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第2回 みんなの訪問看護アワード 投稿のきっかけは?
第2回 みんなの訪問看護アワード 投稿のきっかけは?
インタビュー 会員限定
2024年5月7日
2024年5月7日

第2回みんなの訪問看護アワード 投稿のきっかけは? 特別トークセッション 前編

2024年3月9日(金)に、銀座 伊東屋 HandShake Lounge(東京都中央区)にて開催した「第2回 みんなの訪問看護アワード」表彰式。エピソードを投稿された方をはじめとしたゲストの皆さまに全国からお越しいただき、表彰、特別トークセッション、懇親会などで盛り上がりました。ここでは、特別トークセッションの内容をピックアップしてお届けします。 ファシリテーターに東京医科歯科大学 国際健康推進医学 非常勤講師 長嶺由衣子さんを迎え、エピソードを投稿した背景や、訪問看護の領域で働くことを選んだ理由、この仕事の魅力などを、3人の受賞者の皆さまにお話しいただきました。前編では、エピソードを投稿したきっかけやその背景を深掘ります。 【ファシリテーター】長嶺 由衣子(ながみね ゆいこ)さん東京医科歯科大学国際健康推進医学 非常勤講師【登壇者】白﨑 翔平(しらさき しょうへい)さんいま訪問看護リハビリステーション(大阪府)「みんなの訪問看護アワード2024」入賞投稿エピソード「秋ひまわりプロジェクト:外出のきっかけづくり」新田 光里(にった あかり)さん@(あっと)訪問看護ステーション(東京都)「みんなの訪問看護アワード2024」入賞投稿エピソード「100年ぶりに入浴したU子さん」小野寺 志乃(おのでら しの)さん公益財団法人 宮城厚生協会 ケアステーション郡山「みんなの訪問看護アワード2024」入賞投稿エピソード「余命を伝えないということ。」 ※以下、本文中敬称略※本記事は、2024年3月時点の情報をもとに構成しています。 宮城・東京・大阪の受賞者が登壇 長嶺: はじめまして、長嶺と申します。本日は皆さまにお話を伺えることを楽しみにしていました。いろいろと深掘りしていきたいのですが、まずは、訪問看護歴と簡単に自己紹介をお願いします。 小野寺: 「ケアステーション郡山」で働いている小野寺志乃と申します。郡山というと福島を思い浮かべる方が多いと思いますが、宮城県仙台市の郡山から参りました。1年8ヵ月ほど病棟で勤務したのち、早くから経験を積みたいと思って、組織内で異動して3年前から訪問看護師として働いています。本日はよろしくお願いします。 新田: 東京都立川市の「@(あっと)訪問看護ステーション」で働く新田光里です。看護師歴は20年ほどで、訪問看護師歴は14年を超えました。救急救命士として働きたいという思いもあったのですが、色々あって今は訪問看護師として、毎日自転車で利用者さんのお宅をまわっています。投稿エピソードに書ききれないほどの濃い日々を過ごし、利用者さんから学ばせていただいています。本日はよろしくお願いします。 白﨑: 大阪府の「いま訪問看護リハビリステーション」で作業療法士をしている白﨑翔平です。看護師である母の勧めで作業療法士の資格を取得し、現在13年目です。社会人1年目は三次救急に興味があったので病院で働き、ICUや病棟の看護師さんに色々と教えていただきました。20代半ばで外出介助のボランティア団体を立ち上げていて、こうした経験が今回のエピソードにもつながっていると思います。よろしくお願いします。 雑木林をひまわり畑に!利用者さんが外出するきっかけづくり 長嶺: ではまず、皆さんのエピソードをそれぞれ深掘りしていきましょう。白﨑さんから、このエピソードを投稿しようと思ったきっかけを教えてください。 白﨑: はい。今回の「秋ひまわりプロジェクト」でも協力してもらった同僚の訪問看護師さんに、「みんなの訪問看護アワード」の存在を教えてもらいました。本当は通院以外で外出しない利用者さんの外出するきっかけになればと思って「ひまわり喫茶」を企画していたんですが、残暑の影響でひまわりの開花が早く、実現できず残念に思っていたので…。そういった気持ちを昇華するためにもすすめてくれたんです。 長嶺: 白﨑さんが残念がっていたのが、きっかけだったのですか(笑)? 白﨑: そうですね(笑)。「ひまわり喫茶」をどうしてもやりたくて、企画書を書いて社長に提出し、予算もつけてもらっていたんです。