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後悔・葛藤エピソード【つたえたい訪問看護の話】第2回vol12
公開日:2026年6月19日
更新日:2026年6月19日

訪問看護の仕事は、時に自分の力不足を痛感したり、利用者さんやご家族にとって何が最善なのか悩んだりすることがあります。答えの出ない問いを抱えながら支援に向き合う場面も少なくありません。「みんなの訪問看護アワード2024」から、そうした後悔や葛藤を感じたエピソードをご紹介します。
「幸せとは」
87歳のTさんに「今まで生きてきた中で1番幸せだったことは?」と尋ねた時、思いもよらない答えに人生観を考えさせられたエピソード。
| 「『幸せとは、体験するものではなく、あとから思い出して気づくものだ』ですって!深いですねー」 87歳のTさんの訪問時には、毎回その日の名言カレンダーを読み上げ、それについて話し合っていました。 「Tさんが今まで生きてきた中で1番幸せだと思ったことは何ですか?」と私。 すると、少しの沈黙の後に「何もない」とTさん。 「そうなんですね。でも長い人生ですから、何か心に残っていることがありそうな気もします。」と私。 すると、また「…何もない」とTさん。 近くで会話を聞いていた息子さんにも何だか申し訳ない気持ちになっていたその時でした。 「だって、ずっと幸せだから」とぽそりとTさんが言われたのです。 一瞬、時が止まったような衝撃を受け、泣きそうになっている自分がいました。 寝たきりになってもなお、愛する息子2人がいつもそばにいてくれて、大好きな餡子を毎日食べさせてもらえること。それこそがTさんにとって、過去ではなく現在進行形の幸せなんだと教えられたのでした。 『幸せとは…』 私もいつか人生を振り返った時、「ずっと幸せだった」とTさんのように思えたらいいなと感じています。 |
2023年12月投稿
「訪問看護をやってみたい」
医療行為に長年のブランクがあった看護師が、パーキンソン病で入院していた母を思いながら訪問看護の道に進んだエピソード。
| 私には、医療行為に対して何十年ものブランクがあった。それでも、訪問看護をやってみたいという思いがあった。当然ながら不安はあり、教育用DVDを購入したり、県ナースセンターへ出向き、採血の練習をしたりしていた。 そのころ、母は療養型病院に入院していた。現在勤務している訪問看護ステーションはその病院と同じ敷地内にあり、私は仕事をしながら病棟へ洗濯物を受け取りに通い続けていた。 母は、長年パーキンソン病に苦しんでいた。特養に入居して1年ほど経ったころ、67歳で脳出血を発症。その後は寝たきりとなり、発語も難しく、経管栄養で生活するようになった経緯があった。 そのような母の姿を見守りながら、切なさや悔しさが込み上げ、涙することがよくあった。 平成29年6月、母は病院で息を引き取った。10年に及んだ母との療養の日々も、その時ひとつの区切りを迎えた。 そして偶然にも、その月の末に新たな看護小規模多機能型居宅介護(看多機)がオープンし、ステーションは移転することになり、私自身も新たなスタートを切ることになった。 いまも訪問看護で利用者さんやご家族と関わるたびに、母を思い出す。さまざまな在宅生活のあり方を学び続けている。 |
2023年12月投稿
「私が訪問看護を目指したきっかけ」
子宮がんで余命2週間の知人Aさんから、「家に帰るように言ってくれて、ありがとう」と言われたことが、訪問看護の道に進むきっかけとなったエピソード。
| 知人Aさんは、子宮がんの進行に伴いイレウスを併発し、緊急入院し、医師から余命2週間と告知され、現実を受容できない状態でした。 入院したことを知り、コロナ禍のため電話でのやり取りをする中で、家に帰りたい思いが伝わってきました。退院後の生活を具体的にイメージできず、不安から在宅療養に踏み切ることができない状態でした。私は、Aさんが望む最期の過ごし方を考えることが先ではないかとお伝えしました。在宅での生活に必要な支援や方法については、その後に考えていけばよいのではないかと話しました。 結果、Aさんは医師やご家族と話し合いを重ね、在宅での緩和ケアを開始できることになりました。 当初は余命を告げられたことに怒りを見せる場面もありましたが、時間の経過とともに、少しずつ現実を受け入れていかれました。 最後には、念願だった自身のやりたいことを実現することができ、知人、友人、家族にお別れの言葉も言えました。 看取りが近いある日、「あの時、家に帰るように言ってくれて、ありがとう。ホンマにあんたの言う通りにして、良かった。病院にいたら、後悔するところやった。」と言ってくれました。 それから数日後、Aさんは逝去しました。私は、この出来事をきっかけに訪問看護の道に進むことができました。 |
2023年12月投稿
「はじめての看取り」
がんの利用者様のご家族が未告知を選択し、最期まで笑顔のような表情で旅立った姿から、その選択の意味を考えさせられたエピソード。
| 担当していたがんの利用者様に転移がわかりました。 ご本人はとても明るく、2人の娘様が交代で介護されており、訪問中は冗談を言いながら、とても楽しかったことを今でも覚えています。 日に日に食べられるものや量も減り、痛みも増す中、麻薬持続注射を開始。ご家族は不安がいっぱいで表情がこわばっていましたが、そんな中でもご本人とは冗談を言い合いながら空気が濁ることはありませんでした。 医師から「余命3ヶ月」と説明を受けた娘様たちは、「お母さんの明るいところを奪いたくない」「最後まで落ち込んでほしくない」と考え、未告知を選択されました。 訪問看護師になって、はじめてのお看取りとなり、未告知という選択はどうなのだろうかと、自分の中で葛藤がありましたが、最期の訪問で私は確信しました。 扉を開けた瞬間のご家族の表情は忘れられません。今にも泣き崩れそうな表情で。 それでもご家族と一緒にお身体をきれいにしながら、私たちの会話は自然と楽しかった思い出ばかりになりました。最期の表情は笑顔のようで、ご家族にとって納得できる選択だったのだと感じました。 あれから4年が経ちました。あの経験を通して、利用者様やご家族それぞれの選択を尊重できる訪問看護師になろうと、今でも奮闘中です。 |
2023年11月投稿
日々のケアで“どうしたらよかったか”と悩み、迷うことは、多いのではないでしょうか。大切なのは利用者さんやご家族の思いに耳を傾け、その人にとって何が最善なのかを考え続けること。そして、その答えを探しながら誠心誠意向き合うことなのかもしれません。
編集: NsPace編集部
