初めての訪問看護に関する記事

特集
2021年10月12日
2021年10月12日

第1回 地域ぐるみで心不全患者を支える

超高齢社会を迎えて心不全患者が増加しています。心不全の主な症状はむくみ(浮腫)、息切れ、呼吸困難などですが、高齢心不全患者は自覚症状に気づかないことが多く、知らない間に急性増悪を起こして再入院するケースが多いといいます。福岡大学病院循環器内科では、地域ぐるみの包括医療を行って再入院を防ぐ好結果を得ています。地域連携の取り組みの実際を2回にわたって紹介します。 必要なのは地域ぐるみの多職種チーム医療 心不全とは、何らかの異常により心臓のポンプ機能が低下して、全身に十分な血液を送り出せなくなった状態をいいます。心不全患者数は全国で約120万人、2030 年には130 万人にもなると推計されています。特に高齢になればなるほど罹患者率が高くなることが知られており、超高齢社会を迎えつつあるわが国では、近未来的に心不全患者数は急増するものと予想されています¹。 そこで、日本心不全学会では2016年に、75歳以上の高齢心不全患者を対象にした治療指針である「高齢心不全患者の治療に関するステートメント」を公表しました。この中で、高齢心不全患者の円滑な診療のためには、基幹病院専門医とかかりつけ医、および多職種チームによる管理システムの構築が必要であることが明らかにされています²。 再発・再入院を防ぐ専門職どうしの密なつながり 急性期循環器医療を担う福岡大学病院循環器内科では、心不全の急性増悪・再発予防のための地域包括ケア活動として、チーム医療を推進しています。 福岡大学病院1973年開院。病床数915床(一般:855床、精神:60床)を有する福岡市西部地区および周辺地域の中核的医療センターの役割を果たす。 志賀悠平医師は、「増加する心不全患者の継続的な管理を考えるとき、急性期を担う循環器医師と地域に密着して活動されている開業医の方々、そして患者さんの生活をいつもそばで看ている訪問看護師や訪問理学療法士が、連携して包括的な医療に取り組む必要があります」と言います。 急性増悪を引き起こす要因としては、水分や塩分の制限の不徹底、治療薬内服の管理不足、さらに過度な活動による過労などが挙げられます。「これらは、患者さん自身の自己管理の不徹底によることもありますが、医療者側がうまくコントロールできていないこともあり、そのアンバランスによって入院になってしまうことが多いです。ですから、在宅で常に日常生活を看ている訪問看護師さんの役割は大きいのです」と志賀先生。 福岡大学病院循環器内科志賀悠平 医師 患者・家族の生活に密着している訪問看護師だからできること 同科と連携を密にしている博多みずほ訪問看護ステーションの黒木絵巨所長は、「在宅に戻られた心不全患者さんでは、特に水分や塩分の適正なコントロールが必要で、そのための食事指導が大切です。家に戻ってくると、どうしても好きなものを食べてしまう方が多く、漬物などが好きな高齢者は過剰な塩分を摂ってしまいがちです。日々の食事の内容は私たち訪問看護師が最も把握しなければならないところだと思います」と言います。 博多みずほ訪問看護ステーション黒木絵巨 所長 〈博多みずほ訪問看護ステーション〉2000年より福岡市で開設。呼吸器疾患の利用者が多く、呼吸リハビリテーションや機器管理などに力を入れて、サービスを提供。 塩分摂取の目安は、軽症ならば1日7g以下、重症では1日3g以下に制限するように指導します。具体的には、黒木さんが言うように漬物や佃煮を減らすこと、香辛料やレモンなど使って味付けや調理法を工夫することによって塩分制限を行います。「患者さんも自分をよく見せたいから、『そんなに漬物は食べていない』などとおっしゃるのですが、実態を把握するのが私たちの役目だと思っています」と黒木さん。 同訪問看護ステーションには訪問リハビリテーションのスタッフもいるため、運動や休息・睡眠にかかわること、さらには家の構造など、病院では知り得ない情報を主治医に伝えて適切な指示をもらうことができます。入院中にはわからない、在宅での日常生活の中に潜んでいる心不全の再発リスクをみつけて医師につなぎ、的確な指示のもと適切にコントロールするのが訪問看護ステーションの大切な役割です。 有機的連携のために必須な多職種の情報共有システム このような有機的な地域連携を実現するために必須なのが、多職種連携のための情報共有システムです。福岡大学病院と博多みずほ訪問看護ステーションでは情報共有のためのICTツールを活用しています。 志賀先生は、「訪問看護師さんが何かを察知した場合、いち早く大学病院に情報提供してくれることで、我々もタイムリーに医療上の指示を出すことができます。患者さんに最も密着している訪問看護師さんの視点だからこその情報も多くあります。家庭内にはさまざまな状況があります。家族間トラブルなどがある場合は、ご家族からの一方的なお話では判断できないこともあります。訪問看護師さんや訪問理学療法士の方々はケアの場面で日々、本人やご家族と接していますから、現場の『空気感』をお持ちです。そうしたリアルな情報を即時にウェブ上で共有できて初めて、有効な地域連携ができるのだと思っています」と話してくださいました。 ** 志賀 悠平福岡大学病院循環器内科 医局長専門は心臓CT、高血圧、心不全、心臓リハビリテーション。日本内科学認定医、日本循環器学会専門医、日本高血圧学会専門医・指導医、日本心臓リハビリテーション学会指導士、医学博士。 黒木 絵巨博多みずほ訪問看護ステーション 所長大分県出身。3児の母。総合病院、透析クリニック勤務の後、2018年から訪問看護師として勤務。2021年3月に心不全療養指導士資格取得。 記事編集:株式会社照林社 【引用文献】1.日本心臓財団『高齢者の心不全』https://www.jhf.or.jp/check/heart_failure/01/ 2.日本心不全学会ガイドライン委員会『高齢心不全患者の治療に関するステートメント』http://www.asas.or.jp/jhfs/pdf/Statement_HeartFailurel.pdf?iref=pc_rellink_01

