みんなの訪問看護アワード2024

後悔・葛藤エピソード【つたえたい訪問看護の話】
後悔・葛藤エピソード【つたえたい訪問看護の話】
特集
2026年6月19日
2026年6月19日

後悔・葛藤エピソード【つたえたい訪問看護の話】第2回vol12

訪問看護の仕事は、時に自分の力不足を痛感したり、利用者さんやご家族にとって何が最善なのか悩んだりすることがあります。答えの出ない問いを抱えながら支援に向き合う場面も少なくありません。「みんなの訪問看護アワード2024」から、そうした後悔や葛藤を感じたエピソードをご紹介します。 「幸せとは」 87歳のTさんに「今まで生きてきた中で1番幸せだったことは?」と尋ねた時、思いもよらない答えに人生観を考えさせられたエピソード。 「『幸せとは、体験するものではなく、あとから思い出して気づくものだ』ですって!深いですねー」87歳のTさんの訪問時には、毎回その日の名言カレンダーを読み上げ、それについて話し合っていました。「Tさんが今まで生きてきた中で1番幸せだと思ったことは何ですか?」と私。すると、少しの沈黙の後に「何もない」とTさん。「そうなんですね。でも長い人生ですから、何か心に残っていることがありそうな気もします。」と私。すると、また「…何もない」とTさん。近くで会話を聞いていた息子さんにも何だか申し訳ない気持ちになっていたその時でした。「だって、ずっと幸せだから」とぽそりとTさんが言われたのです。一瞬、時が止まったような衝撃を受け、泣きそうになっている自分がいました。寝たきりになってもなお、愛する息子2人がいつもそばにいてくれて、大好きな餡子を毎日食べさせてもらえること。それこそがTさんにとって、過去ではなく現在進行形の幸せなんだと教えられたのでした。『幸せとは…』私もいつか人生を振り返った時、「ずっと幸せだった」とTさんのように思えたらいいなと感じています。 2023年12月投稿 「訪問看護をやってみたい」 医療行為に長年のブランクがあった看護師が、パーキンソン病で入院していた母を思いながら訪問看護の道に進んだエピソード。 私には、医療行為に対して何十年ものブランクがあった。それでも、訪問看護をやってみたいという思いがあった。当然ながら不安はあり、教育用DVDを購入したり、県ナースセンターへ出向き、採血の練習をしたりしていた。そのころ、母は療養型病院に入院していた。現在勤務している訪問看護ステーションはその病院と同じ敷地内にあり、私は仕事をしながら病棟へ洗濯物を受け取りに通い続けていた。母は、長年パーキンソン病に苦しんでいた。特養に入居して1年ほど経ったころ、67歳で脳出血を発症。その後は寝たきりとなり、発語も難しく、経管栄養で生活するようになった経緯があった。そのような母の姿を見守りながら、切なさや悔しさが込み上げ、涙することがよくあった。平成29年6月、母は病院で息を引き取った。10年に及んだ母との療養の日々も、その時ひとつの区切りを迎えた。そして偶然にも、その月の末に新たな看護小規模多機能型居宅介護(看多機)がオープンし、ステーションは移転することになり、私自身も新たなスタートを切ることになった。いまも訪問看護で利用者さんやご家族と関わるたびに、母を思い出す。さまざまな在宅生活のあり方を学び続けている。 2023年12月投稿 「私が訪問看護を目指したきっかけ」 子宮がんで余命2週間の知人Aさんから、「家に帰るように言ってくれて、ありがとう」と言われたことが、訪問看護の道に進むきっかけとなったエピソード。 知人Aさんは、子宮がんの進行に伴いイレウスを併発し、緊急入院し、医師から余命2週間と告知され、現実を受容できない状態でした。入院したことを知り、コロナ禍のため電話でのやり取りをする中で、家に帰りたい思いが伝わってきました。退院後の生活を具体的にイメージできず、不安から在宅療養に踏み切ることができない状態でした。私は、Aさんが望む最期の過ごし方を考えることが先ではないかとお伝えしました。在宅での生活に必要な支援や方法については、その後に考えていけばよいのではないかと話しました。結果、Aさんは医師やご家族と話し合いを重ね、在宅での緩和ケアを開始できることになりました。当初は余命を告げられたことに怒りを見せる場面もありましたが、時間の経過とともに、少しずつ現実を受け入れていかれました。最後には、念願だった自身のやりたいことを実現することができ、知人、友人、家族にお別れの言葉も言えました。看取りが近いある日、「あの時、家に帰るように言ってくれて、ありがとう。ホンマにあんたの言う通りにして、良かった。病院にいたら、後悔するところやった。」と言ってくれました。それから数日後、Aさんは逝去しました。私は、この出来事をきっかけに訪問看護の道に進むことができました。 2023年12月投稿 「はじめての看取り」 がんの利用者様のご家族が未告知を選択し、最期まで笑顔のような表情で旅立った姿から、その選択の意味を考えさせられたエピソード。 担当していたがんの利用者様に転移がわかりました。ご本人はとても明るく、2人の娘様が交代で介護されており、訪問中は冗談を言いながら、とても楽しかったことを今でも覚えています。日に日に食べられるものや量も減り、痛みも増す中、麻薬持続注射を開始。ご家族は不安がいっぱいで表情がこわばっていましたが、そんな中でもご本人とは冗談を言い合いながら空気が濁ることはありませんでした。医師から「余命3ヶ月」と説明を受けた娘様たちは、「お母さんの明るいところを奪いたくない」「最後まで落ち込んでほしくない」と考え、未告知を選択されました。訪問看護師になって、はじめてのお看取りとなり、未告知という選択はどうなのだろうかと、自分の中で葛藤がありましたが、最期の訪問で私は確信しました。扉を開けた瞬間のご家族の表情は忘れられません。今にも泣き崩れそうな表情で。それでもご家族と一緒にお身体をきれいにしながら、私たちの会話は自然と楽しかった思い出ばかりになりました。最期の表情は笑顔のようで、ご家族にとって納得できる選択だったのだと感じました。あれから4年が経ちました。あの経験を通して、利用者様やご家族それぞれの選択を尊重できる訪問看護師になろうと、今でも奮闘中です。 2023年11月投稿 日々のケアで“どうしたらよかったか”と悩み、迷うことは、多いのではないでしょうか。大切なのは利用者さんやご家族の思いに耳を傾け、その人にとって何が最善なのかを考え続けること。そして、その答えを探しながら誠心誠意向き合うことなのかもしれません。 編集: NsPace編集部

