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インタビュー
2021年6月22日
2021年6月22日

商店街を拠点に住民の近くで声を拾う

大阪の商店街の中にある訪問看護ステーションほがらかナース。管理者である岩吹さんは在宅看護専門看護師として活動しています。ほがらかナースの立ち上げまでの経緯と、今後のビジョンについて伺いました。 地域の中での専門看護師の役割 ―訪問看護ステーションほがらかナースの立ち上げの経緯について教えてください。 岩吹: 専門看護師は卓越した看護の提供だけではなく、コンサルテーションやコーディネーションの役割もあると教わっていたので、地域に出る必要があると思いました。病院でもできないわけではないですが、管理者でなければ自分のやりたいことはなかなかできないと思い、地域の声を拾うためにより住民に近いところに居たほうがいいと考えたんです。ちょうど近くに商店街があり、専門看護師としてここで地域包括システムの体制を作っていこうと決めて、開設しました。 ―どのような商店街なのでしょうか。また、商店街の中でどのような思いで活動をされているのでしょうか。 岩吹: 大阪の九条に、キララ九条商店街という通りがあり、そこの空き地にステーションを開設しました。この商店街には薬局が2~3つ、相談支援事業所が3つ、クリニックが4つ、歯医者が2つ、ヘルパー事業所が3つあります。介護事業所はたくさんありますけど、医療がクリニックだけでは、医療ニーズが高い患者さんが地域で生活できるのかという懸念がありました。商店街は買い物に来るところですが、そこで健康に関する健康教室のような場所を作りました。少しでも住み慣れた地域で、病気や障がいを持ちながらも生活できるように、社会資源のひとつとして、専門看護師である自分を使ってもらいたいと思っています。 街の中の保健室として ―コロナが落ち着いてきたら『街の保健室』として、どんな形で商店街の方たちと関わっていきたいですか。 岩吹: 勉強会を開催したいと思っています。ただし、こちらが提供するというよりも、学びたいこと、知りたいことを地域の方々から出してもらい、患者さんや地域の方々が中心となって開催していくようなイメージをしています。私たちは場所の提供やサポートをして、交流の場として、住民主導でやっていきたいです。夢は大きく、思い立ったらすぐ行動するタイプなので、待ち遠しいです。 ** 訪問看護ステーションほがらかナース管理者 岩吹隆子 血液内科病棟で5年、脳外科病棟で5年経験後、訪問看護師として働く。結婚や出産などで看護師の仕事を一度離れるも、復職。訪問看護認定看護師取得後、2018年に在宅看護専門看護師の資格を取得。2020年に訪問看護ステーションほがらかナース開設。

