薬以外の治療方法になり、それが統合失調症の発生率を下げているというのです。 ―患者さんと家族が直接話をすると、ケンカも起こりそうですね。 渡邊: ケンカもありますね。だけど、みんなに気づきがあるんですよね。 人と話していることを外的対話、話を聞いて自分の頭で考えることを内的対話とすると、対話が二層構造になっていると考えられます。ファシリテーターは、家族という内側の構造と家族以外の外側の構造を出入りしながら、外的対話と内的対話にアプローチしていく。その時ファシリテーターは家族構造の何かを掴んで出たり入ったりするような…。 これがすごく難しくて、何かとはいったい何なんだ…という話になるんですけど(笑)、論文では「LOVE(愛だ)」と言っているんですよ。愛だと。 困難を抱えている家族の中に入り込むときに持ち込むものが愛だとすると、それは血族や恋愛の愛ではなく、母性の愛でもなく、セクシャルなものでも自己愛でもなさそう…。社会的なもののようですが、日本ではあまりその文化がないのかもしれませんね。 オープンダイアローグの実際 ―実際にどのような会話のやりとりをされていくのでしょうか。 渡邊: 例えば、引きこもりの息子さんがいてお母さんはどうにかしたい、本人はたまに暴力をふるってしまうんだけど、というような状況の場合、まずは二人の話を聞きますが、この時の話は説明なんですね。 僕らがやりたいのは、探索、つまり内的対話に持っていきたいので、それが始まるようにリフレクティングをします。二人の前で専門家の一人が「こんなに長い間、家にいざるを得ない状況だったら、とんでもなく大変な体験だったんじゃないかと思います」などと本人について話をします。もう一人はお母さんにピントをあてて、「息子さんがこういう状況ですごく大変だったと思う…」と話をしたとします。 すると、それを聞いた本人たちの中で、「暴力はまずかったな」とか、「本当に辛かったな」とか、何かしらの気づきが生まれるので、それをすくい取りながらリフレクティングを繰り返すという感じです。 ―繰り返すことで、患者さんや家族はどうなっていきますか。 渡邊: 最初は感情が出てきて早口だったり、ケンカになったりもすることもあります。しかし、対話を進めていくと、お互いに自分で考える内的対話が増えてくるので、最後のほうはアウトプットとしてはゆっくりで、外的対話がスローになります。 オープンダイアローグの勉強をしている人たちの属性によって、いろんな見方もあります。研究領域だと心理分析的なテクニカルな捉え方をするだろうし、僕らのような在宅領域だと生活に密着してくるような捉え方になるだろうし、いろいろな解釈があってまとまっていない。エビデンスとしてはしっかりあるんですけど、説明のつかないところもありますね。 精神科医の斎藤環さんが言っていたんですが、起こってしまったこと、過去はもう変わらない。でもメモリの容量は小さくすることはできると。トラウマ体験は心のメモリをめちゃくちゃ食うけれど、それを語り直すことによって容量に占める割合は小さくなっていく、それが大事なんですよと。 対話とか語りにはそういうところがある気がします。変化ではあるけれど、変容ではないんですね。 ** 株式会社Neighborhood Project 代表取締役 訪問看護ステーションKAZOC 作業療法士・精神保健福祉士 渡邊 乾 都内の精神科病院に就職し、日本の精神科医療の現実を知る。その後、浦河べてるの家、イタリア・トリエステの活動を視て地域支援を志す。2013年に精神科訪問看護ステーションKAZOC(かぞっく)を開設。当事者研究、ハウジングファースト、オープンダイアローグなどの先進的な手法を取り入れ、精神疾患を持った人たちの在宅生活を支援している。

