特集 インタビュー コラム

コラム

コラム

人は一人では生きられない 〜妻との話〜

ALSを発症して7年、41歳の現役医師である梶浦さんによるコラム連載です。今回は、病気になる前からの、いちばんの理解者とのお話。 positiveに生きられるのも周りのおかげ 人は一人では生きられない。当たり前の話です。誰しもがそうなのですが、ALS患者である私は特にそうです。誰かの助けがないと一日たりとも生きられません。日々、家族やヘルパーさんや医師、看護師、PT、ST、薬剤師さんなど、さまざまな人が助けてくれるおかげで、こんなにも楽しく生活することができています。私を支えてくれるすべての人に、心から感謝しています。 特に妻にはどれだけ感謝してもしきれません。 私自身がいくらpositiveに生きようとしても、周りの人がそれを応援して支えてくれないかぎり不可能です。妻は、私が病気になってからの6年間、いやもっと前から、ずっと私のいちばんの理解者であり、ずっと側で支えつづけてくれています。 朝からサーフィンをしてバスケをして 私と妻は大学の同級生です。大学生のころからの付き合いで、研修医の時に結婚したので、かれこれもう20年近い付き合いになります。私は昔から無茶をする性格で、妻にはさんざん迷惑をかけてきました。 大学生の時、私はバスケ部の主将をしており、毎日バスケばかりしながら、台風が近づいてくるとサーフィンに出かけるという生活を送っていました。医師になってもその生活はあまり変わりませんでした。仕事が早く終わったら(まぁ早く終わる日はほとんどないのですが……)バスケのクラブチームの練習に出かけ、波がいい日は朝5時からサーフィンをして職場に行きました。 30歳のある休日、朝からサーフィンをして、そのままバスケのクラブチームで試合を2試合するという、いつもどおりの無茶をしていたら、左のアキレス腱が切れました。 整形外科の友人と一緒のチームだったので、一瞬で診断がついて、そのまま翌日手術をする予定になりました。怒られるかな〜と思いつつ、そのことを妻に伝えると「大丈夫!? 迎えに行くね」と言って、いっさい怒らずに看病してくれました。 こりない私は、手術が終わったらすぐにリハビリをして、バスケとサーフィンを再開しました。 また……(笑) 33歳のある日、仕事終わりにバスケをしていたら、今度は右のアキレス腱を切りました。また整形外科の友達たちと一緒にいたので、一瞬で診断がついて、そのまま翌日手術をする予定になりました(笑)。 今度こそ絶対怒られるな〜と思いながら、妻に電話すると「また切ったの!?」と呆れられながら、「じゃあ私が麻酔してあげるよ」と言って翌日妻が麻酔をかけてくれました(妻は麻酔科医です)。 そんな感じでいつも、私がやらかしてしまっても、起きてしまったことはしょうがないと考えて、すぐに一緒に前を向いてくれます。 いいよ。一緒に行こう 34歳でALSと診断されたときもそうでした。お互い激しく動揺しましたが、どうすればいいのかをともに考えて、全力でサポートしてくれました。 ALSと診断されて間もないころ、神経内科の先生に「寒いと症状が強く出るので、暖かくしてください」と言われました。いろいろ考えた末、海と自然が大好きで都会が嫌いな私は「せめて仕事ができる間は、暖かい奄美大島に移住する!!」と本気で言いはじめました。 反対されるかと思ったら、妻はあっさりと「あなたが行きたいならいいよ。一緒に行こう」と言ってくれました。 すぐに家族三人で奄美大島に行き、勤務先の病院と面接して働くことを決めました。 そのまま不動産屋に行き、家も決めて、息子の幼稚園まで決めて移住する準備が整った時に、「医局に戻って来てくれ」と大学の教授から連絡がありました。奄美大島の病院の院長にも教授から連絡があったらしく、泣く泣く移住を諦めて医局に戻りました。今思うと、医局に戻って同僚たちがサポートしてくれたおかげで、限界まで診療を続けることができたのですから、医局に戻ってよかったなと思います。 私は何ができるのか そんな、いつでもサポートしつづけてくれる妻に対して、私は何ができるのか? どうしたら妻を幸せにできるのか? 病気になる前は、そんなことは考えていませんでした。ただ当たり前に一生懸命仕事をして、一緒に子育てをして、お互い支えあって生きていくだけでした。 いろいろ考えました。考え抜いた結果は、今までとあまり変わりませんでした。 今の自分にできる仕事を一生懸命して、息子にはそんな父親の姿を見せることで、父親の役目を少しでも果たせるのではないかと思いました。 頼まない努力 妻とはどんな状態になっても、「介護する人→される人」の関係にはなりたくありません。あくまでも、日常のささいなことを話したり、一緒に音楽を聴いたり、テレビを見たり、子供の成長を二人で話し合いながら見守っていく「夫婦」の関係でいたいと思っています。 妻は、頼んだらいろいろやってくれます。しかし、頼むことが多くなるほど「夫婦」の時間が短くなっていき、妻の負担が増えていきます。だから私にできる誠意は「頼まない努力」をすることなのだと思います。 ヘルパーさんのいる時間帯に、体位変換や排泄や入浴や口腔ケアなど、日常で必要な動作はすべて終わらせて、妻しかいない時間帯は、ムセたときの吸引などの必要最低限の処置のみお願いするように心掛けています。 それでも間違いなく妻には大きな負担をかけてしまっていますが、それが私なりの、妻とうまくやっていく方法ではないかと思っています。 コラム執筆者:医師 梶浦智嗣 記事編集:株式会社メディカ出版

