地域包括ケアに関する記事

心不全の地域連携&心臓リハビリの重要性
心不全の地域連携&心臓リハビリの重要性
インタビュー
2024年2月13日
2024年2月13日

心不全の地域連携&心臓リハビリの重要性/クリニック医師×訪問診療医師 対談

心不全診療の質の向上を目指した体制づくりとして「心臓いきいき推進事業」が行われている広島県。その土地で連携を視野に交流をしているのが、広島大学医学部同期の医師であるお二人。循環器専門の開業医である上田健太郎先生と、循環器のバックグラウンドをもつ訪問診療医の伊達修先生です。今はまだ数が多くないものの、今後はより一般的になっていくであろう心不全の在宅療養。訪問看護師が知っておきたい心不全の地域診療について、前後編に分けてお伝えします。 前編の今回は、地域医療における医師同士の連携や、心臓リハビリの重要性、ACP(アドバンス・ケア・プランニング/人生会議)などをテーマにお話しいただきました。 ▼プロフィール上田 健太郎(うえだ・けんたろう)先生上田循環器八丁堀クリニック 院長1994年広島大学医学部卒業後、同大附属病院内科研修医、公立三次中央病院循環器科、広島市立安佐市民病院循環器内科副部長、JA尾道総合病院循環器科部長等を経て2015年より現職。循環器内科専門のクリニックとして、心臓リハビリテーションにも力を入れている。日本循環器学会認定循環器専門医、心臓リハビリテーション指導士、日本高血圧学会指導医。伊達 修(だて・おさむ)先生コールメディカルクリニック広島 副院長1994年広島大学医学部卒業後、県立広島病院、倉敷中央病院、北斗循環器病院、北海道循環器病院等で心臓血管外科医としてキャリアを積んだ後、2016年から地元の広島に戻り内科に転向。広島みなとクリニックを経て2020年より現職。訪問診療医として地域の患者さんに寄り添っている。日本循環器学会認定循環器専門医、日本脈管学会認定脈管専門医、日本外科学会外科専門医。※文中敬称略 広島大学の同期が再会して地域を支える ーお二人は、大学の同期とのこと。まず、現在も含めて先生方のご関係について教えてください。 上田:大学時代はお互いに顔を知っている程度の関係でした。その後、伊達先生が心臓外科に進み、北海道で長く働いていたところから、広島に帰ってこられた。研究会で精力的にほかの先生と連携なさっている姿を見て、ぜひ自分も地域診療の未来を見据え、交流を深めていきたいと思ったんです。現在はまだ、飲み会での交流が中心ですが(笑)。 伊達:この前も交流しましたね(笑)。循環器内科の領域でいうと、上田先生は私の大先輩。外来の進め方や薬の使い方を教えてもらったり、地元の先生方を紹介していただいたり、とても心強い存在です。 ー伊達先生が、訪問診療へ軸足を移されたきっかけについても教えていただけますか? 伊達:札幌で心臓血管外科医として手術をする傍ら、地方の循環器系の医師がいないエリアの病院へ診療応援にも行っていたんです。そのとき、心不全の患者さんが家に帰れるようにするためには、循環器訪問診療が重要だと感じました。それで広島に戻り、手術室を離れて患者さんを診るようになったんです。 訪問診療車に乗る伊達先生 上田:通院メインのクリニックで診療を行っている私と、訪問診療を専門に行っている伊達先生とで、心不全の在宅診療推進に向けて連携をはかっていきたいと考えているところです。広島県全域でも、地域医療で心不全を診ていこうという動きがあります。 心不全の地域医療連携を広島市から ー広島県・広島市の地域全体でも、地域連携の機運が高まっているのでしょうか? 伊達:広島大学病院が中心となって、「地域連携・心臓いきいき推進事業」を行っています。講習会には訪問看護師さんや薬剤師さん、ケアマネジャーさん、訪問リハビリのセラピストさんなども積極的に参加なさっています。その影響もあって心不全の基本的な知識について興味をもっている人が多い印象ですね。心不全の地域医療を推進していく素地は整ってきているのではないでしょうか。 上田:それに加えて広島市はコンパクトな街ですので、住宅街から都市部への距離はそれほどありません。地理面からも連携をとりやすいと感じています。さらに県内の医学部は広島大学だけなので、広島市内でいえば医師同士、非常に連携しやすい。他大学出身の先生も広島大学の医局に入れば顔見知りになりますから。 理想は、クリニックと訪問診療の並走 ー上田先生が、訪問診療との連携を始めたいと考えるようになったきっかけについて教えてください。上田:私がクリニックを開業して8年が経ち(2023年11月現在)、患者さんも年齢を重ねてきています。なかには自力での通院が難しくなっている方や、コロナ禍を経て通院が途絶えている方もいらっしゃる。そうなるとADLも下がってくるし、心臓のコントロールもしにくくなってしまいます。 上田循環器八丁堀クリニック 当院は通院がメインのクリニックなので、今後はよりしっかりと往診専門の先生に連携をお願いする必要があると思っている段階ですね。伊達先生にもお願いができればと考えているところです。 ただ、いつも迷うのは「患者さんがどのような状態・タイミングのときに紹介するのが良いのか」という点。訪問診療医の視点から、どのように考えていますか? 伊達:ご配慮をいただいてありがとうございます。私としてはぜひ、早い段階から患者さんの情報を共有してもらえるといいなと感じています。もしかすると、専門クリニックから訪問診療医に「バトンタッチする」イメージかもしれないんですが、しばらくの間は「並走」できるのが理想ではないかと考えています。基本的な疾病管理は専門クリニックでしていただいて、日々の変化は私たちで診る、と役割分担できれば、患者さんの小さな変化にも気づきやすくなって、結果的に再入院の回避にもつながるのではないでしょうか。こんなふうに専門医もチームに引き入れて在宅診療を進めていきたいと思っています。 上田:なるほど。それなら、早々に連携をスタートした方が良いですね。あとで具体的な相談をさせてください。 伊達:ぜひお願いします。ところで、上田先生のクリニックでは開業時から心臓リハビリにもかなり力を入れておられますよね。強い想いがあって始められたのではと思っているのですが。 救命だけでなく、心臓リハビリも重要 上田:卒後5~6年目のとき、冠動脈2枝同時閉塞で夜間運ばれてきた30代の患者さんをなんとか救命しました。良かった、これで治った……と、思っていたのですが、1年後くらいに心不全で再来院なさった。そのとき「ステントを入れるだけでは駄目なんだ」ということを強烈に思い知らされたのが原点です。いくら救命しても、患者さん自身に「心筋梗塞はこんな病気です、薬は大切です、こんなことに気をつけましょう」というポイントを理解してもらわないと、心臓はもたないんだと痛感しましたね。 尾道総合病院時代の上田先生(左) その後、心臓リハビリに力を入れている総合病院に勤務することになり、患者さん同士がコミュニティを作ってオリエンテーションで交流をはかったり、勉強会を開いて自己研鑽なさったりしているのに驚きました。 伊達:そんなコミュニティがあるんですね。素晴らしい。 上田:そうなんですよ、驚きました。その経験があったので、自分が開業するときには心臓リハビリもできるクリニックにしたいと考えたんです。患者さん同士で「つらいのは自分一人じゃない」と共感し合えればいいなと思って始めました。 ー訪問診療に切り替える場合、心臓リハビリはどのようになさっていますか? 上田:過去に訪問診療に移行した患者さんのケースでは、訪問リハビリと情報連携して切り替えを行いました。運動療法はやめてしまうと効果ががくんと落ちるので、継続してもらえるやり方を模索していきたいですね。 伊達:心臓リハビリについても、私たちの連携によって叶えられることがありそうですね。 ACP(人生会議)の重要性を感じる機会が増えた 上田:私が伊達先生に聞きたいなと思っていたことのひとつが、ACPについてです。 伊達:訪問診療への移行とACPは切っても切り離せないテーマですね。 上田:私のクリニックでも高齢の患者さんが増えてきて、ACPの重要性を感じる機会が多くなりました。悪くなることを想定すると患者さんはなかなか頑張れない、でも心臓が限界を迎えるときは必ず来る。エンディングノートがメディアで取り上げられることも増えているので「自分はこうしたい」とはっきりおっしゃる患者さんもいて、そういう方は非常に助かります。でも、認知症が始まるとそれも難しいですよね。伊達先生はどんなタイミングでACPに必要な情報をヒアリングしておられますか? 伊達:在宅診療に移行するタイミングで私たちが介入するケースが多いので、初回、顔を合わせたときにお話をうかがうことが多いですね。できるだけ診療時間をとって、会話のなかで患者さんの価値観に触れられるよう対話を心がけています。それから、訪問看護師さんや訪問リハビリのセラピストさんたちに日常的な会話を通してさりげなくヒアリングしてもらい、フィードバックをお願いしています。看護師さんやセラピストさんは一定時間患者さんと一対一で話をしながらケアを行うので、患者さんも心を開きやすくACPにかかわる情報をたくさん開示してくれますね。 上田:ああ、とてもよくわかります。当院の心臓リハビリは看護師が担当しているんですが、短い診療時間では到底聞けないような話を患者さんから引き出してくれるんです。ACPを考える上で、本当に助かっていますね。 伊達:そうなんです。看護師さんやセラピストさんなしでは成り立たないと感じることが本当に多い。看護師さんやセラピストのみなさんが集めてきてくれた情報から患者さんの価値観・人生観が見えてきて、ACPを形作っていくイメージでしょうか。ただ、きちんとしたフォーマットで第三者が一目見てパッとわかる形にまとめるところまではできていないので、それは今後の課題だと思っています。 >>後編はこちら心不全の在宅移行と緩和ケアの課題&展望/クリニック医師×訪問診療医師 対談 ※本記事は、2023年11月の取材時点の情報をもとに構成しています。 取材・執筆・編集:YOSCA医療・ヘルスケア

「ほっちのロッヂインタビュー」枠にとらわれない『ケアの文化拠点』とは
「ほっちのロッヂインタビュー」枠にとらわれない『ケアの文化拠点』とは
インタビュー
2024年2月13日
2024年2月13日