ひまわり畑を作って、利用者さんにはひまわり畑を眺めながら担当の療法士や看護師との会話を楽しんでほしいと考えていました。テントを用意し、利用者さんへの招待状も全部送り終えていたんです…。準備万端だったので、中止になってとても残念でした。 長嶺: 雑木林をひまわり畑にされたんですよね。きっかけや経緯をもう少し詳しく教えていただけますか。 白﨑: きっかけは、一人の利用者さんとの出会いです。外出できるぐらい体調が落ち着かれたのですが、出かける目的がないから外出されていないとのこと。お花が好きな方だったので、お花畑があれば「お花を育てる役割」ができ、水やりをしに行くという外出目的が生まれると思ったんです。事務所の側にある雑木林をお花畑にしたいと思い、少しずつ整備していきました。 長嶺: お花畑を作ることが利用者さんの社会参加につながると考えたんですね。行動に移されたことが素晴らしいと思うのですが、一人で実行されたのでしょうか。 白﨑: 最初は、休日に雑木林へ一人で行って伐採していました。でも、土日担当の看護師さんに、徐々にバレ始めまして(笑)。そこから、その看護師さんが草刈りを手伝ってくれるようになり、他のスタッフもイベント企画に協力してくれるようになりました。 長嶺: 訪問看護ステーションが地域の資源や拠点となるんだと改めて教えてもらえるエピソードですね。純粋に、「すごいことをする人たちがいるんだな」と感動しました。ありがとうございます。 1年かけて信頼関係を築き、数年ぶりの入浴を実現 長嶺:続きまして、新田さんにエピソードを投稿したきっかけを教えていただきましょう。 新田:所長から回覧された昨年の受賞エピソード集を見たときに、今回のエピソードに登場するU子さんの笑顔が浮かんだんです。92歳で認知症があって、いろいろと看護は大変だったのですが、エピソードを書くことで、当時の気持ちをほかの看護師さんにも共有できる機会になると思いました。U子さんとのエピソードは本当にたくさんあるので、400字にまとめるのは大変でしたが、訪問看護のリアルさが伝わればいいなと思いながら書きました。 長嶺: 特にエピソードの最後の部分は臨場感が溢れていて、看護されているリアルな光景が思い浮びました。新田さんは、当初入浴を受け入れてくれない認知症のU子さんに憤りを感じていたということでしたが、憤りというのは、こうあるべしというイメージを今までの経験からあてはめてしまう専門職だからこそ沸き起こる感情だと思います。所長さんの助言が思考の転換になったんですよね。 新田: はい。以前の私の職場は救急部門で、当時は「ミッションをクリア」していくことが求められていました。その名残もあって、「皮膚トラブルを解消するために、どうしたら入浴してくれるか」と必死だったんです。しかし、一生懸命になればなるほど、U子さんには受け入れてもらえませんでした。まずは私の顔を認知してもらおうと、私の顔写真をお仏壇の隣に置いたり、低栄養で低ナトリウム血症があったので昼食を買っていってU子さんのお宅でランチしたり、いろいろとチャレンジしました。食事を一緒にすれば仲良くなれるかな、とも思ったんですよね。 こういった取り組みによってU子さんとの距離は近づいていきましたが、なかなかお風呂に入っていただくことはできませんでした。そんなとき所長から、「まず、あなたがU子さんを好きにならないとね」と助言をもらい、ハッとしたんです。入浴してくれないし、こだわりが強いし、私はU子さんを苦手になっているのかもしれない…と。それからは、U子さんの素敵なところに目を向け、U子さんの好きな「リンゴの唄」を一緒に歌ったり、戦時中の体験談を傾聴し労いの言葉をかけたり…といった関わり方を続けました。そして、1年ほど経ったころに、ようやく入浴につながったんです。所長は「利用者さんを大切に思いなさい」ということを、教えてくれたのだと思います。 長嶺: ありがとうございます。一緒に食事をして距離感が縮まるというのは、私も経験があります。入浴に成功した後、どうやって継続していくのかも大事であり、かつ難しい点だと思いますが、後日談はありますか? 新田: 「ピンクの服を着た新田が来ると、お風呂に入れる」という流れができて、しばらくは入ってくださっていたんです。ですが、長男が風邪をひいて私が仕事を休まないといけなくなって、別の看護師に行ってもらったら、それをきっかけに入浴されなくなって…。