インタビュー
2021年10月12日
2021年10月12日

本人の強い意志をチーム力で支える

ベテラン訪問看護師の望月葉子さんが出会った、印象深い意思決定支援のケースを前後編で紹介します。前編は、重度の障害のある人に対する現在進行形の支援について語っていただきました。 東京のICU病室から博多でのコンサートへ 「意思決定支援」というテーマをいただいたとき、まず思い浮かべたのが10年のお付き合いになるAさんです。「こうしたい」という強い意思を持ち、周りを巻き込んでそれを実現していける人だからです。 【患者Aさん】 現在63歳、アテトーゼ型脳性麻痺の女性。車いす使用。望月さんが担当するようになったのは2010年、Aさんが53歳の時から。当時、直腸膀胱障害があり、すぐに尿道カテーテルを留置。その後、気管切開、胃瘻造設、乳がん手術などを経て、今も94歳の母親と二人で在宅生活を継続している。 Aさんへのこれまでの支援で最も大きなエピソードは、2014年10月、Aさんが交流のある演歌歌手のコンサートに招待され、病院のICUを自主退院して東京から博多に行ったことです。 そのころのAさんはすでに嚥下状態が悪くなり、この年の2月には誤嚥性肺炎で入院していました。博多に行きたいと言われたとき、私は最初、本気とは思っていませんでした。でもAさんは本気でした。それでケアチームの会議を招集し、本当に博多に行けるかを検討しました。 Aさんの強い思いに、相談支援専門員(障害分野のケアマネジャー)が寄り添ってくれたことで、ケアチーム全員が実現の方向に動けたように思います。お母様も博多行きにかかる費用はすべて出すと言いました。在宅医も、万一のことが起こる覚悟を本人とお母様に確認したうえで、診療情報提供書を用意してくれました。 そうしてコンサートの半年ほど前から、ヘルパーや自費の看護師、現地でケアを引き継いでくれる看護師、携帯用の酸素などを手配し、博多行きの準備をしていました。ところがコンサートの直前、Aさんは誤嚥性肺炎で呼吸不全になり、救急搬送されてしまったのです。しかも入院中に痰が詰まって、一時は心肺停止状態に。 常識だったら「これではコンサートは行けないね」となりますよね。でも、Aさんは「どうしても行きたい」と諦めなかったのです。退院は認めないという病院と交渉し、結局Aさんは、「急変したとしても再入院は求めません」という約束をして、自主退院することになりました。 私は病院から東京駅まで車に同乗し、Aさんを自費の看護師に引き継いで新幹線に乗車させました。そしてヘルパーが合流し、何とか博多まで行き、Aさんはコンサートを楽しむことができたのです。 選択の数々 博多から帰ってきてまたすぐに、Aさんは呼吸不全になって救急搬送されました。「呼吸筋力の低下で、自力での痰の喀出は困難、経口摂取はもう無理」という医師の診断でした。Aさんも納得の上、気管切開を受けました。 その後は、胃瘻にするかどうするかの選択を迫られました。在宅でケアにあたっているお母様もこれには悩みました。お母様は当時80代後半です。在宅医や私たち訪問看護師にたびたび電話をしてきていました。 Aさん自身はとにかく生きる意欲が旺盛なので、胃瘻云々ではなく、「とにかく家に帰りたい」と訴えていました。 Aさんは気管切開で声を失っていますから、介護者が読み上げる50音に舌で合図を出して意思を伝える方法をとっています。いつもの介護者とお母様は、このコミュニケーションに慣れていますが、病院ではそうはいきません。体を動かせないAさんには、ナースコールを押すこともできません。 しかし家に帰れば、意思疎通ができるヘルパーさんが24時間いてくれるのです。結局、Aさんは胃瘻を造設して自宅に戻りました。 この後、Aさん自身もお母様も、がんの手術を受けています。でも、それらの出来事もケアチームで支え、乗り越えて、現在に至ります。胃瘻から栄養注入しながら、チョコレートや、お母様手作りのゼリーを口から召し上がっています。 いいゴールはケアチームみんなで考えたい Aさんとこれほど長いお付き合いになるとは思っていませんでした。長い期間その人の人生に寄り添っていけることは、訪問看護の醍醐味です。とても幸せなことですね。今、Aさんの自宅へは週2回の訪問で、入浴介助、摘便、服薬管理、尿道カテーテル交換などをしています。 Aさんの博多行きを経験したことなどもあって、10年の間にケアチームとしての成長を感じています。チームメンバーは入れ替わりもありますが、定期的に行政メンバーも交えてケアチーム会議をしていることもあり、Aさんの意思はみなよく分かっています。 これから起こりうる大きなエピソードとして考えられるのは、おそらくお母様に何かあったときでしょう。そのときどう対応するかについて、ケアチームで話題に上っています。しかし、施設を探すといった話はまったく出ていません。Aさんは「このまま在宅で生活する」と言うだろうと、みな思っているからです。 Aさんは、状態の悪化を嘆いて悲観的になることはありません。もちろん、感情の波はありますが、怒るエネルギーは衰えません。いろいろな難題を突き付けてくる人ですが、意思がはっきりしている分、支援の方向性は決めやすいのです。どこが本当に良いゴールなのか、今はまだわかりませんが、それはチームみなで考えていけると思っています。 ※掲載の内容については、ご本人とご家族の了承を得て掲載させていただいております。 ** 望月葉子白十字訪問看護ステーション看護師 記事編集:株式会社メディカ出版