後悔・葛藤エピソード【つたえたい訪問看護の話】
後悔・葛藤エピソード【つたえたい訪問看護の話】
特集
2026年6月12日
2026年6月12日

後悔・葛藤エピソード【つたえたい訪問看護の話】第2回vol11

訪問看護の仕事は、時に自分の力不足により迷惑をかけてしまうことや、適切な支援ができないこともあります。また何が正しいのか、どういう支援をするのが良いのか答えが出ず葛藤する場面に遭遇することもあるでしょう。「みんなの訪問看護アワード2024」から、そうした後悔や葛藤を感じたエピソードをご紹介します。 「訪問看護の『道』」 北海道の厳しい雪道を走りながら、訪問看護を「道」と捉え、いつか利用者さんから黒帯を授けてもらえる日を信じて走り続けるエピソード。 寒さも厳しく、雪が降る。ゆえに、舗道も道路も進むのが大変だ。訪問看護のように看護師が移動して各家庭での看護を展開することは苦労が多い。車や衣服に積まれた雪を払い除けたとしても、吹雪くこともある。道路は凍りツルツルで、自動車事故は多発するし、歩いていても滑って転ぶこともある。事故が起きなくても渋滞が起こり、予定通りの訪問ができないことがある。それでも訪問しなければならない。それが私たちの仕事だからだ。過酷である。看護とは「道」のようなものだと思ったことがあった。柔道や剣道、空手道、華道、茶道のような「道」。「看護道」と名づけたくなるような感覚のことがあった。実際、私は学生時代に空手部に所属していた。しかし、その35年余りの看護道の人生ではいつも私は初心者のような実力と自信のなさに悩み、いつまで経っても有段者になれず、黒帯に憧れ続けている。きっといつか、利用者さんが私に黒帯を授けてくださることを信じて、今日も厳しい雪道である看護道を走り続けるのである。 2024年1月投稿 「信頼関係で届いた思い」 双極性感情障害を抱えるAさんの困難な時に、5年間の信頼関係が生んだエピソード。 双極性感情障害を抱えるAさんは、時々躁状態になって入院することがあります。ある日、不眠で多弁な様子がありました。行動化はないものの躁状態になりつつあると感じ、すぐに主治医に報告して薬が増えました。薬が効いてくるまで時間がかかりますが、入院せずに様子を見ていました。そんな中での訪問時、「昔の事業のことで別れた妻が申請すれば20万円受け取れるから受け取らせてあげたい。90万円かかるけれど探偵を雇って妻の居場所を突き止めたい。親戚が売った土地のお金を分けてもらえれば支払える」と話がありました。元妻も親戚も関わりを拒否しているため、とても現実的ではありませんでした。躁状態の時に現実的なことを言っても、説得は難しいので悩みました。思わず出た言葉が「私は別れた妻のことよりも、あなたの幸せを願っている」でした。数十秒の間があったと思います。「…探すのやめよう」と言ってくれました。現実的に無理であることは理解していなかったと思いますが、私の気持ちを受け止めてくれたのだと思います。5年間築いた信頼関係がもたらした結果だと、実感した出来事でした。 2024年1月投稿 「命のコール」 前立腺癌末期のNさんが、夜中に看護師を呼ぶのを遠慮して6時間我慢していたことから、オンコールの大切さを再認識したエピソード。 朝7時10分にオンコールの電話が鳴る。受電するなり「お父さんが夜中の1時から、全然おしっこが出てないのよ。」とNさんの奥さまが話す。奥さまへ今から緊急訪問することをお伝えし、Nさんのご自宅に緊急訪問する。「Nさん、おはようございます」とご挨拶するとNさんより、「朝から看護師さん呼んでしまって申し訳ないです」と申し訳なさそうにお話される。Nさんは前立腺がん末期にて尿管が挿入されている。尿の浮遊物が多く、浮遊物が詰まり尿流出ができていなかった。1時から7時までの6時間、尿意や腹痛が伴っていたが、我慢していたと。しかし、夜中に看護師を呼ぶ事を遠慮していたと話し、「夜中、看護師さんだって寝てるのに起こすのがかわいそうでさ」と、話す。ナースコールや緊急時の電話は、利用者さんにとって遠慮してしまいがち。一方で、私たちは利用者さんの安心・安全・安楽な生活を過ごしていただく支援をすることが訪問看護の使命である。 2024年1月投稿 「能登半島地震を経験して」 能登半島地震を経験し、社内のBCPと災害訓練、リモート支援により職員と利用者の安全を守ることができたエピソード。 緊急警報が鳴り響き「強い揺れに警戒してください」の言葉が不安をあおる。立っていられない強い揺れ。「止まらん!いつまで続くん」ひたすら揺れがおさまるのを待った。社内で災害時に自動送信されるライフメールが届き、自分の安否連絡を送信した。16時12分、看護師のKから電話がきた。「職員と利用者の安否を確認しますか。ライフメールで安否確認するね。まずは自分の安全確保して!東京のメンバーに応援の要請しよう。リモートで繋ごう」すぐに東京の看護師さんがリモートで応援を招集してくれた。自社開発の電子カルテ“ウィルクラウド”は災害時に優先度順に切り替えられる。東京メンバーの支援により優先度AとBの利用者の安否確認を完了。社内にはBCPがあり、普段から災害訓練をしていた。翌日から看護師たちが自主的に出勤してくれた。医療依存度の高い方、高齢者と障害者、山間部の土砂崩れや断水地域の道路状況を確認した。訪問は2名体制で対応し、飲料水の提供や体調確認をして安全を守ることができた。能登の被害はさらに大きいため支援を続けていく。 2024年1月投稿 「みんな違ってみんな良い」 自分の看護に自信がなかった訪問看護師が、保育園での経験を活かして利用者さんと関わる中で、「自分にしかできない看護もある」と思えるようになったエピソード。 利用者さんでCさんという方がおり、娘さんは仕事を辞めて介護をしています。Cさんは訪問看護を開始したころ、「いつ死んでも構わない」とお話ししていましたが、お孫さんができてから「少しでも長生きしてお孫さんの成長を見たい」と話すようになっています。私が訪問すると、お孫さんの成長や関わり方で分からないことがあると相談を受けることが多くなり、手遊び歌をして一緒に遊ぶこともあります。Cさんや娘さんも、お孫さんが楽しそうにしている様子を見て和やかな雰囲気で過ごすことができています。私が来るのを「待っていた」と話してくださることもあり、今までの経験が活かせていると感じることもあります。利用者さん一人ひとり違うように、訪問看護師もみんな違って自分にしかできない看護もあると思えるようになりました。 2023年12月投稿 日々のケアで“どうしたらよかったか”と悩み、迷うことは、多いのではないでしょうか。大切なのは利用者さんやご家族のニーズを捉え、どのように看護を提供していくことがいいのかを考えて、誠心誠意実践していくことなのかもしれません。 編集: NsPace編集部