コラム

父親の背中

ALSを発症して6年、40歳の現役医師である梶浦さんによるコラム連載です。今回は、梶浦さんの「いちばんの治療薬」のお話。 将来はお医者さんになる 私の家には、私が講義をしている大学の看護学部の学生たちが、何人もヘルパーとして働きに来ています。その学生たちに、なぜ看護師になろうと思ったのか聞いてみたら、「キッザニアの職業体験で興味を持ったから」「助産師になりたかったから」「災害看護に興味があったから」などさまざまな意見がありました。いちばん多かったのは、「親が看護師や医師などの医療職だったので、その影響を受けた」というものでした。 実は私も、父親が医師(外科医)です。祖父も医師で叔父たちも医師という、医師家系で育ちました。周りに医師以外の職業がいなかったので、物心ついたころから、自分も将来医師になるんだろうと思っていました。 今でも覚えていますが、小学校受験のときのことです。 面接官に「将来何になりたいですか?」と聞かれ、「お医者さんになりたいです」。「なぜお医者さんになりたいんですか?」と聞かれて、「お腹を切りたいからです」と答えました。その小学校には落ちたらしい……(笑)。 カッコよかった父親の姿 そんな感じで、何となく、幼稚園児のころから医師という職業に興味を持っていましたが、小学校低学年でそれが確信に変わりました。 小学校1年生のある日、それまで元気いっぱいだったのに、急に血尿を出して倒れました。急いで父親の勤務先の病院に行って検査すると急性糸球体腎炎という病気で、そのまま一か月間入院しました。 そこで初めて父親の白衣姿を見ました。 ふだん家では、お酒を飲みながらテレビを見てぐーたらしている父親が、いろいろな人に「先生」と呼ばれて慕われていました。その姿が、とてもカッコ良く、誇らしかった。 そのときに、自分も将来お医者さんになろうと強く思いました。 「いいなあ、パパは」 自分にも息子ができて一人の父親になりました。私は息子が2歳のときにALSになったので、息子は病気になってからの私しか覚えていません。 もし病気になっていなかったら、たくさん一緒に遊んで、休みの日はサーフィンやバスケ(私は小学校から大学までずっとバスケ部だったので)を教えたり、勉強を教えたり、とにかく大好きな息子と一緒にいろいろなことをしたかった。そしてバリバリ働く父親の背中を見せてあげたかった。 今の息子には父親はどう映っているのだろうか。そんなことを何となく考えていたある日、息子にこんなことを言われました。 「いいなぁパパは、毎日寝ながらテレビを見てて楽しそうで。宿題もないしさー」 息子には寝ながらテレビを見ている父親として映っているのか!?と思いつつ、楽しそうに映ってくれているのであればいいかと思い、少し安堵しました。 いちばんの治療薬だ 息子も今では8歳になります。 息子には「パパはALSっていう、全身の筋肉がだんだん動かせなくなっていく病気なんだよ」と、小さいころから、病名や症状を包み隠さず伝えています。そのため、息子も幼いながら私の病気を何となく理解してくれています。そして、毎年七夕やお正月などの行事のたびに「パパの病気が早く治りますように」とお願いごとをしてくれます。 そんな息子の気持ちに後押しされて、「どんな状態になっても今できることを最大限頑張ろう。そしていつまでも息子にとって尊敬できるカッコいい父親でいたい」という前向きな気持ちになれます。どんな治療薬よりも、息子の存在がいちばんの治療薬だ! 息子よ、いつもありがとう!! 宇宙一のお医者さん そんな息子が最近、「将来は宇宙一のお医者さんになる!」と言いはじめました。 宇宙に医師はいるのか!?と心の中でツッコミつつ、スケールの大きい夢をキラキラした目で語ってくれる息子を微笑ましく見ていました。 私の家は医師家系ですが、親に「医師になりなさい」と言われたことは一度もありません。私も息子には好きな仕事についてほしいと思っています。 ただ、ベッドにへばり付いているこんな父親の背中が、少しでも息子に影響を与えられているのであれば、素直に嬉しいなぁと思うのです。 コラム執筆者:医師 梶浦智嗣 記事編集:株式会社メディカ出版

