家族看護に関する記事

4コマ漫画「小児の卒業」 ニャースペースのつぶやき【訪問看護あるある】
4コマ漫画「小児の卒業」 ニャースペースのつぶやき【訪問看護あるある】
特集
2024年4月9日
2024年4月9日

漫画「これだけは」ニャースペースのつぶやき【訪問看護あるある】

「当たり前」の生活を支える 訪問看護では、例えば「子どものお弁当を作りたい」など、利用者さんにとっての当たり前の生活や想いを支えることも大切だにゃ ニャースペース病棟看護経験5年、訪問看護猫3年目。好きな言葉は「猫にまたたび」「わかる!」「こんな『あるある』も聞いて!」など、みなさんの感想やつぶやき、いつでも投稿受付中にゃ!>>投稿フォーム

つたえたい訪問看護の話 受賞エピソード発表(入賞)
つたえたい訪問看護の話 受賞エピソード発表(入賞)
特集
2024年3月12日
2024年3月12日

つたえたい訪問看護の話 受賞エピソード発表!入賞

NsPaceの特別イベント「第2回 みんなの訪問看護アワード」で募集した「つたえたい訪問看護の話」。厳正な審査を経て、受賞作品が決定しました。本記事では、入賞エピソード12件をご紹介します! 大賞・審査員特別賞・ホープ賞・協賛企業賞はこちらつたえたい訪問看護の話 受賞エピソード発表!大賞・審査員特別賞・ホープ賞・協賛企業賞 「最後のお風呂」 投稿者: 小川 綾乃(おがわ あやの) さん ソフィアメディ訪問看護ステーション雪谷(東京都) A君は初対面の私に「背中撫でて、痛いの」と言って小さな背中を向けた。少しでもがんの痛みが和らげばとそっと手を当てる。泣きながら痛みと戦う小さな背中を撫でるだけの3日間。4日目のA君は座ってDVDを見ていた。「一緒に見よう」と笑顔で私を誘うA君は無邪気な5歳の男の子だった。翌朝A君が旅立ったと聞いて駆け付けた。「お風呂に入れてあげたかったな…ずっと入ってなかったから」お母さんがA君の頭を撫でながら呟く。「お風呂入りましょう」と声をかけて準備しご両親にA君をそっとお渡しする。ご両親と入る最後のお風呂。「気持ちいいね…」「ごめんね…」ご両親が涙ながらに声をかける。浴室の外で待つ私も涙が止まらない。お風呂から出て大好きなアンパンマンの洋服を着た穏やかな顔のA君を抱っこしながら「最後に家族みんなでお風呂に入れてよかった。5日間だったけど本当にありがとう」と話すお母さんの顔は泣きながらも笑顔だった。 2024年1月投稿 「スタッフの成長・管理者の涙」 投稿者: 西尾 まり子(にしお まりこ) さん 地域ケアステーション八千代・訪問看護ステーション(大阪府) 訪問看護ステーション管理者3年目に自分に自信をつけたいと思い訪問看護認定看護師養成学校の受講をした。管理者をしながらの週末の受講であった。2月になり感染症が流行し利用者の急変やスタッフの休みが増えシフトが回らない状況になりつつあった。私は悩んだが新幹線に乗った。しかし、スタッフに電話し「やっぱり大阪に帰るわ。これ以上みんなに迷惑かけられへん」と伝えた。するとスタッフから「帰ってこないでください!認定の学校に行きたいと言われた時、これくらい大変になる事くらいみんな予測してました。こんな時のために皆で無視しない助け合う約束をしています。だから頑張って来てください!何とかします!しっかり勉強して色々教えてくださいね」と言われ涙が止まらなかった。管理者となり、自分が一人で必死になりスタッフを支えているつもりでいたのが、本当は自分がみんなに支えてもらって管理者にしてもらっていたのだと深く感じました。 2023年12月投稿 「足の爪切りから始まる看護」 投稿者: 大慈 めぐみ(だいじ めぐみ) さん 訪問看護ステーション ナースであんしん湘南(神奈川県) 96歳男性。膀胱がん末期。「出来ることは自分でやりたい」という思いが強く、他者の介入が難しい状況。転倒を繰り返したり、入浴困難になり、ご家族とケアマネジャーは支援が必要な状態であると判断するが、受け入れず。ある日、足の爪切りだけは自分で出来ないと、訪問看護の依頼があった。まずは足の爪切りで訪問し、信頼関係を築くことに。お話をしながらさりげなくお困り事を聴き…。その結果、週2回の入浴介助、褥瘡処置、内服管理の支援が出来るようになった。1か月半が過ぎた頃、体調が急激に悪化…。最期は、施設スタッフのご協力もあり、住み慣れた場所でご家族に見守られ永眠された。病気による疼痛や倦怠感がある中でも、いつも奥様の体調を気遣う優しい言葉。入浴後は、「ありがとうねぇ」と、穏やかな声で言って下さったこと。髭剃りが難しく、上手に剃れなくても「すっきりしたよぉ」と気遣って下さったこと。関係機関の皆様との連携の大切さを改めて実感したりと、多くの事を学ばせていただきました。A様は、もと学校の先生。引退された後も、こうして私達に素敵な授業をして下さいました。 2024年1月投稿 「最期の友人」 投稿者: 日高 志州(ひだか しず) さん 訪問看護ステーションおはな(埼玉県) 70代の男性、お調子者で独居の大酒飲み。今にも崩れそうなボロ家で好き勝手暮らし、年金は近場のスナックで散財していた。大腸がんがみつかり、残り少ない余命宣告をされたが、家での最期を望み帰ってきた。もちろん生活指導など聴き入れず。何か真面目な話をするとすぐ「あんたがあと30年早く産まれてくれりゃ、結婚考えてやったのになぁ…」などと冗談で返答し、私も負けじと「私と結婚するならスナック通いは禁止です」と応戦した。しかし死期が近くなり、少しずつ体にガタが出始めると、ずいぶん弱気になってきた。トイレが近い、目がくらむ、もう1人で生活するのは心細いと話され、何度も話合った結果、施設への入所が決まった。入所の当日、一緒に荷物をまとめ、お迎えの車へ車椅子で向かった。乗り込む直前、私に握手を求めてきた。「あんたは最期の友人。忘れてもいいけどたまには思い出してよ」と冗談を言って笑顔で乗り込んだ。ずっと忘れない。 2024年1月投稿 「笑顔の看取り」 投稿者: 服部 景子(はっとり けいこ) さん 愛全会 訪問看護ステーションとよひら・ちゅうおう(北海道) 訪問看護師となり8年が過ぎた頃、最愛の母が余命宣告されました。一人っ子の私にとって、親友や姉妹のような大切な存在だった母の願いは「もうすぐ死ぬなら旅行がしたい」でした。渋る先生を説得し沢山の医療品を持って、札幌から軽井沢、伊勢神宮、沖縄へと3回の家族旅行をする事が出来ました。「私のせいで大好きな仕事をやめる事になってごめんね。でも貴女がいつも側にいてくれて心強いし、毎日娘の顔を見られて本当に幸せ。出来れば最期までこの家に居たい」と母が涙した時、最後の願いを叶えてあげたいと家族で団結し、自宅での看取りを決めました。最期は父と、私の夫の手を握り「あ・り・が・と・う」と言って旅立った母。そこに涙はなく皆の穏やかな笑顔がありました。あれから4年。家族の苦悩を経験し、在宅看取りの素晴らしさを体験し復職した今、母のおかげで前より少し利用者さんとご家族の心にそっと寄り添えている様な気がしています。 2024年1月投稿 「余命を伝えないということ。」 投稿者: 小野寺 志乃(おのでら しの) さん 公益財団法人 宮城厚生協会 ケアステーション郡山(宮城県) 60代肺がん末期の男性の訪問看護が始まりました。往診から余命は3ヶ月と告げられたご家族からは本人には余命は伝えないでほしいと言われていました。しかし利用者本人も「自分の体だから分かる、いつまで生きられるんだ?」家族からは言わないように言われている、嘘もつきたくない、自分に訪問がつくたび何と声をかければ良いのか葛藤しながら訪問に向かいました。痛みや苦しさを家族に当たり散らした日には奥様が泣きながら話されることもありました。そして利用者様は家族親戚に囲まれて息を引き取られました。翌日聞いた話では亡くなる日の朝に「迎えがきた、会いたい人に会わせてくれ」と。ご家族もびっくりされていましたがとにかく連絡をして会いに来てもらっていました。