最期・お看取りエピソード【つたえたい訪問看護の話】
最期・お看取りエピソード【つたえたい訪問看護の話】
特集
2026年6月12日
2026年6月12日

最期・お看取りエピソード【つたえたい訪問看護の話】第2回vol10

人生の最期をどこで、どのように過ごしたいか。その願いは一人ひとり異なります。訪問看護師は、ご本人やご家族の思いに寄り添いながら、その人らしい最期の時間を支えています。今回は、「みんなの訪問看護アワード2024」に寄せられたエピソードの中から、看取りの現場で生まれた心温まる物語をご紹介します。 「最期まで家にいること」 入院を予定していた103歳の利用者さんが、「最期まで家で過ごしたい」という思いを大切にしながら在宅での日々を選択。看取りを終えたご家族が「家で看取れて本当に良かった」と振り返ったエピソードです。 診療所から新規の依頼があった。103歳、末期がん、ご家族が自宅では看取れないため、入院までの3日間だけ訪問看護利用をお願いしたいと。半年前まで一人暮らしをしていたが、食事摂取量減少あり息子さんご夫婦と同居されていた。症状は落ち着いていたため、今までの生活や楽しかった旅行の話などで盛り上がり、笑いながら2人で話をした。ご本人は自宅にいたいようだったが、さまざまな事情を考慮して入院を選択された息子さんに対し、『このまま自宅で』とは言えなかった。入院当日、訪問時にどんな話をしようかと頭を悩ませていた。その時、息子さんから電話があり「本人にどうするか聞いたら家にいたいと言ったので自宅で看取ろうと思います。」それから2ヶ月近く、ご本人・ご家族ともに穏やかな日々を過ごし、ご本人は自宅で亡くなった。息子さんご夫婦から「家で看取れて本当に良かった」と言われたこと、訪問看護との関わりも含め、ご本人とご家族が自宅で過ごす選択を考えるきっかけになったことに嬉しさがこみ上げた。 2023年12月投稿 「私の訪問看護の原点」 「早く幼稚園に戻りたい」と願った70代の幼稚園経営者。最期まで大切な仕事と向き合い続けたその生き方が、一人の看護師の原点となったエピソードです。 看護師1年目の私は、幼稚園を経営する70代の女性、Aさんを受け持った。Aさんはがんを患い、入院していたが、「早く退院して幼稚園に戻りたい」と話していた。当時は現在のような在宅療養を支える制度が十分に整っておらず、介護保険制度も始まる前だった。話を聴くだけの自分の力のなさを感じた。ある日、準夜勤で出勤すると「明日、退院するの。早く帰らないと。若いお母さんたちが待っているから」と話された。当時としては珍しいケースで、病院の計らいによりご本人には退院と説明し、外泊となった。ご家族は『母の生き方を尊重する。どうしても体調が悪くなったら連れてくる』という合意のもとであった。一生涯の仕事を持ち、その仕事を全うしようとする、スーツを着て凛としたAさんに心を打たれた。約1週間後に永眠されたのだが、Aさんの生き方やそれを支えたご家族をみて、やりたいことを最期まで貫けるよう、暮らしを支えられる看護師になりたいと思った。今もAさんを思い出し、訪問看護を実践している。療養者の生き方に伴走できる看護を実践したいと思う。 2023年12月投稿 人生の最期をどこで、どのように迎えるか。その選択を支え、最後まで寄り添う訪問看護の役割の大きさを感じるエピソードでした。一人ひとりの人生の締めくくりに立ち会わせていただけることの尊さを改めて感じます。 編集: NsPace編集部

最期・お看取りエピソード【つたえたい訪問看護の話】
最期・お看取りエピソード【つたえたい訪問看護の話】
特集
2026年6月8日
2026年6月8日

最期・お看取りエピソード【つたえたい訪問看護の話】第2回vol09

人生の最期を自宅で迎えたいという利用者さんの願いに寄り添い、ご家族とともに看取りを支える訪問看護師。「みんなの訪問看護アワード2024」に投稿されたエピソードから、最期の時間を大切に過ごしたエピソードをご紹介します。 「ご指名、ありがとうございました」 数年ぶりに再会したAさんから「〇〇さんに看取ってほしい」とご指名を受け、身寄りのない方の看取りを支えたエピソード。 数年前に奥さまの看取りをさせていただいたAさんと、久しぶりにコンビニの駐車場で再会。その20日後、病院の相談員さん、Aさんのご友人から「今、がんの末期で緩和ケア病棟にいる。身寄りはないが、〇〇さんに看取ってほしいと言われている」と連絡が。急な展開に驚きながらも訪問看護を開始。正直、身寄りのない方の看取りに対する不安もありました。訪問診療医やケアマネージャーさん、ご友人の方と協力しながら毎日誰かが数回訪問に行く環境にしました。ですが、Aさんは「人には迷惑をかけたくない」との思いが強く、できるだけ自分で何でもされていました。痛みの訴えがあり鎮痛剤を内服したり、内服の効果が弱くなると鎮静をかけたりして過ごされていました。鎮静剤を使用して3日目、やっと痛みが緩和されたAさんのもとへ訪問に伺うとコーヒーを淹れてくださりました。向かい合って2人で煎餅を食べながら、Aさんは奥さまの介護の時の話をされました。「とうとう死ぬのか…もう少し生きたかったなぁ」と話されるAさんの顔は穏やかながらも寂しそうだったのを覚えています。翌日から昏睡状態となり2週間後に永眠。終活をされており、ご友人たちに見送られました。訪問看護師として死の覚悟の必要性を学ばせていただきました。 2024年1月投稿 「ネコのお葬式」 がんの終末期であったAさんの飼い猫が亡くなり、猫のお葬式を通して心が通ったエピソード。 がん終末期のAさんの飼い猫ちゃんが行方不明になり、数日後、亡くなった姿で発見された。妻は「夫が逝く前に戻ってきて良かった。猫ちゃんのお葬式をしたいけど、この人を一人置いていくのは心配」と玄関先で話した。私はこの言葉から、妻は常にAさんを気にかけ、普段から生活が制限されてしまっているのではないかと感じた。そこで「確かに外出から帰ってきたらお亡くなりになっていることはあるかもしれない。家で看とるということは、お家の生活の音や家族の声を聞いて、Aさんが安心しながら、ごく自然な生活の中で旅立てること。だから常にご主人の側にいなくて良いのです。家にいても次にAさんの側に行ったら亡くなっていることもあるかもしれない。そういう覚悟があれば、猫ちゃんのお葬式へ行って良いのではないですか。心配で離れられない気持ちもあって当然ですが」と伝えた。翌日、看護師に「夫についていなくても良いとわかり、とても気持ちが楽になった」と妻は話した。そして、猫のお葬式の日には娘も来訪され「パパ行ってくる。“行ってらっしゃい”と言ってくれているね」と外出され、Aさんは留守番役を担った。 2024年1月投稿 「グリーフケアの大切さを教えてくださったF様の奥さま」 脳腫瘍末期のF様の奥様が病的悲嘆に陥っていることがわかり、グリーフケアの大切さを学んだエピソード。 私がまだ、訪問看護を始めて2年目のこと。脳腫瘍の末期のF様の担当になりました。「最期は入院」と決めて、ご自宅での療養を続けていました。いよいよ意識レベルが低下し、入院して2日目に亡くなりました。それから半年後に、ご遺族に弔問についてアンケート調査をしたところ、F様の奥さまが病的悲嘆におちいっていることがわかりました。訪問してお話を伺いました。病院の主治医は「あと一週間」と説明したようで、奥さまが家に戻った隙に亡くなってしまったことや、そのためにF様と決めていた葬儀ができなかったことなどが悔いとなっていました。それから2週間して、奥さまから「心が開かれました」という手紙が届きました。私はF様の奥さまから、グリーフケアの大切さ、悔いの残らないように支援することの必要性を学びました。 2023年12月投稿 「最期まで ‘‘精一杯支える‘‘」 乳がん終末期のAさんを在宅で支え、娘さんから半年後に「母は母らしく最期まで過ごし旅立つことができた」と感謝の手紙が届いたエピソード。 Aさん女性、乳がん終末期の利用者さま。肺炎を契機に、がんの進行が分かり治療法がないことや、最期は自分の家で娘と過ごしたいという希望が強く、急遽自宅へ退院となる。娘さんと力を合わせながら、苦痛がないように支えさせていただき、1週間弱で最期を迎えました。その後半年が経ち、娘さんからお手紙が届きました。「最期の場所を自宅で、という決心をして戸惑うこともありました。ですが、一緒に過ごす時間をもてたことは、今とても救いになっています。自宅に帰ってこられただけでも幸せで満足でしたが、それまでの様子からは信じられないほど穏やかに過ごし旅立ち、見送れたのは、みなさんの力をお借りできたおかげだと感謝の気持ちで一杯です。母は最後の望みが叶えられ、母らしく生きられて幸せだったと思います。母が母らしく最期まで過ごし旅立つためにお力を借り、支えていただけたこと、母を想う度に思い出し御恩と感謝を忘れることはありません。」終末期ケアにおける我々の訪問看護ステーションの理念として、『本人が決めた方法が本人の人生の正解なので、最期まで目一杯生きられるように、それを徹底的にみんなで精一杯支えていくこと。』この大切さを改めて実感させてくれました。 2023年12月投稿 「最期の海」 末期がんで余命数日の元漁師さんが、「死ぬ前に海が見たい」という願いを叶え、「今日は幸せ大漁やー」と満足した笑みで旅立ったエピソード。 雲ひとつない青い空。少し肌寒い風が吹く中、か細いがしっかりとした言葉が響いた。この声の持ち主は、末期がんで余命数日を宣告された元漁師さん。「死ぬ前に海が見たい」切実な願いを叶えたく、私たちは海にやってきたのである。「今日は幸せ大漁やー、みんなありがとね」最初で最後に見せる海の男の顔だった。ご一緒させてもらった私たち看護師・理学療法士は、船に乗り網を引き活躍する彼をそこに見た気がした。命の尊さを教えてくださり、“お礼をいうのは私の方だ”と、涙が止まらなかった。そして1週間後、穏やかに満足した笑みで息を引き取った。どうせ無理だと諦めず、必ず願いは叶うと信じること、人の強さや優しさを教わった貴重な経験だった。私たち訪問看護ステーションでは、想い実現プロジェクト"立花Time"という名の、保険では賄われない利用者さまのしたいことをボランティアで実現する取り組みを行い、最期を大切にしている。 2023年12月投稿 人生の最期をどこで、どのように迎えるか。その選択を支え、寄り添う訪問看護の役割の大きさを感じるエピソードでした。一人ひとりの人生の締めくくりに立ち会わせていただけることの尊さを改めて感じます。 編集: NsPace編集部