コラム

ALSの治療法について 〜栄養療法がとても大切!〜

ALSを発症して6年、40歳の現役医師である梶浦さんによるコラム連載です。ALSでは薬物療法と並んで栄養療法がとても大切です。 日本で承認されているALS治療薬 現在日本では、ALSにはリルゾールとエダラボンの二つが、治療薬として認可されています。 リルゾールは、神経伝達物質であるグルタミン酸の過剰興奮による、運動ニューロン(骨格筋を支配する神経細胞)の変性を抑える作用があるといわれるものです。人工呼吸器装着までの期間を3か月程度遅らせる効果があるとされていますが、生活の質(QOL)の低下速度を緩やかにする効果については言及されていません。 一方エダラボンは、もともと2001年に脳梗塞急性期治療薬として承認された薬剤です。細胞が傷害される原因の一つであるフリーラジカル(活性酸素)を取り除き、細胞を保護する作用を有することから、ALSに有効ではないかと考えられ、2015年に世界に先立って初めて日本で認可された薬剤です(アメリカでも2017年に認可されています)。 QOLの低下速度を緩やかにする効果があるとされていますが、人工呼吸器装着までの期間を遅らせる効果については言及されていません。 残念ながらどちらも満足した治療効果が期待できるとはいえないものの、ある程度の治療効果は認められており、発症早期から開始するほうがよいです。何よりも、前向きに治療をしている姿勢が、病気とともに生きていくうえで精神衛生上とても良い方向に働くと考えます。 私も発症早期から、どちらも積極的に開始しています。 体重を落とさないことが予後を良くするといわれている! これらの薬物療法に加えて、ALSでは栄養療法がとても重要と考えられています。 ALS患者さんでは、しばしば病初期から著しく体重減少を起こすことがあります。 原因としては、ALS特有の病初期〜中期(人工呼吸器を装着するまで)にかけての異常な代謝の亢進、病気の進行に伴う全身の筋肉量の減少、嚥下機能の低下に伴う食事摂取量の減少、呼吸機能の低下に伴う努力性呼吸(自然に呼吸ができないため、一所懸命に呼吸をすること)によるエネルギー消費量の増加、などが考えられますが、はっきりとしたことはわかっていません。 ただ、もともと体重の軽い人や、病初期からの体重減少のスピードが速い人は、病気の進行速度も速いというデータも出ており1)、体重減少を抑えることが重要であると考えられています。 また、最近の見解では、「ALSを発症した当初から体重を落とした群と、体重を落とさなかった群を比較すると、体重を落とさなかった群のほうが、人工呼吸器を装着するまでの期間が長く、QOLが低下する速度も緩やかである」2、3)という結果が出ており、食事と併せた高カロリー療法が、進行を遅らせる効果があるとされています。 効率的にカロリーをとる工夫 一般的に、カロリーを多くとることは、肥満や糖尿病や高脂血症などの原因としてマイナスなイメージがありますが、ALS患者さんではそんなことを言っている場合ではないと思います。すでに合併症のある方は注意が必要ですが、カロリーを多くとることを最優先に考えてもよいのではないでしょうか。 またALSは全身の筋力が落ちていく病気のため、筋肉の原料であるタンパク質を多くとろうと思われる人もいらっしゃいますが、ALS患者さんに必要なのはあくまでも体重を落とさないためのカロリーですので、タンパク質にこだわらず、糖質や脂質などもしっかりとることをおすすめします。 タンパク質と糖質は4kcal/g、脂質は8kcal/gですので、食事量を多くとるのが大変な人は、脂質を多く摂取したほうが効率よくカロリーがとれるのでおすすめです。 冷や奴に揚げ玉を追加したり、味噌汁にごま油を垂らしたり、ヨーグルトにオリーブオイルを混ぜたりと、方法は何でもよいかと思います。皆さんが食べやすい方法を試してみてください。 体重を減らさないために ちなみに、私は2015年に34歳という若さでALSを発症しました。まだまだ食欲もあり、一日でも長く「生きたい」「愛する家族と一緒にいたい」と強く思っていました。 なので、発症当初から、とにかく体重を減らさないように気をつけて食事をとるように意識し、いろいろなものを大盛りで食べていたら、結果的に半年間で体重が10kgも増えました。 体重を増やしたほうがよいのかについては、今のところ明確なエビデンスは出ていませんので、まずは体重を落とさないことを意識してみてください。 早めの胃瘻造設がおすすめ 栄養療法は、薬剤による治療ではないため見落とされがちですが、とても重要です! 経口摂取ができるうちは、体重を落とさないように意識して食事のメニューを考えましょう。そして、経口摂取に疲労を感じたら(できれば疲労を感じる前に)早めに胃瘻を作る。つまり、安定して栄養を摂取できるようにしておくことを、強くおすすめします。 胃瘻を作ったら経口摂取できないのでは?と誤解をされている患者さんもいらっしゃいますが、そんなことはありません。胃瘻を作っても今までどおり経口摂取できます。 実際私は、胃瘻を作ったあとも経口摂取を続け、胃瘻を使わない期間がしばらくありました。 ちなみに胃瘻を作る手術は、外科or消化器内科の医師が、上部消化管内視鏡(胃カメラ)を用いて行います。手術は原則的に仰臥位で自発呼吸下にて行うため、呼吸状態がある程度保たれていないと手術ができません。特殊なNPPV(非侵襲的陽圧換気。気管切開を行わないで、マスクを着けるだけの人工呼吸器)をつけながら手術ができる施設もありますが、手術の難易度が格段に上がり、患者さんの負担も大きくなってしまいますので、その点も考慮して、早めに主治医の先生とご相談することをおすすめします。 【参考】1)Shimizu,T.et al.Reduction rate of body mass index predicts prognosis for survival in amyotrophic lateral sclerosis:a multicenter study in Japan.Amyotroph.Lateral Scler.13,2012,363.2)Shimizu,T.et al.Prognostic significance of body weight variation after diagnosis in ALS: a single-centre prospective study.J.Neurol.266,2019,1412-20.3)Nakayama,Y.et al.Body weight variation predicts disease progression after invasive ventilation in amyotrophic lateral sclerosis.Sci.Rep.9,2019,12262. コラム執筆者:医師 梶浦智嗣 記事編集:株式会社メディカ出版 本コラムは執筆者個人の見解です。治療については主治医とご相談ください。