最後に奥様に話される時「ラブラブな時間を奪わないでくれ」と娘様までも追い出したそうです。2人きりになるなり奥様の顔を手で包み「しわしわになったな、俺のせいか。これからも愛してるよ」と言って翌朝に亡くなられたそうです。余命を伝えなくても人生の終わりを迎える日が分かっていたんだと私自身も貴重な経験ができました。家族という存在も生きる原動力になると私は思いました。 2024年1月投稿 「思い出の淡路島」 投稿者: 池田 裕季(いけだ ゆうき) さん 社会医療法人社団正峰会 正峰会訪問看護ステーション(兵庫県) 今でも海を見ると思い出す利用者さんがいます。初回介入時点では交通機関を利用して単独外出が可能でしたが、1か月経過頃から床上生活を余儀なくされました。利用者さんはお洒落をして外出するのが趣味で、ご主人とはよく淡路島へドライブに行っていました。残された時間が少ないことは本人も感じており、涙ながらに「最期に淡路島に行きたい」と伝えてくれましたが、状態が悪く外出許可が下りませんでした。しかしステロイドの内服により活気が蘇り、この機を逃さないよう主治医から外出許可を取りました。家族との絆の深さ、関係各所の協力に支えられ、許可を得た週末に、家族全員での淡路島旅行を決行できました。時間としては移動も含めて2時間程度の旅行でしたが、「楽しかった~!」と笑顔で帰宅。その日は朝から雨が降っていましたが、家族写真には全員の眩しい笑顔と綺麗な青空が収められていました。帰宅から約6時間後、眠るように永眠されました。 2023年12月投稿 「ワンチームで叶える最後の願い」 投稿者: 坂下 聡美(さかした さとみ) さん 一般社団法人 在宅看護センター北九州訪問看護・リハビリステーション 在宅看護センター北九州(福岡県) 2023年10月、スリランカに嫁いだ娘が帰ってくると嬉しそうに語るY様。余命は、週単位となっていた。Y様家族は、実行したいリストなどを作成し、私たち訪問看護師に見せて下さる。私たち訪問看護師は、介入して間もなかったが、その温かいご家族の空気感の中、いつの間にかその家族の一員になっていくような感覚を覚えた。11月に入り、「菊花祭、見に行けるかな…」と呟くY様。娘様曰く、息子様が新車を購入したので交通安全祈願のついでに、家族みんなでお出かけしたいとのことであった。ちょうどその時、主治医がお見えになられ、勇気を振り絞り、「最後の家族外出をしたい」と、Y様が仰った。主治医は、深くうなずいて見守る私たち訪問看護師の目を見て、「ワンチームでその願い叶えましょう!」と、英断され、そこからが、このチームのすごいところ。訪問看護師の鶴の一声で、多職種各事業所の方も参加下さり、「最後の外出」を決行した。当日、天気にも恵まれ、神様もワンチームとなったその日から4日後に旅立たれた。菊を見たら、今でもその時の光景を思い出す。 2024年1月投稿 「感謝の気持ちと恩返し。」 投稿者: 鉾山 英美(ほこやま えみ) さん りゅうじん訪問看護ステーション枚方公園(大阪府) 病棟に5年勤め、訪問看護に携わり10年以上続けています。病棟では、環境の変化や人間関係から鬱病になり、一度看護師を辞めました。看護師を辞めて半年程すると、また看護師をしたいなぁと思い、知人の紹介で初めて訪問看護の世界に飛び込みました。まだ鬱病も治っていない状況で、私の中では社会復帰と思いながらまずは週2回の勤務から始めました。それでも、時々言いようのない不安や怖さに襲われ、事務所の最寄り駅に着いたら涙が溢れ、立ち竦むこともあり。出勤できない日もありました。それでもスタッフの皆が理解してくれ、温かく見守ってくれました。徐々に訪問を重ねる中で、利用者様から「また来てな」と声を掛けられたり、スタッフとも気兼ねなく話せるようになり、出勤日数も徐々に増やせました。移動中に見る景色、利用者様とのゆったりした時間。スタッフや家族のサポートがあり、鬱病を克服することができました。そして、ずっと訪問看護を続けています。あの時、訪問看護で働いていなければ、今の私はいません。私を救ってくれたこの仕事にいつも感謝し、恩返しの気持ちでいっぱいです。大好きな仕事です。これからも続けていきます!訪問看護ありがとう! 2024年1月投稿 「心に残る誕生日プレゼント」 投稿者: 大日向 麻子(おおひなた まこ) さん 訪問看護ステーションリカバリー 東村山事務所(東京都) 「誕生日を家で迎えさせてあげたい」電話口でのご家族の言葉でした。利用者様はある日ご自宅での転倒を機に入院、主疾患治療中に他疾患も併発してしまい、医師より余命や療養型病院への転院についてお話があったとの事でした。その言葉を聞いた後、私は関係各所と連絡をとり、改めてご家族へ在宅療養を提案してみる事にしました。ご家族は悩んだ末、在宅で過ごす決断をしてくださり、サービスを調整して年末に退院。徐々に全身状態低下は見られましたが年明けには待望のお誕生日を迎える事が出来ました。「ケーキのクリームを舌に乗せたら、にこっと笑った気がしたの!こっちがプレゼントもらった気分だよ…」とご家族からもニコニコで報告がありました。その1週間後、眠るように息を引き取られました。最期の時間をどう過ごすか、選択をする事は大変な事だと思いますが、その選択に意味があると感じます。これからも自分たちに出来る事を探し続けて行きたいです。 2024年1月投稿 「最期の洗髪」 投稿者: 安藤 あゆ美(あんどう あゆみ) さん 公益社団法人 新潟県看護協会 訪問看護ステーションつくし(新潟県) 癌末期のAさんは美人でいつも髪の毛をきれいにアップしている理容師さん。お姉さんと息子さんと理容室を営んでいてお姉さんが熱心に介護されていました。徐々にベッドで過ごす事が多くなり残された時間が短いと思われた頃、訪問看護師から息子さんに洗髪を提案。頭の下にオムツを敷いて「初めて母親の髪を洗いました」と言う息子さんの手つきはさすがプロ。「気持ちいいね」とAさん。数日後にご家族に見守られながら穏やかなお顔で旅立たれました。実はあの時、洗髪を息子さんにお願いしたのは理由がありました。息子さんが直接介護をする事が少なかったので、亡くなった後に後悔するのではと思ったのです。洗髪する事で息子さんが満足する看とりができるといいなと考えたのです。Aさんのお悔やみに伺った際、訪問看護への思いを聞いた時「最高でした」と笑顔で答えてくださいました。良かったなと思いました。 2024年1月投稿 「訪看だって泣いていいんだ。」 投稿者: 中島 絵理子(なかじま えりこ) さん 一般財団法人同友会 藤沢訪問看護ステーション(神奈川県) 急性期で働いていた頃、看取りは日常的だった。看護師は常に冷静で、涙を流す事など許されないと思っていた。訪問看護師として働き7年が過ぎた頃、あるご夫婦を担当することになった。ご主人Tさんは肺癌末期、奥様Sさんは心不全でお二人同時に介入をしていた。Tさんは癌性疼痛があってもSさんを気遣い、そう遠くない将来別れが来るのかと思うと、Tさんの笑顔を見る事を辛く感じる事もあった。半年が過ぎた頃、Tさんの容態が悪化し入院することになった。『僕はね、この家で死にたいんだ』といつも言っていたが、Sさんの負担になりたくないというご本人の希望だった。1人になったSさんを訪問すると私を見るなり『連れて帰りたい!私、頑張るから!私が見るから!』と泣きじゃくった。私は何と言って良いのか分からず、Sさんの肩を抱いて一緒に泣く事しかできなかった。数日後Tさんが亡くなった。Tさんの仏前に手を合わせる私にSさんは言ってくれた。『中島さん、一緒に泣いてくれてありがとう。これからも私の訪問に来てくれる?』今もSさんのお宅へ訪問に伺っている。Tさんの思い出話をするSさんの笑顔を1日でも長く見られる事を願っている。 2024年1月投稿 * * * 皆さま、おめでとうございます!今後、「みんなの訪問看護アワード」表彰式の様子をご紹介する記事や、大賞・審査員特別賞・ホープ賞を受賞したエピソードの漫画記事も順次公開予定です。ぜひご覧ください。 編集: NsPace編集部 [no_toc]

