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心温まるエピソード【つたえたい訪問看護の話】第2回vol05

心温まるエピソード【つたえたい訪問看護の話】

訪問看護の現場には、利用者さんやご家族との心の交流から生まれるエピソードがたくさんあります。「みんなの訪問看護アワード2024」に投稿された作品の中から、心がほっと温まるエピソードをご紹介します。

「お別れは、突然に。」

認知症による混乱がありながらも、最期まで夫のために尽くし続けた妻。突然の別れを通して、夫婦の深い絆を感じたエピソード。

妻と二人暮らしのA氏。身の回りのことはすべて妻が行っていた。A氏の状態観察のため、週に1回訪問。しかし、訪問するたびに妻の認知機能低下が目立つようになっていった。
妻は、認知症による混乱がありながらも、必死にA氏のために尽くしていた。ある日の朝、妻はベッドに横になったまま息をしていなかった。
突然、妻を喪ったA氏。時々笑顔を見せるが、どこか寂しげな表情が印象的だった。認知症で困惑する妻の姿ばかり見ていたが、遺影の着物姿はとても素敵だった。
訪問後の帰り道、さまざまなことが蘇る。
「母ちゃんには感謝してる」と、妻のいないところで照れながら話すA氏。最期まで、自分のことより夫を優先して支え続けた妻の姿。
二人暮らしが一人暮らしとなり、その現状を目の当たりにした私にも心にぽっかりと穴が空き、涙がこぼれてきた。
誰かが先に逝けば、残される人がいる。当たり前と思っていた日常が幸せだったことに、後から気付くのは寂しい。
1日1日を大切に生きようと改めて感じた。

2024年1月投稿

「大往生という言葉の重み」

「ありがとう」と言葉を残し、家族に見守られて旅立った100歳の利用者さん。“大往生”という言葉の重みを改めて感じたエピソード。

100歳代の女性。息子さんと二人暮らしでした。「息子がよくしてくれるから何も困ってない」そう言って、可愛らしい笑顔で話してくださいました。
最期は「ありがとう」と言葉を残し、息子さんと娘さんに見守られて旅立たれました。
周囲の方は口々に「大往生だった」と話されていました。
しかし後日、クリニックナースから「息子さんが来訪された時“大往生だと言われてもね…”と寂しそうでした」と聞きました。
そうだ…。どんなに高齢で穏やかな最期であっても、残された家族にとっては簡単には「大往生」とは思えない。日々をともにしてきた家族を失う寂しさや欠乏感は、「大往生」という言葉だけでは片づけられないのだと思いました。
また、90代女性の利用者さん。長年一人暮らしでしたが、ベッド上生活になり娘さんが同居されていました。
最期が近づいていたある日、娘さんが「上品で優しい母。料理も裁縫も日曜大工もなんでもできるすごい母でした」と話してくださいました。その言葉を聞きながら、ご本人はよい表情で小さく頷かれていました。
その2時間後に旅立たれました。娘さん涙ぐみながらも、「大往生、100点満点です」と話されました。私は「大往生でしたね」と返させていただきました。言葉の大切さを改めて感じました。

2024年1月投稿

「かあちゃん」

「かあちゃん」と呼んでくれた98歳の男性。大トロのお刺身をうれしそうに頬張る笑顔が、今も心に残るエピソード。

98歳の男性。膀胱癌の終末期で、入所時から私の担当だった。認知症もあり、病気の影響か頻尿が続いていた。余命1ヵ月程度と説明され、その間に何ができるか考えていた。
入所時から、私のことを「かあちゃん」と呼び、私は呼ばれることにやや抵抗を感じていた。何かにつけ「かあちゃん痛いよ~」「かあちゃん服脱がせてくれ」「かあちゃん…」と。
ある日、「かあちゃん、美味しい刺身で一杯やりたいなぁ~」と話された。その一言を聞き、私は買い物に出かけ、大トロのお刺身を用意して夕食時に提供した。嬉しそうな笑顔で「これは美味い」と、日本酒と一緒にうれしそうに食べてくださり、こちらまで嬉しくなる日だった。
夏祭りで歌う姿や、家族面会の時の笑顔。たくさんの笑顔を残してくれた。一方で、最期の日は終末期せん妄による苦しそうな表情があったと聞き、最期は辛い思いをさせてしまったのではないかと、今も考える。
「とうちゃん、かあちゃんは優しかったですか。とうちゃんが満足する母ちゃんでしたか」