そのままご自宅で、お一人で旅立たれました。ルーティンが少しでもズレてしまうと、継続できなくなる認知症高齢者の難しさや厳しさについても、U子さんに教えていただきました。 長嶺: 同じ人じゃないと、継続できなかったということですね。受賞された時の周りの反応はいかがでしたか? 新田: 「よかったわね」と所長は喜んでくれましたし、受賞を報告した同僚の皆さんも「U子さんのお話を書いたなら賞をもらうよ。だって一生懸命頑張って関わっていたじゃん」と言って喜んでくれました。U子さんはうちのステーションの中でも名物おばあちゃんだったので、苦労も多かったですが皆に愛されていたのだなとも感じました。 3年前の3月11日に天国へ旅立ちましたが、U子さんはきっと、「私のおかげで受賞したのよ!」と言っていると思います(笑)。私も「U子さんのおかげでこんなに華々しいところに来れたよ!」と報告したいです。 長嶺: ありがとうございます。素敵なエピソードでした。 ご家族から「余命を伝えないでほしい」と頼まれたときのアプローチ 長嶺:続いて訪問看護歴3年目の小野寺さんです。エピソードを投稿しようと思ったきっかけを教えていただけますか。 小野寺: 施設内のスタッフへの連絡ボードを見て、投稿エピソードの募集の存在を知りました。「何か投稿しようかな」と思ったときに浮かんだのが、昨年の初夏に出会った60代で末期がんの男性利用者さんでした。「余命は伝えないでほしい」というご家族の要望がある中で、次第に具合が悪くなっていくご本人から「いつまで生きられるのか」と質問され、どう答えればいいのかわからず悩みました。訪問するたびに「帰りたい…」という気持ちになってしまって…。一番つらいのは利用者さんと支えるご家族なのに、私がこんな状態ではダメだと思いました。 そこで先輩の訪問看護師にどんなふうに声をかければいいのか相談したところ、「ただ話を聞いてあげるのも看護だよ」と助言をもらったんです。それ以降、模索しながら自分なりにコミュニケーションを取るようにしました。ご本人はつらかったと思いますが、そんな中でもご家族と温かい時間を過ごされていたのがとても印象的で、このエピソードを選んで投稿しました。 長嶺: 訪問看護歴に関わらずかもしれませんが、「余命を伝えない」という葛藤に皆さんも直面したことがあるのではないでしょうか。利用者さんが死期を悟り、「会いたい人がいる」と言われたことを知ったとき、何を思いましたか。 小野寺: 医師からあと2、3日が山になると言われた時から緊急コールが頻繁に鳴るようになり、「いよいよか」と心の準備をしていました。そして、利用者さんは家族・親戚に囲まれて息を引き取られました。翌日聞いた話では、亡くなる日の朝に「会いたい人に会わせてくれ」とおっしゃっていたそうです。余命は伝えなかったけれど、自分のことは自分が一番分かるんだろうなと思いました。自分で悟り、やりたいことをやりたいという気持ちになったんだろうなと。 長嶺: ありがとうございます。私は、ご本人の希望があれば余命を伝える派です。ただ、ご本人とご家族で伝えて欲しいかどうか意見が分かれることもあります。日本の場合、ご家族の意向を尊重する傾向があり、患者さんの意向なのに本人がなぜ知ることができないんだと思うこともあります。もちろん、ご家族から「余命を伝えないで欲しい」といわれれば尊重しますが、ただ、「ご本人が知りたいと言われたら、私は恐らく伝えると思います」とも言います。 絶対に伝えたいというわけではなく、本人の意思をどうすれば尊重できるのかという考えが根底にあるからです。私は、医師だから余命を伝えることができるケースがあるのですが、「余命を伝えないでほしい」とご家族から言われたとき、看護師の皆さんはどのようなアプローチをされているのでしょうか?手を挙げてくださった、受賞者の鳥居さんはいかがでしょう。 鳥居: 私も同じような経験があります。看護師は余命を言えません。その代わりに体の変化を伝えていくようにしています。「徐々に寝ている時間が増えてきますよ」「飲み物を飲めなくなってきますよ」といった体の変化を伝えていくと、ご自分で余命を悟られる方もいらっしゃいました。 長嶺: 言い方を変えながら、伝えていくということですか。 鳥居: そうですね。つい最近、お看取りした90代の方も同じような状況でした。ご本人は死期を悟っていたようで、「どうしてそのように(死期が近いと)思われるのですか?」