つたえたい訪問看護の話 受賞エピソード発表
つたえたい訪問看護の話 受賞エピソード発表
特集
2024年3月12日
2024年3月12日

つたえたい訪問看護の話 受賞エピソード発表!大賞・審査員特別賞・ホープ賞・協賛企業賞

NsPaceの特別イベント「第2回 みんなの訪問看護アワード」で募集した「つたえたい訪問看護の話」。厳正な審査を経て、受賞作品が決定しました。本記事では、大賞1件、審査員特別賞3件、ホープ賞1件、協賛企業賞5件のエピソードをご紹介します! 「役割を求めて」 投稿者: 岡川 修士(おかがわ しゅうじ) さん 訪問看護ステーションかすたねっと(大阪府) パーキンソン病に罹患して私達の訪問看護を利用することになった加東さん。彼女は元看護師で、まだまだ働く予定だったが、病気の影響で外出困難となり、退職を余儀なくされた。ある日、私が訪問すると「今は誰の役にも立ってない。まだ働きたい。欲しいのはお金じゃなく、役割なの」と話された。その表情は寂しそうだったが、働くことを諦めていない強い意志も感じた。聞くと、今もパソコンは使えるし看護師時代はサマリー等の事務作業も得意だったという。そこに可能性を感じた私は事務所に帰って社長に加東さんとのやり取りを説明した。すると社長は、「うちには事務員いないし、在宅で事務作業をしてもらおう!」と、雇用することを決めた。それを聞いて加東さんは大喜び。その後、初給料でお孫さんにクリスマスプレゼントを買ってあげた。加東さんは事務員という私達の事務所に欠かせない役割だけでなく、祖母としての役割も取り戻すことができた。 2024年1月投稿 「100年ぶりに入浴したU子さん」 投稿者: 新田 光里(にった あかり) さん @(あっと)訪問看護ステーション(東京都) U子さんは92歳。認知症があり内服管理と入浴目的で訪問が開始になった。人嫌いな一面があり、入室を拒む事もしばしば。入浴は数年間していないと思われた。皮膚トラブルを心配した私は入浴させる事に必死になり受け入れてくれないU子さんに憤りを感じ始めていた。所長に相談すると「まず、あなたがU子さんを好きにならなくちゃ」と助言をいただき、訪問の度にU子さんの素敵な所を見つけるようにした。ケアにこだわらず仲良くなることを最優先として一緒に塗り絵をしたり、りんごの唄を熱唱したり、戦争体験談を聞いては労いの言葉をかけ続けた。担当になって1年が経過したある日「汗かいちゃったから一緒にシャワーどうですか?」と声をかけると「シャワーはダメ。お風呂にしなさい」と言われた。嫌々ながらも脱衣していたが浴槽に溜まった湯が自分好みの湯加減だと分かると自ら浴槽に入り「う~ん!気持ちいい!100年ぶり~!」と満面の笑みがこぼれ、タオルで腕を擦っていた。100年ぶりの入浴後の湯は白濁していた。以後、毎週入浴介助することができた。U子さんの笑顔と甘酒のようなお湯の思い出は一生忘れられないだろう。 2024年1月投稿 「遠く離れていても」 投稿者: 鳥居 香織(とりい かおる) さん 医療法人社団亮仁会 さくら訪問看護ステーション(栃木県) 「肺気腫で在宅酸素をしている独居のAさん。奥様を亡くしてから、人との関わりを避け、いつ死んでも良いと言うの。トイレに行くだけで、肩呼吸をする程で、ヘルパーさんからは『介入するのが怖い』と言われて困って。会うだけ会ってくれないかしら」とケアマネさんからの電話。訪問するとAさんはベッドに座り、横を向いたまま私と目を合わせようとしません。ですが、テーブルにはカルピスが入ったコップが2つ並んでいました。(これがAさんの答えなのかな?)と思い、ゆっくり声をかけながら、背中のマッサージを始めると「気持ちが良いなあ。温かいなぁ。」とAさん。それから面白いように言葉が溢れ、若いころの話、奥様との馴れ初めの話、生前葬を決意した話などを語りました。人との関わりを避けていたAさんが訪問の度に笑顔になり、変化されていく様子はとても不思議な感じがしました。しかし、転倒を機に引っ越され、突然の訪問終了。どうされているか心配していたある日、葉書が届きました。「カーテンを閉めようと思って窓の外を見たら、お月様と目が合った。いつの間にか鳥居さんの顔に変わっていたよ。」と震える字で書かれていました。離れていても支えることが出来る事を学んだのです。 2024年1月投稿 「幸せとは」 投稿者: 川上 加奈子(かわかみ かなこ) さん よつば訪問看護リハビリステーション(神奈川県) 「『幸せとは、体験するものではなく、あとから思い出して気づくものだ』ですって!深いですねー」87歳になられるTさんの訪問時には、毎回その日の名言カレンダーを読み上げ、暗唱し、それについて話し合う、ということを看護ケアの脳トレとして行なっていました。「Tさんの今まで生きてきた中で1番幸せだと思ったことは何ですか?」と私。すると少しの沈黙の後に「何もない」とTさん。「えーそんな寂しいこと言わないでくださいよ。一つ位ありませんか?」と私。するとまた「…何もない」とTさん。側にいて会話を聞かれていた息子さんにも何だか申し訳ない様な気持ちになっていたその時でした。「だって、ずっと幸せだから」とぽそりとTさんが言われたのです。一瞬、時が止まったような衝撃を受け、何故だか泣きそうになっている自分がいました。寝たきりになってもなお、愛する息子さん2人がいつも側にいて、大好きな餡子を食べさせてくれたり、たまに喧嘩をしながらもリハビリをしてくれていること。それこそがTさんにとって、過去ではなく現在進行形の幸せなのだと気付かされたのでした。『幸せとは…』私もいつか自分の人生を振り返った時には、Tさんの様に思えたらいいなと感じています。 2023年12月投稿 ※訪問看護師歴3年未満の方対象 「最期のキッス」 投稿者: 大矢根 尚子(おおやね なおこ) さん 社会医療法人 三宝会 南港病院訪問看護ステーション(大阪府) O様 70歳女性 肺がん 脳転移にて終末期の方で心に残る経験をさせていただきました。口数の少ないご主人が1人で介護をされており訪問中も不安の表出や困りごとを口にされることなどがない方でした。ユマニチュードも取り入れながら、O様が大好きだった竹内まりやの「人生の扉」を流しながらケアを終えた時、ご主人が不意にO様の額にチュッとキッスをされたのです。意識も混濁していたO様ですが、嬉しそうに顔をくしゃくしゃにしながらニッコリと微笑まれました。照れくさそうに笑うご主人とO様を見ていると死が差し迫っているから特別にキッスをしたわけではなく、この夫婦の日常なんだと心が温まりました。歌詞も重なり素敵な年輪を重ねて生きてこられたご夫婦の愛を感じ涙涙でした。ユマニチュードも実践することでご主人の緊張がとけ、一緒にO様を支えることができ生活史に寄り添うことができたと感じました。また、自分の人生と重ね、今まで以上に時間を大切にしようと思いました。 2024年1月投稿 「無人島に街を!」メディヴァ賞 協賛企業:株式会社メディヴァヘルスケア系コンサルティング&イノベーション・カンパニー。「無人島に街をつくる」開拓者のように、医療・介護界の発展を実現していきます。 