医療と福祉と、エトセトラ。枠にとらわれない『ケアの文化拠点』とは

長野県軽井沢町のほっちのロッヂに足を踏み入れると、いわゆる「診療所」「訪問看護ステーション」から連想するイメージとは異なり、まるで別荘のような雰囲気。ほっちのロッヂでは、訪問看護ステーションを「家に訪問し医療のサポートをしたり、町全体の健康を考える活動のこと」と定義。訪問看護をする人たちのことは、「訪問もしますが、町のあちらこちらで働きながら、この町全体が健康な状態であるためにどんなことができるだろう?と考えているチーム」としています。 実際にほっちのロッヂで訪問看護をしている人たちは、どのような想いで、どんな働き方をしているのでしょうか。今回は前編でお話を伺った藤岡さんに加え、看護師の小宮さんと今井さんにもお話を伺いました。 >>前編はこちら多様な人たちが集まり「心地よい」と思える空間をつくる【藤岡聡子氏インタビュー】 藤岡 聡子(ふじおか さとこ)さん「老人ホームに老人しかいないって変だと思う」と問いを立て24歳で創業メンバーとして有料老人ホームを立ち上げ、アーティスト、大学生や子どもたちとともに町に開いた居場所づくりを実践。2015年デンマークに留学し、幼児教育・高齢者住宅の視察、民主主義形成について国会議員らと意見交換を重ね帰国。「長崎二丁目家庭科室」主宰(豊島区椎名町)、2019年より長野県軽井沢町にて「診療所と大きな台所があるところ ほっちのロッヂ」を医師の紅谷と共に開業し共同代表。共著に『社会的処方(2019学芸出版社)』『ケアとまちづくり、ときどきアート(2020中外医学社)』。今井 麻菜美(いまい まなみ)さんほっちのロッヂ 訪問看護ステーション 地域看護師急性期病棟、離島の病院、老人ホーム等を経て、「診療所と大きな台所のあるところ」に関心を持ち、ほっちのロッヂへ 小宮 彩加(こみや あやか)さんほっちのロッヂ 訪問看護ステーション 地域看護師病棟での勤務を経て、「医療福祉のクリエイティブ職」という言葉に惹かれ、ほっちのロッヂへ診療所と大きな台所があるところ ほっちのロッヂ(長野県軽井沢町)「症状や状態、年齢じゃなくって 好きなことする仲間として出会おう」をコンセプトに、大きな台所を起点とし、2019年訪問看護ステーション、2020年に在宅医療(外来・訪問診療)・共生型通所介護・医療型短期入所事業含め全事業開始。運営元:医療法人社団オレンジHP: http://hotch-l.com/Instagram: https://www.instagram.com/hotch_lodge/ 「クリエイティブ職」という言葉に惹かれて ―訪問看護師の小宮さん、今井さんのお二人は、ほっちのロッヂで初めて訪問看護をされているんですよね。まず、小宮さんはどういった経緯・想いでほっちのロッヂで働くことになったんですか? 小宮: 私は、病院に半年勤めたあと、「ほっちのロッヂ」にきました。きっかけは、自分の想いと病棟での仕事とのギャップですね。 自分の想いについては、看護大学院時代にさかのぼるのですが、私は病院の実習が大好きでした。お食事をあまり召し上がらない方がいたのですが、一対一でやり取りする中で、はしからフォークに変えたり、うどんを切るなどの工夫で、随分召し上がるようになった、という経験をしたんです。実習中はしんどいこともありましたが、そういったやりとりを通じて「こういう看護をしたいな」と思って、病院に就職しました。 病院が悪いと言っているわけでは決してないのですが、実際に働いてみると回転数についてや、延命の実際などについて目の当たりにし、「私がやりたいことってこれだったかな?」と心に引っかかる部分がありました。 そんなとき、この募集をみかけて「これだ!」と思ったんです。 ―ほっちのロッヂの求人ですね。どういった部分が心にささりましたか? 小宮: 私の場合は、点数とか入院日数とか回転率とかよりも、看護は「創り出すからこそ面白い」っていう感覚があったんです。誰がやっても同じではなくて、人とその時、その場の空気感とか目線とか、いろいろな要素があって、全部が組み合わさって、創り出していけるものが看護かなと思っていて。そこを追求していきたいと思っていたところに「クリエイティブ」という言葉が目に入って、「これだ!」と(笑)。 藤岡: ここに書かれている文言は、紅谷(※)が言ったことをベースに私が料理して生まれたものですが、天気とか季節とか気温とか、気分とか…。本当に不確実な要素がある中で人を相手にするわけですから、「クリエイティブのほかに何があるの?」って思っています。クリエイティブっていう言葉からはデザインとかを連想しがちですけれど、こんなに無形のクリエイティブさはないよな、と。 ※紅谷 浩之(べにや ひろゆき)氏:医師/医療法人社団オレンジ理事長/ほっちのロッヂ共同代表 小宮: 日によっても全く違うので、その瞬間、その場で創り上げていくものという感覚です。それが、しんどいけど面白いところですね。ほっちのロッヂでは、患者さんがいらしたときに「今回は外がいいな」って思ったら、本当に青空診療になります(笑)。 このお日様があって、この緑があって、この体調で外にいられるなら、外かなって。その時々で組み合わせ具合が全然違っていて、そこを逃さずキャッチできたぶんだけ、面白いケアになるって思います。 ―空間も含めて、つくっているんですね。 藤岡: そうですね。ただ、こちらだけがつくっているということではなく、互いに関係し合ってつくりあげている。そして、あくまで癒しは結果である。そんなイメージです。 森の中に佇むほっちのロッヂ3周年祭での記念撮影スタッフ勉強会の様子ほっちのロッヂ内のライブラリー いつの間にか訪問看護をしていた ―今井さんがほっちのロッヂで働くことになった経緯も教えてください。 今井: 私は急性期病棟で数年働いていたんですが、「やりたい看護はもっと別の場所にあるのでは」と考えて、離島に行ったんです。離島では退院した方々の笑顔にたくさん出会い、お家やご家族が持つ力をすごく感じました。「ここでの看護、好きだな」と思って、それ以来「住まいに近いところにいたい」という思いがあります。 結婚を機に関東に戻ることになった際も、島にいたころの看護ができる場所を探したんですが…なかなか見つかりませんでした。当時は訪問看護をする勇気はまだなくて、在宅サービスや老人ホームで働きました。 でも、あるとき同僚が体調を崩し、ケアすることもケアされることもできず、ただただ崩れていく…みたいな状況になってしまいました。そしてその後、私自身も近い状況になってしまったんです。「これは違うな」と思い、私はもう看護師という役割にこだわらなくてもいいと思いました。また、食生活の乱れを整えたら健康を取り戻したという経緯もあって、そのころから健康的に働くことや、健康を支える食事が自分の中のテーマになりました。 そんなとき、たまたま雑誌を開いたらほっちのロッヂの記事が出てきて、「診療所と大きな台所のあるところ」という副題に目を奪われました。「これはなんだ?」と(笑)。働く場所を探したというよりも、「診療所の台所って、どういう役割があるんだろう」とか、「どうやって健康を支えるんだろう」というところに興味がありました。 藤岡がやっていた「長崎二丁目家庭科室」のことも知っていたんですが、行こうと思ったらもう閉じていたっていう経緯もあって。藤岡と話をしてみたくて軽井沢に行って、気づいたらいつの間にか訪問看護をしていました(笑)。 看護師がたくさん関わる=「幸せ」ではない ―ほっちのロッヂでは、訪問看護ステーションのことを、「家に訪問し医療のサポートをしたり、町全体の健康を考える活動のこと」と定義されています。いわゆる「訪問看護師」という職種から想起される定義・枠を取り払おうとされているように思いますが、普段どのような活動をされているのでしょうか。 小宮: 「看護師としてこういうことをしています!」と決めつけてしまうこと自体がちょっと違うのかなと思っていて、何か特別な活動をしているという感じではないんです。 でも、地域の方々のことをよく見ようとしているというのはありますね。例えば、訪問先のひとつにご夫婦とも認知症で二人暮らしをされているご家庭があって、私たちは普段の買い物をどうしているのか、ずっと気になっていたんです。そうしたらたまたまあるメンバーが、奥様がコンビニに入るところを見かけたんですね。 そのまま様子を見続けると、コンビニの店員さんがカゴを積んでカートのようにして、買い物ができるようにサポートしていたんです。想像以上にご自身と生活圏内の方々の力で生活されていることに感銘を受けました。こういうときにすぐさま「私が助けなきゃ」と入っていく方もいらっしゃると思うのですが、私たちは「様子を見て把握しておこう」というスタンスでいます。 藤岡: 見守り続けるためにあえてお声をかけずに、少し付いて行ってますからね(笑)。でも、本当にメンバーのみんなは町の方々のことをよく見ているんです。地番を言えばどなたの家なのか全部言えますし、人間関係もめちゃめちゃ把握してる。地域の方々の生活圏内で起きているお話はしっかり聞かせてもらうし、見届けているんです。 私たちと全然関係のないところでどんな生活をされているのか、しっかり見ることはすごく大事。一方で、私たちが代わりにカゴでカートを作ることももちろんできるけれど、すぐに直接関わろうとしないことも大事だと思っています。このケースでは、コンビニの店員さんが、お客様だからということもあるんでしょうが、ある種の「ケア」をしているんですよね。 小宮: そうなんです。ステーションとしてほかの職種の方も交えて勉強会をやろうというときも、そこにコンビニの店員やバスの運転手さんがいないほうががおかしいんじゃないか、って思っているくらい、チームの皆がシームレスに考えているんですよね。 また、私たちがべったり週5日関われば、その方が幸せになれるとは思っていないんですよ。地域に住む方々には、それぞれに歴史やつながりがあります。例えば、かつて嫁姑問題に苦労されて、「雑巾の水をかけられていたけれど頑張ってきたんだ」といったお話もたくさん伺うんです。その方にとっては、同じタイミングで軽井沢に嫁いできて、近いタイミングでご主人を亡くされたご友人が心のよりどころで、すごく大切な存在だったりします。そのことを、我々が知っておくことは大事ですよね。 利用者さんがご主人を亡くされて悲しんでいるとわかったら、私たちも全力を尽くします。でも、「私たちがずっと一緒にいますね」ではなくて、「ご友人とお会いしたらどうですか」という風につなげていく場合もあります。そのご友人が、公民館で手仕事の活動をされているとわかると、「じゃあそこに参加するにはどうしたらいいか」と考えていくんです。 肩ひじ張らないからこそ「使われる」存在に 藤岡: 私たちは、「これをやります」という明確な区切りを設けていないので、つかみどころがなくてわかりづらいと思うんですが、肩ひじを張らないところがむしろ大事だと思ってます。だからこそ、地域の方が私たちをうまく使ってくださるんですよね。 例えば、いわゆるACP(人生会議/アドバンス・ケア・プランニング)ってありますよね。「人生最後の時をどう迎えていくか」っていう対話。2022年9月からほっちのロッヂでも月1回のペースで「生き方交換会」という言葉を作ってやっているんですが、実は我々から「ぜひ人生会議しましょう!」と言ったわけじゃないんです。地域の方から「人生会議みたいなことを私のカフェでやりなよ」っていうお話があって。それに対してチームの一人が「ああ、じゃあ、やりましょうか」みたいな風にして始めたんです(笑)。 今井: 生き方交換会では、形式は決めずその時自分たちが話したいことを話していきます。例えば、最近の嬉しかったこと、今心に引っかかっていることなどです。集まる人は年齢も経験もさまざまなのですが、「実は最近お看取りをして、その人の思い出をたどりたい」という方が「こんな風に最期を過ごせてよかった」と教えてくれて、そういう過ごし方あるんだな、と知ることができます。 話す内容に関する思い出が蘇って、それが嬉しいときもあれば少し辛いときもあると思うんですが、語り手は「絶対聞いて」「そのとおりに受け止めて」って押し付けることはしません。また、聞き手が決めつけたり否定したりすることもなく、それぞれがテーブルに自分の想いを置いていく感覚というか。受け取りたい人が想いを受け取って、またそこからまた新しい想いが生まれて、まわっていく…というイメージですね。生き方交換会という言葉にも繋がりますが、自然と「想いを交換」しています。 いきなり登場人物になろうとしない 藤岡: 生き方交換会の場では、私たちは輪の中には入っているんですが、やっぱり「看護」を振りかざすことなく、ただそこにいて、見ているという感じですね。決して傍観者ではないんですが、「〇〇さん」という方がいたときに、〇〇さんの人生の登場人物の中に、いきなり自分たちを持ってこないというイメージです。私たちは「〇〇さんの隣」というよりは、「ふたつ隣」くらいの距離感がちょうどいいかなと。 私たちの活動に目立つ要素や派手さみたいなものは必要ないと思っていて、「私たち訪問看護ステーションです!」とグイグイいくのも違うと思っているんですよね。〇〇さんの目の前にいる「登場人物」の方々に、当たり前ですができることを最後までやって欲しいんですよ。 必要に応じて、もちろん私たちが出るべきところは出るんですが、それはギリギリまで待つ。ご本人あるいは医療者じゃないご本人の周りにいる方たちに、いかに登場して活躍していただくかというのが大事だと思っています。 制限がある中でも、挑戦する仲間がいる ―訪問看護師として働く中で、事業所の利益・報酬単価との兼ね合いや「〇〇は看護師の仕事ではない」といった線引きがあって、なかなか決められた枠を超えた動きが難しいと思う方もいらっしゃると思います。そういった方々に対してメッセージをいただけないでしょうか。 藤岡: 難しいですよね…。目の前のケアに集中すれば、当然単価の話は出てきますよね。さきほど出てきたお話は、インフォーマルなケアなので。でもやっぱり、目の前の人のことを「自分一人で全部やろう」と思わないこと、家族や隣近所の方々に登場人物として出てきてもらうことが大事だと思います。 小宮: 今のお話、看護学部時代に学んだナイチンゲールの「看護覚え書」の言葉を思い出しました。 藤岡: えっ、なになに?ナイチンゲールはなんて言ってるの? 小宮: 看護師がいない時に、どう回るかを考えてマネジメントすることが重要だということですね。 「責任者たちは往々にして、『自分がいなくなると皆が困る』ことに、つまり自分以外には仕事の予定や手順や帳簿や会計などがわかるひとも扱えるひともいないことに誇りを覚えたりするらしい。私に言わせれば、仕事の手順や備品や戸棚や帳簿や会計なども誰もが理解し扱いこなせるように──すなわち、自分が病気で休んだときなどにも、すべてを他人に譲り渡して、それですべてが平常どおりに行われ、自分がいなくて困るようなことが絶対にないように──方式を整えまた整理しておくことにこそ、誇りを覚えるべきである。」ナイチンゲール,フロレンス著、湯槇 ます/薄井 坦子/小玉 香津子/田村 眞/小南 吉彦 訳 『看護覚え書―看護であること看護でないこと (改訳第7版)』より引用(2011、現代社)より引用 私たちが関われるのは24時間の中で1時間程度というわずかな時間ですし、その方の暮らし全体も視野に入れないといけないですよね。 今井: そうですね。あとは、「枠を超えた働きができない」と葛藤している看護師さんには、「やりたいけどできない」っていう気持ちがあると思うんですよね。そう思っている方々に、「ここにやっている仲間がいるよ」って伝えたいです。 藤岡: いいこと言う! 一同: (笑) 藤岡: 実際に息苦しく働いている方もいらっしゃると思いますし、人によっては死活問題だと思います。でも、私たちのように実践している現場もありますから。もちろん、私たちもやりたいことを完全に自由にやっているわけではなくて、他の職種の方々との連携とか、地域や事業者独自のやり方などに苦しむことはありますよね。制限がないわけはないんですが、その中でもやっている人はいるよ、ということが誰かの勇気につながると嬉しいですね。 ―ありがとうございました! 取材・執筆・編集: NsPace編集部