と聞くと、「〇〇ができなくなってきたし、最近、俺、よく寝ているんだよな」と。「最期は苦しいのか?」「どんなふうになるんだ?」と私に質問されたので、「お休みになっているときはつらいですか」と聞き返したら、「いや。俺は寝ている時間に、そのまま逝くのかな」と話されていました。その後、吐血をするなど大変でしたが、ご家族にも死への準備教育をしていたので、「吐血をしたのですが、事前に聞いていたので慌てずに済みました」とおっしゃっていただき、最後までご自宅で介護され、看取ってくださいました。28年間訪問看護師をやっていると、余命を伝えないでとご家族から頼まれた経験はたくさんあります。でも、ほとんどの場合、ご本人はわかっていたように思います。 * * * 次回は、訪問看護の世界に身を置いた経緯や訪問看護の魅力を世の中に伝えるアイデアなどについて語り合います。>>後編はこちら第2回みんなの訪問看護アワード 訪問看護の魅力 特別トークセッション 後編 取材・執筆:高島 三幸編集:NsPace編集部

第2回みんなの訪問看護アワード 訪問看護の魅力
第2回みんなの訪問看護アワード 訪問看護の魅力
インタビュー 会員限定
2024年5月14日
2024年5月14日

第2回みんなの訪問看護アワード 訪問看護の魅力 特別トークセッション 後編

2024年3月9日(金)に、銀座 伊東屋 HandShake Lounge(東京都中央区)にて開催した「第2回 みんなの訪問看護アワード」。エピソードを投稿された3人の受賞者のみなさんと、東京医科歯科大学 国際健康推進医学 非常勤講師 長嶺由衣子さんによるトークセッションの前半では、投稿してくださったエピソードの背景を深掘りしました。後半では、訪問看護の領域で働くことを選んだ経緯や、この仕事の魅力、それを周囲に広める方法などについてお話しいただいた内容をお送りします。 >>前編はこちら第2回みんなの訪問看護アワード 投稿のきっかけは? 特別トークセッション 前編 【ファシリテーター】長嶺 由衣子(ながみね ゆいこ)さん東京医科歯科大学国際健康推進医学 非常勤講師【登壇者】白﨑 翔平(しらさき しょうへい)さんいま訪問看護リハビリステーション(大阪府)「みんなの訪問看護アワード2024」入賞投稿エピソード「秋ひまわりプロジェクト:外出のきっかけづくり」新田 光里(にった あかり)さん@(あっと)訪問看護ステーション(東京都)「みんなの訪問看護アワード2024」入賞投稿エピソード「100年ぶりに入浴したU子さん」小野寺 志乃(おのでら しの)さん公益財団法人 宮城厚生協会 ケアステーション郡山「みんなの訪問看護アワード2024」入賞投稿エピソード「余命を伝えないということ。」 ※以下、本文中敬称略※本記事は、2024年3月時点の情報をもとに構成しています。 「次のチャレンジ」を提供したい 長嶺:ここからは、訪問看護の領域で働くことを選んだ経緯などを伺おうと思います。白﨑さんは作業療法士として、なぜ訪問看護の領域で働いていらっしゃるのでしょうか。 白﨑: 僕は、社会人1年目から救命救急センターの重症の患者さんが多くいらっしゃる現場で働きました。そこでは、患者さん本人が将来に希望を持てず、リハビリをやめてしまい、何かを諦めてしまう現状を度々目にしてきたんです。 働き始めて3年ほど経ったある日、バイクの事故に遭った少年の、次の病院に移るまでのリハビリを担当することになりました。ある日病室に行ったら、毎週彼が読んでいた少年漫画雑誌が置いてなかったんです。聞けば、「今後、治療費がかかるし、自分で買いに行けないからやめた」と。思わず「それはダメだ」と言いました。「これからリハビリが待っているのに、毎週読んでいた漫画を読むことすら諦めちゃだめだよ」と。それから僕は、毎週自分が買っていた漫画雑誌を届けるようにしました。彼はどう思ったか分かりませんが、その時に「諦めない」というか、「次のチャレンジを提供できる」セラピストになろうと思ったんです。 病院を退職した今から8年ほど前に、無謀なチャレンジをしてみました。新大阪から東京まで新幹線で行き、東京駅で車椅子を借りて、今私たちがいる銀座まで車椅子に乗って来てみたんです。休日だったので歩行者天国でしたが、エレベーターから降りる時や、道中を進んでいるときに、うまく車椅子を操作できず、くるりと回ってしまったり、歩行者の靴やバッグに車椅子が当たりそうになったりしました。