特集
2021年10月12日
2021年10月12日

第4回 残業・休憩・休日編/[その1]この違いわかりますか? 割増賃金が発生する残業、しない残業

労働時間の管理は、労務管理の『基本中の基本』です。何が労働時間にあたるのかをきちんと理解していないと、法律で定められた残業代(時間外割増賃金)を適切に支払うことはできません。残業代の未払いに気づかず、ある日突然、スタッフからまとめて請求される……というケースも少なくありません。こうしたトラブルを未然に防ぐためにも、法的に正しい知識を身につけ、日頃からきちんと労働時間を管理しましょう。 私の事業所では、就業時間は9時~17時まで(うち1時間休憩あり)と決まっています。忙しい日にスタッフに18時まで1時間の残業をしてもらった場合、その分の割増賃金を支払う必要はありますか?この場合は法内残業にあたりますので、労働基準法が求める割増賃金の支払いは不要です。  労働時間には「所定」と「法定」がある 労働時間には「所定労働時間」と「法定労働時間」があります。まずはこの違いをしっかりと押さえることが管理におけるポイントです。 まず、「所定労働時間」とは、就業規則や雇用契約書の中で定められた労働時間のことで、始業から終業までの合計時間から休憩時間を差し引いた時間をいいます。所定労働時間は、企業や労働者ごとに自由に決めることができるので、労働契約の内容によってさまざまです。例えば、「9時~18時」と定めているところもあれば、「10時~17時」と定めているところもあるでしょうし、パートについては「13時~17時」としているところもあるでしょう。 対して、「法定労働時間」とは、その名のとおり「法律で定められた=法定」、つまり労働基準法32条で定められた労働時間をいいます。同法で、使用者は、労働者を1日あたり8時間、1週間あたり40時間を超えて働かせてはいけないことになっています。 これを超えて働かせるには、①36協定(※)を締結し、かつ、②労働基準法で定められた割増賃金(時間外労働は原則25%増)を支払う必要があります。 割増賃金の支払いが必要なのは法定外残業 この質問のケースでは、就業時間が「9時~17時、うち1時間休憩あり」なので、所定労働時間は、始業から終業までの8時間から休憩時間の1時間を差し引いた7時間です。 ですので、17時から18時まで1時間の残業を行っても、法定労働時間の「1日8時間」という上限を超えないため、割増賃金を支払う必要がありません。このように、残業はしているけれども法定労働時間内に収まっている残業を「法内残業」といいます。なお、賃金規程などで「法内残業についても割増賃金を支払う」と定めることは自由ですが、定めた場合は、当然その支払いをしなければいけません。 では、19時まで2時間の残業を行った場合はどうでしょうか。この場合、17時から18時までの1時間は法内残業ですが、18時から19時までの1時間は、1日8時間の上限を超えています。このように、法定労働時間を超える残業を「法定外残業」といいます。法定外残業に対しては、労働基準法で定められた25%増の割増賃金を支払う必要があります。 ここまでの内容を図1にまとめましたので、ご参照ください。 図1 所定労働時間7時間の場合の割増賃金 ※36(さぶろく)協定:労働基準法36条(時間外及び休日の労働)に基づく労使協定のこと。使用者が法定労働時間の上限を超えて労働させる場合に必要となる。 ある日、利用者様の体調変化が重なり、とても忙しい日がありました。スタッフのAさんは、午前9時から始業し、昼に休憩を1時間とりましたが、その後、午後11時まで働きました。この場合、13時間労働ということになりますが、割増賃金は1日8時間を超えた分に対して25%増で支払えばよいのですよね?いいえ。午後6時から午後10時までは25%増ですが、午後10時から午後11時までは深夜割増賃金が加算されますので、50%増で支払う必要があります。 割増賃金の3つの種類 割増賃金のしくみをきちんと押さえておきましょう。まず、割増賃金には、①時間外割増(1日8時間、1週間40時間超えの労働)、②休日割増(法定休日における労働)、③深夜割増(午後10時から午前5時までの労働)の3種類があります。それぞれの割増率は図2に示したとおりです。 図2 時間外労働、休日労働、深夜労働の割増率 時間外労働が1か月60時間を超える場合は、時間外割増は50%増となることに注意(ただし、中小企業は2023年4月1日以降から適応) 深夜労働が重なると割増賃金は50%増に 注意しなければいけないこととして、深夜労働の割増賃金は、時間外労働と休日労働の割増賃金に『加算される』ということです。下の図3をご覧ください。 図3 深夜労働と重なった場合 深夜労働をするという時点で、すでに1日8時間の法定労働時間は超過していることが多いですから、深夜に行われた作業に対しては50%増(25%+25%)の割増賃金を支払うことがしばしばあります。事業所としては、スタッフの健康のためのみならず、人件費抑制の観点からも、深夜の作業は可能な限り控えてもらうように指導したほうがよいでしょう。 なお、労働時間の管理については、厚生労働省が出している「労働時間の適正な把握のために使用者が講ずべき措置に関するガイドライン 」が参考になります。厚生労働省のホームページから誰でもアクセスすることができますので、ぜひ、ご参照ください。 ** 前田 哲兵 弁護士(前田・鵜之沢法律事務所) ●プロフィール医療・介護分野の案件を多く手掛け、『業種別ビジネス契約書作成マニュアル』(共著)で、医療・ヘルスケア・介護分野を担当。現在、認定看護師教育課程(医療倫理)・認定看護管理者教育課程(人事労務管理)講師、朝日新聞「論座」執筆担当、板橋区いじめ問題専門委員会委員、登録政治資金監査人、日本プロ野球選手会公認選手代理人などを務める。 記事編集:株式会社照林社

インタビュー
2021年10月5日
2021年10月5日

意思決定支援とは誰のため? 何のため? 「ややのいえ」の取り組みから考える

さまざまな人々が集い、出会い、語らう場として、看護から看取りまで「地域まるごとケア」を行う「ややのいえ」を運営する榊原千秋さん。今回は、「ややのいえ」の大切な理念とその実践、そこで出会ったある男性の最期について語っていただきました。 地域をまるごとケアする 「ややのいえ」の四つの理念 「ややのいえ」には、高齢者を中心とした出会いの場「ことぶきカフェ」、医療や介護相談「暮らしの保健室」、排泄の総合相談「おまかせうんチッチ」、産院+親子サポートを行う「ちひろ助産院」、訪問看護ステーションなど、さまざまな機能があります。住民は、「ややのいえ」とつながることで、新たな出会いやつながりが生まれます。ここは0歳から100歳を超える方々の「地域まるごとケア」の拠点であり、自分なりのありかた、生きかたを見つけていく「居場所」となっているのです。 「ややのいえ」には四つの理念があります。それは、前回お話しした義母のことも含め、私が三十余年、地域で出会った人たちから教えてもらったことがベースになっています。 一つめは、「とことん当事者」ということ。訪問看護でも、「今、いちばんしたいことは何?」と、家族ではなく本人の願いを聞きます。「星空が見たい」「猫と遊びたい」「お化粧をしたい」「『おしん』を最初から最後まで見たい」など、いろいろな望みが出てきます。願いを聞いたら、なぜそれを望むのかもたずねます。言葉にした「願い」だけではなく、「なぜそれを望むのか」が大事な場合もあるからです。それに、「なぜ」を聞くと、私たちもそれを実現したくなりますからね。 本当の願いがわかったら、ときにはチームを作り、それを実現します。そのプロセスが、「ややのいえ」のACP(アドバンス・ケア・プランニング)であり、意思決定支援の取り組みなのです。 大切にしていることの二つめは、専門職として出会う前に「人として出会う」こと。専門職として病気のこともきちんと診るけれど、最初にその人がいちばん大事にしているものを見る。気付く。そこから人と人としての関係を作っていくのです。 三つめに、「自分ごととして考える」。相手を人として知り、願いを知り、その願いへの思いを知る。そしてその願いをひとごとではなく、自分ごととして考えるのです。 一人の人を支えるには、医療職や介護職、制度だけでなく、いろいろな仲間の力が必要です。「ややのいえ」には文房具屋さんや不動産屋さんなど、地域のさまざまな仲間がいます。本人の願いをかなえるために必要なら、そうした仲間たちとチームを作ります。こうした、専門職だけでない支援、本人を取り巻く多くの人たちが一体となる「十位一体のネットワーク」の力が「ややのいえ」の理念の四つめであり、意思決定支援につながるものです。 ナラティブに出会い エビデンス的に人を看る 「ややのいえ」の訪問看護では、初回訪問から「ナラティブ」でその人と出会います。壁に表彰状がかかっていたら、「すごい、○○で賞を取ったんですか?」と聞いてみる。その人が大事にしていることを知ろうという目線で接していくのです。そうした目線は、「ややのいえ」として、「聞き書き」にずっと取り組んできた文化が影響していると思います。「エビデンス」的に人を看ながら、同時に、「ナラティブ」でも人を見る。そんな姿勢がスタッフに身についています。だから、専門職として出会う前に人として出会うことができるのです。 「聞き書き」は何も、構えて相手の話を聞き、書き留めるだけではありません。「あんたらの魂胆に乗せられてやるか」とか、「あーあ、俺はもうすぐ死ぬのか」とか、訪問したときに、ふと漏らした、その人らしいちょっとした独特な言葉があったとき、それをカルテに書き留めます。そんな「ひと言聞き書き」が、意思決定支援につながるACPの一部なのです。 それは、きちんと相手と向き合っているから、拾い上げることができる言葉です。「今日の血圧は」「足がむくんでいますね」と、体だけを看るかかわりだけでは、聞き逃してしまうかもしれません。 満足と幸せが残る意思決定支援とは 末期がんで在宅療養していたAさんは、あれこれ気遣われるのが煩わしく、心配する奥さんをも怒鳴りつける人でした。本人はまだ3~4年は生きられると思っていたのですが、いよいよ状態が厳しくなってきたとき、訪問看護師に「わしはどうなっていくのか」と聞いてきました。 そのとき訪問看護師は、「もともと生まれてきたところに帰って行くのですよ」と答えました。するとAさんはにこっと笑って、「母ちゃんを呼んでくれ。そして二人にしてくれ」と言いました。看護師が退出後、Aさんは奥さんの手を握り、二人でしかできない話をしたのだそうです。Aさんは、その日の深夜3時に亡くなりました。 Aさんが亡くなったあと、私たちはお通夜とお葬式に同席させていただき、ご親族と空気感を共有しました。グリーフケアですね。その後、四十九日までに弔問に訪れると、「あの時逝くとは思っていなかった。あの時間があってよかったよ」と奥さんはとてもいいお顔をされていました。 亡くなることを「旅立つ」という言葉で表現することがありますが、浄土真宗のさかんな北陸では「お浄土に帰る」と言います。看護師の「もともと生まれてきたところに帰って行くのですよ」という言葉は、Aさんの心に自然に受け止められたのだと思います。 意思決定支援はひとつの地域文化でもあると思います。同じ地域で暮らしているからこそ共有できるのだと。そして意思決定支援は、本人が亡くなられたあとのグリーフ期に真実が語られることがよくあります。はじめて出会ってからグリーフケアまで、本人にもご家族にも、ほがらかで穏やかな時間が持てますようにと願っています。   ** 榊原千秋コミュニティスペースややのいえ&とんとんひろば代表訪問看護ステーションややのいえ統括所長 記事編集:株式会社メディカ出版