インタビュー
2021年4月6日
2021年4月6日

看護師としてのやりがいは地域での仕事、助け合いもますます重要に

訪問ボランティアナースの会「キャンナス」を25年前に立ち上げて地域ケアの先頭を走りつづけてきた代表の菅原由美さん。今後は、子供のケアや子育て支援に力を入れていきたいと話しています。在宅介護の担い手として、ヘルパーを准看護師として育成したい思いもあるそうです。まだまだ猪突猛進が続きそうです。 今後の構想 菅原: 私が一人開業って言い出したのを応援してもらったり、3.11東日本大震災で避難所の支援をしてから被災地支援が活動の一つとして加わったりと、振り返るといろいろなことをしてきたなぁと。介護保険ができる時には、訪問介護事業所の管理者をなぜ看護師がやってはいけないのか、厚労省に直談判もしたんですよ。最初は、掃除、洗濯は看護師の教育にはないからって言われたんですが、制度がはじまる直前になって、看護師資格を1級ヘルパー扱いとすることになりました。厚労省も含めて、みんな手探りでした。新しいことがはじまるというわくわく感はありました。 介護保険に引っ張られて高齢者ケアに行き過ぎてしまった思いはあります。 私としては、これからは子育て支援や子どものケアに力を入れ行きたいと思っているところです。 実は私は県の委託で3人の子どもの里親になった経験があります。親が育てきれずに施設に預けた子どもたちで、その中には知的障害者もつ子もいて、養育の難しさも感じました。こういう子どもたちは今もたくさんいて、なんとかできないかと。私がキャンナスを立ち上げた時の最初の利用者も、障害児のお母さんでした。その子を預けることができないので、兄弟を病院につれていけないと困っていました。今のお母さんはみんな働いているじゃないですか。高齢者の小規模多機能型サービスの子ども版があって、日中預かるだけでなく、なんかあったら泊まっていいし、病気の時はおうちにも行くよ みたいなサービスがあったらいいなと思ったりもしています。 介護保険ができればキャンナスなんていらなくなると思っていて、きちんと制度をつくりあげることが役割と思ってきたわけですが、状況はそうはなっていません。 このコロナ禍で、医療や介護にまわす財源が先細っていって、地域の助け合いでお願いしますという部分が増えていくのではないかと思います。 ―最後に訪問看護師として働いている方、これから働こうとしている方にメッセージをお願いします。 菅原: 私は病院には10カ月しかいなかったので、それが良いとか悪いとか言える立場にはありませんが、訪問看護の世界に入った人間が病院に戻ることは極々まれです。看護師としてのやりがい、生きがい、楽しみは訪問看護にあるので、せひ来て欲しいし、地域に根ざして頑張ってほしいです。 現実的には、訪問看護師は転職の多い職場ですが、今は仕事がたくさんあって、いくらでも選べるから仕方がない面もあります。そういう意味では、私はヘルパーにも期待していて、現場で頑張っているヘルパーに働きながら看護師の資格をとってもらったらどうかと思っています。 それで在宅での医療ニーズはかなりカバーできます。社会人が4年制大学や3年の専門学校に行くのはハードルが高いから、准看護師がいいのではと思っています。 キャンナスの仲間や介護経営者は、賛同してくれる人が多いです。准看護師は減らす方向で、学校もどんどん減っているので焦っています。 どうしてこう物議を醸すことばかり思いつくのか、自分でも不思議です。まだまだやらないと、と思うことは沢山あります。 キャンナスの25年間の取り組みや、お話ししたような考えは昨年10月に出版した『ボランティアナースの奇跡』(※1)で紹介していますので、ご一読いただけると光栄です。 ** 訪問ボランティアナースの会 キャンナス代表 菅原 由美 東海大学病院ICUに1年間勤務。その後、企業や保健・非常勤勤務の傍ら3人の子育て。96年ボランティアナースの会「キャンナス」を設立。98年有限会社「ナースケア」設立。2009年「ナースオブザイヤー賞」、「インディペンデント賞」受賞。 【参考】 ※1:菅原由美「ボランティアナースの奇跡」