「ほっちのロッヂ」藤岡聡子氏インタビュー
「ほっちのロッヂ」藤岡聡子氏インタビュー
インタビュー
2024年2月6日
2024年2月6日

多様な人たちが集まり「心地よい」と思える空間をつくる【藤岡聡子氏インタビュー】

長野県軽井沢町の「ほっちのロッヂ」は、「ケアの文化拠点」を掲げ、「症状や状態、年齢じゃなくって 好きなことする仲間として出会おう」を合言葉に、枠にとらわれない活動をしています。「診療所」「訪問看護ステーション」「デイサービス」などを行っていますが、一般的に想起するイメージとは異なります。大きな台所やアトリエがあり、医療資格の有無や年齢、病状等に関わらず、さまざまな人たちが出入りします。医師の紅谷浩之氏とともに、ほっちのロッヂの共同代表を務めるのは、福祉環境設計士の藤岡聡子さん。今回は、藤岡さんのこれまでのキャリアについてや、ほっちのロッヂが生まれた背景などを伺いました。 藤岡 聡子(ふじおか さとこ)さん「老人ホームに老人しかいないって変だと思う」と問いを立て24歳で創業メンバーとして有料老人ホームを立ち上げ、アーティスト、大学生や子どもたちとともに町に開いた居場所づくりを実践。2015年デンマークに留学し、幼児教育・高齢者住宅の視察、民主主義形成について国会議員らと意見交換を重ね帰国。「長崎二丁目家庭科室」主宰(豊島区椎名町)、2019年より長野県軽井沢町にて「診療所と大きな台所があるところ ほっちのロッヂ」を医師の紅谷と共に開業し共同代表。共著に『社会的処方(2019学芸出版社)』『ケアとまちづくり、ときどきアート(2020中外医学社)』。 診療所と大きな台所があるところ ほっちのロッヂ(長野県軽井沢町)「症状や状態、年齢じゃなくって 好きなことする仲間として出会おう」をコンセプトに、大きな台所を起点とし、2019年訪問看護ステーション、2020年に在宅医療(外来・訪問診療)・共生型通所介護・医療型短期入所事業含め全事業開始。運営元:医療法人社団オレンジHP: http://hotch-l.com/Instagram: https://www.instagram.com/hotch_lodge/ 定時制高校での出会いが歪みを直してくれた ―まずは、藤岡さんのこれまでのご経験、キャリアについて教えてください。 私は元々、人材教育会社でキャリアをスタートさせたんですが、働き始めて1年を過ぎたあたりで、たまたま友人から「老人ホームを作ろう」と言われたんですよ。そして、私自身、思い当たることもあり、気づいたら「いいじゃん!つくろう!」って言っていたんですよね(笑)。「人の暮らしのど真ん中に入っていく」きっかけは、この老人ホームの立ち上げでした。まったく違う業界から、いきなり24時間対応の50人程度の規模の老人ホーム運営に携わることになったんです。 少し幼少期のことにさかのぼりますが、私は小6のときに医師だった父を亡くしています。当時弱っていく父を子どもながらに「怖い」と感じ、きちんと父の死に向き合えなかったという心残りがある。そして人が生きることや死ぬことをどう捉えていいかわからなくなり、母親と話すことや学校に行くこともしんどくなり、いわゆる不登校と言われる時期を過ごしていました。人からは不良というレッテルを貼られることも珍しくなかったですね。世間から自分のことを見た目や境遇でそのように扱われることも、とても苦しかった。 進学を機に私の考えは大きく変わったと思います。唯一受験して合格できた先は夜間定時制高校。そこに通い始めたら、学校やアルバイト先で年齢もバックグラウンドも多様な人たちとの出会いがありました。その出会いが私の「歪み」を直してくれたんです。そういった経験を通じて、全く違う属性の人と混ざり合うことの大切さを実感していたので、「老人ホームに老人しかいない」という状況は、そもそも自分の中に引っかかってくるわけですよね。 ―そうなのですね。では、どういった老人ホームになるのがよいと思われますか? 目の前の方がどんな症状・状態であっても、その人が「ああ、本当に今日生きていてよかった」と思える空間を作りたいという気持ちがあるんです。人が「心地いいな」とか「今日はいい出会いがあったな」とか、地味かもしれませんが「お茶が美味しかったな」とか。そういった日常の嬉しさに気付ける空間が、どんな人にもきっと必要だろうと思うんです。 だから、例えば「85歳で要介護2だから、あなたはここね」と振り分けてしまうことに違和感があります。また、介護や医療の専門性ももちろん大事なのですが、今の私のような「そうじゃない専門性」もあっていいよなっていう思いをずっと持っています。 ジブリの映画『崖の上のポニョ』でデイサービスと保育園が併設されているのもいいなと思って。決して制度や機能面から入ったわけではなく、あらゆる状況の方たちが町が洪水になったとしても、「誰かの(恋路を)猛烈に応援する!」と、生ききっているわけですよね。その横顔や描写にとても感動したのです。 ですから、友人に声をかけられた時に思っていたのは、有料老人ホームの中にカフェをつくって、カフェの2階は近所の小学校に通う子どもたちが放課後に立ち寄れる学童保育のようなことをして、あらゆる世代が出会える場にしたいと思っていました。 世代・属性が異なる人たちが集う場をつくりたい ―当時、そのプランに対してのまわりの皆さんの反応はいかがでしたか。 介護職の人たちには、私の考えはまったく理解してもらえませんでしたね。あえて言ってしまうと、「何の専門性もない人間が老人ホームを作っている」という状況ですから。「老人ホームに老人しかいないのは当たり前で、それを変だと疑う人のほうが変」「老人ホームに子どもたちが入ってきたら危ない」とも言われました。私物を隠されてしまうなど、いじわるをされてしまったこともあります。私も当時は若かったので(笑)、「あんまり専門職の子たちと私は合わないのかな」という気持ちにもなってしまいました。 そういった経緯があったのと子育てや母の看病の都合もあって、老人ホームから離れて、大阪から東京に引っ越しました。東京ではさまざまな職業の人と仲良くなって、地域の方々との出会いもたくさんありました。やっぱり私は人が心地よく暮らしていく環境をつくること、整えていくことにすごくフィーリングが合うんですよね。 でも、同時にいわゆる「ケアの現場」の近くにいない方たちっていうのは、町ゆくおじいさん・おばあさんたちとの関係がちょっとぎこちなくなってしまうんだな、ということも感じました。例えば、「あのおじいさん、腰が曲がってて、スリッパ履いてるし、変わった歩き方だけど大丈夫かな」と思っても、声をかけづらい。声をかけて「何かあったらどうしよう」と思うみたいですね。 やっぱり私は、年齢や状況に関わらず、ともに心地よいと思える環境を作りたいと思っていましたし、ケアの現場と距離がある人たちにはできなくて、私だからこそできることがあるなと思いました。だから、世代や属性が離れているような人たちが出会う場所を作ってみたんですよね。ほっちのロッヂを立ち上げる前につくったのが「長崎二丁目家庭科室」です。元々空き家をリノベーションしてゲストハウスを作っているチームと話をしているうちに、「この取り組みを地元の方がなかなか理解してくれない」と。一方で地域の方々とコミュニケーションをとっていると、手仕事・暮らしに関する特技をお持ちの方が多い場所だなと思って。これをもっと日常的に地域の方同士が会えるような環境を作ることができたら面白いと考えて、そのゲストハウス1階を間借りし、「長崎二丁目にある、家庭科室」を名乗ったわけです。 長崎二丁目家庭科室 東京都豊島区にて2018年まで運営されていた福祉・多世代交流の場。 「ようこそ、長崎二丁目家庭科室へ。」(https://nagasaki2-baseforeveryone.tumblr.com/ ) 長崎二丁目家庭科室には、なんとなく町の人たちが集まってきて、編み物とかをして、本来は出会わなかった他者が出会う環境を作ることができて。「ああ、これいいな」と思いました。誰かが何かを教えてると思ったら、逆に教わる側に行っていることもあったりして、関係性が容易に逆転する空間でもありました。 紅谷医師と意気投合し、ほっちのロッヂ誕生 ―その後、ほっちのロッヂを立ち上げられていますが、きっかけはなんだったんでしょうか。 軽井沢町のある教育機関の方針に共感して、代表者に会いにいったことがあるんですが、それがきっかけですね。私はその教育機関に、教育と地域をからめて何かできないかと提案したんです。結果的には制度の壁もあって叶わなかったのですが、実は同時期に時間差で紅谷(※)も同じ方に会いにいっていました。紅谷もその教育機関へ子どもたちを真ん中にするまちづくりがしたい!と提案を持っていくほど熱意があったので、代表者の方が「藤岡さんと紅谷さんが会ってみたらどうか」と紹介してくれたんです。まったくの初対面なので、「誰!?」と思いながら、ちょっと緊張しつつ顔を合わせました(笑)。 ※紅谷 浩之(べにや ひろゆき)氏:医師/医療法人社団オレンジ理事長/ほっちのロッヂ共同代表 でも、すぐに気が合いましたね。私が地域で「教える側・教えられる側の関係性が逆転する空間」っていいな、と思ったのと同様に、紅谷はケアの対象だと思っていた医療的ケア児とのコミュニケーションを通じて、「医師として変われた」「学べた」ということを、とても大事な経験として持っていました。そして、あらゆる状態にある子どもたちが学んだり、遊べたりする子ども中心の町・地域を作りたいという想いを持っていたんですよね。医療的ケア児のコミュニティを全国に広げて、「軽井沢で1ヵ月空き家を借りたからキャンプしよう!」なんてこともできちゃう行動的な人だったんです。 参考: オレンジキッズケアラボ「軽井沢キッズケアラボ」 私が「老人ホームに老人しかいないのは変だと思う」って言ったことに対しても、紅谷は「ワハハ! さとちゃん(※藤岡さんのこと)、面白い!」って言ったんですよ。そんな反応をされたことがなかったので、「え?こんな人初めて!」と驚きながらも「そうだよね!」と意気投合して。 こんな風にたまたま在宅医療をやっていた紅谷と、そうじゃない人間である私が出会って始めたのが「ほっちのロッヂ」なんです。 得意なことがたまたま「在宅医療」だった ―藤岡さんの意見を受け入れてくれる紅谷先生との出会いがあったからこそ、「ほっちのロッヂ」があるんですね。 そうですね。こういう始まり方なので、私にとっては紅谷が医師であろうがなかろうが、いい意味で関係がなかったのです。自分の価値観に共感してもらえた経験がないまま数年過ごしてきた中で、たまたま紅谷が共感してくれて、たまたま医師で、在宅医療をやっている人だった。そこまで知っちゃったら、そういう人に対して一緒に「ケーキ屋さんやりませんか」とか、「宿をやりませんか」とか言えないですよね(笑)。 「じゃあ診療所だ」って思って。その中でも、医師も看護師も医療的な専門性のない人も含めた、いろんな人からできたチームをつくろうと思ったんです。作り手側がお互いやってみたいと思うことの実現のために、「在宅医療」っていう得意技を使ったということですね。やるからには本気で取り組んでいますし、医師も看護師も必要です。それに加えて、私は人がここにいて「気持ちいいな」「嬉しいな」「いい一日だったな」と思える空間をつくりたいという願いがあるので、それを実現していくために少しずつ動いたという感じですね。 ―「訪問看護ステーションをつくりたい」「診療所をつくりたい」という箱や枠の部分から考えるのではなく、「こういう場をつくりたい」が先に来ていたんですね。 次回は、ほっちのロッヂで訪問看護師として働く方々も交えてお話を伺います。>>後編はこちら医療と福祉と、エトセトラ。枠にとらわれない『ケアの文化拠点』とは 取材・執筆・編集: NsPace編集部

ほっちのロッヂイベントレポート「私たちのWell-beingとケアと文化、現在地の語らい」
ほっちのロッヂイベントレポート「私たちのWell-beingとケアと文化、現在地の語らい」
インタビュー
2024年1月30日
2024年1月30日