最期・お看取りエピソード【つたえたい訪問看護の話】
最期・お看取りエピソード【つたえたい訪問看護の話】
特集
2026年6月5日
2026年6月5日

最期・お看取りエピソード【つたえたい訪問看護の話】第2回vol08

人生の最期をどこで、どのように過ごしたいか。その願いは一人ひとり異なります。訪問看護師は、ご本人やご家族の思いに寄り添いながら、その人らしい最期の時間を支えています。今回は、「みんなの訪問看護アワード2024」に寄せられたエピソードの中から、看取りの現場で生まれた心温まる物語をご紹介します。 「焼酎お湯割りとろみ付き」 人生の最期が近づく中で、「大好きな焼酎をもう一度飲みたい」という願いを叶えた福さん。訪問看護だからこそ実現できた、ご本人らしい最期のひとときを描いたエピソードです。 90代の福さん。長らくベッド上で生活をしていましたが、誤嚥性肺炎を繰り返し徐々に食欲も低下してきました。「食べたいものを食べさせてあげたい」というご家族の希望もあり、ご本人に聞いてみると、「焼酎が飲みたい」と弱々しくもはっきりと答えました。ご家族はそれを聞いて微笑みました。「おじいちゃん、焼酎が大好きだったんですよ」と。早速、主治医とも相談のうえ、大好きだった焼酎のお湯割にとろみをつけて福さんのもとへ。眠っている時間が増えてきていた中で、焼酎の匂いを嗅ぐとにっこり笑って「焼酎だ」と答えてくれました。ほとんど食事がとれなくなっていましたが、その焼酎を一口飲んで「おいしい」と笑顔で答えてくれました。それから間もなくして福さんは亡くなりました。私が最期に福さんの笑顔を見たのはこの時です。訪問看護だからこそ叶えられた、ご本人とご家族の願いでした。天国でも、ゆっくりと焼酎を味わってくださいね。 2024年1月投稿 「花嫁の看取り」 「いつかウエディングドレスを着てみたかった」。そんな妻の願いを、最期の時間の中で叶えた夫婦の物語。人生の締めくくりに寄り添う訪問看護の温かさが伝わるエピソードです。 看護の現場には、言葉で表しきれない感銘深い体験が数多くある。大腸がん・肝転移の47歳女性のケース。予後は厳しいと引き継がれ、自宅へ退院された。夫婦には子どもはおらず、親戚とも疎遠だった。妻は病状が急速に悪化し、翌朝に息を引き取った。一晩中苦しむ妻を看続けた夫は「退院は間違いだったのか」と吐露。「家に帰れば延命できるかもしれない、と勝手な期待があった」と苦悩の言葉。2人で夢見て建てた家でずっと仲良く人生を歩んでいきたかったろうに。妻との別れが近づく時間を、夫はどのような思いで過ごしていたのだろう。私たちは妻を見送る夫の心情に涙した。「夫婦になって20年、妻はウエディング姿に憧れていた」と話を聞き「花嫁姿にして差し上げませんか」と提案、夫は涙ぐみながら頷いた。早速、ウエディングドレスの調達に奔走し、ベールをかぶり、ブーケを持ち純白ドレスに身を包んだ妻。その姿を、蝶ネクタイ姿の夫が静かに見つめていた。その後「お墓探しは、生前に妻と新居を探していたころと同じなんです」とお墓購入の近況報告をいただいた。 2024年1月投稿 「大切な人への最後のメッセージ」 素直に伝えられなかった娘への感謝の気持ち。訪問看護師が思いをつなぎ、親子が心を通わせることができた最期の日々を描いたエピソードです。 子宮がん末期、余命あとわずかとなった60代の女性。「まだ死にたくはなかったけど、死を受け入れる覚悟はできている。すべての準備は完璧です」と話されていた。ただ、娘さんとの間にわだかまりがあり、素直になれずにいた。私が訪問すると「あの子には、今まで私の身の回りのことを何から何までやってもらって、本当に感謝しています。」といって涙を流していた。その言葉を娘さんに直接伝えることができず、「あの子には、話さなくても全部分かっていると思います。」ともいっていた。後日、私が娘さんとお会いした時に、そのメッセージを娘さんに伝えたところ、娘さんも涙を流して「母がそんなことを話していたんですか…。」と驚いていた。娘さんからのメールや、会いに来てくれることを、お母様がとても喜んでいたことも伝えた。その一週間後、家族に見守られ、娘さんに手を握られながら、穏やかに旅立たれた。最期の時に、互いに思いが通じ合った親子の姿が印象的だった。 2024年1月投稿 「社長として。旦那として。」 人生の最終段階にあっても、会社を支える社長として、そして愛する妻の夫として生き続けたAさん。最期までその人らしく過ごす姿に触れた訪問看護師のエピソードです。 施設内訪問看護に就職して初めて受け持ったAさん。仕事一筋で、責任感が強く、何事も自分でやり遂げる方でした。一代で会社を興し、ご家族で経営されています。直腸がんが全身に転移し、長年治療を続けてきましたが、全身状態も悪くなり入居となりました。入居時は努力呼吸がみられ、返答も難しい状態。しかし、時折体を起こしてコーラを希望されるなど、起き上がる様子もみられました。入居8日目の夕方「車椅子に乗りたい」「フロアを回りたい」「プリンを食べたい」とはっきりした口調で話されました。笑い話をしたと思ったら「まじめな話をします」と筆談し、「会社が心配だ。妻と話したい」と訴え、自分の携帯で奥様の声を聞いていました。その時初めて、患者さんではなく「社長」としての姿を見た気がしました。次の日の午前、Aさんは亡くなりました。入居から9日でした。最期に社長として、そして夫として過ごす時間を持つことができたAさん。その大切な時間に立ち会わせていただけたことは、私にとっても忘れられない経験となりました。 2024年1月投稿 「やっぱり家にいたい」―あなただから言えた本音 「本当は家で最期まで過ごしたい」。誰にも言えなかった本音を引き出したのは、信頼関係を築いてきた訪問看護師でした。利用者さんの願いに寄り添い続けた看護の力を感じるエピソードです。 常勤の訪問看護師になりたてのAさんは、今日もがん末期のBさんに振り回されていた。「訪問に行ったらいないんです。天気が良いから外出していたそうで、『今から来て』って言うんですよ」「今日は、お弁当を買ってきてほしいって言うんですよ」ほかにもさまざまな出来事があった。デイサービスで介護職員にため口をきかれたって、Bさんが怒っていた時も、Aさんは丁寧に話を聞いていた。Bさんは、お茶を飲みながら、若いころの話や日々の出来事を語ってくださった。ある時、Bさんは胸水が溜まって受診することに。連携を学ぶために受診へ同行すると、Bさんは入院を拒否した。帰宅後、Bさんはぽつりとこう話した。「本当は家で最期までいたい。だって、父親が建ててくれた家だから」Aさんは、親戚との関係調整にも奔走し、Bさんがかわいがっていた甥に遺言を託す機会もつくった。急な状況だったが、日ごろから連携しているクリニックの医師にも協力を依頼した。Aさんは、Bさんの願いを叶え、ご自宅で最期を迎えられるよう支援することができた。その1年後、Bさんの親族から「自分も最期は家で暮らしたい」と希望された。それは、AさんがとことんBさんに向き合った結果だったのかもしれません。今では、その人らしさを大切にできる訪問看護師へと成長しました。Aさんのような訪問看護師に憧れ、この仕事を目指す人が増えてくれたら嬉しいな。 2024年1月投稿 人生の最期に何を大切にしたいかは、人それぞれです。訪問看護は、その人や家族の思いに寄り添いながら、限られた時間の中で「その人らしさ」を支える仕事です。今回ご紹介したエピソードからも、一人ひとりの願いに向き合う訪問看護の価値と、看取りの時間の尊さが伝わってきました。 編集: NsPace編集部