インタビュー
2021年4月6日
2021年4月6日

これから地方での開業を志す人へ/第4回 訪問看護の1人開業・立ち上げ

訪問看護ステーションを一人開業し、ぷりけあ訪問看護ステーションを設立された後、看護を通して、地域で暮らす利用者一人ひとりの自分らしい生き方の支援をめざす渡部さん。最終回は、地域における訪問看護の可能性、今後のビジョンについて伺いました。 ボランティアで学んだチームとしてのつながり ―渡部さんの場合は被災地特例でしたが、地方ですぐに人を集められない場合、まずは有償ボランティアから始めて地域のネットワークを作り、それから開業するというモデルは、ほかでも実現可能なものだと思いますか。 渡部: 可能だと思います。私が震災の活動でキャンナス石巻を立ち上げたときは50番目でしたが、今のキャンナスは全国に130ヶ所以上の拠点があります。 キャンナスのネットワークは全国にあるし、交流会や勉強会などネットワーク構築体制も十分にあります。人とのつながりと、自分のやる気があれば、何でもできますよ。私が一人開業している時も、バックにはサポートしてくれるネットワークがあるというのが、自分の中ですごく安心感につながりました。  勤務先の職場内だけで閉じこもっているより、たくさんのことが学べて、いろいろな人とつながることができて 楽しいと思います。 ―運営にあたって、これまでの経験で役立ったことはありますか。 渡部: 自分一人で抱えすぎない、やりすぎない。人を信じてみんなで得意なところを出し合っていく、ということですかね。それがボランティア時代の自分の失敗から学んだことです。 たとえ一人開業だとしても、訪問看護を通していろいろな所とつながっているので、本当に一人でやることは限られています。 避難所でボランティア活動をしていたとき 、「信頼ってどういう意味かわかる?」と言われたことがありました。私がリーダー看護師だったとき 、自分が一番情報を持っている、自分が一番できる、みたいなおごりがあったんです。でも、自分一人でできることはたかが知れています。信頼とは、「ヒトを信じて頼る」 ということです。利用者さんのことを考えれば、自分の得意・不得意を理解したうえで、お互いに得意なところでつながり合った、「利用者さんのため、生活と命を守る」という目的を共にしたチームでサポートする方がずっといい。 こうした経験を踏まえて、今はいい意味で適当になったというか、変わった気がします。 これは自分よりも得意な人がいると思ったら、どんどん人に任せています。もちろん丸投げみたいな任せ方はいけないですが、相手からすれば任されることで新たな分野を学ぶきっかけや、成長する機会になることもあると思います。 ―それは、ほかの施設との連携という点でも同様ですね。 渡部: 今は過去の経験を踏まえて、地域内での連携も積極的にはかっています。 コロナ禍も災害の一つだと思いますが、もしうちの職員などから新型コロナウイルス感染者が出ても、地域内のステーションと連携をして、他のステーションの看護師が訪問に行けるように地域内で合意形成し体制を作っています。 そのために、利用者さんへ同意文書を配ったり、個別ケアの方法を文書化したりと、準備をしています。 看護師が地域社会に貢献できる可能性の追求 ―ぷりけあ訪問看護ステーションとして、また渡部さん自身として、今後どうしていきたいと思っていらっしゃいますか。 会社の事業でいうと、ステーション単体で7年やってきましたが、2021年の5月から通所介護サービスをオープン予定です。訪問看護を利用してくださっている方の中で、医療的依存度の高い方や、医療的ケアのある障害の方が日中安心して通える場所がない現実を、目の当たりにしてきました。 そうした方々から「ぷりけあさんでやってほしい」とずっと言われていました。 介護保険の地域密着型通所介護として指定を受ける予定ですが、うちの強みはスキルの高い看護師が多く在籍していることなので、その資源を生かしてどんな障害や病気のある方でも受け入れられるような場所にしていきたいと思っています。 個人的には、まだ子どもが小さいので育児にも手がかかる状況です。理想を言えば、やりたいことはいろいろありますけれど、今は家庭が崩壊しない程度に(笑)、地域に足りないこと、困っている方のためにできることを堅実にやっていこうと思っています。 いずれは、志を共にできる看護師さんと多く出会って、違うところにも拠点を持ちたいですし、誰でもどこでも、生きていて良かったと感じていただけるようなケア・サービスを利用できるような社会に、少しでも貢献できればと思っています。 ―最後に、訪問看護ステーションに興味がある方々にメッセージがあればお願いします。 渡部: そうですね… 興味があればぜひ、訪問看護の雑誌を読んだり、訪問看護をしている人とつながったり、ステーションの見学に行ったりして、つながる一歩を踏み出してほしいです。 訪問看護の現場では、幅広い年齢・疾患・生活背景の人々との出会いがあり、人生の重要な決断に立ち会う場面や、喜怒哀楽に寄り添うドラマティックな日々があります。 ひとりで判断して対応していくための専門的スキルも学べますし、自分の人間力も試されます。はじめはうまくいかないこともあるかもしれませんが、全てが自分の身になり、どんどん楽しさが分かってくると思います。 そして、日本は世界でも類をみないスピードで超高齢社会に突入しています。私たちは、その中での医療の役割、ケアのあり方ということを考え、作っていける時代に生まれているんです。 超高齢社会の中で、看護師がどのように地域に貢献していけるのか。それを共に考え、実践していける人が一人でも多く必要です。 ぜひ訪問看護の世界に触れる一歩を踏み出し、看護する感動、生きる感動を感じていただけたら、嬉しいです。 ** ぷりけあ訪問看護ステーション 代表取締役/保健師・看護師 渡部 あかね(わたなべ あかね)旧姓:佐々木 東日本大震災のボランティア活動で、医療者が地域の中に出向いていかなければ気づけ対応できないニーズが非常に多いことを経験。看護師として、本当に困っている人のそばに身を置いて関わっていきたいという思いから、被災地特例で一人開業し、その後2014年にぷりけあ訪問看護ステーションを開業。