「秋ひまわりプロジェクト:外出のきっかけづくり」 投稿者: 白﨑 翔平(しらさき しょうへい) さん いま訪問看護リハビリステーション(大阪府) ご利用者さんの多くは、通院以外では家からほとんど出られません。そこで、秋ひまわりプロジェクトとして、事業所の駐車場裏の小さな雑木林を8ヶ月かけて丁寧にひまわり畑に変えました。その過程の写真を訪問の度にご利用者様と共に確認し、行ってみたい場所になることを目指しました。そして、ひまわり畑が形を成す頃、ご利用者様が担当の療法士や看護師と会話を楽しむ外出の機会を作り出したいと考えていました。しかし、残暑の影響で早すぎる開花があり、イベント当日には花が枯れてしまうと予測されました。そこで、企画を「ヒマワリ喫茶」から「ヒマワリの花束のプレゼント」に変更しました。刈り取る前にヒマワリ畑を訪れてくれたご利用者さんもおられました。収穫したひまわりを美しくアレンジし、お届けした瞬間の笑顔は忘れられない思い出となりました。多くの方がその花束をお仏壇に飾り、感謝の言葉を伝えてくださいました。 2024年1月投稿 ぽけにゅー賞 協賛企業:株式会社大塚製薬工場臨床栄養関連の医薬品・OS-1などに加え、在宅療養者の食・栄養課題の抽出・解決を支援するWEBサービス「ぽけにゅー」を提供しています。 「1週間は母より長生きしたい」 投稿者: 井出 咲子(いで さきこ) さん 訪問看護ステーションほのか(長野県) 進行性の胃がんを患い、医師から告げられた余命よりもう3ヶ月頑張って生きていらっしゃる76歳男性Fさん。Fさんは自宅での生活が困難で有料老人ホームで生活しています。私達はそこへ訪問看護としてお伺いしています。Fさんには97歳のお母様がいらっしゃり、お母様は別の老人ホームで生活していました。Fさんがホームで暮らすようになって、お母様と一緒に過ごしたいと希望され、お母様も同じホームに入所されました。Fさんの願いはただ一つ『母より1週間は長く生きたい』その気持ちで治療を受け、倦怠感が強くても、食欲がない時も頑張って食べ物を口に運び、精一杯生きていらっしゃいます。Fさんとお母様は仲が良く、可能な限り一緒の時間を過ごされています。Fさんのお布団にお母様は足を入れて温まっていてその姿がとても微笑ましいです。ある日、ホームの管理者からFさん親子をお寿司屋さんに連れて行きたいと相談がありました。私達訪問看護も同行しお寿司屋さんへ行きました。Fさんは6皿召し上がり大変喜ばれました。これからも『母より1週間は長く生きたい』というFさんの気持ちに寄り添い続け看護をしていきたいです。 2024年1月投稿 Tomopiia賞 協賛企業:株式会社Tomopiiaがん罹患者の方々の不安や孤独な気持ちに、SNSを使って看護師が個別対話で寄り添う、SNS看護サービス「Tomopiia」を提供しています。 「みんなに贈る体調管理表」 投稿者: 小林 奈美(こばやし なみ) さん 株式会社不二ビルサービス ケア事業部訪問看護ステーションふじ川内(広島県) Mさんは前立腺癌末期。几帳面な方で体調管理表を自ら作成されていた。妻は介護に悩み涙を見せる事もあった。ある時発熱、肺炎症状があり入院され過ごされていたが、数日経ち妻から「もう時間がない、家で過ごさせてあげたい」という電話を受けた。訪看が介入し一時外出する事になった。モルヒネ皮下注射を受けながらも笑顔のMさんに私は「おかえりなさい!」と声をかけた。そこにはいつもの日常があった。家族がいて、テレビを観たりソファーで座ったり特別な事をしているわけではなく、Mさんを包み込むように当たり前の幸せがあった。夕方病院へ帰る介護タクシーを見送った。次の日の朝である。さっき息を引き取ったよ、家に連れて帰るね、と連絡があったのは…。「見て…」と妻から見せてもらった体調管理表には「みんなのおかげで私の人生楽しかった ありがとう」と少し震えた文字。私は涙があふれた。この言葉が家族、私たちみんなを救っていた。 2024年1月投稿 看護のアイちゃん:本物の看護がしたい賞 協賛企業:セントワークス株式会社訪問看護の特性を踏まえたアセスメント・業務支援システム「看護のアイちゃん」などを提供しています。 「走る理由」 投稿者: 大日向 莉子(おおひなた りこ) さん ソフィアメディ訪問看護ステーション小山(東京都) 「息をしていないようです」と震えた声。遠くから「お父さん、お父さん、返事してよ」と叫ぶ音。連絡があったのは、年明け間もない1月のことでした。山田さん70代、前立腺癌。年越しを迎えるのは難しいと、ご家族は本人にその事実を伝えず、決死の想いで在宅療養を選択しました。家族だけが抱える「余命宣告」。それでも本人が不安でないように、眠れない日々も不安な日々も、ご家族は笑顔でいました。「山田さん、本当によく頑張りました」と話しかけると、そこにいた全員から大粒の涙が溢れました。お客様との信頼を築き、人生の最期に立ち会い、お別れに一緒に涙を流す。医療職として、一緒に涙を浮かべるのはどうなのかと言う人もいるかもしれません。だけど、ひとりの人として、その人と関わった者として、涙を流すのに正解も不正解もないと信じています。「ネクタイ結んであげませんか」「髭剃りしませんか」と家族と行うエンゼルケアも、最期に着る服が生前よく着てたスーツなのも、在宅の醍醐味だと思うのです。ケアの最後には涙でなく、そこには笑顔がありました。みんなが悔いなく、幸せであるように、今日も自転車を走らせるのです。 2024年1月投稿 NTTデバイステクノ賞 協賛企業:NTTデバイステクノ株式会社訪問看護ステーション専用に設計された電子カルテ「モバカルナース」などを提供しています。 「生涯いい男」 投稿者: 佐藤 有紗(さとう ありさ) さん 医療法人社団愛友会 訪問看護ステーションブルーべル(埼玉県) 毎週木曜日、インターホンを押すと部屋の奥から「いらっしゃい!上がって上がって」と声がする。私が訪問看護ステーションで働き始めた時から変わらない元気な声でいつも迎えてくれていました。その方は癌末期。余命は長くないと言われながらも元気に前向きに生活していました。その方はいつも野球を見ていたので、野球がわからない私は勉強がてら野球をみて、少しでも話ができるように準備してから訪問するようにしていました。担当してから3ヶ月ほど経った金曜日、かかりつけ医から「食事がしばらく取れていない、点滴加療が必要」と連絡がありました。私は驚きました。昨日もいつもと変わらない元気な利用者さんをみていたから。そこから目でわかるほど痩せて行く姿をみて、初めての終末期の対応に動揺している私を見て、利用者さんは「昨日の野球みた?」といつもの笑顔でいつも通りの会話を始めました。段々会話もできなくなって、土日まで持つかどうかと言われていたが、木曜日は訪れました。いつもの優しい笑顔で迎えてくれたその数時間後、天国へ旅立ちました。弱い所を見せず、ずっと前向きだった利用者さんはずっといい男でした。 2024年1月投稿 皆さま、おめでとうございます! 入賞作品については、こちらの記事をご覧ください。つたえたい訪問看護の話 受賞エピソード発表!入賞 編集: NsPace編集部 [no_toc]