心温まるエピソード【つたえたい訪問看護の話】
心温まるエピソード【つたえたい訪問看護の話】
特集
2026年5月29日
2026年5月29日

心温まるエピソード【つたえたい訪問看護の話】第2回vol07

訪問看護の現場には、利用者さんやご家族との心の交流から生まれる温かいエピソードがたくさんあります。「みんなの訪問看護アワード2024」に投稿されたエピソードから、心がほっこりと温まるエピソードをご紹介します。 「アリンコ最中」 精神科の訪問看護で、利用者さんの気持ちを受け取った心温まるエピソード。 精神科の訪問看護をしています。利用者さんは病気の影響で、自分自身や部屋を衛生的に保つことが難しく、部屋にコバエが飛んでいたり、お話している間をゴキブリが横切ったりすることもあります。そんな中、高齢の利用者さんが「これ食べて」と出してくれたのは、有名な和菓子店のあんこたっぷりで人気の最中でした。嬉しいけれどテーブルに直置きしていたよね。ん?なんかあんこの様子がおかしいぞ?と思ったら、あんこに群がるアリの大群でした。「お気持ちだけいただきます」と言っても「大丈夫やって。今食べて」と断れません。置いておいて利用者さんが食べても困るので、「いただいて帰って、後でゆっくりいただきますね」と言うと、嬉しそうにティッシュで包んだアリンコ最中をくれました。きっと私が喜ぶと思ってくださったのだなと、その顔を見た時に思いました。お家を出てカバンの中から最中を取り出すと、アリもわんさか出てきて泣きそうになりましたが、この利用者さんとは今も関係は良好です。 2023年12月投稿 「心の棘」 訪問看護では時に、看護師がつらい気持ちになるような「棘」を感じる場面がある。看護師が、スタッフと一緒に心の棘を抜いていくエピソード。 「さっさと帰れ」「もう来んでええ」「死ね」看護師は、たくさんの傷つく言葉を受け取ることがある。病気だからしかたがないと頭では分かっていても、心に深く刺さった棘を抜くのは中々大変である。認知症を発症し、以前は暴力的でもあったと聞くOさんは、身体的な暴力は減少したが、言葉での暴力は健在であった。そのことで何件も訪問看護ステーションを変更されており、「今日はどんな酷いことを言われるのだろう…」と自転車の足取りがどんどん重たくなる自分がいた。このままでは看護師もOさんもダメになってしまう。訪問後にスタッフとカンファレンスを行い、Oさんの笑顔を見るために嫌な部分ではなく良い部分に注目し、スタッフ全員がOさんを大切に思えるように、情報共有することにした。するとOさんから「ありがとう」と言葉をかけられるようになった。心に深く刺さった棘は完全に抜かれて、私は今日も「何回笑顔が見られるかな?」と足取り軽く自転車を漕いでいる。 2023年12月投稿 「想い」 疎遠になっていたがん患者さんの娘さんに、民生委員の方が根気強く手紙を送り続けたことで、最期のときに家族が再会を果たせたエピソード。 「人間味のある看護師さんたちに看てもらえて幸せだったよ」最期の言葉の代弁者は民生委員のHさんだった。Iさんは独居生活。がんと余命宣告を受け、自宅で最期を迎えることを望んでいた。娘さんとも疎遠で、時を埋めるかのようにHさんが娘さんへ手紙を送り続けていた。落ち着いていた日々は束の間。吐血し、一刻を争う状況となりHさんから娘さんへ連絡をした。「父がどこに住んでいるか分からないけれど。でも東京から向かいます」と。私たちは「今から来てくれるよ、頑張りますよ」と声をかけ続けた。私が血を綺麗に拭き取っていると、Hさんが「すごい仕事ですね。私は元教師で、早くに父を亡くしたから地域の役に立ちたくて、Iさんをずっとみてきたの」と話していた。願いが叶った。娘さんが数十年間分のアルバム集を片手に、涙ながら目を閉じたIさんに語りかけていた。アルバムの最終ページに安らかに最期を迎えられた。病気がちな父を想い、娘さんは訪問看護師になったそう。面影ある洋服を探し、娘さんが着せてくださった。“微笑んでいるみたいだね”と皆感じていた。Hさんのように人に尽くしてくださる存在が偉大だった。主治医より「この一年の中で一番良い看取りでした。ありがとう」と。 2024年1月投稿 利用者さんやご家族との信頼関係から生まれる温かい瞬間は、訪問看護師にとってかけがえのない宝物です。これからも一人ひとりの人生に寄り添い、心通う看護を届けていきたいですね。 編集: NsPace編集部