インタビュー
2021年6月15日
2021年6月15日

チームで共有すべき訪問看護の提供価値とは

この対談では、訪問看護ステーションの経営課題、改善点についてお話しいただいています。テーマにしたのは、新幹線清掃の仕事ぶりが『7分間の奇跡』と注目された、株式会社JR東日本テクノハートTESSEI(以下「テッセイ」という)の業務改善内容です(※1)。まったく異なる業種ですが、そこには学ぶべき多くのヒントがありました。 テッセイは、まず現場スタッフ自ら提供する商品と価値について考え、答えを出すことで、自分たちの仕事に新しい価値観を見出すことができました。新しい価値観を皆で共有できたことが、改革の大きな原動力になっています。第2回の対談では、病院とは異なる訪問看護事業の価値についてお話しいただきました。 自分たちの提供価値を定める意義 大河原: 訪問看護ステーションを見て感じるのは、看護師たちの価値観の違いに起因するいざこざが多いということです。私も経験がありますが、病院の看護師は先輩に言われたことに従わなければならない状況が多くあります。訪問看護ステーションでも、先輩看護師や管理職看護師が自分のやり方を押しつけている状況があると思います。 訪問看護は、1人の利用者さんをチームで看ています。本来は、チーム全員が同じ価値をもって連携することが理想だと思いますが、看護師以外にリハビリ職もいるため、職種によって看る観点が違ったり、看護師同士でもキャリアが違ったりして、意見が違ってしまうことがあります。 カンファレンスで担当者が集まる機会はあるのですが、みなさん忙しいので、タイムリーに行われているかというと難しいのが実情です。ウェブ会議が浸透するとよいのですが、医療や介護の領域はITリテラシーが意外と高くないのです。 当社でも、みんなが同じ1つの価値を持っているというレベルにはまだ達していないと思います。 芳賀: 提供する価値が何なのか、みんなが共通の認識を持っていれば、職種は違ってもそれを判断基準に考えることができると思います。 以前のテッセイの従業員は、新幹線の車内を掃除することが仕事だと思っていました。しかし業務改善後のテッセイは、従業員に「あなたの仕事はなんですか」と尋ねると、「お客様の旅の思い出づくり」と答えるようになりました。 これと似た話があります。墓石に名前を彫っている職人に「あなたの仕事はなんですか」と尋ねると、ある職人は「名前を彫ることだ」と言い、別の職人は「この人のお墓をつくっている」と答えました。 この2つのエピソードは、自分の仕事がどういう価値を生み出しているのかを、その人がどう認識しているかで、最終的にはお客様に提供する価値が大きく変わってしまうことを表わしています。 つまり、一人ひとりの考え方が社内でバラバラだと提供価値も変わってしまい、会社が本来目指している目的が達成できなくなるということです。 【テッセイの改革】 改革を行った矢部氏は、「新しいトータルサービスを目指す」という目標を掲げ、自分自身とスタッフたちに「私たちの商品は何なのか」と問い続けました。もちろんテッセイの仕事は、新幹線を快適に利用できるように車内を整えることです。では、なぜきれいな車内が必要なのでしょうか。それは新幹線の旅を楽しんでもらいたいからです。では、清掃員が「自分の仕事は清掃だけ」と考え、駅構内でお客様から道を尋ねられても無視したら、お客様は新幹線の旅を楽しめるでしょうか。 スタッフたちは、そのように考えていった結果、自分たちの商品(提供価値)が「お客様に旅のよい思い出を持ち帰ってもらうこと」であると気づいたのです。またこの新しい価値観を全員に理解してもらうために、新しい制服の導入、伝道師となる役職者の任命、新たな標語の設定など、スタッフの意識を変える改革を行っていきました。 関係者全員が同じ価値を共有することが理想 大河原: 当社は、それぞれがやりたい看護への想いを大事にしていますが、一つ強く言っていることがあります。それは「療養上の世話」を重視するということです。 一般的に看護師には、療養上の世話と診療の補助という二つの責務があります。病院は患者さんの病気を治す所なので、病院の看護師は診療の補助が重要な仕事だと思います。 しかし訪問看護は、療養上の世話だと思っています。なぜなら、在宅の方は病気を治したくて家にいるわけではなくて、家で生活したくて病気と向き合っているからです。 例えば、糖尿病をわずらっていて、自宅でお菓子やジュースを飲食していたらどうするか。病院なら禁止しますが、訪問看護の場合は、それが良くないとわかっていても完全に取り上げるのが利用者さんにとって一番良いとは限らないよね、というのが当社の考え方です。 リカバリーの場合、こうした価値観を『もう1人のあたたかい家族」という理念として掲げ、自分の家族だったらどう看るか、ということを医療職として考えることを大事にしています。 理念を浸透させる方法として、今は各事業所で毎日朝礼を行っています。その利用者さんが自分の家族だったらどう対応するか、理念に基づいた気づきを毎朝誰かが発信していくことで、療養上の世話という方向へみんなの意思を統一していくようにしています。 とはいえ、現在の理念にしたのは半年前なので、まだまだこれからですね。 ただ、訪問看護業界を見渡すと、価値観を示す理念を掲げている会社は多くありません。こうした点も訪問看護業界の課題といえます。 芳賀: 理念として、全社員に『もう1人のあたたかい家族」という考え方を示しているのは素晴らしいですね。また、朝礼でスタッフ自らメッセージを発信していく取り組みは、テッセイでも行なっています。理念や価値をみんなで共有していくプロセスとしては需要なことだと思います。 ただその理念は、大河原社長たち経営陣が作ったものだと思います。 テッセイの改革は、全員が同じ価値観を持つことができるようになって、初めて成果が出ました。しかも、最も大切な提供価値である「旅の思い出づくり」というコンセプトは、本社や社長が考えたのではありません。社員たちにものすごく議論をさせて、自分たちで考えさせました。 また、旅の思い出づくりは1社でできることではありません。そこで社員の要望で、車内販売の販売員や車掌などとも連携するために、他の会社や職種の人たちとも話し合いを重ねていきました。 在宅医療も同じですね。場合によっては組織も異なるさまざまな専門職の人がサービスを提供しますが、相手は1人の利用者さんです。だから、すべての関係者が同じ価値観を持っていたほうがよく、組織間の連携も欠かせません。 訪問看護ステーションでも、自分たちが提供する利用者さんへの価値とは何なのかを、社員の方々にとことん話し合ってもらってはいかがでしょうか。 ** 名古屋商科大学大学院、NUCBビジネススクール 教授 芳賀 裕子  【略歴】 慶應義塾大学卒。慶應義塾大学経営管理研究科修了(MBA)。筑波大学大学院ビジネス科学研究科後期博士課程修了。博士(経営学・筑波大学)。プライスウォーターハウスコンサルタント(株)にてコンサルティングに従事。その後コンサルティング事務所を立ち上げ、大手企業のヘルスケア分野への新規参入コンサルティングを30年近く実施。医療、健康関連、介護、ヘルスケア業界を得意とし、ベンチャー企業取締役、ヘルスケア事業会社の執行役員なども歴任。 Recovery International株式会社 代表取締役社長/看護師 大河原 峻  【略歴】 看護師として9年間臨床に携わった後に、オーストラリアで働くが現実と理想のギャップに看護師として働く自信を失う。その後、旅行先のフィリピンの在宅医療に強い衝撃を受け、帰国後にリカバリーインターナショナル株式会社を設立。設立7年で11事業所を運営し(2020年12月時点)、事務効率化や働き方改革など、既存のやり方にとらわれない独自の経営を進める。  【参考書籍】 ※1 著・矢部輝夫、まんが・久間月慧太郎(2017)『まんが ハーバードが絶賛した 新幹線清掃チームのやる気革命』、宝島社