コラム

患者・家族の認識とグリーフケア

訪問特化型クリニックから、在宅緩和ケアのtipsを紹介する「家庭医が伝える在宅緩和ケア」。最終回は、在宅緩和ケアのなかでも難しさとやりがいが入り混ざる「患者・家族の認識とグリーフケア」について紹介します。 患者家族の受け入れ度合いはさまざま 終末期と一言でいっても、訪問診療や訪問看護に紹介されてくる患者さん・家族は、認識や受け入れの度合いがさまざまです。 在宅医療になって納得している人。納得していない人。前医の不平不満がある人。不安が強い人。現状を受け入れがたいと思っている人。 こうした患者さんとその家族に対して、皆さんはどのように考えて取り組んでいますか?私からは、一つ。エリザベス・キューブラー=ロスの「死の受容プロセス」をふまえてアセスメントすることをおすすめします。 キューブラー=ロスの死の受容プロセス ① 否認と隔離② 怒り③ 取引④ 抑うつ⑤ 受容 キューブラー=ロスによれば、死に直面した人間の感情は、おおよそ、①から⑤へと順を追って経過するといいます。順番が前後することもあるといわれ、実際に経験としても実感があります。 それでは、私が遭遇してきた臨床場面を例に、具体的に考えていきましょう。 ②「怒り」の時期 いちばんよく出会うのは、前医への不満や怒りがある患者さんとその家族の場合です。これは、②「怒り」のステージの状態です。 この段階のときは、ひたすら傾聴して、ときには相槌や、これまで経験してきた他の事例などもお話に交えながら、ためているものを吐き出してもらいます。 ためているものをここで一定程度出していただかないと、次の受容段階に進みません。そして、これから緩和ケアを提供していくなかで、どんな声掛けが合っているのかがつかみにくい状況になってしまいます。 これまでの経過や感情を出してもらうことを最優先として、特に初回・2回目の訪問では、病状の変化ももちろん重要ですが、傾聴してこれまでの経緯や感情をとらえることを最優先事項にします。 できれば「在宅医療が入ってくれたから苦痛が緩和された」「食事や排泄の負担・不安が軽減された」と感じてもらえるアプローチも同時にできると、怒りの消化とともに、在宅医療への信頼感の熟成につながる印象です。 ③「取引」と④「抑うつ」の時期 この時期が他の段階と比べても悲嘆が強い印象で、これらの時期と判断した際は、ケアの合間やケアが終わった後に心情をお聞きして、相槌をうちながら傾聴するのが重要です。 特に本人や家族が不安として抱えていることについて、専門職が訪問するたびに吐き出してもらうことを意識します。 傾聴や、さまざまな質問に答えながらコミュニケーションを重ねることは、より受容を促します。「これから先どうなっていくのか」という不安を支えていくことが、この時期の専門職の重要な役目と思います。 ⑤「受容」に至った状態 「受容」に至ったと判断すれば、あとは、どんな最期になるかを説明したり、それに向けて準備をしてもらったりを促していきます。 特に最近、私自身が強く感じるのは、病状経過の説明だけでなく、銀行関係の話、葬式業者の話など、死後の社会的な手続きについても、少しでよいので言及することが大事だと考えています。それこそ、死後の処置としてエンゼルケアをするかどうか、といった話もあらかじめ具体的に詰めておくことが重要でしょう。また、お会いになりたい家族・親戚がいないか、いたら早めに会いに来てもらうよう勧めることも、ケア職の大事な役目です。 かかわりはじめからグリーフケアが始まっている 個人的な経験として、キューブラー=ロスの死の受容プロセスをしっかり通ると、死前のグリーフケアも非常にうまくいく印象です。このため、終末期にかかわる専門職は、「在宅緩和ケアでかかわった瞬間からグリーフケアが始まっている」という認識で臨むことが重要だといえるでしょう。 トータルペインの考えかたは前回お話ししましたが、かかわる時点でさまざまな側面の苦痛をアセスメントし、それぞれにアプローチしていくだけでも、かなり骨が折れる作業ではあります。ですが、今回の「患者・家族の認識とグリーフケア」のように、患者さんとその家族の感情面や葛藤にフォーカスした専門的アプローチも、相当重要な位置を占めると私は考えています。 事例から得る学びを糧にする 終末期の事例は、やること・意識することが非常に多いのですが、経験を重ねていくほど似た場面も経験します。まったく同じ事例はないのですが、それまでの経験を糧にして目の前の事例に応用できると、個人的経験からも思います。 ですので、一つ一つの終末期事例の経験を大事に、自らの糧にしていくよう心がけてください。特にデスカンファレンスなど他者と振り返る機会は、自分が気づかなかった視点を得られる重要な機会です。ぜひ、かかわった職種で振り返る機会をつくることをおすすめします。 私が好きな「コルブの経験学習サイクル」1)という考えかたがあります。簡単にいうと、経験を振り返って知恵を紡ぎ出し、明日に生かすという学びのサイクルです。 一つの終末期事例の経験をしたら、しっかり振り返ることで、概念化、いわゆる教訓や気づきを言語化し、次の事例に適応させていく。そんなサイクルを忙しい在宅の臨床業務のなかでもしっかり回していってもらえれば、徐々に終末期の対応力が上がっていくと思います。 連載のおわりに さて、看取りの作法について、全3回取り扱ってきましたが、いかがでしたでしょうか? 看取りの1週間前に今後起きることについて説明することも、トータルペインでアセスメントして多面的なアプローチをすることも、キューブラー=ロスの死の受容プロセスを活用することも、かなり実践的なものだと思って、本連載で紹介させていただきました。 皆様の明日からの臨床現場での参考にしてもらえれば幸いです。 著者田中 公孝2009年滋賀医科大学医学部卒業。2015年家庭医療後期研修修了し、同年家庭医療専門医取得。2017年4月東京都三鷹市で訪問クリニックの立ち上げにかかわり、医療介護ICTの普及啓発をミッションとして、市や医師会のICT事業などにもかかわる。引き続き、その人らしく最期まで過ごせる在宅医療を目指しながらも、新しいコンセプトのクリニック事業の立ち上げを決意。2021年春 東京都杉並区西荻窪の地に「杉並PARK在宅クリニック」開業。 杉並PARK在宅クリニックホームページhttps://www.suginami-park.jp/ 記事編集:株式会社メディカ出版 【参考】1)Kolb,DA.Experiential Learning:experience as the Source of Learning and Development.Englewood Cliffs,Prentice Hall,1984.

コラム

看護師の皆さん!ALSに対するイメージで勝手に壁を作っていませんか?