最期・お看取りエピソード
最期・お看取りエピソード
特集
2024年2月27日
2024年2月27日

最期・お看取りエピソード【つたえたい訪問看護の話】

訪問看護では利用者さんの最期に関わることも数多くあります。「みんなの訪問看護アワード2023」に投稿されたエピソードから、利用者さんやご家族の最期の希望に寄り添い支援した感慨深いエピソードを5つご紹介します。 「残された時間を一緒に」 最期を看取るという利用者さんの奥様の強い覚悟を受け止めて、無事支援しきったエピソードです。 残された時間がない療養者の在宅療養を受けることを伝え、在宅医に了承してもらった。医師は「明日帰れないかもしれない、ギリギリの状態だ」と話された。翌日、在宅医は民間救急の後ろを走行し、訪問看護師は自宅で準備をした。自宅につくと妻と初対面の挨拶を済ませ、ベッドに移送し酸素吸入、持続点滴等を実施し療養者のケアをした。妻は自宅療養に至った話をしてくれた。面会制限があり毎日電話で話していたが、数日で話せなくなった。最期は家で看取る決意で退院を希望したと話された。「義父母の最期も見送ってきた私の役目だ、その時まで一緒にいたい」と話され妻の強い決意を感じた。親しい人が「ひさしぶり」「カラオケいったなあ」と明るく笑顔で妻や孫を交えて過ごされた。その笑顔をみられてうれしく思った。深夜に「呼吸が止まった」と妻からコールがあり、医師の死亡確認のあと最期のケアをおこなった。妻は「最後に一緒に過ごせてよかった」と話された。 2022年12月投稿 「大切な時間」 残された時間の穏やかな日常をサポートできるのは、訪問看護の冥利なのかもしれません。 退院を機に自宅で最期まで過ごすと決められ、ご依頼をいただきました。優しい奥様と笑顔のご本人様。かわいい猫ちゃん。スタッフの前では、感じていたはずの「痛み・苦しみ・辛さ」マイナスの言葉は心の奥底に封印され、食べたいものを食べて、笑ってお話しされていました。入籍一周年を間近に控えられていたこともあり、「一緒にお祝いしましょうね。」と訪問看護チーム全員でお二人の時間をサポートさせていただきました。2ヵ月もないほどの時間。少しでも寄り添い、お二人の気持ちを穏やかにすることができていたならこれ程幸せなことはないと思います。ご本人様にとって、ご家族にとっていつ訪れるか分からない最期の時間は色々な思いがあふれ出す時間だと思います。「できる限りのことをする。」これがうちの管理者の考え方です。大切な時間を一緒に過ごさせていただいたことにスタッフ一同感謝しています。 2023年1月投稿 「よりみち」 望む最期を迎えられるよう、利用者さんとご家族の希望に寄り添ったからこそ贈られた感謝の言葉だったのだと胸打たれるエピソードです。 ステーションへの帰りによりみちすると、庭に人影があった。「ああ、お世話になりました、四十九日が終わったところです。」草むしりを再開しながら「今年は花が早く咲いているの。姉が早く見せてくれているみたい。」胃がんの末期。腹水コントロールができるなら家にとおっしゃり、ご家族の希望で未告知のまま在宅療養が始まった。「新しい時代が来ましたね。どうなるのか不安でしたが、こうやって自宅で過ごせることが分かって安心した感じです。」ナートした留置針と延長チューブを通り、腹水はペットボトルにドレナージされた。腹水がオレンジ色のころに「最期まで家に居させて。楽に逝かせてほしい。」赤くなったころ「もう長くないと思う。だったらなおさら家族に最期の時期をみてもらいたい。」希望通りに「気がついたら呼吸が止まっていて…」とステーションに電話があった。「姉の生活は見ていて理想でした。」別れ際に妹さんは言ってくれた。 2023年2月投稿 「初めての看取り」 利用者さんに寄り添い心情を汲み取った一言に、利用者さんの心が救われたことが分かるエピソードです。 訪問看護師になってもう13年が経ちますが、未だに1番初めに携わった末期癌の利用者様の看取りは忘れられません。その方はまだ65歳になられたお若い男性でした。その方には内縁の奥様がいて、利用者様の「家で死にたい」との思いを受けて、病院を退院されました。訳ありのお二人にはほかに家族はおられず。私達とケアマネが唯一の縁者でした。緊張の面持ちで家での生活が始まりました。お二人の生活は経済的に厳しい状況であったため、奥様はパートを休むことができず、その間は利用者様が一人になります。奥様のいない間、3回訪問を提案し、体調をみさせていただいていました。初めは緊張して何もお話ししてくれなかった利用者様が、緩和マッサージ行っていた時、奥様との馴れ初めや境遇をお話しくださり、涙を流して、もうすぐ奥様を残して旅立つ自分の情けなさと、独りになる奥様の心配を話してくださいました。「私たちがいますから、奥様は大丈夫です。」と思わずでた言葉に「ありがとう。」と微笑んでくださいました。数日後、奥様の膝枕で、微笑んだお顔で旅立たれました。今でも奥様は事務所に時々お顔を見せてくださっています。 2023年2月投稿 「最期の笑顔に寄り添って」 偶然の中に縁を感じるとともに、投稿者さんを看護師に導いてくれたお父様への感謝も感じられるエピソードです。 訪問看護師の仕事をして23年目。たくさんの出会いがあり、お別れもあった。ある日のこと、午前の訪問先と午後の訪問先は不思議なことに、お二人とも年齢は90代の男性。どちらも奥さんが介護されていた。そしてどちらも男性のお孫さんがそばにいた。手も足も指の色は紫色になり血圧も低く、血中酸素濃度は測定できない。それでも意識はしっかりされていた。午前の方は、お孫さんが子供の頃、学習塾へ送迎をされていたことを奥さんが思い出して話をされた。お孫さんはしっかりと手を握り、「おじいさんわかる?」と声をかけ涙を流された時、頭を持ち上げお孫さんの顔を見てにこりとされた。午後の方はギャッチアップして口腔ケアの後、「Mさん今日もかっこいいですね」と声かけ、すると微笑まれた。奥さん娘さんお孫さんとで記念撮影をした。お二人ともそれが最期の訪問となり、静かに旅立たれた。訪問看護師として人生の最期の時を伴走して、ゴールテープを切られるのを見届けた。2月1日の訪問看護。その日は、私に看護師になることを勧めてくれた父の命日だった。 2023年2月投稿 最期のお別れを共有する存在 看護師は人の生と死に立ち会うことのある職業です。今回は最期の別れのエピソードをご紹介しましたが、旅立つ方にはなるべく心安らかに、見送る方には後悔なく見送れることを願う看護師としての想いが伝わってくるようでした。最期の支援を家族とともにできる看護師の誇りを感じるとともに、別れの儚さや切なさなど、いろんな感情が入り交じる感慨深いエピソードです。 編集: 合同会社ヘルメース イラスト: 藤井 昌子 

在宅呼吸管理の進歩で「自宅に帰りたい」を実現
在宅呼吸管理の進歩で「自宅に帰りたい」を実現
インタビュー
2024年2月20日
2024年2月20日

在宅呼吸管理の進歩で「自宅に帰りたい」を実現/福永興壱先生インタビュー

呼吸器内科の最前線でご活躍されると同時に、コロナ制圧タスクフォースの研究統括責任者も務める慶應義塾大学 福永興壱先生に特別インタビューを実施。今回は、呼吸器内科医をめざされたきっかけや在宅酸素療法・在宅人工呼吸療法を受ける患者さんとの思い出深いお話をうかがいました。 慶應義塾大学医学部 呼吸器内科 教授福永 興壱(ふくなが こういち)先生1994年に慶應義塾大学医学部卒業後、慶應義塾大学大学病院研修医(内科学教室)、東京大学大学院生化学分子細胞生物学講座研究員、慶應義塾大学病院専修医(内科学教室)、独立行政法人国立病院機構南横浜病院医員、米国ハーバード大学医学部Brigham Women’s Hospital博士研究員、埼玉社会保険病院(現:埼玉メディカルセンター)内科医長、慶應義塾大学医学部呼吸器内科助教、専任講師、准教授を歴任。2019年6月に教授に就任し、2021年9月より同大学病院副病院長を兼任。2023年現在、日本で結成されたコロナ制圧タスクフォースの第二代研究統括責任者を務める。 呼吸器内科のエキスパートとして臨床・研究に邁進 ―まずは、先生が呼吸器内科に進まれたきっかけを教えてください。 元々は地域に根ざした医療を志して進んだ医学部でしたが、初期研修が始まり、最初に配属されたのが呼吸器内科でした。その際、喘息や慢性閉塞性肺疾患(COPD)、肺がん、肺炎など幅広い疾患を経験でき、急性期から慢性期まで診られることにやりがいを感じたんです。また、当時は医局員の数も少なく、小規模ゆえにチームとしての一体感がありました。熱意ある先輩医師たちが、1人の患者さんに対して一生懸命ケアする姿を見て、呼吸器内科に進もうと決意しました。 ―東京大学やハーバード大学の研究室ではどのような研究をされていたのですか。 喘息をはじめとする炎症性肺疾患の病態解明や、新しい治療法の確立につながるようなテーマに取り組んでいました。 人間の体内では常に炎症が起こっていますが、生体内の恒常性の維持(ホメオスタシス)によって、炎症を起こした後、正常な状態に戻ります。炎症がそのまま継続すれば恒常性が破綻し、病気になってしまいます。ハーバード大学では、この恒常性を維持するしくみに関する研究に携わりました。人間は体内で「炎症を起こす物質」と「炎症を抑える物質」の両方をつくることができ、それらが生体内の恒常性のバランス保持に貢献していることが分かったのです。これはハーバード大学で得られた大きな成果だと思っています。 ―福永先生は、現在副院長として病院経営にも携わっていらっしゃいますが、最新のお取り組みについて教えてください。 病診連携の一環として、退院調整をいかにスムーズに行うか、というところに課題があります。最近では、IT化を検討し、株式会社3Sunny(スリーサニー)が提供するオンライン上で入退院の調整業務ができる「CAREBOOK」というシステムを導入しました。また、医師の働き方改善も急ピッチで進めていかねばなりません。私は院内の「医師の働き方改革プロジェクト」を担当しているのですが、医療・介護機関向けのマネジメントシステム事業を展開する株式会社エピグノとともに、現在医師シフト管理システムの共同開発を行っているところです。 HOT導入で患者さんの療養生活の変化を実感 ―先生はさまざまな呼吸器疾患の患者さんを診てこられたと思います。これまでの患者さんへの治療で印象に残っているケースを教えてください。 私がまだ指導医だったころの話です。間質性肺炎が重症化し、どんどん酸素の流量が上がってしまった患者さん(60代、男性)がいました。その方が「家に戻りたい」と希望され、私たちも何とかご自宅に帰れるようにサポートすべく、在宅酸素療法(HOT)を導入することに。この患者さんの場合、酸素機器1台では酸素流量が足りないという課題があり、最終的には2台接続して流量を上げ、ご自宅に戻っていただくことができたという思い出があります。 HOTが普及する前は、病院の中央配管から酸素を供給されている患者さんは「家に帰れないのが当たり前」と考えられていました。それが、HOTという治療法を導入すればご自宅に帰すことができる。患者さんのご家族にも喜んでいただき、病院ではなくご自宅で最期を過ごしてもらえたというのは、当時の私にとってHOTの意義を痛感した出来事でした。「自宅に帰りたい」と強く希望される患者さんにHOTは大きなメリットになると感じました。 現在はネーザルハイフローという高流量の酸素投与システムがあるので、今ならそちらを使用しますね。でも、高流量の酸素が必要な方でも在宅に切り替えることができたのは、当時としては画期的でした。 訪問診療や訪問看護の存在も大きいですね。患者さんのご要望を踏まえて「自宅に帰す」という選択肢を考えても、病状の急変を懸念して迷うこともあります。在宅医や訪問看護師さんたちがしっかりと患者さんをみてくれるという安心感があったからこそ、はじめて「自宅に帰す」という選択肢が生まれたと思います。 また、結核病棟のある国立病院で働いていたときには、当時登場したばかりのNPPVの効果に驚かされたこともあります。肺結核後遺症で二酸化炭素(CO₂)が体内に蓄積し、危険な状態に陥った患者さんにNPPVを導入したところ、CO₂の値がよくなり、一度はご自宅に戻っていただくことができました。その患者さんは気管挿管をしない方針だったので悩んだのですが、NPPVという新しい治療法の効果を目の当たりにして、人工呼吸療法の発展を実感しました。 HOT患者さんが地域で支援されていることを実感 ―昨今、地域包括ケアシステムの推進により、在宅医療の充実が図られていますが、先生が大学病院で診療を行う中で感じている変化を教えてください。 そうですね、大学病院で診るHOT患者さんの数が減っているのではないかと感じています。感覚的にですが、以前はかなり多くの患者さんが酸素を持って通院されている印象がありました。だからと言って在宅酸素療法を受けている患者さんの数が減っているわけでなく、実際は漸増傾向にあります。 その背景には、地域連携の基盤づくりが大きく進んだことがあるのではないでしょうか。わざわざ大学病院に行かなくても、在宅医の先生が月に一度訪問診療を行い、訪問看護師の皆さんが援助や指導をしっかり行っている実態があると考えています。まさに在宅医療の充実ですね。在宅酸素を管理する軸が、これまでは大学病院や基幹病院だったのが、患者さんの家の近くにある診療所やクリニックへとシフトしてきた。それを支えているのは現場の在宅医、訪問看護師さんたちの働きであり、その積み重ねで少しずつ患者さんの療養生活を地域で支えるシステムが構築されてきたのではないでしょうか。このことは、在宅酸素の40年近くの歴史における大きな成果であると実感しています。 ―ありがとうございました。次回は災害時において訪問看護師さんに期待することについてうかがいます。 >>後編はこちら災害発生時の在宅呼吸管理 訪問看護師への期待/福永興壱先生インタビュー取材・執筆・編集:株式会社照林社