インタビュー
2021年4月6日
2021年4月6日

退院促進・地域移行のヒントとなるハウジングファースト

長期入院を余儀なくされている人の「退院促進・地域移行」を実現することが、KAZOCの目標です。第2回は、そのための手法として取り入れているハウジングファーストの活動について、渡邊さんに伺いました。 ハウジングファースト東京プロジェクト 渡邊: アメリカでは、60年代、ケネディ大統領時代に精神科病院を強制的になくす動きがあったんですね。そのため多くの人たちが施設にスライドし、そこにも入れない人がホームレスになりました。その人たちを救済するためにまず住まいを取り戻す、そして維持するためにはどうしたらいいのか、その支援構造として、在宅維持率を評価尺度にしているプログラムがハウジングファーストです。 ホームレスの50%くらいの人が精神疾患を持っています。日本でも精神科医の森川すいめいさんらが2008年、2009年に池袋で実態調査をして同じような結果が出たことから、2010年にハウジングファースト東京プロジェクトが立ち上がりました。 僕は2011年くらいからボランティアを始め、2013年に訪問看護を立ち上げてプロジェクトメンバーとなりました。 ハウジングファーストによる在宅維持率は、どこの国も大体80~85%/年です。池袋でのプロジェクトで2年くらい前に取った統計では、サポートに入ったケースで1年以上の在宅維持率は90%でした。地方ではもう少し下がるかもしれませんが、ほぼ国際水準と変わらない結果が出ているので、こうした在宅支援は可能であると考えています。 ―具体的にはどのような活動をしているのでしょうか。 渡邊: ハウジングファースト東京プロジェクトは、それぞれ個別の活動をしながら、リソースを出し合う形です。炊き出しや夜回りをするNPO法人TENOHASI、医師や看護師がいる認定NPO法人世界の医療団など、現在8つの団体が参加しています。  炊き出しの場に医療班、生活相談班のブースを出して、そこで専門職がアセスメントをするのが入口です。日本でホームレスの方々がアパートを借りる場合、生活保護を受給して福祉事務所のOKが出てアパートを借りるか、再就職をしてお金が貯まったところで借りるかのどちらかです。どちらにしてもタイムラグがあるので、シェルターを作りました。一般社団法人つくろい東京ファンドとTENOHASIが寄付や助成金などでアパートを借り上げ、シェルターを運営しています。 そこにはソーシャルワーカーのボランティアなどもいるので、必要な手続きを手伝ってアパート転宅まで持っていく流れですね。 ―そこでKAZOCさんにつながるわけですね。 渡邊: 実はまだここではKAZOCの出番はなくて…。 シェルターに入ってくる人たちの中には、医療的支援が必要な人が出てきます。転宅した後にアフターフォローで定期的な支援が必要な場合には、クリニックからKAZOCに依頼が来るようになっています。その人たちのために、2016年にゆうりんクリニックという内科・精神科クリニックを作りました。 ハウジングファーストでは大きく生活再建の部分と維持継続の部分に分かれていて、僕らは維持継続のところで介入しています。KAZOCで継続支援している人は、現在40名くらいになります。 退院促進の手段となるグループホーム ―他にはどのようなことを行っていますか。 渡邊: 日中活動はいろいろやっていますね。「あさやけベーカリー」では、ホームレス経験者などが集まってパンを作ってホームレスの方たちに配ったりしています。また、「べてぶくろ」というべてると池袋をもじったフリースペースをやっていたり、世界の医療団が整体や坐禅などのアクティビティを作っていたりします。一番最近に立ち上がったのが就労継続支援B型事業所の「Base Camp」です。 本当は、精神科病院から退院する人を支援する環境を作りたいのですが、まだ難しいところです。ハウジングファーストで結果は出てきているんですが、病院にプレゼンテーションしても長期入院者がすぐに出られるわけではなく、そこには別な仕掛けが必要だと思っています。 一つ、精神科病院から退院しやすいパターンとして考えられるのは、在宅の前にワンクッション入れてグループホームへ行くというものです。 ―どうしてグループホームなのでしょうか。 渡邊: いきなりアパートに入るのは、福祉事務所や医師などが反対するんですよ。結局、同じように入退院を繰り返すのではないかと。だけど、そこにグループホームが入ると、どうにかなるのではないかと思うみたいです。 そこで、KAZOCと同じ法人のネイバーフッドプロジェクトでグループホームを2つ運営しています。本来のグループホームは終の住処にもできますが、僕らはアパート転宅を目的としています。 だからグループホームにも訪問看護に入ります。 ビジネスライクな話をすると、一般的な訪問看護の依頼は圧倒的に病院やクリニックからが多いです。でも、グループホームの人は転宅した後も継続利用者になるので、新規利用者獲得のルートにもなるんです。そのため、僕らは4つのステーション拠点がありますが、今後は各一つずつにグループホームを置くことを考えています。 ** 株式会社Neighborhood Project 代表取締役 訪問看護ステーションKAZOC 作業療法士・精神保健福祉士 渡邊 乾 都内の精神科病院に就職し、日本の精神科医療の現実を知る。その後、浦河べてるの家、イタリア・トリエステの活動を視て地域支援を志す。2013年に精神科訪問看護ステーションKAZOC(かぞっく)を開設。当事者研究、ハウジングファースト、オープンダイアローグなどの先進的な手法を取り入れ、精神疾患を持った人たちの在宅生活を支援している。