「私たちのWell-beingとケアと文化、現在地の語らい」【イベントレポート】

2023年9月25日(月)に開催された、「軽井沢町。2023年。私たちのWell-beingとケアと文化、現在地の語らい」。長野県軽井沢町にある「診療所と大きな台所があるところ ほっちのロッヂ(医療法人社団オレンジ)」が主催し、全国からケア現場でのWell-being(ウェルビーイング)について語りたい人たちが集まりました。看護師を含め、ケアの現場で目の前の人たちのWell-beingを願いながら活動する人たちが、Well-beingについて正面から語り合う貴重な場でした。 本イベントは、ほっちのロッヂ共同代表の藤岡 聡子さんの司会のもと、大きく3つのセクションに分かれて進行。イベントの模様や参加者の方々の声をピックアップしてお届けします。 主催診療所と大きな台所があるところ ほっちのロッヂ(長野県軽井沢町)「症状や状態、年齢じゃなくって 好きなことする仲間として出会おう」をコンセプトに、大きな台所を起点とし、2019年訪問看護ステーション、2020年に在宅医療(外来・訪問診療)・共生型通所介護・医療型短期入所事業含め全事業開始。運営元:医療法人社団オレンジHP: http://hotch-l.com/Instagram: https://www.instagram.com/hotch_lodge/企画・司会・進行藤岡 聡子(ふじおか さとこ)さん「老人ホームに老人しかいないって変だと思う」と問いを立て24歳で創業メンバーとして有料老人ホームを立ち上げ、アーティスト、大学生や子どもたちとともに町に開いた居場所づくりを実践。2015年デンマークに留学し、幼児教育・高齢者住宅の視察、民主主義形成について国会議員らと意見交換を重ね帰国。「長崎二丁目家庭科室」主宰(豊島区椎名町)、2019年より長野県軽井沢町にて「診療所と大きな台所があるところ ほっちのロッヂ」を医師の紅谷と共に開業し共同代表。共著に『社会的処方(2019学芸出版社)』『ケアとまちづくり、ときどきアート(2020中外医学社)』。 「文化の再生、リ・ビルディング」 馬場 拓也さん(社会福祉法人愛川舜寿会/神奈川) 写真左:ほっちのロッヂ共同代表 紅谷氏、写真中央:社会福祉法人愛川舜寿会 馬場氏、写真右:ほっちのロッヂ共同代表 藤岡氏 一つ目のセッションは、「文化の再生、リ・ビルディング」。互いに医療や介護の資格を持たない立場で福祉法人や医療法人の運営をしている馬場さんと藤岡さんの視点から、ケアのWell-beingが語られました。実家が牧場で、アパレル業界で働いていた馬場さん。アパレル業界にいたころから、「この人のために行動したい」と思い立つとすぐに行動されてきましたが、福祉の現場でも同様とのこと。 人と人とのつながりをつくると、その地域の文化に手が届いていくこと。そして、「つながりを緩やかに作る」ことの大切さも語られました。医療福祉の現場においては、力んで頑張りすぎると疲れてしまったり、落差を感じたりしてしまうことも。「厚切りハムを出してしまいがちだが、すぐに自分がすり減ってしまう。薄切りハムで少しずつ出していく」「長距離マラソンとしてとらえる」といったわかりやすい喩えもあり、会場には笑顔が。 「今の日本は、下りのエスカレーターを上っているようなもの。だからこそ、上ったときには達成感が得られる」というお話もあり、聞き手に一体感が生まれていました。 「私たちのWell-beingとケア」 松波 龍源さん(実験寺院寳幢寺 僧院長/京都) 写真左:実験寺院寳幢寺 僧院長 松波龍源氏、写真中央:ほっちのロッヂ共同代表 藤岡氏、写真右:ほっちのロッヂ共同代表 紅谷氏 二つ目のセッションに登場したのは、「実験寺院 寳幢寺」の僧院長である松波さん。松波さんは、伝統に縛られることなく、現代のリアルな生活に基づいた仏教の進化を目指しています。仏教における「空(くう)」の考え方や、現状の日本における医療・宗教の立ち位置や課題などについて語られました。 例えば、次のような提言がありました。主に「医師は身体をみる」「宗教家は精神をみる」側面があるが、片方だけでは成り立たないのではないか。医療従事者は哲学者ではないが、生死の問題には哲学の要素が絡んでくるのではないか。病気や障害などによって痛みがあるから即座に不幸とはいえず、逆に医療行為によって痛みが取り除かれたから幸福ともいえないのではないか。 ケアの現場ではなかなか語られづらい宗教との関係性について、深く考えさせられた本セッション。人の身体と精神、両方をあわせた幸福を目指すために試行錯誤をし、医療従事者と僧侶が相互に働きかける意義や可能性について対話されました。 社会的共通資本、理論と実践のいま 占部 まりさん(内科医・宇沢国際学館代表取締役・日本メメントモリ協会代表理事/東京) 写真中央:内科医・宇沢国際学館代表取締役 占部まりさん 最後に登場したのは、日本が誇る経済学者の故 宇沢弘文氏の長女である占部まりさん。占部さんは、生命をはじめとした大切なものをお金に変えない「社会的共通資本」の理論構築を目指した宇沢氏の研究内容を世の中に伝える活動を行っています。社会的共通資本(自然環境、社会インフラ、制度資本)の考え方に加え、医療や介護も社会的資本であること、これらを国だけではなく地域で守る重要性などが語られました。 また、内科医として地域医療に携わる占部さんご自身の体験や考えも共有されました。例えば、自身が医療的ケア児と関わる中で感じた「アート」の持つ力と可能性について。医療的ケア児は医療数値からみると「弱い」と捉えられてしまいますが、医療数値は人間のほんの一部分しか見ていないのではないか。医療的ケア児が生み出すアートから感じられるエネルギーや、エネルギーをもらった人たちが生み出す活動などを踏まえた「強さ」があるのではないか、といった示唆も。 質問コーナーでは、「アートと医療・ケアの結びつきについてもっと知りたい」といった声から活発なディスカッションが生まれました。また、ご自身の経験から「変わった人と思えた人が実は重要な役割を担っていたり、そのときわからなかったものが種になっていて、数十年後に花開いたりすることもあるのでは」といった意見もあり、感嘆のため息が聴こえました。 聞き手のことば 最後に、会場にいらした聞き手の方々の感想もご紹介します。 なんとなく考えていたことが言語化されて腑に落ちた 私は現在、障がい者施設でヘルパーとして働いています。最近まで高齢者施設で在宅支援をしているなかで、利用者さんご本人だけではなくご家族を含めたつながりの大切さや、そういったつながりがケアの充実にもつながるという体験をたくさんしてきました。ほっちのロッヂの藤岡さんや舜寿会の馬場さんのお話を伺いたくて、今日ここに来ました。馬場さんの「人とつながり、関わっていくと、その地域の文化に手が届くようになる」というお話は、私が在宅支援をしてきた際に感じたことと同じだったので、とても共感しました。また、「厚切りのハム」に例えられた話も面白かったですし(笑)、本当にそのとおりだと思いました。利用者さんに充実した生き方をしてほしい、という思いがあって、どんどん厚切りになっていっちゃうんですよね。「なんとなくそうなっちゃいけないな」とは感じていたんですが、言語化していただけて腑に落ちる瞬間がありました。ケアの視点だけじゃなくて、人と人とのつながり、自分の家族や自分の地域とのつながりの中でも意識していきたいと思えるお話が聴けて、充実したときを過ごせました。 自分たちの今後の活動のヒントに 私は在宅医療の「医療と介護をつなぐ」しくみづくりの部署で働いています。ほっちのロッヂ共同代表の紅谷先生の講演やイベントにも何度か参加しています。私の仕事も地域づくりや在宅医療、意思決定支援などにつながる部分があるので、何かヒントを得られないかと思い、参加させていただきました。松波さんのお話を聴く中では、私たちも地域の宗教家の方たちを巻き込んで何かやっていけないか?と、新たなヒントをいただきました。 この空間にケアされている感覚があった 私は、福祉・介護に興味のない若者のコミュニティづくりや学びの場づくりをしています。忙しい日々を生きていると、自分自身や周りの人が次第にすり減っていくように感じることがあり、一旦落ち着いて考えたい、語り合いたいという想いもあって、今回参加しました。自分自身がこの場にいることでケアされているような感覚があったのですが、それはきっとお話の内容はもちろんのこと、ここに集まっている方々が持つ価値観・世界観などによるものではないかと思いました。 * * * なかなか面と向かって語り合うことが少ないテーマについて向き合っていた本イベントは、聞き手の心に多くの気づき、ヒントを残したようです。初めて出会う人たち同士が共感しあう瞬間も多く、終了後の聞き手の方々の前向きな笑顔が印象的でした。 取材・執筆・編集: NsPace編集部

訪問看護から看多機・生活支援・定期巡回まで。人と地域をつなげるために
訪問看護から看多機・生活支援・定期巡回まで。人と地域をつなげるために
インタビュー
2024年1月30日
2024年1月30日