そんなチャレンジにワクワク、ゾクゾクしている自分がいて、こんな気持ちを患者さんたちに提供できるセラピストになりたいと再確認しました。 その後、外出介助のボランティア団体を発足し、花見や町歩きツアーなどを開催し、色んな状況の方を外出につなげることにチャレンジしました。そのころから地域と密着した職場で働きたいなと思い、訪問看護ステーションに転職しました。 長嶺: 今までもさまざまなことにチャレンジしていらっしゃるんですね。白﨑さんの思いとやりたいことがつながって、今に至るのだということがよくわかりました。新田さんはいかがでしょうか。  新田: 子どものころ、病弱で入退院を繰り返していた影響で、看護師に憧れていました。高校生のときに家で救急車を呼んだことがあり、救急隊員の方が活躍されている姿を見て、救急救命士になろうと思いました。でも、当時私が住んでいた岩手県盛岡市には救命救急士の養成機関がなく、まずは看護師になってから先の事を考えようと思ったんです。 その後、看護師資格を取得して大学病院で働き、結婚し、満を持して救命士の夜間学校に行きました。仕事と勉強を両立させるために、知人が紹介してくれた夜勤がない訪問看護で働くことに。救急要請先は自宅が多く、超高齢社会では高齢者が運ばれることも多いだろうと思ったので、高齢者の日常を見てみたいという思いもありました。その後、救命士の資格を取得し、救急病棟で働いたんです。 長嶺: なぜ訪問看護師に戻られたのですか? 新田: ICUに慢性心不全の80代のおばあさまが運ばれてきたことがきっかけです。先輩が「この人は入退院を繰り返しているんだよ、困っちゃうよね」と言った時、「患者さんがどういう生活をしているのかを聞き取りし、生活改善の指導をすれば、救急車で運ばれることがなくなるのでは」と思いました。そこで在宅看護の目線で聞き取りをすることに。しかし、思った以上に時間がかかってしまって…。案の定、先輩に叱られてしまいました。 反省する一方で、救急病棟の「ミッションを次々にクリアしていく」働き方に違和感を覚えるとともに、在宅目線を持っている自分に気づきました。在宅で丁寧に利用者さんと関わっていく働き方のほうが、自分の性格には合っているし、コミュニケーション力も発揮できそうだと思ったんです。それ以降、尊敬する所長のもとで、14年間訪問看護を続けています。 長嶺: ありがとうございます。「自分が」この仕事をやりたいという思いから、「利用者さんのために」やりたいという気持ちに変化していったのですね。このような内面の変化が医療職の成長の大切な部分だと思っています。小野寺さんはいかがでしょうか。 小野寺: 看護学生時代から急性期の現場に苦手意識がありまして。バリバリ働いている上に人間関係のストレスもあるという話を聞くと、なおさら希望しようと思えませんでした。 訪問看護に興味を持ったきっかけは、看護学生のときの終末期の実習で、胃ろう、認知症、末期がんのおじいさんを担当したことです。その際、リハビリが組み込まれていることに疑問を感じました。なぜ末期なのにリハビリが必要なんだろうと。でも、理学療法士が患者さんのリハビリを担当する様子を見学したとき、歩けなかったおじいさんが歩いていたことにびっくりしたんです。 そこで初めて、患者さんが今持てる力を最大限活かすことがリハビリなんだと気づき、リハビリ科に就職しました。職場でも車椅子だった人が歩けたり、寝たきりの人が車椅子になったりなどリハビリで患者さんが力を発揮した姿を見ていると、自宅に帰った後の生活はどうなんだろうと、ふとその先が気になったんです。そこで、23歳で訪問看護の現場に飛び込んでみました。 長嶺: 飛び込んでみて、どうですか。 小野寺: 訪問看護の領域で働く看護師さんは、「病院でバリバリ働いた経験がある人」というイメージがあったので、経験が浅い私はとても不安でした。所長や主任からも、「こんな若い看護師が来ると思っていなかったので、どのように指導していいのか、最初は怖かったんだよね」と言われました。でも、何度も何度も同行訪問をしてサポート・指導してもらい、今では看護学生の指導を任せてもらうようになりました。 訪問看護はさまざまな疾患を学ぶ必要がありますが、赤ちゃんから100歳までの幅広い年齢層の方と関わることができる今の職場は、とても楽しいです。自分よりも若い看護師がこの職場に飛び込んできたときに、しっかり指導できるようになりたいと思っています。 