受賞作品漫画「ちょっと早めの金婚式」
受賞作品漫画「ちょっと早めの金婚式」
特集
2023年10月18日
2023年10月18日

受賞作品漫画「ちょっと早めの金婚式<後編>」【つたえたい訪問看護の話】

NsPaceの特別イベント「みんなの訪問看護アワード」で募集した「つたえたい訪問看護の話」。今回は、村田 実稔さん(ウィル訪問看護ステーション江東サテライト/東京都)の入賞エピソード「ちょっと早めの金婚式」をもとにした漫画の後編をお届けします。 ※記事内に記載している所属先は、2023年3月の受賞当時のものです。 「ちょっと早めの金婚式」前回までのあらすじ 訪問看護師 新人の村田さんは、所長の櫛野さんとともに尿管癌末期の利用者 山本さんの訪問を担当しています。余命宣告をされていますが、ご家族の意向で山本さんご本人には伝えていません。「妻に迷惑をかけたくない」と歩行リハビリをがんばる山本さんでしたが、病状は進行していき、あと少しの時間しか残されていませんでした。 〇訪問看護師 新人 村田さん〇所長 櫛野さん >>前編はこちら受賞作品漫画「ちょっと早めの金婚式<前編>」【つたえたい訪問看護の話】 ちょっと早めの金婚式<後編> 漫画:さじろう山形県在住のイラストレーター兼グラフィックデザイナー。デザイン会社を経て独立。『ダ・ヴィンチ』『東京カレンダー』『Men’s NONNO』『R25.jp』等、多数の雑誌・Web媒体にてイラスト・漫画制作を手掛ける。 エピソード投稿:村田 実稔(むらた みのる)ウィル訪問看護ステーション江東サテライト(東京都)山本さん(仮名)は、私が初めて担当させていただいた末期がんの利用者さんです。このエピソードは私にとってとても印象深かったため、投稿させていただきました。素敵なお話なので、投稿時点から受賞するのではないかな、とも期待していました(笑)。最終的には金婚式を行い、ご本人も奥様も喜んでくださって、後悔が残らず本当によかったと思っています。ありがとうございました。 [no_toc]

受賞作品漫画「ちょっと早めの金婚式」
受賞作品漫画「ちょっと早めの金婚式」
特集
2023年10月17日
2023年10月17日

受賞作品漫画「ちょっと早めの金婚式<前編>」【つたえたい訪問看護の話】

NsPaceの特別イベント「みんなの訪問看護アワード」で募集した「つたえたい訪問看護の話」。今回は、村田 実稔さん(ウィル訪問看護ステーション江東サテライト/東京都)の入賞エピソード「ちょっと早めの金婚式」の漫画をお届けします。 ※記事内に記載している所属先は、2023年3月の受賞当時のものです。 >>全受賞エピソードはこちらつたえたい訪問看護の話 受賞エピソード発表!【みんなの訪問看護アワード】 ちょっと早めの金婚式<前編> >>後編はこちら受賞作品漫画「ちょっと早めの金婚式<後編>」【つたえたい訪問看護の話】 漫画:さじろう山形県在住のイラストレーター兼グラフィックデザイナー。デザイン会社を経て独立。『ダ・ヴィンチ』『東京カレンダー』『Men’s NONNO』『R25.jp』等、多数の雑誌・Web媒体にてイラスト・漫画制作を手掛ける。 エピソード投稿:村田 実稔(むらた みのる)ウィル訪問看護ステーション江東サテライト(東京都) [no_toc]

認定看護師活動記 南関東
認定看護師活動記 南関東
コラム
2023年10月10日
2023年10月10日

「看護を語る」ことを大切に【訪問看護認定看護師 活動記/南関東ブロック】

全国で活躍する訪問看護認定看護師の活動内容をご紹介する本シリーズ。今回は、日本訪問看護認定看護師協議会 南関東ブロック、伊藤 みほ子さんの活動記です。南関東ブロックの活動内容や訪問看護総合支援センターの開設、「在宅看取り語りの場」の取り組みなどをご紹介いただきます。 執筆:伊藤 みほ子介護支援専門員/訪問看護認定看護師/認定看護管理者。看護学校卒業後、赤十字病院にて病棟、外来、訪問看護ステーションで勤務。現在は長野県看護協会 常務理事 地域支援部 訪問看護総合支援センター担当。 「看取りを考える会」を年4回開催 私が所属している日本訪問看護認定看護師協議会 南関東ブロックは、神奈川、山梨、長野の3県の訪問看護認定看護師協議会 会員による活動を行っています。 協議会の活動が始まった10年前は、ブロック長を中心とした年1回の交流会(研修会)を開催していました。現在は活動の幅が広がり、ブロック長、各県代表とブロック理事によるブロック会議で交流会や研修会などを企画し、開催しています。南関東ブロックの会員数は30名弱と少人数ですが、オンラインの会議や交流会により、情報共有が有意義にできています。 例えば、2022年度に全ブロックで開催した「在宅看取りを実践できる訪問看護師の育成事業」は、ブロック会員の協力により有意義な研修となりました。この事業に参加した南関東ブロックの会員から、「ブロックの活動として在宅看取りについて検討する場を継続していきたい」という意見があり、2023年度は「看取りを考える会」を年4回開催する計画となりました。 それぞれ多忙なため、ブロック活動の参加者が少人数になることもありますが、しっかり継続できています。訪問看護認定看護師同士が「看護を語る場」として、実践を語り、互いに学べる場は貴重であり、各々がその意義を感じているためと考えています。 訪問看護提供体制の強化とさらなる推進 私が長野県看護協会の常任理事として行っている活動についてもご紹介します。特に注力しているのは、長野県全域の訪問看護提供体制の強化と推進で、2023年4月には「訪問看護総合支援センター(以下「支援センター」)」を看護協会の中に開設しました。2021年に日本看護協会の支援センター試行事業に参加して以降、今回の開設に向けて準備をしてきました。支援センターには、私を含めた訪問看護認定看護師2名を配置し、訪問看護の課題に取り組んでいます。 支援センターの役割は、「経営支援」、「人材確保」、「訪問看護の質向上」の3つです。具体的には、以下のようなことを行っています。 【1】訪問看護支援事業(長野県受託事業) 訪問看護事業所運営基盤整備:コンサルテーション訪問看護制度等の電話相談事業所訪問による看護技術等のシミュレーションによる演習や講義等訪問看護事業所の新規開設支援潜在看護師、プラチナナース等の就業および転職支援新卒訪問看護師採用に向けた取り組み訪問看護に関する調査・実態把握教育・研修の企画、実施 【2】地域住民への訪問看護周知と活用推進としての在宅看取りに関する取り組み 【3】長野県訪問看護ステーション連絡協議会との連携(事務局) 支援センター開設以降、新規訪問看護事業所開設の相談や制度についてなど、問い合わせが増えています。認定教育課程で学んだ知識を活かして対応できることにやりがいを感じています。 また、「在宅看取り」については、日本訪問看護財団の助成を受け、県内の訪問看護認定看護師たちと研究に取り組んでいます。日本訪問看護認定看護師協議会のネットワークがこうした活動の連携に活かされており、研修の講師として活躍いただける場も提供できています。 訪問看護師による「在宅看取り語りの場」 前述した支援センターの事業のうち、「【2】在宅看取りの取り組み」として、訪問看護師による「在宅看取り語りの場」という活動も行っています。 訪問看護師に在宅看取りの様子を語ってもらい、地域の一般参加者の方々にも今の思い(介護していること、今までに経験した家族の看取りのことなど)を語っていただくことで、自分の思いに気づき、表出することができます。また、地域の方々に在宅医療や看護について知っていただくきっかけにもなります。 私は以前から、訪問看護の終末期ケアの実践から学べることは大変多いと考えていました。アドバンス・ケア・プランニング(ACP)を進めていく上でも、終末期や在宅看取りに関する具体的なイメージを持っていただくことは大切です。 訪問看護師の「技」といっていいスキルのうち一つにコミュニケーション能力があり、認定看護師に限らず、多くの訪問看護師が終末期ケア、在宅看取りを実践しながらコミュニケーション能力を磨いていると思います。そうした強みや経験を活かして、在宅で最期まで暮らせることの幸せを地域の方々に伝える取り組みができれば、と考えています。 「在宅看取り語りの場」の様子 * * * 私は、今までも「看護を語る」ことを実践し、意義を感じてきました。これからも、「看護を語る」ことから学ぶ機会をつくっていきたいと考えています。 ※本記事は、2023年9月時点の情報をもとに構成しています。 編集: NsPace編集部