訪問看護から看多機・生活支援・定期巡回まで。人と地域をつなげるために

訪問看護ステーションを開設後、神奈川県川崎市で初めて看護小規模多機能型居宅介護施設(看多機・かんたき)を立ち上げた林田菜緒美さん。現在は、放課後等デイサービスや子ども食堂、生活支援、定期巡回なども行っています。前編に引き続き、看多機運営のポイントやサービス拡大への想いなどを伺いました。 >>前編はこちら 川崎市初の看多機(かんたき)立ち上げへの想い&やりがい【ゆらりん家】 「ゆらりん家」の概要神奈川県川崎市麻生区にある、通い・宿泊・訪問看護・介護の4つのサービスを24時間365日提供するサテライト型、看護小規模多機能型居宅介護施設。急な用事での送迎時間の変更や、泊まりにしたいなど迅速な対応が可能で、登録定員18名、泊まりの個室は5部屋を用意。児童発達支援や放課後等デイサービスも行う「KIDSゆらりん」が併設され、子ども食堂も運営。室内はオープンキッチンやテラスがあって明るく、檜風呂が自慢。毎週日曜日は地域に開放し、あらゆる層の人とつながれる居場所をつくっている。〇プロフィールリンデン代表取締役林田 菜緒美さん福岡県出身。RKB毎日放送で広告営業として勤務後、夫の転勤で神奈川県へ。都立の看護専門学校を卒業し、病院や訪問看護ステーションを経て、2011年にリンデンを設立。「赤ちゃんからお年寄りまでその人らしく生きていく」ためのサポートを目指し、川崎市麻生区で看護小規模多機能型居宅介護事業などを展開。高齢者への生活支援と介護予防の基盤整備を進める地域の調整機能を果たす生活支援コーディネーターとしても活動。2024年には、健やかな社会の実現と国民生活の質の向上を目指し、献身的に活動する人を表彰するヘルシー・ソサエティ賞の医療・看護・介護従事者部門を受賞。 シェアハウスのようにみんなで譲り合う —看多機の運営で心がけているポイントを教えてください。 利用者さんやご家族に「譲り合い」をお願いしている点でしょうか。看多機は介護施設というよりもシェアハウスに似ているかもしれません。利用者さん全員が一斉にいらっしゃると、たちまち定員オーバーになってしまいます。だから、「今日、Aさんの具合が悪くなってお泊まりになりそうだから、いつもこの日に泊まっているBさんに、今日だけ家で過ごしてくれないかお願いしてみる」という感じで、個室のベッドも共有スペースの椅子もみんなでシェアしています。包括料金なので、毎日利用することもできるのですが、「老人ホームではなく在宅療養を支えるサービスである」ことを契約時にご本人やご家族にしっかり説明し、ご理解いただいています。 —新たに看多機を立ち上げたいと考えている訪問看護ステーションの管理者・経営者の方などに向け、アドバイスや注意点を教えてください。 資金面でいうと、最初から黒字化は難しいので、訪問看護ステーションをしっかり黒字化にしてから、看多機に挑戦するといいかなと思います。また、医療職の方は、当然ですが自分の専門分野での働き方しか知らないので、介護職との協働ができるように意識し、互いの職種を認めて尊敬しあい、協業できる力をつけることも大事だと思います。難しい医学用語は分かりやすく介護員に伝えるといった細かい配慮も大切だと思います。 何より、求人を募っても人手不足の今、介護職の人はなかなか集まりません。先にヘルパーステーションを開設し、介護職の人員確保の目途がある程度たってから、看多機を開設する方法もあると思います。ヘルパーステーションでの訪問介護では、介護士と看護師が一緒にお家を回り、2人で人工呼吸器や胃瘻などの医療的ケアが必要なご高齢者の入浴介助を行うケースなどが増えています。そうした経験を積めば、介護士の技量を上げることができる。弊社の介護福祉士には、みんな喀痰吸引等研修の1号まで取得してもらっています。吸引ができるように介護職員を育成すれば、夜勤も看護師と1号を持っている介護福祉士が交代でできるようになります。理想は、介護職員が「この利用者さんを散歩に連れていきたい」といったケアの方法を考え、看護師はそれを支える役割になればいいと思いますね。また、少しでも看多機を立ち上げたいという思いがあるなら、行政への相談が大事です。看多機は地域密着型のサービスなので、「その地区は計画済みで、もうサービスが足りているから要らない」などと行政から言われたり、「ここのエリアならいいのでは」などとアドバイスしてもらえたりすることも。やる気があっても、「今年度は補助金が出ません」と言われたら残念なので、まず行政に相談し、自分の思いと行政の計画を一致させてから動いた方が安心です。申請も複雑なので、分からないことはどんどん聞くといいでしょう。 使える制度を増やしてあらゆる人をサポート —林田さんは共生型サービスや障害児通所施設、生活支援コーディネーターなども行われています。複数のサービスを展開していくことで、どんなメリットがありましたか。 何よりよかったなと思うのが、ずっとひとりで家の中にいるような、地域との接点がなかった方たちとつながれたことだと思います。例えば、地域包括支援センターの人が訪ねても、扉を開けずかたくなに人を入れないご高齢者もいます。でもお弁当の配達なら、扉を開けてくれてその方の顔が見えるんです。毎週、お弁当を届けて声をかければ、笑顔を見せてくれたりして。「ゆらりんさんのお弁当の配達が始まってから、あの人、笑顔が多くなったのよ」なんてご近所さんから言われるとうれしいし、楽しいです。 医師の意見書なしに介護保険にはつながらないので、要介護レベルのご高齢者が「絶対に病院には行かない!」と言うと、介護認定はおりません。でも、見守りやお弁当配達から始めてみると信頼関係ができやすく、病院に行くように促すことも可能。事前に顔見知りになることで、介護保険サービスの利用も拒否されづらくなります。 —ひとり暮らしの認知症の方も、自分から申告してサービスを受けることが難しいように思います。そうした方々とつながることもあるのでしょうか。 そうですね。認知症だと分かるきっかけは、ゴミ出しだったりします。認知症の人はゴミの日以外にゴミを出すようになって近所の人から怒られ、ゴミを出すのが怖くなってゴミ屋敷になっていくんです。代わりにゴミを出してあげるような周囲の優しさがあると、ゴミ屋敷にまでならなくて済むのに、といつも思います。 ある日、地域包括支援センターの方からの相談で、ゴミ屋敷のお家に行きました。90代の認知症が進んだおばあさんを訪ねたのですが、そこには50代の精神疾患の娘さんもいらしたんです。それまではおそらくお母さんが3食食事をつくり、娘さんの通院も付き添っていらっしゃった。でも認知症の進行でそれができなくなり、2人は完全に地域とのつながりがなくなって孤立状態になってしまいました。この狭い地域でこうした例が今まで2~3件あったので、全国的に見ると大きな社会問題ではないかと思います。 スタッフでお部屋を片づけ、お母さんには看多機を利用してもらうように手続きしました。当看多機は共生型サービス(障害福祉サービス)の申請をしていたので、50代の娘さんも利用できるように手配し、週2回の通いで入浴できるように。2人とも、1年以上お風呂に入ってなかったと思います。こうした例を見ると、制度を駆使してあらゆる年代や状況に対応できるサービスを提供できるように整備する必要性を感じます。すべてボランティアではできませんから。 最近、新しい事業として「定期巡回随時訪問看護介護」を始めました。とてもいい制度で、看護師や介護員が定期的にお家を回れて、何かあれば緊急ボタンを押せば看護師とつながることができる。泊まりが必要ないご高齢者なら、このサービスで十分なサポートを得られるのではないかと思っています。 始めたきっかけは、「最近、姿を見ない」と近所の人から地域包括センターに連絡があり、高齢夫婦の自宅を訪問したことでした。訪ねると、脚がパンパンにむくんだおじいさんがいました。すぐに認知症でインスリンが打てなくなったんだと分かり、血糖値を図ったら計測不能なほどの高数値。入院が必要な状況でしたが、ご本人は認知症の奥様がいるから絶対に入院しないとおっしゃる。協力医療機関の医師に相談し往診に入ってもらい、毎日血糖値を図りながらインスリン量を調整し対応してきました。毎月通院してかなりの量のインスリンや薬をもらっていた患者さんが外来に来なくなったとしても、病院から地域の看護師などの支援者につながらない現状があります。 このおじいさんは認知症ですが要介護1なので介護護保険の点数ではサポートしきれず、「定期巡回随時訪問看護介護」でサポートしています。365日午前に看護師が血糖値を計ってインスリンを打ち内服介助。介護員が午後に洗濯や買い物、お食事の準備などを手伝っています。定期巡回は看多機と違ってケアマネジャーの変更が不要で、他事業所の通所も利用できます。包括料金なので必要に応じて行く回数も柔軟に変更できます。ただ、人手不足なので、夜間の介護員の配置は難しいなと思います。まだ利用者さんが少ないですが、ケースによってこうした制度も上手に使っていきたいです。 テレビ局時代にはなかった人や地域に貢献できるうれしさ —なぜそこまで地域のために頑張れるのでしょうか。モチベーションの源泉を教えてください。 困っている人を見捨てられないという性格かな(笑)。テレビ局の広告営業からの看護師への転身だったので、こんなに人から感謝されて地域の役にも立ってお金がもらえるなんて、なんていい仕事なんだろうという感激が強いのかもしれません。 30歳直前で看護師になろうと思ったのも、白血病で入院していた小学生の甥っ子を看護師さんが笑顔にする姿が忘れられなくて。看護学校時代も訪問看護ステーションの実習で、人工呼吸器をつけている子どもの家を訪問したときに、こうした人たちをサポートする訪問看護の現場で働きたいと思いました。「来年、卒業したらここで雇ってもらえますか」と実習先の方に聞きましたが、あのころは「内科3年、外科3年」という時代で、「まず病院で3年働いて経験を積んでからね」と言われ、そういうものかと思い、病院勤務で経験を積むことに。当時は3歳と1歳の子どもを抱えて余裕もなかったので、訪問看護ステーションで働きたいと本気で思えたのは、子どもが小学校に入ってからでしたね。転職して訪問看護の現場で働くうちに、自分の愛着ある地域で重症度や年齢で断ることのないサポートがしたいと思い、独立したんです。 やりたいと思ったら、みなさんもチャレンジしたほうが絶対にいいと思うんですよ。私も来年60歳になりますが、人生は思うよりも案外短い。訪問看護ステーションや看多機を立ち上げる程度の借金は、やる気になれば返せないお金ではないので、怖がらなくてもいいと私は思います。ただ社長業は大変。従業員60人分の給料を生み出さなくてはいけないし、やること考えることもたくさんあります。胃が痛くなるような、一度始めたら終わりにできない苦しさもあります。それでも続けることで地域がつながり、助けが必要な人を1人でも多くサポートできる。しんどくても、モチベーションを低下させずに私が続けられている理由ではないでしょうか。 やはり地域の中に居場所をつくり続けることが大事で、ここでサポートできる内容やレベルが高まれば、町全体がもう少し認知症の高齢者などに優しくなれるのではないかとも思うんです。ボランティアでうちに通っていた人がいつの間にか認知症になって利用者さんになったけれど、ご本人は変わらずボランティアをしていると思っている。そして私たちはお金をいただいている(笑)。そんな状態になるのが理想だなと思います。 —今後の展望を教えてください。 とにかく継続することですね。始めたことに責任をもって継続するには、それをまた担ってくれる若い人たちに代替えしていかなくてはいけない。看護師はもちろん、介護員不足にとても困っている施設が多いなかで、まずは中高生や、看護や介護の実習生といった若い世代に、この仕事に興味を持ってもらうことを大事にしています。例えば、子ども食堂のボランティアには中高生も来てくれます。子どもたちが看護師や介護士、保育士が働いている姿を間近で見て、地域づくりや看護、介護などに対し、自然に興味を持ってくれるような場にもなっている。そうして次世代にバトンタッチしながら、地域にずっと残る頼れる居場所であってほしいと思います。 ※本記事は、2023 年10月時点の情報をもとに構成しています。執筆:高島 三幸取材・編集:NsPace 編集部

地域住民の心身の健康のために【訪問看護認定看護師 活動記/東北ブロック】
地域住民の心身の健康のために【訪問看護認定看護師 活動記/東北ブロック】
コラム
2024年1月23日
2024年1月23日

地域住民の心身の健康のために【訪問看護認定看護師 活動記/東北ブロック】

全国で活躍する訪問看護認定看護師の活動内容をご紹介する本シリーズ。今回は、日本訪問看護認定看護師協議会 東北ブロック、戸崎 亜紀子さんのご登場です。訪問看護師になったきっかけや、東日本大震災のご経験、地域のニーズに向き合う活動、ACP(アドバンス・ケア・プランニング)の啓発活動などをご紹介いただきます。 執筆: 戸崎 亜紀子星総合病院 法人在宅事業部長/在宅ケア認定看護師総合病院で急性期看護を経験した後、育児・介護のため一時退職。クリニック勤務を経て星総合病院に入職し、精神科病棟を経験した後、訪問看護ステーションへ。訪問看護ステーション管理者、在宅事業部事務局長、法人看護部長を経て、現職。2009年~ ポラリス保健看護学院 非常勤講師(在宅看護論)2012年~2021年 福島県訪問看護連絡協議会 理事、副会長2015~2016年 福島県看護協会 施設・在宅看護師職能委員会2016年~ 郡山医師会 在宅医療介護連携推進特別委員会メンバー2021年~ 日本訪問看護認定看護師協議会 理事2022年~ 感染管理認定看護師教育課程開設準備 東北ならではの在宅看取り実践事例を紹介 まずは、訪問看護認定看護師協議会の東北ブロックについてご紹介します。東北ブロックの会員数は10名です(2024年1月現在)。少ない人数ですが、年に2回は仙台に集合して研修を行ってきました。近年はオンラインでのミーティングや研修もできるようになり、交通費や移動時間の心配がないぶん、より活動しやすくなっています。 2021年に、協議会では日本財団支援事業として全国 各ブロックで「在宅看取りを実践できる訪問看護師の育成事業」に取り組みました。東北ブロックの私たちもオンラインでの打ち合わせを重ね、研修当日は東北の訪問看護師86名に対して、東北ならではの実践事例を紹介。それを踏まえたディスカッションも行うことができました。これは、認定看護師として力が発揮できたと実感でき、自信になる取り組みでした。 ※参考日本訪問看護認定看護師協議会「2021年度日本財団支援事業(遺贈基金) 在宅看取りを実践できる訪問看護師の育成プロジェクト」 東北ブロック活動報告(PDF) ブロック活動では、悩みや境遇が近い認定看護師同士でディスカッションでき、刺激を受けることや励まされることが多くあります。今後もっと仲間が増えることを切に願っています。 「家に帰りたい」患者さんのために さて、ここからは私自身の経験や活動内容についてもお話ししていきたいと思います。 私が訪問看護を始めたきっかけは、当時ナースバンク(現福島県ナースセンター)からお知らせのあった「訪問看護婦養成講座」です。「ブランクの不安解消になるのでは」という安易な気持ちで参加したのですが、その講座で介護保険や訪問看護制度を知ったことが、私の転機になりました。 急性期病院で働いていたとき、「家に帰りたい」と言いながら病棟で息を引き取っていった終末期の患者さんたちを数多く看てきましたが、仕方のないことだと思っていました。それが「今の時代なら自宅に帰してあげられるんだ」と知り、衝撃を受けたのです。 「ぜひ訪問看護をしたい」と現在勤めている法人に就職し、病棟で精神科看護を経験したのち、訪問看護ステーションに異動となりました。精神科訪問看護や介護保険での高齢者の訪問、在宅看取りに携わりました。 3.11東日本大震災を経験。災害への想い 私が訪問看護認定看護師になったのは、訪問看護ステーションに勤めて4年目の2010年のこと。退院調整でがん性疼痛看護認定看護師と協働する機会があり、彼女に大きな刺激を受け、44歳で認定看護師になったのです。 学んだことを活かしてより深くアセスメントできるようになり、やりがいをもって活動していた矢先、2011年に東日本大震災と原子力発電所の事故が起きました。当地は津波こそない地域でしたが、震度6弱の揺れにより自宅が全壊判定となる被害を受け、余震と放射能の恐怖や先の見えない不安のなか、無我夢中で日々を送りました。 星総合病院 被災写真(2011年3月12日撮影)。スプリンクラーが作動し、二次被害も危惧されたため、300人以上の患者さんは全員避難。当日のうちに、法人の関連病院や地域の急性期病院に振り分けた そのような状況下で私が前を向くことができたのは、認定看護師教育課程の先生や同期の仲間、その他大勢の方々が心を寄せてくださったおかげです。そして、自分の看護を待っている方がいることも、大きな支えでした。突然病気や障害を抱えることになった患者さんの気持ちと、突然被災した自分を重ねることも度々ありました。被災者になってみて、看護のもつ力、例えばそばにいること、見通しに関する情報を提供すること、関心を寄せ続けることなどが大きな力になると実感し、この経験から数多くのことを学びました。 実は震災の2年前、「宮城県沖地震(1978年)が再来する確率80%以上」といわれていました。そのため、当時所属していた部署で阪神・淡路大震災や新潟県中越地震が起きた際の訪問看護ステーションの事例を読み合わせし、対策を検討する機会を持ちました。この会を通じて、電話がつながらなくなり安否確認に苦労した話や、波打った道路や崩れた塀などで夜間の訪問が危険になった話を知り、当時できることを検討して取り組みました。そのうちのいくつかは、東日本大震災の時に現実に。「念のため」と思って対策していたことが、まさかこれほど短期間のうちに役に立つとは、思いもよりませんでした。 近年は「想定外の災害」「命を守る行動を」といった言葉を、頻繁に耳にするようになりました。新型コロナウイルスのパンデミックも災害といえます。「大丈夫だろう」ではなく、「起きるかもしれない」と自分事として考えておくこと。そしてBCPを作成しておくこと。私はこれらの大切さを、身をもって実感しています。 今年度(2023年度)に日本訪問看護認定看護師協議会がBCP作成支援事業に取り組むことになり、私は担当理事になりました。BCP作成に対して億劫なイメージを持たれる方もいらっしゃるかもしれませんが、本当に役に立ちますし、必要なものです。参加した事業所のBCP作成をしっかりと支援すべく、委員一同本気で取り組んでいます。 地域のニーズに応え、幅広く活動 訪問看護ステーションに勤めている間に、所属する法人が「看護師特定行為研修機関」になり、私も研修を受講できました。地域で働く看護師こそ、これにより裁量権が増えて活躍できるのではと、心躍りました。 ※参考:公益社団法人 日本看護協会 「特定行為研修制度とは」 当時、当法人では「医療機関ではあるが、もっと地域のニーズを拾い、できることをしよう」と在宅事業部事務局を創設することになりました。そこに私が異動することになり、「法人の看護職がもっと地域のニーズに向き合い、看護の視野を広げ活躍できるように」という想いを抱きながら、法人在宅事業部事務局長に就任しました。総合病院に籍を置きながら、現在でも地域の方々と数多くの接点を持ち、「つながっていく」ための活動をしています。 「懸け橋メイトミーティング」 2019年、星ヶ丘福祉タウンでの懸け橋メイトミーティングの様子 市内地域の訪問看護ステーションや病院の退院調整担当者、そしてケアマネジャーを巻き込んで、多職種連携研修を行っており、「顔の見える」関係構築につながっています。 コロナ禍もオンラインやハイブリッド方式で継続し、年に3回程度実施しています。 「どこでもメディカルセミナー」 特別養護老人ホームにて演習付き講義を行った際の様子 地域の医療介護従事者に向けた出張型研修プログラム。地域との連携強化につながっています。申込者と職員とのマッチングをし、研修をコーディネートをしています。 「オレンジカフェ☆キラリ」 オレンジカフェにて人生会議に関する健康教室を開催した際の様子 認知症疾患医療センターと連携した認知症カフェの取り組みです。星総合病院の敷地内で、原則月に2回開催しています。 複数の専門職やボランティア、学生等が参加しており、健康体操、健康講座などのイベントをあわせて開催しています。 2019年のお花見ツアー企画 カフェ常連の認知症当事者の方と介護者・スタッフとで、お花見ツアーも行いました。 写真に写っている認知症当事者の方(右)の一言が発端で、お花見が実現しました。 コロナ禍で中断したものもありますが、これら以外にも精神科の患者さんやお子さんを対象としたイベントも含め、数多くの取り組みを行ってきました。 こうした活動を通して、地域住民の方がぽつりぽつりと健康相談・介護相談・認知症の相談をしてくださるようになりました。見知らぬ人同士が出会って、信頼関係ができ、いろんなつながりができる。訪問看護の経験が大きく活きる活動でした。 「あなたらしい生き方」を支えるために 最後に、私が注力してきたACP(アドバンス・ケア・プランニング)に関する活動もご紹介します。 これまで、たくさんの高齢者や終末期の利用者さん、そのご家族との出会いがありましたが、皆さんそれぞれに文化や思いがあります。こちらの常識で決めつけてはいけないということ、看護職が行う情報提供の必要性や、看護職だからこそできる情緒的なサポートの重要性、そして、看取り支援をするためには、ヘルパーやケアマネジャーと情報を共有し、チームで利用者さんとご家族を支えることがとても大切なのだと学びました。 患者さんや地域住民だけでなく、病院職員も含めたすべての人にACPの啓発活動をしていくべきとの思いから、2018年に法人内の事務職やセラピスト、医師も含めACPプロジェクトチームを創設しました。 ACPプロジェクトチームは少しずつ活動を広げ、今も法人各施設から多職種を委員として選出して定例会を実施しています。全職員向けの研修会、新入職員研修での「もしバナカードゲーム」を用いたACP啓発活動や、地域住民向けの出前講座なども行っています。2020年にはACP啓発ツール「未来への手紙」~ACPのすすめ~の作成と配布を開始しました。 参考: 公益財団法人 星総合病院 ACPプロジェクトチーム Webサイト(「未来の手紙」のダウンロードも可能) 2017年の職員向け「もしバナカードゲーム」体験会の様子 社会資源として、地域住民の健康を支える 色々と立場は変わってきましたが、私の活動の判断基準は常に「そのことが地域住民の心身の健康につながるか」です。 人生において「入院患者」としての期間はほんの一部分で、その前後は「生活者」です。私たちが提供する医療や看護は、その方のQOLを良くすることにつながらなければいけないと思っています。当法人は「病気を治療するだけでは人は健康に暮らすことができない。地域が必要とする救急医療・高度医療・専門医療並びに介護・福祉事業の提供をもって地域の公衆衛生の向上に資することを事業として行う」と掲げています。 認定看護師になったばかりの頃、所属法人の理事長から「あなたは社会資源となりなさい」という言葉をいただきました。今後も、自分の言葉、振舞い、活動が少しでも地域住民の健康に暮らすことの一助になるように、活動を続けていきたいと思います。 * * * 最後になりますが、この原稿の校正中に令和6年能登半島地震が発生しました。被災された方々に心からお見舞い申し上げます。当協議会ができる支援を考え続け、何らかの活動をしていきたいと考えています。少しでも安心と安寧の時間が増えていきますように。 ※本記事は、2024年1月時点の情報をもとに構成しています。 編集: NsPace編集部