心温まるエピソード【つたえたい訪問看護の話】
心温まるエピソード【つたえたい訪問看護の話】
特集
2026年5月29日
2026年5月29日

心温まるエピソード【つたえたい訪問看護の話】第2回vol06

訪問看護の現場には、利用者さんやご家族との心の交流から生まれるエピソードがたくさんあります。「みんなの訪問看護アワード2024」に投稿された作品の中から、心がほっと温まるエピソードをご紹介します。 「夫婦の絆」 がん末期のご主人が、亡くなる前日に奥さんを抱きしめ、「ありがとう」の想いを伝えた夫婦の物語。 夫婦二人暮らしのお宅で、がん末期のご主人への訪問看護に携わった。奥さんはクリーニング屋を営みながら介護をしていた。ご主人は気管カニューレを挿入しており、奥さんとうまくコミュニケーションを取ることができなかった。それでも奥さんは仕事の傍ら、なんとか気持ちを通わせようと声をかけ続けていた。しかし、ご主人は自分の想いをうまく伝えられないもどかしさからイライラし、奥さんをつっぱねるようになっていた。その後、ご主人が亡くなりグリーフ訪問をした時に奥さんからこのようなお話があった。「亡くなる前の日に、お父さんが私をぎゅーっと抱きしめてくれた。『ありがとう』って言われた気がしたんだよ」と涙目で話してくれた。私は「良かったね、お母さんの想いは、ちゃんとお父さんに届いてたんですね」と声がけし、一緒に泣いた。 2024年1月投稿 「もう一人のあたたかい家族」 「家族とは何か」を問いかけながら、訪問看護師として利用者さんに寄り添いたいという想いを綴ったエピソード。 家族って何でしょうか。血の繋がり?それとも同居している人?家族の形とは?「家族」と聞いて私が思い出すのは、産み育ててくれた両親、そして兄弟。海外で我が子のように愛してくれた恩師や兄弟のように接してくれた友人。彼らに共通することは、信頼や愛情、そして相手を深く想う気持ちを持って接してくれたことです。遠く離れていても、いつも心のどこかにいる存在。家族とは形にとらわれるものではなく、人と人の純粋な関係性なのだと私は思います。そんな家族にたくさん支えてもらいました。訪問看護師として、私の家族が私に与えてくれたものを、関わる人々へ返していける人間になりたいです。この想いを大切にして、利用者様はもちろん、在宅医療に関わる方々やスタッフの「もう一人のあたたかい家族」となれるよう毎日全力で自転車を漕ぎます!いつか一人前の訪問看護師になれる日を夢にみて。 2024年1月投稿 「みんなに贈る体調管理表」 前立腺がんの終末期だったMさんが、体調管理表に残した「ありがとう」の言葉が、家族と看護師の心を支えたエピソード。 Mさんは前立腺がんの末期であった。几帳面な方で体調管理表を自ら作成されていた。妻は介護に悩み、涙を見せることもあった。ある時、発熱と肺炎症状があり入院されていたが、数日経ち、妻から「もう時間がない、家で過ごさせてあげたい」という電話を受けた。訪問看護が介入し、一時外出が実現した。モルヒネ皮下注射を受けながらも、笑顔のMさんに私は「おかえりなさい!」と声をかけた。そこにはいつもの日常があった。家族と一緒にテレビを観たり、ソファーに座ったり、特別なことをしているわけではなく、Mさんを包み込むような当たり前の幸せがあった。夕方、病院へ帰る介護タクシーを見送った。それは翌朝のことだった。「さっき息を引き取ったよ。家に連れて帰るね」と、妻から連絡があったのは。「見て…」と妻から見せてもらった体調管理表には『私の人生みんなのおかげで楽しかった。ありがとう』と、少し震えたMさんの文字。私は涙があふれた。この言葉が、家族だけでなく、私たち看護師の心も救ってくれた。 2024年1月投稿 「願いを叶えた、思い出の志賀島ドライブ」 腎臓がんの終末期を迎えたKさんが、「もう一度志賀島に行きたい」という願いを叶えた、思い出のドライブのエピソード。 私が印象深く覚えているのは、腎臓がんの終末期を患っていた50代のKさんです。Kさんは、がんにより歩くことも難しい状態でしたが、毎回意欲的にリハビリに取り組まれていました。しかし、病状は無情にも進行していきました。精神的にも落ち込み、生きる希望を見失いかけていたある日「もう一度、志賀島に行きたいです。」と相談されました。そこは、病前に奥様とドライブをした思い出の場所です。早速、自家用車を福祉車両へ変更し、車椅子から助手席への移乗練習を何度も繰り返しました。介助に不慣れな奥様には移乗介助の方法も指導しました。そして昨年、念願だった志賀島へ行くことができました。Kさんは「諦めないで良かったです。ありがとう。」と笑顔で言われました。その後、Kさんは亡くなられましたが、私たちに最期まで諦めない姿を見せてくださいました。終末期のリハビリを通じて、利用者様やご家族様の思いに寄り添うことができ、私自身貴重な経験となりました。 2023年12月投稿 利用者さんやご家族との信頼関係から生まれる温かい瞬間は、訪問看護師にとってかけがえのない宝物です。これからも一人ひとりの人生に寄り添い、心通う看護を届けていきたいですね。 編集: NsPace編集部