家族看護 事例
家族看護 事例
特集
2023年8月29日
2023年8月29日

訪問看護師の家族看護 療養者のセルフケア&家族との関わり【事例紹介】

この連載では、訪問看護ならではの家族看護について「渡辺式家族アセスメント/支援モデル」を通して考えます。今回は、子どもに対する心配が大きく、過干渉になってしまう家族が登場します。訪問看護師はどう対処すればよいか困惑しますが、支援者である自分自身を深く見つめなおすことで状況が変化していきます。 事例紹介 Aさん(10代後半、女性) 有名進学高校に在籍していましたが、友人関係のトラブルが引き金となり、幻覚や妄想などの症状が出現し、統合失調症と診断されました。 数ヵ月の入院生活を経て、現在は休学し自宅療養中。全般的に意欲や自発性の低下が見られるものの、母親の送迎により週2回デイケアに通所しています。母親は日中仕事で不在のため、Aさん一人ではインターホンの対応ができず心配だとして、祖母に来てもらっています。 Aさんは携帯電話やSNSを利用して友人と交流を持ちたいと母親に訴えますが、発症前にSNSでの友人とのやりとりで落ち込むことがあったことを理由に、母親は携帯電話を持つことやSNSの利用を禁止しています。Aさんは残念そうではありますが、母親とぶつかることはなく、漫画を読んだり、テレビを見たりして、ほかのことで気を紛らせています。訪問看護師がAさんへ問いかければ、そつなく返事が返ってきますが、Aさんから積極的に話すことはありません。 家族構成 同居家族は、Aさんの父(50代、会社員)、母(50代、教員)、弟(高校生)の4人。近隣に住む母方の祖母が支援してくれています。母親は管理職のため多忙ですが、仕事の調整をしながらなんとかAさんの送迎を行っています。 訪問看護師の悩み(直面している課題) Aさんが携帯電話やSNSを利用して友人と交流を持ちたいと訴えても認めず、一人で留守番することにも難色を示す母親が、かえってAさんの自立を阻害しているように感じ、違和感を持っています。Aさんの力量をアセスメントして、母親にAさんの自立に向けた方法を提案したいと思いますが、母親がAさんの行動を強く統制しているためそれもできません。 そして、訪問看護師に対する母親の対応が威圧的に感じられ、母親にどのように関わったらよいのか糸口が見いだせず困っています。まだ訪問を始めて日が浅く、結局のところ、「心配だからダメ」という母親の話を一方的に聞くばかりで、深くは踏み込めないままに訪問が続いています。 渡辺式家族アセスメント/支援モデルで考える 検討場面の明確化 Aさんの願いを聞き入れもせず、Aさんを一人で留守番させることもしない母親。そんな母親に対して、訪問看護師は違和感を持っていました。どのように関わったらよいのか訪問看護師が困惑していた、この時期を取り上げて、Aさん、母親、訪問看護師に何が起こっていたのか検討したいと思います。 それぞれの文脈(ストーリー) ■訪問看護師訪問看護師はAさんの自発性を大切にし、Aさんの希望を叶えたいと思っていましたが、結局、母親の話を一方的に聞くという対処に終わっていました。背景にあったのは、Aさんの実際の力量がアセスメントできず、母親を説得する具体的な材料を持っていなかったこと、また母親の言動から考えを曲げようとしない頑なさに圧迫感を覚えていたことが挙げられます。 ■母親母親は、Aさんが携帯電話やSNSを利用して友人と交流を持ちたいという願いに困惑し、娘の願いを聞き入れず、自己のコントロール下に置くという対処をとったと考えます。その背景には、発症の引き金になったのが友人関係のトラブルであり、また同じことが起こるのではないかという不安や、何としても再発だけは避けたい、親として自分が娘を守らなければという使命感があったと思われます。 ■AさんAさんは母親から携帯電話を持つことやSNSの利用を禁止され、仲のよい友人に連絡できないことに困っていました。しかしAさんは、母親に強く不満を訴えることもなく、母親の判断に身を委ね、漫画を読んだり、テレビを見たりして、ほかのことで気を紛らわせています。その背景には、元々反抗期を経ておらず、母親の意見に従ってきた母子関係がありました。また、薬の鎮静効果による眠気や陰性症状による意欲低下があること、「母親が自分のことを心配してくれていることもわからないではない」という気持ちがあったと考えられます。 それぞれの関係性 次に母親、Aさん、訪問看護師の三者全体の関係性を俯瞰してみましょう(図1)。 ■母親とAさん母親はAさんをコントロールし、Aさんはそれに身を任せています。このままでは変化は起こらず、悪循環といえるでしょう。 ■Aさんと訪問看護師訪問看護師は、Aさんの気持ちを引き出そうと問いかけますが、Aさんはそつなく合わせるような対応です。対立や葛藤関係にあるわけではないですが、このままでは関係はなかなか深まらないと思われます。 ■母親と訪問看護師母親は、訪問看護師に対して期待はあるものの、何をどこまで期待できるのかが分からない状況です。再発への不安からとにかく今は自分の考えを通したいと主張しています。 まだ訪問を開始してから日も浅く、母親に対して関わりにくさを感じている訪問看護師は、母親に深く踏み込むことはせず、話を聞きながらAさんの主張に対してしかたなく応じています。訪問看護師は母親へのアプローチの方法を探っている状態だと思われます。 図1 Aさん、長女、訪問看護師の相互関係 パワーバランスと心理的距離 ここでは、母親と訪問看護師を取り上げて考えてみます(図2)。 母親の言動に圧迫感や関わりにくさを抱いていた訪問看護師のパワーは低くなっていたと思われます。一方、再発への不安が強く、何としても娘を守らなければという強い使命感に駆られていた母親のパワーは高いと考えられます。 両者の心理的距離はどうでしょう。お互いに関心を寄せていますが、娘を守りたい母親は境界を越えて訪問看護師へ迫っており、ベクトルもやや太くなっています。訪問看護師の方は、母親に対し何とか関わりの糸口を見つけようと、母親へ関心を向けながらもとどまっています。 図2 母親と訪問看護師のパワーバランスと心理的距離 アセスメントをもとに支援の方策を考える まずは、看護師のパワーを上げる必要があります。そのために、経験豊かなスタッフとの同行訪問を実施しました。これまでは母親に圧迫感を抱いていましたが、ベテランのスタッフとともにいることで安心感が得られ、落ち着いて母親の思いをじっくり聴き、話し合うことができました。 訪問看護師は、「友人関係で失敗してそれが再発につながるのが怖い」と訴える母親の気持ちを十分に受け止めるように努めました。そして、折に触れて「失敗はむしろ成功へのヒントになること」を伝え、訪問看護師として「失敗から学んで成長につなげることができるように支援すること」を保証しました。 また、母親に対し、Aさんの状況や母親の役割について繰り返し丁寧に説明しました。つまり、Aさんは病気を抱えつつも親からの自立という大切な発達段階を歩んでいる途上にあること、母親は自分自身の不安に圧倒されるのではなく、娘であるAさんを見守り自立を応援する段階にあることを伝えたのです。 Aさんに対しては、Aさんが自分の意思を尊重できるように「どうしたいのか?」と問いかけることを大切にしながら関わりました。 こうした支援により、母親は徐々にAさんの自立を見守れるように変わってきました。現在Aさんはデイケアに一人で通い、留守番もできるようになりました。一定のルールのもと携帯電話も使いこなしています。母親は過干渉になることもなく、Aさんとの距離感も良好なものとなっています。 事例におけるアセスメントと支援のポイント ●過干渉にならざるを得ない母親の不安の強さをアセスメントし、十分受け止めたこと●母親に苦手意識を感じる自分自身を認め、ほかのスタッフに応援を求めたこと●母親に、失敗は成功のヒントになること、またたとえ失敗しても成長につなげられるように支援すると保証したこと●母親に自立を促す役割の大切さを強調し続けたこと 執筆:株崎 雅子地方独立行政法人埼玉県立病院機構埼玉県立循環器・呼吸器病センター ●プロフィール2010年より「渡辺式」家族看護を学び、2023年「渡辺式」家族看護認定インストラクターを取得。現在は「渡辺式」の普及を目指し、急性期病院での活用や看護管理者への活用に向けて奮闘中です。 執筆:堤 真紀訪問看護ステーションみのり東京支店 所長 ●プロフィール2023年「渡辺式」家族看護認定インストラクターを取得し、現在は臨床だけでなく、家族看護の講義や執筆を行うなど実績を積み重ねています。 編集:株式会社照林社