川崎市初の看多機(かんたき)立ち上げへの想い&やりがい【ゆらりん家】
川崎市初の看多機(かんたき)立ち上げへの想い&やりがい【ゆらりん家】
インタビュー
2024年1月23日
2024年1月23日

川崎市初の看多機(かんたき)立ち上げへの想い&やりがい【ゆらりん家】

「看護小規模多機能型居宅介護」(以下、「看多機」(かんたき))は、医療依存度が高い高齢者や体調が不安定な障害を抱えている人などが、住み慣れた自宅で生活するための介護保険サービスです。特徴は、訪問介護や訪問看護が受けられ、事業所への通い(デイサービス)や宿泊も可能なこと。24時間365日、できるだけ介護者や家族の希望に沿った柔軟で包括的なサービスの提供ができます。 この看多機の先がけが、林田菜緒美さんが神奈川県川崎市麻生区で2013年に開設された「ナーシングホーム岡上」(現・ナーシングホームゆらりん)です。訪問看護ステーションを運営していた林田さんが、川崎市で初めて看多機を立ち上げたのは約10年前のこと。林田さんに、立ち上げ時のお話や現在の想いを伺いました。 「ゆらりん家」について神奈川県川崎市麻生区にある、通い・宿泊・訪問看護・介護の4つのサービスを24時間365日提供するサテライト型の看護小規模多機能型居宅介護施設。急な用事での送迎時間の変更や、泊まりにしたいなど迅速な対応が可能で、登録定員18名、泊まりの個室は5部屋を用意。児童発達支援や放課後等デイサービスも行う「KIDSゆらりん」が併設され、子ども食堂も運営。室内はオープンキッチンやテラスがあって明るく、檜風呂が自慢。毎週日曜日は地域に開放し、あらゆる層の人とつながれる居場所をつくっている。〇プロフィールリンデン代表取締役林田 菜緒美さん福岡県出身。RKB毎日放送で広告営業として勤務後、夫の転勤で神奈川県へ。都立の看護専門学校を卒業し、病院や訪問看護ステーションを経て、2011年にリンデンを設立。「赤ちゃんからお年寄りまでその人らしく生きていく」ためのサポートを目指し、川崎市麻生区で看護小規模多機能型居宅介護事業などを展開。高齢者への生活支援と介護予防の基盤整備を進める地域の調整機能を果たす生活支援コーディネーターとしても活動。2024年には、健やかな社会の実現と国民生活の質の向上を目指し、献身的に活動する人を表彰するヘルシー・ソサエティ賞の医療・看護・介護従事者部門を受賞。 地域のサロンのような場所でありたい —まずは「ゆらりん家」という施設の特徴と、何を目指して運営されているのかを教えてください。 始まりは、2011年4月に、神奈川県川崎市麻生区の岡上という地域に開設した小さな訪問看護ステーションの「ゆらりん」でした。2013年には、在宅で過ごしたいという人工呼吸器などを付けた医療的ケアが必要な方の希望に寄り添いたいと、 「ナーシングホーム岡上」(現・ナーシングホームゆらりん) を開設。その半年後に、ヘルパーステーションと居宅介護支援を併設しました。2016年には「ナーシングホーム岡上」から徒歩圏内に医療的ケア児の通所施設「KIDSゆらりん」を新設し、2018年には地域のあらゆる人々に活用してもらえるサテライト型「ゆらりん家」をスタートさせました。川崎市から小地域における生活支援体制等整備事業の委託を受け、日曜日は地域開放日にして、住民のためのお弁当作りや健康体操などを行っています。あらゆる層の方をサポートしたいと目の前の課題に一所懸命に取り組んでいたら、自然とサービスの幅が広がり事業も拡大していきました。 私たちの施設の特徴は、人工呼吸器や胃瘻といった高度な医療処置が必要な高齢者の看取りまでをサポートできるのはもちろんのこと、近所の方々にとってサロンのような場所であることも大切にしています。例えば、うちに通っている利用者さんに会いたくて、ご近所に住むご高齢者が「こんにちは、〇〇さんいらっしゃる?」とテラスからひょっこりと入ってくる。そんなご近所さんと利用者さんがコーヒーを飲みながらカフェタイムを楽しむサロンのようなイメージです。近くに住む認知症の方が間違って入ってきてもいいですし、小学生が学校帰りに遊びにきてもいい。「誰でも来ていいんだよ」という開かれた居場所をつくり地域のみなさんがつながることで、支え合えます。赤ちゃんから高齢者まで、その人らしく生きることに寄り添える場でありたいと考えています。 ふらっと遊びに来ていたご高齢者やこの職場で働いていた看護師や介護員が、自身の終末期のときにここで看取りのお世話になる可能性だってある。何かあったときに知らない施設よりも馴染みのある場所で過ごせるだけで安心感があると思います。頼れる場所が、小学校の学区内くらいの歩いて行ける場所にひとつあるだけで、自身や家族の介護・看護の不安が随分和らぐように思います。 週1~2回の訪問看護の限界を感じた —看多機を立ち上げた経緯を教えてください。 私は元々福岡でテレビ局に勤務していて、夫の転勤をきっかけに仕事を辞めて、この神奈川県川崎市に引っ越してきました。大病を患っている親戚のもとへお見舞いに行ったとき、患者さんに寄り添う看護師さんの姿を見てなんて素晴らしい仕事だと感動し、30歳で看護学校に入学して資格を取得したんです。訪問看護に興味があったので、県内の病院で経験を積んだ後、訪問看護ステーションの会社で管理者として6~7年働きました。 2011年に自分が住んでいる地域で訪問看護ステーションを始めようと独立し、自宅をリフォームして5人ほどのスタッフで開業しました。でも、胃瘻や吸引の必要があるご高齢の難病の方をサポートしていると、日に1~2時間の限られた時間での訪問看護だけでは限界があると感じました。例えば、胃瘻や吸引が必要なご主人を1人で一生懸命、介護されていた奥様がいらっしゃって、遠方に住むご兄弟が亡くなったときに、医療的ケアが必要なご主人の預け先が見つからず、お葬式に出席できなかったんです。 そんなケースが何件かあり、地域にレスパイト先(在宅介護や医療を受けている人や介護する家族の休養を目的とした短期入院)もない中で、介護する家族の負担も減らすために、高度な医療的ケアが必要な方が泊まれる場所をつくりたいと考えました。ちょうどそのころ、「複合型サービス」がスタートし、いいサービスだな、やってみたいなと思って土地探しを始めました。私のように「泊まれる場所がほしい」と考え、訪問看護ステーションから看多機へと移行し、開業する人は少なくないと思います。 —呼吸器などをつけている方は、デイサービスにも行けないですよね。 そうなんです。せめてデイサービスに行ければ、ご家族も自身の通院といった自分のための時間がつくれる…。訪問看護でできることは本当に限られています。吸引できるヘルパーさんを育てて、「3時間はご主人を診ていられるようにするから、その間にご自身の病院に行ってください!」といった苦肉の策で時間を伸ばすしかなかった。もう少し長く看られればという思いが強くなり、行動につながったと思います。 ―岡上(川崎市麻生区)で開業された理由についても教えてください。 私は福岡から引っ越してこの地で子育てしたので岡上に愛着があり、心が知れたママ友たちがいます。そして、岡上は麻生区でありながら、東京都町田市に囲まれている「飛び地」なんです。あまりバスは走っていないし、市役所や区役所に行くにも電車に乗らなければいけない。そんな不便な地域だからこそ、困ったときに頼れる看多機のような施設が必要だと思いました。 自転車で地主の家を回って土地探し —物件探しなど、事業所開設までのご苦労はありましたか。 訪問看護ステーションならアパートの一室でも始められますが、看多機は広さの規定があったり、スプリンクラーの設置が必要だったりとさまざまなルールがあります。また、川崎市から2000万円ほど助成金を受けましたが、それまで住宅ローンしか組んだことがなかったので(笑)、助成金の手続きのしかたや銀行から融資を受ける方法が分からず、お金に関する勉強もしました。 当時は看多機が川崎市になく申請も複雑だったので、市の担当者も進め方が分からずお互いに不慣れでしたね。4~5回ほど役所に通い、あとはメールや電話で相談しながら進めていきました。 さきほど申し上げた通り、場所は岡上と決めていたんですが、エリアによって建物の規制が結構あるため、なかなかいい土地が見つからなかったんです。ネットで調べても売り物件があまりなく、不動産屋に聞いても適した土地が見つかりにくいと考えたので、町内会長に相談したり、法務局に行って目ぼしい土地の持ち主情報を収集したりして、自転車で回りながら6~7件ほど地主さんの家を周りました。「こんなサービスの施設をつくりたいのですが、土地はないですか?」と直接かけあっていったんです。 「ナーシングホーム岡上」がある場所はもともと雑木林でしたが、規定の広さをクリアし、地主さんのご了承もいただいたので、土地を借りて施設を立てることにしました。不動産で探すのもひとつの手ですが、地域によっては地主さんとお話するほうが、最適な土地が見つかりやすいように思います。 —経営は最初から順調だったのでしょうか。 いえいえ。最初の利用者さんは、インスリン注射が必要な要介護1の車いすを使用している糖尿病のおじいさんが1人だけ。その状態が3~4ヵ月続き、毎日お金の計算ばかりしていて倒産するかもと思いました(笑)。訪問看護が2年目で黒字化してはいましたが、「あと〇ヵ月は大丈夫だな」「もう1回銀行でお金借りなきゃいけないかな」などと経営面ではいつも不安と隣り合わせでした。 当時、看多機の認知度は低かったので、病院のMSW(メディカルソーシャルワーカー)にご挨拶と施設の説明をしに行き、病院からの紹介で少しずつ利用者さんが増えてきました。ケアマネジャーさんにも説明しに行ったのですが、看多機を利用する場合、その施設専属のケアマネに変更する必要があるので、スムーズにいかないこともあって…。でも、一度サービスを受けていただいて実績ができると、ケアマネさんが「この事例なら、『看多機』がいいのでは」と提案してくださることが増え、口コミで広がっていきました。 —サテライトの「ゆらりん家」を開設して5年、看多機を始めてから10年経過されていますが、立ち上げ時以外にご苦労された点についても教えてください。 看多機の認知度をあげ、安定して利用者を確保することや、介護職員の求人などは難渋しましたね。コロナ禍では通いを減らして訪問中心に切り替える、といったこともしながら、事業所は休まずに継続しました。継続するのは大変ですが、それと同時に柔軟に通い・訪問・泊まりを切り替えられるのが看多機の強みだとも実感しました。 また、日曜の地域活動も同様で、休止するのは簡単ですが、要介護予備軍の人たちが孤独になって悪化する恐れもあります。 妻の在宅での看取りを叶えた大学教授 —看多機をやってよかったと思うエピソードはありますか。 難病の奥様を自宅で介護されてきたご主人のエピソードですね。訪問看護やデイサービス、訪問入浴を利用しながら、週1~2回の大学での授業を続けていましたが、病気の進行で入院、人工呼吸器装着となりました。病院からは施設への入居をすすめられたのですが、ご主人は「絶対に家に連れて帰る」とおっしゃって、看多機を利用されることになったのです。ご主人の仕事や用事のある日に、通いと泊まりを週に数回利用され、ご自宅にいらっしゃる日は訪問看護でケアに入り、最期はご自宅で看取られました。ご主人がレスパイトの時間を持てたことで介護疲弊を防げたことはもちろんですが、ご本人もお話しすることはできなかったものの、送迎車から外の景色を見ながら季節を感じたり、事業所のイベントを楽しまれたりと365日自宅のベッドで過ごすより充実した療養生活を送れたのではないかと思います。 今は毎週日曜にご主人がゆらりん家に来てくださって、ボランティアで床掃除をしてくださっています。「『看多機』のような素晴らしいサービスをなぜもっと広報しないんだ!」と応援してくださる。おそらく奥様の思い出話ができる看護師や介護員がいる場所であることも、通ってくださる理由ではないかと思います。グリーフケアにもつながっているのかもしれません。亡くなられた後にボランティアで参加してくださるご家族がいると、病院勤務時代には味わえなかったこの仕事のやりがいや醍醐味を感じます。 また、経鼻経管栄養の利用者さんで、医師からは経口摂取は禁止と言われて退院しましたが、ここで過ごしてケアを受けることで、お鼻の管が取れて最後は普通食を口にできたというご高齢の方もいました。認知症がありましたので、言葉でうまく感情を伝えられなかったのですが、明らかに笑顔が増えました。口から食事ができるって本当に素晴らしいことで、ご家族もうれしそうでした。 >>後編はこちら訪問看護から看多機・生活支援・定期巡回まで。人と地域をつなげるために ※本記事は、2023 年10月時点の情報をもとに構成しています。執筆:高島 三幸取材・編集:NsPace 編集部