インタビュー
2021年3月30日
2021年3月30日

訪問看護ステーション“一人開業”の必要性、地方分権で基準緩和が争点に

全国訪問ボランティナースの会「キャンナス」の代表、菅原さんには、訪問看護ステーションの一人開業の旗手というイメージもあります。3.11の被災地特例で実現にこぎつけましたが、時間切れで制度化にはいたっていない。“一人開業”の必要性について、菅原さんにお伺いします。 訪問看護ステーションの一人開業 ―訪問看護ステーションの一人開業について、今はどうお考えでしょうか。 菅原: この問題はまだ終わったわけじゃないんです。まだ、火はくすぶっているのはご存知ですか。地方分権に対する地方からの提案で、最低2.5人以上必要となっている人員基準を、都道府県知事の判断で変えられるようにしてほしいというのが出てきました。過疎地の看護師不足は深刻で、1人辞めてしまうと、採用ができなくて、ステーションが維持できなくなります。少ない人数でできるようにしてほしいということです。これは私たちの主張とまったく同じ。令和4年度中に結論を得ることになっていて、期待しています。今回は地方VS厚労省という図式で、私たちは見守るしかないのですが、実現のためならなんでもお手伝いしたいという思いでいます。 ―一人開業に取り組んだきっかけはなんでしょうか? 菅原: 訪問看護が充実すれば、隙間をうめていたキャンナスはなくなるだろうと考えていました。制度の充実が市民の幸せだと。それには、訪問看護ステーションを増やす必要があります。ところが、当初はなかなか増えなかったです。ネックになっていたのが人員配置基準でした。1人辞めるのだけれど、どうしても次がみつからなくて、1.5人になっちゃう。休止しないといけないのかっていうSOSは今もわたしのところにしょっちゅう入ってきます。 どんな商売だって、お客さんが少ない時は1人から始める。ケアマネジャーだって1人から始めて、利用者が増えたときに増員するわけです。それなのに、国家資格をもっている私たちがなんでだめなのって。シンプルなんです。開業する時に、お客さんが1人もいないのに、他の2人分の人件費払って、パソコンも人数分揃えてなんてやっていたら初期投資もかかります。ある程度収益が出るようになったら人を雇います。急に人が辞めてもお客さんを手放さないで、自分で穴埋めして頑張るというのが熱意ある管理者ナースのあるべき姿ではないですか?今は効率化のため大型化がいいという風潮ですが、1人ででもやりたいという意思と能力があれば、それを認めてほしいです。 09年に「開業看護師を育てる会」をキャンナスとは別に立ち上げて、たくさん訪問看護ステーションを増やしていきたいという思いで、「星降るほどの訪問看護ステーションを!」とキャッチフレーズを決めて、シンポジウムを開いて問題提起したり、ロビー活動をしたりとがむしゃらに活動していました。2.5人の基準の根拠はなんですかとずっと聞いてきたのですが、厚労省はずっと説明できていません。民主党政権ができたのが追い風になって、3.11の被災地特例でとして規制緩和が実現した時はやったー!と喜びました。自治体の反発や無理解もあって、特例は3ヵ所で期限がきて、打ち切りになってしまいましたが、1人でも大丈夫という成果を示せたと思っています。 大切なのは「志」(こころざし) 今、訪問看護ステーションもずいぶん増えて、あの頃とは状況が変わってきました。資格があれば、いくらでも仕事があるみたいな時代になって。それで、数ではなくてやはり「志」(こころざし)だと考え直しました。キャッチフレーズも変えて、「星降るほどの訪問看護“志”を!」にしています。 志(こころざし)があって、2.5人以上集まらないなら、自費で1時間1,600円、2,000円という世界ですが、キャンナスとして仲間に入ってもらえるとありがたいなと思います。 ** 訪問ボランティアナースの会 キャンナス代表 菅原 由美 東海大学病院ICUに1年間勤務。その後、企業や保健・非常勤勤務の傍ら3人の子育て。96年ボランティアナースの会「キャンナス」を設立。98年有限会社「ナースケア」設立。2009年「ナースオブザイヤー賞」、「インディペンデント賞」受賞。