コラム
2021年9月28日
2021年9月28日

positiveに生きよう! 〜ALSと診断されてからの経過と心の葛藤〜

ALSを発症して6年、40歳の現役医師である梶浦さんによるコラム連載。第2回は、診断前後の日々と葛藤の様子をお話しします。「enjoy!ALS」と思えるまでの心の動きは…… 「今の自分にできることを考えていこう!」 私は体も動かないし、声も出せないが、内面は何も変わっていない。 できなくなったことも多いし、大変なことも多いが、できることも、まだまだたくさんある。 できなくなったことを悔やむのではなく、今の自分にできることだけを考えて、生きていこう! ALSと診断されてから、すぐにそう考えられたわけではありません。そこまでには、さまざまな苦悩や葛藤がありました。 ALSという病気は、今まで培ってきたキャリアや地位やプライドがひっくり返されて、まったく違う人生を歩んでいかないといけない病気です。 そこで、まず私がALSと診断されてから在宅加療を開始するまでの、経過と心の葛藤についてお話ししたいと思います。 留学先で、「何かおかしい!?」 前回もお話ししましたが、私は大学病院で皮膚科医として勤務しながら、「毛包幹細胞」について研究をしていました。その研究のため、2015年の4月に、アメリカのUCSD(カリフォルニア大学サンディエゴ校)に留学しました。 留学中は毎日趣味のサーフィンをしてから、職場に行く、充実した日々を過ごしていました。ところが、7月ごろから、少しずつ文字が書きづらくなってきたことに気が付きました。 当初は疲れているだけかと思い、さほど気にしていませんでしたが、8月になっても治らず、右腕が左腕よりも細いことに気が付きました。 さすがにおかしいと思い、自分の症状について調べはじめました。ちょうどサーフィンで首を痛めていたこともあり、同僚の整形外科医にも相談し、頸椎症や椎間板ヘルニアなどの可能性を考えMRIを撮りましたが、明らかな異常はありませんでした。するとUCSDの神経内科を紹介され、診察してもらうと、すぐにALS専門医に紹介されました。 何が何だか…… その時点で頭が真っ白になっていました。専門的な話を英語で説明され、さらに、何が何だかわかりませんでした。ただ、最後に「ALS専門医の貴方からみて、私はALSだと思いますか?」と聞くと、「多分ALSだろう」と言われたことだけは、はっきり覚えています。 その瞬間、後頭部をハンマーで殴られたような衝撃が走りました。事態が飲み込めず、ただただ呆然としていました。徐々にその診断の重さを理解して、気がついたら帰り道で号泣していました。 当時、私は34歳でした。2歳になる息子もおり、これからのことを考えると、恐怖と絶望で胸が張り裂けそうでした。ただそんななか、妻だけは気丈に振る舞い、私を支えてくれたおかげで、何とか正気を保つことができました。 まだ診断が確定したわけではないため、急いで帰国して精査しました。その後、さまざまな病院で検査するも、なかなか確定診断がつきません。さまざまな診断名を言われ、そのたびに一喜一憂する日々が続き、精神的にかなり疲弊して行きました。 結局ALSと確定診断されたのは、症状が出現してから9か月後の、2016年4月でした。そのときには右腕以外にも症状が出現しており、ALSの診断に納得したのを覚えています。 ALSと確定してから その後の日々は、今までとはまったく違うものでした。 すぐに仕事に復帰し、元どおりの生活を再開しましたが、右手が動かずカルテが書けなかったり、手術ができなくなったり、今まで当たり前のようにできていたことが、徐々にできなくなっていきました。なぜこんなことになってしまったのか? 何かの間違いではないか? と、自問自答を繰り返す日々が続きました。いくら考えても答えは出るはずもなく、考えれば考えるだけ気分が落ち込むだけでした。 時間があればいろいろ考えてしまいます。暇な時間を作らないように、一生懸命仕事をし、たくさん息子と遊び、映画を観て、ボーッとする時間をなくすようにしました。そして遠い未来のことは考えすぎず、今の自分の状態でできることだけをやるようにしました。 どうしても、つらく悲しくなるときは、ため込まず思いっきり泣くようにしました。よく手嶌葵さんの『明日への手紙』を聴き「明日を描こうともがきながら、進んでいく」という歌詞に自分を投影して泣いたのを覚えています。 そうやって、ストレスをコントロールしながら徐々に病気を受け入れて、自分の症状と向き合っていきました。何よりも妻が常にサポートしつづけ、息子がそばにいてくれたおかげで、前向きにやってこられました。 限界まで現場に出たい 私は医師という仕事が大好きです。限界まで、現場で働いて、直接患者さんを診療したいと思いました。 パソコンのキーボードがうてなくなったら音声入力装置を使い、歩けなくなったら電動車いすで通勤し、何とか診療を続けることができました。最後は声が出しづらくなっていましたが、同僚が自分の手となり声となって、ペアで診療してくれました。 さすがに、最後は患者さんより自分のほうが明らかに重症で、患者さんたちに心配されてしまい、診療が滞ってしまったため、2019年3月に退職し、東京の実家に戻り在宅加療を開始しました。 次回は、在宅加療を開始してから今に至るまでの経過をお話ししたいと思います。 私の主治医であるさくらクリニック練馬の佐藤先生が、クリニックのブログに前回コラムの感想を載せてくれました。よかったらこちらもご覧ください。 ** コラム執筆者:医師 梶浦智嗣 記事編集:株式会社メディカ出版