訪問看護認定看護師 活動記/九州ブロック
訪問看護認定看護師 活動記/九州ブロック
コラム
2024年1月16日
2024年1月16日

地域の出前講座で訪問看護を普及【訪問看護認定看護師 活動記/九州ブロック】

全国で活躍する訪問看護認定看護師の皆さまの活動内容をご紹介する本シリーズ。今回は、日本訪問看護認定看護師協議会の九州ブロック、安部 美保さんの活動記です。安部さんは、訪問看護ステーション管理者で、大分県訪問看護ステーション協議会 副会長でもあります。大分県内の訪問看護ネットワークについてや、地域市民の方々向けの出前講座への取り組みなどをご紹介いただきます。 執筆:安部 美保保健師・助産師学科を卒業後、地元の総合病院へ入職1997年 病院併設の訪問看護ステーション開設と同時に管理者となる。2012年 訪問看護認定看護師資格取得2020年~ 日本訪問看護認定看護師協議会九州ブロック長2022年~ 一般社団法人 大分県訪問看護ステーション協議会 副会長 月に1回の「おしゃべり会」開催 日本訪問看護認定看護師協議会九州ブロックの体制は、九州・沖縄の8県の会員で構成されています。会員数は、2023年11月現在で24名です。ブロック長1名と大分・福岡・佐賀・熊本・鹿児島からそれぞれ1名の委員が選出されており、研修会・交流会の企画運営などを中心に、ブロック活動を行っています。 2008年9月に西日本で初めて訪問看護認定看護師教育課程が大分県立看護科学大学看護研究交流センターに開設されました。そのため、九州やその近県に住む方は受講がしやすくなり、当時、九州内の訪問看護認定看護師も増加傾向にありました。しかし、2013年3月で大分の教育課程が閉講となったこと、経験豊かな訪問看護認定看護師が定年を迎え認定更新をしない方が増えてきたことなど、さまざまな要因が重なって、九州ブロックの会員数は、この5年間で10人程度減少しています。 年1回開催してきた研修会・交流会は、会員が開催地に集合し、顔を合わせて語り合うことのできる貴重な場となっていました。コロナ禍以降もリモート開催や対面・リモートのハイブリッド開催で継続してきましたが、会員数の減少と相まって、参加者が増えない状況がここ数年続いています。このように衰退していく状況を何とか打開したいという思いで、ブロック役員で話し合いを繰り返し行いました。 アイデアを出し合った結果、今年の7月から月1回、会員なら誰でも自由に参加できるリモートでの会議、通称「おしゃべり会」を定期的に開催することになりました。おしゃべり会を地道に開催していくうちに、これまで会員であっても交流のなかった方々が参加され、顔見知りが増え、それぞれの貴重な活動の報告が聞けて、新たな交流が生まれています。 「おしゃべり会」の会話の中で、「今年度の研修会に、ぜひ聖路加国際大学大学院看護学研究科教授の山田雅子先生に講演をお願いしたいね」という話が出ました。お忙しい先生に九州に来てもらうのは難しいのではと思ったのですが、山田先生から快く講師を受けていただくことができました。今から、先生の講演会をみんな楽しみにしています。 協議会の機能充実。大分の訪看ネットワーク 続いて、私が管理者を勤めている「訪問看護ステーションくにさき」も所属している、一般社団法人大分県訪問看護ステーション協議会(以下、協議会)の活動についてもご紹介します。 以前、協議会は大分県医師会が事務局を執り行う任意団体でしたが、6年前に法人化し、一般社団法人となりました。法人化後は、大分県看護研修会館内の一室をお借りして、事務員を一人雇用して活動を始めました。現在の協議会加入訪問看護ステーション(以下、ステーション)は135ヵ所で、大分県内の約70%のステーションが入会しています。会長の強いリーダーシップにも支えられ、この6年間で運営もスムーズになり、協議会機能も充実してきています。その成果の一つとして、今年度、法人化して初めて大分県から「訪問看護就職ガイダンス・インターンシップ事業」を受託できました。行政からも信頼される法人へと成長した証と喜んでいます。 加入ステーションはビジネスチャットでつながっており、事務局や会員からのタイムリーな情報提供があり、情報伝達・情報共有がスムーズです。また、県内を2次医療圏単位で分けて11の支部を作り、支部から理事を任命。支部長も兼ねてもらいます。支部ごとで定期的な支部会・研修会など活動を行っており、顔の見える関係ができています。 このネットワークのお陰で、訪問看護の実務でも協力しやすくなったという声があがっているほか、BCP策定にも役立っており、支部単位で協力してBCPを作り上げているところもあります。今後もさらに会員同士が交流でき、協力し合える協議会に発展していくことを願っています。 出前講座で訪問看護を普及 私は生まれ育った地元で訪問看護を30年以上おこなっています。30年前は医療職でさえ「訪問看護って何?」という人が大半なほど知名度が低かったことを覚えています。それが今では、訪問看護師の地道な努力の成果もあり、医療・介護・保健にかかわる方で訪問看護を知らない人はいない状況になってきています。 ただ、一般市民の方々の訪問看護の認知度はまだまだ低いと感じています。このような中で、長年地元で訪問看護をさせてもらい、訪問看護認定看護師の資格まで取得することができた私の役割は、地域住民に訪問看護を普及させることだと考えています。そうすれば、必要な方が必要な時に訪問看護を利用することができるという思いがあります。 出前講座の様子 それを実現するため、地域への出前講座を8年ほど前からはじめました。地域サロン活動から依頼を受けて、訪問看護の普及啓発に力を入れています。「そんないい制度があるとは知らなかった。必要になったらお願いしたい」といった声も聴かれています。地道な活動ですが、今後も続けていきたいと思っています。 * * * 訪問看護は、今後ますます在宅の場で必要とされ、発展していく分野です。人が本来生活する場所である自宅での暮らしを支え、自分らしく生き抜こうとする方たちを一緒にサポートしていきましょう。訪問看護はやりがいのある仕事ですよ。 ※本記事は、2023年11月時点の情報をもとに構成しています。 編集: NsPace編集部