心温まるエピソード【つたえたい訪問看護の話】
心温まるエピソード【つたえたい訪問看護の話】
特集
2026年5月22日
2026年5月22日

心温まるエピソード【つたえたい訪問看護の話】第2回vol05

訪問看護の現場には、利用者さんやご家族との心の交流から生まれるエピソードがたくさんあります。「みんなの訪問看護アワード2024」に投稿された作品の中から、心がほっと温まるエピソードをご紹介します。 「お別れは、突然に。」 認知症による混乱がありながらも、最期まで夫のために尽くし続けた妻。突然の別れを通して、夫婦の深い絆を感じたエピソード。 妻と二人暮らしのA氏。身の回りのことはすべて妻が行っていた。A氏の状態観察のため、週に1回訪問。しかし、訪問するたびに妻の認知機能低下が目立つようになっていった。妻は、認知症による混乱がありながらも、必死にA氏のために尽くしていた。ある日の朝、妻はベッドに横になったまま息をしていなかった。突然、妻を喪ったA氏。時々笑顔を見せるが、どこか寂しげな表情が印象的だった。認知症で困惑する妻の姿ばかり見ていたが、遺影の着物姿はとても素敵だった。訪問後の帰り道、さまざまなことが蘇る。「母ちゃんには感謝してる」と、妻のいないところで照れながら話すA氏。最期まで、自分のことより夫を優先して支え続けた妻の姿。二人暮らしが一人暮らしとなり、その現状を目の当たりにした私にも心にぽっかりと穴が空き、涙がこぼれてきた。誰かが先に逝けば、残される人がいる。当たり前と思っていた日常が幸せだったことに、後から気付くのは寂しい。1日1日を大切に生きようと改めて感じた。 2024年1月投稿 「大往生という言葉の重み」 「ありがとう」と言葉を残し、家族に見守られて旅立った100歳の利用者さん。“大往生”という言葉の重みを改めて感じたエピソード。 100歳代の女性。息子さんと二人暮らしでした。「息子がよくしてくれるから何も困ってない」そう言って、可愛らしい笑顔で話してくださいました。最期は「ありがとう」と言葉を残し、息子さんと娘さんに見守られて旅立たれました。周囲の方は口々に「大往生だった」と話されていました。しかし後日、クリニックナースから「息子さんが来訪された時“大往生だと言われてもね…”と寂しそうでした」と聞きました。そうだ…。どんなに高齢で穏やかな最期であっても、残された家族にとっては簡単には「大往生」とは思えない。日々をともにしてきた家族を失う寂しさや欠乏感は、「大往生」という言葉だけでは片づけられないのだと思いました。また、90代女性の利用者さん。長年一人暮らしでしたが、ベッド上生活になり娘さんが同居されていました。最期が近づいていたある日、娘さんが「上品で優しい母。料理も裁縫も日曜大工もなんでもできるすごい母でした」と話してくださいました。その言葉を聞きながら、ご本人はよい表情で小さく頷かれていました。その2時間後に旅立たれました。娘さん涙ぐみながらも、「大往生、100点満点です」と話されました。私は「大往生でしたね」と返させていただきました。言葉の大切さを改めて感じました。 2024年1月投稿 「かあちゃん」 「かあちゃん」と呼んでくれた98歳の男性。大トロのお刺身をうれしそうに頬張る笑顔が、今も心に残るエピソード。 98歳の男性。膀胱癌の終末期で、入所時から私の担当だった。認知症もあり、病気の影響か頻尿が続いていた。余命1ヵ月程度と説明され、その間に何ができるか考えていた。入所時から、私のことを「かあちゃん」と呼び、私は呼ばれることにやや抵抗を感じていた。何かにつけ「かあちゃん痛いよ~」「かあちゃん服脱がせてくれ」「かあちゃん…」と。ある日、「かあちゃん、美味しい刺身で一杯やりたいなぁ~」と話された。その一言を聞き、私は買い物に出かけ、大トロのお刺身を用意して夕食時に提供した。嬉しそうな笑顔で「これは美味い」と、日本酒と一緒にうれしそうに食べてくださり、こちらまで嬉しくなる日だった。夏祭りで歌う姿や、家族面会の時の笑顔。たくさんの笑顔を残してくれた。一方で、最期の日は終末期せん妄による苦しそうな表情があったと聞き、最期は辛い思いをさせてしまったのではないかと、今も考える。「とうちゃん、かあちゃんは優しかったですか。とうちゃんが満足する母ちゃんでしたか」 2024年1月投稿 「伝えたかったありがとう」 家族の助言には耳を貸さなかったAさんが、少しずつ訪問看護師を受け入れてくれるようになった。そして最期に残されていたのは、「ありがとう」と書かれた1枚の裏紙だったエピソード。 老夫婦で過ごされていたAさん。近くには娘様もお住まいで、いつもご夫婦の様子を見に来られていました。腸閉塞を何度も繰り返していましたが、Aさんは奥様や娘様の助言には耳を貸さず、「俺の体は俺が1番知っている。」と話されていました。困り果てた娘様からSOSがあり、ケアマネジャーを通して訪問の依頼がありました。初めは私たちスタッフにも拒否的でしたが、何度か訪問させていただくうちに、徐々にAさんは受け入れてくれるようになりました。排泄の状況をうかがっても、以前は「なんでそんなこと教えなきゃいけない?」と話されていました。しかし、ある日から大量の裏紙の束を持ってきて「そうだ、3日出てないんだ。腹も張ってるし、浣腸お願いできるかな。」と。しかしご家族様には変わらず、助言を受け入れてもらえず、奥様や娘様は「もう家でみるのが大変で…。夜中に何度も“看護師さんを呼んで”と言われて…。」と疲弊されてました。ある日、突然の嘔吐で緊急訪問となりました。そのまま救急搬送され入院し、帰らぬ人となりました。その後、ご自宅を訪ねると奥様がAさんの大量のメモ紙を持ってきて「片付けをしていたら、1枚だけ出てきたの。」と、そこには「ありがとう」と大きく書かれた1枚の裏紙でした。ご家族も私たちも、それを見て号泣しました。 2024年1月投稿 「告白」 「山田さんとは心が通じ合っている気がする」98歳のおばあちゃまとの5年間のかかわりの中で、忘れられない“告白”を受け取ったエピソード。 昔はイングリッド・バーグマン似だった98歳のおばあちゃま。乳がんのケアで関わることとなった。訪問看護師として処置に伺うアトリエには、鮮やかな花の油絵が、友人や家族の写真とともに飾られていた。夕方になると、ご飯を目当てにちゅんちゅん(雀たち)が集まってくる。ご家族はご本人らしい最期を望まれていたが、医療の選択肢が増えた今、告知しないほうが難しかった。何度となくスタッフ間で議論したが、当人は「みんないい人ばかりね」と微笑み、病状については深くは知らされていなかった。つかず離れずがモットーのこの仕事なのに、がんが進行したある日、「山田さんとは心が通じ合っている気がする」 と、見つめられ、戸惑った。「ありがとう。私も」と返した。最期にトイレは自分で行かれ、寝込まれたのはわずか二日間だった。凛とした美しい表情は、まるで眠っているようだった。四十九日過ぎに手を合わせ、遺族と喪失感や疲れを共有した。「じつは告白されたんですよ」そんな話をしながら、娘さんと一緒に泣いて、笑った。一年後、自転車で前を通った。「両想いやね」と伝えたかった。寂しいと、私もちゃんと伝えればよかった。やっと今、自分の心に向き合えている。 2024年1月投稿 利用者さんやご家族との日々の関わりの中には、言葉では言い尽くせない大切な時間があります。一人ひとりの人生に寄り添う訪問看護だからこそ出会える瞬間を、これからも大切にしていきたいですね。 編集: NsPace編集部