インタビュー
2021年9月28日
2021年9月28日

介護者、看護師、そして三男の嫁として 亡き義母の「意思」に触れた日々

保健師として地域で活動後、難病患者の在宅療養者の支援を経験した榊原千秋さんは、地域でさまざまな人々が集い、出会い、語らう場として「ややのいえ」(石川県小松市)を開設。訪問看護ステーション、助産院なども併設しています。今回は、夫の母を介護した経験から、身内の「意思決定支援」で強く考えさせられた事例について語っていただきました。 認知症があっても自分で居場所を決めた義母 「意思決定支援」という言い方、実は私、好きじゃないんです。ひと言で言えるような単純なものではないですし、一方向から見た真実にしかならないと思うからです。また、本人が本当の意思を表明するとは限りません。 93歳の時に、転倒による腰椎圧迫骨折で入院して寝たきりになった義母も、私たち親族には本音を言いませんでした。でも、知人を連れてお見舞いに行ったとき、会話の中でポロリと「家に帰りたい」と言ったのです。これが義母のACP(アドバンス・ケア・プランニング)に取り組んでいく、大きなきっかけとなりました。 同居していた長男夫婦は、「家では看られない」と私に施設入所の相談がありました。長男夫婦に初孫が産まれたこともあり、ひとまず介護老人保健施設(老健)に移りました。その直後に長男の妻が交通事故で入院し、面会に行けなくなりました。そこで義母は、「自分は捨てられた」と思い、ストレスからガリガリに痩せてしまったのです。 地方都市では、今も、親の介護は長男の嫁がするもの、という考えかたが根強くあります。本来なら、三男の嫁である私は、義母の介護に対して発言権もありません。しかし老健に義母を見舞いに行った際、夫が「このままにしておいていいのか」と私に言ったのです。 そこで、「ややのいえ」について親戚中を説明してまわり、私が「ややのいえ」に義母を引き取り、ケアすることが了解されました。 「今したいことは何?」と聞くのが、私の考えるACPの始まりです。 「ややのいえ」をお試しで訪れた義母の答えは、「鳴門金時(さつまいもの品種)を植えたい」でした。畑にうねを作ると、痩せ細った姿で、植えかたを指導してくれました。 そうして何回か「ややのいえ」で過ごしてもらううち、義母は自分から「ここに置いてくれやの」と言いました。認知症があっても、義母はちゃんと自分で自分の身の置き所を決めたのです。 すごいな、と思いました。これで、私も「ややのいえ」でともに暮らしながら義母をみていく覚悟が決まりました。 「迷惑をかけるから」の言葉の裏にあった思い 「ややのいえ」で暮らすようになった義母に、「どうしたい?」と聞くと、返ってくる答えは決まって、「最期の日までほがらかに楽しくおらせてくれやの」でした。老健にいたころには出なかった言葉です。 義母の望みどおり、畑仕事をし、梅干を漬け、洗濯物をたたみ、繕い物をする。隣のかき氷屋のかき氷をペロリと一人前食べたり、晩御飯を食べたのを忘れて私と半分こしてどら焼きを食べたり、義母は「ややのいえ」で自由にのびのびと過ごしていました。 義母とは1年半、「ややのいえ」で暮らしました。それが中断したのは、私が腎臓結石の手術のために入院することになったからです。やむなく、義母にはショートステイへ。しかし、その2泊目、義母は急性出血性大腸炎で緊急入院しました。 3か月たっても義母は回復せず、“いわゆるACP”として、胃瘻にするか、高カロリー輸液のポートをつくるかを聞かれました。 ショートステイ入所前日まで、お寿司をペロリと食べていた義母です。VF(嚥下造影検査)をしてもらうと、回復の見込みはあると言われました。 それなら、一時的に胃瘻を造設して栄養を確保し、嚥下のリハビリをお願いしようと考えました。 退院の時期が来たとき、胃瘻になり、痩せこけた義母に聞きました。「『ややのいえ』に戻らない? 帰ろうよ」と。すると義母は、「千秋さんに迷惑をかけるから行けない」と言うのです。 「迷惑をかける」とは、三男の嫁である私が再び義母をみることになったら、兄弟間で“もめる”、という意味で言っているのだと、私にはわかりました。認知症があっても、義母はちゃんと状況を理解していたし、家族のことを考えていたのです。 結局、義母は療養型病院に転院し、そこで亡くなりました。 「意思決定」のとらえかたは 立場によってさまざま 義母のお通夜の席で、米寿祝いの時作った義母のライフヒストリーを聞き書きでつづった冊子とアルバムとともに思い出が語られました。皆、それを見ながら話しているのに、義母が「ややのいえ」で過ごした日々のことは、まったく話題に上りませんでした。長男夫婦は私が義母の介護をすることをよしとせず、施設への入所を望んでいたこともあったからだと思われます。 一方、義母方の親族が言った「母は幸せやったよ」の一言には救われました。それぞれの立場や考えによって、本人の「意思決定」を取り巻く事実のとらえかたはまるで違うのです。 専門職として数多くの看取りにかかわってきた私ですら、「ややのいえ」での義母との1年を親族に語れない状況や、その時の感情は、今も大きなトラウマとなっています。 このように「意思決定支援」にかかわる当事者は多岐にわたり、その登場人物ごとに真実があります。支援者は、まずそのことを十分に認識しておく必要があると思います。 ** 榊原千秋 コミュニティスペースややのいえ&とんとんひろば代表 訪問看護ステーションややのいえ統括所長 編集協力:株式会社メディカ出版

特集
2021年9月21日
2021年9月21日

進行性核上性麻痺(PSP)