ALSを発症して6年、40歳の現役医師である梶浦さんによるコラム連載です。難病患者とあまりかかわったことのない看護師さんに特にお伝えしたい、ALS患者の願いです。 ALSに対するイメージで、壁を作っていませんか? 看護師の皆さんはALS患者に対してどんなイメージを持っているでしょうか。 ALS患者とあまり接したことがない看護師さんの多くは、「コミュニケーションのとれないやっかいな患者」「何を考えているのかわからない」「どう接すればよいのかわからない」そんなイメージを持っているのではないでしょうか。 入院は「どaway」 私は2021年2月に気管切開と声門閉鎖手術を行いました。コロナの影響でヘルパーさんの付き添いが認められず、一人きりの入院でした。 ふだんは、私の性格や行動パターンを理解して、会話もスムーズにできる家族やヘルパーさんや看護師さんたちに囲まれて、楽しく快適に暮らしています。まさに「home」です。しかし、一人きりの入院となると、私のことをまったく知らない人たちに囲まれての生活です。まさに「どaway」。 主治医を信頼していたので手術に対する不安は全然ありませんでしたが、一人きりになることが、不安で不安でしかたありませんでした。 皆さんも、自分に置き換えて想像してみてください。体が動かせず、通訳もいない状態で、言葉の通じない病院に一人きりで入院する感じです。想像しただけも恐ろしい……。 文字盤も説明書も手作りボードも使われず…… なので、いろいろ対策をしていきました。もちろん初対面で文字盤を使い、コミュニケーションをとることは難しいとよくわかっていたので、文字盤の使いかたを書いた説明書と、いろいろな種類の文字盤を持参しました。それでも使えないときのために、あらかじめ、「頭を置き直して」「足を曲げて」「iPadをセットして」「痛い」「苦しい」など、伝えたくなるであろうことを書いたボードも持参しました。 実際に持参したボード ですが、それすらほとんど使ってもらえませんでした。声も出せず、目以外ほとんど動かせない自分と、積極的にコミュニケーションをとってくれようとした看護篩さんは、ほとんどいませんでした。ある程度想像していたものの、ここまでとは思いませんでした。 誰か一人でもコミュニケーションをとろうとしてくれたら 入院中にこんなことがありました。 手術後ICUにいたとき、体勢を整えた際に枕が高すぎて首が前屈し、気切部のカニューレが圧迫されていました。このときから、部屋にいた看護師さんに苦しい合図を出していましたが、目を合わせてもらえず、合図は届きません。看護師さんが離れ、何とか足元のナースコールを押そうとしてもがいていたら、体がずり下がり、首の前屈が強くなりました。徐々に気切部のカニューレが閉塞し、呼吸ができなくなっていきました。 SpO2が下がりアラームが鳴って、看護師さんたちが集まって来たときには、すでにSpO2は80%台。私は必死で「首」「首」と心で叫びながら目で合図を送り続けていましたが、誰にも届きません。 SpO2が70%台まで下がり、苦しすぎて気を失いかけたとき、ようやく首が前屈しておりカニューレが閉塞していることに気がついてくれて、首の位置を直してもらい、なんとか立ち直りました。 誰か一人でも私とコミュニケーションをとろうとしてくれていれば、こんなことにならなかったのに……。 下手でもいいんです なぜコミュニケーションをとろうとしてくれないのだろうか? 看護をしたい気持ちがないからだろうか? 違います。看護師の皆さんからは、看護をしたい気持ちは伝わってきます。 ただ、「話し掛けてもコミュニケーションをとれるのだろうか」「話し掛けてもコミュニケーションがとれないなら、なるべくかかわらないほうがよいのでは」 そんなふうに考え、未知のものに触れる不安で、一歩を踏み出す勇気が出ないのだと思います。 私のような難病患者は、はじめから上手にコミュニケーションをとれるなんて、思っていません。たどたどしくてもいい、下手でもいい、ただ勇気を出して話し掛けてくれさえすれば、こちらはコミュニケーションをとれる方法を準備して、待っています。 なので、ALSなどの難病患者とあまりかかわったことのない看護師の皆さんには、この記事を読んで、一歩前に踏み出す勇気を持ってもらえたら嬉しいです。 コラム執筆者:医師 梶浦智嗣 記事編集:株式会社メディカ出版

コラム

訪問看護師 兼 ヘルパー 最強説!