元気をもらえるエピソード【つたえたい訪問看護の話】
元気をもらえるエピソード【つたえたい訪問看護の話】
特集
2026年5月22日
2026年5月22日

元気をもらえるエピソード【つたえたい訪問看護の話】第2回vol3

訪問看護の現場では、疾患・障害などがある中でも懸命に前向きに生きる利用者さんがたくさんいます。「みんなの訪問看護アワード2024」に投稿されたエピソードから、利用者さんの前向きな姿勢に力を分けてもらえるエピソードをご紹介します。 「かぶってない」 精神疾患と知的障害を抱える利用者さんと信頼関係を築き、安定した療養生活をサポートできたエピソード。 精神疾患と知的障害、糖尿病を患う彼女の自宅に4人の看護師が交代で訪問している。内服管理、血糖値確認、生活リズムの確立、対人関係の援助などで訪問している。彼女の希望は“話をしたい”。病院の受診以外で人と交流する機会もない彼女にとって、私たちの訪問は唯一の楽しみである。自分からは話さず、私たちが話をしても返ってくる言葉は単語のみ。沈黙の時間が続くが、彼女はあまり気にならない様子。そんな沈黙を破り、彼女は突然言葉を発した。彼女の訪問時の様子は、看護師同士で情報共有していたが、突然「かぶってない」と言われた看護師は頭をフルに回転させて考えた。彼女の目線の先には、袋がかぶってない陰部洗浄用のボトルがあった。精神科勤務の経験のない私たちは、彼女のケアを手探りの状態で続けているが、この1年間入院することなく自宅で生活する事ができた。 2024年1月投稿 「看護の心~お孫さんからの学び~」 癌末期のAさんを献身的に介護するお孫さんから、看護の心は資格ではなく相手を慮る気持ちだと学んだエピソード。 Aさんはがん末期で、奥さんと息子さん家族と住んでいます。Aさんは入院中に転院の話に納得されず、在宅療養を希望し訪問看護が開始となりました。高齢の奥さんに代わり、お孫さんが献身的に介護を担っていました。徐々に経口摂取もままならず、点滴の可否を決定する時期となりました。奥さんと息子さんは「これ以上辛い思いはさせたくない。自然な形がいい」と点滴は希望されませんでしたが、お孫さんは「まだ生きる可能性があるのに自分たちが諦めてしまっていいのか」と涙ながらに訴え、話し合いの結果、点滴を実施することとなりました。せん妄でお孫さんに暴力を振るうこともありましたが「明日はじいじはいないかもしれないという思いで介護をしている」と話し常に寄り添っていました。最後は3人のお孫さんとお嫁さんが交替で介護にあたり、みんなに囲まれて旅立たれました。看護の心というのは、資格の有無ではなく”どれだけ相手を慮ることができるのか“ということをお孫さんから学びました 2024年1月投稿 「ひ孫に会いたい!」 韓国人の利用者さんが、うろ覚えの韓国語で通訳を受けながら無事に帰国し、ひ孫に会えた笑顔の写真が送られてきたエピソード。 私には幼少期を韓国で過ごしたという、バックグラウンドがあります。近年、外国籍の利用者さんも増えてきており、私は韓国人の利用者さんを担当することになりました。ご本人は40年前に来日しており日本語は上手ですが、韓国に住んでいる娘さん夫婦は日本語を話せず、初めての介護でした。そして「これから生まれるひ孫に会いたい、会わせたいから韓国に帰りたい」と希望がありました。うろ覚えの韓国語と携帯の翻訳機能を使いヘルパーさんやケアマネさん、訪問診療時の通訳をしていました。なかなかうまく通訳できず苦労しましたが、帰国に向けて準備の手伝いをする中で、「同じ言葉で話せる人がいるだけでも安心です」とおっしゃっていただきました。体調が落ち着き、娘さんも介護できるようになったので無事に帰国しました。帰国前、お互いに「サランヘヨー」とハグをしお別れ。そして、ひ孫に会えて笑顔いっぱいの写真が送られてきました。 2023年12月投稿 「あなたが来てくれるだけで」 新人作業療法士が、「あなたが顔出してくれるだけで元気がでる」と利用者さんに言われて涙したエピソード。 私は臨床2年目、訪問看護師としては1年目のひよっこ作業療法士です。利用者さんは透析をしており、透析後は疲労感が強いため積極的にリハビリを行うのが難しい様子でした。ご本人も頑張りたいのに体が動かない、私も何かできると良いのだけど難しい。何もできないのにこのまま訪問を続けて良いものか悩んで、思わずご本人に「何もできなくてごめんね」と言ってしまいました。ところが「何バカなこと言っているの!あなたが顔を出してくれるだけで元気がでるんだから!」と言われ、ハッとしたと同時に涙がでました。リハビリらしいリハビリはできていませんが、私を必要としてくれている人がいる。少しでもその人の生活の一部になっていることを忘れずに、そしてこれからもそう思ってもらえるように頑張っていこうと思いました。 2023年12月投稿 「母にしてあげたかったこと」 母を膵臓癌で亡くした看護師が、訪問看護の研修で感動し、母にしてあげたかった看護を利用者さんに届けようと決意したエピソード。 私が病棟勤務で毎日忙しくしていたころ、母に膵臓癌が見つかった。すでに末期の状態で、みるみる体調が悪くなり3ヶ月で旅立った。実家は県外で頻繁に会いに行くこともできず、看護師なのに私は母に何もしてあげられなかったと後悔する毎日。何のために看護師をしているのか分からなくなり、17年勤めた病院を数ヶ月後退職した。気力もなく過ごしていた時、看護協会から訪問看護に関する研修案内メールが届いた。なぜか心が動いて“行ってみたい”と思った。その研修は数日間あり、その中の半日は指定されたステーションで同行研修をする。学生時代の実習気分で懐かしい感じもあり、ドキドキしながら同行させてもらった。そこで出会った看護師さんの、利用者さんに対する温かさと丁寧さにとても感動し、管理者さんからの「あなた訪問看護師向きだと思いますよ」の一言に“ここで働きたい!”と直感で思い、すぐにスタッフ募集しているか調べて採用してもらうことができた。終末期の利用者さんも多く、母と重なる部分もあるが、母にしてあげたかった看護をここで精一杯頑張っていこうと思う。 2023年12月投稿 利用者さんの前向きな姿勢や人生の歩みは、関わる訪問看護師だけではなく読者にまで元気や力を与えてくれます。あらためて、訪問看護師と利用者さんの関係は共鳴するのだと考えさせられます。 編集: NsPace編集部

元気をもらえるエピソード【つたえたい訪問看護の話】
元気をもらえるエピソード【つたえたい訪問看護の話】
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2026年5月15日
2026年5月15日

元気をもらえるエピソード【つたえたい訪問看護の話】第2回vol04

訪問看護の現場では、疾患や障害などがある中でも懸命に前向きに生きる利用者さんがたくさんいます。「みんなの訪問看護アワード2024」に投稿されたエピソードから、利用者さんの前向きな姿勢に力を分けてもらえるエピソードをご紹介します。 「大切なご家族に会いながらの長距離移動」 医療的なケアが必要な方にとって、長距離移動は大きな負担を伴います。今回ご紹介するのは、九州の病院から都内の施設へ移動された80代女性のエピソードです。看護師が付き添いながら移動を支え、ご家族の「安心して新しい生活を迎えてほしい」という思いをつないだ支援の記録です。 弊社は民間救急や移動支援の事業を行っている会社です。今回の事例のA様は80代の女性で、肝不全や心不全、認知症を患われており、九州のとある山間部の病院に入院中の方でした。ある日、長男様より、A様を都内の施設に移動したいが、看護師の付き添いをお願いしたいとのご依頼をいただきました。状況をお聞きすると、認知症がかなり進行しており、体力的にも弱ってきていたため、移動するなら早いタイミングが良いと考え、ご依頼されたとのことでした。移動に先立ち、入院中の病院との打ち合わせ、新幹線の手配、現地で対応する看護師との打ち合わせを行いました。当日、移動を開始しましたが、新幹線内で利用者様がせん妄を起こしたため、看護師が息子様にお電話をお繋ぎしました。その後、精神安定剤を内服されたところ落ち着かれました。途中、関西で1泊され、ご親戚にもお会いになることができました。施設到着後はお疲れの中、笑顔でご入所されました。 2023年12月投稿 「『あした』の使者」 落ち込みやすかった利用者さんが、ある日突然、驚くほど明るい笑顔を見せてくれました。その変化のきっかけは、散歩中に出会った“見知らぬ女性”の何気ない言葉。「“あした”を大切にしている」という言葉に込められた前向きな想いが、Oさんの心を少しずつ変えていきました。 下肢リンパ浮腫があり、落ち込みやすい性格のOさん。ある日訪問するとものすごく明るい笑顔にびっくり!思わず「何かあったんですか?」と聞くと、こんな話を聞かせてくれました。「外に散歩に出かけたら、近所で見かけないおばさんから急に声をかけられたの。その人も病気で辛い思いをたくさんしたと話していたけれど、とてもハツラツとしていて、『その元気の源は何ですか?』と聞くと『私は“あした”を意識しているんだ』って」「“あした”は頭文字になっていて『“あ”は歩く、“し”は喋る、“た”は食べる。毎日この“あした”を頑張ることがより良い“明日”に繋がるんだ』って話していたの」そう話したあと、「あれはきっと、落ち込んでいる私に神様が遣わせた使者だったのよ!」と真剣に話すOさんが忘れられません。そして今では私が“あしたの使者”となり、利用者さんに“あした”のお話をしています。もしかしたらOさんが出会った“あしたの使者”は未来の私だったのかもしれません。 2023年11月投稿 利用者さんの前向きな姿勢や人生の歩みは、関わる訪問看護師だけではなく読者にまで元気や力を与えてくれます。あらためて、訪問看護師と利用者さんの関係は共鳴するのだと考えさせられます。 編集: NsPace編集部

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