パーキンソン病とよく似た症状がみられる難病です。高齢になってからの発症が大半です。さまざまな亜型があることが近年わかってきました。 病態 進行性核上性麻痺(PSP)は、脳の大脳基底核や脳幹、小脳などさまざまな場所の神経細胞が減少する疾患です。神経細胞などへの異常タウタンパクの蓄積が、神経症状を起こす原因と考えられています。根本の発症原因はわかっていません。初期に、歩行障害や動作緩慢など、パーキンソン病と似た症状がみられます。 疫学 中年期以降、主に50歳代以降に発症します。有病率は人口10万人あたり10~20人程度と推測されています(※1)。20年前よりも有病率は高くなっており、新たな臨床病型が明らかになってきたこと、高齢者の増加、周知が進んだことなどが背景として考えられています。性別による発症の男女差については報告によって異なり、一定の見解は得られていません。最近の平均発症年齢は70歳代と高齢化しています。大多数は遺伝性ではありません。 病型 近年、PSPのなかにも、さまざまな病型があることがわかってきました。そのため、典型例(RS)と他の病型(亜型)が区別されるようになりました。 ●リチャードソン症候群(RS)最も典型的で頻度が高い病型。姿勢保持障害や転倒などの運動症状と、非運動症状の認知機能障害が主にみられる。早期から転倒が多いことが特徴。 ●パーキンソン病型PSP(PSP-P)RS型の次に多い。初期は、振戦・無動などパーキンソン病と似た症状が長くみられ、転倒や認知機能障害の出現が遅い。運動症状が抗パーキンソン病薬で緩和される。 ●純粋無動症型PSP(PSP-PAGF)無動の症状、すくみ足が先行する。進行は遅い。 そのほか、失行・失語が主症状の病型や、認知機能の症状のみが出る病型など、いくつかの病型があることが明らかになっています。 症状 易転倒、眼球運動障害、認知機能障害など、さまざまな症状が現れます。以下はRS型の症状を中心に説明します。 ●運動症状初期に現れることが多いのが、易転倒、すくみ足、姿勢保持障害です。病状の進行とともに、体幹や頸部がこわばり、頸部後屈がみられます。眼球運動が障害され、特に下方を見ることが困難になります。眼球運動障害は発症2~3年後に出現することが多く、最初は上下の方向の障害で、進行すると左右方向の動きも障害されます。 ●非運動症状認知機能の障害は、多くは発症から1~2年後に出現します。初期から、目の前にある物に手を伸ばしてつかむ動作が特徴的です。転倒・転落につながるため、環境整備に注意を払う必要があります。危険に対する判断力や注意力が低下し、状況判断ができずに行動してしまうこともあります。 構音障害などさまざまな言語障害のほか、嚥下障害もみられ、中期以降は誤嚥性肺炎にも注意が必要です。 治療法 根本的な治療法はまだなく、対症療法とリハビリテーションを併用します。動作緩慢や筋肉の緊張など運動症状に抗パーキンソン病薬が使用されますが、効果は限定的・一時的です。 リハビリのポイント ●発症初期から長期的にかかわり、障害に応じたリハビリを実施していく●頸部や体幹のストレッチ、筋力の維持、バランスをとる訓練●嚥下訓練●言語訓練●目の前にあるものをつかむといった行動特性をふまえ、転倒予防のため室内環境を整備する●嚥下障害が進行すると経管栄養法の導入も検討される。本人の判断力低下で意思確認が困難になる前に、本人の意向やQOLなどについて話をしておく 看護の観察ポイント ●症状の変化、その程度●転倒の頻度、けがの有無●療養環境に転倒リスクとなるものがないこと●家具の角への緩衝材、保護帽などの対策本人の目に見えるところに気を引くものが置かれていないこと●余裕を持ってトイレに誘導する●視野に入っていない範囲の把握・対応はできているか●嚥下障害の有無●食事量●本人と家族・本人と支援者とのコミュニケーション●ベッドにいる時間が長い場合、褥瘡など皮膚の変化の有無●座位などで過ごす時間をとれているか●家族の介護力●本人 ・家族が不安やストレスを抱えていないか など ** 監修:あおぞら診療所院長 川越正平 【略歴】東京医科歯科大学医学部卒業。虎の門病院内科レジデント前期・後期研修終了後、同院血液科医員。1999年、医師3名によるグループ診療の形態で、千葉県松戸市にあおぞら診療所を開設。現在、あおぞら診療所院長/日本在宅医療連合学会副代表理事。 記事編集:株式会社メディカ出版 【参考】※1 進行性核上性麻痺(PSP)診療ガイドライン2020作成委員会編(2020)『進行性核上性麻痺(PSP)診療ガイドライン2020』,神経治療学,37(3), pp.435-93.https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsnt/37/3/37_435/_pdf/-char/ja ・難病情報センター『進行性核上性麻痺(指定難病5) 病気の解説(一般利用者向け)』https://www.nanbyou.or.jp/entry/4114 ・平成28年度厚生労働科学研究費補助金難治性疾患克服研究事業「神経変性疾患に関する調査研究」班(2017)『進行性核上性麻痺(PSP ) ケアマニュアルVer.4』http://pspcbdjapan.org/index.htm/want_to_learn/download/