ALSを発症して6年、40歳の現役医師である梶浦さんによるコラム連載です。訪問看護師と一言でいっても、その働きかたはいろいろあるのです。 皆さんはなぜ、訪問看護を選びましたか? 前回までALSにfocusを当てていましたが、今回は訪問看護師にfocusを当ててお話をしたいと思います。 このコラムを読んでくれている訪問看護師の皆さんは、なぜ訪問看護師の道を選んだのでしょうか。 多くの方は、病棟勤務を経て訪問看護の道に進むと思いますが、 病棟勤務に疲れたから? 家庭ができて夜勤が難しくなったから? 確かに病棟勤務の看護師さんは、日勤と夜勤をこなさいといけないので、体力的にもとても大変です。また、人間関係など看護業務以外の問題で病棟を離れる方もいるでしょう。 患者さんの退院後まで考える余裕がなかった 余談ですが、私は大学病院で働いていたころ、皮膚科病棟の病棟チーフをしていた時期があります。病棟に入院している20~30人の患者さん全員の主治医をしていました。 毎日何人もの患者さんが退院し、入院します。そのたびに病歴を把握して治療方針を決めて、何とか良くして退院させることだけを毎日考えていました。月6~8回の当直と、毎日オンコールで24時間何かあったら病院から呼ばれる生活が続きました。充実していましたが、かなり疲れており、正直、退院した後の患者さんの生活まで考える余裕がありませんでした。 ただ、自分が病気になってみて初めて気がつきましたが、私のように、入院期間は病気のほんの一瞬であり、在宅加療がメインである患者さんも多くいます。そういう患者さんの生活を長期的に支えてくれる訪問看護師さんは本当に、大切で、ありがたい存在です。 『病人を診よ』を実現できる訪問看護 大学病院や、急性期患者さんを診る市中病院では、目まぐるしく患者さんが入れ替わります。医師も看護師も「病気」を良くすることを入院期間のエンドポイントと考え、なかなか一人の患者さんとゆっくりと向き合うのが難しいことがあります。 「病気を診るのではなく、病人を診よ」。ナイチンゲールの看護理念に基づく言葉ですが、私は、これが医療の本質だと思います。 今思うと、大学病院で働いていたころの私は、病気を診ることに精いっぱいで、この言葉を実現できていなかったと思います。しかし、これを実現できることが、まさに訪問医療・訪問看護の醍醐味ではないでしょうか。 たとえば私のようなALS患者にしても、症状は皆違うし、病気との向き合いかたや、どのように生きたいかも皆違います。ひとりひとりの患者さんとしっかりと向き合って、患者さんの意思を尊重し、寄り添いながらじっくり看護したいと考え、訪問看護師の道を選んだ人もいるでしょう。 訪問看護師になってみて、皆さんの現実はどうでしょうか? じっくり看護ができて充実していると思えている人もいるだろうし、実際は限られた時間であれもやって、これもやってと、忙しく過ごして、急いで次の訪問先に向かって、じっくり看護ができていないと思っている人も少なからずいるのではないでしょうか。 そこで、「訪問看護師兼ヘルパー最強!」説。 訪問看護師兼ヘルパーさんとのwin-winな関係 今、私のところに、訪問看護師兼ヘルパーさんとして働いてくれている人がいます。その人は、看護師として来てくれて、看護時間が終わったら、そのまま重度訪問介護の枠を使ってヘルパーさんとして入ってくれます。 私にとっては結果的に看護師さんに長時間入ってもらえることになるので、非常に心強い。熱が出たり、急に体調を崩したりしても、その場でバイタルチェックをして、必要であれば主治医にすぐに連絡してくれます。通常のヘルパーさんであれば、まず訪問看護師さんに連絡して、看護師さんの判断を待ってから主治医に連絡する流れになるので、その一手間を省けるのはとても大きいのです。 