インタビュー
2021年6月15日
2021年6月15日

現象学から捉える看護~専門看護師の実践~

大阪にある訪問看護ステーションほがらかナース。管理者である岩吹さんは、在宅看護専門看護師の資格を持ち、地域で生活する利用者さんのケアだけではなく、専門看護師として看護師に教育を行っています。教育課程のなかで学んだ『現象学』の活用について、お話を伺います。 利用者さんを通じて成長していく、スペシャリストとしての専門看護師 ―大学院で専門看護師の資格を取得されて、実践ではどのように役立ちましたか。 岩吹: 大学院には48歳のときに行きました。一緒に学んだ同期は30代前後の若い人が多く、教育課程も違う世代だったのですごく苦しみました。だけど、実践でやってみて役立っているなと思うことは多くあります。例えば、困難事例で悩んでいる看護師にも、「ここはどうなの?」と質問を投げかけ、客観的にアドバイスできるようになりました。自分の中の引き出しが増えたような感覚です。 利用者さんとの対応でうまくいかないのは、自分のせいでもなく、相手のせいでもない。見方が悪いわけでもなく、知らないだけなんです。「本当のこの人は、どのようにして今までの生活を過ごしてきたのか」を見ていきます。 現象学ともいいますが、なぜクレームばかり言うのだろうか、なぜこんな現象が起こっているのかを考えます。相手の語りを聞くことによって、その人自身を捉えることができるようになります。固定概念や先入観でガチガチに固めてしまうのではなく、その人の在り方が必ずあるはずなので、そこを一緒に見ていくようにしています。 また、利用者さんに「話を聞いてもらってよかった」と、思ってもらえることも大事ですね。楽しかった、嬉しかったという感情があってこその『傾聴』だと思います。私たちも看護師という支援者である前に一人の人間なので、利用者さんを通じて成長していくという姿勢も忘れてはいけないと思います。 現象学と看護の世界 ―現象学について学んだとのことですが、どのように看護に生かすのでしょうか。 岩吹: 現象学とは世界がいかに意味づけされたものか、現象を探求する、捉える学問です。エドムント・フッサールという哲学者が創始者です。物事を捉えるときに私たちは、「こうあるもの、こうしてあるべき」と先入観を持って判断しています。現象学では、ありのままに現象を捉え、本当にそうあるべきなのかと先入観を排することを一番に学びました。 現場に戻ってきて、この看護師さんは先入観で物事をみているなと思うことは増えました。一度アセスメントしてケアがうまくいかないとき、「あの人はああいう人だよね」と決めつけているのではないか、だからうまくいかないのではないかと立ち返り、先入観を取り除いていくと見えてくるものがあります。そのためには、本人に話を聞きながら、ありのままを捉えていくことで、信頼関係が築けるようになってきます。 どのような現象が起きていたのか、当事者と一緒に振り返る ―具体的にどういう風にやっていくのですか。 岩吹: 私も大学院で学んできたと言っても、2年間は頭の中がクエスチョンマークでいっぱいでした。卒業してから現場に出て、スタッフや利用者さんと話をするようになって、ようやくわかってきました。 まずは、振り返ることです。私たちはすぐにこうすればよかったと、方法論を考えてしまうところがありますが、方法の前に現象を理解することが大事です。現象を捉えることができると、自然と方法が出てきます。「この人はここに価値観を置いているから、ここを大事にしないといけない、そのためにはこうしていこう」というイメージです。 ―すごく難しいですね。 岩吹: 難しいです。「この人気を付けたほうがいいですよ」と先に申し送りで言われると、別の人の先入観が入ってから関わることになるので、自分もその先入観に囚われてしまいます。私も偉そうなことを言っていますが、立ち返る癖をつけないといけないと思っています。 例えば、精神疾患の利用者さんの何度目かの訪問の際に、チャイムを鳴らしたはずなのに、「鳴らさないで入ってきた」と怒りのクレームが入ったことがありました。看護師本人はなぜ怒られたのかもわからず、逃げ場もなく帰ってきて、すぐに私のところに電話をして来ました。気が動転していた様子だったので、まずは話を聞いて気持ちを落ち着かせました。そのあとは私が対応し、後日利用者さんのところに事情を聞きに行きました。やはり怒っていましたが、ヘルパーさんや区役所にもクレームを入れていたので、なんだかおかしいと思ったら、薬を飲めていなかったことがわかったんです。利用者さん自身も感情のコントロールができなかったと話していました。利用者さんも怒ってしまったことを反省していて、一緒に振り返りをして薬を続けていくことになりました。 対応した看護師は、自分が原因で怒られたと思っていて、行きたくないと言っていました。しかし、利用者さんの身に起こった現象をひとつずつ確認し、声かけをしていくことによって、「そういえば薬を飲んでいなかった」と、ぽつりぽつりと話すようになりました。それからは、「利用者さんともう一度やりとりしたい」と言うようになりました。 このように、感情が落ち着いたときに、どのような現象が起こっていたのかを振り返ることをとても大事にしています。 ** 訪問看護ステーションほがらかナース管理者 岩吹隆子 血液内科病棟で5年、脳外科病棟で5年経験後、訪問看護師として働く。結婚や出産などで看護師の仕事を一度離れるも、復職。訪問看護認定看護師取得後、2018年に在宅看護専門看護師の資格を取得。2020年に訪問看護ステーションほがらかナース開設。