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2021年9月21日
2021年9月21日

訪問看護あるある座談会 vol.6 移動中編

訪問看護の移動手段は何をご利用されていますか?暑い日も寒い日も雨の日も、自転車移動で訪問されている方も多いのではないでしょうか。今回も3人の訪問看護師さんにお集まりいただき、移動をテーマに訪問看護の「あるある」についてぶっちゃけトークをしてもらいました。 どう過ごす?訪問看護中の微妙な空き時間 みほ:このメンバーは3人とも自転車移動なんですよね。最近入った新人さんから「訪問移動中の5〜10分の微妙な空き時間、どうしてるんですか?」って聞かれて。 あい:私もそれ気になります。みんなどうしてるのかなって。 みほ:車移動だと車の中で待機できるじゃないですか。自転車だと、暑さをしのぐのにコンビニのイートインが便利なんですけど… ゆり:コロナでイートイン閉鎖してるところ、多いよね…  みほ:そうなんですよ。ここのコンビニにイートインコーナーがあるよって案内したら、新型コロナのせいでイートイン休止中でした… ゆり:外にいるのも暑いよね。イートインない時は、夏場だとアイス買ってコンビニの外の日陰見つけて食べたりしますね。最近はフラッペも売ってるから、熱中症にならないように顔とか首とか冷やして、溶かしながら飲んでいます。熱中症対策だと、干し梅も持ち歩いてますね。 あい:熱中症対策、大事ですよね。 ゆり:前の座談会(※夏対策編)でも話したけど、熱中症にかかるとつらいんですよね。暑くない時期だと、公園のベンチに座ってたり、自転車のサドルにタブレット置いて記録したりしてるかな。 あい:私もジュースとか買って、木陰や公園で休憩しながら記録してます。コンビニに寄って何か食べるほどの移動時間はあまりないので、ステーションの訪問の組み方とかにもよるのかもしれないですね。 ゆり:ステーションによっては移動時間を短く設定して、タイムロスないようにしているところもあるもんね。また食べ物の話になっちゃうけど、冬だとコーンスープとか肉まんとかで暖をとってるよ。 みほ:温まりますよね。隙間時間あると何かつまんじゃうので、病院から転職してきた看護師さんが、自転車移動だから痩せそうと思っていたけど結局合間で食べちゃって痩せない、って言ってました。 あい:私も痩なかったですね。夏の暑さで水分が出ていく感じはありますが。 ゆり:水飲むとトイレが心配になっちゃわない? あい:トイレのことも考えますね。次の訪問までの移動で「どこにトイレあったっけ」とか考えますね。 ゆり:そうそう。女性専用トイレがあるコンビニとか把握するようにしてます。 みほ:わかります。新人さんと同行しながら「ここのコンビニはトイレがきれいなのでおすすめ」とか教えますね。 あい:すごく詳しくなりますよね。笑 ササっと済ませる移動中の外ランチ みほ:外でランチすることとかありますか? ゆり:移動で事務所戻れない時は外で食べますね。食べるの早いほうなので、途中ラーメン屋さん入って、オーダーして3分くらいでラーメン出てきて、5分で食べて、出る、みたいな。すぐ出てくるところなら15分くらいで食べますね。 あい:すごい、私食べるの遅いのでできない…! ゆり:男性スタッフとか、牛丼屋でサッと食べる人とか結構いる気がする。 あい:たしかに、うちのところもそういう男性看護師さんいます。 みほ:ファーストフード店はすぐ出てくるので、よく寄りますね。時間もないしササッと食べちゃうんですが、早食いは体に良くないとは思ってます。 あい:みなさん早く食べて移動しているの、すごいですね。 みほ:しっかり休めればいいんですけど、移動時間がギリギリとか、緊急訪問が入ってバタついたりとかもあって。ゆっくり食べられる日はありがたいですね。 ゆり:忙しいときこそ、食べないと倒れちゃうからね。 移動中の急な雨、自転車移動どうしてる? みほ:突然の雨が多くて、かっぱも持ち歩いてるから、荷物多くなるんですよね。 ゆり:荷物が気になるんだったら、かっぱ以外に小さいポンチョをリュックに忍ばせるとか、雨よけのビニールの靴カバーを持ち歩くとかはおすすめ。ふくらはぎくらいまでの長さで、コンパクトにまとめられるんですよ。 あい:なるほど。いいですね。降りそうで降らない時に、何を履いていくか迷うんです。雨予報だけどまだ降ってないときに「なんとか大丈夫だろう」ってスニーカーで訪問行ったら、途中から降ってきて「ああ、長靴にしとけばよかった…」ってなります。 ゆり:しかも雨の日はマンホールとか点字ブロックで滑りますよね。 あい:みんな通る道ですよね。かっぱ着てレインバイザーするから、視界も悪くなって怖くないですか? みほ:わかります。怖いですよね。 ゆり:傘差し運転してる自転車とすれ違うのも怖い…。 あい:急な雨の日とか多いですよね。 ゆり:電動自転車、重いから避けるのが大変なんですよ。 あい:電動自転車、訪問看護で初めて乗ったんですけど、「えっ、重い!」ってびっくりしました。車道と歩道の溝の段差にハマって転びそうになったこともあって。訪問中に自転車で転ぶのも、みなさん1回はやってる気がします。 みほ:安全運転が一番ですね。 記事編集:NsPace

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2021年9月14日
2021年9月14日

パーキンソン病

難病を知る 発症しても手厚いケアがあれば在宅生活が可能なパーキンソン病。高齢者の100人に1人の割合で発症する、決して珍しい疾患ではありませんが、いまだ根治療法が解明されていない難病の一つです。 病態 中脳の黒質には、神経伝達物質のドパミンを作る神経細胞があります。パーキンソン病は、この神経細胞の減少によりドパミンが不足し、さまざまな症状が起こる難病です。 ドパミンの働きは、運動機能に関与する線条体にあるドパミン受容体に結合し、その興奮を抑えます。一方、ドパミンと拮抗する働きをするアセチルコリンは、ドパミン受容体で神経を興奮させる役割を担っています。ドパミンとアセチルコリンは、互いにバランスを取り合うため、ドパミンが減少すると、アセチルコリンの作用が過剰になってしまいます。パーキンソン病の治療で、抗コリン薬が使用されるのはそのためです。 なお、「パーキンソン症候群」は、進行性核上性麻痺や多系統萎縮症、薬剤性など、パーキンソン病と似た症状を示す、異なる疾患を指します。 疫学 パーキンソン病は50歳以上で発症することがほとんどで、加齢とともに発症頻度は上がります。40歳以下での発症は非常に少なく、「若年性パーキンソン病」と呼ばれます。有病率は10万人あたり100~150人と推定されていますが、60歳以上になると100人に1人とその割合が増加します。パーキンソン病の大半は遺伝性ではありませんが、遺伝性のものも5~10%ほどみられます。 症状 パーキンソン病は、運動症状として、振戦や筋強剛、無動、姿勢反射障害が知られています。 ●振戦静止時に、手が細かく震える症状が特徴的です。初発の症状として最も多くみられます。●筋強剛筋肉が緊張してこわばり、他動的に関節を動かすときに抵抗が増強します。●無動細かい動作がしにくい症状を指します。表情が乏しくなる(仮面様顔貌)、書字が小さくなる、すくみ足などが、無動の症状です。●姿勢反射障害全身のバランスを保ちにくく転倒しやすくなります。前傾姿勢になりやすく、小刻み歩行・突進歩行など歩行障害として現れる場合もあります。 これらが代表的な運動症状です。 一方、非運動症状として、 ●睡眠障害(昼間の過眠、むずむず脚症候群など)●便秘●頻尿、排尿困難●起立性低血圧●発汗異常●嗅覚の低下●痛み●うつ といった、自律神経障害や精神障害もみられることがあります。 パーキンソン病のうち難病指定の対象は、H・ヤール分類で3~5度、かつ、生活機能障害度が2~3度の患者に限定されます。 パーキンソン病は進行性ですが、そのスピードは個人差があります。治療を適切に行えば、発症後10年程度は通常の生活を送れます。平均余命もほぼ変わりません。 治療法 根治療法ではありませんが、薬物療法と手術療法があります。薬物療法は、ドパミンの補充が基本です。ドパミン前駆体であるL-ドパ、ドパミン受容体刺激薬などが用いられます。L-ドパの長期間投与を継続している経過において、薬の効く時間が短くなり、突然動けなくなるなど症状の日内変動が起こる(ウェアリング・オフ現象)場合があるので、薬の調節が課題になります。そのほか、不足したドパミンとのバランスをとるために、アセチルコリンの作用を抑える抗コリン薬も用いられます。 手術療法は、薬を使っても症状のコントロールが難しい場合などに選択されます。脳内に電極を埋め、電気刺激により神経細胞の興奮を抑える手術が主流です。 リハビリのポイント ●リハビリにより、症状の改善やQOLの向上が期待できるほか、患者本人が参加できるという意味で意欲を引き出すことにもつながる●ストレッチングや関節可動域の訓練、歩行訓練、立位・バランス訓練、筋力訓練、ホームエクササイズなどの運動療法は、身体機能やバランス、歩行速度などの改善に有効●言語訓練や嚥下訓練では、発声や嚥下の改善効果が期待できる 看護の観察ポイント ●症状やその程度に変化はないか●症状の日内変動が出ていないか●適切に服薬ができているか●薬の副作用が出ていないか●転倒していないか●家庭環境に転倒のリスクがないか●日常生活やセルフケアに支障をきたしていないか●体を動かしたり、ベッドから起き上がったりする時間は取れているか●構音障害によりコミュニケーションに問題が生じていないか●排尿障害が出ていないか●嚥下障害や誤嚥がないか●家族の介護力は十分か●患者、家族が不安やストレスを抱えていないか 次回は進行性核上性麻痺について解説します。  ** 監修:あおぞら診療所院長 川越正平【略歴】東京医科歯科大学医学部卒業。虎の門病院内科レジデント前期・後期研修終了後、同院血液科医員。1999年、医師3名によるグループ診療の形態で、千葉県松戸市にあおぞら診療所を開設。現在、あおぞら診療所院長/日本在宅医療連合学会副代表理事。 記事編集:株式会社メディカ出版 【参考】・難病情報センター『病気の解説(一般利用者向け) パーキンソン病(指定難病6)』https://www.nanbyou.or.jp/entry/169・「パーキンソン病診療ガイドライン」作成委員会編(2018)『パーキンソン病診療ガイドライン2018』医学書院.・井上智子ほか編(2016)『疾患別看護過程+病態関連図』第3版、医学書院.