そして何よりも、長時間一緒にいるので、お互いの信頼関係が作りやすい! その看護師さんも、一か所で長時間働けるので、移動や時間に追われるストレスがなく、ゆっくり看護・介護ができ、働きやすいと言ってくれています。まさにWin-Winな関係。 このように、看護と介護を組み合わせたハイブリッドな事業所もあり、一言で「訪問看護師」といってもいろいろな働きかたがあるなぁと感じたので、取り上げてみました。 コラム執筆者:医師 梶浦智嗣記事編集:株式会社メディカ出版

コラム

訪問看護の社長業~創業経営者 水谷氏から学んだこと 方針の徹底について~

この連載も第13回が締めの内容になります。水谷和美著『訪問看護の社長業』(※1)をお読みになった方においては、当連載を併せて読んでいただくと、より腑に落ちる内容だったと思います。実践実務に至るまでの理念・哲学・思想を少しでも皆様へお伝えできればと思い、水谷氏の許可を得て、経営の方針の肝となる部分を紹介致しました。 最終となる今回は、いかに方針を社内に浸透させ、徹底するかについてお伝えします。 方針の徹底について お客様満足向上のため、理念浸透のため、水谷氏は「上長こそが自らを律して取り組む姿勢が大事」と強く説きます。 1.スタッフ入社時には、社長が2時間以上方針の説明を直接行って、価値観を共有します。※会社規模が小さくても大きくなっても、入社時の説明は徹底して実践していました。 2.創業時より、経営方針書をもって経営哲学・思想・事業計画・運営方針を共有したいと強く念じております。経営方針書は、社長自らが渾身の想いで現在の安定と将来の成長を導く手順を描いております。経験則に基づいたこの内容を実践すれば、業界最優良企業を継続できる自信があります。全員で周知徹底して誠実に遵守してください。 3.毎朝9時からの朝礼で、全員で声を合わせ、日替わりで1ページずつ朗読してください。 4.経営方針を確実に実行し、決めたこと、決められたことは必ず守ってください。コーポレートガバナンス(企業統治)の基本であり、コンプライアンスを順守するためです。 5.  経営方針の違反者は人前で必ず叱る。少しの違反でも毅然と注意してください。 6.  不平・不満は限界がなく、自分で努力しないで、他人に寄りかかる醜い姿です。 7.  管理職・管理者は、この方針を率先して、部下に遵守させることが仕事です。 経営哲学・思想・事業計画・運営方針(の基本~応用)・短期~中長期事業計画まで、年度ごとに更新・説明された経営方針書を水谷氏は何より大事にしておりました。組織の形態は日に日に変化しますが、ここ書かれたことだけはぶれずにやりきるという社長の執念とも言うべき強い想いが、社員に浸透してこその経営方針です。「失敗しても、やり続けて成功すれば失敗ではない」というのが水谷氏の口癖ですが、どうぞこれから起業される方も、今悩んでいる方も、参考にしていただければと思います。 短い間ですが、連載コラムをお読みいただきありがとうございました。それでは、またどこかでお会いしましょう!!! ** 一般社団法人訪問看護エデュケーションパーラー理事長  上原良夫 【略歴】2012年ソフィアメディ(株)入社。訪問看護事業の営業開発課長・教育研修事業部長・介護事業統括部長・医療連携推進室長を経て、(株)CUCの支援医療法人の訪問診療事務長、在宅事業企画担当。2020年7月より一般社団法人訪問看護エデュケーションパーラー理事長に就任。訪問看護事業の教育研修企画・ 各種 コンサルティング、業務委託においてアームエイブル(株)ゼネラルマネージャー兼務 【参考】※1 水谷和美著(2020)『訪問看護の社長業』,日本医療企画.