インタビュー
2021年6月8日
2021年6月8日

テッセイ改革で訪問看護に化学反応を引き起こす

この対談では、訪問看護ステーションの経営課題、改善点についてお話しいただいています。テーマにしたのは、新幹線清掃の仕事ぶりが『7分間の奇跡』と注目された、株式会社JR東日本テクノハートTESSEI(以下「テッセイ」)の業務改善内容です(※1)。まったく異なる業種ですが、そこには学ぶべき多くのヒントがありました。 訪問看護事業は、医療の在宅化が進んだことで重要性が高まる一方で、経営が安定しない、スタッフの確保が難しいなど、多くの課題を抱えています。第1回の対談では、新幹線の清掃会社であるテッセイと訪問看護ステーションに共通する経営課題についてお話いただきました。 ビジネス界で注目されるテッセイと訪問看護の共通点 芳賀: テッセイはビジネス界では知られた存在です。アメリカのハーバード・ビジネス・スクールのMBA(経営学修士)でも教材として取り上げられており、私たち経営学者もよく参考にしています。 テッセイは、親会社であるJR東日本から新幹線の清掃業務を受託している、典型的な子会社です。お客様からの苦情や従業員のミスが多く、離職率も高い状態で、JR東日本グループのなかでも評判があまりよくない企業でした。 改革を行った矢部氏はテッセイの親会社であるJR東日本の上級管理職でした。最悪な状態の清掃会社を立て直すという使命を持ってテッセイに入り、そして見事に業務を立て直しました。 ただ、テッセイの仕事は難易度が高いもので、改善は簡単ではありませんでした。 新幹線の車内清掃は、新幹線が終着駅に着き再出発するまでの12分間で済ませる必要があります。しかもその12分にはお客様の乗降に必要な5分間も含まれているので、実質的には7分で全車両のシート・テーブル・床・トイレを清掃しなければなりません。 テッセイの清掃員たちの業務量は、ボーイングの大型飛行機1機分の清掃の半分の時間で、6機分清掃するのと同じといわれています。 そのような大変な業務でありながら、経営もサービスの質も、人の働き方も劇的に変えたことで、成功事例として取り上げられるようになったのです。 この点を踏まえて、訪問看護事業とテッセイの共通点、異なる点を考えていきたいと思います。 矢部氏は、テッセイに入って最初にすべての事業所を回り、従業員からヒアリングをしました。そして、従業員一人ひとりは真面目な人が多く、個人の資質のせいでこのような業績になっているわけではない、ということを発見しました。それであれば、やり方を変えればうまくいくと確信したのです。 訪問看護ステーションで働いている看護師さんたちは、そもそも看護師をやろうと志した段階で、高い職業意識を持っているはずです。個人の資質が一定レベル以上にあることは、テッセイと訪問看護の共通点といえます。 異なる点は、その仕事をやりたいと思って選んだかどうかではないでしょうか。看護師は、看護師の仕事をやりたくてなった人が多いと思います。一方、かつてのテッセイの従業員には、どんな仕事をやってもダメで、仕事がなくてここに入ったという人が少なくありませんでした。 大河原社長はこの本を読んで、働いている人たちの気質についてどのように感じましたか。 大河原: おっしゃるとおり、真面目で個人の資質が高い人が多いところは訪問看護と共通していますね。 そのほかにも、新幹線の車内清掃と訪問看護はまったくかけ離れた業種ですが、意外に共通点があると感じました。 実は看護業界のなかでは、訪問看護はまだ人気があるとはいえない仕事です。国内には100万人以上の看護師がいますが、訪問看護師はそのうちのわずか4、5万人(※2)で、病院に比べるとまだ地位が確立されていない状況です。そのような中、真面目な従業員にやりがいを持って働いてもらうにはどうしたらよいか、という課題はテッセイと同じだと思いました。 また、新幹線の車内清掃に7分という時間制限があるように、訪問看護でも1件30分とか60分といった時間制限があります。テッセイも訪問看護も、限られた時間内で最大限パフォーマンスを発揮しなければならないというところが、似ていると思います。 【テッセイの改革】 清掃の仕事は3K(きつい・汚い・危険)と呼ばれて敬遠されがちな職業であり、テッセイも希望の企業に就職できなかった人や失業した人が、最後にしかたなく応募するような会社でした。そんなテッセイで矢部氏は、社員たちに『誇り』と『生きがい』を持たせることに成功し、改革を成し遂げました。どのようにして、現場スタッフの意識を変えたのでしょうか。 矢部氏は、現場のポテンシャルを下げている原因が『本社の管理体制』と『仕事に対する世間のイメージ』であることを突き止め、制服を変え、本社の体制も変え、社員のやる気を引き出す戦略を一つひとつ実践していきました。そして、かつては『いわれたことだけ』をこなしていたような社員を、新しいサービスを自分たちで考え提案するまでに変身させたのです。 今後の訪問看護事業に求められる組織的な運営へのシフト 大河原: 訪問看護事業所の6割以上は5名以下の小規模事業所です(※3)。それだけ企業規模が小さいと、経営者も従業員も手弁当でやることが少なくありませんが、手弁当ではいつか限界がやってきます。年間1,000近い事業所が生まれて1,000近い事業所が撤退する、これが訪問看護業界の実態です(※4)。 しかし、訪問看護事業も大規模化していかないと効率化できません。そして業務を効率化しないと、経営資源を人に集中させることができない。訪問看護は人が主役の事業であり、時間で動く業務なので、今後、効率化は大きな課題になっていくと思います。 芳賀: テッセイは矢部氏の改革によって、現場スタッフが誇りと生きがいを持って働けるしくみをつくることに成功しました。訪問看護業界は、まだそうしたしくみができあがっていない状況ということですね。 政府や厚生労働省は、医療保険制度と介護保険制度のなかで、ある程度の企業規模を持つ訪問看護事業者を想定した動きをしているように見えます。訪問看護も、組織化して一定の業務効率を持ちながらサービスの質を上げていかなければならない時期に来ているのかもしれません。 組織としてどう運営していくかという視点が必要になってくるでしょう。その意味でも、テッセイの業務改革は参考になる部分が多いと思います。 ただし、テッセイの改革は、最悪の状況、マイナスからのスタートでした。リカバリーはまだ設立7年ですし、訪問看護も業界としてまだ確立されていない、いわばこれからの業界です。今の訪問看護事業は無から有をつくる段階であり、そこは大きく違うといえます。 大河原社長をはじめ、訪問看護ステーションの経営者の方々には、新しい考え方にも前向きに取り組んでいっていただきたいと思います。 ** 名古屋商科大学大学院、NUCBビジネススクール 教授 芳賀 裕子 【略歴】 慶應義塾大学卒。慶應義塾大学経営管理研究科修了(MBA)。筑波大学大学院ビジネス科学研究科後期博士課程修了。博士(経営学・筑波大学)。プライスウォーターハウスコンサルタント(株)にてコンサルティングに従事。その後コンサルティング事務所を立ち上げ、大手企業のヘルスケア分野への新規参入コンサルティングを30年近く実施。医療、健康関連、介護、ヘルスケア業界を得意とし、ベンチャー企業取締役、ヘルスケア事業会社の執行役員なども歴任。 Recovery International株式会社 代表取締役社長/看護師 大河原 峻  【略歴】 看護師として9年間臨床に携わった後に、オーストラリアで働くが現実と理想のギャップに看護師として働く自信を失う。その後、旅行先のフィリピンの在宅医療に強い衝撃を受け、帰国後にリカバリーインターナショナル株式会社を設立。設立7年で11事業所を運営し(2020年12月時点)、事務効率化や働き方改革など、既存のやり方にとらわれない独自の経営を進める。  【参考書籍】 ※1 著・矢部輝夫、まんが・久間月慧太郎(2017)『まんが ハーバードが絶賛した 新幹線清掃チームのやる気革命』、宝島社  【参考資料】 ※2 厚生労働省 平成30年衛生行政報告例(就業医療関係者)の概況 就業保健師・助産師・看護師・准看護師 結果の概要 https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/eisei/18/dl/kekka1.pdf ※3 厚生労働省 アフターサービス推進室活動報告書(Vol.15:2014年3月~6月)平成26年6月30日 https:/www.mhlw.go.jp/iken/after-service-vol15/dl/after-service-vol15.pdf ※4 一般社団法人 全国訪問看護事業協会 令和2年度 訪問看護ステーション数 調査結果 https://www.zenhokan.or.jp/wp-content/uploads/r2-research.pdf