命の教育が訪問看護の理解につながる 長嶺: 素敵なお話をありがとうございます。訪問看護のやりがいや魅力を一言でいうと、どんな言葉が出てくるでしょうか。 白﨑: 「ホスピタリティを発揮できる」ことですね。 新田: 「看護師の資格を最大限活かせる」ことでしょうか。 小野寺: 単純に、利用者さんやご家族から「ありがとう」と言われることが何よりのやりがいに感じます。 長嶺: ありがとうございます。訪問看護師は看護師全体の5%ぐらいですが、この仕事の魅力をどうすれば広めることができ、訪問看護の現場で働きたいと思う人が増えるでしょうか。 白﨑: こうしたイベントをたくさん開催していただけると、表に出てこない訪問看護の仕事の魅力が広まるのではないかと思います。今回参加させていただいて、僕自身とてもモチベーションが上がりました。そのモチベーションを持って、さらに新たなことにチャレンジすれば、もっとこの仕事が注目されるかなと思いました。 新田: 子どものころから看取りも含めた「人が亡くなる過程」を通じて命の大切さの教育をしていくと、知識が増え、思考が広がり、訪問看護の仕事が広まって、訪問看護師に対する捉え方も少し変わってくるのではないかなと思っています。看取りについて公に話すことをタブー視される風潮がありますが、子どものころからの教育でそれも変わってくると思います。 小野寺: 看護学校の同級生の中で訪問看護師として働いているのは、把握している限り私だけです。医療従事者ではない友人からは、「どういう仕事?」と聞かれることもあります。訪問看護師のインタビューをSNSやネットで発信し続けると、目に留まりやすく、認知度も上がるのではないかなと思いました。 長嶺: ありがとうございます。小野寺さんの事例を伺っていると、訪問看護師は若いころからチャレンジできる仕事であることがわかりますし、新田さんのお話からは、訪問看護の現場で働いてから救命救急士になるキャリアチェンジもあるとわかりました。どんなキャリアからスタートしてもいいですよね。そのキャリアの一つとして、訪問看護という仕事がもっと選ばれればいいなと思います。最後に、今後の抱負を一言ずつ教えていただいてもよろしいでしょうか。 白﨑: 1年にひとつ、新しいことにチャレンジしようと考えています。チャレンジすることを見つけるのが大変ですが、見つけることを諦めないように続けていきたいです。 新田: 目の前の仕事に一つひとつしっかりと取り組み、継続していきたいと思っています。 小野寺: 私も、日々の訪問を一つひとつ大切にして、利用者さんから「あなたが来てくれてよかった」と思ってもらえるような訪問看護師になりたいと思います。 長嶺: ありがとうございました。色々と考えさせられたり、ほっこりしたりといったお話が盛りだくさんで、素敵な時間でした。会場にいる皆さんも、それぞれのステーションに戻って、同僚たちの話を聞き合うようなセッションをやってみてもいいかもしれませんね。今日は本当にありがとうございました。 取材・執筆:高島 三幸編集:NsPace編集部

言葉以外からも読み取れる感情 重症心身障がい児のデイサービス&訪問看護
言葉以外からも読み取れる感情 重症心身障がい児のデイサービス&訪問看護
インタビュー
2024年5月14日
2024年5月14日

言葉以外からも読み取れる感情 重症心身障がい児のデイサービス&訪問看護

大阪府住吉区の「医療法人ハートフリーやすらぎ」に新卒から入職した大藪 涯さんは、訪問看護、デイサービスで働く看護師です。新卒で訪問看護師になった理由や、重症心身障がいのある利用者さんやご家族と接する中で感じていることなどを伺いました。 大藪 涯(おおやぶ がい)さん  看護師。2022年4月に新卒で医療法人ハートフリーやすらぎに入職。大学の在宅分野の教授の教えに影響を受け、訪問看護師を目指す。現在は週2日ナーシングデイに勤め、その他の日は訪問看護を担当。1年目は診療所にも出向き、バイタルサインや採血などの経験を積む。 医療法人ハートフリーやすらぎ:https://www.heartfree.or.jp/ その人の生き方や生活を大事にしたい ─まずは、大藪さんが看護師を目指した理由や、訪問看護師に興味を持ったきっかけを教えてください。 医療に興味をもったきっかけのひとつは、幼いころに筋ジストロフィーという難病を患った弟さんがいる友人に出会ったことです。