インタビュー
2021年3月30日
2021年3月30日

一人開業から正規の訪問看護ステーションへ/第3回 訪問看護の1人開業・立ち上げ

渡部さんは訪問看護ステーション一人開業の後、2014年に現在のぷりけあ訪問看護ステーションを設立されました。第3回は、自費サービスも含めた幅広い支援を行うぷりけあ訪問看護ステーションの運営についてお伺いします。 地域での訪問看護におけるサービス継続のために ―ぷりけあ訪問看護ステーションの立ち上げ経緯について教えてください。 渡部: 被災地特例の一人開業には期限が定められていて、生き残りの道として看護師2.5人以上の正規の訪問看護ステーションで継続するしかありませんでした。利用者さんもいましたので、ほかに選択肢がなかったんです。 ぷりけあ訪問看護ステーションの基本理念は、生まれてきてくれてありがとう、生きていてくれてありがとう、と言い合える社会の追求です。どんな病状であっても、どんな生活環境であっても、今生きているということ自体、その人ががんばって時間を積み重ねてきた証だと思うので…。それは利用者さんも、働く職員同士も同じです。 人にはみんな生きてきた歴史があって、その人をちゃんと理解するところから始めるという考え方を、訪問看護を通して社会に少しでも広めていきたい、という思いを込めて活動しています。特に石巻は震災で大きな被害を受けて、生き続けること自体がすごくしんどい時期をみんなで乗り越えてきた地域なので、お互いに思いやりを持って、自分たちのできることをやり続けていきたいと思っています。 ―地方は看護師が集まりにくいと言われていますが、スタッフはどのようにして集まってきたのでしょうか。 渡部: 訪問看護は未経験のスタッフがほとんどです。外来などでは患者さんと関わっていたけれど、家での生活が気になるとか、病院の外でももっと深く関わりたいという思いがあるスタッフが集まってくれました。現在のスタッフは、看護師6人、作業療法士(OT)が1人、事務1人です。みんな、もう病院勤務には戻れないと言っています(笑)。 一時期、人材紹介会社に頼んでいたこともありましたが、今はいい具合に知り合いからの紹介などが増えてきています。ほかのステーションの所長さんがそういう方法を取っていると聞いて、常に訪問先でも「知り合いに看護師さんいますか?」と聞いたりして、いい人とのつながりを作れるようにしています。こうした種まきのようなことが、少しずつ実を結んできているかもしれませんね。 利用者さんの生き方を支援する訪問看護の自費サービス 渡部: 現在の利用者さんは、訪問件数では介護保険と医療保険は5割ずつくらいです。(2020年12月時点) がん末期の方や特別訪問看護指示書による点滴や褥瘡の処置、看取り、精神科や障がいのある方もいます。今は小児の利用者さんはいませんが、重症心身障害の20代の若い方もいます。 -自費サービスもされているそうですね。どのようなものでしょうか。 渡部: 今の介護保険や医療保険では2時間が上限なので、それ以上の時間が必要な場合には自費のサービスを紹介しています。 家族のレスパイトや旅行、買い物、また普段は療養型病院に入院している方が外出する際の付き添いなど、お金を払ってでも外に出たいという要望にお応えしています。石巻市外からも、地域内の訪問看護ステーションでは対応してくれる人がいなくて、前はボランティアさんにお願いしていたこともあるけれど、今はいないということで依頼を受けています。病気や障がいであきらめていたこともあったけれど、社会との関わりのため、自分がやりたいことのために、一歩を踏み出す…。こうした貴重な場面に立ち会えるのは看護師としての醍醐味だと思います。 こうしたニーズは、地域で利用者さんと長く関わっていれば、必然的に出てくるのではないでしょうか。利用者さん本人、それに家族も丸ごとサポートしようとなると、医療や治療をメインにした訪問だけではなく、利用者さんの人生のどこに看護師として関わるのか、ということが求められてくる気がします。 今はコロナ禍なので自粛していますが、本当はもっとやっていきたいですね。看護師はもっと患者さんと向き合いたいと思っている人も多いはず。看護師にはこんな世界もあるんだよ、こんな寄り添い方があるんだよと知ってもらいたいし、経験してもらいたいです。 提供サービス 病状の観察、悪化予防 血圧・体温・脈拍などのチェックをし、全身状態の把握。異常の早期発見 在宅療養上のケア 身体の清拭、洗髪・入浴介助、食事や排泄などの介助・指導 薬の相談・指導 薬の作用・副作用の説明、飲み方の助言、残薬の確認など 医師の指示による医療処置 点滴、膀胱留置カテーテル、胃瘻、インシュリン注射など 医療機器の管理 在宅酸素、点滴ポンプ、人工呼吸器などの管理 床ずれや皮膚トラブルの予防・処置 ―― 認知症や精神疾患のケア 家族の相談、対応方法に関する助言など ご家族への介護支援・相談 介護方法の助言、不安の相談など 介護予防、リハビリテーション ―― ターミナルケア がん末期や終末期を、ご自宅で過ごせるような支援 保険外自費サービス 長時間の外出や旅行の付き添い、介護家族のレスパイト等 ** ぷりけあ訪問看護ステーション 代表取締役/保健師・看護師 渡部 あかね(わたなべ あかね)旧姓:佐々木 東日本大震災のボランティア活動で、医療者が地域の中に出向いていかなければ気づけ対応できないニーズが非常に多いことを経験。看護師として、本当に困っている人のそばに身を置いて関わっていきたいという思いから、被災地特例で一人開業し、その後2014年にぷりけあ訪問看護ステーションを開業。