インタビュー
2021年6月8日
2021年6月8日

訪問看護師としての自分の使命

大阪の商店街の中にある、訪問看護ステーションほがらかナース。管理者を務めるのは、訪問看護認定看護師、在宅看護専門看護師の認定資格を持つ岩吹さんです。今回は、認定や専門看護師を取得するに至ったきっかけついてお話を伺います。 生き生きしている患者さんの姿から感じた在宅の可能性 ―訪問看護師として働くまでの経緯を教えてください。 岩吹: 最初に総合病院で5年勤めた後、人と違うことがしたくて、なんとなく訪問看護を考えていました。しかし、それまでは血液内科病棟にいたので、在宅でもよくみる脳外科などの領域も経験したほうがいいだろうと思い、脳外科の病院に転職しました。 病棟自体は寝たきりの方が多いところでした。そこで5年ほど勤めたころ、ある患者さんが退院することになり、その後外来で対応する機会があったんです。そこでとても生き生きとしている患者さんの姿をみて、在宅の力ってすごいなと思いました。それで私もチャレンジしてみようと思い、訪問看護の道に進みました。 最初の訪問看護ステーションでは3年ほど勤め、結婚を機に一度看護師の仕事からは離れていました。 壮絶な体験を経て大学院で在宅看護専門看護師を取得 ―それからはどうしていたのですか。 岩吹: 2005年のある日、夫が肺がんだということがわかりました。そのとき長男は10カ月、次男の妊娠がわかったタイミングでした。がん患者と家族のつらさを自分自身が体験して、こんな気持ちでいたんだと感じました。今まで自分がしてきたことが、どんなに浅はかであったか、利用者さんの立場になることができていなかったと痛感しました。「この看護師は冷たいな」「親身になってくれているな」というのが手に取るようにわかったんです。 闘病生活1年で、夫は他界しました。当時、長男が2歳、次男が生後半年で、子どもを抱えながら今後どうしていくか、この子たちを食べさせなきゃいけないと、無我夢中でした。看護師の仕事に戻ることは少し躊躇しましたが、この仕事しかないという思いや、夜勤ができないということもあり、訪問看護師として戻ることを決心しました。 しかし、夫が亡くなった翌年には母親も急死し、以前から躁うつ病で入退院を繰り返していた兄が脳梗塞を起こして、面倒をみなければなりませんでした。なんで自分がこんな目に遭うのかと、とても落ち込みましたね…。 ―壮絶な体験があったのですね…。そんな中で訪問看護の仕事を再開されてからはどうでしたか。 岩吹: 仕事をはじめると、がんで闘病中の利用者さんに対応することもあり、フラッシュバックして仕事ができないのではと不安になることもありました。そんななか、がんを患っていたある利用者さんが「つらいんや…」と、私にだけ気持ちを打ち明けてくれました。フラッシュバックもありましたけど、一生懸命励ましている自分がいて、利用者さんから「あんたみたいな看護師は初めてや。本当にわかってくれる人はいなかった。」と言われました。ふと我に返ったときに、患者さんに寄り添うとはこういうことなのかと感じたんです。 看護師としての知識や経験は浅かったかもしれないけど、私には患者さんや家族の気持ちが少しわかると思いました。そして、当時始まったばかりであった訪問看護認定看護師に挑戦して、スペシャリストを目指すと決めました。 しかし、一年間の教育課程だったので、知識を詰め込んでも整理できておらず、認定をとってもなんとなく資格が取れたという状況でした。うまく看護を言語化することができず、くすぶっていたところで、「これは大学院にいくしかない」と思いました。当時、私よりも10個ほど年下の認定課程の専任教員だった方が、驚くほど言語化が上手だったんです。その方が大学院に行っていたので、私もとりあえず同じようにやってみようと思い、在宅看護専門看護師の教育課程に進みました。 ―岩吹さんは患者さんにケアとして還元していくなかで、夫のことや看護師としての自分、仕事との向き合い方、生き方を整理していったように感じましたがどうでしょうか。 岩吹: そのとおりですね。患者さんを励ますことで、自分自身も助けられたのかもしれません。これが私の使命というか、夫を亡くしたこと、兄の面倒をみていたことが私の強みで、ここに命を注いでいったらいいんだ…と電撃が走ったように感じました。こうした使命感があると、人間いろいろとつらいことがあっても、楽しく、前に進むことができると実感しています。 つらいことには意味があると思うんです。看護師にも、看護師でない人にも伝えたいのは、「今のつらい思いは未来に役立つ」ということ。絶対に後々、力になります。 ** 訪問看護ステーションほがらかナース管理者 岩吹隆子 血液内科病棟で5年、脳外科病棟で5年経験後、訪問看護師として働く。結婚や出産などで看護師の仕事を一度離れるも、復職。訪問看護認定看護師取得後、2018年に在宅看護専門看護師の資格を取得。2020年に訪問看護ステーションほがらかナース開設。