コラム

訪問看護の社長業~創業経営者 水谷氏から学んだこと 評価についての方針~

第12回は「評価(人事評価制度)についての方針」を紹介します。人が人を評価・査定して給与の昇給額を決定するわけですが、公平・適正・透明性が重要です。評価の項目や基準が明らかで、成果が適切に昇給や昇進に結び付くことが分かれば、社員は納得して目標や業務の達成に励みます。結果として、社員の会社へのエンゲージメント(貢献度)が高まり、また会社の成長・業績へも貢献してくれます。評価制度は社員と会社の成長を促す重要な役目も担っているのです。 好き嫌い判断を最小限にする 1.管理職、専門職、総合職、事務職別の評価シートに基づき、①会社・事業所成績、および個人成果(売上貢献度)による定量評価 ②上司による定性評価③自己による定性評価上記3つの加重平均値を出して、評価ランキングを基準に評価します。 2. 成績、成果等定量による評価が50%、上司からの定性評価が35%、自己評価が15%の割合で評価ランキングを付けます。正社員も非常勤社員も同様に評価します。 3.評価ランキングは、S・A・B・C・Dの5段階に分類します。Sランクが当然一番昇給します。Dランクは相当危惧が大きく、継続困難も視野に入れて対応します。 S=95点以上A=85~94点B=65~84点C=50~64点D=49点以下5%10%70%10%5% 4.クレーム・遅刻などの勤務不良・ご批判・トラブルが多くあるスタッフは、当然低評価になります。 5.昇給原資は、雇用契約内容、事業所の売上・利益計画の達成とも連動します。とはいえ、基本的には、社員各自の労働生産性が向上したかどうか(計画の達成率)を評価することが肝要です。 6.正社員、非常勤社員、時給制社員とも、報酬基準表(等級号俸表)に基づく管理とします。 7.職種別評価判断基準の概要①管理職/管理者   :会社・事業所の経営計画に対しての実績が評価基準            (達成=80点)②専門職       :計画訪問数達成=80点が基準③一般総合職・事務職等:担当事業の計画達成=80点が基準 もともと多くの企業では一般的に年齢や勤続年数に比例して給料や地位がアップする年功序列制度を採用していました。ただし現状は日本型の雇用システムは衰退の一途をたどっています。医療・介護業界の人事評価においても、年功序列型から、仕事の結果や業績、貢献度などで評価する「成果主義」、プロセスも評価する「能力主義」へと変わってきています。水谷氏はソフィアメディ創業当初から一貫して、賞与や細かな手当ばかりで額面を増やす給与体系ではなく、年俸制の給与体系を主軸として採用していましたが、「成果主義」「能力主義」の先駆けだったのではないでしょうか。今後の業界動向(介護保険報酬など)を鑑みても、この評価・給与体系はますます主流になってくるものと思いますので、まずは前述の方針を基本として参考にすることをおススメします。 さて「水谷氏から学んだこと」もいよいよまとめです。絵にかいた餅にならないよう、どのように方針を浸透させていくかが、実はたいへん重要です。次回は「方針の徹底について」お話しします。 ** 一般社団法人訪問看護エデュケーションパーラー理事長  上原良夫 【略歴】2012年ソフィアメディ(株)入社。訪問看護事業の営業開発課長・教育研修事業部長・介護事業統括部長・医療連携推進室長を経て、(株)CUCの支援医療法人の訪問診療事務長、在宅事業企画担当。2020年7月より一般社団法人訪問看護エデュケーションパーラー理事長に就任。訪問看護事業の教育研修企画・ 各種 コンサルティング、業務委託においてアームエイブル(株)ゼネラルマネージャー兼務

あなたにおすすめの記事

× 会員登録する(無料) ログインはこちら