家族看護 事例
家族看護 事例
特集
2023年8月1日
2023年8月1日

自己流の介護を続ける家族への関わり【家族看護 事例】

この連載では、訪問看護ならではの家族看護について「渡辺式家族アセスメント/支援モデル」を通して考えます。今回は、体調不良を抱えながら認知症の母親を一人で介護する家族のケースです。さまざまなストレスを抱える中で、支援者の提案や要望を受け入れることができず、自己流の介護を続ける家族への関わりを考えてみたいと思います。 事例紹介 Aさん(80代、女性) 5年前にアルツハイマー型認知症と診断。 現在は体調管理をメインに週1回の訪問看護を利用、緊急時の対応も契約しています。最近、食に対する意欲がなくなり、食べないために痩せが目立つようになってきました。水分摂取も忘れがちで、冬場に脱水症状を起こしたことがあります。そのときは、意識がもうろうとなったところを、訪問看護師がオンコール対応を行いました。 家族構成 Aさんの夫は10年前に他界。娘が2人いますが、主に介護を担うのは同居している独身の長女(60代)です。次女は他県へ嫁ぎ、ほとんど介護に関わることはありません。 訪問看護師の悩み(直面している課題) 長女は昔から体が弱く、両親から大事に育てられてきました。家事はあまり得意ではなさそうで、食事は出来合いの総菜を購入し並べるだけです。掃除や洗濯なども滞りがちになっていました。 訪問看護師は、せめてAさんが十分な栄養を摂れるように栄養剤の購入や水分摂取の声かけなどを訪問のたびに長女にお願いしますが、状況はなかなか改善されません。それどころか「母はこれしか食べてくれないから」と、食卓にはあんパンが山のように積まれるだけになってしまいました。 長女はそのうち看護師が訪問する時間になると自室に引きこもるようになってしまいました。声をかけても「体調が悪い」と言って部屋から出てこようとしません。訪問看護師は、このままでは再びAさんが脱水症状を起こしたり、栄養状態の悪化で体調を壊したりするのではないかと困っています。 渡辺式家族アセスメント/支援モデルで考える 検討場面の明確化 「長女が看護師の提案や要望を聞き流し、自己流の介護を続けている場面」を分析してみましょう。登場人物は、訪問看護師、長女、Aさんですが、ここでは訪問看護師と長女のストーリーを考えてみます。 それぞれの文脈(ストーリー) ■訪問看護師訪問看護師は、長女がAさんに適切な食事の準備や介護をしないためにAさんが体調を崩すかもしれないことを心配していました。 訪問看護師には「Aさんを守りたい」という責任感や、「家族は療養者の体調や生活を改善するために協力すべきだ」という思いがあります。また、長女の大変さを理解できるからこそ、「介護や家事の負担軽減方法を提案することも看護師の仕事だ」という役割意識もありました。 これらの背景から訪問看護師は、長女に必要な介護方法や手立てを提案し、取り組むことを要望するという対処をとっていました。 ■長女一方、長女は今まで自分をかばってくれていた母親が、以前の母親でなくなってしまったという喪失感を抱えていたと思われます。他県に居住し、ほとんど介護に関わらない妹に対する不公平感も抱いていたことでしょう。そして何より、母親の介護や家事に関して次々に訪問看護師から提案されたり、求められたりすることに対し困っていたと考えられます。 長女は、「自分も体がつらく、いろいろ言われてもできない」、「どう対応してよいかわからない」と感じていたと想像されます。また、これまで体が弱く、家族から守られてきた存在であった長女は、困った時には、結局誰かが何とかしてくれていたという過去の体験がありました。今回も長女は、自己流の介護を続けたまま引きこもり、提案や要望を聞き流すという対処をとっていたのだと思われます。 それぞれの関係性 次にAさん、長女、訪問看護師の三者全体の関係性を俯瞰してみましょう(図1)。 訪問看護師は、Aさんを「守る」ために長女に対しさまざまな提案や要望を繰り返し、回答を迫っています。それに対し、長女は「聞き流す」ことでわが身を守っています。訪問看護師が迫れば迫るほど、長女は「聞き流す」という対処を強化し、両者は悪循環にあると考えられます。 図1  Aさん、長女、訪問看護師の相互関係 パワーバランスと心理的距離 長女と訪問看護師について検討した内容を図2に示します。 訪問看護師は現状を変えようとパワーをかなり高くして、長女に提案と要望を行っています。また、Aさんを守ろうと境界を超えて長女に迫っているようです。 疲れて体調がよくない長女はパワーも低く、気持ちも訪問看護師には向いていません。これ以上迫られるのを避けようと、壁を立てて何とかしのいでいるようです。 図2 長女と訪問看護師のパワーバランスと心理的距離 両者ともにパワーの適正なライン(点線)に対して大きく高低差が付いてしまっている。 アセスメントをもとに支援の方策を考える ここまでのアセスメントをもとに、次の2つの支援の柱を考えました。 (1)看護師のパワーを下げる 訪問看護師には、長女に「負担軽減方法を提案することも看護師の仕事だ」という意識と、「家族は療養者の体調や生活を改善するために協力すべき」という価値観がありました。高くなっているパワーを下げるために、まずは支援者がこの「役割意識」から一旦離れ、いつの間にか陥りやすい「価値観を手放す」ことが大事になってきます。 そして、Aさん自身へのアプローチ、すなわち認知機能の悪化による気分障害(うつ状態や意欲・自発性の低下)に対し、在宅医との連携でアプローチの方法を再検討します。 (2)長女のパワーを上げる 低くなっている長女のパワーを上げるために、長女が抱える「母親がもはや以前とは同じではなくなってしまった」という深い喪失感に寄り添います。まずは長女が十分に癒され、周囲の支援を実感できるようにすることが不可欠でしょう。一人で介護する長女が、気持ちを吐き出せるようなアプローチを大切にしたいものです。 さらには、体調が悪いと感じている長女が、身体的精神的にも落ち着いた状態でいられるよう、長女自身の体調管理のサポートも重要です。 事例におけるアセスメントと支援のポイント ●支援者(訪問看護師)の中にいつの間にか醸成されている価値観や役割意識が相手を追い詰めていることがある。支援はそれを手放すことから始める●支援者が不十分に感じる介護も、家族にとっては自分なりにできる精一杯の対応の場合もある。不用意に迫ることは避ける●家族はそれまでと違う療養者の姿に深い喪失感を抱えることがある。家族が変化を起こす前に癒しといたわりを必要としていることがある 執筆:茶谷 妙子訪問看護ステーションひなた ●プロフィール訪問看護認定看護師「渡辺式」家族看護認定インストラクター、個別セッションファシリテーターとして活動。現在は訪問看護師向けの相談業務に従事。 編集:株式会社照林社 

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