インタビュー
2021年6月1日
2021年6月1日

人と人との繋がりを大切にするステーション運営

医療法人ハートフリーやすらぎ常務理事の大橋さん、訪問看護ステーション所長である田端さんに、引き続き採用や営業、ステーション運営についてお話を伺いました。 協調性を重視した採用試験 ―スタッフへのインセンティブをしっかり還元する、こうした魅力的なステーションだと募集が多くて採用が大変そうですが、実際はどのようにされているのですか。 大橋: うちでは一次試験は書類審査、二次試験は同行訪問、三次試験は面接をしています。 種明かしをすると、面接時よりもリラックスしやすい昼食や休憩時間の様子をよく見ています。例えば昼食のとき、一緒に同行した人から「先に食べていていいよ」と言われたときにどうしているかなどです。訪問看護で大事なのは、相手に合わせられるか、配慮がどこまで行き届くかというところなので、そこを見ています。 あくまで私の考えですが、職場の風土が「相談しやすい関係づくり」を目指しているので、こうした非言語的なコミュニケーションを含めて採用のときには大事にしています。 地域に貢献することで営業なしで黒字経営 ―営業に関してはどのようなことを行っていますか。 大橋: 正直、営業といわれるようなことはしていません。例えば、地域の老人会などに参加した際、その集会場のトイレの便座が冷たかったので、温水洗浄便座を購入してくださいと40万円寄付したことがありました。すると、集会に参加した方々が「トイレが温かい」「これはあそこの訪問看護ステーションの方がつけてくれた」ということで、それがゆくゆくは顧客に繋がっています。 そもそも私はギブ&テイクのテイクは基本的に求めていません。こうして地域が潤うために必要なことは何かを考えています。 田端: ほかには、子ども食堂への寄付や小学生の職業体験を受けることもしています。また、訪問看護先で、利用者さんのご家族が自分も訪問看護を受けたいと言ってくれたりして、家族同士や口コミなどでも繋がっています。 大橋: ナーシングデイは、あえて団地にこだわりました。ちょうど殺風景になっていた団地があり、私たちが入ることで活性化するのではないかと思ったんです。そのために、1年間草むしりから美化運動をはじめました。最初は住民から怪しまれていましたが、少しずつ挨拶をしてもらえるようになりました。 それから「ピンクの服を着た人たちは看護師だ」という認識となり、ナーシングデイを開くころには、「あんたらやったんか、嬉しいわ~」と言ってくれるまでになりました。ナーシングデイの開設時は、地域住民からの反対なども一切なく、すぐに受け入れてもらえました。 運営に悩む管理者へのアドバイス ―ステーション運営に悩む管理者も多いと思いますが、大橋さんからアドバイスをするとすればどんなことでしょうか。 大橋: 私はトップで決まると思っています。明るくなかったらダメ。能力が高くても考え方がマイナスだと、スタッフにも伝わります。明るいところには明るい人材が来ますから。 できない言い訳を考えるような人が管理者になったらダメです。よく管理者が「誰が責任をとるのか」「責任はとれるのか」という言葉を使うことがありますが、説明責任はあるにしても、人のせいにする人は向いていないと思います。スタッフに対して尊敬して敬意を表しながら、ともにチームで歩むという姿勢がない限りは、スタッフは育ちません。そこの人選をミスしないことが大事だと思います。 また、「どんどん営業に行きなさい」と言われることもありますけど、突然パッと来た営業の人に、「じゃあお願いします」と大事な家族を任せられますか? 地道に一人ひとりに丁寧に接することで、必ず次に繋がると思っています。ケアマネさんにも、郵送で報告書を渡して終わりではなく、たまには「こんにちは~いつもありがとうございます!そういえばね~」と気軽に会話ができるような、そんな機会をなくしてはいけないと思います。 一人ひとりを大事にするというのは、利用者さんやスタッフを大事にするだけではなく、付随する人全員を大事にすることなんです。こうした地道な活動を経て、組織は着実に大きくなっていくと思っています。 ** 医療法人ハートフリーやすらぎ 常務理事・統括管理責任者 大橋奈美   三次救急で8年、看護短大の非常勤講師として1年、公立病院で5年勤務の後、ハートフリーやすらぎを立ち上げる。 日本訪問看護認定看護師協議会 代表。 医療法人ハートフリーやすらぎ 訪問看護ステーション所長 田端支普   総合病院の小児科を含めた混合病棟で6年、産婦人科混合病棟で4年勤務後、ハートフリーやすらぎに入職し、訪問看護師に。2012年に訪問看護認定看護師の資格を取得。2018年に特定行為研修修了。

インタビュー
2021年6月1日
2021年6月1日

訪問看護が子どもや家族を地域に繋ぐためのかけ橋に

医療ケアがあるから…と諦めるのではなく、その先をともに考える。小児に特化した訪問看護ステーションベビーノの所長平原さんに、ベビーノの強みや今後の取り組みについてお伺いしました。 医療だけではなく、生活に根付いたサービスを提供する ―ベビーノさんの強み、力を入れているところを教えてください。 平原: ベビーノでは小児に特化した理学療法士や作業療法士などもいます。看護だからリハ職だからということではなく、子どもや家族に対してチームで関わっているところが強みだと思います。未就学児で訪問する期間は限定されているなかで、医療だけではなく、生活に根付いたサービスの提供ができればと思います。スタッフが皆、優秀なのですごく助かっています。 ―ベビーノさんが今後取り組みたいのはどんなことでしょうか。 平原: NICUからお家に帰ってきて、楽しく安全に生活ができるという土台はその子の人生のベースにもなるので、医療保険での訪問は変わらずに丁寧に続けていきたいです。 実は2020年9月に相談支援事業所を開設し、2021年2月からは保育所等訪問支援事業も準備しています。ベビーノを使っている子が対象です。子どもたちがお家で生活することを考えて、訪問だけではなく、地域にしっかり繋がっていくところをやっていきたいと思っています。 保育所等訪問支援は、お家ではできるけど、保育所ではうまくできないところをお手伝いするイメージです。例えば、ごはんがうまく食べられないといった場合、何回かベビーノのスタッフが訪問し、姿勢や使っている道具、環境、周囲のお友達、先生たちとの関わりなどを見て、調整していきます。今までは家族の希望で、自費やボランティアでやっていたところをシステム化したものです。もちろん、保育所に連絡をして許可がもらえてから介入します。 インクルーシブに、きっかけを作って繋ぐ 平原: 医療ケアが必要な子たちが、どんどん保育園に入っていって、訪問看護師も保育園などに訪問しながら医療ケアのサポートや体調管理のお手伝いをやりたいと思っています。だけど、「保育所等訪問支援事業は福祉サービスで、医療じゃないから訪問看護師は訪問できないよ」と言われてしまいました。既存のシステムには乗れないところもありますが、医療ケアがあるから保育園を諦めるということではなく、通えるように一緒に目指していきたいです。世の中いろんな人たちがいるので、インクルーシブに、その中で少しサポートが必要なところにベビーノがお手伝いにいくようになればいいですね。書類だけで疾患名や障がいをみると、「どんな子が来るんだろう…」と保育園側も不安が大きいと思います。だけど、実際にお子さんたちに会われると、「全然、ほかの子たちと一緒にいても大丈夫じゃない」と、特別なことをするわけではないと思ってもらえるケースもあります。 私たちはずっと大きくなるまで携われるわけではないですが、きっかけを作って繋いでいくところを専門的にやっていきたいです。そのためには、訪問看護の部分はしっかりとやらないと説得力がないので、お家での生活のお手伝いを丁寧にやっていきたいです。そして今後はグループ事業として、重症児や医療的ケア児のための発達支援事業所の開設も準備中です。 今、関わっている子たちがどういう風に幸せな生活を組み立てていくのか、コロナ禍で今までの当たり前ができなくなることもあるので、答えがないところを一緒に考えていく存在でありたいです。 ** 訪問看護ステーションベビーノ所長 平原真紀 (助産師、看護師) 大学病院のNICUで勤務し、主任を経験した後、2010年に訪問看護ステーションベビーノを開設。当時はNICUから退院した子どものサポートがなかったため、育児支援サービスとして乳幼児専門の訪問看護を提供している。 ※本記事への写真掲載はご家族の許可をいただいております。