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2021年9月7日
2021年9月7日

亜急性硬化性全脳炎

難病を知る 亜急性硬化性全脳炎は、麻疹に感染後、長い潜伏期間を経て発症する難病です。幼児~学童期に発症する予後不良の病ですが、麻疹ワクチンの接種が進み、患者数は減少しています。 病態 亜急性硬化性全脳炎(あきゅうせいこうかせいぜんのうえん:SSPE)は、変異した麻疹ウイルスによる遅発性の感染症です。麻疹にかかってから、数年から十数年の潜伏期間を経て発症します。 麻疹にかかり治癒した後、脳内に持続感染した麻疹ウイルスの変異株(SSPEウイルスとも呼ばれる)が脳炎を引き起こします。発症後は、数か月から数年で神経症状が進行していき、予後は不良です。 好発年齢は5~14歳です。2歳未満の子どもや免疫機能が低下している人が、麻疹ウイルスに感染した場合に、発症するリスクが高いとされています。(※1)なお、SSPEが人にうつることはありません。遺伝性もありません。 疫学 現在、国内の患者数は150人程度と推測されています。国内のデータでは麻疹罹患者約8,000人に1人の発症だったとの調査がありますが、近年はもっと多いという報告もあります。(※1)SSPEの受給者証所持者数は、2019年末時点で73人、年代別にみると20~30歳代が中心です。(※2)ワクチンの接種率の向上に伴って麻疹の罹患が減り、今後は新規の発症はかなり少ないと見込まれます。 症状・予後 発症後の経過は比較的定型的で、4期に分類されています(Jabbourの分類)。ただし、経過は必ずしも一様ではなく、急激に症状が進む劇症型や、10年以上の経過をとる緩徐進行型、少数ながら歩行可能な状態に改善する例もあります。病期が進むにつれ、経口摂取困難や自律神経障害、胃食道逆流、呼吸障害などの合併症が現れるため、重症度に応じた対応が求められます。 Ⅰ期 比較的軽度の精神面・行動面の変化がⅠ期に分類されます。具体的には、成績低下や記銘力の低下、落ち着きがなくなる、ささいなことで不機嫌になる(易刺激性)、挑戦的な行動をとるなどの性格の変化、周囲に無関心になるなどの症状があり、緩やかに進行します。けいれん発作や、立てない・歩けないなど、運動面の変化がみられることもあります。 Ⅱ期 けいれん発作や運動機能低下、不随意運動などが出てきます。周期的なミオクローヌス(体の一部がピクッと動く)が、頭部から始まり体幹や四肢にまで起こるようになるのが特徴的です。筋緊張亢進、全身のけいれんや失立、振戦などの不随意運動も出現します。 Ⅲ期 不随意運動や筋緊張亢進が増し、運動機能低下がさらに進み、座位をとることも困難になります。臥床状態で、後弓反張(手足が伸び体が弓なりに反る)が多くなります。自律神経の異常も進行します。顔面紅潮や蒼白、チアノーゼを伴う異常な発汗や、不規則な発熱など自律神経症状が出現します。加えて、摂食・嚥下が困難になってくるため、経管栄養法の導入も検討されます。意識障害が進み、徐々に昏睡に至ります。 Ⅳ期 ミオクローヌスや筋緊張亢進は目立たなくなり、眼球が不規則に動く、病的な笑い・泣きなどの反応、音への驚愕反応などがみられます。覚醒時には目をあけますが、昏睡状態にあり自発的に言葉を発しません(無言症)。筋強直や呼吸異常のために、人工呼吸管理が必要になります。 治療法 根治的な治療法はまだありませんが、免疫賦活薬と抗ウイルス薬の併用療法が用いられます。またほかに、研究段階の治療も試みられています。治療に加えて、病期や重症度に応じて対症療法が必要になります。 リハビリのポイント 関節可動域や運動機能を評価し、必要に応じて筋緊張を緩和させる理学療法を行う歩行や座位保持などが難しくなっていくため、残存機能を生かした動作、福祉用具などの活用を提案する 看護の観察ポイント 症状の変化を経時的に観察する現在~近く予測される症状に応じて、医師やケアマネジャーと連携し、タイムリーに必要な介助につなげる誤嚥や食事後の胃食道逆流などに留意し、食事中~後の状態を確認する排尿・排便状況を確認する息苦しさなど呼吸症状を確認する家族の状況(介護疲労の有無など)を確認する ** 監修:あおぞら診療所院長 川越正平【略歴】東京医科歯科大学医学部卒業。虎の門病院内科レジデント前期・後期研修終了後、同院血液科医員。1999年、医師3名によるグループ診療の形態で、千葉県松戸市にあおぞら診療所を開設。現在、あおぞら診療所院長/日本在宅医療連合学会副代表理事。 記事編集:株式会社メディカ出版 【参考】※1 プリオン病及び遅発性ウイルス感染症に関する調査研究班『亜急性硬化性全脳炎(subacute sclerosing panencephalitis:SSPE)診療ガイドライン2020』http://prion.umin.jp/guideline/pdf/guideline_SSPE2020.pdf※2 厚生労働省『難病・小児慢性特定疾病 令和元年度衛生行政報告例』2021-03-01https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?page=1&layout=datalist&toukei=00450027&tstat=000001031469&cycle=8&tclass1=000001148807&tclass2=000001148808&tclass3=000001148810&stat_infid=000032045204&tclass4val=0・難病情報センター『病気の解説(一般利用者向け)亜急性硬化性全脳炎(SSPE)(指定難病24)』https://www.nanbyou.or.jp/entry/42

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