インタビュー
2021年3月30日
2021年3月30日

入院中心から地域生活支援への転換

東京の池袋と練馬にある、精神科に特化した訪問看護ステーションKAZOC(カゾック)。「カゾック」とは「家族」のことで、「新しい家族の形になれるように」という願いを込め、さまざまなプロジェクトを展開しています。代表である渡邊乾さんに、日本の精神科医療の課題解消を目指すKAZOCの活動についてお伺いします。 労働組合を通して精神科の世界を知る ―精神科訪問看護ステーションを立ち上げるまでの経緯をお聞かせください。 渡邊: 両親が二人とも精神科病院で作業療法をしていたのですが、楽な仕事だと思って作業療法士になりました。社会人としての心構えがないまま親のツテで精神科病院に就職したので、まったく適合できず、諸先輩方からの指導がかなり厳しかったことを覚えています。 これはパワハラだと思ってすぐに辞めようと思って転職活動をしていて、その中で労働組合の集まりにたまたま行きあたって勧誘をされました。世間知らずだったのでパワハラと闘おうと思って、病院で一人で労働組合を作ったんです。 そしたらすぐに、今考えると当たり前なんですが窓際族になっちゃって、それから5年間くらい仕事が無くなって外来の患者さんとぷらぷらして過ごしていました。  一方で、組合活動の世界ではあれよあれよと出世して、精神科病院の労働組合全国組織の副代表にまでなりました。 労働組合界隈には出世をして有名になった医療関係者がいろいろいて、日本の精神科医療について教えてもらいました。国際的な潮流を見ると、だいぶ前から病院中心から地域で生活を支援する取り組みにチェンジしていて、権利擁護という次のステージにいる。僕は自分の病院がダメなんだとずっと思っていましたが、そうではなく日本の精神医療全体が国際社会から大きく遅れていることがわかってきたんです。 それで、いろいろ計らってもらって、日本でも先進的な取り組みをしていた「浦河べてるの家」や、世界ではじめて精神科病院の全廃に成功したイタリアのトリエステに行ったり…。こうしたものを実際に見ることで、病院の中をどうこうしようではなく、日本の課題である地域資源を増やしたほうがいいと思い始めました。 また2011年に東日本大震災があって、福島の障がい者支援団体に寄付金を届けにいくこともやっていました。原発から20km範囲内の精神科病院が全部なくなり、病院を復活させようという人たちと、地域で支援しようという人たちの二つに分裂するなか、僕は地域支援のほうに参加させてもらって現地の復興していく様を間近で見ていました。 そうした背景もあって2012年に法人を作り、実際に動き出すことになりました。 管理をしない、変容を求めないというコンセプト 渡邊: 当時、付き合いのあった精神科医の森川すいめいさんと、地域資源を作ろうと考えていました。それで、一番いいのはアウトリーチだろうと。僕は作業療法士で訪問看護もできるので、一緒にやってくれる看護師を集めて2013年にKAZOCを開設しました。 日本の精神科医療の課題を解決するものにしたかったので、精神科病院の本質って何なのかと考えたときに、まず「管理」だと思いました。社会から切り離す目的、管理目的で入院させることが多く、入院すると向精神薬が投与される…。これが本人の考えや行動を「変容」させることになります。管理と変容の考え方が地域の中で始まったとき、本人が反発するとその溝がどんどん広がり、問題が複雑化していく。その行きつく先が精神科病院の長期入院なのではないかと仮説を立てて、その手段を僕らは一切放棄しようと決めました。 管理をしない、変容を求めないというコンセプトはそこから生まれました。 ただ、そうすると管理や変容以外の手段をとる必要があり、モデルを探すことになりました。そこで最初に目を付けたのが、「浦河べてるの家」やホームレス支援の「ハウジングファースト」です。 べてるは当事者主体の活動で仲間の原理。コミュニティーとかボリュームにピントを合わせていて、それが訪問看護で単独介入ではなく、チームで複数名訪問のスタイルをとることに繋がっています。また、ハウジングファーストの在宅維持率という物差しは、地域移行や長期入院の解消に転用できるのではないかと考えたんです。 オープンダイアローグはステーションを立ち上げた後、2013年の夏頃に日本に入ってきました。  この3つをモデルに掲げて、べてるで言えばコミュニティー・人間関係、ハウジングファーストでは在宅維持率、オープンダイアローグでは対話と、それぞれの要素を取り込みながら、管理でも変容でもない別の手段を模索してきました。 ―他のステーションではやっていないような、特徴などはありますか。 渡邊: あえて余剰人員を置いているのが、一つ特徴だと思います。僕らの基本的な考え方として、一対一よりも複数名で関わる構造にしたほうが、より治療効果が高いと考えているので。 特定の人が一人訪問するのと、チーム二人で同時に行くのでは、持ち込まれる量も質も変わってくるし、価値観も多様になりますよね。同じ話をしていても捉え方、考え方が違ってくる。そこが対人援助の支援では大事だと思っています。 制度としては、リスクやケア度が高い場合、主治医からの指示で二人で訪問できる加算がありますが、それとは意味が違うし、余剰人員を確保してまでやっている所はあまりないと思います。 また、密な人間関係を作りたいというよりは、多様な価値観の方を重視しているので、固定の担当制ではなく、一人の利用者に3~4人のチームでローテーションするようにしています。そこはこだわっているところですね。 経営的に採算は落ちます。もっと収益性の高い経営もやろうと思えばできますが、立ち上げのコンセプトに従って運営しているので、そこは中身重視で質と量のバランスを僕が調整しています。 それと朝30分、終業前に30分、毎日ルーチンで申し送りをしています(コロナ禍以前は)。事業所によっては直行直帰などで話す時間は限定的になってしまうかもしれませんが、一日のうち一時間くらいは顔を合わせて情報共有、話し合いの時間を作ることを大事にしています。何か起きたときにすぐに話ができる環境を確保するのが目的です。 ** 株式会社Neighborhood Project 代表取締役 訪問看護ステーションKAZOC 作業療法士・精神保健福祉士 渡邊 乾 都内の精神科病院に就職し、日本の精神科医療の現実を知る。その後、浦河べてるの家、イタリア・トリエステの活動を視て地域支援を志す。2013年に精神科訪問看護ステーションKAZOC(かぞっく)を開設。当事者研究、ハウジングファースト、オープンダイアローグなどの先進的な手法を取り入れ、精神疾患を持った人たちの在宅生活を支援している。