インタビュー
2021年5月25日
2021年5月25日

従業員エンゲージメントが高まる革新的な取り組み

従業員エンゲージメントの高い職場ではどんな取り組みが行われているのでしょうか。引き続き、医療法人ハートフリーやすらぎ常務理事の大橋さん、訪問看護ステーション所長の田端さんにお話を伺いました。 訪問看護のマイナスなイメージを払拭 ―大橋さんがスタッフのことを大事にしていることがひしひしと伝わってきました。こうした考えはどのようにして得られたのですか? 大橋: 盛和塾という経営の塾に通っていて、ずっと「職員を大事にしなさい」と言われてきました。成果をスタッフにしっかり還元するために、かなり給料規定は変えました。人を育てるためには、満足度の高い給料をしっかり出すことが大切です。全国の訪問看護ステーションで1番の給料を払うことを考えています。 これまでの訪問看護のマイナスなイメージを、高給与でちゃんと休みも取れる、オンコールの拘束はみんなで分担するというプラスなイメージに変えていきたいです。オンコールを持つ人には月に5万円の手当を、フォローが必要な人には月3万の手当を出しています。うちの給料は新卒1年目では基本給が26万円、年収は410万円くらいです。それと親御さんを安心させる意味でも、支度金を30万円出しています。10年目では年収600万円、所長で900万円は超えていきます。 だけど、最近思うのはお金じゃないなと。お金は一時的なものであって、やっぱりスタッフとのコミュニケーション、信頼関係、安心な場づくりがあってこそだと思います。 田端: ボーナスも収支に合わせて還元してくれているので、みんな感謝していると思います。スタッフも職場に対する愛情がありますね。離職率は細かく出したことはないですが、家庭の事情で辞める人以外は辞めることがほとんどないです。 スタッフを守るためにフレキシブルな体制を整備 ―給料や手当が充実していると感じますが、経営的には大丈夫なんでしょうか? 大橋: 経営的には黒字です。必要な金額はしっかり払うスタンスでいると、みんな仕事をどんどんやりたいと言ってくれます。 でも、子どもが小さいママさんは緊急対応を免除している人もいますし、土日は出勤できない人、逆に土日出勤したい人もいます。お金だけではなく生活を含む経済保障をされてこそ、はじめていいケアができると思っているので、社労士ともよく相談して、時短などフレキシブルな体制も作りました。特に子どもが体調不良で休む場合、ぜひ看護休暇を使ってねと。「仕事のことは気にせんで、こっちはなんとかなるから大丈夫」と、これまでやってきました。 利用者さんはもちろんのこと、スタッフを守ることは常に頭にあります。スタッフを守ることで、その先の利用者も守れるんです。スタッフも自然と周りを大事にして、そういう風土になっていると思います。私がしんどいなと思ったことを、やらなくても成り立つような環境を目指していて、それが今では実現できるようになりました。スタッフがのびのび生き生きと働いてくれることが、何よりも私の幸せです。 新人の登竜門「おでんパーティー」 大橋: そういえば、うちでは少し変わった催し物をしています。新人さんが「おでんパーティー」を主催するというものです。これは、たまたまお昼休みに「おでん食べたいな~」と話題になったことからはじまりました。スタッフにおでんの好みや味付けを聞いたり、仕入れをどうするか、私に値段の交渉をしたり、各事業所に声をかけたりして…。 実はこれは看護計画と考えることは一緒なんですよね。おでんパーティーの企画で看護計画を学ぶ。これなら新人さんであってもイニシアティブを握れます。実際の準備や調理もひとりではできませんが、チームのメンバーにお願いをして、段取りをする。人とコミュニケーションをとることの大事さが学べるんです。おでんパーティーの後には、スタッフに声をかける頻度も増え、自己肯定感や自発性も高まります。たまたまやったことですが、結果として良かったので続けています。こうしてスタッフからも日々教えられています。 ** 医療法人ハートフリーやすらぎ 常務理事・統括管理責任者 大橋奈美   三次救急で8年、看護短大の非常勤講師として1年、公立病院で5年勤務の後、ハートフリーやすらぎを立ち上げる。 日本訪問看護認定看護師協議会 代表。 医療法人ハートフリーやすらぎ 訪問看護ステーション所長 田端支普  総合病院の小児科を含めた混合病棟で6年、産婦人科混合病棟で4年勤務後、ハートフリーやすらぎに入職し、訪問看護師に。2012年に訪問看護認定看護師の資格を取得。2018年に特定行為研修修了。