その友人は弟さんのことを明るく話していて、それが私には大きな衝撃でした。当時の自分は医療の知識もなく、難病は「とにかく大変なもの」というイメージがあったので、友人の受け止め方にいままでの印象を覆すものがあったというか。「病気との向き合い方」に興味を持ったことがきっかけで、看護師の仕事に興味を持つようになりました。 訪問看護師になろうと思ったのは、在宅分野の教授のお話がきっかけです。例えば、入院中は患者さんの喫煙や飲酒は原則避けることになりますが、訪問看護では利用者さんがしたいことと健康状態を照らし合わせ、どこまでOKなのか看護師の視点からアドバイスできる。一律でその行為を禁止するのではなく、その人に合わせて基準や看護のしかたを変えるのだ、という内容でした。 私は、健康を守ることはもちろんのことですが、その人の生き方や生活を大事にしながら関わりたいという想いがあったので、訪問看護に興味を持つようになったんです。 デイサービスで働く大藪さん ─就職活動をしていたときのことや、ハートフリーやすらぎに入職した経緯などを教えてください。 はい。そもそも訪問看護ステーションの新卒採用枠は少ないですし、大学の同学年の中でも訪問看護ステーションへの就職を目指していたのは私一人という状況でした。でも、さきほどお話しした教授が新卒で訪問看護師になることを応援してくれたんです。教授や学校の先輩にも相談している中で、ハートフリーやすらぎが新卒の採用に積極的だと知り、応募したという経緯です。 就職前に同行訪問をさせてもらったのですが、利用者さんが「訪問看護師さんたちにとてもよくしてもらっていて、自分の最期はこの方々にお任せしたいと思っている」とお話しされていたんです。それだけ信頼を得られる関係を築けていることに驚きました。また、職員同士の仲もよくて、和気あいあいとした雰囲気でした。プライベートなことも気軽に相談できるような関係性を見て、すごく安心したのを覚えています。 少しずつ確実にみえてきた利用者さんの表情 ─利用者さんとの関わりを通じて感じたことを教えてください。 はい、こちらの写真のSちゃんは15歳の女の子で、生後4ヵ月のころ、後天的に低酸素脳症を発症しました。その後、慢性呼吸器不全、てんかん、痙性四肢麻痺を発症し、現在は人工呼吸器を24時間装着しています。吸引や胃ろうからの注入が必要です。 私はまず、Sちゃんのデイサービスのケアから関わらせてもらいました。Sちゃんは比較的必要なケアが多い利用者さんで、吸引、入浴介助、浣腸、胃瘻からの注入、人工呼吸器の管理も行います。最初は個別のケアの方法を覚えるだけでも精一杯で、ほかの看護師が「Sちゃん、今日はご機嫌だね」とか、「しんどそうだね」と言っているのを聞いて、なぜ気持ちがわかるのか不思議だったんです。 ですが、Sちゃんにはきちんと表情がありますし、伝えようとしていることもありました。それを私が読み取れていないだけだったんです。言葉はなくとも、手を握ってくれたり、舌を動かしたり。口元や目元にも変化があります。長く一緒にいることで、私にもSちゃんの気持ちがわかるようになりました。 大切なのは、「どんなことを感じているんだろう」と、関心を持って探ること。そしてそれは、ケアの微妙な加減にも繋がると思います。デイサービスの場合、比較的長い時間お預かりできるので、毎日少しずつ、より確実に理解できることが増えていく感覚がありました。 ─半年ほど経ってから、Sちゃんの訪問看護もご担当されたと伺っています。どのようなことを感じましたか? デイサービスでさまざまな子どもたちと触れ合った経験が、訪問看護にも活かせると感じましたし、デイサービスにはデイサービスの、訪問看護には訪問看護の学びがあると思いました。 訪問看護でご自宅に伺って感じたのは、ご家族がSちゃんを良い意味で特別視していなくて、「日常」の中にSちゃんの存在があるということですね。妹さんや弟さんのお友達が遊びに来ているときも、「おかえり、看護師さんも一緒なんだね」というくらいの受け止め方なんです。Sちゃんも妹さんも弟さんも、それぞれ大切な存在で、障がいの有無で区別されていないというか。 Sちゃんはすごくお洒落に興味があるので、お洋服やアクセサリーをご家族が買ったり、自分で選んだりもするんですよ。アミューズメントパークにみんなで行ったときのこととか、ご家族からお出かけの話を伺うこともあります。