インタビュー
2021年3月23日
2021年3月23日

訪問看護ステーションとボランティアを両輪で。補完し合い各地で多様な事業展開

「志」でつながっているという全国訪問ボランティアナースの会「キャンナス」。今回は各拠点の具体的な事業内容について代表の菅原由美さんにうかがいました。 制度事業とボランティア ―菅原代表のところでは、ボランティアとしてのキャンナスと営利法人での訪問看護ステーションの両方をやっていますね。 菅原: キャンナスをはじめて、しばらくしたら介護保険制度ができることがわかりました。制度の事業をするには、法人格が必要で、選択肢としては非営利のNPO法人もあったので、かなり悩みました。大手企業も続々参入する介護保険事業が非営利と思えなかったので、営利法人を別につくって、訪問介護、訪問看護はそちらで始めることにしました。キャンナスは制度の足りないところを埋めるスキマ産業で、制度が充実していけば、なくなると思っていたんです。キャンナスは1時間1,600円ですが、介護保険だと1割負担で数百円。制度が成熟することが市民の幸せだと。結果的には、この時の選択は正しかったのだと思います。両輪だから補い合うことができます。 各拠点での活動内容 ―各拠点で、どのような活動をなさっているのか詳しく教えていただけませんか? 菅原: 本当にいろいろです。細かなところまでは正直よくわからないのですが、よかったら、昨年10月にこの25年の活動を『ボランティアナースの奇跡』(※1)として出版しましたのでご覧ください。 この中では、8ヵ所の拠点のルポもあって、たとえば、キャンナス世田谷用賀は、もともと訪問看護ステーションがあって、患者さんの「普通の暮らしがしたい」という願いをかなえるために6年後にキャンナスを始めました。 キャンナス名古屋の代表は、ALSの患者さんのシェアハウスをやっていて、会社で訪問看護、訪問介護、居宅介護支援を行い、キャンナスは楽しみや人生の目的の支援と位置付けています。 石川県のキャンナス加賀山中は、訪問看護師として働くかたわら、空き家になった代表の実家を拠点に500円でワンコイン入浴をしていて、そこを地域の高齢者の通いの場にもしています。自分の体調も万全ではないのに、引きこもりの若者を引っ張り出して、林業に世話したりと、ひとり暮らしの高齢者の家に雪かきに行ったり飛びまわっていて、これが原点と頭が下がる思いです。 この本に掲載はされていないですが、北海道では、農協と連携して、家族が農作業をしている間に、お年寄りを集めて預かるという事業をキャンナスとしている代表もいます。 みんな違ってそれでいい 菅原: 医療保険、介護保険で足りない部分をキャンナスで補うかたちで考えている方もいれば、サラリーマン看護師として、空いている時間でやっている方もいて本当にそれぞれです。 本では、各拠点に行ったアンケートも紹介しています。回答してくれたのは、34カ所で、右向け右みたいな統制がとれてないところがキャンナスらしいねと笑いましたが、おおむねこんな感じではと思います。併設事業所がないキャンナスだけをやっているところと、併設事業所があるところがだいたい半分ずつ。 キャンナスをはじめようと思った理由も聞いていますが、「訪問看護ではできない暮らしの手助けがしたい」が一番で、次が、「看護師として地域貢献したい」で、その次が「訪問看護の上乗せ」でした。制度の穴埋めがメインの理由ではなく基本的にはみんなおせっかいなおばさん(笑)。 提供したことのある支援では、「通院以外の外出の付き添い」「通院時の付き添い」が多く、「宿泊付き旅行の付き添い」もいれると長時間になる外出系はニーズがある。次に、「喀痰吸引」で「掃除・洗濯」「食事・洗濯」と続いています。利用料は1時間あたり1,500円から3,000円くらいで、支援内容によって差をつけているところもあります。 地方では、他の訪問看護ステーションで対応できない時間帯の摘便に行ってとか、そういう使われ方をすることもあるようです。 ですが、それが地域の信頼を得ている、ということにもつながっているような気がします。訪問看護ステーション+キャンナスがあることで、補完し合い、地域に活かせると思います。 ** 訪問ボランティアナースの会 キャンナス代表 菅原 由美 東海大学病院ICUに1年間勤務。その後、企業や保健・非常勤勤務の傍ら3人の子育て。96年ボランティアナースの会「キャンナス」を設立。98年有限会社「ナースケア」設立。2009年「ナースオブザイヤー賞」、「インディペンデント賞」受賞。 【参考】 ※1:菅原由美著「ボランティアナースの奇跡」

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