2024年1月投稿

「伝えたかったありがとう」

家族の助言には耳を貸さなかったAさんが、少しずつ訪問看護師を受け入れてくれるようになった。そして最期に残されていたのは、「ありがとう」と書かれた1枚の裏紙だったエピソード。

老夫婦で過ごされていたAさん。近くには娘様もお住まいで、いつもご夫婦の様子を見に来られていました。腸閉塞を何度も繰り返していましたが、Aさんは奥様や娘様の助言には耳を貸さず、「俺の体は俺が1番知っている。」と話されていました。困り果てた娘様からSOSがあり、ケアマネジャーを通して訪問の依頼がありました。
初めは私たちスタッフにも拒否的でしたが、何度か訪問させていただくうちに、徐々にAさんは受け入れてくれるようになりました。排泄の状況をうかがっても、以前は「なんでそんなこと教えなきゃいけない?」と話されていました。しかし、ある日から大量の裏紙の束を持ってきて「そうだ、3日出てないんだ。腹も張ってるし、浣腸お願いできるかな。」と。しかしご家族様には変わらず、助言を受け入れてもらえず、奥様や娘様は「もう家でみるのが大変で…。夜中に何度も“看護師さんを呼んで”と言われて…。」と疲弊されてました。
ある日、突然の嘔吐で緊急訪問となりました。そのまま救急搬送され入院し、帰らぬ人となりました。その後、ご自宅を訪ねると奥様がAさんの大量のメモ紙を持ってきて「片付けをしていたら、1枚だけ出てきたの。」と、そこには「ありがとう」と大きく書かれた1枚の裏紙でした。ご家族も私たちも、それを見て号泣しました。

2024年1月投稿

「告白」

「山田さんとは心が通じ合っている気がする」
98歳のおばあちゃまとの5年間のかかわりの中で、忘れられない“告白”を受け取ったエピソード。

昔はイングリッド・バーグマン似だった98歳のおばあちゃま。乳がんのケアで関わることとなった。
訪問看護師として処置に伺うアトリエには、鮮やかな花の油絵が、友人や家族の写真とともに飾られていた。夕方になると、ご飯を目当てにちゅんちゅん(雀たち)が集まってくる。
ご家族はご本人らしい最期を望まれていたが、医療の選択肢が増えた今、告知しないほうが難しかった。何度となくスタッフ間で議論したが、当人は「みんないい人ばかりね」と微笑み、病状については深くは知らされていなかった。
つかず離れずがモットーのこの仕事なのに、がんが進行したある日、「山田さんとは心が通じ合っている気がする」 と、見つめられ、戸惑った。「ありがとう。私も」と返した。
最期にトイレは自分で行かれ、寝込まれたのはわずか二日間だった。凛とした美しい表情は、まるで眠っているようだった。四十九日過ぎに手を合わせ、遺族と喪失感や疲れを共有した。「じつは告白されたんですよ」そんな話をしながら、娘さんと一緒に泣いて、笑った。
一年後、自転車で前を通った。「両想いやね」と伝えたかった。寂しいと、私もちゃんと伝えればよかった。やっと今、自分の心に向き合えている。

2024年1月投稿

利用者さんやご家族との日々の関わりの中には、言葉では言い尽くせない大切な時間があります。一人ひとりの人生に寄り添う訪問看護だからこそ出会える瞬間を、これからも大切にしていきたいですね。

編集: NsPace編集部

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