先ほどの私の友人の話にも繋がりますが、疾患があっても、本人とご家族にとっての「したい生活」が叶うこと、安心して生活ができることがとても大事なのだと感じます。 ─自宅だからこそ見える部分があるのですね。一方で、重症心身障がいを持つ方へのサポートについて、課題に感じる部分はありますか? はい。医療的ケアが必要以上に「難しいもの」と捉えられてしまっているのではと感じることがあります。医療的ケアが身近でない方は、少し利用者さんの体調が変わっただけで、とても戸惑ってしまうんです。知らずして「関わるのが怖い」となってしまいがちなのは、難しいところだなと感じています。例えば、Sちゃんの場合は妹さんも吸引をはじめとした医療的なケアをしていますし、彼女のことを知っていれば「この変化は一時的なもの」と判断できるケースも多いです。 また、どうしても保護者に負担が偏っている現実があると思います。負担を軽減できる制度がもっとあればいいなと思うのですが、現状はまだまだ足りないのではないかと…。例えば、Sちゃんのご家庭の場合、体調不良でサービスの日程を変えるときなどは、相談員さんや介護タクシーなど、スケジュールの組み直しのための連絡と相談が必要になります。実にさまざまなところで報・連・相が必要とされる。それをお母さまがお一人でこなしているわけです。訪問看護も毎回同じ看護師というわけではないので、状況による判断などもSちゃんのお母さまに委ねるところが大きくなってしまう。家事やほかの子の育児もある上でのことですので、大変さが伝わってきます。18歳以上は放課後等デイサービスの対象でなくなり、生活介護に変わります。そのような将来のことについても考えなくてはなりません。 ー調整の負担が保護者にのしかかっている現実があるのですね。 「この人に任せたい」と思われる看護師に ─ハートフリーやすらぎに就職されてもうすぐ2年になりますが、改めて思うところはありますか? 就職したときよりも、さらに利用者さんとの関わりの深さを感じています。ハートフリーやすらぎに長く勤めている先輩看護師の中には、過去に看取りをさせていただいた方の息子さんや娘さんの訪問看護を依頼され、二世代に渡って訪問している人もいます。そういう人はそのご家庭の過去の歴史を含めて深く理解していることもあって利用者さんからの信頼も厚く、繋がりが強固です。私も、長きに渡る関係性を持てるように利用者さんと関わっていきたいなと思いますね。 それから、先輩たちに質問すると、とても丁寧に対応してもらえますし、一緒に答えを探してくれるんです。このステーションにはいわゆる「プリセプター」(後輩看護師を指導する先輩看護師)がいないので、教育担当者ひとりに責任を負わせることなく、新人を「全体で育てていこう」という精神が強いと思います。また、プレッシャーを与えない一方で「任せるよ!」という姿勢を見せてもらえるのがとても嬉しいです。自分の成長や存在、このステーションにおける自分の役割を実感することができています。 大藪さんと訪問看護利用者さん ─最後に今後の目標や、「なりたい看護師像」を教えてください。 利用者さんの病状のみならず、生活を深く知ることは、どんなケアをすべきか、看護師としてどう関わっていくべきか、ということに繋がると思います。ご家族の負担や希望なども伺いながら、ご家族と一緒にひとつのチームになってケアをしていきたいと思っています。第三者よりも、一歩ご家族に近い存在になりたいですね。 いずれは、利用者さんから「この人に看護を任せたい」と思ってもらえる存在、安心感を持って頼ってもらえる存在になりたいです。今後、さまざまな利用者さんと出会うと思います。成長・発達段階や、疾患・障がいなどによってもご相談いただく内容が変わってくるので、しっかり応じられる看護師になれるよう、これからいろいろと学んでいきたいと思います。 ─ありがとうございました! * * * 次回は「ハートフリーやすらぎ」で働く石川さんにデイサービスでの子どもたちとの触れ合い方や、職場の在り方などについて伺います。>>次回の記事はこちら(※近日公開)新しい試みが歓迎される「ハートフリーやすらぎ」で、成長する看護師に ※本記事は、2024年2月時点の情報をもとに構成しています。 執筆:倉持 鎮子取材・編集:NsPace編集部

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