社会的処方の課題&重要性
社会的処方の課題&重要性
特集
2024年1月16日
2024年1月16日

社会的処方の課題&重要性 誰がリンクワーカーを担うか

孤立・孤独対策でもある「社会的処方」の取り組みは、イギリスで生まれ、日本でも政策として取り入れられるようになりました。今後ますます重要性を増していくことが予想され、地域で働く訪問看護師にとっても知っておきたいトピックです。前回に引き続き、社会的処方の必要性や課題について見ていきましょう。 >>前回の記事はこちら政府も推進する「社会的処方」 定義&具体例。リンクワーカーは何をする? 日本が抱える課題と社会的処方の必要性 社会的処方は、孤立への対策や健康増進、生活の質(QOL)・ウェルビーイングの向上につながります。ここで、日本が抱えている課題を改めて確認しながら、社会的処方の必要性を確認していきましょう。 世界トップの高齢化率 孤立・孤独問題は先進国共通の課題となっていますが、日本の少子化・高齢化は深刻です。国が行った人口推計によると、2023年9月時点で高齢者人口の割合は29.1%と過去最高を更新。世界の200の国・地域の中でもトップです。高齢化に伴って社会保障給付費の増加も年々問題になってきています。疾病予防や健康増進により社会保障費の削減効果も期待できる社会的処方は、積極的に進めていきたい重要な政策のひとつといえるでしょう。 先進諸国最低の幸福度 国連の調査である「世界幸福度ランキング2023」の結果を見ると、日本は47位。前回よりランクを上げていますが、先進諸国の中では低めです。また、経済協力開発機構(OECD)の「幸福度白書2020(How’s Life?2020)」では、「仕事と生活のバランス」などの項目で他国の平均を大きく下回る結果が出ており、日本人は主観的に自分たちを幸福だと感じとれていないことがわかります。 ハーバード大学では84年にわたる調査・研究結果に基づき、健康で幸せな人生を送るためには「よい人間関係」がカギになると報告しています。元来、日本人は集団生活を営み、地域コミュニティに属する歴史をたどってきており、集団で個を支え合い助け合うという文化がありました。しかし、現代社会においては、核家族化やインターネットの普及が進み、地域との関わりが途絶えがち。社会的処方は、「人との交流」を取り戻すきっかけとなり、幸福度向上につながる取り組みともいえます。 社会的処方の課題 イギリスとは異なる制度 積極的に取り入れていきたい社会的処方ですが、イギリスのしくみをそのまま日本で実践することは難しいとされています。イギリスとの制度上の違いをみていきましょう。 イギリスと日本の医療の違い イギリスでは家庭医(General Practitioner:以下GP)というかかりつけ医が存在し、地域住民は疾患の疑いがある場合はGPに受診するしくみになっています。GPは患者に対して継続的な医療の提供を行うので、患者の生活や習慣に関わる機会が多く、生活における健康上の問題や悩みにも応じます。そのため、GPが地域住民の疾患予防や健康増進を図る司令塔としての役割を担い、リンクワーカーにつなげやすい構造ができているのです。また、医療報酬上、地域の患者が健康になればなるほど評価される基準(「評価ペイメント」)が存在していることも大きいでしょう。 一方、日本の医療制度では疾患の疑いがある時に任意の医療機関にかかります。継続的に医師と疾患や健康上の相談を行う人は多くないでしょう。また、診療報酬は出来高制であり数量評価がメイン。病院経営上なるべく短時間で多くの患者を診療するという傾向になりがちです。 社会的処方を医療や介護の場に導入し定着を図るのであれば、疾病の予防や健康の増進に対してどのように評価を行っていくか、また継続的に患者と関わり合いを持てる構造をどのように形成するかがひとつの課題になってきます。 誰がリンクワーカーになるか 社会的処方の重要な役割であるリンクワーカーを誰が担うか? という点も課題です。イギリスでは基本的に研修を受けた非医療職がリンクワーカーを担っていますが、日本でも同じような立場・職種をつくるのか、すでに存在する何らかの職種にリンクワーカー的役割を付与するのかなどを検討していく必要があります。現状では、どういった方法がよいか全国で試行されている状況です。 例えば、栃木県の宇都宮市医師会では、厚生労働省による「令和3年度 保険者とかかりつけ医等の協働による加入者の予防健康づくり事業(モデル事業)」の一環として、医療機関発の社会的処方の検証を行っています。日常診療の現場で課題に気付いたら、仮想リンクワーカーである地域包括支援センター、ケアマネジャー、社会福祉法人の相談窓口などにつなぐという取り組みをしています。 その他、社会的処方に関心の高い施設では独自にリンクワーカーを置いている民間団体もありますし、市民がリンクワーカー的な働きをするのがよいのではないか、という考えもあります。 川崎市の「暮らしの保健室」や「社会的処方研究所」を営む医師の西 智弘氏は、著書の中で以下のように述べています。 その一方で、孤立の問題が既に表面化しつつある現状において、これからリンクワーカーをいちから養成していき、その数を増やしていこうというのは、明らかに間に合わない。(中略)私たちは、リンクワーカーを「文化」にしていきたい。その方向で、日本に広めていきたい。まちにいる誰もが、つなげるときにつなげる範囲でつないでみる。まちのみんなが「リンクワーカー的」にはたらく社会だ。おせっかいおばさん、顔役おじさんウエルカム。というか地域が三顧の礼で迎えたい、求めてやまない大切な「地域人材」だ。西 智弘編著『社会的処方 孤立という病を地域のつながりで治す方法』(学芸出版社) P.64 ~66より一部引用 地域ですでに社会的処方やそれに近しい取り組みを行っているコミュニティがあった場合には、そちらへの参加を検討するという手もあるでしょう。存在しなかったとしても、個々にできる範囲でリンクワーカー的な働きを担うことは可能です。 * * * 日本における社会的処方のしくみづくりはまだ発展途上ですが、利用者・相談者の生活を良くしようと行動できる方は、資格の有無に限らずリンクワーカー的な存在として活躍できる可能性が十分にあります。生活の質の向上を図ることを目標として利用者の生活に入り込み、支援や観察を行う訪問看護師も、当然リンクワーカーの候補です。 今後、社会的処方の重要性はさらに高まってくことが予想されます。いつでも「リンクワーカー的」な存在として動けるように、まずは地域の取り組みやコミュニティにアンテナを張るところから始めてみてはいかがでしょうか。 監修: 西 智弘(にし・ともひろ) 医師/一般社団法人プラスケア代表理事/川崎市立井田病院腫瘍内科 部長(化学療法センター、内科兼務) 2005年北海道大学卒。2012年から中原区在住。日本臨床腫瘍学会認定がん薬物療法専門医。川崎市立井田病院で「早期からの緩和ケア外来」を立ち上げ。2017年、神奈川県川崎市に「医療者と市民とが気軽につながることができる場所」をつくりたいとの思いのもと、「一般社団法人プラスケア」を設立。、『社会的処方 孤立という病を地域のつながりで治す方法』(学芸出版社)、『だから、もう眠らせてほしい(晶文社)』など著書多数   一般社団法人プラスケア神奈川県川崎市での「暮らしの保健室」や「社会的処方研究所」の運営を行っている。「社会的処方研究所オンラインコミュニティ」では、国内外の情報をシェアするほか、イベント・講演を実施。URL:https://www.kosugipluscare.com/執筆・編集: NsPace編集部 【参考】〇西 智弘編著 『社会的処方 孤立という病を地域のつながりで治す方法』(2020、学芸出版社)〇澤 憲明他 「英国における社会的処方 社会疫学に関連した取り組み・研究と総合診療」 https://www.orangecross.or.jp/project/socialprescribing/pdf/socialprescribing_1st_02.pdf〇World Happiness Report「世界幸福度報告書2020」https://worldhappiness.report/ed/2020/2023/11/24閲覧〇OECD「How's Life? 2020」https://www.oecd.org/statistics/Better-Life-Initiative-country-note-Japan-in-Japanese.pdf2023/11/24閲覧〇国立社会保障・人口問題研究所 人口統計資料(2022)「家族類型別一般世帯数および割合(1970~2020年)」https://www.ipss.go.jp/syoushika/tohkei/Popular/P_Detail2022.asp?fname=T07-10.htm2023/11/24閲覧〇内閣官房「人々のつながりに関する基礎調査(令和3年) 調査結果概要」https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/kodoku_koritsu_taisaku/zittai_tyosa/r3_zenkoku_tyosa/tyosakekka_gaiyo.pdf2023/11/24閲覧〇内閣官房「孤独・孤立対策の重点計画」https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/juten_keikaku/r03/index.html2023/11/24閲覧〇厚生労働省「給付と負担について」https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_21509.html2023/11/24閲覧〇総務省「統計からみた我が国の高齢者」https://www.stat.go.jp/data/topics/pdf/topics138.pdf2023/11/24閲覧〇ロバート・ウォールディンガー『グッド・ライフ 幸せになるのに、遅すぎることはない』(2023、辰巳出版)〇厚生労働省「医療・介護の総合確保に向けた取組について」https://www.mhlw.go.jp/content/12403550/000841085.pdf2023/11/24閲覧

訪問看護認定看護師 活動記/中四国ブロック
訪問看護認定看護師 活動記/中四国ブロック
コラム
2023年12月26日
2023年12月26日

後進に繋ぐ在宅看護への想い【訪問看護認定看護師 活動記/中四国ブロック】

全国で活躍する訪問看護認定看護師の活動内容をご紹介する本シリーズ。今回は、日本訪問看護認定看護師協議会 中四国ブロック、杉本 由紀子さんのご登場です。杉本さんは現在、訪問看護ステーションでの後進育成を行うと同時に、看護大学で教鞭をとっています。 今回は、地域包括ケアシステムの中で訪問看護師が担う役割の重要性や、新卒訪問看護師輩出への想いなどを教えていただきます。 執筆:杉本 由起子訪問看護認定看護師/人間環境大学松山看護学部(地域・在宅看護学領域)・AOIケアリングステーション非常勤勤務大阪府出身。看護学校卒業後、大学病院等に勤務。結婚、出産後「目指したい看護」を模索し、「在宅終末期看護、在宅看取り」実践のため1995年より訪問看護ステーションに勤務。2012年 群市医師会に地域連携室を開設、「厚生労働省在宅医療連携拠点事業」や在宅緩和ケア推進モデル事業受託。2016年仲間と訪問看護ステーションを立ち上げ、2021年から現職。2001年 介護支援専門員資格取得2010年 訪問看護認定看護師教育課程修了2017年 大学院看護研究科看護学専攻臨床看護学分野高齢者看護学博士前期課程修了2021年 看護大学に勤務し、立ち上げた訪問看護ステーションでアドバイザー的役割に従事 海を超えたネットワーク! 私が所属する日本訪問看護認定看護師協議会の中四国ブロックは、美しい島嶼(とうしょ)部の浮かぶ瀬戸内海を超えたネットワークが自慢です。私が入会した当初は3人のメンバーでしたが、今では10倍近いメンバーになりました(2023年11月現在)。 ここ数年、ブロック長を中心に力を入れている活動は、「臨床推論」「在宅看取り」の講義です。臨床推論は主に新人訪問看護師を対象に開催し、ファシリテーターの役割を訪問看護認定看護師が担っています。 また、中四国エリアの特徴として、在宅・慢性期領域パッケージを含む認定看護師教育課程在宅ケア分野が徳島大学にあることも大きいでしょう。認定資格を取りやすい立地環境のため、メンバーの年齢層は幅広いです。訪問看護創設期を率いてきた世代はいわゆる「訪問看護第一世代」と呼ばれますが、その想いを引き継いだ第二世代、介護保険が始まって以降の第三世代のメンバーもおり、幅広い知識や情報の共有がしやすいことも誇りです。 中四国ブロックメンバーの訪問看護認定看護師も在宅ケア認定看護師も、みんなで協力し合って日本訪問看護認定協議会を盛り上げています。 訪問看護師は地域包括ケアのキーパーソン! 私の在宅看護実践における大きな経験・強みは、「在宅医療連携推進事業」のモデル事業に参加し、地域文化を重視したシステム作りに従事できたことです。 地域包括ケアシステム構築のためには、在宅医療の推進が必須。また、地域独自の方法を早急に確立することが求められています。難易度が高いながらもこれらの事業を無事に完遂できたのは、訪問看護認定看護師教育課程で培った、「実践・指導・相談」の学びがあったからこそです。 多職種との交流や、職種を超えたネットワーク・チーム作りのためには、情報共有のための共通言語化が欠かせません。多職種間を繋ぐことは訪問看護師の地域での大事な役割でもありますので、経験を生かして「顔の見える関係作り」に貢献できたと思っています。 訪問看護認定看護師として新たな働き方へ 2016年に訪問看護ステーションを立ち上げた際の経験についてもご紹介します。以下の3つのポリシーを掲げてスタートしました。 地域住民ファースト開かれたステーション地域課題の発見 例えば、休日・休日料金を設定しない。山間部エリアも活動エリアとする。いつでも地域住人や多職種からの相談を受け付ける。そして、地域の方々とのコミュニケーションを通じて地域課題を見つけることを心掛けてきました。 3人の仲間で開設した訪問看護ステーションも、現在ではケアマネジャーや多職種を含め30名あまりのスタッフ数に。機能強化型訪問看護ステーション1の算定もできるようになりました。現在私は、相談役として訪問看護ステーションに在籍し、臨床現場の後輩育成に関わっています。 また、訪問看護認定看護師としての活動を生かし、看護教員としても働いています。「看護を語る」ことや「在宅終末期看護の魅力」を看護基礎教育の場で学生に伝えていくことで、一人でも多くの学生に在宅看護に興味を持ってもらいたいと思っています。 新カリキュラムがスタートし、「地域・在宅看護」の教育を受けた看護学生たちがどんどん世に出ていきます。これからの地域包括ケアへの強い味方・担い手として、多くの新卒訪問看護師が誕生することを夢見ています。 * * * 「あきらめない看護実践」の場として、在宅看護はキラキラ輝いています。ご利用者さんやご家族とともに、希望を叶える。そんな現場が訪問看護にはあります。そして、どうか仲間とともに多くの「看護の語り」をしてください。その経験は、自己の成長に必ず役に立ちます。 ※本記事は、2023年11月時点の情報をもとに構成しています。 編集: NsPace編集部 【参考】〇厚生労働省.「在宅医療の推進について」https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000061944.html2023/11/9閲覧〇一般社団法人全国訪問看護事業協会.「訪問看護ステーションにおける 新卒看護師採用及び教育のガイドブック策定事業  報告書」(2016年3月)https://www.zenhokan.or.jp/wp-content/uploads/H27-3.pdf2023/11/9閲覧

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