インタビュー
2021年5月25日
2021年5月25日

専門性の高い小児訪問看護の求人や経営の工夫

小児に特化した訪問看護ステーションの数は全国的に見てもまだそれほど多くなく、専門性も高く、小児科領域ならではの経営の難しさもあるようです。訪問看護ステーションベビーノ所長の平原さんに、求人採用、経営についてお話を伺いました。 経験年数の条件は家族の安心材料として ―ベビーノさんの求人情報には「小児科5年の経験」と書いてありましたが、どのようなお考えからこのような条件に設定したのですか。 平原: 5年という区切りにしたのは、病院では3年目で新人教育をしたりして、ひと通り経験してくるころだからです。病院では同じフロアに先輩がいてすぐに相談できる状況ですが、訪問看護ではひとりでいろんな判断をしなければならないため、まずは経験者というところを考えています。そろそろ時代の流れとして変えていかなくてはいけないかもしれませんが、曲げずにやっています。その経験年数はご家族にとっての安心材料にもなり得るという点もあるからです。NICUは独特な雰囲気なので、そこをわかってくれる看護師というのは、家族も話をする上で安心できる存在になるのではないかと思います。 5年やっていれば、看護技術や知識がすべて網羅できるわけではありませんが、いろいろと周りの状況も見えてくるころではあると思います。未就学児専門でやっているので、専門性を大事にしたいというところで、線引きをさせてもらっています。 ―実際にスタッフの求人状況はどうですか。 平原: 子どもの訪問をやりたいと、ホームページや研修会などで知った人が来てくれます。10年やってきているので、「ベビーノって聞いたことがある」と調べてきてくれているようです。開設した当初は、小児の訪問看護ステーションの数も少なかったため、関西や中部地方から就職に来てくれた方もいました。ベビーノではスタッフの生活や働き方も守りながら、利用者さんも家族もスタッフも幸せにしたいと考えていて、ぼちぼちとやっているところがいいなと思って来てくれるのではないかと思います。 ―採用の際にはどういうところをみているのでしょうか。 平原: 子どもや家族とどう向き合っているのか、関係性をどう築いていこうと思っているのかをみています。看護技術の部分は最低限できていてほしいところで、面接のときには直接仕事とは関係のないようなさまざまな話をします。看護のことももちろんですが、趣味のことなども。人間性というか、その人の中の部分を見るようにしています。 ―病院から訪問看護に来るとギャップを感じることも多いという話を聞きますが、実際に働き始めで苦労することはなんでしょうか。 平原: 採用するときには「病院は治療メインだけど、訪問看護は生活をみるところだから」という話はしっかりします。まずはその頭の切り替えをしてもらうところからですね。先輩看護師とある程度は同行するところからはじめるので、多少ギャップがあってもうまく切り替えていけている印象です。 NICUや小児科でも最近は在宅にも力を入れるようになってきたので、病院で働いていても家に帰ってからの生活を見据えて看護していこうという流れがあり、そこまでギャップを感じて苦しむということはなさそうです。NICUの場合には、お家に訪問するのも診療報酬で認められているので、病院スタッフも少しずつ自宅訪問を始めており、病院と地域の差は埋まってきているように感じます。 小児に特化した訪問看護ステーションの経営 ―小児では訪問時間が長くなり、時間単位の報酬が低かったり、キャンセルが多かったりすることが特徴で、経営の難しさがあるという話を聞きますが、ベビーノさんではどのような工夫をされていますか。 平原: 確かに、医療デバイスのある子どもの場合は1時間半~2時間ほど訪問の時間を取っています。例えば、気管切開をしていて呼吸器をつけている子では、バイタルを取ってお風呂に入って、ケアをしていると1時間はあっという間です。それだけでは訪問の意味がなくなってしまうので、もう少し時間をとって一緒に遊んだり、身体を少し動かしたり、ご両親も少し手が離れるような時間を作りながら、訪問の時間を使っています。 キャンセルなども中にはありますが、キャンセル待ちの利用者さんや、医療ケアはそこまでないけどご家族がしんどそうだなと気になるお家に声をかけて行くこともあります。東京都の在宅レスパイトサービスもうまく組み合わせながら、なんとかやっています。子どもが小さいと入院することも多いですし、入院期間も1~2か月ということもざらにありますが、帰ってくるとなれば再調整して対応しています。 ―コロナ禍で感染対策なども大変だと思いますが、どのように対応されていますか。 平原: 一度目の緊急事態宣言のときには、キャンセルや保留も多くありました。しかし、二度目のときにはそこまでではなく、やっぱり訪問看護が入らないと生活がまわらないというところもあるので、感染対策を徹底しながら訪問しています。ご家族の意向をそれぞれに聞きつつ、何かあればいつでもお話してくださいという風にして対応しています。 ** 訪問看護ステーションベビーノ所長 平原真紀 (助産師、看護師) 大学病院のNICUで勤務し、主任を経験した後、2010年に訪問看護ステーションベビーノを開設。当時はNICUから退院した子どものサポートがなかったため、育児支援サービスとして乳幼児専門の訪問看護を提供している。

インタビュー
2021年5月18日
2021年5月18日

初めてお家に帰ってくる子どもと家族をサポートする

子どもだけではなく、家族のケアも大切な小児訪問看護。小児に特化した訪問看護ステーションベビーノの所長平原さんに、引き続き子どもとその家族への看護についてお話を伺いました。 よその家族とも繋がりたい、親子の集い ―何か家族に対して活動していることはありますか。 平原: 医療保険での訪問看護がベースではありますが、開設した年に「よその家族とも繋がりたい」というお声をいただいて、親子の集いをはじめました。子どもと家族が楽しく生活していくことを目標にしているので、親子の集いがちょっとでもそうした楽しみになればいいなという思いからです。 春には新宿御苑でピクニックをしたり、秋にはお寺の本堂を借りて小さな運動会をしたりして、いろいろと企画しています。ママやパパ、子どもたちとそれぞれに分かれてお楽しみ会をすることもあります。月に一回は広場を借りて遊んだりすることもあります。中には出かけるのが怖い、近所の児童館でも少し躊躇してしまうご家族もいるので、安心して出かけられる場を提供することもしています。今はコロナ禍のため開催できていませんが、オンラインでリトミックなどをして工夫しています。 ―家族の反応はどうですか。  平原: はじめたころはどこも出かけられないというご家族もいて、ベビーノの親子の集いをうまく使ってもらっていたこともありました。最近はSNSなども普及したためか、ママ友の繋がりも結構あるようで、私たちが場を設定しなくても活動的になっている印象があります。それでも、まずはひとつのきっかけになればいいなと思いながらやっています。訪問看護師がいるということで、「ちょっと行ってみようかな」となってくれればと思っています。 初めて家族の中に子どもがやってくるときのサポート ―家族看護で気を付けていることは何ですか。 平原: 成人だと元々家に住んでいて、入院してまた帰ってくるという状況ですが、NICUから退院の場合には、初めてその子がお家にやってくる状況なので、どういう風に迎え入れるか、ご両親も初めて尽くしです。そこをきちんとサポートするために、病院のスタッフや私たち訪問看護師も力を入れてやっています。 なかには、初めての子どもで核家族、ご両親以外にサポーターがいないケースも多いです。そのため、夫婦だけの生活のところにお子さんが入ってきても、家族の生活がちゃんとまわるかどうか、夜は眠れて、ごはんが食べられるかというところを、特に最初は意識しています。子どもの安全が保てているか、危険じゃないかどうかを確認しながら、退院直後は訪問看護の頻度も週2~3日、「時間が空いたら様子を見に来ます」といって頻回に行きます。そこから、子どもや家族の状況をみながら段々訪問回数を調整していきます。小児の場合ケアマネはいないので、訪問回数の調整などを訪問看護師が行っていくのが特徴的です。 ** 訪問看護ステーションベビーノ所長 平原真紀 (助産師、看護師) 大学病院のNICUで勤務し、主任を経験した後、2010年に訪問看護ステーションベビーノを開設。当時はNICUから退院した子どものサポートがなかったため、育児支援サービスとして乳幼児専門の訪問看護を提供している。 ※本記事への写真掲載はご家族の許可をいただいております。

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